何者でもない私より。世界へ。
何者でもない私より。世界へ。
オレンジ色の常夜灯に、微かに照らされた部屋。
遠くに置いて音量を絞ったスマートフォンからは、仲間たちの談笑する音声が流れてくる。
私のいないその空間はとても眩しくて、その眩しさに比例して私の心に影を落とす。
アプリケーションを終了してしまえば、当然それも聞こえなくなるのだろう。
でも、まだその居場所にしがみついていたくて、未練がましく耳を傾けてしまう。
仲間たちはその場所で、私の知らない言葉で私の知らない話をしている。
少し前までは私もそこに居たはずなのに。同じ言葉で同じ話をしていたはずなのに。
今ではすっかり分からなくなってしまった。
色々な想いが頭をよぎる。
楽しかった想い出ばかりだ。
仕事では理不尽に怒られ、嫌な思いをする度に、その居場所に救われてきた。
そこがあるから頑張れた。
でも結局。
私は誰の何者でも無かった。
思い上がっていただけだった。
換えのきく『ナニカ』でしかなかった。
そこに思いが至った時。
心の底に溜まっていたーーいや、積もり積もって澱みきり、ヘドロのようになったかつての澱が。
臨界点を超えた。
取るに足らないと高を括り、心の底に沈め続けて、ずっと見ないフリをしていたツケが回ってきたのだ。
瞬間。
驚くほど冷静な自分に気付く。
想いや思い出がドロドロとしたものに黒く塗られていくのを、わずかに残った『自分』が必死で抵抗している。
それをまるで他人事のように俯瞰して見ている私がいた。
やがてすべてが黒に飲まれた時。
もう一つ。気付いてしまったのだ。
私が何者でもないのなら。
換えのきく『ナニカ』でしかないのなら。
「世界に私は必要ない」
窓を開けてベランダに出る。
眠らない深夜の街は、あちこちで明かりが灯り、まるで星空が堕ちてきたかのようだった。
手すりから身を乗り出し、下を見る。
エントランスからわずかに漏れる明かりがあるだけで、暗く殺風景なものだった。
遠くの地上の星空に比べて、なんともみすぼらしい。
私にぴったりだと思った。
大きく息を吸って、最期に世界に強がりを。
何者でもない私より。世界へ。
「バイバイ世界。思い返せば案外、悪くなかったぜ」
落下ーー
ーー暗転。