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五日目

【五日目】


 今朝もまた、原因不明の腹痛に襲われた。

 ストレス性の症状だと思われるんだが、いかんせんストレス要因の候補が多すぎて、とても対処しようがない。

 それともまさか、ストレスによる身体的な不調とかではなく、なにかヤバイ感じの病気なのでは!?


 くそぅ、恨めしいぞ……こんな風に僕を追い込んだ“七夜(ななや)”が恨めしい……

 それは電話の向こうにいたあいつに留まらず、僕自身が生み出した虚構の人物である“七夜”に対しても向けられた。


 なにがきっかけでこんな事態に至ったのかは定かではない。ペットのミツコを誘拐されたことだって、元を辿れば、僕が自室の鍵を掛け忘れたことが原因と言える。


 しかし……だがしかし。

 こんなことを考えるのは不毛だと分かりつつも、考えてしまう。

 それは、“七夜”という人物を作り出さなければ、僕は今頃こんなことには巻き込まれていなかったはず、という逃避だった。

 電話のあいつがなにを考えて“七夜”に執着しているのかなんて分からない、だからこそ、至極簡単な思考の逃げ道に走ってしまうのだ。


「…………はぁ」


 朝から頭が冴えているのか冴えていないのか。気付けば、つい、ネガティブなことを考えてしまっていた。

 朝陽でも見て目を覚まそうかと立ち上がるが、そういえば……この部屋、西向きにしか窓がないんだった。

 僕はとことん、ついていない。



 昨日のアイデアから引き続いて執筆し、どうにか担当に見せられるぐらいには調整できた。

 この構想が没になれば、今度はどんな展開を考えなくてはいけないのだろうか。


 正直、疲れている。

 まるで自分の作品や発案を“消耗品”のように消費していく日々は、作家としての僕をゆっくりと殺していくような感覚に近い。

 考え抜いた案が没になることなんて僕には日常茶飯事だったはずなのに、ここ最近のそれはなにかが違う。


 ……シナリオを決めるのは、僕だ。なのに……それは僕じゃない。



*



 午後の九時四十分。

 つまらない番組を映すテレビを消して、敷布団から身を起こす。

 気付けば、もうすぐ就寝時間だ。明日の担当との戦いに備えて、今日はもう寝よう。

 そう思って入り口近くの照明スイッチまで歩き出す。すると――


 トゥルルルルル。

 突然、そんな感じの、腑抜けた着信音が鳴り響いた。


 はっとして振り返ると、それはまぎれもなくスマホから聞こえてくる音だった。

 担当の(さかき)からの電話かもしれない。東尾(ひがしお)からの悪戯電話かもしれない。……だというのに、僕のスマホを取る手は震えていた。

 通話ボタンを押す。


「………………」


 ……………………

 一瞬、電話が切られたのかと焦ってしまうほど、それはねっとりとした沈黙。

 無言に耐え切れず、僕は「おい」と声を出してしまった。その強張った発声に、僕が前回よりも緊張していることが分かった。


「なんとか言ってくれ。“七夜(ななや)”だろ、お前」

「………………」


 またも無言。

 こいつ、本当に七夜なのか……? そんな疑問が湧いてきた。

 だが。


「…………にゃー!」


 電話の向こうから聞こえる鳴き声に、やはり“七夜”なのだと確信した。

 知らず、語気が強くなる。


「お前の言う通りに小説を書いたぞ。今からそっちに送るから、ミツコを解放しろっ!」

「………………分かった」


 冷たい声だ。ああそうだった、こいつの声は人情の欠片もない、機械を思わせるこんな風な声だったのだ。

 ……でも、その冷たい声の隙間からは、疲弊(ひへい)の色がちらりと覗いていた。


「……送ったぞ。おい、ミツコになにかしてないだろうな、ミツコは元気なのか、病気にさせたりでもしていたらただじゃ置かないぞ!!?」

「……にゃー、にゃー」

「ああ、ミツコ。元気だったか。なにか嫌なこととかされてないか? セクハラされたりしてないか?」

「…………こいつ、メスだったのか」

「ミツコって名前からどうしてオスに繋がるんだよ、バーカ!!」

「それは失礼した、菅生(すがお)先生」

「…………」


 なんだ、このやり取りは。


「受け取った。読ませてもらうので、しばらく時間を要するだろう。ということで切るぞ、またこちらから掛け直す」

「え、ちょっと待て、まだミツコと話し足りな」


 ブチッ。

 容赦なく、僕の懇願をねじ伏せるかのごとく電話を断ち切られた。


 しばらく呆然としながら、スマホを机に置いた。

 時間を要するって、どれぐらい時間を掛けて読むつもりなんだ?

 問題のあるシーンだけ目を通して、それ以外は読み飛ばしてしまえばいいだろうに。

 相手の行動を不可解に思いつつも…………作家としては喜ばしいとも思った。


 それから数十分ほどが経ち、またも着信音が鳴り響く。


「読ませてもらった」

「お前の指示で強制的に書かされたものだけどね。……で、どうなんだ」


 軽口を叩くも、早鐘を打つ心臓は誤魔化(ごまか)せない。こいつからの評価が悪ければ、また振り出しから考え直さなくちゃいけなくなる。

 担当もこれ以上、期限を延ばしてくれるわけがない。


「…………この作品は」


 あくまで無機質に、どこまでも同じトーンで言葉を紡いでいく。

 その果てに用意された一言によって、僕の悪夢に終止符が打たれるのか、それとも延命処置を施されるのか、二つに一つだ。


 ごくり、と唾を飲む音が聞こえた。無意識に喉がひりつく。

 ああ、やっぱりもう少しだけ待ってくれ――そんな願いをよそに“七夜”は告げる。



「ダメだ」



「………………どこが」


 もう、勘弁してくれ。僕はお前が思っているほど有能な小説家じゃないんだ。


「これじゃ、“七夜”は幸せにならない」


 ミツコを巻き込まないでくれよ……可哀想じゃないか……放してくれよ……


「……お前の言う幸せってなんだ?」


「………………」


 なにをだんまり決め込んでるんだよ、話してみろよ、幸せってなんだよ。


「もう、いいだろ。送ったデータで、納得してくれ」


 小説家が無尽蔵にアイデアを閃かせる機械だとでも勘違いしてるんじゃないのか……?

 一文一文を搾り出すのも苦労する時があるんだ、“ダメ”だなんてそんな簡単に言われても非常に困る。


「……それは無理な話だ。とにかく、大事な猫の命が惜しくなければ、また書き直せ」

「せめて七夜の幸せがなにかを教えてくれれば――」

「以上だ…………それと、俺は()()()()()()()()()()()()()


 ブチッ。

 電話は一方的に切られてしまった。


「…………、……もう無理だ」


 通話を終えた途端、立ち尽くす僕の全身を虚脱感が支配した。

 目眩すら覚えるほどの虚脱感。虚ろ。ただただ、虚ろ。


「………………はぁ」


 カーテンの前まで歩き、それを左右に開ける。

 窓ガラスは室内の明かりを反射して、本来見せるべき景色と重ねるように、僕の(よど)む表情を映し出した。

 雨音が聞こえる……外では雨が降っているようだ。うっすらと、窓に映る僕の向こうに筋が入る。


「…………もう誰かのシナリオ通りにシナリオを書くのはうんざりだ」


 そんなことを呟くと、段々、窓ガラスに映る全ての光景が古い映画のワンシーンに見えた。

 降り続ける雨が、まさしく古い映画フィルムによって映写される“雨降り”のようだった。

 …………


 …………あれ?

 なにか重要なことを聞いた気がする。

 いつ? どこで? なにを?

 ……ついさっきだ、ほんのついさっきのこと。電話の最中に……あいつが残した言葉。


『以上だ…………それと、俺は()()()()()()()()()()()()()


 あいつはなにを言っているんだ?

 僕は今日、一度もそんなことを電話で話してはいな――――いや。今日じゃないんだ、電話でもない!

 …………そうだ、三日前のことだ。(さかき)が帰った後、僕が自室で呟いた一言。


『……絶対、あの電話の男は眼鏡を掛けた根暗な奴だ。ああいう喋り方は眼鏡で根暗だと相場が決まってるんだ』


「あっ……!」


 ――――もしや部屋の中を“盗聴”されているのか!?


「な、え、あっ」


 それに気付いた瞬間、カーテンを慌てて閉めた。

 部屋をぎょろりと振り返る。そこには質素な家具や敷布団、申し訳程度に置かれた机が配置されているだけだった。

 どこにも不審な点はない。少なくとも見た目だけは普段と変わらない一室だ。


 だが、この部屋のどこかに……盗聴器が仕掛けられている?

 僕の独り言や、担当とのやり取りが筒抜けになっていた……奴の思わぬ発言から発覚した驚異……いや脅威の事実。


 この瞬間もどこかで僕の様子を探っているというのか。部屋に設置された盗聴器を介して、僕の悔しがった声にほくそ笑んでいるのか。


 怒りや恐怖といった感情が全身を巡り、それは弱腰だった僕に……一つの行動力を与えた。


(……電話の後ろが怪しいぞっ…………クソ、見当たらない。次は机の裏側か…………ない、じゃあ次は……)


 息を潜めながら、手当たり次第にひっくり返したり、裏側を覗いたり、隙間を注意深く確認したりした。

 しかし、どこにも盗聴器らしき機械は見つからなかった。じゃあ、どうやって……あの独り言を聞いたのだろう。


 その後もまだ探していない場所がないか、入念に調べ回った。だが、成果はゼロ。

 こうなってくると、さっきのは僕の聞き間違いだったんじゃないかと思えてきた。


 一応の警戒として、僕は一言も口から漏らさず夜を過ごした。


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