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四日目 1/2

【四日目】


 “七夜(ななや)”の要求から四日目が経った。

 大幅な路線変更による結末の着想は、一、二個ほど浮かんだものの、どちらも決定的な案とは言い難かった。

 既存の構想と新しく練り直した構想とを見比べたり、現時点までの執筆の進行状況を確認したりする。

 だが、どう足掻(あが)いたって活路が開けそうにはない。ああ、万策尽きた。


「ふむ…………」


 筆を渋らせていると、不意に、周囲のダンボールに視線が吸い寄せられた。

 ……そうだ、気分転換に荷物の整理でも片付けようかな。引っ越してきた日からそのまま後回しにしてきた面倒事である。


 早速、手近なダンボールから開けていき、中のごちゃごちゃとした調度品(ちょうどひん)やら食器やらを出していく。

 見覚えのある日用品を手にとっては片付け、棚に並べて、机の上に置いた。

 その単調な作業に、僕はいつの間にか取り憑かれたように夢中になっていた。

 黙々と片付けを繰り返す。黙々と…………黙々と…………

 …………………………


 どれくらいの時間が経ったのか。

 机上のデジタル時計を確認すると、液晶画面には『十二時三十分』と表示されていた。

 荷物の整理を始めたのが十時丁度だったはずなので、実に二時間半も作業に没頭していたことになる。


 小説家の集中力を侮るなかれ! と誰にでもなく胸を張った。

 その成果として、部屋は見違えるほどに部屋としての体裁を成していた。心なしか、ダンボールの時よりもスペースが広く感じられる。

 今ならば、自信を持って言える。この景色から(うかが)える住人の生活力は満点だ!! よく頑張ったぞ、僕!!


「編集部の個室を借りよう」


 平常心に戻り、執筆環境を鞄の中に閉まうと、そのまま身支度を始める。

 新しくなった室内の様子を眺めて、そういえばミツコはさっきのダンボール風景を気に入っていたっけ、と思い出す。

 鳴き声の聞こえなくなった自室を後に、僕は出版社へと(おもむ)いた。



 いつもは編集部の隣に連なる個室を借りているのだが、今日は別の階の部屋を借りて執筆することにした。


 なぜかといえば、理由は単純。あそこに敷かれた内線電話で担当と通話する意味が不明だからだ。担当のいるオフィスは隣である。

 話があるならば、直接、顔を見せに来いと思わずにはいられない。


 それになによりも、同じ階の一室を『話題のイケメン新人小説家』こと東尾(ひがしお)が利用していると小耳に挟んだのだ。これがかなり大きい。


 ――小説家、東尾。

 代表作である恋愛小説「十二時を教えて」や推理小説「スクラッチ」などの作品で一躍有名となり、数々の賞とともに二十歳という若さで作家デビューを果たした期待の新人小説家だ。

 彼の手による作品はどれもが丁寧なテイストで書かれているのだが……作家当人の性格にはなにかと問題が多い。


 例として、東尾という小説家は新人であるにも係わらず、先輩の僕に対してなにかとちょっかいを仕掛けてきたりするのだ。悪戯電話など両手で数え切れないほどされてきた。


 そうした背景もあって、僕は東尾を嫌っている。

 故に、編集部の間に広まっている噂は一寸の狂いもない真実なのだ。

 ただでさえあいつ一人でも倦怠感(けんたいかん)を覚えるというのに、加えて担当と口論を始めようものならば、その喧騒により、僕がアナフィラキシーショックを起こして呼吸困難に(おちい)りかねない。


 東尾と隣室になれば、間違いなく生死の境を彷徨(さまよ)うことになるだろう。ミツコを救う前に、僕が倒れては元も子もない。

 ――というわけで、五階に用意された個室へと向かう。



 部屋に入った瞬間、開かれた窓から差す眩しさと()もる熱気に思わず「うおっ!?」と退いてしまった。

 今日は特別暑い日でもないのに、このサウナ状態はいかがなものか……


 とりあえず、クーラーの設定温度をガンガンに下げた状態で電源を入れた。こうすれば、数分も経たぬ内にサウナが快適な仕事場へと早変わりするはずだ。


(節電……? なにそれ……?)


 編集部の入り口で見掛ける『節電を心掛けよう!』という貼り紙を思い出したが、僕には関係のない話だ。あれは編集部の人間に向けたスローガンだからだ。


 鞄の中からノートパソコンと原稿用紙数枚を取り出して、机の上に配置した。

 これで執筆環境は整った。後は、ない知恵を振り絞り、浮かぶアイデアを基に原稿を書き進めるまでだ。


(……っと、その前にコーヒーを………………ハッ!)


 今更、気付く。ああ、なんということだ、この部屋にはコーヒーメーカーがないのか!?

 徐々に涼しさを増していく部屋の中を右往左往(うおうさおう)する。


 ……あ、良い事を思いついた。

 僕は駆け足で電話機のもとに向かい、間髪を容れず編集部に電話を入れる。

 応答した編集部の人間に、


「あ、コーヒーの差し入れを頼んでもいいかい?」


 と、爽やかな声で頼んだ。



 個室に篭もってから三時間ほどが経過した。

 最初は書き出すのに苦労していたが、とりあえず浮かんだアイデアを(もと)に書き進めていくと、徐々に筆の運びが(はかど)ってきているのを感じた。


 “七夜”の要求通り、七夜の物語もとんとん拍子に運ばせていき、残すところは主人公との対峙シーンのみとなった。


 色々と辻褄合わせに苦労したが、改変する箇所を限りなく少なめに削った結果、元の雰囲気を崩すことなく七夜を活躍させられそうだ。

 やはり最初の構想には及ばずとも、作家の僕から見て「これはこれでいいかも」と思える出来なのだから、きっと(さかき)やその他も納得してくれるはずだ。


 しかし、肝心の“七夜”はどうだろうか。

 彼は僕に言った。「ハッピーエンドに、変えろ」と。


 今更ながら具体性に欠ける要求だと思う。

 ハッピーエンドなど人の感性によって様々だ。それこそ、バッドエンドと思える結末さえ各々の価値観によってはハッピーエンドにもなる。

 もし、彼と僕とで価値観に相違があれば、現在執筆中のこれも却下される可能性がある。

 むしろ価値観が違わないはずがない。考えないようにしてきたが、相手は自ら“殺人犯”を名乗ったんだぞ!?


 あれから色々とテレビや新聞、ネットニュースなどを確認してみた。殺人事件はもちろんのこと、傷害事件や失踪事件も隅々まで調べたのだ。

 すると、安心するべきか否かは分からないが、この辺りで連続殺人事件は発生していないようだった。

 運転事故や家出少年の捜索などの事件は起きているようだが、血生臭い出来事は検索に掛からなかった。


 ――だが、油断はできない。相手は猫質(ねこじち)を取るような卑劣な男だ、前歴があっても不思議ではない!


 もしも……もしもだ。僕が書き終えると同時に、用無しとしてミツコが殺されるとしたら…………それは考えるだけでも恐ろしい仮定だ。

 そんなことになれば、きっと、僕は二度と立ち直れないだろう。


 ああ、どうすればいいんだ。書くか、それとも警察に打ち明けるか。なにが最良の選択なんだ!!

 一人で頭を抱えながらオーバーヒートしていると、不意に入り口からノックの音が聞こえてきた。


「すみませーん、コーヒーの差し入れ持って来ましたー……うわっ寒い」

「遅すぎる!!!!!!」


 普段の言葉遣いなど(かえり)みず、煮え立つ怒りに任せて言葉を放った。


「三時間経ったわ!!! お前電話から三時間も待たせておいてよくいけしゃあしゃあとコーヒーを届けられるなぁぁ!!」

「先生、本当にすみません、会議が長引いたもので……」

「うわ温いっ! ()れ直してこい、いや僕が淹れ直してくる、いいや、“()れ”直してくる!!!!」

「…………菅生(すがお)先生、どうしたんですか」


 胡乱(うろん)げな視線を浴びながら、僕は混乱した頭を勢いよく振り乱し続けた。

 なぜだろう、過熱する脳とは対照的に、動く僕の体はやけに肌寒かった……


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