三日目
【三日目】
一日中、机と向き合って執筆を続けるも、集中力が持続しない。
七夜の件もしかり、コラムの件もしかり……
自室に放置されたダンボールの山を凝視しても、アイデアの一つさえ湧いてはこなかった。
はぁ、と何度目かのため息。複雑怪奇な迷路を暗中模索している気分だった。
膝元を撫でようとして、その手が止まる。
ああ、そうだ。ミツコは今、ここにはいないんだった。
空しさにすっかり寂れた膝元を見て、ミツコとの数々の思い出が蘇ってくる。
脳裏を奔走する、愛猫の顔や、仕草や、温もり、鳴き声。
初めての出会いで、人見知りのミツコに右頬を引っ掻かれたこと。
その後も、何度か引っ掻かれたこと。
今も尚、たまに引っ掻かれること。
色んな記憶が鮮明に蘇って、僕は思わず、涙を零してしまった。
右頬に残る古傷の上を優しくなぞるように、涙の雫は流れていった。
(僕が頑張らなければ……ミツコ、待っていてくれっ!!)
膝元に広がる涙痕を強く握り締めて、再び執筆に戻るべく机へと向き合うのだった。
*
「ここのオフィスは何階だ、……四階? よし分かった、飛び降りちゃうぞ、いいのか!?」
編集部まで響き渡る怒号を聞いて、俺は、また始まったのか、と頭を振った。
それはオフィスの隣に設けられた個室から聞こえてきた。
同時に、
「なんと仰ろうが、サボったのは東尾さんです。というわけで、今すぐ月刊誌に掲載する短編を書いてください」
と、はきはきとした利発そうな女性の声も聞こえてくる。
「新作を書き終えたばっかりですよ! せめて明日のインタビューを延期するとかですね……」
「知りません。編集長に言ってください」
「えぇー……」
力なく崩れる小説家の嘆きが聞こえた。
この二人のやり取りは、騒がしいなぁと思う反面、菅生先生の担当編集者である俺にとって参考にもなるやり取りだった。
特に、名物編集と謳われる女性編集者の仲嶋さんの冷徹さには見習いたいものがある。あれほどのふてぶてしさがなければ、東尾という作家の手綱は締められないのかもしれない。
東尾さんは黙っていればイケメンだというのに、実に勿体ない。
それを考えば、自分が受け持つ作家はまだマシな方……と楽観視しようとした矢先、
「……なわけでもないか……」と肩を落とす。まぁ、それでも自分は菅生先生のファンなのだが。
隣の個室からは未だに「だったら胸の一つでも揉ませてくれよ!」とか「警察に通報する前に書き上げてください」なんていう騒ぎが聞こえ続けてきた。
周りの仕事仲間を見渡しても、その誰もが一切動じず、デスクワークに励んでいる。慣れとは恐ろしいものだ。
俺も心を無の境地にして、自身の仕事に専念することにした。