七日目 2/2
つい視線がコンセントへ向いてしまいがちになる。
気配が不自然になっていないか、動きが怪しまれてはいないかなどを常に気にしながら、なんとか身支度を済ませた。
盗聴器を発見してからというもの、立ち上がる際の掛け声一つ口に出せなくなった。それが聞かれていると思うと気恥ずかしくて堪らないからだ。
(ああ……寝不足だ……)
あくびを交えながら持ち物をさっと確認して、僕は自室を後にした。
アパートの入り口付近で担当の榊を見つける。
「あ、先生」
いつもより締まりのある顔をして、歩き出す僕の隣に付く。
「えーと、昨日のメールの件は……マジですか」
「マジだよ。大マジ。……これからそいつに会えるはずなんだ」
腕を組み、榊が難しそうに「うーん」と唸る。
僕はその隣を歩きながら、昨日のことを思い出していた。
「……ふ、ふふふ……」
妙案を思いついたので、早速それの下準備を始めることにした。
妙案というか、推測というか、まぁそんな程度の思い付きなのだが。
メール画面を開いて、担当の榊へ送る文章を入力する。
メールの内容が盗み見られている可能性は低い。
奴が僕のことを調べ上げているならば、僕自身があまりメールを使用しないことも知られているはずだからだ。
僕の動向を監視する分には、盗聴だけで事足りていると思う。
ふと、メールの文章を入力していた指が止まる。
(……突然、『僕はミツコを猫質に、小説を書かされていたんだ!』なんて書いてところで、信じて貰えるか?)
僕がそのメールを受け取る側だったら「ふーん」と素っ気ない返事をすることだろう。
慎重に言葉を選びながら文章を打っていく。
この事件の顛末をなるべく分かりやすいように説明して、協力を頼む言葉を最後に――僕はメールを送信した。
「“先生の部屋で集合しよう”って話になってたのに、アパート前に着いてからいきなり“喫茶店で集合しよう”って言い出すから頭おかしくなったのかと……」
「昨日のメールで説明したろう。盗聴されてるんだよ、僕の部屋」
やや強い日差しを真上から浴びる。そのおかげか、付き纏っていた眠気が徐々に薄れていった。
……寝ている暇などないのだ。今日で奴とのお遊びに終止符を打てるかもしれないのだから。
「じゃあ、『半透明の生者』路線変更の件も、そいつの指示だったんですね」
「ああ、“七夜”にひどく執心している様子でね」
「なるほど……この事件が解決すれば、先生は晴れて編集部の伝説ベストテンにランクインですよ」
浮き浮きとしながら榊が言う。こいつは少し、いや相当、緊張感が欠けている。
「昨日のメールでは、警察官の友人がいるとか聞いたけど、今日は来てくれるのかな」
「ええ。彼は先に喫茶店に向かいました」
意外なことに、この榊という男は交友関係が幅広かったりする。
本人は人柄の良さだと自慢をしていたが……担当としての榊を見る限り、それは納得できない。
まぁ、深く突っ込まないでおこう。僕のためにわざわざ協力してくれるというのだから、邪険にしたら失礼だ。
「そろそろ連絡が来るはずなんですけどねぇ」
彼がそう言った直後、隣から変な音が鳴り出した。どうやら、榊のスマホの着信音だったらしい。
画面を覗き込んだ榊が、
「あ、喫茶店に到着したみたいです。俺達も急ぎましょうか」
「そうだね」
短いやり取りを終えると、緊張に体を強張らせながら喫茶店へと急いだ。
見慣れた看板を発見して、煌びやかな店内に足を踏み入れる。
入店を知らせる軽快な音とともに、僕達はウェイターの案内に従ってテーブル席に着席した。
足しげく通っていた甲斐あって、僕達の長居は喫茶店側も了承済みである。
「…………」
僕は座ると同時に、きょろきょろと店内を見回した。
店員や客、その他の人間に怪しい人物はいないかを確かめる。
……確かめるも、目が合った客には逆に訝しそうな視線を返された。ああ、自分でも自分は挙動不審だと思う!
榊はそんな僕をよそにして、呑気にもメニューを見ながら「パフェ美味そうですねー」とかほざいていた。
(おかしいな……僕の予測では“七夜”は直接喫茶店にやって来て、僕を監視すると思ってたんだが……)
しかし、どの客もとりわけ怪しい雰囲気はなく、むしろ不審な人物は自分一人だけではと落胆してしまうほどである。
(店員はどうだ、店員は…………はっ!)
そうだ、僕は常連だった。
ここに足しげく通っている僕だから分かる、ここの店員の中に“七夜”はいない。
では、読みを外したのか……?
(うおおおお安易に行動を起こすんじゃなかったああ! もしも誰かに口外したことがバレたらミツコがああああ)
頭を抱えようとしたその時、横から誰かに声を掛けられる。
咄嗟に顔を向けると、そこには無愛想なウェイターが立ちながら注文を受けに来ていた。
「ご注文をどうぞ」
能面のような冷めた表情で、とても接客業をする人間の顔つきではない。
「あ、ストロベリーアイスパフェを一つとアイスコーヒーを一つで」
そういえば、ここ最近、無愛想な新入りの店員が働き始めていたのを思い出す。
「…………」
その店員の一挙一動を見ていて、不意に、なにかが脳裏を過ぎる。
(無愛想で、無機質で、どこか冷めていて…………これは、もしかして……)
注文を繰り返す声や抑揚の一つ一つが、記憶の中の“あいつ”と重なって聞こえる。いや――――
『……その身柄は俺が預かった。要求に従わなけねば、この猫に命はない』
重なるなんてもんじゃない。これは――――
『……“半透明の生者”』
――これは“一致している”んだ。
恐る恐る、注文を唱え終えた店員の右頬を覗く。
そこには。
――そこには、小さな“生傷”がいくつもできていた。
「……こ、こっ……」
「ん? どうしました、先生」
榊が疑問符を浮かべた顔で様子を訊ねてくる。
僕の声が余程、上擦っていたんだろう。仕方ないじゃないか、だって――――
「こ、こいつが……こいつが犯人だああ!!」
震えの止まらない指で、そこに立つ店員――“七夜”の右頬を指差した。
人見知りのミツコがよく付ける引っ掻き傷を目掛けて。
「…………」
先ほどまで賑やかだった店内は、今や僕の大声によって静まり返っていた。
その場にいた全員が、僕と店員を交互に見る。
世界から音が消えた瞬間だった。
「…………っ」
店員が一歩だけ後ろへと下がる。
――それが合図になった。
静寂を破るように、奥の席に座っていた客の一人がスッと立ち上がる。
まるでスローモーションのように、その客の懐から警察手帳が取り出されるのが見えた。
その瞬間、
「……っ!」
店員――“七夜”が猛スピードで出口を目指して走り出す!
その逃亡を皮切りにして、店内のあらゆる席からどよめきや悲鳴が押し寄せる。
立ち上がった客――おそらく榊の言っていた人だろう私服警察官が、これまた猛スピードで“七夜”の背中を追う。
どたばたと騒がしく、二人は喫茶店を飛び出していった。
「う、うわぁ……あれが先生の言ってた……」
流石の榊もこの騒ぎには驚いた様子だった。
何事かを問う喧騒の中、数秒が経つと、店の外からも野次馬の騒ぎ声が聞こえてきた。
どうやら、犯人が警察官に確保されたようだった。どよめきに混じって、警察官のよく通る声も耳に入った。
――――これで、終わったのか。
あまり解決したという実感が湧かなかった。ただ、ミツコの安否だけが心配だった。
呆然とする僕の隣で、榊は神妙な面持ちのまま、
「これ、ノンフィクションで本にしませんか?」
などと空気の読めない発言をする。実に、僕の担当である榊らしい一言だ。
そのいつも通りの反応を見ていると、なぜだか、“終わった”という事実にやっと実感を覚えることができた。
肩の力が抜けていく。
ああ、そうか、終わったのか。
冷めない騒がしさの、ただ中で。
――僕がハッピーエンドを書けない七日間は終わりを告げた。




