オンシャ!ヘイシャ!キシャ!
階下からの騒々しい声と複数人の足音でタカシは目をさました。
「おばあちゃん、お世話になります!」
「あらまぁ、ケンタくんはちゃんと挨拶できてえらいわねぇ」
階段の上からのぞくと、そこには照れくさそうに頭をなでられる甥と笑みをこぼす母や姉の姿があった。
子供の頃は楽しかった夏休みだったが、大人になったタカシにとっては憂鬱でしかない。
タカシはニートだった。就職して結婚までした姉がいるだけで無言の圧力を感じてしまう。
「タカシ~、いるなら荷物運ぶの手伝って~」
姉の声に、仕方がなくタカシは玄関に向かう。
外にでると強烈な光が肌を焼く。
「今年もこっちはあっついわね~」
タカシに荷物を運ばせながら姉は気楽な調子で話かけてくる。
「ここのセミどもの声聞くと、帰って来たって感じするわね」
「都会だといないの?」
「全然だよ。聞こえるのは車が鳴らしてるクラクションぐらい」
姉は東京の会社に就職し、夏休みや盆になると帰ってきていた。結婚してからは子供もつれてくるようになった。
「そういえば、ケンタが虫取りしたいっていってたからやり方教えてあげてくれない?」
「え~、いや、でも」
タカシが渋っていると、母がひょっこり顔を見せる。
「タカシ、あんた暇なんだから相手してあげなさい」
二人に迫られて、タカシはうなずくしかなかった。
夏の日差しの中、セミ達の鳴き声が響く。この声はタカシを憂鬱な気分にさせる。
「ねえ、おじさん、ここにはどんな虫がいるの?」
甥のケンタは目をキラキラさせながら道の先に見える森を指差す。
都会育ちの甥っ子には退屈な場所だと思っていたが、楽しんでくれているようでタカシはほっとする。
「おっきいカブトムシつかまえて、友達に自慢するんだ!」
森に入ると暑い日ざしは生い茂る葉にさえぎられ、ひんやりした空気が心地いい。ケンタはものめずらしげにきょろきょろと見回している。
「おじさん、虫の鳴き声すごいね。これなんていう虫?」
生命に満ち溢れた森の中は様々の音で満ちていた。
オンシャァアア!! オンシャァァアアア!!オンシャァァァァアアアアア!!
「これはオンシャゼミだよ」
「ふーん、変な名前だね。じゃあ、あっちは?」
ヘイシャァアア!! ヘイシャァァアアア!! ヘイシャァァァァアアアアア!!
「そっちはヘイシャゼミ」
見ると二種類のセミが幹に集まっていた。一匹のヘイシャゼミの前にオンシャゼミが横一列で並んでいる。他の木でも同じような集団が作られていた。
これは、このシューカツの森で見られる独自の生態であった。
地元民にとっては夏の風物詩であるが、今のタカシにとっては憂鬱の種であった。
「おじさん、アレ捕まえたい!」
「じゃあ、これ使うといいよ」
出したのは潤滑油。オンシャゼミの大好物である。近くの幹に塗ってやると、途端に数匹が寄ってくる。
「あっ、なんか種類が違うやつが来たよ!」
オンシャゼミのグループをおしのけるように大きい一匹が飛んできた。
キシャゼミである。
オンシャゼミが群がる潤滑油などには目もくれずに、ヘイシャゼミに近寄る。
オ、オンシャア……
キシャァァァアアアアッ!!
乱入者にオンシャゼミたちが威嚇するように鳴くが、キシャゼミの鳴き声ひとつで散っていった。
「キシャゼミすごいや。よし、あれにしよっと」
残ったキシャゼミの上に網がかぶせられる。ケンタは虫かごにしまった成果を満足そうにながめる。
「おじさん、とれたよ。あとでお母さんにみせよっと」
姉は虫が苦手だ。タカシはたぶんやめたほうがいいと思ったが、甥のやる気に水を差さないようにした。
「でも、あとで放してあげるんだよ」
「えー、せっかくつかまえたのに」
「ここで鳴いてるセミの寿命は残り一週間ぐらいなんだ」
「え!? そんなに短いの?」
オンシャゼミたちはその生の大半を地中ですごす。22年間土の中で成長し、時期がくると一斉に地上で活動を始める。
「ボクだったら、たった一週間でなにができるんだろ……」
しんみりするケンタ。彼はこの日何か大事なものを学んだ。
タカシも思った。今年こそは就職活動をしようと。
タカシは既に25歳、いまだに羽を広げられないで土にもぐるサナギのままだった。