今は悪い女になった、昔はいい女けど。
今は悪い女になった、昔はいい女けど。
ぼくはいつも通り、オフィスを出て、バイクタクシーを
呼ぶ。10分くらいすると、タクシーが来た。
Pak, silahkan hindari belok ke kiri sono nanti lalu lintasnya macet gitu.
わたしは渋滞を避けたいから、運転手にそこの道を左に曲がらないでくれと言った。運転手は鮮やかなアクセントで、
はい、まっすぐ行きますね。
日本語で返してきた。ぼくは思わず、日本語すごいですね、と言うと、彼はかつて愛知県で働いていたという。彼の名前を以下、r とする。
r の家は貧しかった。rは地元の高校を卒業すると、溶接工として働き始めた。しかし、大学を卒業していないため、給与がいい仕事には着けなかった。技術はあるのに悔しかった。rはそう語った。
日本のことは大好きです。技術あれば、お金をたくさんくれますから。
彼は結婚後、家族を養うため、日本へ出稼ぎに行った。愛知県で5年、溶接工として、建設現場で働いた。月給は多いときに30万円あったという。日本で働いて5年、rは32歳になっていた。
rは日本で貯めた貯金をもって、ジャカルタに凱旋した。しかし、ある事件が起こる。
今は悪い女になった、昔はいい女けど。
rの妻が貯金を全て使ってしまい、夫婦仲は険悪に。結局、rは妻と離婚して、そのままコロナ禍に入って、仕事を見つけることが難しくなった。毎日の生活のため、rはバイクタクシーの運転手となった。
rに聞いた。もう一度日本で働きたいか。
はい、そうです。溶接工として働きますよ。
ニコニコしながら、元気よく答えた。
rに聞いた。ずっと日本に住みたいか。rは少し黙って、日本語で話すのをやめて、こう言った。
Tidak, setelah menabun banyak sono, saya akan langsung kembali ke sini. Jepeng adalah tempat untuk bekerja.
たくさん貯金をしたら、ジャカルタへ帰ってくる。彼はインドネシア語で続けた。
Karena tidak bisa punya anak isteri sono.
そこでは、家族を養うことはできないと。
この言葉を交わしたあと、タクシーはわたしのマンションに着いた。ありがとうと言って、rと別れた。
わたしは、日本では家族を持てないと思った。これは移民をした大きな理由の1つだ。インドネシア人の中には、日本で働きたいという人が多くいる。その理由が少しわかった気がした。
出稼ぎで日本に来て、お金がたまったらインドネシアに帰る。これなら、確かに夢が持てる。頑張って稼ぐぞと思えてくる。わたしももし、出稼ぎに行くなら、日本がいいと思う。
しかし、わたしは日本語を学ぶインドネシア人に接していて思う。彼らは言う。日本に行きたい、日本で働きたいと。しかし、わたしは日本に住みたいと言った者があまりいないことに気づく。
マンションのエレベーター。
住人が乗り込んできても、挨拶は少ない。
妻の実家の下町
歩いているだけで、
Mari kita mengopi bagaimana ?
一緒にコーヒーを飲もうと誘われる。
インドネシアは発展して欲しくない。
発展すると、失うものもある。
日本社会は生きづらい。インドネシアは、今のまま、生きやすい場所であってほしい。
インドネシアは住みたい場所。
また、パパイヤの木の下で、近所の人たちとだらだら過ごしたい。