パラサイト レビュー
パラサイトレビュー
我々が遵守すべき義務とは何なのかと考えさせられた。というのも、パラサイトにおいて問題になっているのは、「計画」についてだからだ。
我々は各々目的を実現するための計画を立てて生きている。例えば、受験勉強を朝の7時から昼の12時までしてそっから予備校に行って講義・・・というように。
しかし、なぜ我々は1日の計画を立てるのだろうか。
受験勉強をするのは、自分が入りたい大学があるからである。自分が入りたい大学があるのは、勉強したいことがあるからだ。したがって、受験勉強は目的を実現するための手段である。つまり、自分が望む大学に入るためには受験勉強をしなければならないからこそ、我々は受験勉強をするにおける1日の計画を立てるのだ。
しかし、なぜ受験勉強しなければならないのだろうか。それは、自分の目的が果たせないからだろう。しかし、受験に合格するという目的がなければ別にやらなくてもいいことだということになる。だが、一方で我々は何かしら目的を持って生きることをある種強制されている。いったい、これはどういうことなのか。
その答えのヒントはパラサイトという作品の中に隠れている。というのも、パラサイトにおいては「無計画の計画」が行き着く先を仄めかしているからだ。
では「無計画の計画」が行き着く先とはどういうことなのだろうか。それは、寄生である。なぜなら、人生の計画がない者は根を持たずに生きることになるからだ。そして、寄生の行き着く先は、憎しみの爆発による殺人である。なぜなら、自らの生を肯定できないことから、他人への嫉妬が増大し、人を殺人へと駆り立てるからである。
したがって、無計画の計画は失敗に終わる。ただの匂いの嫌悪が人間性の否定と誤解するところからも、この寄生家族の父親は計画の失敗に終わる。だからこそ、その息子は根源的な計画の大切さに気がついたということなのだろう。
従って、この作品は私は格差の問題としては解釈できなかった。むしろ、この作品は慣れるのがどれほど怖いことかを伝えているものとして解釈せざるを得なかった。




