4
―――― 一年。
一年経った。もう、限界だった。
あの男とあの姫が親密になっていけば、それと同じだけ彼女が穢されているような想いが強くなっていく。
彼女の死を受け入れず、娘に依存する醜い男に母と違い愚かな娘。
唯一の安らぎも奪われ、激務をこなし続けるにはもう、精神が摩耗しすぎた。もう、これ以上、あの何よりも清らかで美しく、優しかった彼女と同じ顔に彼女が望んだ色全てをもった体で彼女を穢してほしくなかった。
「姫の心臓を採ってきなさい」
私はただ、そう一言、騎士に命じた。
あの子がもう、あの頃のあの娘ではなくなり。醜くも卑しい理性のない「女」へと成り下がってしまった。
それならばいっそ、姫のすべてを喰らいつくし己のものとしてしまおう。
そうすれば彼女の魂は姫から解放され私の肉体の一部となり、彼女は姫ではなく私とともに。――そして彼女の清らかさも美しさもすべてが私のものになる。
私の唯一の友であり、理解者であった彼女と共に生きていく。それ以外、もう、何もいらない。
私の世界に、私と彼女以外、何も、何者も要らない。
すべて、支配し、排除してしまえばいい。
私は、「后」であり「王」だ。
守るべきものばかりの中で、誰も私を守ってくれないのならば自分で護るしかない。護る手段がソレしかないのなら、とるべき道はただ一つ。
従え。すべてのものどもよ。
従わぬのなら、滅ぼすのみ。
神域を侵すのであれば、何人たりとも許さない
*
己の愛馬の毛並みを整え、労っている騎士の元へ后からの命が届いた。
后からの命を受けた騎士は王を酒で酔い潰し、姫を城から連れ出し馬に乗せ森へと向かった。
后からの命は、唯一つ。
『――姫の心臓を獲ってきなさい』
騎士は国境境の森で娘を下し、こう言った。
「姫様。今、城にいてはあなたの身が危険です。何時自分から死を願うような目に遭うかわかりません。どうか、このまま隣国へと逃げ延び生きてください」
「どうして? 城にいれば、お父様が私を何時如何なるものからも守ってくださるのよ? どうしてお父様の傍を離れなければならないの?」
姫は心底不思議そうな顔をして騎士に尋ねる。
騎士は姫のその様に、感情を全て抑えきることができず、己の唇をぐっと噛みしめた。
「――王は、あなたを想い、そのため、死を迎えるかもしれないのです。どうか、あなたを守ると言った王を護るためにも、そしてあなた自身を守るためにも。どうか、今はこの国から逃げてください」
騎士の言葉に最初はよくわかっていなかった姫も、大好きな父を守るため、という言葉はなんとなく飲み込めたようだった。
「わたしがこの城を出れば、お父様も助かるの?」
「少なくともあなたがこのまま城に留まっていては、〝死〟を待つのみでしょう」
騎士のその言葉に姫はしばらく考え込んだあと、頷いた。
「わかったわ。今度はわたしがお父様をお守りするのね」
「ええ、そうです」
「この森を抜ければ隣国まで辿り着くの……。頑張るわ」
そう言い、姫は森の奥へと走りその姿を鬱蒼と生い茂る木々の間に消えていった。
「早く、お逃げなさい。あなたが少しでも長く生きるために。そして……」
騎士は姫の姿が見えなくなってもその場に留まり、祈り願い続けた。
(――早く、少しでも遠くへ、逃げてください)
――あの、誰よりも孤独な、あのお方のためにも……
騎士は姫の姿が見えなくなってもその場に留まり、祈り願い続けた。
(――早く、少しでも遠くへ、お逃げください)
――あの、誰よりも孤独な、あのお方のためにも……
騎士は姫の姿が完全に見えなくなってからしばらく祈りを捧げた後、己の愛馬に刃を突き立てた。
・
・
・
・
・
姫は茨が生い茂る森の奥へ、奥へと迷いなく突き進む。真っ赤な薔薇の咲いた茨でその白い柔肌傷つけ薔薇と同じ真っ赤な血を滴らせながら。
そうして走り続け真っすぐ目的に向かっているつもりで迷っていることさえ気づかずに、向かう地だけを頼りにここからどの方向に行けばいいのかもわからぬまま。
やがて温室育ちの姫は力尽き、足を滑らせ川へ落ち流されて行った。