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革命の『アガートラー』

作者:

 勇者パーティーが魔王ヘルドールに敗北して百年。


 世界は勇者ひかりを失い、混沌に呑まれた。


 それからは、人間を含め、魔王ヘルドール率いる魔族に敵対した種族はことごとく隷属れいぞくと成り果てている――そんな時代が続いている。


 隷属が日々味わうのは苦悶と苦痛だけ。生きるのすら地獄でしかないほどに酷い時代さ。



 ――この世界は肥溜めだ。



 ものが腐ったのとも違う、ゴミと汗と皮脂と排泄物が入り混じり、めちゃくちゃな反応を起こした酷い臭いの塊。


 勇者なんて囃し立てられた奴が魔王ヘルドールに戦いを挑んだのが、そもそもの間違いだったんだろうな。


 聞いた話じゃ、勇者パーティーは口にするのも憚られるほどの辱めののち、四肢を分かたれ死んだらしい。



 ……俺が産まれたのはそんな肥溜め――地獄の中ってわけさ。



 オーク族と呼ばれる豚面(ぶたづら)の魔物が治める国で、俺は『アガート』と呼ばれる血にまみれた娯楽に従事させられている隷属だ。 


『アガート』――つまり、武器で相手と命のやり取りをする賭け事の駒は『アガートラー』と呼ばれ、十五歳を越えた隷属から適当に選ばれているらしい。


 俺が選ばれたのは六年前、二十二歳のときだった。


 どうせ死んだって次のやつを連れてくればいいんだ、扱いは酷いもんさ。


 くすんだ赤茶色をした煉瓦造りの建物が『アガート』の戦場、兼、何人いるかわからない俺たち『アガートラー』の牢獄だ。


 重く分厚い鉄の扉で閉ざされているカビ臭い部屋には俺だけで、椅子もベッドもない。頭すら通らない小さな窓からの微かな光は時間を知るのに役立つ程度。


 排泄用の穴が部屋の一画にあるが、格子が嵌められているだけで、雨の日には酷い臭いが上ってくる。


 俺は扉の向かいの壁に背中を預け、片膝を立てて座っていた。


 毎日やれることといえば、体を鍛えることと寝ることくらいだ。


 体を洗える機会は少なく、『アガート』を勝ち抜いたときのみ。


 つまり、髪はばざはざ、髭も伸び放題……汗と垢と汚れにまみれた髭面の二十八歳――それが俺ってわけさ。


 飯は日に三度運ばれてくるが、正直たいした栄養もない粗食だ。


 ただし、『アガートラー』として役に立っている――つまり勝ち残っている俺は、まだマシなほうなのだろう。


 二十二歳まではほかの人と一緒に小さな部屋に――ここよりは広いけどな――ぎゅうぎゅうに押し込まれて、身を寄せ合って眠ったもんだ。


 百年前の出来事についても、そこで語り部と呼ばれる爺さんによって語られていたから知ることができたし、もし『アガートラー』に選ばれてしまってもなんとかなるようにと、オークどもの目を盗んで戦い方を教わってきた。


 ……まあ、俺が生き残ってこられたのは、苦しいけど死にたくないっていう闘志と、いまも『自分』が残っているおかげだろう。 


「オイ。今日は『アガート』だ! ズタズタにしろ、ズタズタ!」


 そこで分厚い扉に備え付けられた覗き窓が開いた。


 顔を覗かせたオークに、俺は黙って頷いてみせる。


 ちなみに、こいつらの話す言葉は『オーク語』だ。生まれたときから聞かされていりゃ『人語』と『オーク語』の両方を使えるようになるってもんさ。


 いつか絶対にその首を刎ねてやるからな、この×○△※が! ……と、心のなか、両方の言葉で何度も悪態をついてきたが……そう。


 つまりな、これが『自分』ってことなんだ。


 隷属の大半は二十歳を迎える前に自分をなくし、ただ呼吸するだけの人形となるか、なくすどころか、心ごと粉々に壊れて廃棄されちまう。


 残りは『自分』を持っているが、反抗心を剥き出しにした結果、処刑される奴も少なくない。


 オークへの反抗心をひた隠しにしながら日々を生きる――そう。俺みたいなやつが、一番長生きするってわけさ。


「今日の相手は『ゴブリンの巣』から来たやつ! 派手にやれ! 褒美出る!」


 不愉快な金切り声で告げるこいつらオークは、反抗的な態度を取ればたちまち手にした武器を振るう。


 逆鱗なんぞに触れちまったら最悪だ。一瞬で息の根を止められることすらある。


 見た目は、緑と茶色を混ぜたような薄い体毛で、屈強な鎧を纏う二足歩行の豚。


 小さい頃は家畜の世話をやらされていたから、わかる。こいつらは丸々と肥えているのも豚そのものだ。


 体格は俺よりも頭ふたつ分は大きく、オーク族の上位種であるハイオークともなれば、それよりもさらにふたまわりはでかい。


 ちなみに、こいつらが『ゴブリンの巣』と呼ぶのはゴブリン族が治める隣国――どのくらいでかいのかとか、どのくらい離れているとか、そんなことはわかるはずもない――のことで、つまり、今日の相手はゴブリンどもの国から連れてこられた隷属――娯楽に使われる俺と同じ駒ってわけだな。


 俺は再び頷いてみせ、覗き窓が閉まってから鼻を鳴らした。


 正直なところ、反吐が出るってもんさ。自分にもな。


 オークなんかに媚びるのは御免だけど、そうしないと処刑されちまう。仕方ないだろ。そうしてでも死にたくないんだからさ。


 いつかここから出られたとして、それ以上の世界を知らない俺は――きっと生きられない。


 時間になると開けられる分厚い扉をじっと見つめながら、俺は考える。


 ――今日はどうやって相手を丸め込むかな。ゴブリンどもの国から来たなら、そこを話題にするか。


 ほかの隷属と顔を合わせられるのは、『アガート』の時間だけ。


 俺は派手に相手の血を流させて立ち回り、できうるかぎり相手の命を奪わずにオークどもを満足させる術を磨いてきた。


 おかげで俺の出る『アガート』は金――自分じゃ触ったことすらないけどな――が動く。


 賭けは俺の勝ちで決まりだから、理由はそこじゃない。


 あいつらオークは○△※×だからな。真っ赤な血に興奮するってわけさ。褒美だとかいって、食事が増えたりするくらいには、な。


 ま、たまにやばい『アガートラー』が交ざっていることもある。


 相手の命を奪うことを心底楽しんでいるような奴さ。


 だから、『アガート』のあいだは気を抜けない。



 今日も俺は、生き残りを賭けて戦闘に出る。



******


 なんだ、あいつは……?


 最初の感想がそれさ。


 頭から足の先まで、全身を白銀のプレートメイルで覆った騎士――騎士なんて語り部の爺さんから聞いただけだが――が、そこにいたからだ。


 どっから持ってきたのか、白い巨大な一枚岩を丸くくり抜いて敷いたのが『アガート』の戦場。


 走り回れるほど広いその岩を底として、すり鉢状の観客席がぐるりとそそり立っている。


 頭上にはぎらぎらと太陽が光り、オークは勿論、ゴブリンやリザードといった魔族がひしめき合い、野次を飛ばしていた。


「あんたが俺の相手か? ……ずいぶんな装備だな。ゴブリンどもは羽振りがいいのかい?」


 戦場の真ん中、開始の合図を待ちながら話しかけると、騎士はがちゃり、と鎧を鳴らして腕を組んだ。


 様子を窺われているようだ。


「……見たところ、あんた線が細い。鎧なんて着て戦ってたらすぐバテちまうぞ」


 言ってはみたものの、鎧なんて着ていられたら困るのは俺。


 オークは血を流す戦いを楽しみにしてるんだしな……。


 俺は顔には出さず、頭のなかでため息をついた。


 くそ、今日は『やばいやつ』に当たったかもしれない。


「『アガート』始まる! 鎧の、ゴブリン族の『アガートラー』!」


 司会オークの説明が始まると、騎士はゆっくりと腰から両手剣を引き抜いた。


 対して俺の装備は、心臓を守るだけの胸元を覆う革鎧のみ。


 武器は右手に長剣、左手に短剣の二本。


 どう考えても分が悪い。鎧の隙を突くか、どうする――。


「オーク族の『アガートラー』!」


 轟く不快な声に、俺はフーッと息を吐くと、長剣を前、短剣を後ろに、左足を引いて構えた。


 とりあえず、まずは様子見といこうじゃないか!


 魔族どもの期待の感情が膨れ上がり、ほんの一瞬――瞬きのあいだだけ、静寂が訪れる。


「――ヤレ!」


 司会オークの宣言と、俺と騎士が踏み切るのは同時。


 思いのほか素早い動きで騎士が迫りくるのを、俺は迷わず受け止めた。


 ギィンッ!


 両手剣のほうが威力はあるかもしれない。


 それでも、そんな鎧で俺の速さに勝てると思ったら大間違いってもんさ!


 俺は即座に剣の刃を寝かせて両手剣に滑らせ、がっちりと騎士に密着した。


 ギリギリと鬩ぎ合う最中、俺は兜の隙間から覗く眼に、真っ向から視線を重ねる。


「おい。その兜で聞こえんのか?」


「……!」


「聞こえてそうだな。あんた、人の命を取るのが好きか」


「――ッ、なにを……!」


 兜越し、怒りのこもるくぐもった声に、俺はほくそ笑んだ。


「おっ、いい反応。一旦離れて右から打つぞ」


「!」


 いいぞ。確信できた。


 こいつは『殺したくない』やつだ。それなら、やりようはいくらでもある。


 俺は宣言通り、切り払うふりをして距離を取ると、着地と同時に再び踏み切り、右から長剣を繰り出した。


 ガッ……!


 騎士はそれを両手剣で受け止める。


 オークどもが不快な音を立てて喜ぶのが聞こえた。


「やるな! ……で、提案だ。命を出さずとも、派手な戦闘と血があればオークどもさ満足するってわけさ。俺の話に乗んないか? あんた」


「……提案の内容を」


 くぐもった声が聞こえる。


 俺はしめしめと唇を湿らせ、囁いた。


「次は左からだ」


 剣を弾かれたように見せかけ、俺はひょいひょいと下がる。


 しかし、騎士が俺を追うように踏み込んできたため、思わず目を瞠った。


 振り抜かれる長剣は、俺の左からだ!


「うぉっ⁉」


 ギンッ!


 俺は右手の長剣と、左手の短剣を交差させ、受け止める。


 手のひらにはびりびりと震動が伝わり、思わずハッ、と笑いがこぼれた。


 やってくれるな!


「貴公からの攻撃だけでは、戦ってるように見えませんよね?」


 兜の下、冷めた蒼の瞳が煌めく。


「わかってるじゃないか。……いいさ、聞け。俺はオークの『アガートラー』として、ここで負けるわけにいかない。ゴブリンどもの国から来た『アガートラー』が相手なんだ、わかるだろ。そこでだ。悪いが、ちょっとだけその腕、傷付けさせてくれ」


「腕?」


 ギリギリとせめぎ合いながら、俺は小さく笑みを浮かべる。


 兜すらない髭面の野郎――つまり俺を見て、騎士殿はなにを思うのかには興味があった。


 胡散臭いと取られれば、交渉は決裂するかもしれない。……それなら、余裕があるように見せるのは絶大な効果となるってわけさ。


「そう。皮膚の表面を少し裂けば血が派手に出る。痛みはあるが、致命傷にはならない――そうだな。少し見えてるその二の腕、そこでどうだ? ……本当は額がいいんだけどな」


「……それで、血を流したらどうなるというのです」


「それで終いさ。俺とちゃんばらをして、血が舞えば完璧。オークどもが血で興奮すれば、試合は『俺の勝ち』で終わる。……乱闘が始まるからな。司会オークはそこで『俺の勝ち』を宣言しておかないと、あとで『乱闘していたから試合が見られなかった、本当に勝ったのは誰だ』ってな文句が入っちまうのさ! そら、突き、いくぞ」


 俺は剣を受ける腕を緩め、その力を利用して自身の剣を軸に回転し、くるりと騎士の剣を跳び越えた。


 騎士が距離を取ったところで、俺は一気に突きを繰り出す。


 三度剣が交わると、騎士は言った。


「それなら、私がもっといい提案をします。……ともに革命の波に乗るなんてどうです、『アガートラー』。流れるのは魔族の血で十分でしょう」


「……は?」


 瞬間、騎士は俺を力いっぱい押し退けて、両手剣を掲げた。


『革命は我とあり!』


「……なっ⁉」


 そのときのことを、どう表現しようか。


 鼓膜から腹の底までを震わせる、轟く雄叫び。


 それが闘技場のあちこちから降り注ぎ、同時に、魔族どもの悲鳴が響き渡った。


「なん、だ……⁉」


 客席からはオークやゴブリン、そしてどこから現れたのか、甲冑の騎士たちがこぼれ落ちるようにして溢れてくる。


 がしゃ、と金属が擦れる音とともに、騎士は俺の隣に立つと、こんな混乱のなかで優雅に兜を脱ぎさった。


「さあ、革命の始まりです。『アガートラー』」


 兜の縁から風にながれ出る、豊かな艶を保った美しい銀の長髪。


 まるで語り部の爺さんから聞いた、お伽話の戦乙女(ヴァルキュリア)……。


 線が細いとは思ったが、これは反則だろう。


 俺は目を見開いて、呆然と……『彼女』に向かって呟いた。


「あんた……何者だ?」


「私の名は『アルヴィア』。革命を指揮している星のひとりです」


******


 正直なところ、なにが起きているかなんてさっぱりだった。


 ひとつ確実なのは、どうも人間による『革命戦争』が起こり、オーク族の国はその戦禍に巻き込まれたってこと。


 女性騎士は外にもっと多くの仲間がいると言う。


 ……『アガート』の闘技場でオークやゴブリンが陥った大混乱において、甲冑の美女を連れて逃げるのは容易いことだった。


 あたりでは鎧の騎士たちが雄叫びとともに次々と魔族を屠り、獣臭と血の臭いがない交ぜになっている。


 俺は女性騎士を連れ――放っておくわけにもいかないからな――、この建物から脱出して、彼女の仲間とやらと合流すべく、まず階段を上った。


 その先は地下二階。俺たちがいたのは地下三階で、『アガート』の闘技場は大きな穴の中に作られていたってわけさ。


 途中、牢番がくたばっていたんで、ほかの『アガートラー』たちの牢屋も開けてやることにした。


 見知った顔もいくつかあったが、仲よくお喋りしている暇はない。


 ぼやぼやしてるとオークどもがゴミみたいに集まってくるはずだからな。

 

 燃え上がる炎に迂回を余儀なくされ回り込んだ先で、俺は甲冑の女性騎士を素早く誘導して脇道に隠し、ほかの『アガートラー』と目配せを交わした。


 オークの上位種、ハイオークがこっちにやって来るのが見えたからだ。


 ここでハイオークとやり合うより、騎士の仲間とやらに合流するほうがいい。

 

 正直なところ、自分の強さがどれほどかなんて俺にはさっぱりわからない。慎重になるべきだ。


「あれがハイオークですね」


 女性騎士は銀の髪を整えながらそう呟くと、両手剣を脇に構える。


 俺は慌ててそれを押し止め、『頼むからいまは隠れてろ。これ、借りるぞ』と囁いて、騎士の兜を手からふんだくった。


 あのハイオークのことを、俺は――おそらくはほかの『アガートラー』たちも――知っていたのだ。


 持っていた剣は鞘に収めて血に濡れたオークの剣を拾い上げ、左手に兜を持って、俺はハイオークの前に飛び出す。


「仕留めた、残兵、あっちにもいる。俺、こっち追う」


 兜を揺らしながらオーク語で話しかけてやると、大きな戦斧を構えたハイオークは相手が俺だと気付き、醜悪な笑みを浮かべ、豚面の鼻をひくつかせた。


「『アガートラー』、よくやった。褒美、くれてやる。もっと、やれ」


 ハイオークは肥溜めそのもののような息を吐き出しながら告げる。


 ……本当に、こんな状況でこれだけ馬鹿なやつが、自分を痛めつけ、押さえ付けていたかと思うとクソみたいな気持ちになるな。


 けれどその瞬間。


 小さな影が、ハイオークに飛び掛かった。


「うああァァ!」


 それは『アガートラー』のひとり。おそらくは一番若い、十五歳を越えたばかりの少年である。


 自分は戦えると思ったのか、それとも脅えこそがそうさせたのか。


「ぬ!」


 馬鹿でも、そこまであからさまな攻撃には本能が呼応するのだろう。


 ハイオークはそちらに向け、大きく斧を振りかぶった。


 ――ち、馬鹿が!


 俺はハイオークに兜を投げ付けて前に飛び出すと、戦斧を迎え撃つ。


 兜が頭部に直撃し多少怯んだにも関わらず、ハイオークの一撃は膝を折るほどの衝撃だった。


 受け止めた長剣の刃が欠けたのがわかり、俺は腕の力を緩めまいと呻く。


「ぐうっ……!」


「ぬう、お前、邪魔する。敵か」


 ハイオークはグヘヘと笑い、生臭い息を吐きかけてきた。


 俺は視界の端で震えている少年に怒鳴った。


「邪魔だ! 退け!」


「……ひっ」


 後退するのを見守る余裕はない。


 ハイオークが再び斧を振り上げる瞬間、俺は無我夢中でその懐に踏み込み、下から長剣を突き上げた。


「フグゥッ……」


 ハイオークが短く息を吐き――崩れ落ちる。


 顎の下から突き刺さった剣に血が伝い、命がこぼれ落ちていく。


 俺は、どうっと倒れた巨体を見下ろし、息を呑んだ。


 ――動かない。


 ハイオークは、動かない。


 ……やった……のか?


 ……やってやったぞ、ハイオークを! この手で!


「ハッ! ざまぁみろ、この○×△※!」


 俺は初めて口にしてそう叫んで、鼻息荒く振り返った。


 しかしそこには、冷ややかな目をした女性騎士が。


「……私の兜を投げ付けるなんて……貴公は酷いことをしますね」


「う……お、それは、悪かった」


 ひやりと冷たい手で背中を撫でられたようで、急激に冷静さを取り戻した俺が言うと、彼女はがちゃりと腕を組んで優雅に笑った。


「しかし、少年を救うためだったのは、賞賛に値します」


 向けられた笑みはいままで見てきたどんな女性よりも華がある。


 確かにこれは星だと言えるだろうが……あまり嬉しくはない。


「別に、邪魔だっただけだ」


 命がいらないなら、邪魔にならない場所で勝手にやってくれって話さ。


 鼻を鳴らしてみせると、女性騎士はなにを思ったのか、ふふっと目を細める。


「ち。……早く行くぞ」


 こんなめちゃくちゃな状況でよくも呑気に笑えるもんだな!


 俺は泣きそうな顔をしている少年――ハイオークに斬り掛かった奴だ――の額にでこぴんを喰らわせてから、再び外を目指した。


******

 

 熱気と、噴煙と、舞い散る火の粉。


 轟く鬨の声と、オークどもの雄叫び。


「なんだ……こりゃあ……」


 俺は呆然と……その景色を見下ろした。


 俺たちがいたのは『アガート』の行われるレンガ造りの巨大な建物だが――そこは小高い丘の上だった。


 緩やかな斜面沿いに石造りの建物がずらりと並び、ずっと遠くまで町並みが続いているのがわかる。


 ……その町並みはいたるところで燃え上がり、黒々とした煙を立ち上らせ……さながら思い描いたことのある地獄のようだった。


 町に出たことは生まれてこのかた一度もない。


 だから、この景色が初めて目にするオーク族の町であり、正直なところ、度肝を抜かれもする。

 

「これが……町」


 一緒に出てきた『アガートラー』たちも、俺と同じく、呆然とその景色を眺め、力なく立ち尽くしちまうってもんさ。


「アルヴィア様!」


「……ここに」


 そこに、転げるように――ってのが正しいのかはよくわからないが、丘を登ってくる甲冑たち。


 アルヴィア……女性騎士は彼らに向かって静かに応え、兜を脇に抱えて頷いてみせた。


「オーク兵、壊滅しました。この町は間もなく征圧されます」


「わかりました。……一般民は」


「可能なかぎり捕虜としておりますが……奴ら、一般民というか、その……すべてが兵士のようで……」


「ハッ、オークに一般民? 馬鹿じゃないか」


 俺は思わず口にした。


 アルヴィアという女性騎士が、眉をひそめる。


 甲冑たちは俺の無礼な物言いが気に食わなかったらしく、がちゃりと音を立てて身構えた。


 物言いだけでなく、髪も髭も伸び放題の汚らしい男がそこにいるんだ、まあ当然か。


 とはいえ、こいつらの相手をしてやる必要なんかない。


 艶消し銀の鎧に町から上がる火が映るのか、ときおり赤い光が躍るのを適当に眺めておくことにして、俺は続けた。


「奴らは全員が兵士だ。雄も雌もない。なにせ生まれた瞬間から武器を持たせて、俺たち隷属を痛めつける術を学ぶんだぜ」


「アルヴィア様、こいつは……?」


「ここに囚われていた者たちです。……『アガートラー』、貴公の名を聞いていませんでしたね」


「……」


 アルヴィアは俺を庇うように一歩前に出ると、美しい銀の髪を火の粉の舞う風に流しながら、落ち着いた声で言った。


 俺はふんと鼻を鳴らし、腕を組む。


「あんた、なんにも知らないんだな。騎士様? ……名前なんてないさ。俺たちは隷属――ここにいるのは全員、ただの『アガートラー』だ」


 その言葉に、アルヴィアだけでなくほかの甲冑たちも息を呑んだのがわかる。


 その反応に、俺はひとりで納得した。


 ……そうか。こいつらには全員、名前があるのか。


 俺はじろじろと甲冑に視線を這わせ、考える。


 どこだって隷属に名前なんか付けていない――そう思っていたが……。いや、もしかしたらこいつら、隷属として生きてきたことはないのか?


 とりあえず、俺は組んだ腕をほどき、肩をすくめてみせた。


「……で、アルヴィア? 俺たちはどうしたらいい。住む場所がなくなりそうなんだが?」


******


 革命軍の拠点は、町の外に展開されていた。


 正確には、町から少し離れた場所に展開していた陣を移動しているところらしい。


 その中で、簡易らしいが俺にしてみれば立派な風呂に入り、垢をすっかり落として髭を剃り、従者とやらに髪を切ってもらった。


 服も上等なものが手渡され――ほかの革命軍の奴らも着ているものだ――着替える。


 ここまで綺麗になるってのは、生まれてこのかた初めてかもしれない。


 髭剃りも、アルヴィアの指示で俺と行動をともにしていた――監視が目的だろうがな――甲冑のひとりが教えてくれた。


 そいつは整えた俺の身なりを見て目を丸くしたんで、俺は相当汚い格好だったんだろうさ。


 さらには、熱々の食事まで提供されちまうってな好待遇。


 運んでくる者は皆、俺やほかの『アガートラー』を見ては目を見開き、驚いてはそそくさと下がっていく。


 ――監視かと思ったが、物珍しいだけかもな。


 苦笑いしか出ないが、そんなもんだろう。俺はさくっと気持ちを切り替えて並んだ食事に集中する。


 噛み応えのありそうな見たこともないほど大きなパンに、肉の塊。ごろごろとした具がこれでもかと入ったスープ。


 味のある水に、甘い焼き菓子――菓子というものも初めて口にしたが、こりゃあ美味い。


 ほかにも数え切れないほどの手厚い待遇に満足していると、俺たち『アガートラー』が囲む焚き火のそばへと、アルヴィアがきょろきょろしながらやってきた。


「よおアルヴィア。これだけ施しを受けたんだ、俺たちはお前に仕えればいいってことか?」


 上機嫌で話しかけると、彼女はなぜか訝しげな顔をする。


 銀の髪は頭の後ろに高く結い上げられていたが、やはり艶めいていて綺麗だ。


 鎧はまだ着たままだったが、籠手と膝当ては外してあり、多少身軽にしているらしい。


 冷えた蒼い眼は、焚き火の色を映しオレンジ色を躍らせていた。


「……なんだよ、変な顔して。あー、さては俺たち『アガートラー』の呼び名に困って――」


「あ、『アガートラー』⁉ 貴公、私と剣を交えた者……ですか⁉」


 ぎょっとして被せてきたアルヴィアに、今度は俺が顔をしかめる。


 しかし、少し考えて俺はすぐに頷いた。


 なるほどな。汚い格好だったんだ、すっかり綺麗になっちまって見分けがつかなかったってところだろうさ!


「ああ。すっかり汚れを落とさせてもらった!」


「……確かに、その声は……こ、こほん。失礼しました、『アガートラー』たち。お話をしたく、捜しておりました。改めまして、私はこの革命を率いる星のひとり、アルヴィアと申します」


 アルヴィアは左膝を乾いた土に突くと、右手を胸に当て、頭を垂れる。


 どうやらこれから自分の身の振り方について説明がなされるのだと判断し、俺は周りの『アガートラー』に目配せをした。


 ここの待遇は俺たちからすりゃ、天国みたいなもんさ。


 この待遇をこの先も確約してくれるなら、仕えるのも悪くはないってもんだろう。


 ほかの『アガートラー』も満更でもなさそうなんで、俺は先立って言葉にした。


「いいぜ、あんたに仕えるのは悪くなさそうだ。待遇はこれを維持してくれるんだろう?」


 するとアルヴィアはきょとんとした顔を上げ、立ち上がりながらぱちぱちと瞬きをしてみせる。


 よく見れば歳は二十前半ってところか。


 こんな若い女性が率いる革命軍ってのは、どんなもんだろうな。


 どうやって魔族をねじ伏せていくのかには、興味がある。


 しかし、返された言葉は、俺に衝撃を与えた。


「……あ、いえ、別に仕えてもらおうなどとは思っていません。私たち革命軍は、魔族からの支配の解放を望んでいるだけです。ここにいる者たちは自分からここにいるのであって、皆、誰かに仕えているわけではありませんから」


 ――なんだって? ここにいる全員が?


 俺は思わずぐるりと周りを見回した。


 薪を運ぶ者、食事を準備して提供する者、三角形の布張りのテント――あれは風呂だ――を警護する者。


 武器や防具を磨く者、雑談をする者……。


「あれが、全部……自分の意思でそうしているってのか?」


「はい。……町寄りに張られているテントには、もっと多くの騎士たちがいます。彼らも、自ら望み、戦う者たちです。そして――私も」


 アルヴィアはそう言って、燃え上がる町を見遣る。


「ここは解放されました。あなた方は自由です。……私はご一緒できませんが、私たち人族がエルフ族と協力して築いた国があるので、希望する者はそこに向かうことを勧めます。逃げてきた者を難民として迎え入れてくれるでしょう」


「……解放ね」


 俺は反芻して、同じように町を見つめた。


 流れる風に乗ってくるのは、なにかが焼け焦げる臭い。


 ――ぐるりと城壁に囲まれた町には、なんの感慨もない。


 生まれてから今日まで見たことがなかったんだ。当然だろうさ。


 空がこんなに広いってことも、草と土だけの世界が町の外に広がっているってことも、狭い狭い『アガート』の闘技場からはわからなかった。


 ――でもな。自由なんて言われても、隷属以外の生き方なんて俺は知らないのが現実だ。


 ちらりと横目で窺えば、ほかの『アガートラー』に同じ懸念があることがわかる。


 さらには、連れてこられたらしいほかの隷属たち――老若男女、すべての奴らだ――が、俺たちと同じように不安そうな光を瞳に宿していた。


 つまりだ。俺たちはそこでなにをするんだってことさ。簡単な疑問だよ。このあと、どうやって生きればいい?


「……おいアルヴィア。その国とやらに行って、俺たちはなにをするんだ?」


「なに……とは?」


 怪訝そうなアルヴィアに、俺は大袈裟な動作で肩をすくめてみせる。


「言葉通り『なに』だよ。わからないのさ、俺たち隷属には。その自由ってやつが――な」


「……あ……。ごめんなさい……。まずは、そう、難民として受け入れをするために、役所で手続きをしてもらい……次は斡旋所で仕事を探してもらうことに……」


「役所ってのは?」


「国民としてのあらゆる手続きを行う場所です。そこで貴公らを国民として登録すれば、住む場所を探すことができ……」


「住む場所ってのは? 探すってことは部屋が当てがわれるってわけじゃなさそうだな」


「え、えぇと……そう、ですね。それ相応の対価が――」


「――そうか。アルヴィア、お前たち解放軍は、『解放』のあとのことは責任を持たないってことなんだな」


「え……」


「俺たち隷属は身を寄せ合って生きてきた。オークどもの臭い飯を食べ、ある者は炉で鉱石を溶かし、ある者は汚物の掃除をし、ある者は見世物として命がけの戦闘を課せられる――そんな肥溜めで、さ。……それを解放ってのはありがたい話だろう。でも、突然こんな世界に放り出された俺たちはどうなる。正直、なにを食えばいいかすらわかんないってもんさ!」


「それは……」


 アルヴィアは息を呑み、ごくりと喉を鳴らした。


「それに、仕事っつったな。隷属に課せられていた仕事は人それぞれだ。大半は体も心もボロボロ。語り部の爺さんから聞いた話じゃ、生きるのには金が必要なんだろう? その金すら、俺たちは触れたことがない。大半は文字の読み書きもできない。そんな状態の俺たちに、その国はどれだけの支援を約束してくれる?」


 アルヴィアは眉間に皺を寄せ、困惑した表情のまま固まった。


 なにも、一生面倒見ろって話じゃないんだよ。

 せっかく解放した隷属が、突然放り出されて野垂れ死んだらどうだ。解放軍とやらからしても本末転倒だろう。


 だったら、せめてひとりで立つまでの補助はないのか? ってことさ。


「……ハッ。率いる者が聞いて呆れるな」


 思わず言い放った俺に、アルヴィアはがちゃりと鎧を鳴らして身動ぎ、俯いた。


 ほかの隷属たちも、心底泣きそうな顔をしている。


 ここで話をしていても埒が明かないかもしれないが、要求は通るかもしれない。


 俺は息を吸って、立ち上がった。


「……アルヴィア。俺の要求はふたつ。ひとつ、その国でひとり立ちできるまで、ここにいる隷属たちを守ってやってほしい。もうひとつは、俺をあんたのそばに置いてほしい。革命軍を率いる――なんだったか、星? なんだろ、あんたは。それくらい叶えられるだろうさ」


 アルヴィアはそこで、はっと顔を上げた。

 柔らかそうな薔薇色の唇が、ぱくぱくとなにかを言いかけては止まる。


 俺はそれを見るともなしに見ながら、心の中、自分の欲が膨れ上がっていくのに身を任せていた。


 魔族とやらが蔓延はびこる悪臭を放つ世界。それを歩くのに、解放軍ってのは役に立つはずだ。


 憎いオーク――その上位種であるハイオークに剣を突き立てたその瞬間に確かに感じた高揚は、そうは経験できないだろう。


 それをまた味わうのに、解放軍を率いる女性騎士の近くにいられるとなれば、特等席ってもんさ。


「……貴公は――」


 アルヴィアは腕を擦ったり結わいた髪を弄ったりしつつ、口籠もりながらこう言った。


「なんてことを言うのでしょうか……。そのような物言いは、世間の女性が皆困りますよ」


「……なんだ? 要求はするなってことか?」


「そうではありません! 貴公のその容姿です! 私は貴公のように綺麗な顔の男性を見たことがありません……!」


「き、綺麗な――顔?」


 俺は思わず反芻して、自分の頬を擦った。


 いつもそこにあった髭はすっかり消え去り、重かった髪も短くなって軽い。


 確かに垢も汚れもすっかり落としたが、しかし、綺麗とはなんだ。


「そうです……それをそばに置けなんて言い方……いえ、他意はないのでしょう。わかっていますが――」


「お、おう……」


 アルヴィアはキッと目を細めると、ぴしゃりと言い放つ。


「貴公の要求を呑む代わりに、二度とその言葉を使ってはなりません! 貴公の常識は、一から鍛え直す必要があると判断しました。世の女性のためには絶対条件です! いいですね!」


「…………」


 そんなんでいいのかと思わなくもないが、アルヴィアがそう言うんだからいいんだろうさ。


 綺麗なんて無縁だった俺からすれば、顔を褒められたところで――褒められたんだよな、たぶん――まったく嬉しくないしな。




 ……こうして、革命軍へと加わった俺は、アルヴィアの右腕であり、盾であり、剣となった。


 向かうのは革命の名の下に生まれる戦場。


 魔族をこの手で屠り、あの高揚感をまた味わう――そのために。





息抜きに短編として一作。

革命が始まったその日のお話です。


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