──なんて
何万回と繰り返していれば、自分の誕生日は嫌でもわかる。幸福なこの世界には意外なことに誕生日を祝うという習慣がない。もっと明確に言うと、祝い事をするという習慣がないのだ。祝い事は悪いことではないのに。
そもそも神を持たない上にこの世界には暦というものが存在しない。「暦」という概念は認知されていて「何月何日」という考え方はあるのに、「カレンダー」が存在しないのだ。ある種、歪と言えよう。
だが、そんな不自然な世界に誰も疑問を抱かない。それがこの世界の異様なところだろう。この世界は暦を必要としていない。それはこの世界には何の特別なところもなく、特別な人間もなく、特別な日が存在する必要がないからである。つまり一言で言い表すなら「みんな平等」というところか。いい言葉であるはずなのに、こうして違和感から辿っていくと、おかしなことだらけである。
「……なんとも奇妙な世界ってわけだ」
少年が紫色の目に苦笑を浮かべると、傍らにいたクラウンがその青い目の中に疑問符を浮かべたので、少年はなんでもないよ、と答えた。
少年が以上のような思考回路に至ったのには理由がある。クラウンに誕生日を祝おうと言われたのだ。よく考えると今まで祝われたことがなかったので、そういえば自分は何月何日が誕生日だったっけ? と思いを巡らせているうちに先程の考えに派生していった、というわけである。
幸福な世界と言われているのに、祝福をしないというのは、いやはや、奇妙なものだ、と考えた。だが、王とサイによって統括された人形たちの世界ではそこに疑問が生じないのも仕方のないことだ。世界に疑問などを抱かせないように操っているのだろう。そうでもしないと、世界は矛盾だらけで壊れてしまう。
まあ、その「世界の矛盾」を一身に背負っているのがこの少年なわけだが。一人が何かおかしいと喚いたところで、世界が変わることはない。それならとうの昔に世界が変わっていてもおかしくないのだ。少年は何度も、こんな世界はおかしいと主張しているのだから。
……なんて、滔々と説明したところで、クラウンもこの世界を構成する人形の一人に過ぎない。余計な混乱は避けるべきだ。それに、少年はクラウンを混乱させたいわけではない。ただそう思っただけだ。
それに、もうこの一周だけで終わりだというのだ。何か望むことがあるだろうか。
最後くらい、過ごしたいように過ごしたい。もっと具体的に言うなら、幸せに過ごしたい。
クラウンと一緒に過ごせれば、少年はそれで幸せだ。サイがどんな仕掛けを施して、クラウンをこの世界に招いてくれたのかはわからないが、クラウンがいればそれで充分。クラウンは世界にたった一人の少年の理解者なのだから。譬、作り物の人形だとしても。
最後くらい、自由に生きたい。それを世界が許してくれるのなら、それ以上に望むことはないのだ。
虚空。黒い黒いその世界にて、ループを映し出す画面には、クラウンと一緒に幸せそうに話す紫の瞳の少年の姿があった。
その前でサイと王が話し合っていた。
「もうすぐ、この世界は終わります」
「こいつが幸福なあの世界に染められることによって、我が悲願が達成されるということだな」
「その通りでございます」
幸せそうに笑う少年の表情に不幸せを見出だす余地はなかった。それがこの少年が幸福な世界に染まっている証拠だと、王は断定した。
世界の絶対的矛盾であるこの少年がいるから、幸福な世界は幸福な世界になりきれず、王の目的である「幸福な世界を支配する」というのが実行に移せないでいたのだ。
幸福な世界──幸福で、不幸という言葉が存在しないと植え付けられた世界では、どんな不幸な言葉がやってきても、それを不幸だと疑うこともなく受け入れる。それを想定しての王の世界征服だ。王はこの世界征服を平和的だという。確かに、誰も傷つけない世界征服は一見、平和にも見える。世界征服という不穏な言葉の下に存在するにも拘らず。
だが、サイの中で終わるのは世界ではなかった。王に明かすわけにはいかない。王を騙し、自分の目的を達成する。配下を名乗りながら勝手なことだ、とは思うが、それでも、サイが成さねばならないことに変わりはない。サイの成すべきことが揺らぐことはない。
待っていて、と画面の向こう側の少年に心の裡で語りかけた。
──キミを解放してあげるから。この世界から。
王はそんなサイの横顔をじっと眺めていた。
「誕生日は祝うものだよ。サイがそう言ってたもん」
「そっか。でも参ったな。今が何月何日で、俺が何月何日生まれかわからないんじゃ、どうしようもない」
「……それは確かに」
クラウンは押し黙るものの、納得がいかないらしく、うーん、と唸る。
少年はそれを見てくすくすと笑った。
「え、何」
「自分のことでもないのに、よくそんな真剣に悩むな」
すると、クラウンがぷんすかと怒った。
「大事なことだよ! 君は僕の友達なんだから」
とん、と胸を衝かれた気がする。とても単純な言葉なのに、こんなにも嬉しいとは。
少年は誤魔化すようにわしゃわしゃ、とクラウンの頭を撫でた。いきなり乱雑に撫でられたクラウンは、な、何、と少年を見上げる。
「んにゃ。嬉しいこと言ってくれるねぇってさ。……つーかさ、俺の誕生日を祝うんだったら、お前の誕生日も祝おうぜ」
「へっ」
少年は空を見上げて笑った。
少年は、だからさ、と告げた。
「今日が何月何日かわからなくて、自分の誕生日が何月何日かわからないのは、クラウンも同じだろ? だったら二人共今日が誕生日ってことにして、祝っちまおうぜ」
お祝い事は幸せなことなんだからさ、と語りかけると、クラウンも微笑んだ。
「幸せなことも人と分け合った方がより幸せって、サイも言ってたしね」
「いいことは半分こってか」
どこかで聞いた言葉を少年は口にする。いいこと言うね、とクラウンが褒めた。受け売りのようなものだが、クラウンに褒められると悪い気はしない。
空を見上げていると、ザザッとノイズが走る。見える世界がモノクロに見えるが、空は不思議と青く見える。
いつもの声が聞こえてきた。
「──くんは、──って見たことある?」
「あるかもな。突然、どうした」
「空の青って、塵の反射で、──の青って、水が透す光の都合で青いらしいね」
「んなもん、常識だろ」
「常識だったの?」
「知らなかったのか」
確かに、空が塵の反射というのは聞いたことがある。「──」は少年は見たことがないが。
知らない誰かの会話は続く。
「でも、──が空の反射じゃないっていうのは、なんだか夢のない話のような気がするよ」
「はは、お前らしい考え方だな。でも」
自分によく似た声はこう続けた。
「──だって、空と同じようなもんだろ。今じゃ塵芥にまみれてる。人間のやったことだ。でも、綺麗に見えるなら、それだけでいいじゃないか。別に、夢を捨てる必要はねぇよ。現実ばっかり見てたら、夢を見失うよ」
その言葉が、何故かひどく胸に突き刺さった。
現実ばかり見て、夢を見失う。もしかして、自分がそれなんじゃなかったのか。
目を閉じ、開くと、空が元通りの青に戻っていた。塵の反射の青。
そうか、この世界は──なんだ。だから、少年の思う常識が通用しないのだ。
見失っていたのか、と思った。ここは──なのだ。
「どうかした?」
クラウンが覗き込んでくる。少年は微笑んだ。
クラウンが目を丸くする。
「君、目が……」
「ん?」
「ううん、なんでもない」
クラウンしか彼の目を見ていない。
空のように青く変わりつつある彼の目を。




