絵を描くこと
流転した世界にて、目覚めた少年の瞼にノイズが走る。
ザザッ……
夕暮れ時。二人の少年がノート片手に談笑している。爽やかなのと、無愛想なのと。
爽やかな方が切り出す。
「そういえば、──くんは、絵は描かないの?」
「絵? 俺が?」
無愛想なやつが、冗談はよせよ、と笑う。
「俺の幼なじみは──だぜ? 比較されたら嫌だからな。描かねぇよ」
「それもそうか」
爽やかな方が寂しげな表情になったのを見逃さなかった。
友達らしい無愛想なやつも見ていたらしく、話題を続行する。
「でも、なんで急にそんなこと聞いたんだ」
すると、爽やかな方は少し照れくさそうに頬を掻いた。
「──くんは写真を撮るでしょ? 僕と一緒だ。もし、絵も描くんなら、趣味を共有してるって感じがして、嬉しいと思ったんだ」
ふぅん……
ザザッ。
ノイズが途切れ、少年がはっと目を覚ます。……夢? だったのか、今のは。
朝日が眩しい。
起きて、リビングに行くと、朝食がテーブルの上に置かれていた。相変わらず、母は早起きだ。まあ、父もいないのだが。
一人で朝食を食べ、一人で勉強する。ループ生活最後だというのに、特に変わったこともない生活を少年は過ごしていた。
変わったことといえば、ノイズをよく聞き、知っているような知らない映像をよく見るようになったこと、くらいだろうか。
あと、もう一つ。
朝食を食べ終え、部屋に戻る。勉強机の上には、本の他に何故か鏡が置いてある。
最後のループが始まった最初の日、窓にフードを被った赤い目の少年が映ったのだ。見覚えはあった。
「やっほ。サイだよ。最後の世界だ。キミに色々教えてあげよう。ボクに会いたいなら、鏡を用意するといいよ」
などとサイが突拍子もなく言い出すものだから、驚いて後ろにずっこけて、ループ最後の痛みの生活は始まった。
サイと少年は鏡面を通して会話できる。何故そんなことができるのかは教えてくれないが、とにかくできる。
もうこの世界についての勉強も飽き飽きしていたから、サイはちょうどいい暇潰し相手となった。
今日も今日とて、鏡には少年ではなく、黒い空間にいるサイが写る。特にタネも仕掛けもない鏡だ。サイが特殊な力でも使っているのだろう。絵を具現化して世界を一つ作り上げるような人物だ。今更驚きはしない。
「やあ、今日もいい天気だねぇ」
「あんたにこっちの天気がわかるのか」
「わかるさ。創造主だよ、創造主」
「はいはい」
「キミってボクの扱い雑だよね」
「今まで散々っぱら人のこと虚仮にしてきたやつを尊敬する方が無理だと思うな。譬創造主でも」
そりゃそうだ、と鏡の向こうのサイは笑う。けらけらと。少年にははっきり聞こえるのに、他には全くサイの声は聞こえていないというのだから驚きだ。端から見たら、少年は鏡に話しかけている不審者ということになる。妙な肩書きは「痛みを感じる」だけで懲り懲りだ。故に、サイとは家の中でしか会話しない。
「で? 今日は何を話したいの」
「話したいんじゃなくて、キミに教えてるの。……ってキミも勉強ノートに落書きするような子なんだね」
サイは少年の手元を見て言った。少年は虚を衝かれる。手元を見て驚いた。確かにそこには絵が描かれていた。フードを目深に被り、怪しげに目を光らせているサイの絵だ。ラフスケッチにしてはなかなか見られる出来となっている。
まあ、描こうと思って描いたわけではない。実際、サイに指摘されるまで、描いたことに気づいていなかったくらいだ。
「なんでボクを描いたのかな」
「知らね」
「やっぱりボクの扱いが雑」
雑だ雑だ、と非難する割には、サイはなんだか楽しそうだった。
何故突然絵なんて描いたのか。問われると咄嗟に答えられない。──と言いたいところだが、自分の心情くらい、察している。
今朝見たノイズの向こう側の会話の影響だ。クラウンによく似た口調の爽やかなやつが絵は描かないのか、と自分によく似た無愛想なやつに問いかけたからだ。──趣味を共有している気がして嬉しい。ノイズの向こうの彼はクラウンではないのだが、そういう共感を持ちたかった。クラウンが絵を描くかはわからないが。
と、考えているうちに手はクラウンを描き出していた。
「おっ、クラウンだね。上手い上手い」
鏡の向こうから称賛が飛んでくる。別にサイに褒められても嬉しくない──はずなのだが、何故だろう、サイの声を聞いていると、心がざわつく。心のどこかで自分が喜んでいるのを感じるのだ。
それはおそらく、サイの声がノイズの向こう側の爽やかな声に似ているからだろう。おそらく、ノイズの向こう側で、自分に似た無愛想とサイらしき声は友達なのだ。だから引っ張られて、友達の望むことをしたくなる……のだと思う。
「……今日は絵を描くか」
どうせ勉強しても、何度も繰り返していることなので、嫌というほど頭に叩き込まれていることだ。きっと、教科書くらいなら暗誦できるのではないかと思う。そんな勉強が楽しいわけがない。勉強が嫌いなわけではないが、総年数何万年も勉強していたら、飽きない方がおかしいだろう。
「キミが絵を描くのか。楽しみだな」
「なんでお前に楽しみにされるんだよ」
「楽しみなものは楽しみなんだからいいじゃないか」
「お前の方がよっぽど雑だと思う」
「ひどいなぁ」
言いながら描いていく。そういう芸術方面には今まで興味がなかったが、やってみるとこれがなかなか面白い。自分を描いてみる。下手くそな気がした。その分、クラウンを丁寧に描く。サイからおお、と声が上がった。
「キミって随分とわかりやすい絵を描くんだね」
「それ、褒めてんのか」
「褒められていると思って過ごした方が人生幸せだよ」
「やっぱりお前雑」
からからと笑ってから、サイはふと真顔になった。
「……こんな風に絵を描くんだ」
どこか感慨深げなサイに、少年は問いかける。ついぞ聞きたかったことだ。
「ノイズについて」
サイの肩が微かに跳ねた。
「お前、何か知ってんだろ。何か教えたいってんなら、それを教えてくれよ」
サイは俯いて黙り込んだ。喋るのが憚られるようなことなのだろうか。それなら無理に話せとは言わないが、無意味に見せられているというわけでもないのだろう。少年にも知る権利くらいはあるはずだ。黙って返事を待つ。
ややあって、サイが口を開いた。
「それはキミには話せない」
そこまでサイがはっきり話せないというのも珍しいことだ。いつもなら茶化したり誤魔化したりするのだが。
サイにも色々あるのだろう、とは思う。これまで色々やりとりしてきた中で、サイは黒幕というにはあまりに悪役というポジションが似合わないような気がした。悪役というなら、サイのバックについている王の方だろう。サイの意志と王の意志にずれがあるのを少年は感じ取っていた。
つまり、王の目的とサイの目的は違うのだろう。いくら主従関係にあろうとも、一人一人、意見が違って当たり前なのだ。誰もサイを責めはしない。
サイがこちらに協力的なこともわかっていた。でなければ、わざわざ鏡越しに話しかけてくるなんて奇っ怪な真似はしないだろう。まあ、それに付き合っている自分も自分だが。
はあ、と少年は息を吐く。自分は随分と厄介な事象に巻き込まれたようだ。
サイが、ただ、と続けた。
「そろそろ、真実の話をしよう。何故キミが世界の絶対的矛盾なのか。何故キミが生まれたのか。そして──何故この世界が生まれたのか、を」
サイはどこか決意を秘めた表情をしていた。




