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Unlimited Sky  作者: 九JACK
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目覚め

 果てしなく続く空は、どこまでもどこまでも青かった──


 病院の窓から覗く青空。何故青空の青というのはいちいち目に染みるのだろうか。

 そんなことを思いながら海道美好は目を覚ました。生命維持のために取り付けられた管によって、思うように身動きが取れず、とにかくベッドに寝かしつけられた美好が見られるのは天井、もしくは窓から覗く空くらいなものだった。

 どうやら自分は生きているらしい、ということがわかる。耳も聞こえるし、目も見える。この思い切り邪魔な酸素マスクさえ外してしまえば、喋ることだって、わけないだろう。

 この状態を見れば、よほど子どもか馬鹿でない限り、ここがどこかはわかる。病院だ。それ以外だったらびっくりである。

 とはいえ、美好も入院なんてするのは初めてであるため、少々勝手がわからず、居心地が悪い。よくドラマなんかだと、目が覚めたときに熱心に看病してくれた知り合いなんかが傍にいて「目が覚めたのね」なんて感動するところだが、残念ながら、美好にはそんなドラマチックな展開はなく、辺りを見渡しても誰もいない。ついでに言うなら、今日が何月何日で、今が何時何分かもわからない。

 不自由だな、と思いながら、首を巡らせて、枕付近を見る。大体こういう病室にはナースコールなるものがあるはずだ。ないとおかしい。

 振り向くと、すぐそこにナースコールのボタンがあった。手がほぼほぼ固定されているので取りづらい。不親切なナースコールだ。

 はあ、と息を吐き出すと、どうにかボタンを押すことができた。ふと、漫画やドラマで見たナースセンターのことを思う。なんとなくだが、阿鼻叫喚というイメージがある。

 美好は記憶喪失というわけではない。ちゃんと、意識を失う直前の記憶もある。車に轢かれたのだ。坂道の暴走車に二回も。よく生きていたもんだ、と自分で思う。普通自動車に飛び込んで自殺ができる確率は低いというが、普通に自動車にぶつかられたら死ぬと思う。その証拠に交通事故死亡者は後を立たない。それによく考えると、自転車でさえ、生身の人間とぶつかったら怪我をさせるのだ。車なんて自転車以上の鉄の塊にぶつかられて、無事で済むわけはない。つくづく、よく生きているな、と思う。悪運が強いのだろうか。

 そこまで思いを巡らせて、不審に思った。自分は速度違反の車に轢かれた。二回も。だというのに、体が痛いということもなく、ナースコールをできる程度には腕が動く。

 つまり、健康すぎやしないか、と思ったのだ。病室に響く心電図の音は規則正しい。呼吸も正常だ。車に轢かれたとは思えないくらいに美好は健康体なのである。

 やがて、看護師がやってきた。どうも、と挨拶すると何故か踵を返し、すっ飛んでった。人の顔を見るなりとは失礼な、と思いはしたものの、心電図に点滴、酸素マスクまでご丁寧に備え付けられているほどだ。美好がそこそこに昏睡していたことは察して余りあるというものだ。そんな人間が突然普通に起きていたら、それは驚くなという方が難しい。

 とりあえず、点滴やら何やらと繋がれた管は煩わしいので、さっさと取ってもらいたいものだが、この様子を見ると、それは無理と言えるだろう。

 やけに目に鮮やかな空を見上げて、今は夏かな、と予想しながら、医者が来るのを待っていた。


 それから美好は様々な検査を受けた。本人は自分でも驚くくらい元気なので、もった自由に動きたかった。その思いが先行しすぎて、杖も手すりもなしに立って歩いたときは、医者も看護師も度肝を抜かれていた。

 心電図を剥がすのに、上半身を見ることがあったが、傷痕が一切ないのは美好も驚いた。眠っているうちに治ったのか、治るくらい眠っていたのか。もしくはその両方だろう。

 季節は美好が予想した通り夏で、中庭の青葉が瑞々しかった。

 家族はなかなか見舞いに来なかった。季節が一周以上は巡っているのだ。あのだらしない姉でも就職活動くらいはするだろう。あの姉が大学院に行くとはとても思えない。

 それに、花隣も何かと忙しいだろう。家のこともある。花隣は一人っ子でそこそこの金持ちの家だ。継がないという選択肢の方がないだろう。

 それにしたって、来るのが遅いと思った。窓の外の空がオレンジに変わるくらいの頃、ようやく花隣が来た。

「よ、リン」

「みーくん……」

 感極まって声が出ないのか、口元を抑える園崎花隣は美好が記憶しているより大人っぽくなっていた。自身にも言えることだが、背が高くなっているような気がする。

 そういえば、あれからどれくらいの月日が経ったのだろう。医者や看護師は何も言っていなかったが……

 花隣にもすぐには聞けなさそうだ。美好の腕の中で泣きじゃくっている。目の前で泣く女の子を放っておくほど美好は男が廃れているわけではない。空気くらいは読む。

 しばらく、部屋には花隣の押し殺したような泣き声が響いた。気を利かせているのか、単に誰も来ていないのか、誰かが入ってくる様子はなかった。

 花隣がようやく泣き止んで、美好と向かい合って座った。まだ目が赤いが、面会時間だって、限られていることだろう。美好は聞きたいことがあったし、それ以前に聞かねばならぬことがある。

「リン、久しぶりなのはわかるが、どれくらい久しぶりなんだ?」

「……五年」

 花隣がぼそりと語った年数に驚かざるを得なかった。五年と言ったら入学したてだった小学生が卒業を見据えるくらいの年数だ。あまり関係ないことであるが、美好の高校の扱いはどうなっているのだろうか。中退扱いなのか、留年扱いなのか。確か、留年は二回しかできないと聞くから、中退と考えるのが妥当だろう。

 そんなことはどうでもいい。

 ただ、いきなり本題から突っ切るのもあれだ、と美好は人差し指を立てて、趣旨の違うことを尋ねた。

「ってことは二十歳は過ぎてんのか。リンは大学か?」

 こくり。小さな首肯が返ってくる。真面目に講義を受ける花隣の姿は簡単に想像がついた。

「どこの大学だ?」

「近いとこ」

「えっあそこ偏差値低くなかったか? リンならもっと違うとこ行けただろう」

「先生にもそれは言われた。でも、本当は大学に行く気もなくて。でも就職する宛もないから、進学した」

 なるほど、合理的である。

「それに……」

 躊躇いながら、花隣が続ける。

「みーくんと離れたくなかったから」

「離れたくなかった? 俺は高校中退だろうし、どの道、同じ学校には通えないぞ?」

「そういうことじゃなくて」

 花隣が少しむきになったように語気を荒らげてから、そっぽを向く。

「……あんまり遠い学校にすると、みーくんのお見舞いに来られないでしょ」

 美好は仄かに笑った。

「そっか」

 ありがとな、と言って花隣の頭をくしゃりと雑に撫でる。花隣は少し目を据わらせたが、不満のようなことは口にしなかった。

 そういえば、と問う。

「親父とお袋と姉貴は元気か? ま、姉貴はほっといても元気そうだけど」

 ここで初めて花隣が朗らかに笑う。

「三人共元気よ。おじ様は相変わらずばりばり仕事して、みーくんが入院してから、おば様もパートを始めたって聞いたわ。お姉様はね……」

 とっておきの秘密を明かすように声をひそめ、花隣は辺りを確認してから美好に耳打ちした。

「結婚を前提にお付き合いなさってる方がいらっしゃるんですって」

 美好は噴いた。

「姉貴が? 結婚? ぶあはははは」

「しっ、あんまり笑わないの」

 まあ、元気そうで安心したわ、と花隣が腕を組む。美好も笑いを収めながら、向き合った。……あの料理のできないがさつ女子に嫁の貰い手ができるというのは実に笑えるネタである。

 ようやく笑いが収まったところで、美好はそういえば、と切り出した。

「とーるは?」

 その問いに花隣の笑顔が凍りつく。その凍りついた表情に美好の心臓が五月蝿いくらいに鳴る。

「さわくんは」

 そう口を開く頃には、花隣の顔からは色が失われていた。

 美好もごくりと生唾を飲んで、その言葉を待った。

「さわくんは、五年前に死んだわ」



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