時の鐘を告げる
パーカーのフードを被る。
少年はクラウンに仮面をつけてもらった。
「うん、似合ってるよ」
と言われて、鏡を見るが。
「死神じゃね?」
あはは、とクラウンが笑う。
「頭にナイフでも刺そうか?」
「死ぬからやめろ」
「もちろん模造品だよ」
「嫌だからやめろ」
はあ、と溜め息を吐き出す。
先日のパフォーマンスで変わった貰い物をした。それが今少年が被っている骸骨の仮面だ。所々ひび割れていて、おどろおどろしい。黒いローブでも羽織っていたら完璧に死神だっただろう。
「っていうか、死神の存在は信じてるんだ」
「まあ、人はいつか必ず死ぬんだから、人を殺す何者かがいると考えるのは妥当だろう」
「ふぅん」
さして興味もなさそうなクラウンはピエロの仮面を被る。赤髪に青い星と涙が彩られている仮面はよく映えた。元々青い目だから、クラウンに不自然さはない。
「すっごい似合ってるな」
「ありがとう」
今日は二人で仮面を被ってパフォーマンスをすることにしていた。変わった成りが人目を引くこともあるだろう、という考えだった。
最近はコンビで芸をすることが多くなった。互いの芸への信頼感のようなものが旅をするうちに身についたのだろう。……といっても、主に活躍するのは、やはりクラウンだが。
「やっぱり本職には敵わないか」
「本職って言い方はあまり好きじゃないな」
珍しくクラウンが主張してきたことに少年は驚く。
クラウンは物静かだ。あまり自分の意見を主張することはない。芸が陳腐だ、と貶されても、気にせずに過ごす、そんな印象があった。
「僕はピエロであることに誇りを持ってる。そりゃ、サイから与えてもらった仕事だもん。自慢に思わない方が無理だよ」
でも、とクラウンは顔を俯ける。
「でも、それ以前に僕は人間だよ。幸福なこの世界を回す一員。そういう自覚を持って、過ごしてる」
「クラウン……」
クラウンの言い様はどこかおかしかった。主張自体におかしなところはない。いつものクラウンと違う、という感じがした。違和感がある、というか。
クラウンがこの世界のことを「幸福なこの世界」というのを初めて聞いたような気がした。
少年はあまり気にしないようにした。ある側面から見れば、逃げたとも言える。クラウンの異変というものから目を背けたのだ。
「今日も頑張ろうか」
「そうだね」
二人は準備を始めた。
今日も、そこそこに人から喝采を受け、施しを受け、その中の一つにあった真っ赤な林檎をかじりながら、クラウンは切り出した。
「もうそろそろ、真ん丸い世界も一周するね」
「そんなになるか」
長い旅だったように思う。
真ん丸い世界を一周、ということは、そろそろ少年がかつていた町に着くということだ。
クラウンがこてん、と首を傾げて少年を見る。
「だからさ、世界一周記念として、何かお祝いしない?」
「お祝い?」
少年の頭には少しも浮かばなかった言葉だ。
家族で何かを祝ったことはない。例えば、誰かの誕生日だとか、そんな感じのもの。自分の誕生日も少年は祝ったことがなかった。だから、お祝いと言われても、いまいちぴんとこなかった。
「何を祝うんだ?」
「二人でここまで旅を続けてきたこと、だよ」
クラウンは空を、あるいは町を示すように大きく手を開いて、にこやかに笑った。
「嬉しくない?」
少年は目を見開いた。嬉しいとかどうとか、クラウンと旅をすることを感情で考えたことはなかったかもしれない。そもそも、感情を認めてもらえない存在だったから、知らず知らずのうちに感情を押し殺してしまっていたのかもしれない。
嬉しいかどうかと言われると、あまり考えたことがなかったので返答しかねるが。
「クラウンと一緒にいられたことは、嬉しいかな」
すると、クラウンが頬を赤くした。
「は、恥ずかしいこと言うね」
「そうかな。友達といるのが嬉しい。普通のことだと思うけどな」
クラウンと出会ってから少年は、今までできなかった普通のことを当たり前のようにすることができるようになった。それが嬉しい、という気持ちは少しはあったかもしれない。
今まで、少年は「痛み」を感じるから、という理由でいつも世界から弾かれていた。なんでもないつもりでいたが、やっぱり悔しくて悲しかったんだな、と思う。
クラウンは少年の横顔を覗き込む。そこに宿った感情を読み取ろうとした。
ただ、少年は自分で言う通り、確かに嬉しそうに見えた。そのことになんだかほっとする。
世界を回るうち、色々な場所で芸を見せ、技を磨き、二人で助け合いながら生きてきた。助け合う二人は喧嘩をすることなんてなかった。それは幸福なこの世界に喧嘩という言葉が存在しないからではなく、純粋に二人が互いを好きだったからだ、と思っている。そう思いたい。
クラウンは少し怖かった。世界を一周するということは、やがて少年の故郷に戻るということだ。二周目もまた旅を続けたいというのがクラウンの思いだった。だが、少年がもし、そう思っていないとしたら? ──その可能性が怖くて聞けなかった。
そんなクラウンの怯えなど知らぬように少年が呟く。
「父さんと母さん、元気にしてるかな」
父、母、家族。どれもクラウンには存在しないものだ。いたとして、クラウンは少年のように家族を思うことができるだろうか。
声の震えを必死に抑えながら、クラウンは問いかける。
「お父さんとお母さんって、やっぱり大切?」
少年は首を傾げた。
「むしろ幸福なこの世界で大切だと思わない方がおかしいんじゃね?」
それもそうか、とクラウンが寂しく笑みをこぼそうとしたところで、少年が言葉を次ぐ。
「まあ、でも、この世界の辞書には『心配』って言葉がない。だから言うほど、気にしてはいないかな。そう考えると、家族って思ったより軽い存在かもしれない」
そんな言葉にクラウンは唇を噛んだ。
「僕は」
少し声に涙が混じった。
「僕は、サイのこと、大切だって思ってるよ。本当のお父さんやお母さんのことは知らない。でも、サイのことは家族って思ってて、大切だって思うよ。それにね、世界を一周するくらい一緒に旅した君のことだって……」
嗚咽が零れる。
「大切じゃないわけないじゃん……」
長年、物乞いを続けてきたクラウンにとって、芸を見て物をくれる人々は、どこまでも他人でしかなかった。家族なんていなかった。友達なんていなかった。……サイが世界の向こう側に行ってからはずっとひとりぼっち。そんな感覚がしていた。
そんな中で出会った、同い年くらいの少年。世界の何も信じていないというような目をしている割に、クラウンだけはずっと信じている。そんな少年のことが、クラウンはずっと大好きだった。離れたくないと思うほどに。今、話しているだけで、涙をこぼしてしまうほどに。
「く、クラウン? どうしたんだ? 急に泣いて」
クラウンは遂にこらえきれなくなって、うわぁ、と泣いた。泣き叫んだ。
「旅を終わらせたくないよ。旅を続けたいよ。君とずっとずっと一緒に、世界を見て回りたいよ」
「そんなの、旅を続けりゃいい話だろ」
少年のあっさりとした指摘に、クラウンがえ? と泣き濡れた目を持ち上げる。
少年はにっと笑って、ぼさぼさのクラウンの頭をがしがしと雑に撫でた。
「俺だって、お前との旅が楽しいよ。だから今までずっと一緒にやってきたんじゃないか。
誰がいつ旅の終わりだなんて決めたんだよ。二周でも三周でも、お前とならいくらだって、世界を回ってやるぜ」
少年のその言葉は本来、嬉しくて堪らないもののはずだった。抱きついて喜びに涙を流してもおかしくないくらい。
けれど、クラウンは魂の奥の奥──結局はサイの作った人形であるという現実の中で、一つの事実を察していた。
クラウンにとっても、少年にとっても、残酷な真実を。
「だって、だって、もう遅いんだ。
ねぇ、君は今度、何歳になるの?」
少年は唖然とした。
数え間違えていなければ、少年は今度──
十五歳を迎えるのだ。




