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Unlimited Sky  作者: 九JACK
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半澤通

 とても空が青い日、僕の人生は──いや、僕の友達の人生までもが止まったのかもしれない。

 サイは苦い果物のジュースを飲みながら、そう思った。


 果てしなく続く空は、どこまでもどこまでも青かった。

 僕たちのかじる果実は、いつまでもいつまでも苦かった。


 美好の体調を慮って、美好の家まで行こう、と着いていったあの日。

 あの瞬間が来るまでは、美好も、半澤も、また当たり前のように明日が来るものだと思っていた。

 そんな明日はあっけなく崩れ去ってしまった。

 常日頃より危険視されていた、坂道の暴走車。そのたった一台によって、二人の淡い青春は、幕を閉じたのだ。

「とーる!!」

 切羽詰まった声で、半澤を道の脇へ突き飛ばした美好。まるで、何かから庇うように。

 それは「まるで」ではなかった。

 美好は実際に、半澤を暴走車という悪から庇ったのだ。その命が失われないように。

 がっ、がっ。車が何か──美好を轢く音は、二回した。半澤はその間に立ち上がり、暴走車の写真を撮った。暴走車を引き留める力はない。相手は車、こちらは生身。張り合うだけ無駄というものだろう。そう、いま撥ね飛ばされた彼のように。

 自転車は無惨にも、その原型を留めてすらいなかった。美好の方はもっとひどい。二回も車に当たったのだ。血はどくどくと流れるし、手足なんて、普通の人間ではあり得てはいけない方向に曲がっていた。

 半澤はもちろん、警察にも病院にも連絡した。極めて冷静な対処だ。……美好に死んでほしくなかった。

 だから自分の力でできうる限りのことをした。

 この力はこのときのためにあったのではないか、と思えたほどである。そう、半澤の血でできたどんな怪我でもあっという間に治せる不思議な包帯だ。

 美好はよく怪我をするからと半澤は持ち歩いていた。美好に死んでほしくなかったから。最近の美好はおかしい。痛覚が鈍くなっているだけではない。「死」というものを自覚していない。ともすれば、美好は毎日のように死に至るかもしれない事態に直面しているというのに、それを笑って過ごしてしまう。

 そんな美好の態度が半澤の心配を加速させた。だから、傷口に包帯を巻いた。骨折したであろう四肢にも。それから、呼吸が上手くできていないようだから、胴体にも巻こうと思って、包帯が足りないことに気づいた。

 半澤は行動することに躊躇いはなかった。美好を生かすために、何を躊躇うことがあるだろうか。そうして、包帯を作るために、自らの手首を切った。深く深く。

 リストカットで自殺を謀るとき、人肌の温度のお湯に患部をつけると、より出血するという。だが、この場に人肌の温度のお湯などない。それで出血させ続けるためには、簡単に血が止まらないくらいに深く血管を傷つけなければならない。

 半澤は混乱していたし、美好を助けるためならば、元より手段など選ぶつもりもなかった。だから、その思いだけで痛みまでをも超克してしまった。一つ難関を越えれば、あとは容易い。

 だらだらと止まらない血の中から、異様なほどにさらさらとしていて白い包帯を取り出した。当然、大量の血を失えば、人の意識は朦朧とする。このときの半澤の意識も例外ではなかった。

 骨に当たるほどまで切り刻んだところで刃を止め、包帯を手にし、ふと考える。僕は何をしようとしていたんだっけ。とにかく今は、うみくんを助けなきゃ。うみくんって誰だっけ。あ、目の前に倒れて意識のない男の子がいる。助けなきゃ。……ああ、彼がうみくんか。……といった具合に半澤の思考回路にはずれが生じながらも、それでも当初の目的である美好を助けることに、文字通り、命をかけた。

 これでうみくんの傷は大丈夫だ、と安心したところで、遠くからサイレンが聞こえてくる。パトカーのサイレンと救急車のサイレンとがごっちゃ混ぜになって、朦朧としている半澤の意識を更に曖昧にさせていく。

 そんな半澤の元に、一人の刑事が歩み寄った。

「君が、通報者だね」

 どこかで聞いたことのあるような、ないような声だった。半澤は声を出すこともままならず、ただこくりと頷いた。

 咄嗟に口を衝いて出たのは。

「それより、うみくんは」

「救急車も来た。もう大丈夫だよ。君も乗るんだ」

 そうは言われたが、半澤は悟っていた。自分がもう、駄目であることを。

 ならばせめて、できることをしたい。

 半澤は力が上手く入らない手で、デジカメを持ち上げた。

「これに彼を轢いた車が写っているかもしれません。僕は証人です。警察に」

「君が無事じゃなくて、美好が喜ぶわけがないだろう」

 その言葉に記憶が明瞭に蘇る。この人はうみくんのお父さんだ。無口な父親。ほとんど何も語らない。今時珍しい、背中で語る父親というものだということを半澤は認識していた。

 美好はこの人に似たのだろうと思う。どこまでも優しいところが。

「だが、捜査への協力、ありがとう」

 ありがとう。その言葉に安心して、半澤は意識を闇に委ねた。

 あれだけ死にたがっていた世界から、命を失おうとしている。普通なら、ああすればよかった、こうすればよかった、などと未練たらたらに思うところなのだろうが、半澤は満ち足りていた。

 無意味に自害するよりは、誰かのために死ぬ生き方が正しいように思えた。それがたった一人の友達のためなら、尚更。

 うみくん、ごめんね。こんな死に方をしたら、譬、うみくんが生き延びたとしても、後悔するだけかもしれない。

 でもね、うみくん。苦しくて、悲しい青春だったけど、僕はうみくんと出会えてよかったって思っているよ。うみくんがいたから、僕は青春の中で輝くことができた。最期まで、写真を大好きなままでいられることができた。園崎さんに告白できた。うみくんと痛みを分かち合うことができた。

 そんな中でも何より嬉しいのはね、うみくんが、僕を親友って言ってくれたこと。うみくんの中で、僕が一番だってはっきり言ってくれたこと。

 あのとき一番、僕は生まれてきてよかったんだって思うことができたんだ。

 死を覚悟してまで、僕を助けてくれた君に、僕は恩返しがしたい。

 うみくん以外に友達のいない僕と違って、うみくんにはたくさんの友達がいる。本気でぶん殴っちゃう子もいるけど、それはその子がうみくんに真っ向から向き合おうとしている証拠だよ。

 それに、僕がさわくんさわくんって、見た目だけで、うわべだけで、女の子たちから人気を受けているのとは違う。うみくんはみんなからかいとくんかいとくんって慕われている。だからうみくんはきっと、僕がいない世界でも、いい人たちに囲まれて、過ごしていけると思う。

 それに、うみくんは振ったらしいけど、なんだかんだ言って、園崎さんもずっと傍にいてくれるんじゃないかな。お喋りなお姉さんだって、ちょっとおっちょこちょいなお母さんだって、無口なお父さんだって……うみくんにはいるんだよ。帰れる場所があるんだよ。何もかも捨てた僕と違って。

 だから、生きて。

 死なないで。

 ……ああ、この思いが日記帳に綴れないのが悔しいな。

 でも、写真で伝わればいいな。

 キバナコスモス

 ミツバ

 ハナミズキ

 シオン

 ナノハナ

 ナズナ

 イチョウ

 デイジー

 君は出会った頃から、花が似合う男の子だったね。

 だから、花たちに囲まれて、花たちに祝福されて、君が幸福な世界に生きることを、僕は最期の最期、切に願うよ。

 もし、君が死にそうになったなら、僕は死んでも助ける。それくらい君には生きていてほしいし、僕は君の親友だからね。

 絶対に君を裏切らないから。地獄に行っても、僕はずうっと、君の味方だから。

 君が来るのは、待たないよ。僕は君に生きていてほしいから。

 ただ、また来世生まれ変わったら、覚えていてほしいかもしれない。

 うみくんとは、ずうっと友達でいたいから。




 そんな半澤の思いは誰に届くこともなく、半澤の命と共に、消えてなくなった。



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