ループの異変
虚空。ループを監視する部屋にサイと王、二人がいた。
サイは王の前に跪き、傅いていた。
「申し訳ございませんでした」
サイが滔々と述べる。
「まさかリエラが反逆するなどとは……」
「まっこと、ままならなぬものよ。以後、意志を持つ人形など作らぬことだ」
「はい、承知いたしました」
「良い、顔を上げよ」
サイが立ち上がるのを見、王は黒いマントを翻した。
「しかし、このループ世界も困ったものだ。なかなか思い通りにならぬ」
「そうですね。ですが、クラウンの存在が彼には大きいものとなりました。それだけでも今回の成果はあるかと」
王が神妙に頷く。
「然り。あの少年には理解者を与えることが必要とわかった。それがクラウンで果たせるのなら、今後のループにもクラウンを投入するのが妥当だろう。お前に一任する」
「はい。仰せのままに」
恭しく礼を執るサイを一顧だにせず、王は虚空の奥へと向かった。足音がなくなると、サイは礼を解き、ループの状況が映る画面の方を向いた。
リエラという自分たちが投入したイレギュラーを自分たちで消し去った。それは一見、無責任な行動にも思えたが、サイにとっては、大変に意味のあることだった。
画面の中でループの時は進む。虚空において、時間は無意味だ。故に、ループの時間軸も、自由に見ることができる。ただし、「今までのもの」なら、だが。
虚空はループが進まなければ進まない。先程の言葉と矛盾しているが、それは、サイと王とが結託して、ループという世界を我がものにしようとしているからだ。そのために、ループにはサイの操る人形が利用されている。ループ世界に生まれたたった一つの消せないイレギュラー、痛みを感じる少年をどうにかするために。
王の計画は彼が現れたことによって頓挫していた。王曰く、世界征服。だが、王の世界征服は平和なものだった。幸福な世界を作っているのがその証拠と言えよう。
誰もが幸福で、幸福しか感じない世界ならば、征服されても幸福なままであるはずだ。そうすれば、世界征服の絶対悪的理論は通用しなくなる。それが王の考えだった。その考えに基づき、サイは世界を作った。
そんな中に、ある日突然、世界でただ一人、幸福ではない少年が誕生したのだ。不穏の芽とも言えよう。そんな存在を王がそう易々と許容するわけもなく、今はその不穏の芽を摘み取るために、サイと議論を交わし合い、世界に様々な人形を送っているのだ。リエラもその一人。そして、クラウンも──
「さて、そろそろ気づいてくれないと困るなぁ」
サイは画面の光を見つめる赤い瞳を愉しそうに歪ませて、そう呟いた。
五歳。またループしてしまった。けれど、そんな悔恨よりも、少年には気になることがあった。
今回のループは奇妙だった。具体的に言うと、世界がループする瞬間を見たのはこの世界に生まれてから初めてかもしれない。あんなにぐにゃりと世界が歪んで、目眩のようなものまでするのが留守なのか。だとしたら、今まで、寝ているうちにループしていたのはある意味正解だったのかもしれない。あれが毎回ではきつい。酔いそうな感覚がした。
「……酔う、なんてそんな感覚も、俺独自のものなんだろうな」
気持ち悪い。その単語は幸福なこの世界には不似合いだ。
「それにしても、おかしい」
少年は考える。何故、今回だけ例外的なことが起こったのか。
タイミングとしては、リエラの言葉を止めるようなものだった。世界を壊す、という提案を受け入れまいとする意志が感じられた。……意志だなんて、おかしい。
では、何故リエラは消えたのだろうか。とても自然なことではなかった。人が消えるなんて自然現象は聞いたことがない。それなら「死ぬ」の方がよっぽど自然だ。
リエラは消えた。その表現で間違いないと思う。でなければ、不自然にあのピエロ人形が落ちることはなかったと思う。
リエラが消えた直後に世界がループしたことも気になる。まるで、今のことはなかったことにしたい……ような感じがする。やはり、意志と言えるだろうか。
世界に意志が存在する? それはあまりにも突飛な発想だ。世界の意志。言葉の響きだけを聞くと、スケールが大きいような気がする。
いや、よく考えてみよう。ここはループを何度も何度も繰り返し、不幸を許さない、異常なほどに幸福な世界だ。世界がループしているという時点でもうおかしい。スケールが大きいと言えるだろう。
今更スケールの大小を問題にするのは馬鹿馬鹿しい。今考えるべきは、何故今までと違ったか、だ。
人が消えるなんて、何度も言うが、異常だ。
「……ん? そういえば、こないだのループは十五歳になってからだったよな。それに、リエラは色々と知っている素振りだった」
可能性として考えられるのは、まさかと思うようなものだった。
「そんな、まさかな」
世界を誰かが意図的にループさせているのかもしれない──なんて、あまりにも突飛で、一見、馬鹿馬鹿しく感じられるほどの発想だった。
もし、それが本当だったとしたら、自分たちは誰かの掌の上で踊らせられているということになる。スケールが数段大きくなっていく。
馬鹿馬鹿しい、と唾棄することもできたが、捨てるには、リエラの言葉が耳に残っている。
この世界とは別の世界がある。別の世界に行くことができる。それはこのループの中では、唯一意識がループしない少年だけだ、と言っていた。それに、世界の絶対的矛盾を抱えた少年が出ていけば、この世界が消滅するだろう、ということも。
「……まさか、別の世界が存在していて、その別な世界で何者かがこの世界を操作している? そんな、馬鹿な……」
空想物語にしてはできすぎている。笑えるくらいに空想だ。痛みという概念が妄想という病気だと言われる世界でこんなことを言ったら、誰もが笑うだろう。少年だって、笑ってしまう。
だが、落ち着いて考えれば、あり得ないわけではない話だ。少年のこれまでの軌跡を整理していくとわかる。何故彼だけがループしないのか。何故彼の許にリエラが現れたのか。
少し、寒気がした。
もし、外界で誰かがこの世界を操作しているのだとしたら、もしかして今、少年のことを見ているのかもしれない。誰とも知れぬ人間が。
何故は後だ。もし、この不自然な現象の数々がそれらで片付けられてしまうのなら、それ以上に恐ろしいことはない。
だが、同時に少年は気づいた。
自分が気づいたということは、もしかして、それを止めることができる力が、自分にはあるのではないだろうか。この無意味なループを終わらせて、世界を終わらせて、操る誰かを止めるということが、唯一自分だけにできて、もしかしたら、それが使命なのかもしれない。
消えたリエラは、そんな無意味な虚妄を止めてほしかったのかもしれないし、止めてほしい誰かが放ったものかもしれない。
だとしたら、と少年は立ち上がる。
世界について、考えなければならないことがある。疎むばかりではなく、自分に痛みが与えられた意味を考えなければ。
幸福なこの世界。不自然で不気味で少年が大嫌いな世界だが、それが誰か一個人の意志のために弄ばれているというのなら、それは絶対に間違っている。この世界を動かしている何者かが正しいと思ってやっているのなら、それを止めるべきだ。
幸福な世界と言いながら、それでは自由がない。自由は幸福の象徴だ。そんな自由がない世界で、自分は幸せだと思って生きている人々が哀れでならない。
……本当の幸福とは、こんな、作られたような、偽物めいたものじゃないはずだ。
そう気づき、少年は立ち上がる。
譬、世界から爪弾きにされようとも。




