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Unlimited Sky  作者: 九JACK
pierrot
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リエラ

 時が過ぎるのは早い。過ぎてしまえば、そう思うものだ。

 ただ、少年はクラウンと過ごす日々が楽しすぎただけで、何があっても変わらない、残酷な恒例行事のことを、その日は忘れていただけである。

 少年は十五歳の誕生日を迎えた。ただ、誕生日など忘れ去って、クラウンと笑い合って過ごしていたから、彼は自分のその誕生日がどういう意味を持つかなんて忘れていた。

 公園に着くまでは。

「クラウン」

 本日も快晴。また昨日と変わりなく、今日を迎えるのだと思っていた。最近ようやくナイフのジャグリングのこつを掴んできたので、今日は本物のナイフを使って、試しにジャグリングをしてみよう、と約束していたのだ。

 だが、喜び勇んで行った公園には人気がなく、ぽつん、とクラウンの代わりであるかのように、赤髪のピエロの人形が置いてあった。

 そこでどくりと心臓が高鳴る。それは久しく見ていないような気がした、けれど見たことがあるものだった。

 赤髪のピエロ人形。それは世界がループする前触れに現れる人形。──少年の十五歳の誕生日が近くなると現れ、その後、世界が流転し、ループするのだ。

 何故、そんな恐ろしい事実を今の今まで忘れていたのだろう……少年は一気に絶望の淵に立たされたような気分だった。

 幸福に暮らしていたのに、普通と変わりなく過ごしていたのに、世界がループするという残酷な現実だけは、変わらずにそこにあるのだ、とピエロが物語っていた。

「なんでだよ!!」

 少年は地面に叩きつけるように叫んでいた。

「なんで、お前が出てくるんだよ? 俺はこの世界でそれなりに幸福に暮らしたよ。それでもまだ駄目なのか。俺はあと何回、ループを繰り返し続ければいいんだ」

 晴天だった空が、曇り始める。たちまち雨が降り出し、少年もピエロ人形もびしょ濡れになった。

 少年は、突飛なことを考えもした。ピエロ人形を壊してしまうとか。それで何が変わるかなんて、わからない。わかりようがない。ただ、何かが変わってくれる、一縷の望みでもあると幻想していなければ、少年はやっていられなかった。

 けれど実際、その人形を壊す気になんて、なりはしなかった。壊せる気がしない。だって、だって、そのピエロ人形は、何故だかとてもクラウンに似ている気がしたのだ。ぼさぼさの赤髪、青で塗り潰された目。シャツにストライプのベストを着ているところまで、本当にクラウンにそっくりだ。

 少年は紫の瞳を歪めた。その眦から落ちるのが、雨なのか涙なのかわからない。わかりたくもない。

 クラウンはここにいない。いつもの笑顔で出迎えてくれない。……心にぽっかり穴が空いたようで、すうすうする。

 そんな中、雨に晒されるまま、少年はそこに立ち尽くしていた。

 そこへ、こつこつと歩み寄ってくる足音があった。少年は虚ろな紫色の目を持ち上げ、足音の方向を見た。雨に晒されながらやってきたのは、緑の勝ち気そうな目を持つ、茶髪をハーフアップにした少女だった。オフショルダーのセーターが少し肌寒そうに見えた。何故、こんな雨の中を出歩くのか。ふとした疑問から、少年は無意識に少女を目で追っていた。

 ほどなくして、少女も少年の視線に気づいたらしく、先程まで少年が見ていた人形の方に回ると、少年に艶然と微笑んだ。

「私はリエラ。あなたは?」

「……は?」

 唐突な会話の要求に、少年は目を白黒させる。対して少女は。

「『は』っていう名前なの? 珍しいを通り越して変わった名前ね。変なの」

 いきなり聞いておいてから、それはないと思った。故に少年は激昂する。

「なんで初対面のやつに会っていきなり名前なんか教えなきゃなんねぇんだよ? わけわかんねぇ」

「言葉遣いがなってないわね。……ま、年齢設定は私の方が上だけど、この世界で過ごした時間から換算したら、この世界ではあなたは私の大先輩ということになるからね。多目に見といてあげる」

 少年が眉根を寄せる。少女──リエラの言い分がいちいち気にかかる。

「なんだよ? お前、この世界がループだってこと、知ってんのかよ」

「知ったのは、つい最近だけどね」

「どうやって知ったんだ」

「内緒」

 煙に巻くような物言いで、リエラは口元に指を当てる。少年は不機嫌になった。

「……で、何の用だよ」

「用があるってわかるんだ」

「用でもなきゃ、変わり者の俺なんかに声かけたりしねぇだろ」

「それも道理ね」

 少年は苛々していたが、リエラは全く意に介した様子がない。

 リエラは赤髪のピエロ人形を手に取り、それからはい、と少年に渡した。

「これが私の役割」

「意味わかんねぇんだけど」

「あなたにこの世界から出るための鍵を渡しに来たの」

「世界から、出る? まるで他にも世界があるみたいな言い方だな」

「あるわよ」

 リエラはあっけらかんと言った。

「この世界は鍵によって外界から閉ざされた世界。外にはたくさんの世界があるわ。もちろん、この世界のように人々が幸福であることを規定され、強要されているようなおかしな世界ではない。ちゃんとした世界。痛みもあれば、神様もいるし、どこかの国では独裁政治に業を煮やしたレジスタンスが反抗して、戦争をしているかもしれないわね」

「随分と他人事だな」

 それから少年はリエラの持つピエロ人形を一瞥した。

「そのピエロ人形が鍵ってことなら、あんただって、使えばこの世界から出られるんじゃないか? なんで俺なの」

 問うと、リエラは苦笑した。それから訥々と語り出す。

「おかしな世界よねぇ、この世界。不幸な言葉は何にもなくて、幸福に満ち溢れている。あなたが感じる痛みもない。不思議ね。私もこの世界の一員だからかしら。何故だか痛みは感じないのよ。ゴミ箱を蹴っ飛ばしたり、わざと転んでみたりするんだけどね、傷ができても全然痛くないのよ。

 でも、あなただけは違う。この頭が狂ったみたいなおかしな世界の中で、あなただけは正常に動いている。この世界をおかしいって思える心がある。それはね」

 リエラは少年の胸にちょん、と指を当てる。

「あなたが世界の絶対的矛盾だから」

「絶対的矛盾……」

「そう。幸福なこの世界に存在しない言葉をあなたはいくつも背負ってきたでしょう? そんなあなたは世界から、世の中から爪弾きにされた存在。本当はこんな世界に存在しちゃいけない。世界はあなたの存在を望んでいない。あなたはそういう存在なの。この世界の仕組みを根底から無視した存在。だから、あなたはここにいちゃいけない。……誰に言われなくても、あなたが一番感じていることでしょう」

 その指摘に、少年はぎり、と歯噛みする。リエラの言っていることは正しい。正しすぎて腹が立つ。

 世界の絶対的矛盾。なるほど、痛みを感じる異端の少年に似合いの肩書きだ。

「……で、話を戻すけど、つまり、この鍵は世界の絶対的矛盾の存在であるあなたにしか使えないってわけ。世界はあなたがここから出ていくのを待ち望んでいるのよ。それを伝えるために、私はここに遣わされた」

 つまり、少年は出ていけ、と世界から言われている、ということだ。望まれていない。わかってはいたが、笑えてくる。

「……だから」

 少年は苦笑に乗せてこぼした。

「だから、クラウンは消えたっていうのか? 俺は幸福なこの世界の異物だから、幸福になっちゃいけないと」

 リエラは答えない。少年は、はは、と笑みをこぼす。その笑い声は次第に狂気的なまでに高まっていき、雨を追い越すように響いていく。

 返ってくるのは雨音だけ。虚しい。少年は肩を震えさせていた。

「俺は、クラウンさえいればよかった。それで幸せだった。幸福なこの世界らしい人間になれたと思っていた。だからこのまま幸せな時をずっと、って思ってた。なのに! なんでそれを奪うんだ。別にここにいてもいいって思えるようになったっていうのに」

 少年が語り終えると、リエラは痛ましげな顔をしていた。まるで彼を哀れんでいるようだった。

 だが、少し俯いて、それからにやりと笑って顔を上げる。

「なら、この世界を壊すっていうのは興味ある?」

「壊す……」

「ええ、とっても簡単よ。あなたがこの世界から出ていけばいいもの」

 話が見えないと思っていると、リエラはこの話がしたかったのだと言わんばかりにいきいきとした表情で語った。

「あなたはね、この世界の絶対的矛盾だけれど、あなたがいなければこの世界は存在できないの。おっかしい話でしょ? 排斥してきたくせに、世界は矛盾を背負ってくれるあなたが存在しないと保たれないの。あなたがこの世界を嫌いなら、この鍵を持って、こんなくそったれな世界から出ていけばいいのだわ。そうすれば、あなたの大好きなクラウンも」

 ぶつっ。

 そこでラジオでも切れたかのようにノイズが走り、リエラが一瞬にして消えた。ぽて、と取り残されたピエロ人形が落ちる。右目にはまっていた青いガラスのようなものが、地面に当たった衝撃で砕けた。

 そこで、世界がぐにゃりと歪む。目眩のように歪んだ世界に立っていられなくて、しゃがむと、世界が流転したのがわかった。

 気づくと、容姿は五歳くらいに戻り、家のベッドの上。

 世界がまた、ループしたのだ。



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