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Unlimited Sky  作者: 九JACK
pierrot
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ジャグリング

 少年は毎日のように公園に通った。クラウンに会うために。

 クラウンと話すのは楽しかった。久しくそんな感情、忘れていた。クラウンには痛みを感じる少年に対する偏見がなかった。痛みを感じたとき、純粋に心配してくれる。まるで、本当の家族のように親身になって心配してくれる。

 あれ、おかしいな、と思いはした。思いはしたが、幸福になった彼の世界において、それは些細な違和感に過ぎず、今までのように真剣に悩むことはなかった。

 家族──父と母は、少年の行動を黙認している。元々、少年の父親はああだこうだという質ではなかったし、母も少年に過干渉はしない。ただ、勉強を終えるなり、公園へ駆けていく息子の姿を、少し、微笑ましそうに見つめているような気がした。

 親が自分の行動や言動を否定しない世界は初めてだった。だから、少年は自由な気がした。そう、自由という幸福を得たような。

 そんな少年を、クラウンは今日も笑顔で迎える。

 少年はクラウンに芸を教えてもらっていた。物乞いをするほど少年は生活に困ってはいないが、純粋に興味があったのだ。クラウンのジャグリングは一種、手品のように回すものが増えていくし、何より、やっているクラウンがとても楽しそうにしているのだ。それに、クラウンがするのはジャグリングだけではない。指で操るマリオネットや、カードを使った、それこそ手品のような芸当さえやってのけた。黒いハットから白い鳩が出てきたときは、少年だけではなく、周辺にいた人々が一様に驚いていた。拍手喝采で、クラウンは恭しく礼を取り、もらった品々を手元にまとめていた。

 クラウンに毎日会うのは、もう一つ面白いことがあるからだ。

 クラウンは大道芸で物乞いをする。クラウンの芸は見事なものなので、物乞いの成果はそれなりのものだ。すると、クラウンの衣装が少しだけ変わっていたり、食べ物が貴重なものになっていたりと、物乞いの成果を見せてもらうだけでも面白かった。その上、クラウンは友達だから、と少年にその貴重な食糧を分け与えてくれることさえあるのだ。

 二人で半分こ。すごく子どもらしく、幸福なこの世界らしい、陳腐な日常が、少年にとってはかけがえのないものだった。

 これでやっと、自分は痛みという軛から解放されて、ようやく「幸福」という、今まで戯れ言だと思っていたものに近づけるのかもしれない。……それがとても、嬉しかった。

 ……そう、少年はただ、普通でいたかったのだ。


 そんなある日のこと。

 今日もいい天気だ。窓を開けると真っ青な空。それがこの世界の基本的な天候だ。雨のときはあるが、ごく稀で、けれど、農業には影響のない程度に降る。これが幸福なこの世界の当たり前だった。不自然さはあるが、少年はクラウンと出会ってから、この空が少し好きになったような気がした。

 というのも、物乞いの活動は、基本的に天気に恵まれていないとあまり芳しい成果が得られないのだ。雨の日は、雨という憂鬱、不幸な言葉を避けるように、人々はあまり外に出ない。幸福なこの世界とは言うが、やはりお天道様には敵わないのだろう。

 それに、雨に濡れてまで、物乞いの芸を見に来る者はいない。そんな酔狂な輩は、友達となった少年一人である。

 とはいえ、雨の日に外に出ると、親にあまりいい顔はされない。それに、雨の日の小さな公演に、観客はいない。それでもクラウンは芸を披露するのだが、クラウンのパントマイムの芸は、降り注ぐ雨音をただただ引き立たせるだけであった。それもどことなく寂しいものだ。

 それでもクラウンは楽しそうだ。きっと、大道芸が、心の底から好きなのだろう。人が見ていないのをいいことに、新しい芸を練習している。

 雨の日でも楽しそうなクラウンを見るのは少年の心の癒しではあったが、やはり、晴天の下、様々な観客から喝采を受ける姿の方が少年にとっても目映く、楽しかった。

 それに、この蒼天の色はクラウンの目の色に似ている。赤髪に空色の青い目は目立つし、映えた。

 それが少年にはとても美しく感じられ、やはり晴天の下に行われるクラウンの芸の方が、より輝いて見えた。──世界がただ残酷なだけではなく、確かに幸福をもたらしていることを実感できた。

 ──そう、少年はだんだんと、幸福なこの世界を受け入れつつあった。


「ボールのジャグリングには慣れてきたみたいだから、今度はレベルアップして、ナイフのジャグリングにしようか」

 公園にいたクラウンが、そんな提案をしてきた。少年は少し驚く。

 確かに、ボールのジャグリングには慣れてきたところだが。

「ナイフは危ないんじゃないか? 指とか切ったら大変だよ」

 すると、それを予想していたらしく、もちろん、対策は立ててあるよ、とクラウンは告げた。

 クラウンが、物乞いで獲得したのであろう大きなバッグをがさごそとする。それから、ナイフの形をしたものを取り出す。ナイフの形をしているが、金属のような光沢は見られず、先も丸くなっている。それを少年が不審に思っていると、クラウンが不意に切っ先に指を当てた。

 少年が焦燥する。

「クラウン!?」

「大丈夫だよ」

 クラウンは少年を理解するが、他の人々と同じ一般人だ。痛みは感じないだろう。だが、痛みを感じないということはかなり危険だ。例えば、どんなに命に関わる大きな怪我をしたとしても、気づかないということになる。

 明らかに先は丸いが、ナイフの形をしているそれに切れ味がないとは断定できなかった。

 だが。

 みにょん。

 クラウンが切っ先に力を入れると、それはナイフにあるべからぬ方向に柔軟に曲がった。

 クラウンが悪戯を成功させたような意地の悪い子どものような笑顔で笑う。

「どう? 驚いたでしょ」

「……そりゃ、驚いたよ。悪戯にしちゃ、心臓に悪い」

 ナイフは時に人の命を奪う、残虐な凶器だ。幸福なこの世界の人々は、包丁としてしか使わないが。痛みを感じる少年はその危険性をこの上なく理解していた。だからこそ、クラウンの行動に心拍数を上げたのだ。

「全く、びっくりしたよ」

「それはごめん。でも、安心して。ジャグリングの練習に使うのはこの通り、ナイフのレプリカだから。ええと、プラスチックだかセラミックだか忘れたけど……とりあえず、そう簡単には刺さらないし怪我もしない、安全なものだよっていうこと。わかってもらえたかな」

「寿命は縮んだがな」

 そう言ってから、ふと思う。

 十五歳の誕生日にループする自分に、もっとスケールを大きくして言うと、ループばかり続けるこの世界に、寿命などというものは存在するのだろうか。そういえば、人が死ぬ、といった感じの噂は聞かない。……まるで、ここに生きる人間に寿命なんてものが存在していないかのように。

 久しぶりに少年の脳内でこの世界に対する不信感が増した。

「……どうしたの?」

 クラウンの問いかけに、少年ははっとする。なんでもない、と答えた。

 クラウンは、この世界の一般人。だから、世界のループなんて関係ないのだ。何を気にする必要があるのだろう。

 今は目の前の「友達といられる」という幸福のことだけを考えていればいいのだ。

「で、ナイフのジャグリングの練習だったな。どうやればいいんだ?」

「ん、じゃあ、手本を見せるね」

 すると、クラウンは何本か出したナイフのレプリカを宙に投げた。まずは三本で回す。器用なことに受け止めるのは、柄の部分で、だ。そうすれば、実践でも、手を痛めずに済む。よく考えられているなあ、と少年は感心した。

 見よう見まねで、少年もやってみる。だが、そう簡単に上手くいくものではない。柄を掴めずに、刃を掴むことになってしまう。レプリカなので切ったりはしないが、やはり一筋縄ではいかないようだ。

 少年は何度も何度も練習し、日々を過ごしていった。クラウンと過ごす日々はとても楽しかった。

 ループする世界を忘れるくらいには。



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