告白の告白
昇降口前で、半澤と美好が向き合っていた。その間の空気は緊張しているのだが、何故か、半澤は微笑んだ。
その微笑みを訝しみながら、美好は意を決したように告げる。
「俺はさっき、リンから告白された」
厳密に言うと、昨日だが。
半澤は表情を崩さない。
「なんて答えたの?」
美好は気まずそうな顔をした。少し間を置いてから、美好は気まずそうに俯いて答えた。
「嫌いじゃない、人として……と」
半澤はにこやかなままだ。その裏に特に感情は隠していない。怒りだとか、悲しみだとか、そういった感情はなく、ただただ笑っているだけだった。
「うみくんらしいや」
「そうかな」
美好は今でも残酷なことを言ったと後悔している。後悔しているが、半澤が笑うと、別にいいや、という気もしてくるので、ぶんぶんと首を横に振った。
確か、この話の直前に、半澤は花隣に告白したと言っていたはずだ。誕生日の日に。美好はケーキ作りに励んでいたので、まあ、二人になる機会はいくらでもあっただろう。
そんな半澤は振られたという。振った花隣は、美好に振られた。……半澤には何か思うところはないのだろうか。
「悔しくないのか?」
言うと、半澤は少し悩んでから、語り出した。
「悔しくないってことはないけど、僕は振られるってわかってて告白したからね。ここでうみくんに当たるなんて、ただの負け犬の遠吠えで、八つ当たりだよ」
何故そこまで割り切れるのかわからない。美好が不思議に思っていると、半澤はこうこぼした。
「僕の告白なんてね、ただの自己満足なんだよ。告白できただけで満足なんだから、これ以上、何を望むっていうのさ」
青い空の下、太陽に祝福されたような笑顔で半澤は言った。眩しくて直視できない。
振ったのは自分なのに、美好は何故だか自分の方が泣けてくるような気がした。自分に泣く資格なんてないのに。
「……なあ」
悩んだ末に出た言葉は、全く関係のないことだった。
「今日、うちに来ないか? 歓迎するよ」
言われた半澤は狐につままれたような表情をしたが、やがてその渾名に見合う爽やかな笑顔でうん、と頷いた。
夏は暑い。これは常識である。当たり前である。
だが、常識だろうと、当たり前だろうと、嫌になることは山のようにある。夏が暑いことがいい例だ。暑い夏が好きなやつもいるが、少なくとも今、じりじりと太陽の光が射す中、自転車を引いて坂を登っている美好はこの夏の暑さが憎たらしかった。夏を憎んではいけないというのなら、この長い坂を恨めばいいのだろうか。何にせよ、やりきれない。
「半澤、暑くねぇのか」
「僕、代謝よくないから」
「笑顔で言うことじゃねぇよ」
代謝は人間にとって重要な機能である。血の巡りがいいということは、酸素の供給率がいいということになり、健康的で、非常に良い。が、逆は逆だ。よくないというか、悪い。
「……はあ、とりあえず昼飯なんか美味いもん食わしてやるよ」
「え、いいの?」
「もうすぐ正午なのに飯抜きにするほど俺が非情に見えるか?」
見えない、と半澤は笑った。
ようやく海道家が見えてくる。道路が林に囲まれていなかったら、陽炎が揺らいだりして、もっと大変なことになっていただろうと思うと、まあ、林の存在に感謝しないこともない。
美好はがしゃん、と自転車の止め金を下ろし、鍵をかけた。それから玄関の鍵を開け、この上なく怠そうにただいま、と言った。半澤は後ろからひょこっと出て、控えめにお邪魔します、と言う。
すると、どたどたとけたたましい足音がした。美好が仏頂面で、やってきた人物に告げる。
「姉貴、五月蝿い。いつか怪獣になるぞ」
「開口一番、ひどいわね」
「あ、もうなってるか」
「更にひどい」
姉弟の掛け合い漫才みたいなものを見て、くすくすとしている半澤に、美好の姉が目を向けた。
「いらっしゃい、爽やかくん。よしがいつもお世話になって」
「お世話だなんて、そんな」
「来てくれて嬉しいわ。ひゃっほーい」
「わわっ」
半澤に躊躇いなく抱きつく姉。それを見て、美好はじと目で指摘する。
「おい、彼氏がいる女が他の男に抱きついていいのかよ? 嫉妬に狂って殺されても知らねぇぞ」
「あー、彼氏とはね、別れた!」
……随分明るくとんでもないことを言う。この感じからすると、姉の方から振ったのだろう。美好の経験則でいくと、飽きたとかそういう理由で。そんな相手に付き合わされていたお相手に南無三と言っておこう。人を見る目がなかったと諦めてもらうしかない。
「そんなことよりよし、お腹空いたー」
「そんなこと扱いされた元カレに激しく同情するわ」
「私は過去は振り返らないタイプなの」
「はいはい。あんまり飯のことばっかり言ってると、そのうちモテなくなるんだからな」
「つくづくひどい弟を持ったわ」
「で、何食いたいんだ?」
「炒飯!」
「太るぞ。作るけど」
「いい弟を持った」
「変わり身が早くて草生えそう」
炒飯は卵とねぎがあればできる。ご飯があるのも大前提だ。
「さて、とーるも何かリクエストあるか」
「僕は特には。ご相伴に与らせてもらえるだけで有難いよ」
「そうか」
美好はハンガーにかかっていたエプロンを身につけると、台所へ消えていった。
茶の間に姉と半澤が残る。
「ごめんね、お茶も出さなくて。私、よしに食べるとき以外は食器に触れることすら許されてないの。料理音痴で堪え性がないって、ひどい言われようよね」
「気にしないでください」
美好の姉は料理というか、家庭科全般が苦手らしい。本人は苦手という自覚がないようなので、美好も大層手を焼いていることだろう。そう思うと、半澤は苦笑いしか浮かばなかった。
「それにしても、爽やかくんはよくあんなよしと友達になれたわね」
「あんなって、言い方あんまりですよ」
「よしの私への罵詈雑言もあんまりだと思わない?」
ぐうの音も出ないとはこのことである。
「うみくん、そんなに気難しいですか?」
「気難しいなんてもんじゃないわよ。毎日毎日こけてるから、基本的な顔が仏頂面だし、案外とストライクゾーン狭いし。あーあ、花隣ちゃんがカワイソ」
花隣の名前に思わず固まった。
半澤は恐る恐る聞く。
「うみくんと園崎さんはいつくらいからの付き合いなんでしょう?」
「あー、考えたこともなかったわ。気づいたら傍にいたって感じ? 響きだけで言ったら、運命よねぇ」
「ですね」
気づいたら傍にいた。それくらい美好にとって、花隣は身近な存在ということだ。
「爽やかくんさ、モテるでしょ?」
唐突な話題転換に戸惑いはしたが、半澤は曖昧な笑みを返す。
「好きな人に振り向いてもらえなきゃ、意味ないですよ」
「ありゃ、爽やかくんってばもしかして、失恋したばっか? ごめーん」
「失礼は黙ろうか」
「よし、来るなり失礼だよ。ってかもうできたの」
「炒飯くらい下拵えできれば秒でできるわ」
「えげつない料理スキル。言ってることがもはやプロ」
美好が盛りつけた皿を卓袱台に置きながら、姉を睨む。
「そんなこと言って、技術向上を試みないから、嫁の貰い手がいないんだろうが」
「何よー、技術向上も何も、よしが台所に入らせてくれないからできないんじゃない」
「ばれたか」
美好がくつくつと笑う。
「っていうか、姉貴、トライアンドエラーするなら家族を巻き込むな。姉貴の料理を毎日食ってたら、いつか誰かが死ぬ」
「人を捕まえて失礼な」
「事実だろ」
そこで話を打ち切り、食うぞ、と美好が手を合わせた。
「いただきます」
こうして複数人と食事を摂るのは半澤には新鮮だった。食事中も絶え間なく言い争う姉弟二人に、半澤はひっそりと呟いた。
「羨ましいな」
「どこが?」
突っ込みの息もぴったりである。やはり、半澤は羨ましかった。
未だに義理の弟と顔を合わせることもできない半澤には。




