友達
赤毛の子──クラウンとはすぐに意気投合した。まるで、ずっと昔から知り合いだったかのような馴染み具合に自分でも驚いていた。
クラウンは自分がやるピエロについて語る。
「僕はね、ピエロが楽しくてやってるんだ。そりゃ、食べ物とか、水とかはあったら欲しいけどね。僕はこれをやって、みんなが笑顔になってくれたら、それだけで嬉しいんだよ」
「何ももらえなくても?」
「うん」
きらきらとした笑顔。空のように眩しい色を放つ子どもだ、と男の子は紫の目を瞬かせた。
クラウンはそんな表情のまま、男の子を示す。
「だから、君のこともよく覚えてたんだ」
「俺のことを?」
何故だろう、と首を傾げていると、クラウンがほら、と続けた。
「君、僕の芸を見て、目をきらきらさせてたじゃない。あれが嬉しかったんだ」
「……きらきらなんて、してたかな」
あのとき、クラウンに目を惹かれたのは事実だ。けれど、きらきらしていたなんて……何万回も繰り返した男の子にとってはしっくりこない言葉だった。
クラウンのように、純真無垢な目で世界を見ていられたのは、果たして何回目までのことだっただろうか。そんな遠い昔のようなこと、覚えていられるわけがない。
クラウンはそんな男の子の様子を気にした風もなく、やはり空のように眩しい目で頷いた。
「してたよ。僕がその目に魅せられたくらい」
「大道芸人さまのお眼鏡にかなうとは光栄なことで」
ふざけた物言いで返すと、クラウンは苦笑した。
「君ってさ、子どもっぽくないよね」
ずきり、と胸が痛んだ。
この世界の人間はこればかりだ。ループしていることに気づかないくせに、彼がループして積み重ねてきた年月ばかりを見破る。見破っているつもりはないのだろうが……それがひどく胸に刺さる。
「君、大丈夫?」
クラウンが唐突に問いかけてきた。男の子はきょとんとする。
「大丈夫って?」
「なんだか辛そうだから」
即答だった。正鵠を射ていて驚いた。
幸福なこの世界の住人は幸福ではない言葉を決して口にしない。辛い、苦しい、痛いだとかは。
……それを簡単に口にできてしまうのは、クラウンが大道芸人という家無し子で、学がないからだろうか。
学校で学んだ子どもは、学んだことをそのまま信じて疑うことがない。頭の堅い大人のような生き物があっという間に完成する。それでいじめられたこともあったくらいだ。
今は家に引きこもって、外では痛くないふりをして、取り繕っている。だから誰も彼を痛みを感じる異端の子だと思わないで済んでいる。知っているのは医者と親だけだ。
それがあっという間に見抜かれてしまった。クラウンとは、なんて恐ろしい子どもなのだろうか。……けれど、恐怖は感じない。むしろ、親しみを持てる。
「クラウン」
「なぁに?」
「会っていきなり言うのもなんだけどさ」
あの、その、とつっかえつっかえ、男の子は紫と青をかち合わせた。
「俺と、友達になってくれないか?」
痛みを感じる彼には異端しか与えられなかった。
異端であることを蔑み、嘲笑われる。そこに怒りが沸き、敵意が生まれ、悪意となる。それは次第に彼を憂鬱にし、幸福なこの世界からどんどん彼を引き離していった。
何が幸福だこのやろう、と思っていたが、彼はクラウンと出会ったことでようやく、幸福とは何かを掴み始めるのである。
友達。その言葉は辞典に載っている。とても幸せな言葉だ。
そして、幸福なこの世界では、友達は裏切らない。裏切りという言葉がまず存在しないのだ。何か罰があるわけでもないのに、人々は「World Dictionary」に従い、幸福なこの世界を幸福に生きている。幸福な言葉に従っていれば、幸福であると信じて。
男の子は家に帰ると、紫の目を辞典に走らせた。初めて、幸福なこの世界を信じてみる気になったのだ。
痛みを感じる異端の自分でも、幸福に生きる方法があるのかもしれないと思って。
クラウンが自分の幸福の運び手だと信じて。
「なかなかいい手ではないか、サイ」
黒い空間の中。そこには幸福な世界を眺める黒いローブの人物がいた。フードを深く被っていて、顔はよく見えない。声は低く、青年のようだ。
その隣に控える深緑のローブを纏った人物がそうですか、と嬉しそうに言った。サイと呼ばれた彼は少年のようだった。
「異物がこれで処理できれば、幸福なこの世界は我が手中に……」
「その通りでございます、王」
サイから王と呼ばれた青年は仄暗い笑みを浮かべる。
異物、と王が見た先には、黒髪に紫の目の男の子。何度も何度もループされ、一人異端とされ続けた少年であった。
この王は俗に言う世界征服を目論んでいる。もちろん、幸福な世界にそんな不穏な言葉は存在しない。王はその世界の人間ではなかった。ついでに言えば、サイも。
世界は一つではない。この黒い空間と、ループは同じ世界ではない。本当は世界なんて一つだけなのだが、王とサイは世界征服のために、世界を一つ、作り出したのだ。
試行錯誤の末に作られた世界。完璧に見えた世界の中にただ一つだけ、綻びが生じた。それが「痛み」を感じる少年だった。
「彼だけはどうしても塗り潰せませんからね」
「やはりそれは変わらぬか」
「はい、けれど、それなら染めてしまえばいい」
幸福から弾き飛ばされた少年を幸福の中に導く。──世界征服をするという割には、いいことをしているように見えるが。
王はくつくつと笑う。
「ふっ、そのまま飲まれて、我が手中に陥るがよい……サイ、見張りは任せたぞ」
「御意に」
王は満足げに、更に暗く深い方へと消える。サイだけが、画面の前に残り、幸福な世界を映し出すその画面をじっと見つめていた。監視を王から任されたから……だけにしては、複雑な表情をしていた。
憐れむような、慈しむような愛しむような。そんな眼差しで異端の少年を見つめていた。
「惑わされないで。本当の幸せはもっと先にあるんだよ、うみくん」
紡いだその名は誰のものなのか……サイの呟きを耳にした者はいないため、定かではない。
ただ、そこには哀愁と慈愛が漂っていた。まるで少年のことを以前から知っているような。知っていて巻き込んでいる申し訳なさのような。
……そんなサイを、王は暗闇の奥深くで眺めていた。王はサイを信用していないわけではない。ただ、王はあることを確かめたかったのだ。
そこに映る映像に音声はついていない。だが、どういう心地でサイがあの少年を眺めているのかはすぐにわかった。
フードの奥で、王は呟く。
まだ少年の面影を残した声で。
「サイ、やっぱりお前はとーるなのか……?」