花の隣に
花隣が外に出ると、昇降口の前で手持ちぶさたそうにデジカメをいじっている半澤がいた。……今、美好の次に顔を合わせたくない人物だった。
黙っていれば気づかれないだろうとたかを括っていたが、見通しが甘かった。
「あ、園崎さん」
声をかけられ、咄嗟に振り向いてしまった。振り向いてしまった以上、知らないふりをするというのは人間の風上にも置けない行為だ。少し話すことにした。……話したいことなんて、何もないのだが。
「こんにちは、さわくん」
「今日もいい天気だね」
「そうね」
他愛もない会話だ。だが、どうやって終わらせたらいいのかわからない。
ええと、と何も言えずにいると、半澤は花隣から目を離した。
「今日も、マリーゴールドの花が綺麗に咲いてるんだ」
「……そうなの」
「うん。花言葉は可哀想だけどね、きらきらしてて、とっても素敵な花なんだよ」
花隣はちら、と花壇を見た。マリーゴールド。オレンジと黄色の花が咲いている。春から夏に盛りの花だったと記憶している。花言葉は……今の花隣にぴったりだ。
絶望と嫉妬。美好に振られた絶望、そんな美好を花隣から引き剥がす半澤への嫉妬。
半澤は空を見上げながら言った。
「ひどいもんだよね、花言葉って。花は綺麗、それだけでいいのに、人間が勝手に花言葉っていう物語をつけたせいで、花によっては偏見を持たれている。……本当に、可哀想だよ」
「……そうね」
俯く花隣。何と答えたらいいのかわからない。ちら、と半澤を見ると、半澤は空を見上げていた。その様子は花隣に語りかけているというより、独白に近かった。
「僕はね、そんな花たちを『可哀想』なままで終わらせたくない。だからこうやって毎日、綺麗だね、可愛いね、っていうんだ」
子どもっぽいその発言に、花隣は思わず噴いてしまった。
「花に話しかけるなんて、今時幼稚園児でもやらないわよ」
「あ、園崎さん笑った」
そこではっとする。まさか、今の話は自分を笑わせるために? ……なんて思ったが、語る半澤の目は本気に見えた。
「見つけた」
空から斜めに目線を落として、半澤がシャッターを切る。フラッシュが瞬いた。花隣は咄嗟に何が起こったのかわからなかった。
「ふふ、やっぱり園崎さんは花の傍が似合うね。女の子は大抵そうだけど、園崎さんは、『花の隣に立つ』で『花隣』だもんね」
花隣はふい、と顔を背けた。
「振られた女を口説くなんて、いい度胸してるわね」
「あ、ばれた」
くすくすと笑う。冗談なのだろう。声が本気っぽくない。花隣も、半澤が女を口説くような柄じゃないことは重々承知していた。
半澤は天然だ。だから、花言葉の話も、ただなんとなく話しただけだろう。なんとなくにしては上手いことを言うのでなんとも言えない。
先日の真っ直ぐな告白だって、そうだ。自分勝手に思える行動も、半澤がやると、エゴを感じない。
「……写真、見せて」
「えっ」
「えいっ」
いつかもそうしたように、隙だらけな半澤の隙を衝き、花隣がデジカメを奪う。データを開いた。
そこに写るのは、花壇の傍で黄昏れる少女。目に突き刺さるような空の青と、草木の緑のコントラストが見事だ。
そこで遠い目をしながら、微かに笑んでいる少女。口元のほくろが印象的だ。だが、毎日鏡で見ているというのに、花隣にはそれが自分には見えなかった。自分がこんな哀愁溢れた表情をしているなんて、信じられなかった。
……何より、半澤の写真が、絵のように美しかったことに、敗北を感じた。
海道美好という少年は、感受性が豊かだ。花隣は花隣で感受性があると自負しているが、花隣にはそれを上回る矜持がある。いつからそんな信念を持ったのかもはや覚えていないけれど、花隣にとって「写真はありのままを写すもの、絵は心を写すもの」だった。それは感受性に制限をかけた。
いつのことだったか忘れたが、美好が白い菊の写真を見て、「すごいのがある」と花隣に声をかけてきたことがある。あのときの美好は終始興奮していた。
その白い菊の写真を見て、花隣はその存在感に圧倒された記憶がある。それが悔しくて悔しくて、口から零れた言葉が「何これ、絵みたい。気持ち悪い」だったはずだ。……その言葉が美好を傷つけたことも覚えている。あれは悲しい出来事だった。美好と花隣の感受性の違いを明確にした出来事とも言えるかもしれない。
以来、花隣は美好との間に壁を感じていた。感受性の違い。昔に拒絶されたこと。いつかみーくんは自分の絵を認めてくれなくなるかもしれないという恐怖。そんなものと、もう何年も戦ってきた。
そう振り返って、ふと気づく。もう、そんな恐れを抱く必要はなくなったのだ。
美好は花隣を嫌いじゃない、と言った。人間として、嫌いじゃないと。つまり、花隣が欲しい好きではないが、美好は花隣のことが好きで、見捨てることなんて、ありはしないのだ。今日の告白は、取りようによってはそう聞こえる。
涙が出そうだった。それを半澤に気づかされたことが、何より悔しかった。
「やっぱり、さわくんはひどいわ」
「えっ」
写真を勝手に見られた上に突然罵倒された半澤はたまったもんじゃない。だが、一切文句を言うことはなかった。それどころか、花隣から目を離した。
再び青い青い空を見上げる半澤に、花隣は言った。
「さわくん、写真を撮るのを、やめないでね」
「え」
「私にこんなことを言わせたんだから、絶対よ」
それからほんのり笑って、半澤は頷いた。
「……うん」
それから花隣は歩いて家に帰ることにした。父は呼べばすぐ来るだろうが、父に泣き顔は見せられない。まだ子離れできていないあの父のことだ。花隣の泣き顔なんて見た日には、誰が泣かせたと探してそいつを潰しかねない。
美好のことは、振られても好きだし、半澤も嫌いではなかった。大嫌いなんて言ってしまったけれど、あれは嫉妬から出た言葉だ。取り消すつもりもないが、半澤の写真は好きだし、あんな写真を撮れる半澤の感性は美好のそれと同じくらい好きだ。
「あー、振られちゃった。どうしよっか。別の男に鞍替えなんて、する気もないし、柄でもないし」
一人、呟きながら天を仰ぐ。
「あー、空が青いなぁ。目に染みる」
そんなことを言い訳にしながら、花隣は幾筋もの涙を流していた。
いつか見た、半澤の鉛筆絵を思い出す。モノクロなのに、空が青く見える、不思議な絵。
今なら、あの絵を素直に好きだと言えそうだ。
そう思いながら、帰途に着いた。坂道は長いし、夏のこの日差しだ。涙なんて、すぐに乾いてしまうだろう。
半澤は美好が出てくるのを待っていた。ただ、少し、カメラを操作していた。
「勿体ないけど、この写真をうみくんに見せるわけにはいかないなぁ」
半澤は花隣が泣いているのを見てしまったし、涙が流れていなくても、泣いているとわかる写真を撮ってしまった。それを美好に見せるのは憚られた。
美好と花隣。この取り合わせで何をしていたかなんて、問うのは愚問だろう。花隣も美好も、傷つけたくなかった。花隣が泣いていたことを知れば、美好は責任を感じるだろうし、花隣は自分の泣き顔なんて、見られたくないだろう。まあ、泣き顔を見られたくないというのは、花隣に限ったことではないだろうが。
いい写真が撮れたが、人を傷つける写真を取っておくほど、半澤は人間ができていないわけではない。
「削除っと」
花隣の儚い表情は、メモリーから削除された。
これでいいんだ、と思う。
「写真を撮るのを、やめないでね」
まさか、花隣からそう言われるとは思わなかった。不謹慎かもしれないが、嬉しかった。自分のことを大嫌いと言っていた人間が、好きな人が、少しでも自分を認めてくれたというのなら。
「やめないよ」
そう呟く頃、昇降口から美好が出てきた。




