チープではない感情
美好は受話器を持ち直した。
頭の中が真っ白になる。電話の向こうで花隣は一体、今、何と言っただろうか。
「すまん、もう一回言ってくれ」
「みーくん、好きだよ」
間髪入れず、先程と一言一句違わぬ言葉が返ってきた。美好は頭を抱えたい気分になった。──やはり、そう言ったのか。
「もちろん、友達として、じゃないよ」
とどめを刺された気分だった。聞きたくなかった。さすがにここまでくれば、聞かなくてもわかっていた。
幾度も幾度も美好と花隣の恋仲説は上がった。美好は否定し、花隣は面白そうに話を誇張していた。それが嫌で仕方なかった。だが、花隣はただ面白がっていたわけではない。恋愛感情を抱いているのは本当だから、否定しなかっただけだ。
そんなこと、少し考えればわかる。けれど、花隣が何も言ってこないからというのを盾に、美好は恋仲説を否定し続けてきた。美好の中には恋愛感情なんてなかったからだ。
幼なじみのことを次第に恋愛感情で好きになっていく。だが一方は鈍感で、幼なじみのことを家族のように好きと思っている、なんてよく恋愛漫画や小説にあるチープな話だ。ただ、海道美好と園崎花隣の間に美しい恋愛物語のようなハッピーエンドはない。相手の恋愛感情を知って、こちらも相手に惹かれるようになるなんて、ご都合主義な展開は存在しないのだ。美好にはそんなストーリーは当てはまらない。
当てはまらないからといって、「お前のことは好きでもなんでもない」とばっさり斬るほど美好も無情ではない。だからこそ今、返答に大変困っていた。
「あの、リン」
言葉が見つからないまま、とりあえず名前を呼んでみるが、花隣はその先を聞こうとはしなかった。
口早に言う。
「みーくん、お昼御飯の途中だって言ってたよね。ごめんね。急に連絡して。じゃあね」
「おい、リ」
呼び掛けようとした美好の声を遮るように、つー、つー、つー、と電話の切れた音が耳元で無機質に響いた。
美好は自分がどんな表情をしているのかわからなかった。とりあえず、食べかけのうどんにすぐ手をつける気にはならなかった。何も考えられない、考えたくない。花隣の放った好きだよ、という言葉がうわんうわんと頭の中に響いて止まない。恋愛感情として好きだよ。……何と答えたらよかったのだろうか。
呆然としていた美好は、母が帰ってきたことにも気づかなかった。母が、子機を持ったままの美好に、お母さんが使うから貸しなさい、というまでは、ずっと固まっていた。向かいに座っていた姉はいつの間にかいない。どんぶりは片付けられている。部屋にでも戻ったのだろう。
美好は自分のどんぶりを見下ろす。食べかけのうどんが残っている。それを今、どうやっても食べられる気がしなかった。けれど、捨てるのも勿体ない。落ち着くために、先程すだちを搾った冷水を飲んだ。からん、と氷が涼やかな音色を立てる。まるで、何事もなかったかのような日常の光景だ。電話を始めた母の声が小五月蝿く感じられた。難聴というわけでもないのだろうが、電話をするときの母は何故かいつもテンションが高い。まあ、よくある話だろう。
そんなことよりも美好が考えなければならないのは。
「みーくん、好きだよ」
自分にできることがあれば、と言って返ってきたのがそれである。つまり、花隣は何かしらの返答を望んでいるのだろうか。……告白に対して何のリアクションもしないというのも失礼だろうが。
頭が回らない。どうしようもないからと、美好は残りのうどんを無理矢理かっ込んだ。すだちの酸味が口の中でなんとなく苦味に変わった。普通に美味しかったはずなのに、何故。
それでもなんとか食べきり、美好は片付けに向かった。
花隣は受話器を置いて、ふう、と盛大な溜め息を吐く。無意識の癖なのか、口元のほくろに触れながら、呟いた。
「……言っちゃった」
美好が好きだということ。それが恋愛感情であることまで、はっきりと。振り返ると、随分と恥ずかしいことを言ってしまったものだ。まあ、後悔は先に立たないし、別に後悔しているわけでもない。言おうと思って言ったのだから、後悔する方がおかしいのだ。
固定電話から離れ、自分の部屋に戻る。そういえば、何故、固定電話からかけてしまったのだろう、と思う。服のポケットに手を入れれば、こつん、と固いものに触れる。携帯電話だ。携帯電話を使えば、もっとゆっくり、落ち着いて話をできたかもしれないのに。どうかしている、と思った。
だが、ちゃんと固定電話を選んだことにも理由はある。自分の退路を絶つためだ。携帯電話にしてしまうと、長々と話した割に、中身のない話で終わってしまうことがある。また今度、と逃げてしまう。いつでも自由にかけることができてしまうから。
ただ、美好もいい迷惑だったろうな、とは思う。いきなり電話をかけて、用件を言うなり答えも聞かずに切ったのだ。下手な詐欺より質が悪いかもしれない。
「……答えなんて、期待してないのよね」
確認するように紡ぐ。自分は美好に何と言ってほしいのだろう。……それは、愛の告白をしたのだから、受け入れてほしいに決まっている。けれど、半ば答えはわかっているような気がするのだ。
もしかしたら、電話を切ったのは逃げだったのかもしれない。自分に都合の悪い答えなんか聞きたくないという、実に自分勝手な理由。そりゃ、告白したからには振られたくない、というのは一般的な心理であるだろう。けれど、告白にどう答えるかは相手方が決める問題であって、自分の欲しい答えを押し付けていいようなものではないのだ。
それなのに、切ってしまった。怖かったのだ。振られるのが。ただそれだけの理由。当たり前の理由のようだけれど、重罪のような気がした。
でも、どうしたらよかったのだろう。告白には勇気がいるというのはよく聞く話だ。その勇気を振り絞って、あそこまで言った。言ったけれどあれは……所謂、言い逃げというやつに相当するのではないだろうか。だとしたら、自分はなんてひどいやつなのだろうか。
花隣は自室のベッドにぼふん、とダイブした。無駄に大きいベッドは無駄なまでの包容力を感じさせた。だが、そんなベッドの包容力も、今の花隣を慰めたりしない。ただただ心の傷がじくじくと病んでいくだけだ。
ぽつり、呟く。
「なんで、告白しちゃったんだろ……」
決意を胸に、告白に挑んだはずだった。だが、いざやってみると、やったことに意味があったのかすら疑問に思えてくる。
「さわくんのようにはいかないってことか……」
ぼんやり紡いだのは、先日告白してきた半澤のこと。花隣に振られたというのに、やけにすっきりした顔をしていた。大嫌いとまで言ったのに。
あれはたぶん、告白の見返りを本当に何も期待していなかったのだろう。答えはわかっている。彼はそう言っていた。
一方で、花隣はどうだろうか。答えを期待する気持ちが、まだ少し、残っていたのではないだろうか。……もしそうなら、今こんなにすっきりしない気持ちなのも合点がいく。
失敗したかな、と思っていると、携帯電話が震えた。ポケットから取り出す。電話ではない。メールだ。
ぼーっとした頭のまま開くと、それは美好からだった。
「明日、学校に行くのか」
花隣は少しもやもやとした気持ちになった。おそらく、美好らしくない言い回しだったからだろう。普段の美好なら、もっとはっきり言ってくる。「明日、学校で会おう」とか。けれど、遠回りしたい気持ちもわかったし、そうさせたのは自分だ。
花隣は短いメールに、短い返信を書いた。
「美術室にいるわ」




