新たなる人形
ふわり、と虚空の地面が光った。円陣の中に六芒星を模した形のものが浮かび上がってくる。何かの紋様だ。その中から光の塊が生まれる。それをフードを被ったサイが見つめていた。紋様からは風も吹き出て、サイのフードを揺らしている。だが、サイの赤い瞳がちらりと見えるだけで、サイの表情は窺えない。
サイの前にはキャンバスが立っていた。そこには一人の少女の姿が描かれていた。制服を着た少女。それがそのまま、光の塊の中から出てくる。口元のほくろが付け足されたようにちょん、と浮かび上がり、その少女は実体化した。
ゆるりと目を開いた少女はサイをまず見つめる。自然とサイの前に立つキャンバスに目がいき、苦々しい表情をした。
「……ここはどこかしら」
辺りを見回す。虚空は暗い。暗いというか、黒い。暗いわけではないのだろう。だが、光源があるわけでもない。にも拘らず、互いの姿が見えるというのは奇妙なものだ。
現れた少女の疑問に、サイはふ、と笑う。
「ボクが誰か、じゃないんだ」
すると、少女は少し不機嫌そうな眼差しをサイに向けた。それからじぃっと見る。
しばらく、サイの赤い瞳を見、それから観念したように溜め息を吐いた。
「残念、そういえば、あなたが誰かもさっぱりだわ。でも一つわかる。──あなたは私に関わりのある人でしょう」
「……まあ、それ以外ないからね」
サイは剽軽に肩を竦めてみせた。少女はさっさと説明しなさいよ、と言わんばかりの目でサイを見た。まあ、悪いことではない。呼び出したからには、サイとてやってほしいことがある。
サイは手を掲げ、虚空を示した。
「ここは虚空。もっと綿密に言うなら、ボクに与えられた広間。ボクは人形の間と呼んでいるよ」
「人形……」
「ここで人形を作り出すのさ。幸福なあの世界に住まう人形を」
「幸福なあの世界? 世界に人形が暮らしているの?」
「彼らは自分たちを人間だと言い張るよ。けれど、彼らはボクたちによって、『幸福である』と規定されて生きている。人形といっても、あながち間違いではないだろう?」
少女は少し唇を引き結んでから、シニカルに笑った。
「どんな世界に招かれたのかと思ったら、とんでもない世界に飛ばされたものね。私はそんなの嫌いよ」
力強い瞳でサイの語る世界を真っ向から否定する。だが、サイに堪えた様子はない。むしろ、予めそう言われるのがわかっていたかのようだ。
「変わらないな」
サイの小さな小さな呟きは、誰にも届かない。少女は首を傾げた。
それで? と先を促す。
「呼び出したからには、何か要求があるのでしょう? あなたが誰なのか、ここが何なのかはこの際どうでもいいわ。どうでもいいことにしてあげる。
私は待たされるのは嫌いなの。私を待たせていいのは、どの世界でもたった一人だけよ」
「それはわかっているよ。この話はそのあなたを待たせている人に関係がある、と言ったら、興味を持ってもらえるかな」
少女が眉をぴくりと跳ねさせる。
「あなた、なんでみーくんのこと知って──」
「残念ながら、長く話していられる時間はないんだ。世界がままならないことに王はご立腹でね。幸福なあの世界を完成させるために、アナタはここに招かれた。アナタはボクの人形となって、ボクの指示に従っていればいい」
少女がぐ、と踏み込む。
「なんですって? 私はそんな世界御免よ。さっきも言っ」
「アナタの意見は必要ない」
サイは筆を出す。少女はさっと身を引いた。言い様のない危機感が襲ったのだ。そんな雰囲気をサイが醸し出していた。
少女が黙ったところで、サイは淡々と告げる。
「幸福なあの世界を変えられるのは王の意志とボクの筆のみだよ。そしてボクは、王にしか従わない。アナタが幸福なあの世界が嫌だというのなら、王に直談判することだね。もっとも、アナタは王に会うこともできないだろう。何故なら──ボクがここで描き替えるから」
すらすらとサイは少女の絵の上に新たな絵を描いていく。少女は呆気に取られてそれを見ていた。
サイの筆に迷いはない。さして時を待たずに、その絵は完成する。キャンバスを返して、サイは少女にその絵を見せた。
少女が口元のほくろに手を当てて絶句する。
「うそ……その絵は……」
少女とよく似た凛とした雰囲気。茶髪を青いリボンでハーフアップにしている。勝ち気そうな緑の目が印象的だ。
「私だわ……」
少女がそう紡いだ瞬間、再び少女を光が覆う。その中から出てきたのは、サイが描いた通りの容姿の少女だ。ただ、先程の少女の雰囲気だけを残して、「幸福なあの世界」に馴染むような衣装になっている。
少女は現状を信じられないようでいた。唖然とした様子で、己の両手を見つめている。
「これは……」
「ボクの力だよ。ボクは絵に描いたものを具現化する能力を持っている。アナタの上にその容姿を重ねて描いて、元のアナタの容姿を消したから、今のアナタの姿はそうなった。そうしてね、ボクは生み出した人形に名前を与えることによって、その人形を幸福なあの世界へと送り込むことができる。つまり、今のアナタは立派なボクの人形ってわけだ」
「そんな」
サイが語った幸福な世界など、本当に幸福だとは思えなかった。誰かに操られて生きる世界なんて、自由がない。自由がない世界になんて、幸福なんか存在しないと彼女は思った。
──そんな世界に行かなければならないことに絶望した。
「あーあ、この世の終わりみたいな顔しちゃって。やだなー。世界はこれから始まるっていうのに」
「どの口が言う!?」
「海道美好」
サイが口に出した名前に少女はひゅっと息を飲み込んだ。サイはにやりと笑みを浮かべて訊ねる。
「これが今、アナタが一番助けたい人の名前だ。違うかい?」
──何もかも見抜かれている、と少女は唇を噛んで俯いた。髪がさらりと揺れるが、元より短い髪は首筋を覆うことはなく、寒気が抜けなかった。
「よかったね、アナタは選ばれたんだよ? その人を助けられるかもしれない世界の人形として」
少女はばっと顔を上げた。
「助ける? みーくんを?」
「そうさ」
サイは声をひそめ、少女に歩み寄る。その耳元に唇を寄せて告げた。
「彼だけは唯一、幸福なあの世界において、人形ではない人間。ボクらには操れない存在。故に彼は今、世界で一番不幸に晒されている。特に、幸福なあの世界では理解されない『痛み』という不幸にね」
「……幸福な世界には、痛みが存在しないと」
「他にも色々あるよ」
神、宗教、独裁、王国、戦争、喧嘩、怒り、悲しみ、憎しみ。サイは幸福な世界に存在しない言葉を次々と並べ立てる。それは少女のいた世界では当たり前に存在するものだ。
故に、少女は反論した。
「それらが全てない世界が幸福ですって? 冗談じゃないわ。それら全てがあるから、私たちは本当の幸福の意味をわかることができるのよ。幸福の反対がない世界は光の存在も肯定できない曖昧な世界だわ」
「だからこそ、彼が存在する。ボクらには塗り潰せない、世界の絶対的矛盾として、ね」
少女の目に怒りが灯る。
「みーくん一人に全部背負わせてるっていうの? だったら尚更、私はあんたたちに従う義理はないわ。私はみーくんを」
「救いたいんでしょう?」
サイの赤い目がひらりと炎のように揺らめく。少女は息を飲んだ。サイの言う通り、少女は彼を救いたい。
言ったはずだけどな、とサイは嘯く。
「これはアナタを待たせることができるその人に関係がある、と。つまりね、アナタがその人の命運を握ることになるんだ。一時的にだけどね」
「……どういう、こと?」
「ようやく話を聞く気になったようだね」
「さっさと話しなさい」
「おお、女の子は怖いねぇ」
再び肩を竦め、それから続けた。
「アナタ……いや、もうボクの配下のようなものだからキミ、かな? キミに与えられた役目は一つ。──幸福な世界から、彼を連れ出す鍵を届けに行くことだ」
「鍵……」
「それもボクの人形さ。それを持って、十五歳の彼の前に差し出せばいい」
「それで、みーくんがその世界から出れば」
「そう、彼は救われる」
一瞬喜んだ少女だが、ふと首を傾げる。
「何故、十五歳なの?」
その質問にサイは目を閉じ、少女の肩にぽん、と手を置いた。
「彼は十五歳から先に進めない。進んではいけない。その理由は、アナタにならわかるはずだ──園崎花隣さん」
呼ばれた名に、少女は目を見開き、立ち去るサイに声をかける。
「あなた、まさか」
「あとはもう人形の時間だよ、リエラ」
サイがそう囁くと、少女は一瞬にして虚空から消えた。
サイが虚空を見上げる。
「この世界に、キミはいらないんだよ、──」
人形の間からサイが去ると、そこは静けさに埋め尽くされた。




