ただ、写真が好きなだけ
美好と別れると、半澤の前には見慣れた数人が現れた。半澤はただ、冷めた目で彼らを見る。
それは嫌悪を含んだ冷めた目ではなく、冷静さに基づく冷めた目だった。
「……何の用ですか? 先輩」
写真部の先輩方だった。以前の半澤なら、すぐさま逃げていたことだろう。だが、今は真剣に向き合う。
どうせならこちらもけりをつけてしまおう、と半澤は思ったからだ。
花隣は半澤と出会ってから、美好は変わったという。けれど、それは半澤も同じなのだ。美好と触れ合うことによって、半澤も変わっていった。そう思っている。
美好とは人に話せない過去を話せるようになった。無意識に周りに引いていた線を、美好には引かなかった。写真を自分から見せられる相手になった。
今の半澤は美好という存在に支えられて生きている。以前、依存しているのかもしれない、と思ったが、全くその通りだ。半澤は美好という存在に依存している。美好なしでは生きていけない……なんて大袈裟なことは言わないが、今は花隣に嫌われるより、美好に嫌われることの方が数段怖い。それくらいの存在に美好はなっているのだ。
大袈裟に言えば、美好が傍にいてくれるなら、あとはどんなことだって怖くない、ということだ。写真部の先輩と相対することだって怖くない。
「半澤、入部の件、少しは考えてくれたか」
「いいえ」
きっぱり答える。やはり、中学時代のトラウマレベルの記憶があることからそう簡単に先輩方に心を許すことはできない。
「僕は正直、あなたたちと写真を撮るつもりはもうありません。それくらいのことをあなたたちはしていて、それでもってのうのうと僕を写真部に誘ってくるんですから、その神経が未だに信じられません」
そうか、と項垂れる先輩方。それを見、半澤は続ける。
「でも、僕が写真を好きなことは変わっていません。そして、あなたたちが写真を好きだという気持ちも、たぶんきっと、変わっていないのだと、僕はここ二ヶ月くらいで思いました」
写真を貶されたのは過去のこと。いつまでもうじうじと悩んでいても仕方がない。半澤も、一つのことで肚を括ったら、あとはなんとでもなるような気がした。
「僕は、変わらなくちゃいけないと思いました。僕が変われば、変わった未来で、もしかしたらまた、あなたたちと僕は楽しく写真を撮ることができるかもしれない。そう考えたら、なんだか、過去のことをいつまでも引きずっているのが馬鹿らしくなってきました」
「半澤、それはつまり」
半澤はにこりと笑った。
「写真部にはまだ入部は決めません。でも、試しにもう一度、あなたたちと一緒に写真を撮ってみたいな、とは考えています」
誰かと一緒に写真を撮って、それを楽しめたなら。なんだか半澤はもう、それでいいような気がするのだ。
写真を誰かと撮り合う、ということは、美好でいくらか慣れた。この夏休み、半澤は様々な身の周りのことに整理をつけていくつもりでいる。そのうちには花隣への告白はもちろんだが、写真部の先輩方との関係も含まれている。
そうして少し、すっきりしてしまいたいのだ。それがなんだか、この夏に与えられた課題のような気がしている。
先輩方と、試しに一緒に写真を撮ってみようという計画を立て、日取りを決める。それは半澤の誕生日になった。確か、美好と花隣もその日に来ることになっていたが、何か因果関係はあるのだろうか。
誕生日というのは、一つの区切りだ。新しい年齢になる自分。……新しいことに挑戦するのには、もしかしたらうってつけの日取りなのかもしれない。
誕生日に新しい道を切り開いて、進んでいく。なんだかどこか不安でありながら、わくわくしている自分もいる。
変われるかな、と思った。変われたなら、うみくんともう少し近くなれるかな、なんて思いもした。
うみくんが今日見せてくれた青春のような眩しい世界に、自分も入っていけるだろうか。
そんな淡い夢を抱いていた。
写真部の先輩のことは美好が知ったら、血相を変えて飛んでくるだろう。それではいけない。せっかく固めた半澤の意志が崩れてしまうというか、半澤が美好に甘えてしまう。それだと、何も変わらない。
美好は何度も助けてくれたし、これからも何度だって助けてくれるだろう。でも、それにおんぶにだっこでは半澤は人間として成長できないような気がするのだ。
半澤は美好と対等になりたかった。弱さを抱えたままの自分から、強い輝きを放つ美好のような存在に近づきたいと思ったのだ。
美好は半澤の憧れだ。自分と違って、強い。逞しいとも言える。そんな美好の有り様に、半澤は新たな決意を固めたのだ。一歩進むという決意を。
少しずつでいい。今は後ろ姿を見ているだけだが、いつか、肩を並べて立ちたい。そう思う。そこまで行ってこそ、半澤は美好とようやく親友になれるのだと思う。
誕生日、いつものように花壇に水やりに来ていた。その首にはネックストラップにデジカメがかかっている。
ふと、空を見上げた。今日も天気はよく、太陽が眩しい。植物たちもせっせせっせと光合成をしていることだろう。今日は絶好の光合成日和とも言える。
花たちののびのびと咲く姿を見て、ぱしゃり。日の光を浴びて、少し露を孕んだ花はきらきらとしていて美しい。花に息吹があるのなら、その息吹が溢れてきそうな綺麗な写真。半澤はそれに満足してにこりと微笑んだ。
やがて、写真部の先輩方がやってくる。花壇で花を写真に収める半澤に倣い、何枚か花の写真を撮った。
それから他愛もない話をした。花が綺麗だとか、どの花が今は盛りなのだとか。写真のことも話した。構図にどのように拘っているだとか、シャッターチャンスの見つけ方とか。
そういう話をしているうちに、半澤は気づいた。……この時間がとても楽しいということに。
いくら半澤の大事なカメラを壊した人たちだからって、その人たちが写真を全く大事にしていないわけではない。それぞれがそれぞれに写真が好きで、好きだから撮っている。それは半澤とさして変わりない理由だった。
それなら、特段、蟠りを感じることもなかった。半澤はこれまで、過去のことに囚われ続けてきていたけれど、そんな柵なんて、今考えると、馬鹿馬鹿しく思えるほどに簡単にほどけるもので……悩んでいたのはなんだったのだろう、と思う。
先輩方と写真を撮りまくった半澤は、なんだか清々しい気持ちになった。まるで、青く広がる空のように心地よい。自分は今まで何に悩んでいたのかと思えるほどに。
帰り際、半澤は先輩方に振り向き、告げる。
「入部の件、考えておきます」
半澤のその一言に先輩方が喜ばないわけがなかった。まだ入部すると断言はしていないのだが、ありがとう、ありがとう、と握手を求められた。
先輩方と別れ、帰路に着く。
今日という日の本番はこれからだ。花隣が来るのは何時かわからないが、花隣が今日来ることは確実だ。ドタキャンという可能性もあったが、バスケ部の練習試合のときに、話を聞いてくれると言った、あの言葉を半澤は信じている。
「……玉砕する覚悟かあ」
一人の帰り道に呟く。
告白前から振られているような今の状況。本来なら嘆き悲しむべきはずなのだろうが、不思議と悲しさは込み上げてこない。答えがわかりきっていて、それでもその答えをきちんと受け止めようと心積もりをしているからかもしれない。
振られに行くようなものなのに、半澤が家に向かう足取りは何故だか軽やかだった。




