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Unlimited Sky  作者: 九JACK
坂の上から
29/70

悔しさ

「わあっ」

 綺麗な放物線を描いてゴールに吸い込まれたボールを見、半澤が歓声を上げる。

「上手く撮れたかな……」

 ちょっとうきうきしながら、デジカメの保存画面を開く。

 画面には放物線の頂上手前で浮いているボール、ボールを放った直後の美好の手がそのままの形で残っている状態。今にもすとんと地面に降りそうな波打つユニフォーム。敵味方含め、あらゆる選手が唖然としている表情。欲を言えば、ボールがゴールに入る瞬間を撮りたかったが、これでも充分に臨場感がある。

 ひとまず、シャッターチャンスを逃さなかったことにほっとして胸を撫で下ろす。だが、直後、気づき、思わず飛び上がりそうになる。

「そ、園崎さん……」

 隣にいた花隣が頬が触れ合うくらい間近で半澤のカメラを覗き込んでいた。半澤はいつも通り、自己満足で写真を撮っていたため、誰かに見せるとか、誰かに見られるなんて、全く考えていなかった。よりによって、花隣に見られるなんて。

 画面を遠ざけようとすると、花隣に手首をがしっと掴まれた。半澤はひ弱なつもりはないが、自分が普通の男子より貧弱である自覚はある。にしたって、花隣の手の力は強かった。

「園崎さん、あの」

「写真、見せて。模写くらいすぐ終わるんだから」

「え……」

 有無を言わせない。半澤は困り顔のまま、花隣に捕まっていた。

 花隣の手元、スケッチブックはすぐに鉛筆の線が駆け抜けていく。コートの形。朧気な人影。バスケットゴール。ボールの位置を少し唸りながら悩んでいる。

 何よりきめ細やかに描かれていたのは、ボールを放った美好の姿だった。ボールを放った手の余韻、流れる汗、ふわりと風に靡く短い髪。拘っているのが伝わってくる。

 確かに、あっという間だった。階下では「かいとやったな」「本当に初心者かよ」「やべぇ鳥肌立った」などと言葉が交わされ、美好は仲間に労われ、肩をぽん、と叩かれていた。

 ベンチでは女子マネが「わあ、すごい。そのちゃんが惚れるのわかるかも」と呟いている。半澤も、純粋にすごいと思った。

 半澤はあまり運動をしない。一所懸命になるのは、写真を撮るときくらいだ。だから、こんなに動いてかっこいいものなんて、見たことがなかった。

 それと、隣の花隣の雰囲気がすごい。何がすごいって、もうなんだか声をかけられないくらいの集中力が全面に出ていて、夜叉でも取り憑いたのではないかというほどに真剣な表情だった。

 終わったも何も言われなかったが、半澤は画面を切り替え、労い合うバスケ部と美好の図を撮っていた。……花隣がスランプなのは半澤も知っている。それが今、こんなにも懸命に絵を描いている。半澤は写真という違いはあれど、スランプの辛さは知っている。こうしていい絵を見つけて描けるということが、花隣のスランプ脱出のきっかけになるのではないか、と思ったのだ。

 花隣は美好が好きで、美好を描くのが好きなのも、半澤は知っていた。だから、さっきの写真の模写で調子を取り戻しているのなら、美好の写真をたくさん撮って見せれば、花隣もスランプ脱出の糸口を見つけられるのではないかと……善意で撮っていた。

 それが花隣にとってどれほど辛いことかなんて、半澤にはわからなかった。花隣が本当は半澤の写真を認めていないなんてこと、知らなかった。言葉にしないのだからわからない。そんな擦れ違い。けれど、その擦れ違いも仕方のないことだっただろう。

 半澤の写真を貶すことは、美好が好きなものを否定することになる。花隣は美好の価値観や審美眼を否定したくはなかった。より性格に言うなら、美好の好きなものを否定したくなかった。好きな人の好きなものは同じように好きでありたい。至極真っ当な思考回路だろう。それゆえに花隣は辛かった。

 半澤の撮る写真は、美しい。ありのままの姿だけでなく、そこに写る魅力や魂のようなものまで写し撮っているのだ。さっきの写真にしたってそう。あそこには本物の躍動感があった。まだ、花隣では描き出せないほどのリアリティー、剥き出しの心が宿っていた。

 それは花隣が常日頃から唱えている主義と真っ向から反するものだ。「写真はありのままを写すもの、絵は心を写すもの」。半澤の写真は、花隣のその概念を覆してしまう。

 半澤の写真は全部そうだ。安直な言葉で言うなら「本物」だ。それで、みーくんを撮らないで、と言いたかった。自分が描けなかった美好を易々と写真に収めていく半澤。美好と知り合ってから半年も経っていない半澤。つまりこれは、何年も何年も一緒にいたというのに、美好に関して、花隣は完全に半澤に敗北を喫していることを示す。

 泣きたかった。けれど、ここで泣いてしまったら、完全に配本だ。それをまだ認めたくない自分がいる。

 悔しい。悔しくて堪らない。

 スランプで筆を紙につけることすらできなかった自分が、よりによって、半澤の写真を模写することで、筆を滑らかに滑らせているのだから。

 そうして描いているうちに、ハーフタイムになった。

「うみくん、すごかったね。スリーポイントシュート」

 花隣の横でまだ興奮冷め止まぬように半澤が振り向く。花隣は俯いて、そうね、と言った。

 そんな花隣の様子から何かを感じ取ったのか、半澤が外の空気を吸いに行こうと提案した。

 体育館はやはり熱気がこもっていたのか、外に出ると少し涼しかった。風が抜け、花隣はなんとなく空を見上げる。胸の透くような快晴の青空。なんだか涙が込み上げてきそうなのをく、と飲み込んだ。

「すごいよね、うみくんって。すぐ誰とでも打ち解けちゃう。コミュ力っていうの? すごいよね」

「……その」

 花隣はかねてより気になっていたことを口にする。

「その『うみくん』って呼び方は何? 最近呼び方変わったわよね」

「あ、これはね。せっかくだから僕も渾名で呼んでみたらってうみくんの方から言ってくれたんだ」

「……なんでうみくん?」

 その問いに半澤は宙を眺める。思い出しているのだろう。

「ほら、『海道』って『海の道』って書くじゃないですか。それに」

 半澤は花隣に笑顔を向けた。ちょうど今の空のような、胸の透く爽やかさを伴った笑み。彼が「さわくん」と呼ばれる所以のそれだ。

「海のように広い心を持ってるから、なんてベタかな」

 笑顔でさらりとそんなことを言う。花隣はなんとなく、負けたような気がした。

「さわくんって、何のてらいもなく、そんなこと言うのね」

「そうかな?」

 首を傾げる半澤に、花隣はぽつりとこぼす。

「私にはそんなことはできないわ。どれだけ本気で言っても、冗談だとか言われて、流されてしまうんだもの。こっちは一所懸命言ってるのに、わかってくれない」

 花隣の言うそれは、暗に美好のことを示していた。半澤はそれもわかっていた。

 それでも敢えて、反論した。

「本当にわかっていないかどうかなんて、本人に聞かないとわからないよ」

 思っていることなんて、本人にしかわからないのだから。至極当然の意見だ。

 花隣は悲しげな色を目に湛え、半澤を見る。

「聞くのが怖いのよ」

「僕だって怖いよ」

 間髪入れずに半澤が苦笑で返すと、なんだか、花隣は笑えてきた。

 からからと青く青い空を見上げて笑った。

「同じなのね」

「そうだよ」

 そっか、と今度は目を伏せた。

「でも、怖くても、いつかは確認しなきゃいけないことだと、僕は思うな」

 その半澤の言葉が胸に突き刺さった。

 いつかは向き合わなくてはならない。……美好への、この想いも。

 考えて、胸が苦しくなった。

 どうやって、伝えたらいいのだろう。

 花隣に悩む暇を与えず、ハーフタイムが終わった。



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