見舞いと表情
半澤の家はクリーム色の壁に黒い屋根の一軒家だった。花隣がその前で訝しげな目を向けた。
「新田ってなってるけど」
「うん、僕がお世話になってる家」
さらりと返された言葉に却って言葉を失う花隣。お世話になっている家とはどういうことだろうか。
半澤がきっぱりと説明する。
「僕、お父さんもお母さんも死んじゃって。それからずっと遠戚の新田さんにお世話になってるの」
「あ……ごめんなさい」
無神経なことを聞いてしまった、と花隣は反省する。半澤は全く気にした様子もなく、いいよ、と言った。
「ただいま」
「あ、お邪魔します」
半澤の後に続いて、花隣も入っていく。美好以外の男子の家に入るのは初めてだった。明るい雰囲気の家だ。奥からぱたぱたと誰か出てくる。
それは若々しい美人な奥さんだった。半澤が微笑みかける。
「ただいま、佳代さん」
「おかえりなさい、通くん。後ろの子は……」
佳代と呼ばれた人物と目が合って、なんとなく慌てる。半澤が笑みを絶やさず、紹介した。
「同じクラスの園崎花隣さん。帰って早速悪いんだけど、僕、今から園崎さんと出かけてくるから」
半澤が言うと、佳代が狐につままれたような顔をした後、にこりと笑った。
「あらあら、デートかしら」
「違うよ。海道くん家にお見舞い」
花隣は一瞬どきりとしたが、半澤はなんでもないように切り返す。
花隣はわりと自分が好かれているのを知っている。だから、口には出さないが、美好が好きですよアピールをして、何人もの男子を諦めさせてきた。
てっきり半澤もそういう感じなのかと思ったが、思い上がりだったか、と思いながら、たたた、と二階に駆け上がっていった半澤の背中を見ていた。背中は背中でも、やはり美好のものとは違う。半澤の背中には、何か影があるような気がする。
と、半ば呆けているところへ、佳代が話しかけてきた。
「まさか通くんがガールフレンドを作っているなんてね」
「いえ、私はそんなんじゃ……」
いや、言葉そのままに女の子の友達という意味ならば間違っていないが。
「通くん、高校に入ってから、なんだか変わったわ。海道くんがお友達になったっていうのもあるだろうけど、ひょっとして、あなたが友達になってくれたからかもしれないわね」
「そうですかね」
花隣から見ると、花隣が半澤に影響を与えたなんてとんでもない。影響を与えているとしたら、美好の方だろう。
「それにしても、海道くんのお見舞いとは、穏やかではない話ね」
「なんか、今日大怪我したみたいで」
「あらあら、大丈夫なの?」
「学校早退してました。みーく……海道くんって、よく転ぶんですよ」
すると、佳代はくすくす笑った。
「やんちゃなのね。そういえば、こないだ来たときもまた転んだって言ってたかしら?」
なんとなく、美好の話題になり、花隣もくすりと笑った。
そうして談笑していると、程なくして、半澤が降りてきた。
その首からはネックストラップが伸びており、先にはデジカメが吊り下げられていた。
「カメラを取りに行ってたんだ」
「海道くん、写真好きみたいだから、これで元気になってくれたら嬉しいかなって」
花隣はその一言に何故だかひどく動揺した。美好が写真好きなのを知らなかったわけではない。姉に対抗心を燃やして撮りまくっているのは知っていた。これしきでむきになるんだからよしはまだまだ子どもなんだよ、と美好の姉がこぼしていたのを思い出す。
それから、半澤の撮る写真を思い出して、少し切ない気持ちになった。……きっと美好は、半澤の写真は好きだろうから。
「じゃ、行ってきます」
半澤がさりげなく花隣をエスコートして外に出る。花隣が驚いていると、佳代が微笑ましげに手を振っていた。
それから、半澤とスーパーに行き、お見舞いの品を買った。ゼリーをいくつか。そう改まったものではない。改まったものにすると、なんとなく仏壇をイメージしてしまい、縁起が悪いような気がしたからだ。
坂を上りながら、半澤と話す。
「さわくんは、みーくんとどうやって知り合ったの?」
「ええと……」
半澤が苦笑いして答える。
「海道くんは、四月に花壇の上に転んで……水やりをしてた僕がそれに気づいて……だったかな」
「へぇ」
なんだか目に浮かぶ。
「あの日、写真撮りすぎて、海道くんに怒られたっけなぁ」
「目に浮かぶ」
くつくつと笑っていると、美好の家に着いた。
「ごめんください」
「あら、花隣ちゃんに半澤くん。いらっしゃい」
出てきたのは美好の母だった。美好は眠っている。美好の母は夕御飯の支度をしていたところのようだ。そそっかしいところのある母の手伝いをしないということは、やはり、美好は相当疲れているらしい。
「お忙しいところ、お邪魔してすみません」
「いえいえ、今お茶を出しますからね」
美好の母の動きはどこかそそっかしくて、なんというか、見ていて危なっかしい感じがする。もちろん、口には出さないが。
花隣がこっそり半澤に言う。
「みーくんの部屋、覗いちゃいましょ」
「えっ、そんな、寝てるのに悪いよ」
「寝てる方が悪いのだー」
暴論である。
花隣に引っ張られるままに半澤もついていく。終始、大丈夫かなぁ、と口にしていたが、結局、部屋に着くまで歩みを止めることはなかった。
「お邪魔しまーす……」
声をひそめて部屋に侵入する二人。美好の母が言っていた通り、美好はぐっすり眠っている。
「寝てるね」
半澤が顔を向けると、花隣は非常に悪い顔をしてペンを握っていた。
「ふふふ、寝顔デッサンしてやる」
なんと。それが目的だったのか。
……ではなく。
「駄目だって、寝てるんだから」
すると花隣は開き直って言う。ちょん、と半澤のデジカメをつついた。
「そう固いこと言わずに。さわくんも寝顔撮っちゃえばいいじゃん」
「えぇっ?」
だが、花隣のその誘いは大いに半澤の興味をそそったようで、半澤はカメラと美好の寝顔を見比べ、観念したようにレンズを出す。
にひひ、と花隣が笑う横で、半澤が控えめな声で言った。
「見つけた」
ぱしゃり。
もちろん、フラッシュは焚いていない。ただ、花隣はその一瞬を見てしまった。
どくりと心臓が高鳴ったのがわかった。少し目を奪われていたかもしれない。
写真を撮るときの半澤は見るものを惹き付けるほど幸せそうに、鮮やかに笑うのだ。
花隣は納得した。美好が半澤に惹かれる理由に。これは反則だ。こんな顔を見せられたのでは、惹かれるなという方が難しい。
ずるいよ、さわくん、と口の中でだけ呟いた。手の中では徐々に美好の寝顔が描き出されていく。けれど、どれだけ上手く描いてもきっと、半澤の写真には敵わないのだろうと思った。
それから、何事もなかったかのように茶の間に戻り、お茶を頂いて、二人は帰途に着いた。
海道家から出て、花隣はふと呟く。
「やっぱり、さわくんはライバルだよ」
「えっ」
む、と唇を尖らせて、花隣は続けた。
「さわくんが、あんな写真の撮り方するんだもん。あれじゃ、私が敵うわけないじゃん」
「そんなこと」
「ないんだったら、さっきの写真見せてよ」
そこで半澤は言葉を詰まらせる。
半澤は中学での一件以来、人に見せるための写真を撮っていない。美好という例外はいるが、自分の撮った写真を見せたくないのだ。
だが、まごついていると、その隙に花隣にカメラを奪われる。あ、と半澤が声を上げる頃には、花隣は最新データを見ていた。
健やかな寝息が今にも聞こえてきそうな長閑な顔。何を夢見ているのだろうか、とつい気になってしまうような写真だ。
花隣は愛しげに画面を撫で、それから半澤にカメラを返した。
やっぱり敵わないな、と痛感した。
「……写真、上手いね」
それだけ口にして、花隣はまた明日、と言った。
……明日、合わせる顔があるだろうか、と思いながら。




