ライバル
半澤はホームルームが終わり、のんびりと帰り支度をしていた。そこに一人の女子生徒が仁王立ちしていた。半澤は驚いて、教科書類を取り落とすところだった。
「ど、どうしたの? 園崎さん」
「さわくん、話があるの」
いきなり言われても、半澤の頭がついていけない。女子がきゃあきゃあと騒ぐ中、半澤は花隣に手を引かれ、廊下に連行された。
思い当たる節はないが気まずい。何を言われるのだろうか、と思っていると、それは唐突に切り出された。
「ノートに描かれてたあれ」
一番切り出されたくない話題だった。半澤は身を固くする。
花隣はかまわず、問い詰める。
「みーくんとさわくんと私だよね?」
まさか、と呟きたい気分だった。ばれたくなかったのに、こんなにあっさりばれてしまうとは。しらばっくれるという手もあったが、花隣の力強い瞳から逃げることなどできなかった。
「……なんでわかったの?」
「容姿は全然違うけど、雰囲気がものすごく出てたから」
ぐうの音も出ないのだが。
雰囲気で読み取ったと言われると尚のこと否定しづらい。確かに、雰囲気は似せるようにしていたから。
「それで、本題なんだけど」
本題じゃなかったのか、とそこで思いながら、花隣の言葉を待つ。
「私、本格的にさわくんのことライバルと思うことにしたからよろしく」
「……よろしくと言われましても」
弱々しく呟き、見上げるが、花隣の顔は見るからに不機嫌だ。顔に不機嫌と書いてあると言っても間違いではないだろう。
「ご、ごめん、ああいう絵、控えるから……」
「控えなくていいわ。その方が燃えるもの」
思っていたのと違う言葉が飛んできて、半澤は目をぱちくりとさせる。
花隣は半澤の前で拳をぐ、と握りしめ、宣言した。
「私、絵でもさわくんに負けたりしないから。絶対にさわくんが描いたのよりいい絵を描いてみせるんだからね」
「は、はあ……」
半澤はしばらくぽかんとしたあと、気づく。
「……あの、まさか、絵のライバルってこと……?」
「それ以外に何があるっていうの?」
あっけらかんとお嬢様は言うが。
「ちょ、僕が園崎さんの絵のライバルだなんて畏れ多いよ! 絵はなんとなく描いているだけで、そんな、落書きみたいなのでライバル視されるなんて、とんでもない」
すると、花隣の目付きが更に悪くなっていく。
「あれで落書きですって? じゃあ、本気で描いたらどうなるのかしら」
「そういう問題ではないと思う」
必死に言い返す半澤に、花隣は溜め息に乗せてある言葉を口にした。
「空」
「えっ」
不意に呟かれたそれを、半澤は記憶と照合していく。……半澤が最近描いた空の絵といえば……あれは自由帳に描いたのだったか。
「まさか、あの鉛筆絵を見たの?」
見上げると、静かに頷きが返ってくる。キャラクターを見抜かれたときより肝の冷える思いがした。
花隣は目を合わせずに、遠くを見る。
「鉛筆一本で、あれくらいものに色彩を持たせられる絵なんて、ライバル以外の何だと思えばいいの?」
やはり、半澤が描いた風景画に空の青を感じたらしい。その表情は悔しげだった。
「私には絵の才能があるって、昔からちやほやされてきた。それにくっついて賞だって採ってきた。だから、実力はあるって自負だってあったのよ。それなのに、あんな絵を見せつけられたら……悔しいに決まってるじゃない」
悔しい。絵において頂点に近いところまで上り詰めている人物がそういうなんて。それが自分の絵に対しての評価だなんて。半澤は信じられない思いで聞いていた。
沈黙が数秒、廊下を支配した。
その救いになるのかわからないまま、半澤は言葉を次ぐ。
「僕と園崎さんが描く絵なんて、全然ジャンルが違うよ。僕をライバルだなんて、ちょっとおかしいよ。それに、ちゃんと絵を描いてる人に失礼だよ」
半澤のは気紛れで描いたような代物だ。部活にまで入って、本気で描いている人を差し置いて、人様に評価されるような代物ではない。
だが、花隣は納得せず、首を横に振った。
「あなたの感性は本物よ。認めてとは言わないけど、警戒しているっていうのはちゃんと覚えていてほしいな」
警戒、か、と半澤は口の中で呟く。とても悲しい一言だった。
半澤は花隣のことが好きだ。そのことはもちろん言えていないが、花隣にもし告白したとして、振られるのは目に見えている。何より、半澤は花隣に敵視されているのだ。それを好きになれという方が難しいだろう。
けれどもやはり、面と向かって敵対発言をされるのは嫌だ。まあ、花隣は半澤の気持ちなど、知りようもないのだけれど。
気が重い。友達になったっていうのに、美好と逆に花隣とは仲が悪くなっていっているような気がする。半澤の思い込みかもしれないが。どんどん遠くなっているような気がする。
「今日はそれだけだから。それじゃ」
「……うん」
花隣の言葉に頷くしかできない。
「……はーあ、今日も空が青いなあ」
夏に向けて、嫌になるくらい天候がよくなってきている。気温は高いはずだが、半澤はカーディガンを脱ごうとはしない。
今日は帰って手首を切り裂いてしまおうか。美好に相談できる内容でもない。
大半が美好に起因するところのある話題だ。半澤としては何も美好のせいにはしたくなかった。美好は恋愛感情に鈍いところがあるがそれは美好の気質で否定するべき点ではない。何より半澤が美好を否定したくなかった。
半澤は溜め息を吐く。厄介なことになったな、と。もしかしたら、運命の女神さまにとことん嫌われているのかもしれない。
「……まあ、神様なんて、いないのだろうけれど」
半澤は天を仰ぐ。少し歩くとバルコニーがあるので、そこに出た。夏を想起させる胸の透くような青い空。やはり目に染みる。太陽光にブルーライトは含まれているんだったか、と下らないことを考えた。
それから、生きることと死ぬことについて考えた。どちらも難しいと思う。思い通りになる人生なんて、存在しないのだろうが、それでもここまでままならないと何か因縁を感じる。
……嫌われることに半澤は慣れている。中学時代の先輩にも結局のところ嫌われていたからあんなことになったのだし、花隣にもあからさまに嫌われている。今日は堂々と敵対宣言をされた。傷つくには充分である。ただ、それ自体は痛くない。
痛いのはこのところ、美好を思うときである。美好のことは好きだ。友人として。深い意味はない。ただ、その距離感が花隣に不快感を与えているのだろうと考えると悲しくなる。花隣は美好のことが好きだから、何気なく傍にいる半澤のことを好ましく思っていないだろう。……友達になろうと言い出してきたのはあちらからなので、真意はいまいち読めない。
本当に自分たちはただ友達でいられるのだろうか、と青い空に一筋できていく飛行機雲を見ながら思う。近々雨が降るのだろう。今日の飛行機雲は長い。
早く帰ってしまおう、と出口に向かうと、美好がそこに立っていた。
「よ」
「海道くん」
美好も帰宅部だ。ただ彼にはほぼ毎日、花隣の絵のモデルになるという任務があったはずだが。
「園崎さんは……」
「リンなら、今日は風景画を描くって息巻いてたよ。だから今日は俺はお呼びでないんだと。風景画なんて、どういう心境の変化かねぇ」
剽軽に肩を竦める美好をよそに、半澤は目を伏せた。
花隣が風景画を描く理由が半澤にはわかったから。花隣は半澤の絵に対抗心を燃やしているのだ。きっと今、本気でキャンバスに向き合っていることだろう。
そんなことなどつゆほども知らない美好は半澤に朗らかに声をかける。
「もしよければ今日もうちに来ねぇか?」
半澤はその言葉に儚げに微笑んで首を振った。
「僕は、用事があるから」




