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ドラゴンフライ  作者: マサラ
最終章 最終幕 分岐決戦編②
282/284

第二百八十一話 任務完了



 前回までのあらすじ



 自ら放ったアトロピンがキッカケで大幅に強化したモナルカを前に圧倒されてしまう竜司。


 最終的に上空で生じた空間の歪みの反発力によりガレアと分離し、落下。

 気を失う。


 あわやそのまま地表に激突して絶命かと思われたが、翼竜の姿に戻った暮葉に救われる。


 そこに突然入って来るダイナの帰還の令。

 はぐれたガレアの現状も教えると言う事で大人しく帰還する竜司。


 戻って来た竜司はダイナからガレアは存命。

 だが水晶の塊に変化している事を知る。


 竜司の当面の目的はガレア捜索に切り替わる。

 が、完全に水晶の塊になっているガレアは全方位(オールレンジ)に検知されない。


 それ以前に使役している竜とはぐれた事で魔力の補給が出来ない。

 残存魔力が枯渇するとそこに居るのはただの十四歳。


 モナルカと対峙しても一瞬で殺されるだけ。


 どうしたものかと思案していた所。

 ダイナから予想だにしない言葉を投げかけて来た。


 暮葉と結婚しろ。

 突然の言葉に戸惑う竜司だったが理由を聞いて納得し、暮葉との結婚を承諾する。


 場所は警視庁の地下駐車場。

 参列者は母親である(すめらぎ)十七(とうな)のみ。


 簡易的に作られたコントのセットの様な祭壇を前に竜司は暮葉に永遠の愛を誓う。

 そして等身大の覚悟と等身大の想いを胸に暮葉と純粋で自然なキスを交わす。


 こうして晴れて夫婦となった二人はガレアの捜索に取り掛かる。

 手始めに訪れたのは茨田(まんだ)咲人(さきひと)の元。


 甲府市の報告も兼ねて相談しに向かう。

 話を聞いた咲人(さきひと)は一人うってつけの人材がいると言う。


 その人物の名は銭寿(ぜにことぶき)首賭(くびかけ)

 森羅万賭(しんらばんと)を信条とする生粋のギャンブル狂。


 何故こんな人物が特隊にいるのか?

 いや、それ以前に何故警察官なのかはなはだ不思議ではある。


 しかし所有スキルは披瀝発掘(ダウジング)

 今の竜司にはうってつけの性能を持っている。


 持ち掛けられたギャンブルを逆手に取り、上手く銭寿(ぜにことぶき)を口説き落とす事に成功。


 甲府市に向かう銭寿(ぜにことぶき)と竜司達。

 現場に辿り着いた銭寿(ぜにことぶき)は早速披瀝発掘(ダウジング)を発動。


 珍妙な条件を持つこのスキルだが性能は高い。

 ものの十数分程で見つけ出したと言う。


 方角は南東。

 その方向にガレアがいる。


 一方その頃、警視庁の対策本部でも動きがある。

 ようやく待ち望んでいた連絡が入って来た。


 届いたメール。

 件名も何も無いそのメールにはただ一言、こう記されていた。


 来い。


 送信元とこの二文字で咲人(さきひと)は察する。

 依頼していた毒の生成が完了したのだと。


 そもそも竜司達一行が甲府市でモナルカと一戦交えていたのは何故か?

 それは時間稼ぎの為。


 毒の完成までの時間稼ぎ。


 竜司達が死ぬ気で稼いだ四日と言うアドバンテージ。

 これが思っていた以上に功を奏し、毒の完成まで漕ぎ着けた。


 この毒が果たしてモナルカを殺しうる必殺の毒と成り得るのか?

 それはまだ解らない。


 ましてや今のモナルカは強化され、スペックを大幅に向上させている。

 超人を超えた峻人(しゅんじん)と化したモナルカに通じるのか?


 考えれば不安は尽きない。

 しかし沸き上がる不安は強引に押し殺し、咲人(さきひと)は自身の竜と共に向かう。


 千葉県は柏市。

 科学警察研究所。


 通称科警研へ。



 ###

 ###



 警視庁 中部魔力漏洩事件対策本部。



 メール確認した咲人(さきひと)

 すぐさま脇の別室へ向かう。


 薄暗い中に長机。

 その上で突っ伏している大柄の男。


 咲人(さきひと)は男の肩を揺さぶる。


「すいません、瀧巡査長。

 起きて下さい」


 ガバッ


 即座に身体が持ち上がる。


咲人(さきひと)さん、どうかしましたか?」


 寝起きとは思えない程、ハッキリと応答する。

 この男は瀧龍一巡査長。


 特隊員でスキル共有思念(シェアードソーツ)を駆使し、竜司や(げん)、各特隊員と情報共有。

 今作戦の情報伝達を一手に引き受けている。


 B.G(ベーゼゲワルト)も壊滅し、奈落(アビッソ)からの竜落下も落ち着いた為、仮眠を取っていたのだ。


「お疲れの所、すいません。

 少々席を外しますのでその間、本部の指揮を任せます。

 判断に迷う事があればPCの隊長のファイルを見て下さい」


「それは構いませんが一体どちらへ?」


「科警研です」


「……と言う事は完成したんですか?」


「はい。

 ……どうやら()は大人しく作ってくれた様です」


「使役している竜が傍にいないと言っても気を付けて下さいね」


「解ってます。

 では留守は宜しくお願いします」


「了解しました」


 咲人(さきひと)は別室を後にする。


「さて……

 バヌウ(あいつ)は何処に行った……?」


 バヌウとは咲人(さきひと)の使役している竜の事である。

 本名はバッソ・ヌ・ウーレンウィーバ―。


 種別は陸竜。

 種族は地竜。


 常に傍らで竜が侍っているのが竜河岸と言うものではあるがバヌウと咲人(さきひと)に関しては、その実では無い。


 基本この二体は別行動が常。

 有事の際にしか二人で行動しない。


 が、だからと言って二者の間に絆が無い訳では無い。


 バヌウは咲人(さきひと)の事を優秀な人間として信頼しているし、咲人(さきひと)もバヌウの力は自身の能力に適している考えている。


 互いが互いを信頼している。

 だからこその別行動。


 もちろん咲人(さきひと)はバヌウが何処に行ったか(あたり)を付けている。


 おそらく格技場か仮眠室。

 そのいずれかにいると考えていた。


 この二点に共通している事。

 それはどちらも和室と言う点。


 そう、バヌウの好きなものは畳。

 厳密にはい草の香りをこよなく愛する竜なのだ。


 畳は湿気を吸いやすくカビや嫌な臭いの原因となる。

 従ってあまり使われていない場所の方がよりバヌウに適していると考える。


 結果、咲人(さきひと)が選んだのは格技場。


 格技場は最近使ったのは父親であり警視総監である銀司と(げん)が組手を行ったぐらいしか聞いていない。


 今は救援物資の物置になっている。


 物資を取りに行くぐらいしか使われない為、静かに畳の香りを嗅ぐ事が出来るのだ。



 警視庁 格技場。



 ガチャ


 格技場の扉を開ける咲人(さきひと)


 何処か確信めいた動き。

 まるで親友の家の扉をノックもせず入る様な。


 中に入るとうず高く積まれた段ボールの前に寝そべる茶鼠色の()()

 バヌウである。


 物体と称した理由は全く動かないからであるが、動かない事が気にならない程、奇妙な体勢で寝そべっている。


 首から下は両手両足を広げ、ピッタリと畳に接地。

 ちょうど虎皮の敷物の様な体勢。


 畳が好きと言うならこの体勢になるのは解らなくは無い。

 しかし……


 しかしだ。

 それよりも首から上。


 そこが問題。


 下顎が()()()()()()()()

 つまり頭部が下を向いているのだ。


 これは人間で言うなら360度首が回転しないと不可能な体勢。

 よく見ると首が捩じれているのが解る。


 そう、バヌウは首を360度回す事が出来るのだ。

 これがバヌウのい草の香りを嗅ぐ体勢。


 鼻孔をより畳に近付ける事でい草の匂いを存分に堪能でき、且つ寝そべると言う二つの希望を実現させたいわば至高の体勢。


 シュプリームポジションと呼ぶべき体勢なのだ。


「バヌウ、出掛けるぞ」


 だが、そんな珍妙な体勢になってる事を意にも介せず話しかける咲人(さきひと)


 ギュルッッ!


 同時にネジれていた首が回転。

 生物としてまともな体勢に戻る。


 だが、まだ寝そべったまま。


 ズズ……


 畳に接地したまま引き摺る様に首を動かす。


【サキじゃん。

 何処に行くじゃん?】


「科警研だ。

 亜空間を頼む」


【科警研……

 って事はサキが言ってた毒が出来たんじゃん?】


「そうだ。

 だから早く起き上がれ」


【解ったじゃん】


 ギュオッ!


 のそりと起き上がるバヌウはすぐに亜空間を開く。

 その先は千葉県柏市。


 科学警察研究所。


 バヌウに跨り、亜空間の中へ。

 出口を抜けるとそこは白く大きな建物が三棟並んでいる施設の前。


 これが科学警察研究所である。



 科学警察研究所 特殊実験棟D棟。



 咲人(さきひと)が辿り着いたのは地下一階。

 目指す先は奥の部屋。


 最近使われていなくもっぱら実験動物の飼育部屋と化している動物実験室。

 咲人(さきひと)を載せてのっしのしと通路を歩くバヌウの先に見えるのは……


 奇妙な壁。


 いや、その奇妙な壁は直立している様なものではなく床が急勾配を付けて盛り上がっていた。


 壁と言うよりかは歪に唐突に盛り上がった床。

 その歪な床はまるで蜂に刺された腫部の様に天井まで届き、道を塞いでいる。


 盛り上がった床の前でバヌウ停止。

 おもむろに竜の上から降りる咲人(さきひと)


 ゆっくりと構える。


「フーーッ…………

 三式……

 ウェザビー・マークV・ライフル……」


 大きく息を吐き、呟いた言葉は銃種。

 咲人(さきひと)の愛用しているライフル。


 集中しているのだ。


 体内では連爆が開始。

 内包魔力が練られ力を蓄え始める。


 これは拳銃拳のモーション。


 ■拳銃拳


 咲人(さきひと)の父親である茨田(まんだ)銀司により考案された対竜決戦格闘技。

 体内で魔力を連鎖爆発させ力を増大させる独特の手法を用いる。

 第一式から第四式までの型分けがあり、威力は魔力注入(インジェクト)を遥かに凌駕する。

 だが習得、運用には命の危険を伴い、現在使えるのは鮫島(げん)茨田(まんだ)咲人(さきひと)の二名のみ。


「……Raufoss Mk211……」


 続いて呟くのは弾種。

 NATO弾用の多目的弾頭である。


 ■Raufoss Mk211


 ノルウェーのNAMMO社が開発した12.77×99mmの多目的弾頭。

 徹甲弾と炸裂弾、焼夷弾の三つの機能を持ったHEIAPの一種。

 タングステンの弾芯によって高い装甲貫通力を持ち、貫通後に内臓した爆薬が炸裂し被害を拡大させる。

 その威力からバレットM82の狙撃用としても使用される。


 左腕を真っすぐ伸ばし、人差し指を標的である盛り上がった床に向けている。


 添えられた右腕は浅く曲がり、まるで本物のライフルのグリップを持っている様にも見える。


 が、あくまでも弾種や銃種はイメージ。

 実弾や実銃では無い。


 拳銃拳は格闘技であるが故、攻撃手法は拳。

 パンチとなる。


 咲人(さきひと)のフォームは種類で言うとショートストレートに近い構え。


「……手動装填……

 発砲準備…………

 ……雷管着火……」


 体内で連爆を繰り返し、増大した力は咲人(さきひと)の右拳へと集束。


「発砲ォォォォォォォォォッッッ!」


 咲人(さきひと)の叫びと共に前へ放たれる右拳。


 ドキュゥゥゥゥゥゥゥンッッ!


 電子音の様な発射音と共に右拳から超速射出される青白い魔力弾。


 ドカァァァァッァァァァァンッッッ!


 前の盛り上がった床に炸裂し、爆発。

 狭い地下の通路を猛烈な砂塵が呑み込んで行く。


 科警研の地下は普段は普通に使用される為、通気経路はしっかりしている。

 立ち込める砂塵はすぐに晴れて行った。


 さっきまで咲人(さきひと)達の目の前にあった腫物の様な歪な床は跡形も無く消し飛び、後には建物の基礎である地面が剥き出しになっている。


 これが咲人(さきひと)の三式拳銃拳。

 三式は拳銃拳の中でも最大威力を誇る型。


 それは各々のイメージする銃種、弾種の組み合わせによるもの。


 銀司のS&WスミスアンドウェッソンM29と44マグナム弾。

 (げん)のパイファーツェリスカと.600NE弾。


 それぞれ一番威力が出る組み合わせとしてチョイスしているのだが、咲人(さきひと)の三式は違う。


 咲人(さきひと)の三式は二種存在する。

 銃種は同じウェザビーなのだが弾種を状況によって使い分けているのだ。


 精度重視の.460ウェザビー・マグナムと今回放った威力重視のRaufoss Mk211と。


 ことイメージが物を言う魔力技術で最大威力を持つ技を二つ持つと言う事は愚行に等しい。


 何故なら二つある時点で最大と言う言葉に矛盾が生じるからである。

 が、咲人(さきひと)の考え方は違う。


 最大威力を出せるのは状況によって違うものでは無いのか。

 ならば複数持っていた方が効率的に立ち回れるのではないか。


 こう言う認識、考え方。


 確かに最大威力をイメージすると言う観点で言うと咲人(さきひと)のやり方は間違いなのかも知れないが別の視点で見るとより柔軟な考え方とも言える。


 これも魔力を扱う上で重要なファクター。


 現に威力は御覧の通り。

 盛り上がった床をまるまる粉微塵にする程の威力があるのだ。


「バヌウ、行くぞ」


 剥き出しになった土壌を踏み締め前へ。

 盛り上がった床が取り払われると現れたのは扉。


 吹き飛んだ土が付着し、汚れた扉が現れた。

 まるでさっきの床は扉が開かない様に塞いでいたかの様。


 是。

 それは正解。


 扉の奥にいるのは竜河岸犯罪者。

 しかも、得体の知れない人物。


 そんな人間を野放しにしておく訳が無い。


 先程の歪な床は咲人(さきひと)自身が施した施錠。

 いや、封印と呼べる措置だったのだ。


 ちなみに盛り上がった床を生成したのはバヌウの個別能力、隆起(バンプ)によるものである。


 ■隆起(バンプ)


 バヌウの個別能力。

 自身の魔力を使用して地面を意のままに隆起させる事が出来る。

 大きさや規模はかなり高い精度で可能。


 薄汚れた扉の前に立つ咲人(さきひと)


 ギギ……


 ドアノブを回し、扉を開ける。

 可動部に入り込んだ微細な砂利が擦れ、鈍い音を立てる。


「ウッ…………」


 中に入ると思わず呻き声が漏れた。

 鼻腔に入り込む異臭。


 生臭く、それでいて甘い。

 異様な匂いが立ち込めている。


「んゥ~~……?

 これはこれは茨田(まんだ)警部補ではないか、何か音がすると思ったら……」


 動物のケージが立ち並ぶ薄暗い部屋。

 ゆっくりと振り向く男。

 挿絵(By みてみん)

 猛禽の様な四角い顎に高い鼻。

 鼻に載っているメガネはズレて機能を果たしているか怪しいかけ方。


 薄汚れてヨレヨレの白衣。

 黒いシャツ。


 笑っているが狂ってると断ずるに充分な表情。

 頬やこめかみ、額には皺が無数に走っている。


 左目は白眼。

 これは義眼。


 右目は紅く染まっている。

 魔力が充満している合図。


 附子霧(ぶすぎり)聡錯(そうさく)


 三十九歳。

 竜河岸犯罪者。


 この男がモナルカを必殺する毒を生成した男である。


「御託はいい。

 出来たのならさっさとモノを見せろ」


 冷たく言い放つ咲人(さきひと)


 相手は竜河岸犯罪者。

 気安くコミュニケーションを取る気は無い。


「ククッ……

 ゲーテ曰く……

 人間の最大の罪は不機嫌……

 ……そう罪を重ねるなよ。

 ホラ手を出せ……」


 笑みを浮かべながら、右手を差し出した附子霧(ぶすぎり)

 かたや咲人(さきひと)は受け止める手を差し出す…………


 …………のでは無く差し出したのは右拳。

 標的は附子霧(ぶすぎり)の頭部。


「お前……

 俺をナメてるのか……?

 それとも拳銃拳をナメてるのか……?

 この距離なら人の頭など簡単に吹き飛ぶぞ……?」


 拳に込められた溢れる殺意。


 既に咲人(さきひと)の体内では連爆が始まっており、練られた内包魔力が右拳に集中されている。


 弾種も銃種も指定していない一式。


 とは言え拳銃拳は対竜に編み出された格闘技だ。

 威力は十分。


 いや、それどころかあり過ぎて人が喰らえば容易く身体を破壊する。


 且つ附子霧(ぶすぎり)魔力注入(インジェクト)未修得な事も知っている。

 つまり咲人(さきひと)は殺す気なのだ。


 附子霧(ぶすぎり)聡錯(そうさく)を。


 お互いしばし沈黙。

 言葉を発さず動かない。


 俯き加減で右掌を下に向けている附子霧(ぶすぎり)

 その頭部に拳を合わせている咲人(さきひと)


 姿勢を変えず、崩さず。

 石の様に固まり、動かない。


 ニヤァ……


 やがて口を歪ませ悪意の孕む笑みを浮かべる附子霧(ぶすぎり)


 ポタ……


 シュォッ……


 附子霧(ぶすぎり)の掌から何かが落ちた。

 いや、垂れたと言うべきか。


 その垂れた水滴は床に落ち、すぐに蒸発。


 バッ!


 即座に左前腕部で口を押さえ、身体を仰け反らせる咲人(さきひと)


 ユラァ……


 ゆっくりとした動きで両手を上げる附子霧(ぶすぎり)

 その動きはまるで粘液の様。


「ハッハ……

 ただのジョークだ。

 一號(ヌルアインス)は揮発すれば毒性は消える……

 本当に罪深い人間だな、茨田(まんだ)警部補は……」


 今、附子霧(ぶすぎり)の手から垂れた液体は毒。

 それも超猛毒。


 付着するとそこから皮膚を取り込み増殖を始める。

 且つこの毒は横だけではなく、縦にも侵蝕する。


 角質を突き抜け、毛細血管の血管壁まで辿り着いたが最後。

 毒は毛細血管を駆け登り、大動脈を通じて心臓に到達。


 冠動脈を塞ぎ、急性心筋梗塞を引き起こす。

 これが附子霧(ぶすぎり)のスキル、混成蟲毒(ポイゾニックカクテル)により生成された毒の効果。


 仮に咲人(さきひと)が手を差し出していたとすると掌から即被毒し、一分も経たず急性心筋梗塞による猛烈な胸の痛みに苦しむ事になる。


 そして永遠とも感じれる地獄の十分弱を骨の髄まで味わった後、死に至る。


 ここで疑問に思われた読者もいるのではないだろうか?

 心筋梗塞は一分も経たずに発症しているのに死亡するまでは十分。


 何故後者に時間がかかっているのかと。


 まずこの毒に被毒した際の死因。

 それは心筋梗塞で起こりうる心不全や不整脈等では無い。


 毒による心臓壁侵蝕による心破裂。

 これが死因となる。


 これは敢えてこうなるよう調合している。

 附子霧(ぶすぎり)の毒に対する美学によるもの。


 毒とは沈黙の鉄杭である。

 忍び寄り、生に楔を打ち込む。


 認識出来ず、把握出来ず。

 痛みだけが身体を蝕み、やがて命は狩り取られる。


 その間際の断末魔が、私を更なる衝動へと駆り出すのだ。


 附子霧(ぶすぎり)聡錯(そうさく)


 精神鑑定時の発言である。

 これだけでも附子霧(ぶすぎり)がいかに狂人か解ろうというもの。


 ゲーテの言葉を引用したり、まるで詩の様に毒に対する自身の見解を語ったりと何処か知能の高さを伺わせる。


 が、それは附子霧(ぶすぎり)の人格部分とは一切関係無い。


 善悪の解釈は人や時代によって変化すると言うがこの男は悪。

 時代がどう変化しようとも誰もが悪と断ずる人格。


 普遍的邪悪。

 それが附子霧(ぶすぎり)聡錯(そうさく)と言う男なのだ。


 邪悪さだけで言うと、かのB.G(ベーゼゲワルト)社長、ヴィリー・ヘロルトと双璧を成す。


 いや、悪意と言う部分で考えるならば附子霧(ぶすぎり)の方が上回っているかも知れない。

 何故ならヴィリーと言う男の人格は自分の興味のある事以外は全く無関心なだけ。


 ただ興味の対象が魔力であったが故、竜を対象とした残虐な実験を繰り返していただけである。


 悪には違いないが興味が平和的な対象に移れば無害であった可能性も無くは無い。

 が、附子霧(ぶすぎり)と言う男は違う。


 被毒させる事でのたうち回る生物や毒により大幅な変容を遂げる生物を眺める事に何よりも喜びを感じる人格。


 人間社会、いや地球上の生きとし生けるもの全ての障害に成り得る存在なのだ。


 ヴィリーと附子霧(ぶすぎり)

 二者の決定的な差としてスキルの概要を例示する。


 ヴィリーのスキルは服従(ゲホーアザーム)

 対象の行動優先順位に任意の指令を割り込ませる人格掌握スキル。


 精神操作系では掛け値なしに頂点のスキル。

 対象人数に制限は無く、竜すらも効果のある恐るべきスキル。


 しかし、平和的に利用しようと思えば利用できる余地はある。

 附子霧(ぶすぎり)の場合はそうでは無い。


 スキル、混成蟲毒(ポイゾニックカクテル)

 これは毒を生成するスキル。


 毒とは生物の生命活動にとって障害を起こす物質の総称。


 生命を脅かすものを悪と定義するならば附子霧(ぶすぎり)のスキルは端から端まで悪意に塗れていると言える。


 服従(ゲホーアザーム)の様な平和利用の余地など無い。

 初めからドス黒く染まった邪悪なスキルなのだ。


 かの狂人、三条辰砂の操る水銀(メルキュール)


 B.G(ベーゼゲワルト)三幹部の一角、バジル・サハロフの塩化水素(クローライド)ですら辛うじて平和利用の道は残されている。


 何故ならそれはあくまでも物質生成スキル。

 人体に有害な物質であるが、工業用途など可能。


 しかし、混成蟲毒(ポイゾニックカクテル)は違う。


 最初から生命活動を妨害するため。

 ただそれだけのためだけに毒を生成する。


 竜河岸が地球上に現れて八十年弱。


 スキルを悪意のある使用方法を選択する竜河岸はごまんと居れど、スキル自体が悪意に溢れているのは附子霧(ぶすぎり)ぐらいしか思い当たらない。


 長々と語ったが、咲人(さきひと)が毒の生成を依頼した人物は恐ろしく危険な人物である事はお解り頂けただろう。


「……忘れるなよ……

 お前はただの狂った犯罪者。

 おかしな動きをすれば即座に発砲するからな……」


 殺気を漲らせ附子霧(ぶすぎり)を睨む咲人(さきひと)

 握った右拳はまだ解いていない。


 咲人(さきひと)が言ってる発砲とはもちろん拳銃拳を放つ事である。


「ハッハ……

 茨田(まんだ)警部補、君は私の事を罪人と言うが……

 その罪の基準は、いずこから来ているのか甚だ疑問だな……

 現に終始イラついている君は、私からするとずっと罪を重ねている様にしか見えないのだがね……

 ククッ……

 何とも滑稽な話じゃあないか、罪人が罪人を断罪しているなんてね」


 インテリらしく倒置法のレトリックで咲人(さきひと)を煽る附子霧(ぶすぎり)


「フン、ただの戯言だな。

 俺が言ってるのは人間社会の法における罪だ。

 お前が言ってるのは生物としての罪。

 この二つを同列に考えること自体おかしいだろう。

 第一、命を脅かすものしか生成出来ない貴様に罪について笑われるいわれはない」


 しかし冷静に。

 それでいて警戒を解かず、反論する咲人(さきひと)


 ニヤァ……


 そんな咲人(さきひと)を見て表皮に皺を寄せて悪意に満ちた笑顔を浮かべる附子霧(ぶすぎり)


「ククク……

 ゲーテ曰く、人々は理解出来ない事を低く見積もる……

 まぁいい……」


 ガチャ


 奥にある扉を開ける附子霧(ぶすぎり)

 ここの動物実験室は二部屋で構成されている。


 現在二人が居る実験動物飼育室と奥の実験室。

 附子霧(ぶすぎり)は奥に目当ての毒があると言っているのだ。


 警戒度を更に上げた咲人(さきひと)は動かない。


「どうした……?

 欲しいんじゃあ無いのか?

 史上最凶の竜河岸を殺す毒を……」


 開け放した扉の奥で催促する附子霧(ぶすぎり)


「……バヌウ……

 行くぞ」


【解ったじゃん】


 ゆっくりと警戒しながらバヌウを連れて部屋を移動する咲人(さきひと)

 動きながら前後左右とトラップが無いか警戒。



 実験室。



 ゆっくりと警戒しながらバヌウを連れて部屋を移動する咲人(さきひと)

 動きながら前後左右と、トラップが無いか警戒する。


 ん……?


 部屋に入った瞬間、咲人(さきひと)は薄く違和感を感じる。


 ガサゴソ


 作業机の上を漁っている附子霧(ぶすぎり)

 乱雑に舞い上がるレポート用紙。


「オォ……

 あったあった……

 ホラ、これだ。

 受け取れ……」


 くるりと振り返る附子霧(ぶすぎり)



「動くな。

 そのまま両手を上げろ」



 かたや咲人(さきひと)の警戒は最大レベルまで跳ね上がる。


 入った瞬間に感じた違和感。

 その出所に仮説を立てたためである。


 入った時に感じた違和感。

 それは部屋の中に罠を仕掛けていると言った類のものでは無い。


 事実部屋には何も仕込みはされていない。


 ならば咲人(さきひと)が感じた違和感はどこに?

 その正体は()()()()()()()()()にある。


 言い換えれば何故招いたのか?

 どうして奥の部屋に咲人(さきひと)を通す必要があったのかと言う話である。


 もう出来ているのならその場で渡せばいい筈だ。


 しかし附子霧(ぶすぎり)はそうせず、奥の部屋に自分を招いた。

 この事が違和感の正体。


 気付いた咲人(さきひと)は警戒を上げ、思考は次のフェーズへと移行する。

 意図があって部屋を移したのであればその目的は?


 決まっている。



 釈放。



 いや、脱獄と言う言葉が正しい。

 附子霧(ぶすぎり)の目的は脱獄だと咲人(さきひと)は考える。


 科警研(ここ)に拘束される前に一度だけ許した魔力補給。

 これを有効利用しない手は無い。


 附子霧(ぶすぎり)魔力注入(インジェクト)未修得なのは周知の事実。

 従って隆起(バンプ)で封印された部屋から抜け出す事は不可能。


 よしんば出来たとしても内包魔力を大幅に削る事になる。

 附子霧(ぶすぎり)はそんな愚策を取らない。


 そもそも自ら脱獄をせずとも待っていれば封印は解かれる。

 目的の毒を受け取りに向こうから出向くのだから。


 封印が解かれた今、障害となるのは咲人(さきひと)と連れている竜。

 この二体をどうにかすれば……


 附子霧(ぶすぎり)は悠々と脱獄できる。


 部屋を移動したのは立ち回りの点から。

 さっきの飼育室はケージの多さから真ん中の通路スペースしか開いていない。


 しかし奥の実験室はスタンダードな長方形の部屋。

 ならば自分がこの部屋に侵入した今。


 附子霧(ぶすぎり)が攻撃を仕掛けて来る可能性は高い。


 ホールドアップを勧告した咲人(さきひと)の構えは……

 左手の人差し指と中指を附子霧(ぶすぎり)の身体に向け、真っすぐ伸ばす左腕。


 右拳は肘を大きく後ろへ引いている。

 これは四式の構え。


 狙撃タイプの拳銃拳。


 咲人(さきひと)の扱う拳銃拳は父親である銀司の扱うものとは少し違う。

 どちらかと言うと銀司の拳銃拳を真っ当に受け継いだのは(げん)の方である。


 以前拳銃拳は格闘技であるが故、拳で攻撃するものと語ったが咲人(さきひと)の拳銃拳はロングレンジ。


 つまり遠隔攻撃を得意とする。


 そもそも拳銃拳とはあらゆる工程を取っ払い、ざっくばらんに言うならば単に魔力を拳に集中させて殴るだけのシンプルなもの。


 大雑把で豪快な性格の銀司や喧嘩好きの(げん)の気質にあった格闘技。

 知的で繊細な咲人(さきひと)の気質に合っていない。


 その事は咲人(さきひと)本人も重々解っている。

 そこで自身の得意な狙撃と父の拳銃拳と組み合わせる事を考えた。


 特隊が発足する前、SATでスナイパーとして名を馳せていた咲人(さきひと)ならではの発想。


 だが魔力は大気に触れると散ってしまう性質があり、竜河岸の身体から放出するとすぐに霧散してしまう。


 万能エネルギーと称される魔力。


 それを扱う竜河岸のスキルは超能力と呼ぶに相応しい性能を誇るが今の今まで放出系スキル。


 いわゆる、かめはめ波の様なスキルが存在しないのはこの性質の為である。


 もちろん自身の想像力を駆使し、魔力を散らさないギミックを仕込めば可能ではあるがそんな事を試そうと考える竜河岸は今まで居なかった。


 何も無い状態で目的の効果が出せる様に魔力を調整するのは予想以上に面倒だからだ。


 だがそこを本腰を入れて取り組んだのが咲人(さきひと)と言う事である。

 そして気の遠くなる試行錯誤の末、編み出したのが魔力弾。


 魔力の塊の表面を硬くて脆い魔力の殻で覆う事で内包されている魔力の四散を限りなく抑える事に成功。


 この殻を生成するのがかなり困難を極める事となる。

 何故なら地球上の物質だと魔力を遮断する事は出来ないからである。


 そこで咲人(さきひと)は竜の魔力壁(シールド)に着目した。

 魔力壁(シールド)であれば魔力を遮断する事が可能。


 指針が定まった咲人(さきひと)はバヌウから魔力壁(シールド)をどうやって張っているのかヒアリングを開始する。


 数日間の長時間ヒアリングの末に魔力壁(シールド)に近い機能を有したいわば魔力殻を考案。

 魔力弾の生成に成功する。


 咲人(さきひと)の場合は連爆で練られた魔力を更に凝縮し、魔力弾を生成する。

 そのまま前腕部中央付近に停滞。


 弾丸の装填に近い。

 右腕の振りは言わばストライカー。


 バレルに見立てた左腕に沿う様に拳を繰り出す。

 パンチを放つ瞬間、射出用に仕込んだ魔力で弾丸を発射。


 着弾すると殻が破れ、込められた魔力が爆発を起こす。

 これが魔力弾を使用した、咲人(さきひと)の拳銃拳である。


 魔力弾の生成に成功した咲人(さきひと)はそのまま新たな型式の考案に着手。

 やがて生まれたのが狙撃型拳銃拳。


 四式である。


 そして現在咲人(さきひと)が取っている構えは四式。

 三式では無く四式。


 これは精度の高さと咲人(さきひと)の認識が理由。

 確かに三式の方が威力はあるが、その分精度は四式に劣る。


 精度が高いのは咲人(さきひと)が四式を狙撃型と認識しているからである。


 且つ四式ならば、対象が仮に素早い動きで回り込んだとしても即座に姿勢を変えて放つ事が出来る。


 しかも普通ショートレンジの場合、銃身が長いスナイパーライフルは不利と言われているがこれは拳銃拳。


 自らの腕を銃に見立てて扱う格闘技。


 精密射撃が可能な四式拳銃拳はスナイパーライフルの利点のみを抽出した型式と言える。


 更に四式の場合、イメージするのは銃種のみ。

 発射準備も比較的早いのも選択の理由だ。


 咲人(さきひと)附子霧(ぶすぎり)の距離は約3メートル。

 間合いはミドルレンジ。


 だが、悠々四式の射程範囲内。

 咲人(さきひと)の左人差し指、中指は真っすぐ附子霧(ぶすぎり)の左太腿を捉えている。


 硬直する空間。


 銃(拳銃拳)を突き付ける咲人(さきひと)

 振り返ったままの姿勢で、動かない附子霧(ぶすぎり)


 ユラァ~……


 やがてゆっくりと附子霧(ぶすぎり)は両手を上げる。

 左手は広げ、右手は握っている。


 右指の隙間から光る真鍮の赤黄色と、はみ出す尖った弾頭が見える。

 これが附子霧(ぶすぎり)が作成した魔毒弾。


 かなりサイズは大きく、見えるのは二発のみ。


 どうやら毒の作成だけはきちんと行ったらしい。

 咲人(さきひと)はそう判断する。


 脱獄が目的なら弾丸が気を削ぐ為のブラフ、似非の可能性があるじゃないか。

 その弾丸が目的の魔毒弾だとなぜ言える。


 そう思われる読者もおられるかも知れない。


 確かに正論。

 だが、こと附子霧(ぶすぎり)に限ってはそれは無いと咲人(さきひと)は考える。


 附子霧(ぶすぎり)は被毒させる事に快感を覚える狂人ではあるが、それ以上に自身の毒に対してのプライドが高い。


 つまり妙な言い方になるかも知れないが毒には真摯。

 嘘は吐かない。


 しかも作成依頼する際に咲人(さきひと)はお前でも無理だろう。

 無理なら別に構わないがと煽って注文した。


 仮にこれで実は出来ていない。

 脱獄する為の嘘だったとする。


 そんな状態で仮に脱獄出来たとしても巨大な敗北感を背負ったまま附子霧(ぶすぎり)は生きて行く事になるだろう。


 自分、附子霧(ぶすぎり)聡錯(そうさく)は保身の為に毒の生成を放り出した負け犬だと。


 邪悪には邪悪なりの矜持がある。

 且つ知的な利己主義者は得てして自分の仕事は完璧にしようと立ち回るもの。


 上記の理由から握られた弾丸は魔毒弾。

 モナルカを必殺しうる可能性のある強力な魔毒弾だと考える。


 普段なら身の毛がよだつ程恐ろしい話ではあるが、今の咲人(さきひと)にとっては喉から手が出る程欲しい魔毒弾なのだ。


 以前として構えたままの咲人(さきひと)

 両手をあげた附子霧(ぶすぎり)


 お互い何も喋らず沈黙が流れる。


「ククッ……」


 両手を上げた状態で邪悪な笑みを浮かべる附子霧(ぶすぎり)

 沈黙を破ったのは邪な薄ら笑いだった。


「……動くなと言った筈だが……?」


 その場から全く動いていない附子霧(ぶすぎり)に対して言い放つ言葉。

 動くな。


 これは口を開く事も許さないと言っているのだ。


「……クククッ……

 ゲーテいわ」


 ドキュゥゥゥゥゥゥゥンッッ!


 ドカァァァァァンッッ!


 附子霧(ぶすぎり)の言葉を遮る様に響く発射音。


 同時に附子霧(ぶすぎり)の身体は右脚を軸に激しく捻りながら後方へ吹き飛び、作業机に激突。


 場には右腕を左腕に沿う様に拳を突き出している咲人(さきひと)

 右手から立ち昇る細い薄煙は硝煙の様。


 咲人(さきひと)は撃ったのだ。

 対竜用の強力な一撃を。


 人間相手に。

 一片の容赦も無く。


 命中した左太腿から大きく血を滲ませ、倒れている附子霧(ぶすぎり)を冷徹な目で見降ろす咲人(さきひと)


 グンッッ!


 伸ばした右拳を勢いよく後ろへ戻し、再び発射体勢に戻る咲人(さきひと)

 それはあたかもライフルのボルトハンドルを引いて次弾を装填するかの様。


 真っすぐ伸ばした左指は変わらず、倒れている附子霧(ぶすぎり)を指している。


「……お前……

 日本の警察が発砲しないとか勘違いしているんじゃないか……?

 もう一度言う……

 動くな、手を頭の後ろに置いて這い蹲ってろ……」


 恐ろしく冷たい目と言葉。

 危険な犯罪者にはひとかけらの慈悲も示さない。


 それが茨田(まんだ)咲人(さきひと)と言う男なのだ。


 スッ…………


 咲人(さきひと)の言葉を無視して更に口を開こうとした附子霧(ぶすぎり)だったが咲人(さきひと)の気迫に気圧されたらしい。


 今度は黙ってゆっくりと頭の後ろへ両手を持って来た。


「バヌウ……

 奴に手錠をかけろ……」


【解ったじゃん】


 ドスドス……


 だが、ここで異変が起きる。

 附子霧(ぶすぎり)へ歩み寄っていたバヌウの動きが止まったのだ。


 プルプル……


 ドスゥゥゥゥンッッッ……


 !?


 身体を震わせ、山が崩れるかの様にバヌウの身体が倒れた。

 むあんと埃が立ち昇り、部屋に充満する。


「バヌウ……

 体内から異物を除去するよう魔力を使え……」


 咲人(さきひと)は今の状況を附子霧(ぶすぎり)が何らかの毒を盛ったと判断した。


 この狂人がすんなり渡す訳が無いと考えていたがまさか異界の動物である竜に通用する毒を生成出来るとは思っていなかった。


 確かにバヌウが倒れた事は想定外だったが咲人(さきひと)は冷静に状況を判断し、除毒の指示を送った。


 竜が倒れると言う不測の事態に動揺はすれど、即座に立て直し指示を送るのは流石と言える。



 ……が、行動は附子霧(ぶすぎり)の方が速かった。



 !!!?


 身体の不調は咲人(さきひと)にも襲い来る。

 突然の呼吸困難。


 唐突な息苦しさに咲人(さきひと)は片膝をつき、身体を屈める。


 これは……

 毒……?


 唐突に起きた身体の異変に自身も被毒した事を悟る。


「クックック……

 ……静かになったじゃあ無いか、茨田(まんだ)警部補ォ……」


 ゆっくりと立ち上がる附子霧(ぶすぎり)

 しかも左脚を立てて。


 つい先ほど四式拳銃拳で撃ち抜いた筈の左脚から立ち上がった附子霧(ぶすぎり)

 まるで被弾した事が無かったかの様に。


 更に附子霧(ぶすぎり)は言葉を続ける。

 まるで鬼の首を取ったかの様に。


「ハッハ……

 茨田(まんだ)警部補ォ……

 不思議だろう?

 魔力注入(インジェクト)を使えない私が何故立ち上がったのか……

 私に言わせれば魔力注入(インジェクト)なんかに頼らなくても止血ぐらい訳無いのだよ……」


 確かに附子霧(ぶすぎり)の左太腿からもう血は流れていない。

 真っ赤には染まっているが血は止まっている。


 これは混成蟲毒(ポイゾニックカクテル)で生成した毒を使用したのだ。

 自ら被毒する事で体内機能を操作。


 血小板を魔力を含んだフィプリンが覆い、超急速凝固する事で止血処理を行う。


 例え血が止まったとしても痛みがあるんじゃ無いか?

 何故立ち上がれるんだ?


 そう思われた読者もいる事だろう。


 だが、痛みと言う事であれば附子霧(ぶすぎり)には関係無い。

 何故なら既に附子霧(ぶすぎり)は痛覚が機能していないからである。


 厳密には痛覚伝導路が完全に麻痺しているからだ。

 これも自ら生成した毒による症状。


 痛覚が麻痺している事は誰も知らない。

 逮捕時、拘束された時も痛がってみせたがそれは只の演技。


 秘匿している理由は自分の行動に支障をきたす可能性があるからである。

 無知蒙昧な人間共は知らなくて良い事。


 そう附子霧(ぶすぎり)は考えている。


「見事被毒したようだなぁ……

 えぇ?

 茨田(まんだ)警部補ォ……

 ゲーテ曰く、真の知識は経験あるのみ……

 どうかね?

 気に入って頂けただろうか?

 私の芸術作品(クンストヴェルク)は……?」


 附子霧(ぶすぎり)は自分で調合し、生成した毒の事を芸術作品(クンストヴェルク)と呼んでいる。


 ドイツ語で芸術作品。

 まさに狂人の発想である。


 まず、バヌウと咲人(さきひと)

 両名の体調不良は附子霧(ぶすぎり)が散布した毒ガスが原因。


 咲人(さきひと)が被毒したのは無味無臭無色の神経ガス。

 侵入経路は吸入。


 吸い込むと有機リン中毒に似た症状を引き起こす。


 ■有機リン中毒。


 有機リンによる中毒。

 症状は涙や唾液、汗の異常分泌、嘔吐、下痢、筋肉の振戦、錯乱など。

 根本的な機序は有機リンがアセチルコリンエステラーゼの働きを阻害する事で体内のアセチルコリンが蓄積する事に繋がり中毒を引き起こす。

 かのオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件の被害者の症状である。


 咲人(さきひと)の症状は呼吸困難。


 附子霧(ぶすぎり)の撒いた毒ガスは魔力を帯びており、体内の特定部位にあるアセチルコリンエステラーゼだけに働きかける事が可能。


 この毒ガスは対象の呼吸筋だけに作用するよう調合されている。


 且つこの毒はすぐに麻痺させたりはしない。

 少しでも長く苦しむ様にじわりじわりと効いてくる。


 禍々しく歪んだ性質。

 附子霧(ぶすぎり)芸術作品(クンストヴェルク)と呼ぶのも分かる。


 理解はできないが。


「ククク……

 まぁ二號(ヌルツヴァイ)に被毒したら満足に答える事も出来んか……

 生かさず殺さずの、まさに神の如きバランスで調合しているからね……

 クッ……

 クァーハッハッハッ!

 どうしたんだ?

 先ほどまでの冷たい殺気はァ!

 何とも愉快な瞬間だ!

 優位に立っていると思い込んでいるやつに現実を突き付けると言うのは!

 ゲーテ曰く……

 現実を直視する心に、本当の理想が生まれる……

 茨田(まんだ)警部補もどうかね……?

 現実を直視してみては?

 やがて生まれるぞ……?

 死と言う本当の理想がね……」


 片膝をつき、体を屈めながら俯いて何も言わない咲人(さきひと)


 そんな咲人(さきひと)を見下ろし、勝ち誇ったかの様に高笑いを上げて、勝手な事をほざく附子霧(ぶすぎり)


 ちなみに附子霧(ぶすぎり)は自身の生成した魔毒で気に入ったものはナンバリングしている。

 

「フー……

 さてお次は竜の方だ……」


 踵を返し、倒れているバヌウを見つめる附子霧(ぶすぎり)

 未だ震えているのが離れていても解る。


 ギン!


 その様子を見た附子霧(ぶすぎり)は目を見開いて瞳孔は散大する。

 瞬時に興奮したのが分かる。


「やはりこの調合で正しかった……!

 私の最高傑作(マイスターヴェルグ)は竜に通用する!

 長年、誰も成しえなかった竜を狩る手段を私は確立したのだ!」


 バヌウに向けた毒は咲人(さきひと)のものとは別種。

 これがモナルカを殺すために生成された毒である。


 これも咲人(さきひと)が来るまで脱獄をしなかった理由の一端でもある。

 

 仮にモナルカと言う人外の化け物を毒殺する毒を新たに生成するとしよう。

 実験は何で行うのかと言う話。


 規格外の毒を実験するにはモルモットや犬、ネコだけでは全くデータにならない。

 そう、附子霧(ぶすぎり)咲人(さきひと)が連れて来る竜を実験動物にしようと画策していたのだ。


 バヌウが被毒した毒。


 これも無味無臭無色の毒ガス。

 侵入経路は吸入。

 

 吸い込めばシアン化物中毒に似た症状を引き起こす。


 ■シアン化物中毒。


 多種類のシアン化合物に晒される事で起こる中毒。

 シアン中毒、青酸中毒とも呼ばれる。

 体内に侵入したシアン化合物は細胞内の酵素に強く結合し、働きを阻害する。

 この酵素が阻害されると細胞が酸素を使えなくなり、エネルギー生産が停止する。

 人体の初期症状は頭痛、眩暈、頻脈、息切れ、嘔吐。

 その後に発作、徐脈、低血圧、意識喪失、心停止を引き起こす時もある。

 通常、数分以内に発症する。


 何とこの毒は竜を形成している魔力細胞に作用。

 生成や放出を阻害する。


 つまり魔詰(まきつ)状態を作り出す事が出来るのだ。


 ■魔詰状態。


 竜が何らかの原因により魔力の放出や精製が出来なくなる状態。

 生物として最強種である竜を御する唯一の手段。


 有機リン中毒により呼吸困難に陥った咲人(さきひと)

 魔詰状態のバヌウ。


 誰がどう見ても絶体絶命。

 このまま毒殺されてしまい、脱獄を許してしまうのだろうか?



 否。

 断じて否である。 



「オイ!

 附子霧(ぶすぎり)ッッ!」


 ここで突然附子霧(ぶすぎり)の背後から声がかかる。

 咲人(さきひと)の声。


 地声では無い。

 間に何かを挟んだ様な声。


 !!!!!!?


 だが声を聞いた直後は声自体よりも何故声を出せたのか?

 その事に酷く動揺する附子霧(ぶすぎり)


 確かに二號(ヌルツヴァイ)の比重は空気より重く、立っていた咲人(さきひと)が吸入したのはごく僅かだったかも知れない。


 しかし二號(ヌルツヴァイ)は10~30PPMでも数時間後に発症。

 50PPMを超えれば即発症する極めて高い毒性を有している。


 ■PPM。


 パーツパーミリオンの略。

 ガス濃度の単位。

 空気百万個の分子の中に中にガスの分子が何個入っているかを示す単位。

 ちなみに成人男性が一回の呼吸で吸い込む空気分子の数はおよそ125(がい)


 現に附子霧(ぶすぎり)が起き上がった時は片膝をついて蹲っていた。

 と言う事は発症している。


 二號(ヌルツヴァイ)の呼吸困難はまともに喋れる様な甘いものでは無い。


 しかも屈んでいたと言う事はより毒ガスを吸い込んで呼吸停止する可能性すらある。


 そんな状態で喋れる訳が無い。


 附子霧(ぶすぎり)は勝ちを確信していた。

 それだけ自身の芸術作品(クンストヴェルク)に自信を持っていた。


 だから咲人(さきひと)は放置し、最高傑作(マイスターヴェルグ)に被毒したバヌウの方を注視したのだ。

 症状を詳しく確認する為に。


 いや……

 違う。


 自分の産み出した(芸術)が竜にどの様な変化をもたらしたのか。

 それを眺めて悦に浸る為だ。


 悍ましく理解し難い欲望。

 しかしそんな附子霧(ぶすぎり)のゲスな欲望を粉々に打ち砕く咲人(さきひと)の声。


 バッ!


 動揺した附子霧(ぶすぎり)は素早く振り返る。

 一瞬見えたのは部屋から出て行く咲人(さきひと)の影。


 部屋から一旦退避したのだ。

 バヌウを見捨てて。


 一見惨いと思える判断かも知れないが、これは合理的に考えた上での策。

 何も見捨てた訳では無い。


 この狭い部屋の中で毒ガスを散布されると回避は困難。

 そもそも既に毒が撒かれている現場で戦う事自体有り得ない話だ。


 被毒を避ける為には出来るだけ広いフィールドがベスト。


 しかもバヌウは竜。

 毒ガスで弱まる事はあっても死ぬ事は無い。


 且つ除毒の指示もしている。


 咲人(さきひと)の取った行動は倫理的には非情と取られるかも知れないが極めて合理的な動きなのだ。


 しかしここで根本的な謎。


 何故被毒した咲人(さきひと)が叫ぶ事が出来て、素早く部屋から退避する事が出来たのか?

 これについて解説して行こう。


 まず咲人(さきひと)二號(ヌルツヴァイ)に被毒したのは正解。

 発症したのも合っている。


 そもそも無味無臭無色の毒ガスを躱す事は困難。

 従って咲人(さきひと)は被毒する前提で附子霧(ぶすぎり)の元へ向かったのだ。


 突然毒に見舞われるのと覚悟して被毒するのとでは精神状態として後者の方が圧倒的に有利。


 実験室に入室する段階で呼吸を抑え、出来るだけ小さい呼吸で話す様に心掛けていた。


 バヌウが被毒した時も特に感情を込めず、ただ除毒する方法を伝えるだけに留めたのも被毒を警戒しての事。


 毒の症状にはいくつか選択肢があった為、呼吸困難には少し驚いたがすぐに気付き、呼吸を止めていた。


 といっても発症している為、激しい息苦しさは感じて片膝はついた。

 が、身体を屈めて項垂れたのは毒の症状のためでは無い。


 毒の治癒に取り掛かる為だ。

 感覚を体内に向け、異常チェック。


 四肢の筋攣縮(れんしゅく)、眩暈無し、頭痛無し。

 特に涙などの分泌物も溢れていない。


 異常が出ているのは呼吸のみと断定。

 あとは横隔膜と肋間筋に魔力を集中させ異物を除去する様イメージ。


 この頃、附子霧(ぶすぎり)は頭上で勝手な事をほざいていた。

 頭上の戯言は完全無視。


 呼吸を止めて被害の拡大を防ぎ、回復の魔力注入(インジェクト)の応用で毒の除去を完了させる。


 あとはどうして素早く動けたかと言う点。

 だが、これは呼吸を止めた状態だと難しい。


 ではどうしたのか?


 まずそもそもが附子霧(ぶすぎり)は凶悪な竜河岸犯罪者。

 スキルは混成蟲毒(ポイゾニックカクテル)


 毒生成。


 そんな危険な男の元に行くと言うのに咲人(さきひと)が事前準備を怠る訳が無い。

 これは極めて単純で当然の話。



 ガスマスクで防いだのだ。



 事前に用意し、腰に隠していたのだ。

 そんな事にも気付かない附子霧(ぶすぎり)咲人(さきひと)に背中を向けてしまう。


 発言からそれに気付き、俯いた状態でガスマスクを装着。


 これは特隊で使用している特別製で、コンパクトな上、ボイスエミッター(伝声器)も付いている。


 ボイスエミッター越しだった為、地声とは違う響きだったのだが、そんな事附子霧(ぶすぎり)は及びもつかない。


 今度はバヌウを放っておいて咲人(さきひと)を追う。


 この選択が悪手。

 しかも決定的で破滅的な悪手である事を附子霧(ぶすぎり)本人は気付いていない。


 ここで附子霧(ぶすぎり)と言う人間について注釈を入れておく。


 まずこの男、ゲーテの言葉などを引用したり倒置法の語り口などから一見、頭の良いが倫理の歪んだ人格だと思われるかも知れない。


 が、違う。

 そうでは無い。


 まず附子霧(ぶすぎり)のIQは96。

 極々平均的。


 何だったら平均よりも少し劣っているぐらい。

 つまり特に知能に優れている訳では無い。


 そう、附子霧(ぶすぎり)はただ頭がイカれているマッドサイエンティストに憧れて模倣しているだけ。


 且つ傲岸不遜で高慢な性格。


 有体に言えばレクター博士に憧れているただのゲス。

 出来るだけ付き合いたくない人間。


 人物評としてはこうなる。


 だが、混成蟲毒(ポイゾニックカクテル)が危険なスキルなのには変わりなく、毒の生成には一日の長がある。


 更に自身の毒で対象を毒殺する事に至上の喜びを感じる。


 人物評に付け加えるなら邪悪なシリアルキラ―。

 逮捕時も竜河岸警官一名を殺害している。


 だが視野が狭く人生経験も浅いため、不測の事態に動揺しやすい部分もある。


 先の咲人(さきひと)の防毒の事前準備や対処に気付かなかったり、動き出した咲人(さきひと)に動揺して追いかける所からも現れている。


 言葉遣いや危険なスキルで煙に巻かれているが、性格的な部分だけで見ると自身の能力に驕った本当に取るに足らない人間なのだ。


 咲人(さきひと)と言う人間のプロファイリングも表層的な部分しか理解しておらず、怖い警察官ぐらいにしか思っていない。


 結果、動揺により判断を誤った附子霧(ぶすぎり)は酷く後悔する事になる。

 いや、後悔すら出来ない状態に陥る事となるのだ。


 ちなみにゲーテの言葉でこう言うのがある。


 焦る事は何の役に立たない。

 後悔はなおさら役に立たない。


 焦りは過ちを増し、後悔は更なる後悔を生む。


 この言葉を忘れて焦りに焦り、動揺しまくっている点からも、この男の器の大きさが知れると言うもの。


 何で……

 何で……


 咲人(やつ)二號(ヌルツヴァイ)が効かない!?


 咲人(さきひと)を追いながら錯綜する附子霧(ぶすぎり)の心中。

 別に効いていない訳では無い。


 内包魔力で治癒し、呼吸を止めて被害拡大を防いだだけである。

 動揺し、視野が狭くなっている附子霧(ぶすぎり)はその事に気付かない。


 且つ他の竜河岸と交流を持たない為、竜河岸の中で被毒した症状を自己治癒出来る者がいる事も知らない。


 仮に附子霧(ぶすぎり)のIQが本当に高く落ち着いた人格であれば予測出来たのかも知れない。


 だがこの男の知は虚構。

 似非のもの。


 頭が良い風な人間を取り繕ってるに過ぎない。


 何で……

 何で……


 咲人(あいつ)はあんなに素早く動ける……

 呼吸が出来ない筈なのに!?


 咲人(さきひと)がガスマスクを持参している事もこの男にとっては想像の枠外。


 附子霧(ぶすぎり)は自身の毒に絶対の自信を持っていた。

 被毒さえさせれば相手を完全に支配でき、思うままにできると。


 そう思い込んでいた矢先の出来事。

 附子霧(ぶすぎり)本人からしたら動揺しても致し方無いのかも知れない。


 同時に本当に浅はかで愚かな人間だと筆者は考える。


 毒を扱うとわかっていて何の対策も講じずに出向くわけが無い。

 いくら毒に自信があるかと言っても手の内が明かされていては何の意味も無い。


 超猛毒をばら撒けると言ってもばら撒く可能性が高ければ対応策を持って出向くと言うもの。


 ロイヤルストレートフラッシュは最強の手札と言われるが解っていれば降りればいいだけ、と言う事である。


 附子霧(ぶすぎり)の策は魔毒弾を渡す瞬間を狙って毒ガスを散布すると言うもの。

 混成蟲毒(ポイゾニックカクテル)で生成された毒ガスは方向や位置をコントロール可能。


 至近距離で二號(ヌルツヴァイ)を浴びれば、即座に呼吸筋が麻痺を起こし、咲人(さきひと)は倒れ込む……

 筈だった。


 無垢な子供や事情を全く知らない一般人ならいざ知らず、咲人(さきひと)は中部魔力漏洩事件対策の中枢。


 そんな人物が容易く隙を見せる訳が無い。


 仮に脱獄や逃走を考えるのであれば科警研で仕掛けたりはせず、一先ずは従順なフリをすれば良い。


 魔毒弾もすんなり渡す。


 その間、咲人(さきひと)とコミュニケーションを取るなり何なりして情報を集める事に努めれば良い。


 仕事を果たした後の自分の処遇、咲人(さきひと)のプロファイリング、新たな毒の生成など選択肢が広がる。


 もちろん、これがすんなり上手く行くとは言わないが、少なくとも袋小路である地下の奥。


 この動物実験室で早期に仕掛ける事は愚策と言わざるを得ない。


 しかし愚策とは言え咲人(さきひと)を毒殺出来れば問題無い。

 だが、それすらも確実に実現するには決定的に足りないピースがある。


 それは毒。


 二號(ヌルツヴァイ)の様な既存毒に酷似した症状のものでは無く、魔力を使った未知の症状を引き起こす毒だ。


 もし仮に人類が未だ知り得ない摩訶不思議な症状を引き起こす毒を有していたら附子霧(ぶすぎり)の策でも上手く行った可能性がある。


 何故なら未知と言う事はどんな症状が起こるか解らないと言う事。


 いくら魔力が万能エネルギーと言っても未知の事象に関しては想像できない為、対処のしようが無い。


 咲人(さきひと)は為す術なく絶命していたかも知れない。


 既存毒に酷似した効果を持った毒しか生成出来ない点も附子霧(ぶすぎり)と言う人間が平凡な才能しか無い人間と言うのが解る。


 隣の部屋にはいない……

 通路に出たのか?


 誰も居ない飼育室を通り過ぎ、附子霧(ぶすぎり)も外へ。


 附子霧(この男)は何も覚えていないのだろうか?

 気付かない程、視野が狭まっているのか?


 先程、自分が咲人(さきひと)()()()()()のか頭の中から抜け落ちているとしか思えない行動。


 いや、愚行。

 極めて愚かな行動。


 飼育室を出れば通路に出る。

 遮蔽物が何も無い真っすぐな道。


 これが何を意味するのか?

 その答えはすぐ解る。


 附子霧(ぶすぎり)の目の前には開け放したドア。


 何の躊躇いも無く、警戒せず。

 入口を抜け出る。


 咲人(さきひと)を追う為に。



 パンッッッッッ!



 何かが弾けた音。

 膨らんだ風船が弾けるような乾いた音だ。


 これが…………



 附子霧(ぶすぎり)聡錯(そうさく)と言う人間が最後に聞いた音だった。



 ドシャ……


 糸の切れた操り人形の様に力無く倒れ伏した附子霧(ぶすぎり)の身体……

 いや、もう個を判別する事も叶わない。


 何故なら倒れた附子霧(ぶすぎり)の頭部は…………

 弾けて消失しているから。


 通路の向こうには左指を向けて右拳を突き出している咲人(さきひと)の姿。

 拳から薄く細く立ち昇る煙。


 グンッッ!


 右拳を勢いよく引き絞る咲人(さきひと)

 明らかに射後の動作。


 そう、咲人(さきひと)は拳銃拳を撃ったのだ。

 附子霧(ぶすぎり)の頭部目掛けて。


 拳銃拳は対竜用決戦格闘技。

 頭部に喰らえば確実に死ぬ。


 それは拳銃拳を習得している人間ならば誰でも解っている。

 咲人(さきひと)は殺すつもりで撃ったのだ。


 別に附子霧(ぶすぎり)が憎くて殺したのでは無い。

 あくまでも警察職務の一環。


 警察官が銃器を使用するのは警察官職務執行法七条により制限されている。


 一、死刑又は無期若しくは長期三年以上の拘禁刑に当たる凶悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。


 二、逮捕状により逮捕する際又は勾引状若しくは勾留状を執行する際その本人がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。


 上記に該当する状況の場合のみ発砲、射殺が許可されている。

 もちろん発砲は必要最低限で、周囲にも細心の注意を払った上でであるが。


 先の毒殺されかかった事で咲人(さきひと)は許可は下りたと考えた。

 後は容易い。


 狙撃し易いポイントまで附子霧(ぶすぎり)を誘い出し四式拳銃拳を発射すれば良いだけ。

 距離はおよそ30メートル。


 咲人(さきひと)の腕であれば軽くヘッドショットを決める。


「任務完了……」


 ガスマスク越しに呟く咲人(さきひと)

 おもむろに背広の内ポケットから取り出したのは度入りの防毒ゴーグル。


 メガネとゴーグルを付け替える。


 ガスマスクも未だ外さない。

 毒を警戒しているのだ。


 附子霧(ぶすぎり)が死んだのに何故?

 そう思われる読者もおられる事だろう。


 確かに竜河岸のスキルの効果は使い手が死亡すると消失するものと言われている。

 が、物質生成系のスキルの中に一部例外も存在する。


 魔力生成された物質がやがて本物の物質に成り代わる現象。

 魔力置換と呼ばれている。


 これは何も難しい事では無く、そうなる様スキルを調整すれば可能。

 だがあまり使うものはいない。


 メリットが薄いからだ。


 置換して本物として扱うより自在に出したり消したり出来た方が利便性が立つ。

 従って扱うものは皆無で魔力関連全体でもかなりマイナーな現象。


 だがそのマイナーな性能を組み込んだのが混成蟲毒(ポイゾニックカクテル)なのだ。

 これは警察側も確認済で咲人(さきひと)ももちろん知っている。


 だから附子霧(ぶすぎり)が死亡しても毒に対して気を抜かないのだ。

 ちなみにこれも附子霧(ぶすぎり)を射殺した一因でもある。


 魔力置換機能を有したスキルだから使い手が死亡しても支障は無いと言う事である。


 ザッ……


 再び部屋に向かって歩みを進める咲人(さきひと)


 大きな血だまりと首から上を無くした附子霧(ぶすぎり)だった死体を一瞥もせず、通り過ぎて動物実験室に戻る。


 魔毒弾とバヌウの回収である。

 飼育室を通り過ぎ、実験室に舞い戻って来た。


「バヌウ、どうだ?

 除毒は済んだか?」


【あ~~……

 サキィ……

 悪いじゃん……

 まだ立てそうにないじゃん……】


「バヌウ、俺が言った除毒の方法は試したか?」


【試したじゃん……

 でもよぅ、次から次と入って来るじゃんよぅ……】


 今の発言から解る事は未だ毒は滞留しているのだろう。


「バヌウ、身体を動かすぐらいは出来るか?」


【歩くとかはまだ無理じゃんよ……】


 身を捩りながら不調を訴えるバヌウ。


「首を伸ばす事は出来るか?

 出来るなら思い切り天井に向かって伸ばせ」


【それぐらいなら何とか……】


 プルプルと震えながらゆっくりと顔を伸ばすバヌウ。

 竜特有の首の長さを活かし、顔は天井付近まで到達。


「よし、その状態で除毒を試してみろ」


【お……

 おう……】


 バヌウが被毒したのは附子霧(ぶすぎり)に歩み寄る時に四足歩行で近付いたためである。

 姿勢的に首を下げる形になり、毒ガスを吸い込んだ。


 距離も近いせいで即発症。

 その場に倒れ伏す事となった。


 附子霧(ぶすぎり)の毒ガスは方向、位置を制御可能。

 バヌウの位置に滞留した為、更に吸い込む形となる。


 咲人(さきひと)の指示はとにかく顔を高い位置に持って行き、被害の拡大を防ぐというものである。


 当面のバヌウの処置はこれで完了。

 続いて咲人(さきひと)は周囲を見渡す。


 附子霧(ぶすぎり)が机に派手にぶつかったせいで物が散乱している。

 ゆっくりと周囲を観察する咲人(さきひと)


 ある物を探しているのだ。


 やがて目に映る赤黄色。

 それを拾い上げる。


 手に持ったのは航空機関砲の20mm口径弾。

 今回、魔毒弾を生成するため咲人(さきひと)が用意したもの。


 軽く揺すってみる。


 チャプ……


 液体が揺れる感触。


 薬莢の部分から。

 特に何かが漏れている様子は無い。


 どうやら、モノはきちんと生成した様だな。


 咲人(さきひと)はここで附子霧(ぶすぎり)が毒はきちんと生成したのだと確信する。

 仕事は果たしたのだと。


 咲人(さきひと)が出した注文は用意した20mm口径弾の特殊空砲に魔毒を仕込むというもの。


 位置は薬莢部分。

 毒の形態は液体。


 普通この大きさの弾丸が当たれば人間の身体は爆散する。

 だが相手はモナルカ。


 肉体強度は常識を遥かに超えている。

 最悪の場合、被弾せず跳ね返してしまう恐れすらある。


 なるだけ威力は高い方がいいと出来るだけ口径の大きい弾丸を選択したのだ。


「確かもう一本……」


 附子霧(ぶすぎり)の手から見えていたのは二発。

 ガサゴソと辺りを散策し始める咲人(さきひと)


 やがて発見。

 附子霧(ぶすぎり)に渡した特殊空砲は五発。


 残り三発。

 更にあちらこちらと探し始める。


 どうにか発見するが落ちていた場所が作業机の奥だったりあらぬ方向に転がっていたりと明らかに何も入っていない様子。


 振ってみても液体の感触は無い。

 空だ。


「…………附子霧(あいつ)……」


 前言撤回。

 附子霧(ぶすぎり)は仕事を果たしていない。


 五発の内二発しか毒が仕込まれていないからだ。


 ここから推測される事はおそらく附子霧(ぶすぎり)が弾丸に仕込んだ毒はバヌウが被毒したものと同一だ。


 そして毒の生成は思ってた以上に難航したのだろう。

 で、晴れて生成出来た毒を以ってまず何を考える?


 検証と実践だ。


 咲人(さきひと)が連れて来る竜で検証を行い、確認したら外に出てばら撒こう。

 検証に関しては問題無いだろうが実践するためには咲人(さきひと)が邪魔だ。


 ならとりあえず二発程魔毒弾を作って渡す時に二號(ヌルツヴァイ)を散布してやろう。

 おそらく附子霧(ぶすぎり)の考えはこんな所。


 何とも残忍で身勝手。

 そして浅はかな考え。


 咲人(さきひと)はここまで予測を立てて若干イラつく。

 しかしイライラしても何も始まらないと即座に感情を鎮めた。


 ここにある二発の魔毒弾。

 これに命運を託さないといけない。


 この二発きり。

 失敗は許されない。


 更に狙撃ポイントの選定。

 そこまでモナルカを誘い込むプラン等々。


 考える事は山積みだ。

 附子霧(ぶすぎり)のゲスい思惑に感情を割いてるヒマは無い。


「バヌウ、気分はどうだ?」


【大分楽になったじゃん。

 で、いつまでこのポーズで居ればいいじゃんよ】


「一先ずこの部屋から出るまではそのままだ。

 安全な所まで来たら教えてやる」


【結構、このポーズ疲れるじゃん。

 早くして欲しいじゃん】


「警視庁に戻るぞ」


 こうして咲人(さきひと)とバヌウは科警研を後にする。



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 一方その頃の竜司達一行は思いがけない所に居た。

 竜司の見上げる先には赤い三角の中にアルファベットのQの白い文字。


 その左にはFUJI-Q。

 右にHIGHLAND。


 そう、竜司達は富士急ハイランドの前に居た。


「銭の神さん、銭の神さん、教えてくんなましぃ~~……」


 竜司の前に居る男は銭寿(ぜにことぶき)首賭(くびかけ)

 特隊の隊員で警察官。


 ……なのだが風体は完全に警察官のそれでは無く、どちらかと言うと競馬場にいる予想屋が近い。


 今回、水晶の塊と化したガレアの捜索に協力して貰っている。


「ボインはぁ~~♪

 赤ちゃんが吸う……

 こっちやな」


 現在銭寿(ぜにことぶき)披瀝発掘(ダウジング)を使用中。


 このスキル、精度は高いのだが、使う度使う度、口上の前置きと使ってる最中は歌を歌わないといけないと言う珍妙な条件がある。


 しかも歌は何故か月亭可朝の嘆きのボインに指定されている。

 既に大まかな(あたり)を付けている為、今は微調整の段階。


 卑猥な歌を歌い始めてもすぐに反応がある。


 一番、初めの時は延々と嘆きのボインをリピートで歌いながらその場で回り続けると言う絵面的にかなりキてるものとなっていた。


 傍で眺める事しか出来なかった竜司はこう称する。

 恥獄だと。


 披瀝発掘(ダウジング)が指し示した方角は北北西。

 アトラクションとしては総回転数世界一を誇る絶叫コースター、ええじゃないか。


 足をブラブラさせた宙吊り型で乗車する360度タテ回転系アトラクション、パニックロック。


 高さ30メートルから池にダイブする、水飛沫の高さは最大18メートルのクールジャッパーン。


 最高時速65キロ、高さ52メートルから垂直落下するレッドタワー等が点在している。


 果たしてガレアは一体何処に?


 続く。

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