第百八十五話 孤影悄然(中田戦⑪)
2048年2月某邸宅寝室
「やあこんばんは龍」
「……パパ……」
今回はテンションの低い龍。
無理も無い。
昨日の話が話だから。
「龍……
大丈夫?」
「パパ…………
何でブーストかけてって言っちゃったの……?
感情が無くなっちゃうのに……
それで大丈夫なの……?
絶招経は只でさえ凄いのに……
そんなのにママの力使ったら…………」
「龍……」
龍には解っているんだ。
感情を無くすと言う事がどう言う事か?
感情を無くす事は人間らしさを無くす事になる。
それがどれだけ重いリスクか朧気に解っているんだ。
だけどそんな思惑を通り過ぎ、子の成長を見せる問いかけを龍はして来る。
「………………中田を…………
殺しちゃわない…………?」
鋭い。
この問いは龍が殺人を犯すと言う罪の重さを理解していると言う事。
子が真っ当に育ってくれて嬉しくもある。
だけど……
この鋭さは話し手泣かせとも言える。
まさに本日話す内容は殺意の部分も話そうと思っていたから。
「…………さぁ……?
どうだろうね……
それじゃあ今から話して行くよ……」
とぼける事が精一杯。
だけど今の龍なら気付いているかも知れない。
でも……
話さないと。
「…………うん……」
###
###
「………………暮葉…………
僕に魔力ブーストを…………
かけて……」
ウジュル……
ウジュル……
僕の眼下には超広範囲で悪食を展開し触れるもの全てを取り込んでいる中田…………
いや、もはや中田の姿は見えない。
中田だった何かだ。
おそらく僕らを至近距離で目撃した事で溢れた膨大な恨気と竜、竜河岸を取り込んだ事で得た魔力と掛け合わせ、更に悪食で取り込んだ材料を元にあの超広範囲の悪食を生成しているんだろう。
「え…………
いいけど…………」
「いやっっ!?
ちょっ……!?
ちょっと待ってぇっ!」
「きゃっ!?」
ビクンッ
暮葉が可愛い悲鳴を上げる。
多分僕の背中に触れようとしていたのだろう。
慌てて制止したのは僕の中で踏ん切りがつかなかったから。
何せ今の絶招経発動下で魔力ブーストをかけると言う事は呼炎灼戦の再来。
かなり高確率で欠損する可能性が高いからだ。
何を失うのか?
それは感情。
僕の予測では通常の絶招経でも副感情が欠損し、絶招経に魔力ブーストをかければおそらく喜怒哀楽に代表される様な主感情が欠損する。
これは最悪のケースとして僕が立てた推測。
確定した事では無い。
もしかして他の障害が出るかも知れない。
アレを使えば必ず歪みが出る。
ここで入院時に聞いたお爺ちゃんの一言が頭を過る。
感情を失わないにしても何の副作用も無しと言う訳には行かないだろう。
「…………とりあえず……
ガレア……
さっきの島まで飛んで……」
【…………わかった】
バサァッ
ガレアは大きく翼をはためかせ移動。
方向は南西。
公園内の大池中央にある島。
さっきから退避場所として使っている場所だ。
ガレアの翼なら一瞬の距離。
すぐに到着。
ドスッ
ガレアは赤い祠の側に着地した。
「わぁ……
何か気持ちのいい所ね…………
…………竜司?」
僕は暮葉の反応に応答する事も出来ず、無言でガレアから降りて大木の麓にへたり込む様に座る。
ガバッッ!
そして頭を素早く抱え込む。
無理だ。
もう中田は誰も止められない。
僕は間違っていたのか?
恨気を過剰生成させれば弱体化すると思っていた。
けど蓋を開ければ、結果は未曽有の超広範囲展開させた悪食だった。
自らの身体すら取り込んでしまう程の悪食の勢い。
もはや僕が何と闘っているのか解らなくなる。
中田なのか?
それとも術者を取り込んだ式と言う術そのものなのだろうか?
わからない。
標的すら見失う事態に僕は混乱していた。
こんなの無理だ。
あんな化物、14歳の引き籠りの手に負える代物じゃない。
何でこんな事になってしまったんだ?
誰が悪いんだ?
誰のせいだ?
頭の中は弱音と責任転換でいっぱい。
みっともないのは解っている。
けど言葉で発しなかったって所で勘弁して欲しい。
さっき魔力ブーストをかけてと言ったのは自然と発した言葉。
眼下に広がる地獄絵図から出た自然な言葉。
本能的に魔力ブーストを使用しないとこの事態を治める事は出来ないと感じたからなんだ。
本能的に出た言葉と言う事はそこに僕の意志は介在しない。
魔力ブーストをかける事で発生するリスクなどを度外視した言葉。
だから僕は止めたんだ。
我に返ったから。
僕はこの時覚悟が足りなかった。
中田と対峙してきて腹を括ったとは言ってたけど、それよりももっと強く。
硬い覚悟が必要だったんだ。
ガタガタガタガタガタガタガタガタ
抱えている両膝が大きく震えだす。
また噴き出て来たのか?
歪な恐怖。
ブルブルブルブルブルゥゥッッ!
続いて身体全体が震えて来る。
だが怖さは感じない。
これは恐怖では無かった。
言わば罪悪感。
巨大な罪悪感。
それが身体を大きく激しく震えさせている原因。
罪の意識の出所は何処か?
それは僕がしでかしてしまった事。
今まで僕の立てた作戦は全て裏目に出てしまっている。
濃霧の中で攻撃をした事も。
結果中田を進化させてしまう事になった。
さっきの恨気を過剰生成させる作戦も。
結局中田を捕える事は出来ず、今に至る。
僕がやった事は事態を悪化させただけ。
その事による罪悪感が体内で膨れ上がり今の激しい震えを作り出していた。
僕は立てた両膝の間に深く頭を落とし込む様に抱え込んだ。
「………………………………じゃあどうしろって言うんだよ…………」
ポツリと呟いた弱音。
膨れ上がる罪悪感に耐え切れなくなり飛び出す様に漏れ出た泣き言。
どうしたらいい?
どうしたら中田を止める事が出来る?
僕は答えを出せないまま頭を抱えるだけ。
スッ
ここで僕の身体が優しく。
そして力強く起こされる。
そのまま後ろへ倒された。
「ハイ…………
竜司…………
こっちに来て…………」
ポフ
優しい声と共に後頭部、背中が柔らかく暖かいものに触れた。
この感触は覚えがある。
ギュッ……
両肩から白くて綺麗な遅い両手が伸び、僕を抱きしめた。
「竜司………………
ゆっくり…………
ゆっくり……
深呼吸して…………
サンハイ……」
「スゥーーーー…………
ハァーーーー……」
後ろから僕を優しく抱きしめてくれてるのは暮葉。
「スゥーーーー…………
ハァーーー……」
僕の好きな。
大好きな女性。
「スゥーーーー……
ハァーーー…………」
僕の婚約者。
竜が変化している。
「スゥーーーー……
ハァーーー……」
トップアイドルで人気者。
弱い僕がへこたれそうになるといつもこうして慰めてくれる。
何を犠牲にしても護りたい。
一緒に幸せになりたい女性。
いつしか震えは止んでいた。
暮葉の優しさもあるが、僕自身暮葉に全幅の信頼を置いているからだ。
ギュ
僕の胸元にある暮葉の白くて綺麗な手を優しく握る。
「ありがとう…………
暮葉…………
もう大丈夫だよ……
離れても……」
「だぁーめっ!
そんな事言ってすぐに無理しちゃうんだから竜司ってば。
もう少しこのままで居なさいっっ!」
「えぇっ?」
素っ頓狂な声を上げる僕。
「お返事は?」
「はい……
わかりました」
僕はもう少し暮葉の豊かな双胸に埋もれておくことにした。
何だか結婚したら尻に敷かれそう。
〖んで主はん。
さっきの作戦は成功どすか?
失敗どすか?〗
側に居た久久能智が声をかけて来る。
もう僕の姿を腐したりもしない。
「…………そ……
そんな事、聞かれても解んないよ」
確認する術が無いのだから答えなんて出る訳が無い。
〖フウ…………
あんな?
主はん。
うちは何も確定した答えを求めとるんと違います。
推測でもええからさっきの作戦はどうやったんかを聞きたいんどす。
さっきの作戦の結果を踏まえた上で主はんの指針を知りたいんどす。
うちらは正直主はん以外の人間がどうなろうが知った事では無いどすからな〗
そんな僕に溜息交じりに低い声で話す久久能智。
理路整然と京都弁で饒舌に話す肌が緑色のお姉さん。
産まれて一か月ぐらいしか経ってないのに。
「そ……
そう……
ごめんね……
えっと……
僕の意見で言うと今の段階では成功が3割。
失敗が7割と言った所。
根拠は確かに中田が苦しんでいた所。
これが成功ね。
それで……
失敗は今の状況……
かな?」
暮葉の暖かさに包まれていたら頭は回る。
考えを巡らせる事は可能。
〖なるほどな。
んでどないするんどす?〗
「確かに今のじょ…………」
ゾクゥゥゥゥゥゥゥゥッッ!
言いかけた段階で背筋を怖気が奔る。
【何だァッ!?
てめぇらぁっ!】
ある方向を見たガレアも怒気を発する。
その方向を見ると……
居たのは………………
人。
いや、人じゃない。
人型をしたドス黒い紫色の肉塊。
僕は急いで立ち上がり、即全方位内を確認。
「なん……
だ……?
コレ……?」
僕の眼に映るのは広範囲に広がっている悪食らしきもの。
気が付いたら僕らが退避している小島まで伸びて来ている。
僕が目撃している紫色の人型は側まで迫って来ている悪食から出ている。
これらの事から僕はこの紫色の人型の正体が解った。
これは受憎。
受憎で生成された人型だ。
人数は10人以上。
戦闘態勢を取った僕は右拳を硬く握る。
ビュオッッ!
握った拳から猛風が吹き荒れる。
魔旭から抽出した魔力を右手に集中。
「起動ォッッ!」
僕は迫る受憎人に真っすぐ拳を放つ。
ドバァァァァンッッッ!!
炸裂音を立て、命中した1人を。
その風圧で2,3人を吹き飛ばす。
ビチャァ!
ビチャビチャァァッ!
四散した紫色の肉片が辺りに散らばる。
が、すぐに悪食に沈み込んで行った。
これじゃあキリが無い。
「ガレアァァッッ!
灼吐を吐けェェェッ!
水虬ィィッッ!
消火用の水の準備をっっっ!」
【おうっ!
カァァァァーーーーッッッ!】
〖わかりんしたぁっ!〗
ガレアの吐く息が広範囲の悪食にかかる。
ボッッッ!
ボボボボゥゥッッ!
たちまち引火。
火の手は瞬く間に高く。
小島の木々を巻き込んで燃え盛る。
パチパチ
木々が爆ぜる音が響く。
「ガレアァッ!
もういいっっ!
僕らを乗せてこっちの方向へ飛んでくれェェッ!
水虬ッッ!
僕らが退避したら雨を降らせて消火ッッ!」
燃え上がる炎上網に少し悪食の侵食が止まった。
僕は暮葉と共にガレアに飛び乗る。
ギュンッッ!
ガレア急速発進。
僕が指し示した方向は南西。
公園内の南西隅だ。
「この辺りで良いっっ!
ここに降りてくれっっ!」
【おうっっ!】
バサァッ!
大きな両翼をはためかせ着地態勢。
ドスッ
ガレア着地。
場所は公園の南西。
小さな池のほとり。
比較的大きな木々が多数生えている。
目端に映るのは高速道路。
ここは外界との境界線付近だった。
僕はゆっくりと地上に降りる。
辺りは大きな木々の影でほぼほぼ真っ暗な状態。
その真っ暗闇の中で僕は考えていた。
現在の中田の状態を。
今の中田は余りに常軌を逸し過ぎている。
いくら式と言う術があったとしても。
全方位内を確認すると現在島を含めた大池の半分以上を呑み込み、更に拡大を続ける悪食が見える。
この射程と勢い。
そしてさっき目撃した受憎人。
人としての許容範囲を大きく逸脱した能力を示している中田。
いくら溢れた恨気が超膨大だからと言ってこんな現象を引き起こすのだろうか?
僕は少し考える。
今までの中田の行動などを加味した上で弾き出した結論は…………
魔力。
中田は残存魔力を変化させて今の現象を作り出しているんだ。
魔力は使用者のイメージで如何様にも変化するエネルギー。
おそらく中田は僕らへの怨みを晴らす為には。
この怨みを晴らす為にはどうしたら良いのかと考えたに違いない。
現在の中田はまともに言葉も話せない。
となると心象等と言う様な知的行動は取れない。
ただ頭にあるのは…………
怨。
これだけ。
内容はともかく思惑としてはシンプルな為、魔力の作用としては式の大幅レベルアップとなったのだろう。
いや、もはやレベルアップなんて生易しいモノでは無い。
変質。
奇しくも暮葉の魔力ブーストに近い。
まだここまで悪食は伸びて来ていないが、どんどん拡大を続ける悪食。
もはや中田は後戻りなど考えていない。
人としての夢も幸せも未来も全てかなぐり捨てて。
ただ奥さんと娘の無念を晴らす。
いや……
もはや何を怨んでいたのか?
何に怨みを募っていたのか?
それすらも解らないかも知れない。
心の奥底にこびりついた禍々しく毒々しい得体の知れない感情が膨れ上がり、縛られてしまっているのでは無いだろうか?
おそらく今の状態は操作出来ていないのでは無いか?
言わば暴走状態。
悪食に触れる物全てを喰い尽くす怪物。
人間から大きくかけ離れた存在と成り果ててしまった中田。
ツウ
両眼から下へ涙が伝う。
静かにゆっくりと伝う。
僕は泣いていた。
静かに声も上げず。
ただ中田の居た方を見つめ泣いていた。
中田はどうしてこんな事になっちゃったんだろう?
どこで間違えたんだろう?
僕が中途半端な攻撃を与えていた辺りからか?
それとも僕がドラゴンエラーの犯人と告げたからか?
暮葉がアイドルに憧れて人間界に来た辺りか?
いや…………
違う。
違うな…………
僕が引き起こしたドラゴンエラーで愛妻と愛娘を殺されてしまった時からだ。
その事に激しい恨みを抱いた段階でこの未来は決定していたのかも知れない。
この生き地獄の様な未来を。
そんな中田を想い、出た涙。
胸をゆっくり深く抉った哀しみだった。
「…………暮葉…………」
「ん?
なあに?」
「………………僕に…………
魔力ブーストを…………
かけて」
「うん…………
いいけど……」
「…………前の…………
静岡でやった様な…………
僕の中にある…………
力にかけるイメージで…………
お願いっ!」
僕は語尾を荒げる。
これは僕の覚悟の表れ。
僕に魔力ブースト使用を決意させたのは中田に想いを巡らせたのがきっかけ。
僕がドラゴンエラーを起こした事で全てを捨てて怪物と成り果ててしまった。
そんな中田に対して僕が五体満足で生き残ろうなんて虫が良すぎると思ったんだ。
文字通り全てを捨てて僕らに対する怨みを晴らす為だけに動いている中田。
そこまでしている中田への返礼。
感情を捨てるぐらいしないと中田に申し訳が立たない。
ヘンかも知れないけどこの時の僕はこう思ったんだ。
感情が無くなるのは承知の上での頼みだった。
「う……
うん…………
わかった……」
ソッ……
暮葉の手が背中に触れる。
僕は確信していた。
このブーストをかけた絶招経。
この極大な力なら全てを終わらせる事が出来ると。
前のキレて使った時とは違う。
心境としては冷静で絶招経がどう言う物か認識、理解もある。
おそらく感触は初めて行った時とは違うだろう。
この認識、理解と言うのはこと魔力関連ではかなり重要で頭に血が昇って使用するより冷静にスキルや術を理解して使用した方が精度、効果が上がるんだ。
僕が良くスキルに名前を付けているのはその認識、理解の為なんだよ。
そして……
僕は……
この魔力ブーストをかけた絶招経を……
真・絶招経と命名した。
「…………はい……
かけたわよ……」
ズンッッッッッッッッッッッッッ!!!!
!!!!?
暮葉の手が離れた途端、僕の身体が極大な重さが圧し掛かった。
何だ!?
何が起こった!?
ベコォォォォォォォォォッッッッッ!!!
両脚の地面が割れる。
確かに僕の身体が重くなっている。
一体この重さは何処から来ている?
眼刺死の様な外側から圧し付けられている感触では無い。
言わば内側。
体内にこの絶大な重さが存在している。
その正体はすぐに解った。
魔旭だ。
内在している魔旭が途轍もなく重く感じる。
いや、地面が凹んだ所を見るとこの重さは現実に発生している物。
これが魔力ブーストの効果か?
こんなに重たくなってしまってはまともに動く事も出来ないんじゃ無いのか?
僕は右足を上げてみる。
ひょいっ
予想とは反して軽々上がる右脚。
スッ
右足を降ろす。
ベコォォォォォォッッッ!
触れた途端大きく凹む地面。
やはり今の僕はかなりの重量になっている。
重たくないのに重い。
何とも不思議な感覚。
これが真・絶招経の効果。
……いや、魔力ブーストの効果か。
体内の魔旭に意識を集中すると明らかに違う。
どう違うかと説明は難しいけどさっきまでの魔旭とはモノが違う。
感覚的に解る。
イメージで表すならさっきまでは真っ赤な太陽だったが、今は黒い太陽。
一片の光も差さない様な深く黒い太陽。
それが今、僕の身体に内包されている。
感情はどうなったんだろう?
今の所目立った変化は無い。
僕の心には哀しみの残滓(残りかす)も感じる。
と、言う事はまだ哀しめると言う事。
何が無くなったんだろう?
解らない。
解らないだけに不気味。
バキバキ…………
ここで遠くから木が薙ぎ倒される音が聞こえて来る。
全方位確認。
悪食が迫って来ている。
真・絶招経の考察については後回しだ。
僕は中田を止めないと。
「4人共聞いて……
多分……
僕一人で大丈夫だと思う……」
【何言ってんだよ竜司ッッ!!?
あんな訳わかんねぇモンお前一人だけで倒せる訳ねぇだろうがァっっ!!?】
「…………多分お前から貰った魔力はブーストを経て途轍もない物に変わってる……
多分この力なら誰にも負けないと思う……」
【そっ……
そうなのかよっ……】
僕は静かに強い意志を込めてガレアを見つめた。
圧倒されたガレアは納得した様子。
いや、納得せざるを得ないと言った様子。
〖主はん、一人で行く言うたかてうちらは主はんに付いとるんどすえ?
嫌でも付いてってまうがな〗
〖そうでありんすえ……
わっちらは死ぬまで楼主はんと共にでありんす……〗
「それに関しては……
ガレアに移そうと考えてる……
多分今の僕なら出来ると思う……」
僕は魔旭から魔力を取り出し、両手に集中。
久久能智と水虬に向かって掌を向けた。
そして念じた。
ガレアに移れと。
〖お……?
おお?
おおおおおっ?〗
動き出した魔方陣に驚きの声を上げる久久能智。
するとどうだ。
久久能智、水虬の足元にあった魔方陣がガレアに向かって動き出したでは無いか。
そのままガレアの側で制止。
これで僕は晴れて独り身。
「…………ね?
出来たでしょ?」
【どすっっ!?
ありんすっっ!?
何でお前ら俺に纏わりついてんだよっっ!】
〖んなモン知らんがな。
主はんの意向どす〗
〖いやぁぁぁぁーーっっ!
わっちはぁっ!!?
わっちはぁっ!
嫌でありんすゥゥゥーーッッ!
楼主はーーーんっっ!〗
水虬が泣きながら手を伸ばし絶叫を上げる。
だが魔方陣から踏み外す事は出来ない。
「ゴメンね水虬……
でも……
これだけは僕だけでやらせて欲しい……」
「……………………竜司………………
また…………
一人で行っちゃうの……?」
最後に暮葉。
重い口を開く。
その声はとても悲しそう。
「………………うん…………
中田は…………
そもそもドラゴンエラーが原因でこうなっちゃったから……」
「それなら私だってっっ!」
暮葉が声を荒げる。
だけど僕は静かに首を振る。
「違うんだよ暮葉…………
確かにドラゴンエラーの被害は逆鱗に触れられた暮葉がやった事かも知れない…………
けど……
それは僕が逆鱗に触れなければ起こらなかった事なんだ……
だから……
やっぱり僕の方が責任がある…………
一緒に罪を背負ってくれてる暮葉の心には本当に本当に感謝してるんだけどね……」
事実を突き付けられた暮葉は無言。
何か言いたくても言葉が出ない。
そんな印象。
「だから……
暮葉は上から見ててよ……
あとガレア……
多分かなり広範囲で肉片が飛び散る可能性がある……
飛び散っているのが解ったら灼吐で燃やして行って欲しいんだ……」
【……おう、わかったぜ。
なら俺はアルビノを載せてお前の上空辺りを飛んでたらいいんだな】
もうガレアは一人で行く事については何も言わない。
自分もやるとは言わない。
僕の本気を感じ取ったからだろう。
絆の深さからか。
信頼しているからかは解らないが。
「うん……
それでお願い。
あと水虬……」
〖すんすん……
楼主はん……
すんすん〗
鼻を鳴らしながらさめざめと泣いている水虬。
そんなに僕の側から離れたのがショックだったんだろうか?
「水虬」
〖ハゥアッッ!?
なっ……
何ざんしょっ!?〗
「…………お前はガレアが付けた火を消火して欲しい……
これは水虬にしか出来ない事だ……
だから……
お願い……」
〖…………わかりんした…………
わっちに任せておくんなんしィッッ!
わっちが居る限り火は残しませんでありんすヨォッ!〗
「うん……
お願いね……
あと久久能智」
〖何どすか?〗
「お前には戦況の分析を任せる」
〖戦況の分析?〗
「今の僕の状態なら多分負けない…………
けど万が一と言う事もある。
僕が負けそうになったらこっちの方向に居る人物に向かう様ガレアに教えてやって欲しい」
僕が指し示した方向は東京ドーム。
その外周に見慣れた反応が三つ。
真・絶招経を発動した事によって全方位の範囲も桁違いに広がったんだ。
広げる気が無くても東京ドームぐらいスッポリ包んでしまうぐらいの範囲はあった。
東京ドーム外周に居た三つの反応は共に白色光。
竜河岸だ。
その三人とは元、踊七さん………………
そして何故か兄さんが居た。
側には蒼色光。
へそから下と左の前腕部を欠損。
そして首が斬られている。
蒼い光は一般人。
その蒼い光は動かない。
誰かは解らない。
と言う事は僕が会った事無い人物。
感覚で察した。
これは渇木だ。
渇木髄彦だ。
状況からして確保したんだろう。
さすが兄さん。
暮葉はさっき曽根をやっつけたと言っていた。
これで刑戮連は中田一人となる。
何故事務処理に追われている兄さんが現場にいるのかはこの際置いておく。
近くにいるのなら好都合。
〖ハァ……
確かに3人ぐらい固まっとりまんな〗
「うん……
その内の一人が僕の兄さんなんだ……
万が一僕が倒れたらその人の元へ向かって欲しい……」
〖んなん言うても即死やったらうちらも共倒れやで?
飛ぶ方向指示しとるヒマなんかありゃしまへんどすえ?〗
「だから戦況の分析をして欲しいんだ。
僕が倒れたらなんて言ったけど、旗色が悪くなったらもう飛んでいい」
〖なるほど。
そう言う事でっか。
わかりました。
けど主はん?
うちらは腐っても精霊や。
穢れた…………〗
「わかってるよ。
穢れた人間とは話したくないって言うんだろ?
それに関しては考えてある。
暮葉?」
「………………何?」
神妙な声。
「暮葉はガレアがある方向を目指して飛んだらその先に兄さんがいるから助けを求めて欲しい……
兄さんが居れば何とかなると思うから……
先輩や元も居るし……」
「……………………嫌…………」
…………やっぱりか。
「竜司さっきから自分が死んじゃうみたいな怖い事ばっかり言ってるもんっっ!
そんな事になるぐらいなら私も一緒に戦うっっ!」
多分、話の内容は全て理解はしてなくても僕が死んだ時の事を話してるって言うのは解ったんだろう。
「暮葉…………」
「うっ…………
うっ…………
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっっっ!!!
竜司ぃぃぃっっ!
死んじゃヤダァァァァァッッ!
せっかく蓮が来てくれたのにぃぃぃっっ!
3人で楽しく遊べると思ってたのにぃぃぃぃっっ!」
暮葉が子供の様に大号泣。
おいおい。
まだ死ぬと決まった訳じゃ無いだろう。
あくまでも万が一の話だ。
それにしても母親の様な大人の対応をすると思ったらこうして子供の様に泣きじゃくったりもする。
本当に竜って解らない。
…………いや、違う。
人間の大人も子供みたいに泣きじゃくりたい時もあるけど、世間体や立場とかがあってそう出来ないだけか。
いわゆる“恥”というもの。
暮葉は僕と知り合ってようやく恥ずかしいって感情を覚えた程度だから世間体とか立場とかは気にしないんだろう。
スッ
僕は優しく微笑みながら暮葉の涙を優しく拭う。
「暮葉…………
そんなに心配しないで……
さっき話した内容はあくまでも起きたらの話だよ……
僕だって暮葉と結婚してないのに死にたくはないし……
君がくれたこの力は………………」
ギュッ
僕は魔力を軽く右拳に集中し、硬く握る。
ボバッッッッッッ!!
右拳から弾ける様に噴き出す鉄砲風。
あきらかに通常の絶招経とは違う反応。
「きゃっ!」
至近距離で吹き荒れた猛風によろける暮葉。
「伊達じゃない」
「う……
うん……
何だか良く解らないけど解った……」
「ありがとう…………
さぁこんな事はとっとと終わらせる。
それで蓮と3人で遊ぼうよ」
そう言う僕の顔は笑顔。
「うんっっっ!」
それを上回る満開の笑顔を見せる暮葉。
どうにか暮葉は納得して貰った。
あとはガレア。
こいつはすぐに済むだろう。
「ガレア」
【…………何だよ竜司】
いつも話を聞いておらず勝手な事を喋ってるガレアだが、今回は違う。
「ガレアはどすとありんすの指示に従って欲しい」
【あぁ、そこら辺は聞いてたから解ってるよ。
どすが行った方向に飛んだらお前の兄ちゃんが居るんだろ?
んでお前の兄ちゃんにアルビノを引き渡せば良いんだな?】
きちんと聞いて理解していたガレア。
けど僕は驚かない。
おちゃらける時はおちゃらけて。
勝手な事を言いながら勝手な事をする時も多いけど……
真剣な場ではきちんと真剣に対応する。
それが僕の相棒。
ガレアだ。
「うん、そうだよ」
【竜司……
おめぇ死ぬんじゃねぇぞ……
お前には一緒に特撮作るって事が残ってんだからよ……】
これは蓮と別れた時に話していたガレアの夢の話だ。
「フフ……
そうだね。
じゃあ……
僕は行くよ」
〖わかりました〗
〖……お気をつけなんし……〗
「…………わかった」
【おう、竜司。
アイツをぶっ飛ばしてこい】
「うん」
バサァッ
僕は地上から舞い上がる四人を見送った。
さて……
「行くか」
僕は少量の魔力を両脚に集中。
起動
ベコォォォォォォォォォォォォッッッ!!
集中させた魔力を爆発。
軽く地面を蹴った。
瞬時に視界が変わる。
地表は遥か下。
目線上に飛んでいるガレアが見える。
凄い。
本当に極少量しか魔力を集中させてないのに。
凄まじい効果だ。
ドコォォォォォォォォォォォォォォォンッッ!!
激しい着弾音を立てて僕は着地。
全方位内で位置を確認。
方向は北東。
僕は公園内の小川の岸辺辺りまで飛んでいた。
距離にして250メートル弱。
一飛びでこの距離。
仮に魔力注入でこれを実現させるとなると大魔力注入クラスの大魔力が必要。
且つ三則を使用して強く地面を蹴らないと無理だろう。
ここまで凄まじいのか真・絶招経は。
小川の岸辺とは言ったが視界に映る光景は…………
紫。
一面にドス黒い紫平野が広大に広がっていた。
光景はラベンダー畑の様な綺麗な紫では無く、禍々しく毒々しい紫色。
それがずっと広がっている。
これは悪食。
中田が展開した悪食だ。
平野になっているのは木々や構造物などは全て悪食に取り込まれてしまったからだろう。
遮蔽物が無くなってしまったものだから外界や範囲外から照らす照明の光を吸収し、グロテスクな紫色を放っている。
多分中田は僕がこの場所に降りた事に気付いている。
何故なら………………
既に数十体の受憎人が僕に襲い掛かろうとしていたから。
タキサイキア。
だが、僕は落ち着いていた。
落ち着いてタキサイキア現象発動。
ゆっくり。
ゆっくりとドス黒い紫色の腕が大量に押し寄せて来る。
集中
僕は右脚全域に魔力を集中。
「起動ォォッッ!」
ボバッッッッッッッッッッッ!!!
三則を発動させ、強烈な右回し蹴りを放つ。
超高速で回る僕の右脚。
触れた途端ドス黒い紫色の腕は大量に吹き飛んだ。
受憎人本体ごと。
僕の放った右回し蹴りは受憎人二十体近くを一撃で吹き飛ばした。
何て凄まじい威力。
まるで竜巻。
これを僕はF-1と命名。
このFと言うのは竜巻の強さを表す言葉。
藤田スケールって言うんだって。
■藤田スケール
竜巻の強さを評定する為の尺度。
主に建築物や樹木等の被害状況に基づいて推定される。
公式な階級区分は写真や映像を用いた検証のほか、状況に応じて竜巻襲来後に地上に形成される渦巻模様のパターン、気象レーダーのデータ、目撃者の証言、メディア情報等を基に決定される。
階級はF-0~F-6まで存在する。
通称Fスケール。
僕は真・絶招経で扱う魔力の技をF-1と命名した。
これは込める魔力の量でF-2、F-3と数字が上がって行く。
もちろん今初めて使ったからF-2になるとどれだけ威力が跳ね上がるかは解らない。
今の受憎人相手ならF-1で充分の様だ。
「…………F-1……」
ボバァッッッッッッッッッ!!
受憎人二十体近くを吹き飛ばした僕は右脚を地に付けると同時に左足で後ろにトラースキックを放つ。
激しい鉄砲風が更に受憎人を大量に巻き込んで真っ直ぐ駆け抜ける。
なるほど。
F-1で出る爆風の様な風は指向性があるらしい。
回し蹴りなら弧の形に広がり、トラースキックの様な突き系の蹴りなら真っ直ぐ槍の様に噴き荒れるのか。
ボボゥ……
と、ここで微かに燃える音が聞こえる。
見上げると遥か上空でガレアが灼吐を吐き、飛び散る受憎の肉片を燃やしていた。
きちんと仕事をしてくれている様だ。
それにしてもあんな所まで飛び散るのか。
我ながら凄まじい威力。
ウジュル……
ウジュル……
と、そんな事をしている場合では無い。
地に敷かれた悪食から次々と受憎人が生成。
更に襲い掛かって来る。
「…………まあ状況からしてそうなるよね…………
F-1……」
ボバァッッッッッッッッッ!!
ドンッッッッッッッッッッ!!
バフォッッッッッッッッッ!!
次は拳でF-1を放って見た。
フックの場合は弧の形。
ストレートは真っすぐ直線。
アッパーは地を抉り、昇る形。
それぞれ鉄砲風が受憎人を巻き込み吹き飛ばす。
一撃でおよそ10~20体は四散。
瞬く間に周りには誰もいなくなる。
けど、こんな事はいくらやってもキリが無い事は解っていた。
雑兵はほぼ無限に生成出来るのだろう。
こう言うのはアニメや漫画であるお決まりの事だから。
今は半ば真・絶招経の威力検証の意味も込められていたんだ。
「AAAAAAAAAAA………………」
受憎人の呻き声?
いや、ただの肉が擦れる音かも知れない。
気持ち悪い音を立てながら更に襲い掛かって来る受憎人の大群。
ボンッッッッッッッッッッッ!!
ドンッッッッッッッッッッッ!!
バンッッッッッッッッッッッ!!
だが真・絶招経を発動し、且つタキサイキア現象下の僕には関係無い。
迫り来る受憎人の群れをF-1で薙ぎ倒して行く。
闘いながら考えていた。
僕が無くした感情について。
さっき暮葉に笑顔を向ける事は出来た。
と、言う事は笑えると言う事。
喜?
楽?
どちらかは無事と言う事。
発動した後、心に哀しみが残っている事も確認した。
となると哀は残っている。
欠損したのは喜か楽のどちらかと言う事だろうか?
そう言えばこの二つってどう違うんだろう?
知らない。
調べておこう。
全てが終わってから。
それよりも今は中田。
中田だ。
「………………起動」
ベコォォォッッ!
僕はさっきよりも少ない。
極々少量。
ほんの僅かな魔力を両脚に集中し、地に敷かれている悪食を蹴った。
刹那。
踏んでいた悪食は弾け飛び、剥き出しの地面を抉る。
僕は超速で前へ。
僕は考えた。
常軌を逸した状態となった中田だが、結局の所やる事は変わらないのではと。
夥しい量の悪食や受憎人の群れ。
ドス黒い紫色の肉を掻き分けて中田本体の口を塞いで窒息。
気絶させてしまえば全てが終わるのではないかと。
僕が向かった先は先程戦闘が行われた現場。
中田本体を目指していた。
F-1で立ち塞がる受憎人の大群を吹き飛ばしながら、超速で前へ進む。
その中で全方位内を確認。
全方位の中では悪食は建造物や地形と同等の反応で見えるんだ。
いわゆる骨組みだけの透過した様な形。
やっぱり……
こうなるか。
全方位内を確認しながら僕の頭の中にはこんな言葉が過っていた。
ある程度予想されていた事。
諦めにも似た達観した言葉。
その言葉の先には中田本体。
中田に向けられた言葉だった。
全方位内に確かに中田本体の反応はあった。
あったが…………
位置……
いや、座標がおかしい。
山の様な地形の頂点。
そこに中田は座していた。
もちろんさっき戦った時はこんな山なんか無かった。
反応では白色光に輝くのは頭部と胸部の一部分だけ。
これは変わっていない。
僕にはその座している山の正体はすぐに解った。
それは………………
受憎。
受憎で産み出したドス黒い紫色の肉。
それが山の様に連なっているんだ。
こう言う展開もアニメや漫画などで良くある。
いわゆるボスの巨大化。
大抵巨大化したボスはあっけなくやられる事が多いけどどうなんだろう?
こればかりはやってみないと解らない。
これは僕の力量不足と言うよりかは敵の能力の底知れ無さからだ。
ザシャァァァァァァッッ!
僕は受憎の山の麓まで辿り着く。
地は変わらずドス黒い紫色の悪食が一面。
目の前に佇むのは…………
山。
標高15メートル程の山。
全てドス黒い紫色の肉で構成されている。
見上げたその先には中田の顔。
月を背負う中田の顔があった。
「フーーーッッ!
…………フーーーーッッ!
………………GAAAAAAAAAAAAAAッッッッッッ!!」
荒い息を吐き、肉食獣の様な咆哮を上げる中田。
見た目はかなり悍ましい。
禍々しく毒々しいフォルムと化した中田。
平時なら恐怖で悲鳴を上げていただろう。
だけど……
今の僕は落ち着いていた。
心は静。
波一つ立たない湖面の様。
ああ、そうか。
見上げた僕の頭に過った言葉。
まるで今起きている事象を受け入れている様な。
歪な恐怖も湧いて来ない。
ただただ目の前に起きている常軌を逸した現象を受け入れる。
そんな言葉だった。
絶招経を考案した武道家も晩年はこんな心境だったのだろうか?
グググググ…………
紫の山の麓が迫り上がる。
いくつもいくつも迫り上がる。
現れたのは超巨大な受憎腕。
そしてこの戦いで何度も僕の骨をへし折った超巨大な拳。
それが大量に生成された。
ググ…………
ゆっくり。
ゆっくりと紫の拳を握り、こちらへ向けた。
ブブブブゥゥゥンッッ!!
一斉攻撃。
一撃で僕の骨を多数へし折った超巨大な拳が襲い掛かって来た。
しかも今回は多数。
一つでは無いんだ。
タキサイキア。
普通なら絶体絶命の状況。
だけど僕の心は静のまま。
静かに落ち着いてタキサイキア現象を発動させた。
時の流れが極めて遅くなる。
全ての動きが途轍も無くスロー。
襲い掛かって来る超巨大な拳の大群も全て。
僕は襲い掛かって来る超巨大拳に向かい、ゆっくりと右拳を振り被る。
「………………F-2…………」
僕はレベル。
ギアを一段階上げた。
これで一体どう変わるのか?
それを確認する為だ。
ゴッッッッッッッッッ!!!
背面から放った僕のオーバーハンドブロー。
タキサイキア現象下なら良く解る。
僕の右拳が発火している。
ゆっくりゆっくり燃えているのが見える。
大気摩擦で発火したんだ。
巨大な受憎の拳が僕に命中するタイミングを見計らって放った僕の拳。
バァァァァァァァァァァァァァァァァンッッッ!!!
耳の傍で大量の火薬を炸裂させた様な爆発音。
僕は右拳を振りぬいた。
何の抵抗も無く。
すんなりと。
迫って来た超巨大な受憎の拳群は消失。
地に敷かれた悪食の一部分ごと全て消し飛んだ。
「…………F-2…………」
振り抜いた体勢から振り向きざまに第二撃。
背後から迫って来る超巨大な受憎拳の大群目掛けて、苛烈な右回し蹴りを繰り出す。
ガァァァァァァァァァァァァァァァァンッッッ!!
先と同様の炸裂音。
瞬く間に辺り一面何も無くなってしまった。
剥き出しになった荒れた地面が晒されているのみ。
先程まであった無数の超巨大受憎腕は影も形も無くなってしまった。
地に敷かれた悪食ごと。
ズズゥゥゥンッッッ……!
重苦しい音が聞こえる。
僕の凄まじい一撃は受憎の山も削り取ってしまったんだ。
宙に浮いた山が落ちて来たんだ。
なるほど。
F-1の時は受憎の破片は散らばっていたがF-2の場合は消失してしまうのか。
これが単に威力が桁違いに上がったせいかそれとも効果が変質したのかは解らない。
ともあれ邪魔は無くなった。
多分F-2までの威力で充分渡り合える。
さあ行こう。
全てを終わらせよう。
僕は目の前に聳える受憎の山を登ろうとした。
が…………
ウジュルゥゥッッ!
受憎の山から悪食が急速生成。
タキサイキア。
咄嗟にタキサイキア現象発動。
時の流れが遅くなる。
ゆっくり。
ゆっくりと悪食が伸びる。
僕が吹き飛ばした穴を塞ぐ様に。
同時に太い受憎腕を周りに大量生成。
その太さは大木を想起させる。
ゆっくり。
ゆっくりと天に昇って行くドス黒い紫色の腕。
ビュビュビュビュュンッッッッッ!
硬く握った紫色の巨大拳の群れで僕に襲い掛かって来た。
だが、タキサイキア現象発動下ではその動きは丸解り。
また吹き飛ばしてやる。
「……………………F-1……」
僕は集中させる魔力量を下げた。
ワンランク下げたのは充分威力があると考えたからだ。
先程F-2を使用したのは威力検証の為。
充分なら無駄に魔力を使う事は無いと言う事だ。
僕は迫る巨大な紫色の拳に合わせる様にストレートを放つ。
いわゆるカウンター。
だけど………………
その考えは甘かった。
僕の予想では拳が触れた途端、砲撃の様な魔力風が吹き荒れ真っ直ぐ受憎腕を蹴散らすと思っていた。
だが結果はそうでは無かった。
ドコォォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!
衝撃音。
一瞬で遠ざかる受憎の山と中田。
吹き飛ばされたのは僕だった。
バキィッッ!
ベキベキベキベキィィッッ!
背中で木々をへし折りながら真横に吹き飛ぶ僕の身体。
何故僕が吹き飛んでいるのか?
その答えはすぐに判明。
と言うか忘れていた。
「…………超順応か……」
そう、超順応。
僕は真・絶招経の超絶無比な威力に酔って忘れていた。
中田はF-1の破壊力に順応したんだ。
だけど吹き飛ぶ刹那。
確かに見た。
僕の拳が受憎腕を破壊しているのを。
破壊が中途半端だったのか拳を壊されながら僕を殴り飛ばしたんだ。
痛覚が麻痺しているからこそ出来る芸当。
まあ、今の中田の状態だと痛みがあるのかどうか怪しいが。
ぐるんっっ!
僕は素早く反転。
巨木に着地。
ベキィィィィィィッッ!
ドラム缶程の太さがある大木が簡単にへし折れる。
今の僕の身体は重たいんだ。
これは想定内。
ガッッ!
僕は素早く枝を掴む。
そのまま倒れ込み威力を殺した。
ゆっくり立ち上がる。
ダメージは無い。
これも真・絶招経の効果だろうか?
どれぐらい飛ばされたのだろう?
全方位内を確認。
大分西に流れてしまった。
距離にして150メートル弱と言った所。
地面は普通。
まだ悪食の侵食は来ていない。
ここで解った事がある。
悪食の広がり方は四方満遍無くと言った様子では無い。
ある方向に偏っている。
西の方角にはあまり伸びていない様子。
全方位内を確認すると木々などの植物、その他構造物が消えているのはここから東に40メートルほど先。
悪食は全方位内で特定は難しい。
周りの風景や地形の違和感。
そこから推測するしかない。
僕は先と同じぐらい極々少量の魔力を両脚に集中。
ベコォォォォォォッッッ!
軽く地を蹴り、前へ。
超速で薄暗い風景が後ろに流れて行く。
地面が変わった!
ドス黒い紫!
悪食だ!
ぐるんっっ!
ズシャァァァッッ!
僕は悪食の上に着地。
ズリュゥッ……
ズリュリュリュゥッッ…………
着地した途端、囲まれた。
悪食から大量の受憎人が生えて来たんだ。
思った通り。
悪食が触れたものは中田本体でも感じる事が可能なんだ。
辰砂の水銀の様に。
だから僕がここに居る事は気付いている。
だから受憎人を生成したんだ。
超順応するには早過ぎると思っていたが、中田本体まで辿り着く前にF-1を披露したせいか。
これで感じていた微かな違和感も解消。
あとは…………
「AAAAAAAAAAAAッッッッ…………」
声にならない呻き声を上げながら迫って来る受憎人の大群。
「………………F-1…………」
右拳に魔力を集中。
強烈なフックを放つ。
ボバッッッッッッッッッッッッッ!
瞬時に受憎人が大量に爆散。
空高く舞い上がる肉片。
思った通り。
まだ中田はF-1の威力に順応しきれていない。
全く効かないと言う訳では無い。
ふと僕の顔に光が差し掛かる。
空でガレアが飛び散った肉片を燃やしているんだ。
飛び散った肉片に関してはガレアに任せておこう。
これで検証も終わった。
中田の元へ戻ろう。
ベコォォォォォォッッッ!
地を蹴り、前へ弾け飛んだ。
受憎人を生成する暇なんて与えない。
僕は駆け抜けた。
遠目に山が見える。
受憎の山だ。
ザシャァァァァァァッッ!
僕は悪食を蹴り、急ブレーキ。
またドス黒い紫色の山の麓へ舞い戻る。
「フーーーッ……!!
フーーーッ!!
…………AAAAAAAAッッッッ!!」
荒い息を吐きながら唸り声を上げ、真っ赤な両眼で僕を見降ろす中田。
が、次は何も生成しない。
攻撃して来ないのか?
そう考えたがそれは誤り。
中田の攻撃は既に始まっていた。
それに気付いたのは身体の中で湧いた違和感。
感触としては……
“何かが侵入して来た”
そんなイメージ。
僕にはこれが何かすぐに解った。
感じた覚えのある感触だったから。
これは……
感染除法。
周りの大気に恨気を付着して散布したんだ。
感染除法も使えるのか。
そりゃそうか。
中田は刑戮連のリーダーだし。
僕の頭の中に過った言葉。
至って落ち着いていた。
それもその筈。
特に怠さは感じなかったから。
いや、意識を集中すれば微かに。
ほんの僅かに体内から魔力が抜けているのを感じる。
■感染除法
式の型の一つ。
恨気を細分割し、大気に付着。
それを周囲に散布する。
恨気が含まれた空気を吸い込んだ者は即体力、魔力を吸い出される。
抜け出ているのはほのかに感じるのだが、本当にごく微量。
動くのに何ら支障はない。
それだけ魔旭に込められた魔力量が膨大と言う事だろうか?
真・絶招経を発動する前なら即、両膝をついて倒れていただろう。
それほど感染除法は強力だったにも関わらずだ。
「…………F-1…………」
バフォッッッッッッッッッッッッ!!
魔力を身体全体に集中。
体内の恨気が除去される様にイメージ。
僕の身体を中心に爆発の様な突風が吹き荒れる。
身体に在った違和感は霧散。
恨気が消失したんだ。
いくら極微量と言っても体内に恨気が残存してていい筈が無いからね。
さぁ全てを終わらせよう。
決着を付けよう。
中田には超順応がある。
だらだらと長引いてはこちらが不利になる。
僕は数歩前へ。
手を伸ばせば紫の山肌に触れれる距離まで近づく。
ギュルゥゥゥッ……
ギュルゥゥゥッ……
ギュルゥゥゥッ……
中田は僕の周囲に巨大な受憎腕を生成し始める。
その数は膨大。
みるみる内に周りはドス黒い紫色で埋め尽くされる。
そんな中、僕は右拳を硬く握り、真っすぐ後ろへ引いた。
左は掌を立て真っ直ぐ前へ。
どこにストレートを叩き込むか狙いをつける様に。
ビュビュビュビュビュビュンッッッッ!!
周囲の受憎腕が一斉に。
且つ超速で襲い掛かって来る。
「……………………F-3…………」
僕は右拳に込める魔力量のレベルをさらに上げた。
ギアで言う所の3速。
僕は受憎腕の攻撃が到達するより早くストレートを真っ直ぐ受憎の山肌に向かって放つ。
バァァァァァァァァァァァァァァァァンッッッ!!
刹那。
弾けた。
何かが弾けた。
今まで聞いた事の無い程の巨大な破裂音に右拳を突き出したまま動けなかった。
僕に一撃も受憎腕の攻撃は当たらなかった。
攻撃して来た超巨大な受憎腕の群れは消えていたから。
一本残らず。
そんな中、僕の顔を淡くて鈍い灯りが差し掛かる。
これは上空でガレアが残骸を燃やしている光。
と言う事はF-2とは少し違う。
F-2の場合は完全に消失していた。
ドサッ……
ドサドサッ……
上空からの灯りと落ちて来た肉塊の音で呆けていた僕はようやく気付く。
何に?
それはF-3の全容。
周囲の景色は一変。
先程まで在った受憎の山、超巨大な受憎腕の大群。
周りに敷かれていた悪食。
それは消失していた。
全て。
代わりに僕の前には弧を描いた巨大な穴が空いていた。
その穴の深さは1メートル前後。
奥行きは5~10メートル。
その巨大な弧穴は僕の周囲をぐるりと大きく周っている。
この絵に僕はすぐあるイメージが浮かんだ。
それはクレイモア地雷。
■クレイモア地雷
アメリカ軍が使用する指向性対人地雷。
起爆すると前方に鉄球が飛び散り、一基で広範囲に殺傷能力を発揮する。
最大加害距離は250メートル。
有効加害距離は50メートル。
左右に60度、上下それぞれ最大18度の範囲に撃ち出される。
設置時の立入禁止エリアは前方180度、半径16メートル圏内。
対人地雷禁止条約の規制対象。
目の前に広がる光景を目の当たりにして浮かんだイメージはそれ。
このF-3は近距離用なのだろう。
その証拠に弧穴の外は悪食ごと残ったままだ。
射程範囲としてはクレイモアより狭いが角度は深い。
僕の背後辺りまで弧穴は伸びている。
一体何がどうなってこの惨状を作り出しているんだろうか?
絶招経、真・絶招経を発動した時の主たるイメージは風。
となると弧の形に大気の塊でもぶつけたのだろうか?
いや、どちらかというと強引に押し退けた。
そんなイメージ。
おっといけない。
それよりも中田。
中田はどうなった?
全方位内を確認。
居た。
中田は弧穴の底。
散らばり落ちた残骸の肉片と共に穴の底で佇んでいた。
僕はすぐさま穴に飛び降りる。
深さはさほどでも無いので外界の光は差し込んでいる。
夜の為、かなり薄暗くはあるが。
見ると中田はうつ伏せに倒れていた。
いや、もう中田と呼べるのかも怪しい。
僕のF-3で吹き飛ばされ千切れた受憎の残骸とそれにくっ付いている中田の首と頭部。
その側まで歩み寄り、左側へ。
静かに見降ろす。
中田の口を塞ぐ為には仰向けにしないといけない。
が、仰向けにすると僕を目撃する事になり恨気が膨大に溢れるだろう。
今、僕の手元には中田の眼を覆う物は何も持っていない。
平時であればどうやって目を隠そうか思案する局面。
だけど僕は…………
ゴロリ
恨気を溢れさせたければすれば良い。
気絶してしまえば同じ事。
冷静にそんな事を考えながら、何の躊躇いも無く中田を仰向かせる。
仰向けにすると中田の眼は開いていた。
その眼は赤い。
血の様に紅い。
結膜(目の白い部分)部分がほとんど赤く染まっている。
黒い角膜と深紅の結膜。
このコントラストが悪魔の様相を醸し出している。
その悪魔の様な両眼は真っすぐこちらを向いていた。
「GAAAAAッッッッ………………
ムグゥッッ……!!」
叫びながら僕に飛び掛かろうとした中田。
顔と首。
胸の一部分。
そしてそこに付着した悪食の残骸。
それだけだと言うのに。
大きく口を開けて飛び掛かろうとした中田。
だが僕は特に動揺する事も無く、ただ静かに。
ゆっくりと。
強く中田の口を塞いだ。
「ムーーーッ……!!
ンーーーッッ……!!」
苦しそうに藻掻く中田。
ゴパァッッ!
中田が右側に悪食を展開。
穴の内側に張り付く。
すぐにどくんどくんと胎動し始めた。
材料を吸収しているんだ。
ガラ……
ガラガラ……
穴が崩れ始める。
ズズズズ…………
張り付いた悪食から太い受憎腕が生えて行く。
窮地。
危機とも呼べる局面。
だけど……
そんな状況になっても僕は落ち着いていた。
落ち着いて中田の口を強く塞いでいた。
何故落ち着いているのか?
それは想定内だったから。
ビュゥンッッッ!!
現れた太い受憎腕。
先端の拳を硬く握り、僕を攻撃。
「……………………タキサイキア……」
僕は落ち着いてタキサイキア現象発動。
時の流れが遅くなる。
ゆっくり。
ゆっくりと迫って来る巨大な紫色の拳。
真っ直ぐ僕に向かって。
「……………………F-2……」
左拳に魔力を集中。
強烈な左フックを放った。
パンッッッッッッッ!
大きな破裂音を立て、向かって来た巨大な拳は弾け飛んだ。
跡形も無く。
「ンーーーーーッッッ!
……グーーーーーッッッ!
……ンンーーーーッッッ!」
藻掻くスピードが速くなる。
そろそろ窒息が近いのだろうか?
もう眠ってくれ。
お願いだから。
そろそろ窒息するのでは。
この考えは誤りだったと今考えたら思う。
ボコォッッッ!
ボコボコボコボコボコボコボコボコォォォォォッッッ!
嫌な音。
聞いた事のある嫌な音。
その音を立てたのが何か判明するまで数瞬もかからなかった。
中田の胸。
残された生身の胸から噴き出したのだ。
紫色の肉が。
その量が途轍も無い。
僕も。
自分自身も。
全て呑み込んで圧倒的スピードで増殖して行く。
一瞬で光が閉ざされ、視界不明瞭に。
僕は受憎に取り込まれてしまった。
――1分後――
僕の意識はまだあった。
中田に取り込まれたと思っていたが、まだ無事の様だ。
僕は皇竜司。
14歳。
今は中田を止める為に闘っている。
うん、意識は大丈夫。
ハッキリしている。
だけど見えるのは…………
闇。
闇。
闇。
真っ暗闇。
動けるだろうか?
僕は右手を動かしてみる。
グニィィッ
何か柔らかいモノに当たる。
表面はヌメついていて湿った感触。
おそらく触れているモノは受憎で生成された紫色の肉だろう。
集中
僕は状況を確認する為、目に魔力を集中。
駄目か。
暗闇から変化は無い。
全く光が指していないからだ。
増幅する光量がゼロだから変わらないんだ。
まず状況を把握する為にも光が欲しい。
特に僕を包んでいる肉は拘束している訳では無い。
強引に動かせば動くんだ。
動くなら…………
僕はゆっくりと右腕を引く。
ヌタヌタヌタァァァァッッ……
纏わりつく肉がヌタヌタと気持ち悪い。
でもそんな事言ってられない。
充分引き絞った所で拳を硬く握る。
「……………………F-2……」
F-1、F-2は指向型。
F-3は近接集中型。
僕はそう規定した。
ボッッッッッッッッッ!!
僕は纏わりつく肉に構わず、真っ直ぐ右ストレートを放つ。
ボバンッッッッッッッッッッッッ!!
大きな破裂音を立て真っ直ぐ道が出来る。
穴の大きさは3~4メートル。
僕が伸ばした拳の直線上に出来ている。
ようやく光が差し込み、周囲が見えて来た。
ドキッ
見えた光景に少し驚いた。
目に映るのは肉塊。
斑模様の肉塊。
それが穴の内側だけじゃ無く、纏わりついているモノ全てが悍ましい斑模様の肉塊。
夜で色までは判別出来ないがおそらくドス黒い紫色だろう。
だが、僕が驚いたのは他にあった。
僕は何に驚いたのか?
それは外界の光が差し込む穴。
そこまで続く道。
物凄く穴が小さく見える。
穴の大きさはそこまでの距離を示す。
そしてその距離は同時に現在の中田の大きさを表している。
一体どれだけの肉を生成したんだ中田は。
あっそうだ。
全方位だ。
全方位で状況と中田を確認しよう。
グギュ……
グギュギュギュギュギュゥゥゥッッ……
F-2で作った穴が次第に塞がって行く。
だけどもう良い。
全方位で状況を確認すれば大丈夫だろう。
改めて全方位内を確認。
ゾクッ
再び少し驚く。
僕は…………
巨大な山の中にいる。
大きさは直径100メートルぐらい。
先程受憎人と戦闘した小川の辺りまで差し掛かっている。
山は全て受憎で生成された肉だ。
平時なら悍ましさと禍々しさで震え上がる所。
だけど僕は少し驚いただけですぐ心は平穏に戻った。
落ち着いて中田本体を探す。
居た。
前の方に居た。
距離にして約40メートル程前。
えらく離されたものだ。
ここでガレアが離れた所に着地しているのも解った。
側には兄さんが居る。
多分、僕が受憎に取り込まれたのを見てヤバいと思い、久久能智が指示したんだろう。
まあいい。
仮に僕が真・絶招経の弊害で倒れたとしても何とかなるだろう。
兄さんが来るなら。
ギュゥッ!
僕は両拳を硬く握り、両腕をくの字に曲げる。
魔旭から抽出した魔力量はレベル3。
「………………………………F-3……」
ゴッッッッッッッッッッッ!
ドバンッッッッッッッッッッッ!!
僕の放った右フック。
巨大な爆発音と共に前の肉を吹き飛ばす。
弧の形に10メートル程道が出来た。
スッ
僕は一歩踏み出す。
ズニュウゥゥゥゥゥゥゥッッッッ!
深く沈み込む右脚。
そうだ。
確か今の僕は物凄く重たくなっているんだっけ。
けど、動けない程じゃ無い。
構うもんか。
このまま前進してやる。
ズニュウゥゥゥゥゥゥゥッッッッ!
ズニュウゥゥゥゥゥゥゥッッッッ!
脚が沈み込むのも構わず、どんどん前進。
突き当りまで辿り着いた。
「…………………………F-3……」
ボバッッッッッッッッッッッッッ!
今度は左フック。
先と同様、周囲の肉を吹き飛ばし新たな道を作る。
僕はこの手段で中田本体まで辿り着く気でいた。
両フックでF-3を炸裂し続け、どんどん中田本体まで近づいて行く。
まるでトンネルの掘削作業の様に。
ぼんやりと周囲が見えて来た。
F-3の威力で空いた穴が外界に達し、光が差し込んだ様だ。
早く。
早く中田の口を塞がないと。
大分近づいた。
もう3メートル程、前に中田本体は居る。
もうFは使う必要は無いだろう。
使うと中田本体ごと消失してしまう恐れがある。
ごく微量の魔力で三則を使えば3メートルぐらいなら吹き飛ばせるだろう。
「……………………起動」
ドンッッッッッッッッッッ!
僕は真っすぐストレートを放った。
ちょうどよく中田の前までの肉を吹き飛ばす。
ようやく辿り着いた。
中田は肉の壁に埋め込まれた様な形になっていた。
偶然手が届く所に中田の顔がある。
早く。
早く中田の口を塞いで気絶させよう。
そっと僕は顔を持ち上げる。
見上げた先にあった中田の顔を視認した瞬間……
ズキンッッッッッッッッッッッッッッ!
痛い。
胸が痛い。
周囲に見える膨大な量の悍ましい肉塊を目の当たりにしても。
出来た穴の小ささから現在の中田の大きさを認識しても。
少ししか動揺しなかった今の僕が。
激しく感情を揺さぶられた。
一体何を見たのか?
それは中田の顔。
泣いている顔だった。
「AA………………
AAA………………」
もはや焦点も合っていない。
僕がここに居る事自体解らない様子。
おそらく恨気の許容量を大きく超えたんだ。
僕が肉を吹き飛ばして突き進んでも攻撃しなかったのはそのせいだ。
微かに。
声にならない声で呻き声を途切れ途切れに発するのみ。
膨大に溢れた恨気が体内で暴れ回っているんだ。
苦しいんだろう。
「AA…………
E…………
MI…………
MO…………
E………………
SUI……
ZOKUKAN………………
TANOSI……
KATTANE…………」
今、何か呟いた。
途切れ途切れで判りにくいが確かに言葉を発した。
EMI……
これは奥さんの名前。
MOE……
これは愛娘の名前だろう。
SUI……?
これは何の事か解らない。
ZOKUKAN……
これも解らない。
TANOSI……
解らない。
KATTANE………………
ツウ
眼から静かに涙が零れた。
僕は泣いていた。
言葉の意味が解ったから。
SUIとZOKUKANは合わせて一つの単語。
SUIZOKUKAN。
水族館だ。
同様に残りも合わせた。
TANOSIKATTANE。
楽しかったね。
中田は今、幸せだった頃。
楽しかった頃の記憶が巡っているんだ。
化物と化し、言葉も満足に発せられない程まで恨気に侵された身体で思い出していたのは家族みんなで水族館へ遊びに行った記憶。
もう僕への怨みを晴らすと言う目的も。
唯一残された自分の存在理由も忘れ、体内に溢れた恨気に苦しみながら幸せだった頃を思い出している。
何て。
何て哀しい存在に成り果ててしまったんだろう。
中田の事を想えば想う程、涙が溢れて来る。
哀しい。
ただただ哀しい。
次第に泣いている中田の顔が闇に消えて行く。
F-3で開けた穴が塞がりかけてるんだろう。
じきに周囲は闇に包まれた。
「グゥゥッ…………」
僕は深く大きく胸を抉る哀しみに耐え切れず、胸を押さえながら項垂れる。
俯きながら考えていた。
これが恨気のオーバーヒート。
恨気を過剰生成させて許容量を超えた為、引き起こった現象。
結局、僕の考えは成功だったんだけど産んだのはただただ哀しい出来事だけ。
また僕の作戦が裏目に出てしまった。
闇に消えて見えなくなったとはいえ中田はまだ泣いているんだろう。
体内に溢れた恨気によって苦しめられているんだろう。
ここまで考えた段階で僕の中にある考えが産まれた。
中田を殺そう。
この苦しみから解き放ってあげよう。
これは殺意。
中田に対して決意の様にハッキリと産まれた殺意。
もうこれしかない。
暴走した中田は止まらない。
殺さずに捕えるのは不可能。
おそらく呼吸もしていない。
だから口を塞いでも無駄。
無意味。
言い訳はしない。
僕は殺人を犯す。
この産まれた殺意を“中田の為”等と御為ごかすつもりは無い。
“優しい殺意”みたいに口幅ったい事を言うつもりも無い。
僕は殺す。
中田を殺す。
殺意を持って殺す。
自分の意志で殺すんだ。
全てが終わった後、その事を兄さんに告げよう。
中田は捕えられなかったって。
僕が殺したって。
そして背負おう。
中田を殺した罪もドラゴンエラーを引き起こした罪と一緒に。
……最後は…………
せめて…………
跡形も残らず吹き飛ばそう。
全てを吹き飛ばそう。
全方位内を確認。
最後の確認。
変わらず中田本体は手の届く距離に在る。
そこに狙いをつけ、右拳を握り後ろへ引き絞った。
「………………………………F-5……」
僕は魔旭から抽出する魔力量を二段階上げた。
五速。
これで全て吹き飛ぶだろう。
未使用の領域だが、僕には確信があった。
これで全てを終わらせる事が出来ると。
「…………………………………………ごめんなさい………………」
ゴッッッッッッッッッッッッッッッ!!
最後に小さく。
誰にも聞こえない様に。
ポツリと一言だけ。
一言だけ謝罪し、放った。
F-5と言う名の右ストレートを。
中田本体目掛けて。
カッッッッッッッッッッッッッッッ!
刹那。
僕の周囲は弾ける様な閃光に包まれた。
この白色光はガレアの放つ魔力閃光の光に似ている。
そうか、この光は魔力の光なんだ。
目が眩む中、僕はそんな事を考えていた。
破裂音や爆発音は全くしない。
無音。
ただただ眩い鮮烈な白色光に包まれているだけ。
外から見るとおそらく夜の太陽の様な輝きだろう。
多分兄さんの事だ。
向かっているのならこの極大な魔力光に異変を感じてこちらに向かって来るだろう。
やがて光が止む。
僕は果てし無く広大なクレータの真ん中に立っていた。
周りには誰も居ない。
僕のみ。
広がっていた悪食も。
生えていた超巨大な受憎腕の群れも。
中田本体も全て…………
消失。
跡形も無く消失していた。
在るのは広大に抉れたクレーターのみ。
僕は呆けてただ天を仰いでいた。
涙も何時しか止まっていた。
「竜司っっっ!」
【竜司ィッ!】
「竜司っっ!」
空から地上から聞き慣れた三種の声。
兄さんとガレアと暮葉だ。
ザシャァッ!
ボキーから飛び降りた兄さんが駆け寄って来る。
「兄さん…………
来てたんだね……」
「そんな事はどうでもいいっっ!
中田はっっ!
中田はどうしたっっ!?」
「中田…………?
あぁ…………
中田ね…………
中田はァッ………………
僕がっっっ…………………………
……………………
殺した…………」
言葉にすると深く認識する。
僕が殺人を犯した事を。
人を殺してしまった事を。
深くゆっくりと強い哀しみが胸を抉る。
下唇を噛み締め、兄さんの胸で……
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁっっっっ!!!」
僕は泣いた。
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###
「……………………はい………………
今日はここまで…………」
「うっ……
ううっ……
ううっ……」
龍は泣いていた。
声を漏らさない様に泣いていた。
多分人前で泣く事は恥ずかしいと思っているんだろう。
「龍……
泣いてるの?」
「うっ…………
うわぁぁぁぁぁぁんっっ!
だってぇっ!
だってぇっ!
パパァッ!
何か良く解んないけどパパと中田が哀し過ぎるよォォッ!」
僕が問いかけると堰を切った様に大声で泣いていた。
「ありがとう……
僕と中田の為に泣いてくれて……」
ガチャ
ここで龍の寝室のドアが開く。
「全くもー。
こんな夜に大声出したらご近所様に迷惑でしょー」
ママだ。
ママが入って来た。
「ママ……
ごめんね。
龍が泣いちゃって……」
「ママァァァッ!!
パパがぁっ!
中田がぁぁぁっっ!
うわぁぁぁぁぁぁんっっ!」
「…………ねえパパ?
一体何の話をしたの?」
「…………今日は中田との決着まで……」
「あぁ…………
そりゃこんな感じにもなるわね…………
あの戦いはパパにとって辛かったものね……」
スッ
泣きじゃくる龍の傍に歩み寄るママ。
「ホラ……
龍……
お布団に入って……
今日は眠るまで側に居るから…………
♪~~……」
布団に入った龍に手を添えて、静かに歌を歌い出すママ。
その歌は静かに。
流れる様に優しく鼓膜に滑り込んでくる。
まるで子守歌の様に部屋中、優しく響く。
「ねぇママ……?
いい歌だね……
何て名前の歌?」
歌で癒されたのか、何時しか泣き止んでいた龍。
落ち着いた様子でママに問いかけている。
「フフ…………
これはね……
30年ぐらい前の歌……
竜と人が眠る街って歌……」
「へぇ…………
あれ?
何処かで聞いた事……
ある様な……」
「フフ……
現役を退いても相変わらず綺麗な歌声だねママ」
「とーぜんじゃない。
私はまだまだ歌えるわよ」
ママがアイドルを引退したのは出産、子育ての為。
現在は少しずつ仕事を戻して行き、モデル業を中心に働いている。
「すう…………
すう……」
「フフ……
龍が寝ちゃったわ。
可愛い寝顔。
パパそっくり」
「そりゃ僕の息子だもん」
「ウフフそれもそうね。
パパ、今日もお疲れ様。
もう少しね」
「うん、頑張って話し続けるよ」
「パパ~~?
今日ぐらいは昔みたいに暮葉って呼んで甘えてもいいんだよぉ~~?
りゅ・う・じっ」
相変わらずこう言う無邪気な小悪魔な所は30年経っても変わらない。
しかも30年経っても可愛いままだからタチが悪い。
「ママッ……
なななっ……
何言ってるんだよっ」
「ウフフ冗談よ。
顔が赤くなるとそのヘンな声が出るのも相変わらずなんだから」
「もう……
そんな事は良いのっ
僕らも寝よう」
「うん」
バタン