第百八十四話 慧可断臂(中田戦⑩)
2048年2月某邸宅寝室
「やあこんばんは龍」
「あ、パパ。
うす」
今日の龍は平常運転。
「えっと……
昨日は……
ママが助けに来た所までだったね」
「そうそう。
パパ、おかしいよ。
ママってライブやってるんじゃなかったの?」
「うん……
まぁ……
当時の僕も凄く不思議だったよ」
「ねえ何で?」
「今日、その辺の話もするよ」
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僕の視界には信じられない光景。
地面が縦横無尽、自由に回転し続けている。
タキサイキア現象を発動しているから動きは極めてスロー。
スローだから今起こっている事が良く見える。
僕は首を中田に掴まれている。
その中田が振り回されている。
背中を両手で掴まれて振り回されている。
その両手は細く白い手。
僕ごと振り回している白い手の持ち主は…………
暮葉だった。
何で?
何で暮葉がここに居るの?
今曽根と闘っているかライブを再開したんじゃ無いのか?
超速で思考が巡る。
だが…………
それらの疑問が解決する前に動きがある。
グググ……
外側に引っ張られる感覚。
暮葉の怪力で強烈な遠心力が発生している。
グググ……
それにしても何て遠心力だ。
首を掴んでいる中田の手が緩んでくるのが解る。
ギュンッッッ!
そんな事を考えていたら更に動きがある。
二人の姿が縮んだ。
いや、違う。
中田の手から解放されて吹き飛んだんだ。
ぐんぐん遠ざかる2人の姿。
ドコォンッッ!
背中に衝撃。
さっきの丘に着弾した。
絶招経を発動しているせいか痛くはない。
上半身を起こす。
いつのまにか身体を縛っていた恐怖は消えていた。
僕はゆっくりと起き上がる。
一旦タキサイキア現象を解除し、二人に近づいた。
「ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぅぅぅぅぅぅ…………」
ビュビュビュビュビュビュビュゥゥゥゥンッッッ
猛烈に風を切る音が響き渡る。
凄い。
タキサイキアを発動していないと中田の姿すら捉える事が難しい程の回転速度。
力を込めている唸り声は可愛いんだけど、その効果は超絶無比。
僕は固唾を飲んで見つめていた。
「どっか行っちゃえェェェェェェェッッッ!」
ビュゥゥゥゥンッッッ!
ギュンッッッ!
可愛い叫びと共に手を離した暮葉。
解き放たれた中田の身体に暮葉の怪力から発生した強烈な遠心力が加わり、夜の闇に消えて行った。
まるで特大ホームランの様。
……え……?
これマズくないか?
僕はすぐさま全方位で中田の所在を確認。
急いだ理由は投擲された中田は公園外に出てしまう可能性を危惧したんだ。
位置を確認すると僕らは公園の南西部。
中田は北東方向に向かって飛んでいた。
僕は暮葉に声もかけずただただ公園内への落下を願い、中田の動きを注視していた。
おや?
ようやく落下し始めた。
飛んで行った速度と比較して飛距離はさほど出ていない様子。
おそらく暮葉は上に角度をつけて投擲したんだ。
距離よりも高度なのだろう。
これなら大丈夫……
かな?
考えている内に中田着弾。
位置は公園内。
北東の隅。
危なかった。
飛距離は目算で250メートルぐらい。
全くもって物凄い怪力だ。
ようやく暮葉の元へ行く。
「く……
暮葉……」
「竜司っっ!?
大丈夫っ!?
どこか痛くないっ!?
えとえと……
気持ち悪かったりしないっ!?
んとんと…………
また怖くなったりしてないっ!?」
暮葉がまくし立てる様に母性を発揮して僕の身を案じる。
「う……
うん……
さっきまで怖かったけどいつの間にか消えちゃったから……
今は大丈夫だよ」
〖主はん、主はん。
このべっぴんさん誰ですのん?〗
「あぁ、この女性は天華暮葉さん。
僕の婚約者だよ」
「あれっ?
ヘンな声が聞こえるよ?
誰が喋ってるの?」
ん?
暮葉が妙な事を言い出した。
「久久能智、これってどう言う事?」
〖あぁ、このべっぴんさんどう言う訳かガレアと同じぐらい穢れて無いからや。
だからうちの声も届くんやろなあ。
もしかして人間とちゃうんとちゃう?〗
さすが久久能智。
鋭い。
「うん、流石だね久久能智。
お察しの通り見た目は人間だけど暮葉は竜なんだ」
「うんそうだよ。
私、竜」
暮葉がキョトン顔で応答。
〖ほへー……
何や不思議ないきもんやなあ竜って〗
あ、水虬にも紹介しておかないと。
「ミヅ……」
僕の言が止まる。
水虬が恨めしそうな目で暮葉を見つめていたからだ。
「ミ……
水虬……
どうしたの……?」
〖楼主はん…………
伴侶がいんしたんでありんすか……〗
「う……
うん……
まあ……」
「あれっ?
また別の声も聞こえるよ」
〖しかも……
太夫を張れる程のべっぴんさん……
グヌヌ…………
何でわっちは精霊なんざんしょっ!
人間だったら堂々と楼主はんと連れ逢えんのにィッ!〗
解らない言葉も混じっていたが要するに暮葉へ嫉妬の炎を燃やしてるんだろう。
〖水虬。
あんさん、何ぶさいくな嫉妬しとるんどす。
大体うちらは精霊やねんからいくら好いとっても連れ逢える訳ありゃしまへんのに〗
〖わかってます!
わかってます!
それでも悔しいんでありんすよぉっ!〗
「ちょ……
ちょっと落ち着いてよ水虬」
この暮葉に嫉妬の炎を燃やしている精霊は僕が魔法で創り出した産物。
この性格も僕が産み出した事になる。
僕の深層意識から出たのか。
魔法のアドリブから出たのかは解らない。
本当に不思議な術だ。
「ねえねえ竜司。
セーレーってなあに?」
そんな僕も思惑を無視してキョトン顔で質問して来る暮葉。
「あぁ、精霊って言うのはね……
何て言ったら良いのかな……?
僕のスキルで産み出した神様……?
って言ったら良いのかな?」
「カミサマ?
神様はじめましたの奈々生ちゃんみたいなの?」
え?
何それ?
神様はじめました?
…………あぁ、漫画か。
確か同名の少女漫画があった気がする。
読んだ事は無いけどアニメ化もしているからチラッとあらすじと主要キャラは見たんだよな。
確か……
「うん、神様は暮葉の言ってる事で合ってるよ。
精霊は…………
どちらかと言うと護くんが近いかもね」
「へーっ。
護くんって確かシキガミって言う奈々生ちゃんをサポートするコでしょ?
そんなの居るんだ竜司って」
■神様はじめました。
鈴木ジュリエッタによる少女漫画作品。
花とゆめで2008年から2016年まで連載。
全25巻。
2012年にアニメ一期が放送。
二期も制作され、2015年に放映された。
主人公桃園奈々生が土地神のミカゲを助けた事で神様の力を得て、出会いや困難と立ち向かい、土地神として成長して行く青春ラブストーリー。
「うん、最近造ったんだけどね」
「じゃあ竜司は神様になっちゃったの?」
キョトン顔を崩さない暮葉が更に尋ねて来る。
「そそそっ……
そんな大層な物じゃないよっっ!
たまたまだよたまたまっ!」
「タマタマ?
たまたまってグーゼンって意味でしょ?
グーゼンって思って無い事が起きる事でしょ?
思って無いのに精霊が出来ちゃったの?」
僕がたまたまと言ったのは神様の様な存在になった事で精霊自体は元々創作するつもりだったんだけど。
これを上手く噛み砕いて暮葉にどう説明しよう。
…………何だかややこしい。
面倒臭くもなってきた。
「そんな事はどうでも良いんだよっっ!
暮葉っっ!
何でこんな所に居るのさっっ!?
曽根はどうなったのっっ!?
ライブはっっ!?」
僕は勢いに任せて誤魔化す様に話を進めた。
そう、僕が疑問なのはここ。
何故、暮葉がここに居るのか?
「ソネってドームで襲って来たあのワルイヒトでしょ?
うんっ!
やっつけたよっ!」
やっつけたってあの曽根をか!?
「や……
やっつけたって……
一体どうやって……」
「んーと…………
何か蓮がやっつけたみたい」
キョトン顔のままシンプルに答える暮葉。
………………え!!?
蓮!!?
「ちょっと待ってぇっっ!?
蓮っっ!!?
蓮が来てくれたのっっっ!!?
何でっっっ!!?」
「私ももう会えないと思ってた…………
でも来てくれたんだよっっ!
私の事も好きだって言ってもらったっっ!」
にわかに信じ難いが蓮は助けに来てくれた。
それは間違い無いらしい。
要領を得ない暮葉の説明じゃ良く解らない。
聞こう。
蓮本人から。
きちんと向かい合って聞こう。
全てが終わってから。
何にしても良かった。
本当に良かった。
「うん……
解った。
何にせよ暮葉…………
無事で良かったよ。
それで何で暮葉はここに居るの?
ライブはどうなったの?」
「うん。
今、国立競技場でやってるよ」
いや、やってるよじゃ無しに。
じゃあ何でここに居るんだ。
「やってるよって……
今、暮葉はここにいるじゃないか」
「うん。
何曲か歌ったんだけど…………
やっぱり竜司の事が気になって……
みんなに言って来ちゃった」
テヘッと言ったような悪戯っぽい笑顔を見せる暮葉。
みんなと言うのはお客さんの事だろう。
「よくみんな許してくれたね」
「何かね。
みんな私達が戦ってた事を知ってるみたいだった」
え?
どう言う事?
詳しく聞いてみると、東京ドームの激闘はライブで国立競技場に流されていたらしい。
マス枝さんの指示だと暮葉は言うが無茶するなあ。
多分曽根の襲撃は衆目に晒された訳だから存在を隠匿する必要性を感じない為だと思うけど。
曽根との戦闘を見ていたとなると…………
「だから私が竜司を助けに行きたいって言ったらみんな行ってあげてって言ってくれたよ」
僕が戦ってる所も見ていたと言う事になる。
暮葉を持って振り回し、曽根の顎に強烈な一撃を叩き込む所も。
「そ……
そう……」
いくら僕が戦ってたからってライブの主役が歌うのを中断して抜け出そうとするのを見送るファンなんて居るだろうか?
ファンの民度はアーティストの在り方で変わるものだが何て聞き分けの良いファンなんだ。
突飛な事を言ってる暮葉に僕は相槌を打つので精一杯だった。
「あ、そうそう。
竜司と私がケッコンするって事も言っちゃった」
……………………
え!!?
言っちゃったってっっ!!?
ファンにかっ!!?
「い…………
言っちゃったって…………
ファンに……?」
「うん」
暮葉あっけらかん。
何となくファンがライブを中断して抜け出そうとする暮葉を容認した理由が解った気がする。
要するにライブのお客さんはみんな暮葉が好きなんだ。
その好きな人が大事な人を救いに行きたいと言ってるから見送ったんだ。
もちろん全員が全員容認した訳じゃ無いだろうけど概ね理由としてはそんな所だろう。
民度高いなあ暮葉のファンって。
それにしても結婚の告白は暮葉のアドリブだろう。
言った瞬間のマス枝さんの表情が気になる。
「あの…………
暮葉…………?
マス枝さん……
どうだった……?」
「何か倒れてた」
再びあっけらかん。
マス枝さんご愁傷様。
他人事の様な思惑だけど、トップアイドルの単独ライブ。
しかもドームツアー。
そこで結婚の告白をすると言う事が世間をどれだけ巻き込むか僕はこの時解ってなかった。
【何か来たと思ったらアルビノじゃねぇか。
お前こんなトコで何してんだよ?】
「私、竜司を助けに来たのよ」
【お前、ウタ歌うんじゃ無かったのかよ】
相変わらず話を聞いていないガレア。
「ちゃんと何曲か歌って来たわよ。
でも攫われた竜司が心配だから来ちゃったの」
【別にお前、要らねぇだろ?
竜司には俺が付いてんだからよ】
さっきまで自身のスピードに追い付かれて凹んでた癖に。
どの口が言うのだろう。
「ま……
まあまあガレア……
せっかく暮葉が来てくれたんだしさ……」
「そーよっ!
何よガレアッ!
私がセッカク来たのにっ!」
暮葉がプリプリ怒ってる。
何か微笑ましい。
〖主はん主はん。
えらい仲良ぉイチャついてる所、悪いんどすけどなぁ。
あんバケモンはまだおるんやろ?
そない悠長に構えとって良いんどすか?〗
あぁっ!?
そうだったっっ!
すぐさま全方位確認。
中田は落下地点。
北東の位置から動かない。
受憎腕の本数にも変化は無い。
両腕と1本足の3本。
変化が無いのはどうしてだろう?
……と注視していたら違った。
ゆっくり。
ゆっくりと中田の身体が沈んで行っている。
接地面に鶻を生成して地面を喰っている。
材料を吸収しているんだ。
今、中田に不足しているのは材料。
恨気はさっき僕を目撃した事で膨大にあるが、絶招経の猛攻で物理的な格納場所が材料ごと消失しているんだ。
やはり絶招経での攻撃は有効だった様だ。
となるとウカウカしていられない。
早く向かわないと。
「ガレアッッ!
僕を乗せて飛んでくれっっ!」
【なっ……
何だよ急にっ】
「アイツが地面を吸収し始めているっっ!
急がないとっ!
暮葉も乗ってっ!」
僕はそう言いながら素早くガレアに飛び乗る。
「う……
うん」
暮葉も言われるまま僕の後ろに跨る。
「ガレアッッ!
飛べッッ!
超特急でこっちの方向だっっ!」
【おうっ!】
バサァッッ!
ギュンッ!
ガレアが大きく翼をはためかせ急速発進。
超速で中田の元へ向かう中、僕は考えていた。
どうすれば中田を捕える事が出来るのかと。
中田を殺さず捕えるには何らかの方法で気絶させないといけない訳だけどその方法はある。
僕を見ただけで超膨大な恨気が沸き上がり、喰らった攻撃は超順応で即対応し、防御・回避。
有機物、無機物問わず材料として取り込み、それを使って大量の受憎腕や受憎刃を生成する。
そして身体のほとんどを欠損し、頭部と胸部の1部分のみになっても生きている。
文字通り掛け値なしの化物と化した中田。
だけど気絶させる方法はある。
それは至ってシンプル。
それでいて物凄く危険な物。
その方法とは………………
中田の口を塞ぐ事。
口を塞いで窒息させる。
これが一番確率が高いと思ったんだ。
もちろん今の中田に近づいて口を塞ぐと言うのがどれだけ危険な事かは解っている。
けど……
方法はこれしか思いつかない。
一体どれだけ塞げば良いのかも解らない。
そもそも現在の中田が呼吸を必要としているのかすら解らない。
確率が高いと言ったけどそれはあくまで比較した場合で、%で言うと多分物凄く低い。
良くて20……
いや、10%ぐらいだろう。
他に良い方法があるなら教えて欲しい。
しかし超速で進むガレアは他の方法を思案する時間なんか与えてはくれない。
瞬時に中田の着弾地点上空へ辿り着く。
場所は公園の北東隅。
ぐるりと円を描く様に遊歩道が敷設。
周りは木々がいくつか生え、こんな事件じゃあ無けりゃとても気持ち良く散歩が出来そうな所。
中田は木の間に落下している模様。
「ここだっ
ガレアストップッッ!」
ピタッ
ガレアが空中で止まる。
【どうするんだ?
降りるのか?】
いつもなら何も言わず降下しそうなガレアだけど今回は慎重だ。
「ちょっと待って。
もう少し様子を見る」
上空から確認すると中田はうつ伏せ。
浅いすり鉢状の穴の中心にいる。
その穴はゆっくりゆっくり大きくなっている。
「ねえねえ竜司。
ワルイヒト何処にいるの?」
「あれだよ暮葉」
僕が真っすぐ指差す方向にはうつ伏せになっている両腕1本足の妙な物体。
「アレがワルイヒトなのねっ!
でも動かないよ?
もうやっつけちゃったんじゃないの?」
よもや人間とは思えない姿なのにそれに関しては全く動じない暮葉。
それよりかは動かない事に興味があるみたい。
「いやよく見てごらん……
穴が少しずつ深くなって行ってるでしょ?
あれはアイツが地面を食べてるんだよ」
「ん?
地面を食べてるの?
地面って美味しいの?」
ガレアみたいな事を聞いて来る暮葉。
「もうあいつは味なんか解んないよ。
受憎の材料を集めてるだけ」
「ジュニクって?」
「暮葉も見たでしょ?
曽根の身体から生えてたウネウネしたやつ」
「あーあのキモチワルイのねっ!」
……ってこんなほのぼのトークをしている場合じゃ無い。
中田はまだ材料を集めきれてない。
早く行動しないと。
ギュッッ!
僕は硬く右拳を握る。
ビュオォォッッ!
拳から突風が吹き荒れる。
よし、絶招経はまだ有効。
「竜司……
それって……」
「ん?
あぁ……
静岡で使ったやつだよ」
「…………大丈夫?
怖くない?
震えてない?」
暮葉が一転心配そうな面持ちで後ろから見つめている。
呼炎灼戦で僕が怯えて震えてた事を思い出したんだろう。
「うん、今の所は大丈夫だよ。
…………でもあの恐怖はいつやって来るか良く解らないから、もし僕が震えて動けなくなった時はお願いするよ」
「うんっっ!
わかったっ!」
さて、そろそろ行こうか。
最初は僕一人で行こう。
奴を窒息させる上で一番厄介で困難なハードル。
今、中田はうつ伏せているから良いけど、窒息させる為には仰向けにしないといけない。
仰向けになると言う事は…………
そう、中田に見られてしまうと言う事だ。
となると恨気が膨大に溢れてしまう事になる。
どうしよう?
悩んだ上選んだ結論は…………
シュル……
首に巻いていたスーツのネクタイを外す。
作戦は極めて単純な事。
仰向けにした瞬間このネクタイで眼を覆い視覚を塞ぐと言う物。
「暮葉……
ガレア……
行って来るよ。
暮葉はここで待ってて。
ガレアは降りなくていいから」
「えーーっ!?
私行っちゃ駄目なのーっ?」
「うん、危険だから。
まずは上からヤツがどう動くか見ててよ。
もしかして動かないかも知れないけど。
それじゃあ行って来る、ちゃんと言いつけ護ってね…………
よっと」
バッ
僕は暮葉の返答を待たずガレアの背から飛び降りた。
このまま会話してても長引くだけだと考えたからだ。
ぐんぐん近づいて来る地表。
集中
両脚に魔力を集中。
ザフッッ
僕は軽く着地。
ズズ……
ズズ……
微かに音が聞こえる。
音がした方を見るとすり鉢状の穴。
未だ地面を貪っているのだろう。
僕はゆっくり。
足音を立てず。
ゆっくりと穴へ近づく。
穴の大きさは全経2メートル弱。
深さは凡そ30~50センチ。
そんなに大きくない。
僕は息を殺しながら穴を迂回して中田の頭上へ。
中田は両腕、1本足を微動だにせず伏しているだけ。
ただゆっくり。
ゆっくりと沈んで行っている。
動かない所を見ると僕には気付いていない。
ギュルゥッッ!
僕がしゃがもうとした所、中田に動きがある。
両腕と足が肉体に引っ込んだのだ。
瞬時に出来上がったのは中田の頭部と胸部の一部分のみ。
この時に動けば良かったんだけど、唐突な動きに戸惑って動けなかったんだ。
ボゴォッ!
ボコボコボコボコォォッ!
嫌な音が聞こえる。
恐ろしく粘性の高い。
それでいて音だけで解る醜悪さと毒々しさ。
まるで冥府の沼の泡沫。
そんなイメージの音が聞こえて来た。
その発生元はすぐに判明。
中田だ。
中田の傷口からドス黒い紫色の肉が噴き出している。
見る見るうちに両肩、腹上部まで形成されて行く。
ヤバい!
早くしないと!
僕はようやく動き出す。
ネクタイの両端を掴み、間を撓ませる。
その撓みを俯いている中田の頭部。
目の辺りに通し、中田の後頭部で硬く結ぶ。
これで僕を目撃する事は出来ない。
残存恨気のみになる筈。
後は…………
ゴロッ
中田の身体を仰向ける。
上手くネクタイが目隠しになっている。
次だ。
そっと中田の口に手を合わせ、塞ぐ。
空気が中に入らない様に強く。
ググ……
ググググ……
口を塞いで数分後、中田が首を激しく振り出した。
苦しんでいるんだ。
と言う事はまだ呼吸は必要と言う事。
この選択は間違っていなかった。
「ンーーーッッ!
ンーーーッッッ!」
苦しそうに呻き声を掌越しに上げながら首を激しく振る中田。
早く!
早く気絶してくれ!
僕の選択は間違っていなかった。
そう間違っていなかったんだ。
だけど…………
僕の思慮が足りなかった。
それは恨気について。
中田は現在、僕を目撃したら恨気を溢れさせ、ガス欠も厭わない程、恨気を使用して猛攻を仕掛けて来る。
だから僕が回避したら残存恨気は少なくなるから動かない。
恨気とは怨みのエネルギー。
そう考えていた。
けどこれは少し正確では無かったんだ。
恨気は何故発生するのか……
それはストレス。
心や身体にかかる負荷によって発生するんだ。
■ストレス
外部から刺激を受けた時に生じる緊張状態。
天候や騒音などの環境的要因、攻撃や病気などによる身体的要因。
不安、悩み、恨みなどの心理的要因で発生すると言われている。
僕がこの事に気付いたのは首を激しく振っている中田が取った行動から。
ゴパァッッ!
中田の背中から悪食が溢れたんだ。
それはさっきまで広げていたすり鉢状の穴を大きく上回る程、勢いがある。
タキサイキアッ!
僕は刹那にタキサイキア現象を発動。
ゆっくり。
ゆっくりと見える光景は僕に口を塞がれて苦しそうに首を振る中田の顔とその下から溢れて来るドス黒い紫色の肉。
ダッッ!
僕は咄嗟に間合いを広げた。
悪食が取り込める材料は無機物、有機物問わずになっている。
そしてそれは…………
多分生きてる人間も取り込める。
ベチャァッ!
広範囲に悪食がばら撒かれた。
ベコォッ!
中田の姿が見えなくなる。
穴が更に深くなったからだ。
さっきの勢いと比べて大分早い。
ギュルゥッ!!
穴の広がりが止まった。
同時に穴へ収束していく悪食。
ガッ
穴の縁を紫色の手が掴んだ。
ギュンッッ!
砲弾の様に何かが真上に飛び出した。
ドスゥンッッ!
重苦しい音を立てて僕の前に着地したのは中田。
その姿は歪。
手足4本と体幹部。パーツだけで言うと人間だ。
だけどフォルムが違う。
両脚と体幹部は人間と同じ。
だが……
両腕が違う。
恐ろしく長い。
肘が地に付く程長い。
前腕部は地べたに横たわっている。
一部分だけ人間なのが酷く禍々しくて気持ち悪い。
ブチィッ!
その恐ろしく長い右手で力任せに目隠しを引き千切った。
僕は中田が右手を動かした段階で既に集中を済ませていた。
目隠しが取れた瞬間…………
襲い掛かって来る事は解っていたから。
ボボボボボボボボボボッッッ!
地べたに横たわった両腕から無数の。
大量の受憎腕が急速生成。
僕、目掛けて襲い掛かって来る。
タキサイキアッ!
脳に意識を集中しタキサイキア現象を発動。
ゆっくり。
ゆっくりと受憎腕の大群が僕に押し寄せて来ている。
タキサイキア現象下だと動きが良く解る。
生成した時は掌だがそれがゆっくりと鋭く尖り、鋭利な刃に変化している。
それにしても何て腕の使い方。
恐ろしく長い両腕は両腕として使用する為に生成されたものじゃない。
言わば受憎の橋頭堡、発射台として生成されたものだ。
けど……
このスピードなら躱せる。
起動!
僕は両脚に集中した魔力を爆発。
斜め前へ低く駆け抜ける。
タキサイキア現象下でも僕の移動速度は平時に起動を使用した時と変わらない様だ。
瞬時に間合いが詰まる。
僕はその勢いのまま右ミドルキックの体勢。
起動ッ!
インパクトの瞬間、三則発動。
僕の強烈なミドルキックが腹に突き刺さる。
鋭いくの字になる中田の身体。
その動きもゆっくり。
極めてスロー。
タキサイキア現象下でも相当な速さ。
多分中田の眼には数倍。
いや、数十倍の速さに見えているだろう。
グッ
そのまま俯いた中田の下顎を掴む。
起動!
三則連続使用。
前腕部に集中させた魔力を爆発。
そのまま弧を描き、中田の後頭部を思い切り地面に叩き付けた。
着弾点を中心に広く地面が凹む。
そのまま口を塞ぐ。
踏み込みからミドルキック、地面への叩き付け。
一連の動きは全てタキサイキア現象下で行っている。
おそらく中田からしたらコンマ秒の出来事に感じているだろう。
この時の僕は興奮していて平時とタキサイキア現象下の決定的な違いに気付けずにいた。
僕はそのまま強く中田の口を塞ぐ。
窒息させる事しか考えてなかった。
ゾクゥゥウゥゥッ!
ここで背中に奔る強烈な寒気。
振り向くと…………
紫。
そこに在ったのは空を埋め尽くす程のドス黒い紫。
大量の受憎刃が僕に襲い掛かろうとしていた。
おい!
このコースだと自分に刺さるぞ!
けどそんな事は言ってられない。
中田の身より我が身。
僕は強く地を蹴って急速回避。
悪食で出来た穴を跨ぎ、向こう側へ。
バッッッ!
素早く振り向く。
そこに広がる光景は凄惨なものだった。
自ら生成した大量の受憎刃よって串刺しになっている中田の姿。
ゴクリ
あまりに惨たらしい様に生唾を呑み込む。
こうなってしまってはもう中田も生きてはいないだろう。
中田との戦闘は自滅。
自爆した形で幕を閉じた。
中田の身体を刺し貫いた受憎刃はそのまま何本も何本も地面に突き刺さり、浮かせている。
まるでモズの速贄の様に。
まさに串刺しの刑。
こんな歴史の中でしか聞いた事無いような凄惨な光景に思わず目を背けてしまう。
ゾクゥゥゥゥッッ!
目を背けた僕に再び怖気が奔る。
今一度中田の方に目を向けた。
そこに在った物。
それは…………
大量の受憎刃。
僕に襲い掛かって来る受憎刃。
え?
何で?
何で受憎刃が攻撃して来るんだ?
目の前に起きている事を信じられず、一瞬判断が遅れてしまう。
だが…………
僕の戸惑いなど。
驚きなど。
受憎刃は待ってくれない。
ハッッ!!?
我に返った。
咄嗟に間合いを広げる。
何本か刃が掠めたけど致命傷は免れた。
タキサイキア現象下でこれなんだ。
平時だと完全に斬り殺されていた。
ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
鼓動が。
動悸が速くなる。
超高速ドラミングの様に。
何故鼓動が速くなったのか?
それは…………
中田がこっちを見ていたから。
中田は現在自ら生成した受憎刃の大群によって串刺し。
刺し貫いた紫色の刃によって天を仰いで浮いている。
その中田が首を曲げて、血が滴る様な紅い眼をこちらに向けていたから。
そんな状態で攻撃して来た。
ガタガタガタガタガタガタガタガタ
ヤバい!
動悸だけじゃなく両膝も震えて来た!
厄介なものが噴き出て来た。
歪な恐怖。
これが発生するとまともに動けなくなる。
ガタガタガタガタガタガタガタガタ
ヤバい!
怖い!
中田が怖い!
膝の震えが治まらない。
ズリュゥ…………
ズリュゥッ…………
中田に動きがある。
受憎腕を生成して刺さっている受憎刃を抜き始めたんだ。
1本。
また1本と。
僕は動けない。
頭の中に浮かぶのは…………
怖い。
この言葉のみ。
僕は現状を打開する一手を思案する事も出来ず、ただただ震えながら中田の動きを見ている事しか出来なかった。
ドサッ
全て抜き去った中田の身体はまるで投げ捨てた物の様に地に落ちる。
ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
その様に一片の生気も感じられない。
ますます鼓動が速く。
強くなる。
心臓が胸から飛び出して来そうだ。
生きているとはとても思えない。
人間であれば。
生物であれば死んで当然の惨状。
だけど…………
ググ……
中田は生きている。
ゆっくりと起き上がって来た。
身体には無数の切創が付いている。
ウジュル……
ウジュル……
汚らしい嫌な音を立てて、切創が紫色の肉で塞がって行く。
ジュルゥゥゥゥゥゥッッッッ!
更に動きを見せた。
両腕に生やしていた長い両腕を格納し始めたんだ。
その上に生成している大量の受憎刃ごと。
まるで強力な掃除機に吸い込まれる様に。
ガタガタガタガタガタガタガタガタ
僕は依然として震えているのみ。
怖い。
本当にこの言葉しか巡らなかった。
動かないといけないのに。
動かないと駄目なのに。
それすらも頭に浮かばない状態。
…………だけど…………
その事が幸運を………………
いや、不幸を招く事になる。
「NUAAAAAAAAAAAAAAAッッッ!!
EMIィィィィィィィィィィィィッッッッ!!
MOEェェェェェェェェェェッッッ!!」
両腕を格納し終えた中田は灼けつく様な紅い両眼で僕をギンと鋭く睨みながら大絶叫を上げる。
ドッドッドッドッドッドッドッドッ
「ハァッ…………
ハァッ…………」
怖い。
速く刻む鼓動。
息切れもしてきた。
これは決して絶招経による負担では無い。
体内で大きく膨れた恐怖の影響。
ズボァァァッァァァァァァァッッッ!!
中田は背中と両肩から大量の受憎腕を急速生成。
僕に襲い掛かる。
「ハァッ…………
ハァッッ…………
ハァッッ…………
ハァッ……」
息切れが激しい。
その受憎腕の動きは酷くゆっくり。
極めてスローに見えた。
これはタキサイキア現象。
任意で発動させたものではない。
身の危険。
死への恐怖が発動させた本能の様な物。
生存本能。
僕は死ねない。
死にたくない。
「ウワァァァァァァァッァァァァァァッッッッ!!
起動ォォォォォォォッッ!!」
ボバッッッッ!
両脚と右手から突風。
自然と大魔力を集中していた。
自分の意志が介在しているかも怪しい。
膨大に膨れ上がった恐怖によって呼び起された生存本能が突き動かす様に身体は前に。
ギュンッッ!
飛び出した僕の身体。
瞬時に間合いを詰める。
右手の形は手刀。
狙いは…………
中田の心臓。
僕は中田を殺す気だった。
いや、殺意と言う形があったかは解らない。
僕はそんな事も考えられない程、恐怖に縛られていた。
生きたい。
生存本能が産み出した行動。
真っすぐ手刀を中田の胸骨部。
心臓に繰り出す。
この手刀は颱拳の変化。
言わば颱刀と呼べる代物。
絶招経を発動している僕なら刺し貫けないものは無いだろう。
ドスゥゥゥゥゥッッッ!
僕の右手が中田の胸に刺さる。
ん?
何で!?
何で突き刺さらない!!?
僕がまず感じたのは圧倒的な違和感。
殺す気で手刀を中田の胸に刺した事による罪悪感、恐怖よりも先に。
瞬間的に広がったのは巨大な違和感。
確かに中田の胸には僕の手刀が刺さっている。
だがそれは親指を除いた4指の第2関節を超えた辺りまで。
それ以上は何かが閊えて刺さらない。
僕は今絶招経を発動している。
魔旭から取り出した大魔力を集中しているのにも関わらず。
押し込んでもそれ以上刺さらない。
ここで……
指に伝わって来る一つの感触。
これが何故刺さらないかの答えを示していた。
その感触とは…………
鼓動。
僕の手刀を遮っている何かはドクンドクンと脈打っていた。
この段階で解った………………
中田、心臓を凝受憎で防御している。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!
「オゴォッッ!!?」
答えが判明した刹那、視界が変わる。
地表が遥か遠くへ。
僕は中田の一撃で打ち上げられていた。
空中を舞う僕の身体。
何故今の一撃に気付かなかったのか?
それは死角からと言うのと襲い掛かって来た巨大な違和感でタキサイキア現象が解除されてしまったからだろう。
高く空へ舞う僕の身体。
痛みは僕の上半身全域から感じた。
だが灼けつく様な痛みでは無い。
緩い鈍痛。
痛みの箇所から多分中田は巨大な受憎腕を生成して下から打ち上げたんだ。
衝撃音や飛距離に比べてダメージが薄いのは絶招経を発動しているから。
胎動していた所から凝受憎はある程度の柔軟性も備えているのだろう。
一体いつから心臓を覆っていたのだろう?
もしかして超々高度から蹴りを喰らわせた辺りからだろうか?
それなら対流圏上部から蹴りを喰らわせて落下しても心臓が停止しなかったのもある程度、納得が行く。
どちらにせよ中田が規格外のバケモノである事には違いない。
色々と思考を巡らせている間に最高点に達した僕の身体。
次第に落下し始める。
ドサッ
だがすぐに着地する。
「竜司っっ!!?
大丈夫っっ!?」
天を仰いでいる僕の視界に心配そうな暮葉の顔が入り込んで来た。
僕はガレアの背中に着地した。
打ち上げられた僕を見て助けに来てくれたんだ。
「暮葉…………」
僕はゆっくり起き上がり、ガレアに跨る。
「竜司っっ!!?
物凄い勢いで飛んでたけど身体は大丈夫っっ!?」
跨った僕を見ても心配なのか背中で僕の身を案じる暮葉。
「うん…………
大丈夫だよ……
集中」
僕は鈍痛を感じている箇所に魔力を集中させ治癒を施す。
痛みは即霧散。
さすが絶招経。
回復も平時と比べて圧倒的に早い。
それにしてもどうしようか?
さっきのやり取りで仕留める事は出来なかった。
次、同様の攻撃を仕掛けても回避、もしくは迎撃される可能性がある。
何故ならヤツには超順応があるから。
中田を倒すには見せた事の無い攻撃や火力で即時決着させないといけない。
長引けば長引く程こちらが不利になる。
一体どうしたらいいのか?
〖主はん、主はん〗
と、ここで久久能智が声をかけて来た。
「久久能智、どうしたの?」
〖さっきの攻撃、完全にバケモンの心臓狙ぅてたけど、もう殺さずに捕える言うんはええんどすか?〗
え…………?
ドッドッドッドッドッドッドッドッ
鼓動が早鳴る。
久久能智の言葉を聞いただけで。
ガタガタガタガタガタガタガタガタ
両膝も大きく震えだす。
え?
僕はさっき何をやろうとしていたんだ?
殺す?
中田をか?
あれだけ中田を殺さず捕えようと頑張っていたのにか?
僕は抱いていたのか?
殺意を。
僕は中田を殺そうとしたのか?
ほんの数刻前まで忘れていた。
僕が自ら行った事を。
怖い。
自分が怖い。
さっきは完全に我を忘れていた。
いや……
そんな事は言い訳だ。
僕は確かに殺そうとしたんだ。
中田を。
自らの手で。
ドッドッドッドッドッドッドッドッ
動悸が速くなる。
さっき中田に抱いた恐怖よりも大きい恐怖が身体の自由を奪う。
トス
ここで優しく身体が後ろへ倒される。
背中に優しい温もり。
後頭部に柔らかいものがあたる。
ギュ
両肩から白い手が伸びて僕を優しく抱きしめた。
「竜司…………
深呼吸して…………
ホラ…………
サンハイ」
「スゥーーッ…………
ハァーーッ……」
後ろから聞こえる優しい声。
母親の様な優しい声。
言われるままに深呼吸をする。
背中を深く預けたまま。
ドッドッドッ…………
トク……
トク……
だんだん鼓動が治まって来る。
両膝の震えも止んで来た。
「私は…………
竜司が何に怖がっているか良く解らないけど…………
安心して……
私はずっと側に居るから……」
ようやく認識した。
僕の恐怖を鎮めてくれたのは暮葉。
声の主は暮葉。
後ろから優しく僕を抱きしめてくれているのは暮葉だった。
「うん……
ありがとう……
暮葉。
暖かいね……
もう少しこのままでも良い?」
「うん、良いわよ。
……フフ……
竜司ってば甘えんぼなんだから」
柔らかくて暖かい暮葉の双胸に包まれている僕の顔。
頭上では優しく微笑んでいる暮葉。
まさに女神。
暮葉は僕にとって慈愛の女神だ。
この時の僕の心境はかなりヤバくて、暮葉から離れてしまうとおそらく殺意が芽生えてしまった自責の念と罪悪感で圧し潰されてしまう。
そしてその事に対する恐怖が湧いてしまう可能性があったんだ。
だから恥も外聞も無い。
精霊やガレアが見ていても知った事か。
この時の僕は暮葉の暖かくて柔らかい身体から離れる事は出来なかった。
だけど……
暮葉に抱きしめられた状態なら頭は回る。
思案する事は可能。
まずは全方位で中田の状態を確認。
中田はその場で悪食を展開し、地面を貪り喰っていた。
ここで違和感が過る。
何故中田は僕を追撃しないのだろう?
今、僕らに安全な場所は無い。
唯一空は中田が飛べない為、安全地帯だと思われていた。
だけどそれは誤りだった。
いや、中田が安全地帯に侵入してきたと言った方が正しいのかも知れない。
現在の中田は脚を30メートル近く伸ばして空の標的も攻撃出来るようになっている。
だからこそ抱く違和感。
僕を打ち上げた方向も解ってる筈なのに何故追撃せずに、悪食を展開させ材料を吸収しているんだろう?
〖主はん。
逑の乳に埋もれて何黙りこくっとるんどす?〗
相変わらずズケズケと言って来る久久能智。
「なっ…………!!?
ちょっ……!
ちょっと黙っててよ久久能智ッッ!
今考えているんだからさっっ!」
〖はいはい。
そらごめんやしたどすえ〗
呆れ口調の久久能智。
いや、まあ言ってる事は合ってるし知った事かとは思ったけど、そう開けっぴろげに言われると僕も恥ずかしい。
「キャハハ。
竜司ってばおっかしいの。
一人で喋ってるみたい」
「こ……
声は聞こえたでしょ?
さっき話した精霊と話をしてるんだよ」
全部終わったら暮葉も見える様に魔法へ追記しておこう。
そんな事よりさっきの違和感だ。
何故中田は追撃して来ないんだろう?
何故悪食で材料を吸収しているんだろう?
行動とは意図や目的があって初めて行われる物。
と言う事は何か目的があって悪食を展開しているのだろうか?
悪食は広く受憎の材料を吸収する為の術。
となると受憎を生成する材料が不足しているからだろうか?
この解は違う。
しっくり来ない。
何故なら受憎は再利用可能でさっきのやり取りで僕は受憎腕を切断していないからだ。
材料が不足している為と言うのは違う気がする。
だが、依然として悪食で地面を吸収し続けている中田。
穴もどんどん深くなる。
「下のワルイヒト、ずっと地面食べてるね。
お腹いっぱいになっちゃわないのかな?」
僕を抱きしめている暮葉から問い。
見たままの光景から出た純粋な問い。
あ………………
………………もしかして
ここで僕の脳裏に閃き。
雷光の様に頭を奔る。
何を閃いたのか?
それは現在悪食を展開している理由。
僕の推測が正しければ今悪食を展開しているのは材料を収集する為じゃない。
悪食を展開している理由。
それは…………
恨気の消費。
僕に対する恨みが強過ぎて発生した恨気が許容量をオーバーしかけている。
だから悪食を展開して恨気を消費している。
そう考えたらどうだろう?
これは暮葉のお腹いっぱいにならないのか。
この一言で発生した閃き。
ならば今以上の恨気を発生させる様に仕向けたら内蔵した膨大な恨気の処理に追われ、弱体化するのでは無いだろうか?
そう僕は考えたんだ。
となるとやる事は簡単だ。
僕の身を中田の前に晒せば良い。
やる事はシンプルだが、危険が伴う。
物凄く。
何せ今の中田に身を晒さないといけないのだから。
一体どれ程の恨気を産み出せば弱体化が始まるのかが解らない。
そもそも弱体化するのも定かでは無い。
これはあくまでも僕の仮説なのだから。
でも……
今、手立てとしてはこれぐらいしか思いつかない。
やるしか無い。
僕は頭をふくよかな暮葉の胸に埋めたままガレアの背中に手を添える。
体内の魔旭に魔力を加える為だ。
大型魔力三回補給。
身体の中の魔旭が少し膨らんだ気がする。
相変わらず身体は何も反応を示さない。
ガレアからの巨大な力をすんなり受け入れている。
どうだろうか?
今は恐怖を感じていない。
両膝も震えていない。
それは暮葉の暖かさ、優しさに包まれているからだ。
離れるとまた恐怖が噴き出すかも知れない。
けど、いつまでもこうしてはいられない。
僕は恐る恐る。
ゆっくりと暮葉の胸から頭を持ち上げる。
動悸は?
トク……
トク……
問題無い。
正常だ。
両膝も震えていない。
よし、これなら行ける。
「竜司……
また下へ行くの……?」
さっきまで笑い、球をコロコロ転がす様な可愛い声を発していたが一転、神妙で憂いだ声を発する暮葉。
心配なのだろう。
「うん……
手立ても見つかったし……
暮葉のお陰でもう怖くも無くなったから……」
僕の返答に暮葉は無言。
「いつまでもこのままって訳にも行かないしね…………
あいつは僕が止めないといけない…………
から」
応答を待たず話を続ける僕。
だが暮葉からの返答は無い。
「暮葉?」
少し様子がおかしいと思い、今度は直接声をかける。
「……………………竜司……」
ようやくここで声が聞こえて来る。
だが声のトーンは神妙なまま。
「ん?
どうしたの?」
「………………私も降りる」
一瞬、何を言ってるか解らなかった。
「え………………?」
「私も降りて一緒に戦うっ!」
少し声を張る暮葉。
トーンに決意めいた意志を感じる。
だけど……
「何言ってるんだよ暮葉。
さっきのやり取り見てただろ?
そんな危険な事、僕が了承する訳無いじゃないか」
さっきの中田は常軌を逸した化物。
絶招経で発動した一撃でも倒す事が出来ず、更に心臓を凝受憎で覆って防御。
火力も尋常では無い。
荒波の様な攻撃を半永久的に仕掛けて来る。
しかもこの話はあくまでもさっきの中田。
超順応で僕の動きに対応している可能性もある。
掠るぐらいならまだ良いが、刃が一本でも刺さればそこから怒涛の様に大量の受憎刃が襲い掛かって来るだろう。
出来上がるのは全身串刺しになった死体だ。
そんな死地へ好きな。
大好きな女性を連れて行くなんて出来る訳が無い。
「竜司っ!
お願いっ!
私もう嫌なのっ!
竜司が苦しんで闘ってるのに何も出来ないのはっ!」
だが暮葉は引かない。
何も出来なかったと言うのは呼炎灼戦の時を言ってるんだろう。
けど…………
「駄目だ!
暮葉は中田がどれだけ危険な奴か解ってない!
そもそも中田は最初、暮葉を狙っていたんだよっ!?」
そう、もともと中田は……
と言うか竜排会は暮葉の存在を疎ましく思って狙って来たんだ。
とても了承できるものじゃない。
「何よっっ!
竜司の分からず屋っ!」
「ワガママな事を言わないでよっ!
僕は君に死んでほしく無いんだよっっ!」
この時の僕は声を荒げる事が出来た。
怒る事が出来ない筈なのに。
後々考えて見るとこの言動は“怒り”の感情では無く“叱る”と言う感情から出たものだったからだと思う。
この二つの感情は似ている様で出所は違う。
〖主はん、この緊迫した状況で痴話喧嘩どすか?
余裕でんなあ〗
チクリとイヤミを言う久久能智。
【おいおい、お前ら。
人の背中で何をギャースカギャースカやってんだよ】
僕らの様子を聞いてひょいと長い首を曲げ、こちらに振り向くガレア。
「あ……
ご……
ごめん……」
「竜司が分からず屋なのがいけないんだよっっ!
フンッッ!」
鼻息の荒い暮葉。
【何でアルビノ怒ってんだ?】
ガレアが尋ねて来る。
「え……
えっと……
実は……」
僕はガレアに今からやろうとしている作戦の概要を話した。
恨気を過剰生成させ、中田をオーバーヒートさせると言う事を。
【ふうん…………
竜司、ならよ?
俺も一緒に行ったら良いんじゃね?】
え?
何でそうなるの?
ガレアはこの作戦を理解してるんだろうか?
「え……?
どう言う事?」
【だってよ。
お前の話だとアイツは俺達が憎いからワケ解んねぇ力が湧いてケンカ売って来てんだろ?】
ガレア流の要約で中田の概要を説明。
そこそこ理解している様だ。
良かった。
「う……
うん……
そうだけど……」
【んでお前が今やろうとしてんのはめっちゃくちゃ力を湧かせてハライッパイにさせて動けなくなった所をやっちまおうって話だろ?】
確かに色々噛み砕けばそう言う事なんだけど……
やはりガレアが言うと何か軽い。
「う……
うん……
まあそう言う事…………
かな?」
【ハライッパイになったら動きたくないもんな。
んでよ。
何か知らねぇけどよ。
アイツが恨んでるのはお前だけじゃねぇだろ?
ならよ?
俺達全員で行ったらめっちゃくちゃ力湧くんじゃねぇのかって話だよ】
まぁ確かにそれはそうなんだけど。
「確かにそれはそうなんだけど。
そもそもこの作戦自体仮説だから本当にそうなるかは解らないんだよ?
もし僕の予想が合っていたとしても一体どれぐらいで弱り始めるかも解らない……
そんな不確かな作戦に戦力を全部割くって言うのは…………
中田も僕らをじっと見ているだけじゃない。
攻撃も仕掛けて来るんだ。
そもそもガレア、さっき中田にスピードで追いつかれてたのに大丈夫なの?」
攻撃も仕掛けて来る。
この自分が発した言葉にある引っ掛かりを覚えたんだ。
【にゃにおぅっっ!!?
竜司ィッッ!
テメーッッ!
俺が人間如きに負けるって言うのかぁっ!!?】
ガレアが長い首をこちらに曲げた状態でブンブン顔を振りながら怒っている。
「そうは言わないけど、事実結果としてガレアのスピードに中田の攻撃が追い付いてるって話だよ」
僕はガレアと会話しながら別の事を考えていた。
僕は重大な事を見落としていた。
そうだ、恨気を発生させたとしてもそのまま何もしない訳が無い。
受憎腕を湯水の様に急速生成して襲い掛かって来る。
攻撃を仕掛けると言う事は恨気を消費すると言う事。
僕の作戦は恨気の消費量が生成量を上回ると成立しない。
【何だとぅっっ!!?
あったま来たっっ!
ぜってー避けてやるッッ!
竜司ッッ!
お前が駄目だって言っても俺は行くからナァッ!!】
と、なると肝要なのは恨気の瞬間生成量。
突発的に。
瞬間的に膨大な恨気を溢れさせないといけない。
ガレアからの提案。
純粋が故に出た提案だろうけどこれは案外アリかも知れない。
僕とガレア。
そこに暮葉が加わるとおそらく今まで対峙して来た以上の恨気が溢れる事になるだろう。
「………………うん、いいよガレア。
お前の案で行く。
全員で行こう」
【何だとうっ!?
何で駄目………………
あれ?
良いのかよ】
さっきまでプリプリ怒っていたガレアの顔が一転キョトン顔。
「いいのっ!?
私も行っていいのっっ!?」
ぐいと背中を引っ張り身を乗り出す暮葉。
鼻孔に香しい華の芳香。
凄く良い匂い。
クラクラ来そう。
「う……
うん……
僕とガレア。
暮葉と三人で行こうと思う」
もちろんかなり危険な場所に婚約者共々晒される事になる。
だけど、僕にはタキサイキア現象がある。
暮葉には一太刀たりとも浴びせない。
絶対に。
僕はどんな事をしても絶対に暮葉は護る。
あとはガレアだ。
ポテンシャルを甘く見ているつもりは無いけど、超スピードに追いついたと言う事実がある。
本当に大丈夫なのだろうか?
【見てろよ……
あんにゃろう……
今度こそ絶対ぶっちぎってやる…………
オイッ!
竜司ッッ!
アルビノッッ!
お前ら俺から降りろっっ!
背中に何か乗ってたら本気出せねぇよっっ!】
まあ確かにそれはそうか。
「うん、作戦開始したら僕と暮葉はガレアから降りるよ。
暮葉、別に良いよね?」
「うんっ!
いいわよっ!
私、頑張っちゃうんだからっっ!」
何か妙にやる気…………
いや、殺る気の暮葉。
「暮葉……
もう一度言うけど中田を攻撃しちゃ駄目だよ?」
「えっ!?
そうなのっっ!?
ばーんってやっちゃわないのっっ!?」
「中途半端な攻撃は逆効果だよ。
とにかく避ける。
中田の攻撃を避け続けてイライラさせるんだ。
そうした方がより恨気が発生するだろうしね」
恨気の発生源はおそらくストレス。
なら僕らが避け続ければよりオーバーヒートが早まると考えたんだ。
「そうなんだ。
うん、わかった」
「ガレアも…………」
【あんにゃろうっっ!
まあ!?
確かに!?
人間の中ではちょこーーっっと速い部類に入るかも知れねぇけどよっっ!
あんなもんっっ!!
竜の俺が本気出したら全避けだ全避けっ!
…………ん?
何だ竜司?】
「い……
いや……
何でもない……」
思ってる以上に竜である自分にプライドを持ってるんだなガレアって。
まあこの様子だと回避する事に夢中になって攻撃などはしないだろう。
〖主はん主はん。
三人で話しつけてうちら空気にしとんけど、何しとったらええんどす?〗
「ちゃんと考えてるよ。
久久能智、お前は木の壁を生成して受憎刃を防いで欲しい」
〖木の壁て。
えろう簡単に言うてくれますけど、成形して木ィ生やすって結構骨なんどすえ?〗
「あれ?
そうなの?
何で?
木の精霊なのに」
〖なら逆に聞きまっけど、壁みたいに生えとる木ィなんか見た事あるんどすか?〗
黒髪パーマで緑色の肌を持つお姉さんが分厚い唇を歪ませてそう言ってのける。
僕を見降ろす眼には30分ぐらい前まであった慈愛の色は消え、どこと無く侮蔑の色が見える気がする。
「い……
いや……
無いけど……
木の精霊なら出来るかなって……
もしかして出来ないの?」
〖そないな事言うとりません。
やれるけどしんどい言うとるんどす〗
一体何を言いたいのか良く解らない。
しんどいから労えとでも言いたいのだろうか?
「そ……
そう……
でもどれだけ糧が要るかは判るでしょ?
いくらでも持ってって良いから。
しんどいかも知れないけど……
ここはひとつ……
頼むよ」
〖フウ……
わかりました……
ほなよばれますわ〗
会話の終りで身体から何か抜けて行く感じがした。
多分久久能智が魔力を吸収しているんだ。
けど、平時の時の様な大きい喪失感は無い。
意識しないと気付かないぐらいの軽い違和感しかない。
これも絶招経の効果だろうか?
ん…………?
魔旭が気持ち萎んだ……
かな?
それにしても僕なりに気を使ったのに“フウ”とは何だ“フウ”とは。
何だその溜息は。
「続いて水虬」
〖ええなぁ……
楼主はん……
美人より可愛い系の方が好みでありんしょうか……?
でも仲良ろしくて羨ましいでありんすなあ……
わっちも楼主はんと痴話喧嘩してみたいでありんすぅ…………〗
水虬はじぃっと暮葉を見つめながらブツブツ言っている。
「水虬」
〖ハゥアァッ!!?
なっ……
何ざんしょ?〗
「お前にも協力してもらう。
仮に僕が大量の糧を与えたとして、それを使って止水簪の本数を増やす事は出来る?」
止水簪は水虬の頭に付いている絢爛な簪の事。
中身は水虬が取り寄せた液体が濃縮されて内包していて、ピンポイントで液体の効果を出す時に有効なんだ。
頭の左右4本ずつ刺さっており、先程1本使ったので残り7本。
〖それは可能でありんす……
一体、如何程ご所望でありんすか?〗
「とりあえず10。
10本生成して欲しい」
〖10本となると相当糧がいんすけど、大丈夫でありんすか……?〗
「うん、要るだけ持って行って構わない。
あと今有る止水簪の中身は全て硫酸で。
もちろん生成する10本もだ。
その簪って刺さらないと中の液体は流れないよね」
〖はいな……
簪は楼主はんの理解でいんすけど………………
宜しいんでありんすか…………?
止水簪の中身を硫酸に変える言う事は只の硫酸やないんすえ……?
極濃硫酸でありんすけど……
楼主はん、危険な液体使うんは敬遠しとったんに……〗
「状況が状況だからね。
こっちも手段を選んでる場合じゃ無いんだよ。
もちろん普通の時に使うなんてまっぴらゴメンさ。
それで水虬。
お前の役割は止水簪を受憎腕に刺して敵の火力を減らして欲しい。
残弾があるから狙う箇所は出来れば枝分かれしてる根元が良い。
狙いが重要になって来る。
出来る?」
僕が問いかけた段階で身体に違和感を感じた。
今回は意識しなくても解るレベル。
魔旭も確実に小さくなっている。
水虬が魔力を吸収しているんだ。
久久能智よりも大量の魔力を使用すると言う事か。
〖フフフ…………
楼主はんがわっちを頼りにしていんすぅ……
任しておくんなんしぃっ!
百発百中の技を見せるでありんすぅっ!〗
水虬が大きくて蒼い横兵庫の頭を振り回し、恍惚の表情。
何が嬉しいのか良く解らないがやる気になってくれたのなら良しとするか。
「う……
うん……
まあいいか……
水虬。
止水簪の準備にどれぐらいかかる?」
〖わっちも10本生成すんのは初めてでありんすからなあ……
でも質のいい糧も貰ろたし、多分10分もあれば〗
え?
そんな短時間で生成出来るのか?
さすが水虬、仕事が早い。
「す……
凄い……
水虬……
流石だね」
〖うふぅん…………
わっちの能力の高さに惚れ直したでありんすかぁ……?
楼主はん……
いつでもわっちに鞍替えしていんすからねぇん……〗
〖水虬、アホか〗
久久能智辛辣。
まあ確かに少々頭が残念な精霊かも知れないけどもよ。
「タハハ……
ガレアッッ!
暮葉ッッ!
10分後ッッ!
作戦を開始するッッ!」
「うんっっ!」
【おうっっ!】
止水簪が生成される間、僕は考えていた。
さっき湧いていた歪な恐怖。
それが何故ガレアの魔力補給で治まらなかったのかを。
前は大型魔力を補給すれば治まっていた筈なのに。
少し考えた結果……
絶招経の弊害と言う結論に達した。
今の僕はどう言う訳か魔力を取り込んでも身体的負担が無い。
それは良い事だけでは無かったと言う事。
何故魔力補給で恐怖が治まっていたか?
それは心臓が高鳴っていたからだ。
あるラインを超えた魔力を取り込むと平時では凡そ考えられないぐらい大きく心臓が高鳴るんだ。
魔力の毒性を物語る程。
それが無くなった。
感じるのは何かが身体に侵入して来る違和感のみ。
絶招経を発動した事により魔力の身体的負担は軽減。
もしくは消失したが、代わりに湧いた感情を治める事が出来なくなったと言う事だろう。
〖出来んした……〗
え?
もう?
パッと水虬を見ると、両手に煌びやかな簪を大量に持っていた。
それはそれは100%のドヤ顔で。
「う……
うん……
ありがとう水虬……」
にこりと微笑んだ水虬は生成した簪を大きな横兵庫に刺して行く。
何本か咥えている様が妙にセクシー。
「さぁみんな最終確認だ。
僕と暮葉はガレアから離脱して地面に飛び降りる。
まず中田に僕らを目撃してもらわないと駄目だからガレアもまずは僕らの隣に着地して。
水虬、ヤツには超順応がある。
硫酸にも対応して来る可能性も充分考えられるから止水簪を投げるタイミングは充分吟味して。
あと…………
久久能智……
お前は攻撃が始まったらどんどん木の壁を生成して欲しい。
しんどいのは解るんだけど……
頼むよ。
糧が無くなったらどんどん補充して良いから」
「うんっ!
わかったっ!」
【まずはお前の隣に降りりゃ良いんだな。
わかったぞ】
〖わかりんした……〗
〖はいはい。
わかりました〗
四者四様の反応。
それにしても久久能智。
はいはいとは何だはいはいとは。
不貞腐れてるのか。
「じゃあ……
行こうか。
よっと……」
「きゃっ!?」
ひょいっ
僕は後ろに座っている暮葉を抱きかかえ、両手に納める。
所謂お姫様抱っこの体勢。
その状態でガレアの背中に立つ。
「さぁ暮葉。
行くよ……」
「う……
うん……
エヘヘ……
何かこの体勢だとホッペが熱い……
あ……
私、今恥ずかしいんだ……」
「さっ……!
作戦開始ッッ!」
何の気無しでこの体勢になったけど、言われてみれば確かに恥ずかしい。
僕は大声で合図を叫び、恥ずかしさを誤魔化しながら…………
ガレアから飛び降りた。
僕と暮葉の体重に重力が加わり、ぐんぐん地表に向けて落下。
着地地点は中田の悪食外。
おおよそ本体から25メートルぐらい離れた所。
ぐるんっ
僕は勢い良く反転。
両脚を地面に向ける。
ドコォォォォォォォォォンッッッッ!
巨大な着弾音が響く。
が、特に身体は問題無い。
バサァッ!
隣に大きく翼をはためかせたガレア。
難なく着地。
中田を見ると真正面を向いたまま動かない。
かなり大きい音が響いたはずなのに全く動かない。
地面に敷かれた悪食はどくんどくんと脈打っているが中田は真正面を向いたまま。
大量に伸びている受憎刃も横たわり、全く動かない。
僕らの位置は中田の左側になる。
ゆっくり暮葉を降ろす。
カラ……
落ちていた大きめの瓦礫を拾い上げる。
大きさからして重さは4~5キロと言った所。
絶招経を発動している僕はまるで重さを感じず、軽々と持ち上げる。
瓦礫を持った右手を大きく振り被る。
投擲の体勢。
狙いは中田の左側頭部。
剥き出しになっている頭部。
ブゥゥゥンッッ!
思い切り瓦礫を投げた。
力いっぱい投げてやった。
絶招経を発動している僕の力で。
バカァァァァァァァァァァァァンッッッ!
離れていても響く大きな破砕音。
狙い通り命中。
目標に当たった瓦礫は炸裂、四散する。
だが、中田の身体は多少後ろに揺れただけ。
ダメージは無さそうだ。
これは想定内。
こんな瓦礫でダメージを与えれるとは到底思っていない。
クルゥ~~~…………
ゆっくり。
静かにドアノブを回す様にゆっくりと中田がこちらへ振り向いた。
瓦礫を投げた目的は中田をこちらに向かせる為。
ギンッッッッ!
中田の紅い両眼が見開いた。
僕らを視認したんだ。
ブルブルブルブルゥゥッッ!
中田が震えている。
「NUAAAAAAAAAAAAAAAッッッッ!!!
NIIIIIIKUIIIIIIIッッッッ!!
KUREHAAAAAAAAAAッッッ!
EMIィィィィィィィィィィィィッッッッ!
MOEェェェェェェェェェッッ!」
中田の叫び。
巨大で濃く、激しい怨みを載せた叫び。
その声は発音同士が癒着し、言語として聞き取る事はほぼ不可能。
辛うじて“憎い”“暮葉”と言う単語は解ったが、声自体は化物の唸り声と化していた。
膨大に恨気が発生しているんだ。
来る!
タキサイキアッッ!
脳に意識を集中し、タキサイキア現象発動。
ゆっくり。
中田の動きが酷くゆっくりに見える。
眼に映るその光景に戦慄が奔る。
さっきまでだらんと垂れ下がり動かなかった受憎刃の大群。
その全てが一斉に襲い掛かって来る。
しかもそれだけでは無い。
展開している悪食からも次々と受憎刃を急速生成して攻撃に加えている。
夜空を覆い尽くす程の紫がまるで海嘯の様に覆い被さって来る。
だけど…………
隙間が無い訳じゃ無い。
「暮葉ッッ!!」
暮葉を抱き寄せた僕はまさに網の目を縫う様に迫り来る受憎刃の大群を躱す。
躱す。
躱す。
ギュンッッッ!
ガレアも同様。
瞬間でトップスピードに達したガレアは短距離で鋭角に方向転換を繰り返し、受憎刃の大群を翻弄している。
僕は網の眼を掻い潜る様に動いているが、ガレアは違う。
構わず超速で飛び回っている。
付近にある受憎刃はガレアに近づけない様子。
おそらくガレアの速度はマッハを超えている。
それにより衝撃波が発生している為だ。
まるで小さな隙間に自身の巨体を捻じ込むかの様に回避。
宣言通り全て避けている。
さすがガレア。
中田も負けてはいない。
更に大量の受憎刃を急速生成。
援軍を差し向けて来る。
その手数は優に200を超えている。
久久能智は巨大な木の壁をいくつも生成し受憎刃の進行を阻害。
水虬の投げた止水簪も依頼通り根元に刺さり、超強酸により瞬時に焼け溶け一気に受憎刃を数十単位で減らしてはいっている。
いっているが…………
無駄。
徒労。
進化した今の中田が繰り出す受憎刃の大軍勢では木の壁は僅かに勢いを殺す事しか出来ない。
止水簪も刺さり受憎刃が落ちるのだが悪食の上なんだ。
すぐに吸収され、新たに創り出されてしまう。
これは久久能智や水虬が悪い訳では無い。
立案した僕の責任。
僕の見通しが甘かった。
考えている間も受憎刃の大波は僕らを巻き込もうと押し寄せて来る。
僕は集中と起動を繰り返し、何とか避け続ける。
恨気の許容量はどれぐらいなんだ!?
早く!
早くオーバーヒートしろ!
ここで僕の頭に妙案が浮かぶ。
タキサイキア現象が発動している中で神通三世を発動したらどうなるんだろう?
平時なら発動させるなんて手間から到底無理だけど全てがスローな動きの今なら発動できる筈。
パンッッ!
黄道大天宮図!
思い立ったら即行動。
暮葉を左脇に抱えた状態で両手を合わせ、観音開き。
掌に現れた眩い星団図。
よし!
成功だ!
すぐさま黄道大天宮図を右手に保持。
神通三世!!
スキル発動。
この選択が地獄の様な結果を招く事になるなんてこの時の僕は知らなかったんだ。
ゴォォォォォォォォォッッッ!
体内で突風が吹き込む音が響く。
カカカカカカカカカカッカカカカカカンッッッ!
続いて鳴るのは拍子木の音。
まるで一心不乱に叩きまくってる様に鳴り響く。
一人でに身体が動き出す。
確か魔法には暮葉を含めた身を護る動きをする様に記したはず。
タキサイキア現象が発動しているから動きが良く解る。
神通三世の取った選択は低く前へだった。
地を這う様に前へ飛び出した僕と暮葉の身体。
目の前に立ち塞がる受憎刃の大群。
それを僕は…………
ガッ!
暮葉を振り回し捌いていた。
曽根に喰らわせた一撃の様に。
振り回した事で発生した遠心力の勢いは暮葉だけでなく僕自身も振り回している。
前の受憎刃をどんどん捌き、突き進む。
まるで双舞踊を披露している様に。
気が付いたら僕の目の前には激しい憤怒の表情を浮かべる中田の顔があった。
超至近距離。
その刹那。
最大級まで真っ赤な眼を見開き、口を大きく開け天を仰ぎだした中田。
その様は憤怒の上から更に何重も憤怒の色を厚く塗り重ねたかの様。
恨気が発生している。
膨大に。
無理も無い。
この至近距離で怨みの対象である僕と暮葉の顔を目撃したんだ。
恨気が溢れて当然だ。
ここで戦況にも動きがある。
さっきまで超速で活動していた受憎刃の大群。
その動きが一斉に止まったんだ。
これは……
上手く行ったのか?
僕は強く悪食を蹴り、間合いを大きく広げた。
タキサイキア解除。
「ガレアァァァァァッッ!
こっちに戻って来いィィィッッ!」
僕は大声でガレアを呼びつけた。
途端に夜空へ打ち上げられるエメラルド。
そのまま急旋回。
僕の隣に落ちて来る。
バサァッ
エメラルドの流星は地表スレスレで両翼を大きく広げはためかせる。
ドスッ
エメラルドの正体はガレア。
難なく着地。
【アイツ、どうしたんだ?
動かなくなっちまったぞ。
竜司の言ってた腹いっぱいになったのか?】
十中八九そうだとは思うがまだ予断を許さない状況。
僕は遠く離れた所から中田を凝視する。
ブルブルブルブルゥゥッッ!
あっ!?
中田の身体が震えたっっ!
「GAAッッッ…………!!
GOAAAAAAAAッッッッ…………!!」
言葉にならない唸り声を上げながら、身を捩り、身悶えている。
苦しそうな様子がありありと伝わって来る。
ボコォォォォォォォォォォッッッ!
巨大で分厚い泡沫が弾けた様な音。
いや、音よりも僕は目の前で起きている事に愕然とする。
「なん…………
だ……?
アレ……」
位置はうなじ辺り。
急速に現れた…………
いや、体内から噴き出たと言うのが正しい。
大きさは7メートルから10メートル。
巨大な。
超巨大なドス黒い紫色の丸い何か。
明らかに中田本体より大きい。
ボコォォォォォォォォォォッッッ!
ボコォォォォォォォォォォッッッ!
ボコォォォォォォォォォォッッッ!
その噴き出た紫色の球体が何かも判別できないまま次々と破裂音が響き、同じ大きさの丸い紫色の何かが中田の身体の至る所から噴き出る。
その巨大な丸い紫は瞬く間に中田本体を覆い隠してしまった。
「GAAAAAAAAAAァッッッッ!!
…………UWAAAAAAAAAァァァッッ!!
EMIィィィィィィィィィィィィッッッッ!
MOEェェェェェェェェェッッッ!」
巨大な紫の向こう側で中田の悲痛な叫びがこだまする。
唖然。
ただただ唖然と見つめていた僕。
ここで巨大な丸い紫が何か気付く。
あれは受憎。
受憎で生成された肉。
もはや腕等の形態も模してはいない。
体内で収まり切らず外界へ飛び出て来たと言う印象。
【おいっ!?
竜司っっ!
アイツどうしちまったんだっっ!!?】
さしものガレアも目の前で起きている異変に驚きを隠せない。
僕はそのガレアの問いかけに応答出来なかった。
無言。
ただただ真っ直ぐ中田の方を見つめる事しか出来なかった。
ベチャァァァァァァァッァァァァッッッッ!
更に動き。
噴き出た受憎球が弾けたんだ。
次々と。
ドス黒い紫色の受憎球は液状化。
膨大に溢れた汚い紫色の液体は瞬く間に四方へ滲んで行く。
いつしか中田の叫びは聞こえなくなっていた。
紫色の液体に取り込まれた様子。
解った。
あの紫色の液体は…………
悪食だ。
広範囲に滲んで行く悪食は遠く離れた僕の所まで届こうとしていた。
でも僕は動けない。
声も発する事も出来ない。
立ち尽くしたまま。
【オイオイ……
こりゃマズいんじゃねぇかっ!?
竜司っっ!?
オイ!
竜司ッッ!?】
ガレアの呼びかけに答える事も出来ない。
【クソォッ!!
アルビノッッ!
竜司を抱えて俺に乗れッッ!
ここから一旦逃げるぞッッ!】
「うんっっ!」
ひょいっ
暮葉は僕を軽々持ち上げ、ガレアに搭乗。
ギャンッッッ!
ガレア急速発進。
瞬時に空へ舞い上がる。
バサァッ!
ある程度の高度に達した段階でブレーキ。
長い首を地表に向けたガレア。
【な…………
何だこりゃぁ…………?】
竜のガレアですら息を呑む光景。
先程まで中田の居た地点から四方へ悪食が広がっている。
その範囲はさっきよりも遥かに広い。
木々、花々を呑み込んでどんどん拡大して行っている。
唖然としていた僕はガレアと共に地表の地獄絵図を見つめながらある決断をした。
「………………暮葉…………
僕に魔力ブーストをかけて……」
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「…………はい…………
今日はここまで……」
「パパ…………」
今日は二人共テンションが低い。
無理も無い。
話が話だから。
続いて龍が重い口を開く。
「パパ…………
何でママの魔力ブーストをかけてなんて言ったの……?
昨日の話で感情が無くなっちゃうって解ってるのに…………」
「…………うん…………
この段階の中田は暴走状態……
たくさん溢れた恨気と魔力が合わさってコントロール出来ない状態になったんだ…………
中田をそんな風にしてしまったのは僕……
僕なんだ……
ここまで来てしまったら感情が消えるから嫌なんて言ってられなかったんだよ…………」
「パパ…………」
「今日は長くなってしまったね……
最後まで聞いてくれてありがとう……
じゃあおやすみなさい」