第百七十八話 悪戦苦闘(中田戦④)
2048年2月 某邸宅寝室
「やあ、こんばんは」
「うん、パパ。
こんばんはで御座います」
ぺこり
僕の真正面で正座しながら頭を下げる龍。
何だが言ってる敬語もおかしい。
どうしたんだろう。
「た……
龍?
一体全体どうしたの?
何かヘンだよ」
「えっ?
だって昨日パパが真剣な顔で、ここから先の話は覚悟しててっていうからさ」
いや、まあ確かにそうは言ったけどさ。
龍なりに真剣に聞かないとと思ったが故の態度だろう。
それにしても極端だな。
「いや、別に話を聞く分には普段通りで良いよ。
僕もそう畏まられると話しにくいし」
「そう?
じゃあ……」
ようやく正座を崩す龍。
「さあ今日はどこからの話か覚えているかな?」
「パパがすんごい踵落とし喰らわせたけど、中田は全然平気で向かって来たから毒ガスを撒いて倒れた所を攻撃しようとしてる所でしょ?
って言うかパパの若い頃って毒ガス作れたんだね」
概ね合っている。
それにしても軽く毒ガスとか言うなあ。
あまりに普段の生活からかけ離れているから、何か漫画やアニメの能力を聞いてる様な感覚なのだろうか?
「うん、まあそんな感じだね。
それで僕はあるスキルを使おうと考えたんだ」
「確かプリ……
ディクションだったっけ?
あのどんな攻撃でも避けちゃうヤツ」
「うん、そうだよ龍。
よく知っていたね。
ありがとう」
「でも何なの?
プリディクションって名前。
何だか難しい」
「プリディクションって言うのは英語なんだけど予知って意味なんだ。
数秒未来の攻撃を予測して回避、防御行動を電気信号に変えるってスキルだから良いかなって思って」
「そう言えば神通三世って未来予知するスキルだったっけ?
…………パパ…………
これって本当の話なの……?
まんまアニメとか漫画みたいな話になって来てるけど……」
まあ龍の言う事ももっともだ。
竜に触手を生やすモンスターに未来予知、精霊と来ればどこのアニメの話って疑いたくなるのも解る。
「本当だよ。
でも、龍?
よく考えてごらん。
大体、竜がそこら辺を飛んでたり、歩いていたり、泳いでいたりって世界自体があり得なくない?」
「うん。
だって竜なんて居る訳無いし。
竜って漫画やアニメだけの生き物でしょ?」
「うん、そうだね。
でもそれは嘘なんだ。
竜は今も竜界で暮らしている実在のものなんだよ。
もちろん目撃した人達は今も普通に生きている。
ただ忘れているだけなんだよ」
「忘れている?
何で?
竜なんて一目見たら忘れないでしょ?
大きいし」
「その事については最後に話そうと思う。
それよりも今日は中田との決戦の続きだよ」
「あっ!
そうだったっ!
ねえねえ早く話してよっ!」
「フフフ……
じゃあ始めて行くよ」
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2017年12月 小石川後楽園
試してみるか。
神通三世を。
今、現在中田が生やしている受憎腕が一斉に攻撃して来た事を想定しての決断。
これを全て躱せたら、文字通り絶対防御と言えるだろう。
神通三世の性能実証になると考えたんだ。
その他、神道巫術と占星装術の併用可否の確認も兼ねている。
久久能智、水虬は神道巫術。
神通三世は占星装術の範疇だ。
こればかりはやってみないと解らない。
ピトッ
僕はガレアの鱗に手を合わせる。
「ガレア……
今回……
本当に何度も魔力補給して……
ゴメンね……」
【ハッ。
何言ってんだよ竜司。
お前にやってる魔力なんて俺からしたらほんのちょっとなんだよ。
オメェが補給してんのは要るからだろ?
だったら妙な事言ってねぇでどんどん持っていきやがれ】
「うん、ありがとうガレア」
やはりガレアは良い奴だ。
口は悪いが要は遠慮せずに持って行っていいと言いたいんだろう。
僕の竜がガレアで良かった。
こう言う何気ない一面で深くそれを感じる。
ドッッックゥゥゥゥンッッッ!
大型魔力補給。
保持完了。
下準備OK。
さぁやろうか。
「全方位」
僕を中心に超速で半円状に広がる翠色のワイヤーフレーム。
見た目では半円だが地中にもワイヤーフレームは及んでいる。
まずは中田の状態から確認。
まだ倒れている。
タブンの効果は健在。
公園をすっぽり包み、更に広がる。
半径20キロ広がりきった。
よしOK。
お次は……
「神道巫術」
発動する順序としては神道巫術が先。
それは発動時のモーションの差から。
占星装術の方が若干手順が多い。
発動してしまうと片手が塞がる訳だし。
僕の両人差し指が青白く灯る。
その指で鳥居を描いた。
「久久能智……?
水虬……?
僕の声が聞こえる……?
聞こえていたら出て来て欲しい……」
蒼い鳥居の前で二つの精霊に呼びかける。
フンッッ
目の前に現れた魔方陣二つ。
ギュルルルルルゥゥッッ
右の魔法陣から……木の蔓?
いや枝だろうか?
それが何本も天に向かって伸びている。
伸びた枝が形成するのは三角。
枝で出来たテントの様だ。
パキ…………
パキパキパキ…………
すると出来た木のテント。
その上半分にヒビが入り、割れて行く。
ファサァッ
中から出て来たのは流れる様な軽いパーマがかかった黒髪ロングヘアー。
緑色の肌。
母親が子に向ける様な優しい瞳。
整った高い鼻と厚い唇。
間違い無い。
久久能智だ。
〖主はん、次はうちを使うんどすなあ……〗
「ク……
久久能智……
さっきこんな登場の仕方だったっけ……?」
〖ウフフ……
いやあんな……
水虬、見とったらエライ自分に合うた登場の仕方しとんなあ思てなあ……
ほなうちも木の精霊っぽい出方にしよか思たんどす……
主はん、どうでっか?
木の精霊っぽいでっしゃろ?〗
「うん……
物凄く木……
これで雲の精霊とかだったらずっこけるぐらい……」
〖ウフフ……
何を言うとるんどす……?〗
久久能智が優しい瞳でにこりと微笑む。
コポコポコポ……
お次は左の魔法陣。
先程と同じ様に中心から水が溢れて来る。
そこから現れたのはガバッと胸元と脚部が開いている蒼い花魁着物を纏った女性。
頭は真っ青な横兵庫。
数々の絢爛な簪。
スウッと横に切れた細い眼。
薄い唇。
綺麗な水を想起させる青藍色の肌。
まさしく妖艶。
そんな言葉が相応しい蒼い女性。
水虬だ。
〖おや……?
久久能智……
あんさん、そんな姿になりんしたんか……?〗
〖水虬……
アンタは何やエロい感じになっとるなあ……〗
翠色の女性と蒼い女性が話している。
…………あれ?
精霊ってお互い今の姿は知らないのかな?
「ねえ久久能智。
水虬がこの姿になってるの知らないの?」
〖主はんが見とるうちらの姿は具象体言いましてな……
全部、主はんのイメージで創り出しとるって言いましたやろ?
だからうちらはお互いどうなっとるか言うんは見るまで解らんのどす〗
なるほど。
でもどうやってイメージしてるんだろ?
少なくとも意識はしていない。
多分無意識化でだろうな。
僕が今まで見て来たアニメや特撮。
漫画やゲームの記憶から創っているんだろう。
「そうなんだ。
じゃあどうかな?
お互い見てみて」
〖久久能智は良かったでありんすなあ……
そんな美人に作ってくだすって……
けどそのお着もんは少ぉし、ゴワついてありんすなあ……〗
水虬は久久能智が着ている木の蔓のドレスを見つめ、そんな事を言う。
水虬の視点からでも久久能智は美人なんだ。
ただ姿が花魁なだけにお世辞の可能性は拭い切れない。
〖水虬……
あんさんはエラいべっぴんに拵えてもろとるけど……
何でこないにエロくなっとるんどす……?
主はん、アンタ水の精霊を何や思うとるんどす……
んで何やいけずそうな面どすな〗
久久能智はいつもの様にどすどすと忌憚の無い所感を述べている。
「そんな事言われても……
僕だって意識してイメージした訳じゃないんだし……」
無意識下でイメージしてるんだから僕にどうこう言われても困る。
まあとりあえず、神道巫術は完了した。
パンッッ!
僕は胸元で勢いよく両手を合わせる。
次は出来るかどうか解らない。
半ば検証、実験の様な行為。
「黄道大天宮図」
数多の星群図よ!
来い!
強く願う。
僕は合わせた両掌を天に向けて観音開き。
出た。
天に向けられた両掌の上に現れた煌めく大星団図。
眩い光を放っている。
〖へえ……
これまた綺麗なモンどすなあ……〗
〖楼主はん……
良かったでありんすなあ……
無事、占星装術も使えとるでありんす……〗
確か場に出ていなくても精霊達は僕の事を見ているんだったっけ。
なら占星装術の事を知っていても納得だ。
「まだ黄道大天宮図が出ただけだからね。
ここから神通三世が使えないとね」
〖でも主はん、神通三世を土壇場で試すんどすか?〗
あ、そうか。
確かに言われてみればそうだ。
一度きちんと作動するかどうか今の段階で確認しておいた方が良い。
「あ、そう言えばそうだね。
じゃあ試してみるよ……
神通三世」
ゴォォォォォォッッ!
やった。
成功だ。
この通風孔から風が突き抜ける様な音。
神通三世の作動音だ。
〖楼主はん……
如何でありんすか……?
神通三世は作動したでありんすか……?〗
どうやら精霊達は体内で響く音までは聞こえないみたいだ。
「うん……
うまく作動したみたい。
さあ、念のため十分程、間隔を取ったら行くよ。
その間に作戦を話しておこうと思う。
まずガレア」
【おう】
「お前は今回攻撃しないでくれ」
【何だ?
そんなんで勝てんのかよ?】
「それはやってみないと解らない。
けど僕が仕掛けるスキルは下手したらガレアも巻き込んじゃうかも知れないから、出来れば少し離れておいて欲しい」
【何だそりゃ?
まあ良く解んねぇけど判ったぞ】
「うん、お願い。
続いて久久能智」
〖はいな〗
「僕の攻撃のサポートをしてくれ。
木の蔓で相手を拘束するか。
木の棘で攻撃するか。
その判断はお前に任せる」
〖わかったどす〗
「続いて水虬」
〖はい……〗
うっとりとした気色ばんだ瞳で僕を見つめる水虬。
「お前は最後の生命線だ。
まず考えるのは僕がやられてしまった時の回復。
場合によってはまた中田の足留めをお願いするよ」
〖わかりんした……〗
「あと最後に三人共……
僕がもし中田にやられてしまったら全力退避。
これで行こうと思うけど……
どうかな?」
〖アイツはバケモンやからなあ。
まあ何事もやってみなわからんし……
うちは別に意見無いで。
水虬はどうどす?〗
〖わっちも特に意見はござりんせん……〗
特に異論はないみたい。
さあそろそろ十分だ。
行くか。
「よし、じゃあそろそろ行こうか」
ピト
僕はガレアの鱗に手を合わせる。
ドッッックゥゥゥゥンッッッ!
大型魔力を補給。
保持をかける。
続いて集中。
集中先は両脚。
量は中の下ぐらい。
少なめなのはあくまでも移動だから。
さあ、行こうか。
再び黄道大天宮図を発動し、左手で保持。
「起動」
ドルンッ!
ドルルルン!
体内でエンジンが唸る。
「じゃあ行くよ三人共」
〖はいな〗
〖よござんす〗
【おう】
ダンッッッッッ!
僕は強く地を蹴る。
一路北西方向へ。
目的地は倒れている中田の元。
全方位内を確認してもまだ倒れている。
タブンの効果はまだ続いている。
僕らの動きは早い。
文字通り一瞬で辿り着いた。
目算で10メートル程、離れている地点。
そこに着地した僕ら。
遠目に見える中田の倒れている姿。
「ガレア……
ここで待機してて。
僕がやられたら載せて退避してね。
あと僕が戦闘を始めたら十秒。
ちょうど十秒経ったら中田をぶっ飛ばして。
拳でも脚でも尻尾でも何でも良いから」
【おう、わかった。
ここで待つのは良いけど、何だ?
その10秒って】
「良いから。
10秒経ったら思い切り中田をぶっ飛ばして」
【うん?
何だか良く解んねぇけど10秒経ったらぶっ飛ばしていいんだな?】
僕はこのやり取りで中田を倒せるとは毛程も思っていなかった。
あくまでも神通三世の性能検証の為。
そう言えば……
「うん。
それと久久能智?」
僕とガレアが離れた場合、精霊はどちらについて行くんだろう?
〖主はん、何でっしゃろ?〗
「僕とガレアが離れた場合、二人はどちらに付いてくの?」
〖そら主はんやろ?
うちらを出しとんは主はんやねんから〗
「ホントかな……?」
僕は試しに離れてみる。
するとどうだ。
久久能智と水虬を載せている魔法陣は僕の方へついて来た。
〖ほら、だから言うとるやろ?〗
「うん。
水虬、解る範囲で良いから今の中田の状態を教えて」
〖アイツはおそらく浸透したタブンで全身の筋肉が痙攣しとる所でありんす〗
「わかった。
ありがとう」
やはりタブンの効果は凄まじいんだな。
ザッ
僕は一歩前にへ歩みだす。
ザッザッ
一歩一歩中田へ近づいて行く。
ズンッッッッッッ!
ベコォッッッ!
突然かかる重さ。
途轍もない重さ。
あまりの重さに地割れを起こしている。
「グウゥゥゥゥッッ……!」
見ると倒れている中田が真っ赤な眼をこちらに向けていた。
さっきの血涙の影響だろうか。
両眼が血の様に紅い。
地に縫い付けんばかりの圧倒的な重さだが、比較的僕は落ち着いていた。
何故か?
この重さは覚えがあるからだ。
この重さの正体はそう…………
眼刺死だ。
必ず眼刺死を放ってくるだろうとは思っていた。
だから心構えは出来ていたんだ。
眼刺死に関してはもう怖くない。
何故なら対策は既にあるから。
懸念材料としてはさっき感じた重さより今回の圧の方が遥かに重たい事だ。
ここはもう三則との純粋な力比べ。
僕の扱う魔力が勝つか。
身体を縛る中田の恨気が勝つか。
起動ッッッ!
僕は心の中で強く念じる。
対策を実践。
前持って張り巡らせていた全身の魔力が一気に起爆。
さあ!
僕を縛る恨気!
身体から消えろぉぉっ!
フワッ
片膝をつきかけていた僕の身体が軽くなる。
だが、僕は体勢を変えない。
おそらく……
この後は…………
カラッ……
俯いている僕の頭上で物音。
ジャリ……
ジャリ……
何やら踏みしめる様な音がする。
俯いているから様子は解らない。
けど、物音で分かった。
多分中田が起き上がったんだ。
神経ガスに侵されているのに何故?
疑問は浮かぶがとりあえず今は置いておく。
僕はこの体勢を崩す訳には行かない。
これも作戦の内。
僕がまだ眼刺死に侵されていると思わせないといけない。
ジャリ……
ジャリ……
一歩一歩近づいて来る音。
俯いている僕は両眼を上げる。
見えた。
裸足の両脚。
中田の脚だ。
もう目と鼻の先まで迫って来ている。
グァァァッッ!
ここだ。
僕は軽々と立ち上がる。
重さが霧散しているから当然だ。
上がる視界。
その中で見える中田の異形。
背中から夥しい数の受憎腕を生やしている。
その数は網膜に映る画を全て埋め尽くすが如く。
正直怖い。
全て僕に牙を剥くと考えると怖い。
だが身体の動きを縛る程の恐怖では無い。
さっき飲んだチルアウトの効果だろうか。
僕は立ち上がった。
頭上には血に染まった紅い両眼で鬼の様に見降ろす中田。
だが僕は一歩も引く事無くまっすぐその紅い視線を受け止めた。
間隔は狭い。
おそらく50センチも無いのでは。
その狭い間隔で向かい合う中田の紅い両眼と僕の両眼。
いわゆる元風に言うとメンチ切り。
ヤンキーがケンカを始める前の様な体勢。
僕を見降ろし無言の中田。
「どうした……?
眼刺死が効いていないのがそんなに不思議か……?
お前……
僕が憎いんだろ……?
なら、かかってこいよ……」
僕は敢えて挑発めいた発言をした。
効いていると思っていた眼刺死が効いていない。
これで少しでも動揺してくれれば。
「…………貴様…………
一度ならず二度までも……
毒ガスを…………
死ね……
死んでしまえ……
この化物が……
お前は生きてるだけで毒ガスを撒き散らす……
犠牲になった罪の無い人々の怨みを受けて後悔しながら死んでしまえ……」
静かに怨み言を僕に放つ中田。
今までの僕なら自身に産まれた罪悪感で立つ事も出来なかったかも知れない。
だが僕は落ち着いていた。
確かにチクリと罪悪感を刺す感覚はあったが些細な物。
僕はメンチ切りを止めない。
化物?
蜘蛛の様にドス黒い紫色の受憎腕を何本も生やしている者が何を言う。
犠牲になった人々の怨み?
ならばお前が今生成している受憎腕は何なんだ?
要するに中田は僕に対する怨みが凝り固まり過ぎて身勝手で傲慢な言葉になっているんだ。
それに気付けた。
冷静に中田の怨み事に対して矛盾点を見つける事が出来た。
これもさっき飲んだチルアウトで落ち着いたからだろうか?
来る。
そんな気がする。
まだだ。
まだ神通三世は作動したらいけない。
何せ制限時間は10秒と短い。
タイミングは見誤らないようにしないと。
じっと無言で見降ろす中田の紅い眼。
それを一歩も引かず見上げる僕の両眼。
一触即発。
見逃すな。
中田の挙動を。
微かでも動いたらそれが発動タイミング。
僕は静かに目を凝らす。
ピク
中田が生やしている受憎腕の一本が微かに動いた。
来た!
ここだ!
「神通三世ッッ!」
スキル発動。
ゴォォォォォォッッ!
激しい風の流れる音。
スキル作動音。
ここから物凄い現象が僕の身に降りかかる事になる。
カカカカカカカッカカカカカカンッッッッ!
ザシャァッ……
僕は気が付いたら中田の背後に居た。
まさに一瞬の出来事。
息を呑む。
目の前にはがら空きの中田の背中。
中田は背中の受憎腕を全て僕が居た場所に差し向けられていた。
中には数本受憎刃と変貌している。
経過時間:0.5秒。
中田は僕が消えた事に気付いていない。
だが消えた事に気付く時間は瞬き一つする時間よりも短いだろう。
だが……
一瞬だが……
刹那だが……
せっかく出来た中田の隙。
攻撃しない手は無い。
起動ォォォッッッ!!
ビュンッッ!
僕は心で強く念ずる。
魔力注入発動。
攻撃は右ストレート。
しゃがんでいた為、斜め上に放つ右ストレート。
僕の中で一番最短距離を突き進む攻撃方法。
急激に膨大な力を込めた右拳を真っ直ぐ。
ただ真っすぐ超速で放つ。
だが…………
カカカカカカカッカカカカカカンッッッッ!
頭の中で鳴る拍子木の連続音。
長い。
頭が割れそうだ。
拍子木の音は神通三世が動作した証。
経過時間:1.2秒。
また瞬時に風景が変わる。
次は中田の左斜め後ろの位置。
一瞬で移動。
だが、先程と状況は違っていた。
僕の目の前にはドス黒い紫色の掌が三つ。
僕の両手で強く挟み込まれた受憎腕が三本。
眼前に在った。
僕を掴もうと五指を忙しなく動かす。
それが三つ分。
合計15本の太い紫色の指があと少し。
あと少しで恨気を流せるのにと言わんばかりに忙しなく蠢いている。
物凄く気持ち悪い図。
化物じみてて吐き気をもよおしそうだ。
だが敵が気持ち悪いのは重々承知の筈。
吐いている場合では無い。
僕は上がって来そうな吐き気を押し殺し、攻撃に転ずる。
経過時間:2.2秒。
起動ッッ!
グイィィッッッ!
嫌悪感から来る吐き気とは別に気持ち自体は落ち着いていた。
怖気づいていなかった。
僕の中の闘争本能は静かに燃えていたんだ。
魔力注入発動。
魔力の集中先はもちろん両手。
強く受憎腕を挟み込んでいた両手。
おそらく神通三世の効果で魔力注入はひとりでに発動している筈。
魔力注入の重ね掛け。
いくら受憎腕のパワーが強力と言っても今の僕の力量で魔力注入を重ね掛けすれば動けない。
僕はそう踏んで思い切り両手を振りかぶったんだ。
グァァァァァァァァァッッ!
浮かび上がる中田の身体。
背中から生やしている無数の受憎腕ごと。
全て宙に浮いた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!」
ブゥゥゥンッッ!
僕の叫び声と共にそのまま地に向かって両手を振り下ろした。
地面に叩き付ける為。
経過時間:5秒。
ガァァァッァァァァァンッッッッ!
中田の身体が思い切り地面に叩き付けられた。
巨大な衝撃音。
まるで落雷が墜ちたかの様だ。
経過時間:5.5秒。
さしもの中田もこれだけ強く地面に叩き付けられればダメージの一つも…………
カカカカカカカッカカカカカカンッッッッ!
だがそれは甘い考えだと頭の中で鳴る拍子木の音が語っていた。
三度僕の視界が変わる。
僕の網膜には倒れている中田の後頭部。
右半分が禿げ上がった中田の後頭部が映っていた。
気が付いたら僕は中田の背部に立っていたのだ。
無数の受憎腕の付け根を踏み付けて。
中田は健在。
あれだけ強く地面に叩き付けたと言うのにまだまだ健在だったのだ。
付け根を踏んづけているのはどう言う事だろう?
神通三世の動きだ。
何か意味がある気がする。
その意味はすぐに解った。
受憎腕の動きで解ったんだ。
ビュビュビュビュビュンッ!!
背部に僕が居る事は中田は気付いている。
僕に受憎腕を繰り出して来たからだ。
だが、僕には届かなかった。
付け根を踏み付けていたからだ。
いくら受憎腕と言っても可動域と言う物は存在しているらしい。
僕が付け根を踏み付けている事で満足に動かす事が出来ず、僕の居る背面まで届かないんだ。
更に好機。
目の前にはがら空きの背中。
神通三世がもたらした隙。
経過時間:7秒。
「起動ォォォッッッ!」
三則発動。
魔力の集中先は右拳。
2秒もかからない間に巨大な魔力を右拳に集中。
ドコォォォォォォォォォォォォォォンッッ!
僕は躊躇なく思い切り拳を振り下ろした。
僕の右拳が中田の背中に突き刺さる。
巨大な衝撃に中田の身体が弓張りに曲がる。
バキベキボキバキボキボキボキィィィィィッッ!!
ブチブチブチブチブチィィィィィッッ!
中田が本体で受憎腕に成り代わっているのは両腕のみ。
僕が殴った上半身は生身。
今長く聞こえた音は中田の肋骨、背骨がへし折れた音。
僕が魔力注入を発動し、全力で拳を放てば一般人の骨を折る事など爪楊枝を折るより容易い。
中田も背中に攻撃を喰らうとは思って無かったんだろう。
おそらく感染和法の身体強化は施していない。
だからこそ響いた音。
続いて聞こえた音は僕の拳圧により千切れた受憎腕の音。
経過時間:8秒。
ドサッ!
ドサドサドサッ!
千切れ飛んだ受憎腕の残骸が辺りに散らばり落ちる。
ガレアはまだ動いていない。
と言う事はまだ10秒経っていないと言う事だ。
ビュンッ
スタッ
僕は中田の背部から一足飛び。
【はーち……
くー……
って竜司、もう帰って来たのかよ】
「うん……
あいつの骨を相当叩き折ってやったし。
これで一先ず様子を見ようと思って」
【何だつまらん。
それにしてもさっきのスゲェ一撃だったな。
雷が落ちたかと思ったぜ。
やるじゃねぇか竜司】
「そ……
そうかな……?
エヘヘ……」
思わずはにかんでしまう。
僕は今まで父さんや母さん、兄さんにお爺ちゃんと色々な人に褒められてきた。
でもやっぱり一番褒められて嬉しいのはガレアだ。
ガレアに認められるのが一番。
【何だ竜司。
すんげぇ気持ち悪りぃ顔になってんぞ】
「ええっ!?」
褒めたと思ったらすぐこれだ。
全くガレアは。
〖あらホンマや。
主はん、エラいキショイ顔してはるわコレ〗
とここで久久能智も加わりガレアに同意。
〖あら?
そうでありんすか……?
わっちははにかんどる楼主はんの顔は物凄ぉ愛らしゅう見えんすけんどなあ……
はふぅん……〗
かたや水虬は頬にスラリと長い指を当てウットリとした目で僕を見つめる。
〖それにしても主はん……
何やあれやこれや言うてた割に自分一人で片付けてしもとるがな。
うちらの出番なんてありゃしまへん〗
あ、そう言えば。
僕もまさかここまで神通三世が凄いスキルだとは思っていなかった。
まず10秒。
これが思ってた以上に短くない。
10秒。
聞くとかなり短く感じるが三手四手ぐらいは打てるのだ。
これは相手にも依るだろう。
今回、短い時間で何手も打てたのは中田も超高速で動くからだ。
超高速で攻撃して来る中田。
それを上回る超瞬速で作動する神通三世。
周りが途轍もないスピードで動く為、思考もつられて超速で巡ったから………………
かな?
僕にも良く解らないんだ。
あれ程に目まぐるしく光景が変わり、長く大きく拍子木の音が鳴り続けて頭が割れそうになり、鳴る度に体勢が独りでに変化した。
しかも、これらに僕の意思は一切関与していない。
全て神通三世と言うスキルの効果で起きた事。
普通なら事態の急変に戸惑いパニックになり、うまく動けないものだと思う。
でも僕は違った。
制限時間を刻一刻と刻む中、超速で思考を巡らせることが出来たんだ。
「そ……
そう言えば……
ご……
ゴメンね久久能智……」
〖まあ別によろしおすけどな。
めんどく無い訳どすし。
んで、あこのヤツはどないしますん?
主はんのえげつない一撃喰ろうてピクリとも動きゃしまへんえ〗
見ると中田は横たわったまま。
ピクリとも動かない。
何度か遭遇したシチュエーション。
普通ならもう決着と言っても良い。
その筈だ。
だが、こと相手が中田となると話は別だ。
疑死行動なども使って来る中田は物理的に拘束しないと決着とは言えない気がする。
いくら強烈で痛烈な一撃を喰らわせたとしても。
今の様にピクリとも動かなくなったとしても。
それは決着の証明にはならないんだ。
僕もこの時は中田は健在だと疑わなかった。
ただ…………
散らばった受憎腕の残骸はそのままだった。
さっきみたいに回収してなかったんだ。
これが健在だと疑わない僕の心に波紋を呼んでしまった。
もしかして…………
気絶したのかな…………?
口には出さない。
下手したら無意識下と言える程の心の奥底に起きた小さな波紋。
その波紋は少し大きくなり、僕の選択を誤らせる。
「…………ちょっと様子を見て来るよ」
僕は倒れて動かない中田に向かって歩み寄った。
これが悪手だったんだ。
近づくにしてもせめて黄道大天宮図を出して神通三世の準備をしておくべきだったんだ。
ジャリ……
ジャリ……
ゆっくりと近づいて行く。
その距離、約5メートル。
まだ動かない中田。
散らばった受憎腕の残骸もそのまま。
願わくばこのままで。
このまま決着して欲しい。
僕は気付いていなかった。
頭に浮かんでいたのは“願い”。
願いとは叶う可能性が低い物。
叶わない事が普通。
それは願っている本人も意識しているかしていないかは知らないがそれを解っているから願うのだ。
祈るのだ。
そして僕の場合は後者。
全く意識していなかった。
自然とこのまま終わって欲しいと願っていた。
距離、二メートルを切った。
願いとは叶わないから願うのだ。
叶わないと思っているから叶うと嬉しいのだ。
距離、約一メートルの至近距離に差し掛かった時…………
ゴッッッッッッッッッッッッッ!!!
突如。
突然。
唐突。
突発。
僕の視界が一瞬で真っ暗闇。
闇を感じる暇も無く、上半身全体を巨大な衝撃が襲う。
バキボキベキボキバキバキィィィッッッ!
上半身に存在するありとあらゆる骨がへし折れて行く音。
何だ!?
何だこれ!?
ギュンッッッッッッッッ!
僕の上半身の骨を大量に叩き折ったその衝撃は圧力に成り代わり、僕を真後ろに吹き飛ばす。
バシャッッ!
小川の水面を水すましの様に撥ね、更に跳ぶ僕の身体。
薄れゆく意識。
その中で思い出してたのはお爺ちゃん。
三則を使用したお爺ちゃんの途轍もなく重い一撃。
鋼拳って言ってたっけ。
だが今回の衝撃はそれ以上。
衝撃を感じた面積が途方もなく大きいのだ。
ベキィッ!
ボキィッ!
吹き飛ぶ僕の背中が力任せにどんどん木々をへし折って行く。
いつまで飛ぶのか。
ヤバい…………
意識が…………
ベキィィィィィィィッッッ!
林の中でも太い松の木に衝突し、ようやく止まる僕の身体。
ドシャァ…………
力無く倒れ込む。
身体が動かない。
繋ぎ止めようと必死になるが、プツプツと留める事が叶わず途切れて行くのが解る。
〖楼主はんっっっ!?
大丈夫でありんすかぁっ!?
しっかりっっ!
しっかりしておくんなんしぃっっ!〗
水虬の声が聞こえる…………
聞こえるけど……
声が出ない………………
駄目だ……
意識が…………
途切れ…………
る…………
バシャァッ!
僕の顔に何か液体がかけられた。
多分水虬だ。
またリポDかな?
飲もうとした瞬間…………
ツンッッッッッッッ!
鼻の奥。
鼻孔の奥の奥の粘膜をハンマーでぶっ叩かれた様な衝撃と刺激。
「ガハァッッ!」
僕は吐血しながら覚醒。
一気に目が覚めた。
!!!!!!!???
同時に襲って来る痛烈な痛み。
絶大な鈍痛。
それが上半身の至る所から発生し、僕の痛覚神経を震わせる。
あまりの痛みに声を上げる事も出来ない。
ここで思い出したのは横浜中区の数千人からなる集団私刑。
贖罪の始まり。
何故その事を思い出したのだろう?
僕は身体を駆け巡る猛烈な痛みの中、少しづつ考えてみる。
解った。
さっき鼻の奥で感じた衝撃。
あれには覚えがある。
踊七さんが気付け薬として用意したアンモニア水だ。
僕が気絶しかけていたから水虬が用意したんだ。
アンモニア水は液体であり、踊七さんも購入出来る事から日本国内で販売されている。
となるとリンクを張り、取り寄せるのも容易だろう。
今回のケースがあの集団私刑と酷似しているなら僕のやる事は決まっている。
体内の魔力を使って回復だ。
ズキンッッ!
呼吸をすると胸部に激痛。
折れた肋骨が肺に刺さっているんだ。
小さく。
小さく呼吸をして魔力を集中させるんだ。
少しづつ。
確実に傷を修復して行こう。
〖楼主はん……
大丈夫でありんしょうか……?〗
〖さっき血ィ吐いとったから気はついとるやろ。
今、一所懸命身体を修復しとるんとちゃうか?〗
心配そうな水虬と対称的に冷静な久久能智。
うん、久久能智が正解。
治癒は進み、もう大分痛みは引いて来た。
後は背骨を修復したら起き上がる事ぐらいは出来る。
もう少し……
もう少しだ……
よし。
むくり
僕はゆっくり体を起こす。
〖ろっ……
楼主はんっっ!?
もう起きて宜しいんでありんすかぁっ!?〗
「うん……
もう大丈夫だよ水虬……」
〖主はん……
アンタ油断しとりましたやろ?
いや……
油断や無いな……
何か別の事考えてましたやろ?〗
見抜かれている。
僕がこのまま戦闘が終わってくれたらと願っていた事を。
その願いは見事に打ち砕かれた訳だけど。
言わばその願いは邪念。
今、中田と対峙している段階では要らない考え。
「う……
うん……
ごめん……」
〖うちに謝ってもしょうがあらへんどすえ。
相手は主さんの起こした事故のせいでごっつい逆恨みをしとんのやろ?
気、抜いとったらシャレならん事になりますえ……?〗
「う…………
うん……」
自分の出した精霊から諭す様に叱られる僕。
少しションボリしてしまう。
〖…………まあ、気ィ抜いとったんはうちも変わらんねんけどな〗
これはもしかしてフォローをしてくれてるんだろうか?
「……ありがとう……
久久能智」
〖なっ……
別にお礼言われる様な事言うとりまへんでっしゃろ……?
それよりもこれからどうするんどす?〗
そう言う久久能智の頬は若干赤い…………?
いや、顔から何から全身真緑だから赤い訳が無いんだけど。
何だろう。
照れ臭そうにそっぽ向いたりしている態度がそう錯覚させるのかな?
まあいいか。
久久能智の言う通り話を進めよう。
まずは敵の状態からだ。
未だ全方位は維持されている。
確認すると僕らは最初に中田と対峙した松林の右側に居た。
さっき中田とやりあった地点からおよそ100メートル飛ばされていた。
ブルッ
改めて物凄い威力に身震いする。
これ程の一撃を喰らったのはいつぶりだろう。
呼炎灼以来じゃ無いかな?
カタカタカタカタ
両膝がガクガク震え出した。
あ、マズい。
恐怖心が膨らみ始めている。
僕は怒りの感情が欠損したせいで恐怖心が膨らみ易い人間になってしまってたんだ。
まだ膨らみ始めてない段階なら強引に沈めたり、別の気持ち。
例えば使命感とかで相殺する事も出来る。
だが、両膝が震えると駄目だ。
この増大を防ぐには暮葉に優しく抱きしめて貰うかガレアから魔力補給して強引に沈めないと治まらない。
ガレア……?
あれ?
ガレアが居ない。
この事が恐怖心に不安感と言う色を混ぜ込む。
カタカタカタカタカタカタカタカタカタ
両膝の震えが大きくなる。
ヤバい。
暮葉もいない。
ガレアもいないとなると僕の身体を縛る恐怖心と不安感は払拭されない。
…………とか思っていたら……
スポ
「うわっぷっ!」
突然、僕の口に細い何かが差し込まれた。
〖はい……
楼主はん……
わっちの指を吸うておくんなんし…………
ほら……
ちゅー……
ちゅー……
ウフフ〗
言われるままに水虬の指を吸う僕。
膨大に溢れて来る液体。
ゴクンゴクン
あ、このオレンジ風味。
覚えている。
これはチルアウトだ。
あの物凄く落ち着く飲み物。
多分僕の様子を見かねて用意してくれたんだ。
ゴクンゴクンゴクン
そうと解ればどんどん飲んで身体に取り込んで行く。
チュウチュウ
ゴクンゴクンゴクン
〖あぁんっ……!
ろっ……
楼主はんっ…………!
そんっ……
なにっ……!
激しく吸われたらぁんっ……
わっち……
感じんすぅ……
わっちは逃げへんからぁっ……
もっとぉっ……
ゆっくり吸うておくんなんし……〗
「はっ……!?
ほへんははい……
チュウ……
チュウ……」
僕は吸うペースを落とす。
やはり水虬の出すチルアウトの効果は凄まじい。
気が付いたら両膝の震えは止んでいた。
「ふう……」
〖おや……?
もう宜しいのでありんすか……?〗
「うん……
すっかり落ち着いたよ……
ありがとう水虬」
〖ウフフ……
どういたしまして……
楼主はんのお役に立てて光栄でありんすえ……〗
【あ、いたいた】
上空で聞き慣れた声がする。
ドスッ
見上げると同時に着地。
ガレアだ。
もう今までどこ行ってたんだよ。
【竜司、お前どこまで飛ばされてんだよ】
ガレアも同じ様な事言ってる。
とにかくこれで全員揃った。
ここからさっきの中田の攻撃が何だったのかを考えよう。
いつもの分析パート………………
と思われたが違った。
中田の攻撃方法。
それは全方位内。
中田の光点で一目瞭然だったんだ。
その光点はいつも見ている人型の光では無い。
中田の光点は蜘蛛の様に無数の受憎腕を生やしているのは一緒なのだが…………
一本。
一本が恐ろしい程デカい。
大型のドラム缶ぐらいの大きさ。
そんな大きな掌が中田から伸びていた。
これで殴ったのか。
ゾワッ
上半身の骨がバキバキにへし折られた大衝撃と確認した攻撃方法に身の毛がよだつ。
「ガレア……
僕がどんな感じで吹っ飛ばされたか見た……?」
僕は中田が巨大な拳を生成する所は目撃していない。
突然目の前が真っ暗になり同時に物凄い衝撃、圧力が身体の骨を多数へし折り、吹き飛ばしたんだ。
あまりにも情報が少ない。
第三者視点の情報が欲しかった。
【おお、見たぞ見たぞ。
何かいっぱい腕、生やして寝っ転がってる奴から急にでっけえ手が生えてよ。
お前を思い切り殴ったんだよ】
まあ全方位内の光点を見れば明らかだけど。
ただ、これだけでも解る情報はある。
中田はこのサイズの受憎腕を生成するのにも時間を要さない。
一瞬で生成出来るんだ。
ただ絶望しか産まない情報だが。
ゴクリ
生唾を呑み込む。
僕の予想を大幅に上回る身体能力。
おそらくあのスピードで生成出来ると言う事は同時に攻撃も同じスピードで繰り出せると言う事。
大型のドラム缶を超速で振り回すと考えて貰えればどれだけ驚異的な身体能力か解ると思う。
その身体能力を実現させているのが体内で溢れている膨大な恨気。
僕とガレアに対して溢れる程に生まれ、膨らんでいる怨みの気。
それが化物じみた身体能力を作っている。
恐ろしい。
ただ恐ろしい。
しかし救いは僕と対峙してから一般人に犠牲が出ていない所だ。
本当に良かった。
こんな化物が市街地に出たらと考えたら身の毛がよだつ。
僕がこの場で何とかしないと。
この時、僕は恐怖心が湧かなかった。
心の中は何とかしないとと言う使命感でいっぱいだった。
これは多分チルアウトの効果。
大量に飲んだチルアウトで心、精神が静かに落ち着いていたんだ。
怖い。
確かに中田は怖い。
だけど行かないと。
僕が行かないと。
すっくと立ちあがる僕。
正直、決定的な打開策は思いつかない。
対抗手段として切れるカードは神通三世ぐらい。
三則を使用した魔力注入でも中田の攻撃を見切れるかどうか。
「ガレア……」
僕はスッとガレアの鱗に手を添える。
魔力補給。
ドッッックゥゥゥゥンッッッ!
大型魔力を補給。
〖主はん……
そう心配そうな顔しなさんな……
こう見えてもうちはキレとるんどす……
次はこうは行かしまへんので安心しい……〗
あ、そうか。
僕には神道巫術で呼び出した久久能智が居たんだ。
ドッッックゥゥゥゥンッッッ!
もう一度大型魔力を補給。
久久能智の糧用だ。
〖……久久能智は落ち着いとるかも知りんせんけどなあ…………
わっちはもう怒っとるでありんす……
可愛い楼主はんをあんな目に合わせるなんて……
あん野暮(中田の事)は許せんでありんすなぁ……
ウフフ〗
そして水虬も居る。
ドッッックゥゥゥゥンッッッ!
三度大型魔力を補給。
これは水虬用。
取り込んだ魔力を右から保持をかける。
「ふう…………
ありがとう二人共。
さあ、糧を用意したから要るんなら持ってってよ」
〖ウフフ……
相変わらず主はんは気が利きまんなあ…………
ほなよばれまひょか〗
〖はふぅんっ!
何も言わず付き従うモンの要るモンをスッと用意する楼主はん…………
ほんに間夫でありんすなぁ……〗
ウットリと僕を見つめる水虬。
僕の身体に途轍もなく大きな喪失感が生まれる。
身体から急激に何かが無くなって行く。
そんな感じ。
やがて喪失感は消えて行く。
心は平時の水面に戻った。
〖主はん、ごちそうさん〗
〖楼主はん、ありがとうございんす〗
「二人共、準備は良い?
くれぐれも言っておくけど中田は殺しちゃ駄目だよ。
僕は中田を捕らえに来たんだ。
殺す為じゃない」
〖そないな事言うてもアイツ、主はんの思い通りになるとはとても思えんどすえ……?〗
「う……
うん……
僕らを物凄く怨んでいるからそうかも知れない……
でもやっぱり殺しちゃ駄目だ……
殺したら僕も中田と同じになる……」
〖フウ……
強情なお人やで……
まあ主はんがそない仰るんやったらしゃあないけど……
うちらも存在が懸かっとるからホンマにヤバい思たら殺るで?〗
〖わっちもでありんすよ楼主はん……
ほんに命の危険を感じんしたら、あん野暮は殺るでありんすえ…………
わっちは存在が消える事はどうでもいんす……
ただ……
楼主はんに死んでほしく無いんでありんす……〗
「う……
うん……
わかった」
パンッッ!
僕は精霊二人の決意を聞きながら胸元で勢いよく両手を合わせる。
「黄道大天宮図」
合わせた両掌を空に向けて観音開き。
掌上に現れる蒼く光り輝く大星団図。
神通三世の準備だ。
その全経30センチの星図を左手に保持。
よし準備OK。
ガレアはどうしよう?
でも神通三世の動きを見ていると巻き込みそうで怖いなあ。
ガレアは大事な補給源。
巻き込まれたりやられたりすると困る。
やはり今回も手を出さないでもらおう。
ん?
全方位内で動きがある。
中田が立ち上がった。
特に新しく受憎腕を生やしているとかは見受けられない。
やはりその様子は二足歩行している蜘蛛。
その足の内の一本が馬鹿デカい二足歩行する蜘蛛だ。
立ち上がったと言う事はさっき僕がへし折った骨を治癒したと言う事だろうか。
確か泥も感染和法で身体を修復してたっけ。
中田が覚醒したとなるとうかうかしていられない。
急がないと。
「ガレア……
今回も僕の戦いを見ていてね。
手は出さないで」
【何だ今回もかよ。
つまんねぇなあ】
「そう言わないでよ。
僕の戦いってガレアがやられたら全てが終わるんだから……
中田の能力も把握した訳じゃないし」
【しょうがねぇなあ。
わかったよ】
どうにか納得してくれた様だ。
「うん……
ゴメンね……
起動」
ドルンッ!
ドルルンッ!
ドルルルンッ!
体内で響くエンジン音。
「さあ行くよっっ!」
ダンッッッッ!
強く地を蹴り、僕は飛び出した。
向かう先は中田の元。
一陣の風と化した僕の身体はぐんぐん中田に向かう。
さっきも言ったけど、この時は正直打開策なんて無かったんだ。
決定打に欠ける状態。
辛うじて対抗出来るのは神通三世の絶対防御ぐらい。
魔力注入を発動させて動き出した直後、僕は妙な感覚を覚えた。
既視感。
確かにさっきも魔力注入を発動させて公園を駆けていたから抱いて当然なんだけど、その既視感は少し違っていたんだ。
中に違和感も混じっている。
何だろう?
この感覚。
僕は何処にさっきとのズレを感じているんだろう?
向かいながら考えた。
この既視感と違和感。
その出所をハッキリさせないと。
僕の生死に関わる気がする。
中田の元に辿り着くまで目算であと10秒とかからないだろう。
早く。
早く探さないと。
得体の知れない焦燥感。
さっきと何処が違うんだ!?
何処だ!
僕は何処に違和感を感じている!?
短い時間の中、超速で思考を巡らせようやく辿り着いた。
違和感の正体。
それは思った以上に単純だった。
それは……
中田が覚醒している事。
さっきはクロロホルムやタブンに侵され、倒れていたんだ。
これが僕の感じていた違和感。
そして…………
その事実が更に僕を焦らせる。
何故か?
迎撃。
そう、迎撃だ。
中田は今覚醒している。
となると僕が近づいて来る事に気付けば迎撃して来る。
これは地味にマズいのではないか?
迎撃の可能性が疑われると一体いつ攻撃して来るのかと言う話だ。
神通三世。
これは制限時間の短さ故に攻撃の意思が解らないと効果が最大限発揮できない。
だからこそ、さっきは中田を挑発し攻撃を誘っていた。
だが今回は違う。
まだ姿も見えないからいつ攻撃して来るかも解らない。
しょうがない。
見切り発車で発動させるしかない。
そうこう考えている内にぐんぐん中田に近づく。
僕が吹き飛んだ動線を辿っているから比較的道は開けている。
見えた!
中田の姿!
遠目に見える夥しい数の受憎腕を生やし、立ち尽くしている中田。
ここだ!
攻撃して来る確証は無いがここで神通三世を発動するしかない。
おそらく僕と中田との距離は時間にして2秒の距離。
仮に迎撃が無かったとしても2秒のロスで済む。
「神通三世ッッッ!」
ゴォォォォォォッッ!
体内で響く激しい風が突き抜ける音。
スキル発動。
ここから…………
おそらく……
拍子木が鳴る筈。
カンッッッッ!
案の定。
勢い良く一度。
ただ一度だけ拍子木が鳴る。
僕の視界が変わった。
宙を跳んでいた僕の身体は逆さまに近い角度で反転。
ドス黒い紫色の床?
板に手を付いていた。
いや……
これは床や板じゃない。
これは…………
腕だ。
馬鹿デカい腕。
巨大な拳の一撃を躱したんだ。
断っておこう。
まだ中田本体まで辿り着いていない。
離れているんだ。
それなのにこの大型ドラム缶の様な拳を繰り出して来た。
これが意味する事は何か?
それは僕の位置に気付いていると言う事。
怖い。
正直怖い。
でもやらないと。
僕がやらないと。
この化物を産んだのは僕だから。
これもさっき飲んだチルアウトの効果。
体内で膨らみそうな恐怖心を使命感で相殺する事が出来た。
クルッ
巨大受憎腕に手を付けたまま、僕は更に反転。
ダァァンッ!
強く腕の腹を蹴った。
更に跳ぶ。
もう少し。
もう少しで中田の元へ辿り着く。
どんどん大きくなる蜘蛛の様な中田の身体。
脇でドス黒い紫の受憎腕が続いているのが解る。
そのまま中田本体へと続いていた。
ここまで伸びるのか。
中田の受憎腕は。
着いた!
ザシャァァァァァッッ!
着地。
急ブレーキをかける。
勢いがあり多少地滑り。
両膝を曲げ、勢いを殺す。
経過時間:3.8秒。
カカカカカカカッカカカカカカンッッッッ!
けたたましく体内で鳴る拍子木の音。
体勢を立て直す暇も無い。
同時に僕の視界も変わる。
気が付いたら僕は宙に浮いていた。
眼下には中田の顔。
紅い両眼が見つめる先は僕の着地点。
背中に生やした夥しい数の受憎腕を繰り出していた。
経過時間:4秒。
中田はまだ僕の位置には気付いていない様子。
蹴りが届く位置に居る。
集中ッッ!
僕は大魔力を右足に集めた。
このチャンスをフイにする程、寝惚けてはいないつもりだ。
起動ォォッッ!!
心で強く念じる。
ドルンッ!
ドルルルンッ!
ドルルルルンッ!
僕の意思に呼応するかの様に体内で強く激しく唸るエンジン。
ベキィィィィィィィィィィィィッッッ!!
僕の苛烈なローキックが中田の左頬に炸裂。
超速でブレる中田の顔。
と、思ったら消えた。
ギュンッッ!
ベキベキベキベキィィィッ!!
中田が真横に吹き飛んだんだ。
視界の外で木々がへし折れる音が聞こえる。
スタッ
僕は着地した。
経過時間:7秒。
「ふう……」
中田は少し遠いが見える位置に倒れている。
浅かったか?
〖主はん、これまた大層な一撃どすなあ〗
久久能智が声をかけて来た。
「久久能智」
〖これでしまいどすか?〗
経過時間:10秒。
「わからない……
けどあまり吹き飛んでいないし……
入りも浅かったから多分まだ……………………!!!?」
ビュンッッ!
僕と久久能智の会話を破る様にドス黒い紫色が超速で左から右へ横切る。
鼻先数センチの位置。
もう少し顔が前にズレていれば当たっていた。
「うわぁぁっっっ!!?」
唐突な事に驚き、声を上げながら仰け反る。
バッッ!
すぐさま僕はドス黒い紫色が伸びて来た先を見た。
その紫色の肉が続いてる先には倒れている中田本体。
倒れている。
倒れている筈なのに。
数本の受憎腕はもう持ち上がり活動を再開している。
フイフイと紫色の掌を動かす。
僕を探している様だ。
背筋が凍る中、脳裏に過る大きな疑問。
何故拍子木が鳴らなかったのか?
言い換えれば何故神通三世が発動しなかったのか?
答えはすぐに解った。
制限時間。
10秒経ったんだ。
見ると左手に保持していた黄道大天宮図も消失している。
カラ……
僕が状況を確認している間に中田が起き上がった。
くそ!
やはり浅かったか。
ジャリ……
ジャリ……
ゆっくり。
ゆっくりとこちらに歩み寄って来る。
これは……
マズいのではないか?
今、僕は神通三世が発動してない。
再び発動させるには手間がいる。
ビュビュビュンッッッ!
考える間もなく受憎腕がこちらに向かって来た。
物凄い速さ。
向かって来た事は解るが動きまで視認出来ない。
どう言う!?
どう言う軌跡で攻撃して来る!?
右上!?
右下!?
左!?
左上!?
迷う。
動きが見えないだけに何処に逃げて良いか解らない。
ヤバい!
やられる!
そう思った瞬間……
〖そうは行きまへん〗
ギュルルルルルッッ!
受憎腕を更に上回るスピードで地から大量に太い蔓が伸びたんだ。
その蔓はまるで意思を持っているかの様に向かって来る受憎腕に絡みついた。
ビシィィィッッ!
受憎腕の動きが止まった。
僕との距離20センチ弱の位置で。
木の蔓が受憎腕を拘束したんだ。
ググッッ!
ググググゥゥッッ!
振り解こうと藻掻くが固く絡みついた蔓は受憎腕の拘束を解かない。
これは久久能智がやったんだ。
あのスピードを捉える事が出来たのか?
〖ん?
やっぱり力強いなあ〗
ドスッ!
ドスドスドスドスッッ!
更に久久能智が動く。
地中より現れたのは…………
木の棘。
それも無数の太い木の棘だ。
振り解けかかった受憎腕をいとも容易く刺し貫く。
再び拘束。
久久能智を初めて出した頃を思い出す。
確か踊七さんにもこの棘を向けてたっけ。
その時は…………
〖アホか主はん。
ホンマに刺す訳無いやろ?
刺す気やったら、根で動き止めてからゆっくりやるわ〗
そう言っていた。
これを久久能智は実践したんだ。
ゆっくりって所は大いに引っかかるが。
だが凄い。
久久能智の樹類を生成するスピードも中田の受憎腕と比べて遜色無い。
中田は完全に動きを封じられた………………
かに見えた。
ブチィ……
ブチブチブチィィィッッッ!
何と受憎腕に力を込め拘束を解こうをし始めた。
棘が貫いて拘束しているにも関わらず。
強烈な力で受憎腕が引き千切られて行く音が響く。
ザッ!
ザッッ!
拘束しているのは受憎腕のみなので、歩みを止めない中田。
どんどん縮まる距離。
あれだけ太い木の棘で大量に貫かれているのに痛くは無いのか?
「貴様ァァァァァァァァッッ!!
憎いぞォォォォォォッッ!
殺すゥッ!
殺してやるゥゥゥゥゥッッ!
恵美ィィィィィッッ!
萌ェェェッッ!
憎いィィィッッ!
憎い憎い憎い憎い憎いニクイィィィィィィッッ!」
怨みの絶叫が辺りに響き渡る。
ここでようやく気付く。
始まってからしきりに言っていた。
恵美と萌と言うのは亡くなった奥さんと子供の名前か。
ズキンッ!
いや…………
僕が殺した…………
か……
強引に拘束を解こうとするが受憎腕はかなりの伸縮性があるらしくなかなか拘束が解けない。
ブチブチブチブチィ……
だが時間の問題だ。
身体に溢れる恨気は中田に凶悪な力を与え、受憎腕の伸縮限界を超えようとしていた。
ザッ!
ザッ!
「ウグゥゥゥゥゥッッッ!」
ブチブチブチィッ!
「憎い憎い憎いィィィッッ!」
ブチブチブチブチィィッ!
「恵美ィィィィッッ!
萌ェェェェェッッ!」
ブチブチブチィィィッッ!
再び奥さんと子供名を叫び、力を込める中田。
受憎腕の皮が伸び切って千切れて行く中、歩みを止めない。
どんどん近づく僕との距離。
間合い2メートルを切った。
僕は動く事も出来ず呆気に取られてその様子を見つめ、立ち竦む事しか出来なかった。
ブチンッッ!
あっ!?
ブチンッ!
バツンッ!
ブチンッ!
ヤバい!
受憎腕と久久能智の蔓が完全に千切れた!
この時、中田の動きが酷くゆっくり見えたんだ。
多分、素で起きたタキサイキア現象。
命の危険を察知した時に起きる現象。
そのゆっくり見える景色には絶望と悲観しか無かった。
千切れた受憎腕の傷口から新しい受憎腕が生え、全て元通りに。
それに加え攻撃して来なかった他の受憎腕。
僕の骨を砕いた巨大な受憎腕も含めて全てを僕に差し向けて来た。
僕の両眼に映る光景はほとんどドス黒い紫色で埋め尽くされる。
あ、これは駄目だ。
僕、死んだ。
刹那に浮かんだ死の覚悟。
絶命する事を想起させるには充分の光景だったんだ。
〖主はん、そないな事さしゃしまへんえ〗
死の覚悟が過った瞬間。
僕は忘れていた。
僕には……………………
頼りになる二人の精霊が付き従っている事を。
ボコォォォォォォッッ!
ギュルルルルルルルウゥゥッッ!
地が瞬時に割れ、中から夥しい数の蔓が生える。
その数はさっき生成した本数よりも遥かに多い。
中田の受憎腕以上。
ビシィィィィィッッ!!
途轍も無い量の蔓は瞬く間に向かって来た受憎腕に絡みつき、拘束。
全て。
もちろん巨大な受憎腕も含めてだ。
〖アホか。
うちが主はんに敵意向けるモンを指、咥えて見とる訳ないやろ〗
「ク……
久久能智……」
ようやく頭がまた動き出した。
だが目の前に広がる光景が余りに凄すぎて言葉が続かなかった。
ググッ…………
ブチンッ……
ギリギリギリギリギリギリィィィッッ!
頭上で聞こえた千切れる音と強く擦り合わせる様な音。
完全拘束された中田だったが、やはり恨気によって産まれた力は膨大。
膨大で凶悪。
これだけ大量の蔓に巻き付かれているにも関わらず、再び拘束を解こうと動き出したんだ。
まず千切れたのは巨大受憎腕を拘束している蔓だ。
そして強く擦り合わせる音は…………
真っ赤な眼に膨大な怨みを載せて紅く滾る視線を送ってきている中田。
その歯軋りだ。
折らんばかりに力いっぱいギリギリと。
〖ん?
やっぱコイツ、力強いなあ……
ならこうしまひょか……〗
グイィィィィッッ!
久久能智が蔓を操作。
僕に向けられていた受憎腕は全て強引に背面へ捻り回された。
巨大な受憎腕も一緒にだ。
何て力。
〖ホレ……
これで上手く力入れれまへんやろ……〗
ギリギリギリギリギリギリギリィィィッッ!
「この異様な木の蔓も貴様かぁぁぁぁぁっっ!!
クソォォォォォッッ!
解けっ!!
解けェェェェェェェェェッッッ!!」
更に強く力を込め歯軋りをする中田。
その音から怨みの大きさが見える。
大きく見開いた眼は紅く、結膜部分はこれだけ離れていても解るぐらい太い眼動脈が奔っている。
グイィィッ!
グイィィィィィッッ!
怨みのままに身体を捩る中田。
だが硬く拘束されているその蔓はちっとやそっとでは千切れない。
ここで僕が冷静ならば。
拘束したとして響さんに確保した事を連絡。
万々歳となったかも知れない。
ここで僕の性格が違っていたなら。
過去の出来事なんか知った事か。
罪なんて糞くらえ。
何も出来ないお前がマヌケなんだよと拘束されたのを良い事に致死量を超えた毒薬を水虬に都合をつけてもらって殺していたかも知れない。
あるいは先手を打っていたなら。
ここから三則を使用した苛烈な一撃を中田にお見舞いし、大打撃を与えれたかも知れない。
だが全て違う。
僕は冷静では無く、自分の罪に真正面から立ち向かう性格で呆然となり、次の行動へ移る事をしなかったんだ。
これが中田に先手を与えてしまう事になるなんて思いも寄らなかったんだ。
グサァッッ!
「へ……………………?」
足元から妙な音。
俯く僕。
が、俯くよりも速く。
超速で僕の身体を駆け巡る猛烈な痛み。
「イギャァァァァッァァァァッァァァァァッァァァッッ!!!」
僕の悲鳴が響き渡る。
何だ!?
何が起きた!?
あまりに急激増大した痛みに身体が仰け反る。
動きがおかしい。
脚が地に縫い付けられている様だ。
それは正解。
僕の脚は地に縫い付けられていたんだ。
地中から突き出した受憎刃によって。
その刃が刺さっている箇所はつま先。
両脚の甲から僕の血で濡れた紫色の刃が伸びている。
状況を認識すると更に体内の痛みが増す。
つま先から発生した痛みの大炎は見る見るうちに延焼。
身体全体に巡り、焦がし始める。
「グァァァァァッァァァァァァァァァッァァァァッッ!!」
少しでも身体を動かすと痛みの炎が揺らめき、身体を焼く。
人目も憚らず悲鳴を上げてしまう。
フラ……
バランスを崩した。
痛みのせいで力が入らない。
ブチィッ!
つま先から更に痛みの炎が増大噴射。
「あああああああああああああぁぁぁっぁぁっっっっ!!!」
ドシャァァッ……
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロォォォ!
倒れた事により受憎刃がつま先から外れたんだ。
僕の脚を斬り裂いて。
のたうち回る僕。
転げ回っても消える事の無い痛み。
〖あほんだらぁっ!
悪足掻きしくさりよってェッ!〗
ドスッ!
ドスドスドスドスッッ!
久久能智の声と無数の刺突音が耳に入る。
だが、僕は身を焦がす痛みの対処に追われ、それ所では無い。
ゴロゴロゴロォォッ!
痛い。
痛い痛い痛い痛い。
もう嫌だ。
刃物で刺されるのは嫌だ。
僕は魔力注入で回復する事も忘れ、のたうち回るのみ。
それ程の痛み。
〖こん野暮がぁっ!
命が要りんせん様でありんすねぇっ!
覚悟しておくんなんしっっ!〗
プスプスプス
続いて水虬の声と妙な音も聞こえた気がした。
が、気にしている余裕は無い。
ゴロゴロゴロォッ!
依然として燃え盛る痛みの炎は鎮火しない。
ここで僕の心境に変化がある。
今まで味わった痛みの中で一番痛い。
今回のつま先の刺突が一番痛い。
その未曽有の痛みが起こした心境の変化。
「ウワァァァッァァァァッァァァァァァァァァァッッッッッ!!!」
ガバッッ!
僕が絶叫を上げながら立ち上がった。
依然として足先からの猛烈な痛みは身体全体に伝わっているのにも関わらず。
痛い。
正直痛い。
でも気にしている場合では無い。
気にしていたら殺される。
殺される前にやらないと。
これが僕の心境の変化。
「起動ォォォォォォォォォッッッッ!!」
僕は大声を上げて魔力注入発動。
魔力の集中先は両拳。
そう、両拳だったんだ。
両脚じゃない。
僕の心境変化。
これは心理学的に言う所の脱抑制。
あまりの激痛により命の危険を感じた為に起きた。
この頃の僕は脱抑制なんて言葉知らなかったけどね。
今考えるとそうなんじゃないかなって思うんだ。
■脱抑制
状況に対する反応としての衝動や感情を抑える事が不可能になった状態を指す。
通常は脳の外傷やアルコール・薬物の影響などで見られる症状。
脱抑制状態にある人間は感情のままに行動したり、その瞬間の反応で行動する為、一般健常者の様に人前で礼節を保ったり社会的に逸脱しない様にすると言った正常なコントロールが失った状態になる。
要するに僕は理性のタガが外れてしまったんだ。
本当にこの時はもの凄く痛かったからね。
脱抑制に加えて自分の命を守る為の防衛本能的な心理も加わっていたんだろうと思う。
目の前には全ての受憎腕を背面に回され、上半身を剥き出しに晒して拘束されている中田。
僕の両拳は大量の魔力が集中されている。
そして、この時の僕は自分の命を護る為の脱抑制状態。
いわゆる理性のタガが外れた状態。
すると、どうする?
「ウワァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッ!!!
起動ォォォォォォォォォォォォッッッ!!」
ドコォォォォォォォンッ!!
バキベキボキィッ!
そう、攻撃だ。
三則を使用した僕の巨矢の様な右ストレートが中田の身体に突き刺さる。
響く骨折音。
拘束されて身動きが取れない中田を一方的に殴る。
見た目は完全に強者が弱者をいたぶる様な構図。
卑怯、卑劣の何物でも無い。
普段の僕ならとても出来ない行為。
だが、僕は動けない中田を殴る事に一切の躊躇が無かった。
理性のタガが外れているからだ。
命を脅かす障害を排除する事しか頭に無かったんだ。
この時、僕の中に湧いていた気持ちは殺意だったと。
今、考えたらそう思うよ。
ここで忘れてはいけない。
僕は両手に魔力を込めていたんだ。
となると、やる事はそう…………
ドコォォォォォォォンッッ!
ベキバキボキィッ!
続いて左ストレートも中田の腹に突き刺さる。
巨矢の第2射。
ブフォォッッ!
ピッ……
ピピッ……
僕の腕に赤い斑点。
何かが落ちて来た。
中田だ。
中田が血を吐いたのだ。
だがそんな事は関係無い。
こいつは殺す。
僕を殺す。
殺される前に殺ってやる。
まだまだ僕の攻撃は止まらない。
「ウワァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッ!!」
ドドドドドドドドドドドドドドッッッッッ!!
気が違った様な叫び声をあげ、超速で繰り出される僕の乱打。
全て中田の腹に炸裂。
響く音は重機関銃の連射の如く。
僕は殴った。
ただ殴った。
命を脅かす障害を排除する為に。
今まで戦って来た経験も忘れて。
そう、忘れていたんだ。
兄さんとの手合わせ。
ヒビキとの闘い。
お爺ちゃんとの決戦。
僕が乱打を仕掛けて上手く行った試しが無いんだ。
そんな事も忘れていた。
冷静なら乱打を仕掛ける事は無かったかも知れない。
今回もまた…………
例に漏れず……
上手く行かなかったんだ。
ドドドドドドドドドドドドドドッッッッッ!
僕は依然として両拳の乱打を続けていた。
まさに無限弾丸を装填した重機関銃。
消えろ!
消えろ!
消えろぉぉぉぉぉぉっっ!
ゴッッッッッッッッッッッッッッ!!
バキバキバキバキバキバキボキボキィィィィッッ!
再び僕の視界は闇。
同時に上半身に伝わる猛烈な激痛、鈍痛。
治癒したばかりの骨が再び折れる。
ギュンッッ!
僕の身体は真後ろに弾け飛んだ。
ベキィッ!
ボキィッ!
力任せに木々を薙ぎ倒し、吹き飛ぶ僕の身体。
この痛みには覚えがある。
さっきの巨大受憎腕に殴られた時と酷似。
吹き飛ばされる中、僕の頭に過った言葉は…………
この化物が。
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「はい、今日はここまで」
「パパ………………
つま先を刺されるってどんな感じ……?」
流石に今日の話はテンションが低い龍。
無理も無い。
無理も無いかも知れないが……
何でそんな事を聞きたいんだろう?
「うん……
本当に……
シャレにならないぐらい痛いよ……
ほら、タンスとかに小指をぶつけると物凄く痛いじゃない?
それを何百倍にもした感じかな?」
「ヒェッ………………
でっ……
でもどこから中田は受憎刃を出したのっっ?」
「それは足の裏だよ。
足の裏から地中を掘り進んで僕のつま先を刺したんだ………………
うわ、自分で言ってて怖くなって来たよ……」
「…………本当に人間なの……?
中田って……」
「うん、疑いたくなるよね。
その気持ちはとても良く解る。
それでも全方位の反応は蒼い光点だったんだよねえ」
「確か蒼だと一般人。
白だと竜河岸だったっけ?
それと最後、パパは何で吹っ飛ばされたの?」
「今日、中盤で話したのと同じだよ。
中田が生成した大きな拳で殴られたんだ」
「えぇっ!?
久久能智と水虬は何をやってたのっっ!?」
「これは僕と中田の距離が肝心になる話なんだ。
これじゃあいくら有能なサポートがついていても無理だね。
さぁ、詳しい話は明日話すよ。
じゃあ……
今日はもう遅いから……
おやすみなさい」