表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドラゴンフライ  作者: マサラ
最終章 第二幕 東京 暮葉ドームライブ編
178/284

第百七十七話 捲土重来(中田戦③)

 2045年2月 某邸宅寝室にて。


 ガチャ


「やあ、こんば……

 (たつ)

 どうしたの?」


 入るなり目についたのは僕に背を向けている息子の姿。

 何やらモゾモゾしている。

 ヘンだなと思っていた矢先…………


 バッ


 勢い良く振り向いた。

 胸が異様に大きく膨らんでいる。

 これはボールを二つ胸に入れているのだろう。


「ほぉ~らっ!

 パパの大好きなおっぱいですよぉ~っ!

 プルンプルンだよぉ~~っ!

 キシシ」


「さあ、今日から本格的な中田との戦いが始まるよ」


 完全無視。


 おそらく昨日の話を引きずってるんだろうけど僕の頭の中は今日から話す内容をどう伝えようか。

 そこの事でいっぱいだった。


 息子のくだらない(はや)し立てにいちいち係わってる余裕は無いのだ。


「えっ!?

 えっ!?

 ほらほらっっ!?

 ボインですよォ~っ!

 パフパフしてあげてもいいんですよォ~っっ!?」


 あまりに無反応だった為、戸惑っている(たつ)

 一体パフパフなんて言葉、何処で覚えて来たんだろう。


「それは良いから。

 (たつ)、よく聞いて。

 今日からかなり辛い内容になる……

 昨日までは楽しい部分もあったかも知れないけど……

 そう言うのは当分少なくなる……

 と思う……

 だからそれなりの心構えをして欲しい……」


 僕が昨日、水虬(ミヅチ)とのやり取りをつまびらかにカッコ悪く話したのは戦いの内容を聞いてもらう為の労り。

 感謝の気持ちから話したんだ。


「えっ!?

 えっ!?

 あっ……

 はっ……

 はいっ!

 ……もうっコレ邪魔だなっっ!」


 いつになく真剣な声に姿勢を正す(たつ)

 自分でボケたにも関わらず、胸元に入れた大きなボールが邪魔らしい。


 僕は知っている。

 こう言うイラッと来る冷やかし、(はや)し立てに関しては完全に無視するのが良い。


 どうだ(たつ)

 お前の拙いボケなんて完全スルーだ。

 これが経験だ。


「…………じゃあ話して行くよ……

 準備は良い?」


「う……

 うん……

 ドキドキ……」



 ###

 ###



 起動(アクティベート)ォォッッ!


 ドルンッ!

 ドルルンッ!

 ドルルルンッッ!


 僕は魔力注入(インジェクト)を発動させた。


 ガァァァァッァァァッァンッッッ!!


 激しい衝撃音。

 僕が地を蹴ったからだ。


 身体が瞬時に疾風と化す。

 その旋風(つむじかぜ)が向かう先は中田。


 中田の身体へ真っすぐ向かう。

 周りの景色がぼやけ、一つに混ざり混彩色となって後ろに流れて行く。


 僕は右拳を硬く握った。


 まだだ。

 まだ起動(アクティベート)は使わない。


 使うタイミングは………………



 経過時間:0.9秒。



 超速で迫る中田の身体。

 まだ俯いたまま動かない。


 狙いは左脇腹。

 間合いに入った。

 僕は力を込めて右拳を引く。


 ここ。

 使うタイミングはインパクトの瞬間。


 ビュンッッッッッ!


 僕は引き絞った矢の様に真っ直ぐ右ストレートを放つ。



 経過時間:1.2秒。



起動(アクティベート)ォォォッッ!」


 バンッッッ!


 ビチャッ!

 ビチャッ!


 勢い良く弾けた音。

 何かが飛び散った。

 何がが身体に付いた。


 見るとそこには紫色の肉片。


 僕のストレートはどうなった?


 当たった。

 さっきの弾けた音は僕の右ストレートが炸裂した音だ。


 だが明らかに中田の右脇腹では無い。



 経過時間:1.6秒。



 僕の目の前にあったのは……


 紫色の壁。

 大きなドス黒い紫色の壁。


 僕の右ストレートはそれに当たった。

 ポッカリ穴が開いて突き刺さっている。


 ジュルゥンッッ!


 湿った嫌な音が聞こえたと思ったら、僕の右拳に夥しい数の何かが纏わりつく感触がした。

 その大量の()()(うごめ)いている。


 ウジュル……

 ウジュル……


 感触で解る。

 猛烈に気持ちの悪い感触。


 何だ?

 一体何だこれは?



 経過時間:2秒。



「ウワァァァァァァァァァッッッッッ!」


 魔力注入(インジェクト)を発動して二秒後、僕の悲鳴がこだまする。


 わかった。

 何が纏わりついたのか。


 それは…………

 受憎腕だ。


 小さい受憎腕。

 それを大量に急速生成したんだ。


 何故、解ったのか?


 それは僕の身体に侵入して来る異物。

 そして僕の身体から抜けて行く体力と魔力から。


 引っ張っても抜けない。

 穴の内側に在る夥しい数の受憎腕が掴んでいるからだ。


 ドコォォォォォォォォォンッッ!


 中田の攻撃と呼べるかどうか解らない行動に戸惑っていた所、右から大きな衝撃音。

 ガレアが殴ったんだ。


 ビチャビチャビチャァッ!


 辺りに四散する紫色の肉片の多さが威力の大きさを物語る。

 もちろん僕より多い。


 だが今は…………


「ガレアァァァァァァッッッ!

 中田をォッッ!

 中田をォォォォッッ!

 飛ばしてくれェェェェッッ!」


 緊急事態。

 ガレアの物凄さに驚嘆している余裕も無い。

 今も恨気はどんどん僕の身体を侵食して行く。


【ん?

 そうか?

 なら…………

 ホイ】


 ビシィィィィィィィィッッッ!


 軽い声とは裏腹にガレアの強靭な尻尾が中田を薙ぎ払い、吹き飛ばした。


 ギュンッッ!


 後方へ吹き飛んでいく中田。

 大きな受憎の壁ごと遥か後方へ。


 ドシャァッ……


 経過時間:3秒。


 この3秒にも満たない時間であらゆる事が解った。

 が、同時にダメージもデカい。


 僕は両膝を付いてしまう。

 見ると右拳は真っ黒に変色し、その黒は物凄い勢いで手首から本体に向かって登って行っているのが見える。

 どんどん体力も抜けて行っている。


 まずい!

 早く恨気を除去しないと!


 集中(フォーカス)ッ!


 僕は患部に魔力を集中。


 起動(アクティベート)ッッ!


 僕は心の中で強く念じる。

 もともと回復の魔力注入(インジェクト)だと、キッチリ三則を使う事って言うのはあまり無いんだけどね。


 そもそも起動(アクティベート)って言うのは魔力を爆発させて効果を最大限にまで引き出すやり方だから、そうでもしないと恨気を除去出来ないと思ったんだ。


 見る見るうちに右手の黒が引いて行き、元の血色に戻る。

 体力の吸い出されは()()消えて行った。



 そう、幾分だったんだ。



 完全じゃない。

 依然として体力と魔力が吸い出されている感覚はあったんだ。


 この事は激しく僕を動揺させた。


 一体何処から!?

 受憎腕に掴まれたのは右拳だけなのに!


 落ち着け!

 落ち着くんだ!


 僕は強制的に自身を落ち着かせ、身体の中に意識を集中。

 患部を探す為だ。


 と言うのもさっきの右拳と比べ、吸い出しの勢いは弱く小さい。

 だから解り辛いんだ。


 僕は必死に患部を探した。


 解った。

 何処から吸い出されているのか。


 恨気の侵入経路。

 それは…………



 紫色の肉片。



 先程、僕の一撃で飛び散った中田の肉片。

 それが付着した部分から恨気が流し込まれたんだ。


「……クソッ!」


 バッ!

 バババッッ!


 僕は即座に肉片を取り払う。

 身体中に黒い斑点が沢山ついている。


 まるで皮膚病の黒色腫の様に。

 僕は残った魔力を全て患部に集中させた。


 起動(アクティベート)ッッ!


 再び強く念じ、三則を使用。

 全ての患部に魔力を集中させるのは骨だ。


 見る見るうちに黒い斑点は除去され、元の血色の戻る。


「イ……

 イワツ…………

 僕をここか……

 退避させて……」


 だが、抜けた体力の量も著しく僕は指示もままならない状態に陥った。


(かしら)ァァッッ!

 しっかりしておくんなせいっっ!

 わしが安全な所まで連れて行きますけぇっ!〗


 ガバッ


 僕は磐土(イワツチ)に担がれた。

 そのままガレアの背中に載せたんだ。


〖ガレアァァッッ!

 一旦この場から離れるけぇっ!

 急げぇぇっ!〗


 磐土(イワツチ)の叫び。


【ん?

 何だじゃけー、離れるのか?

 ……って竜司っ!?

 お前ペラペラになってんじゃねぇかっっ!?】


〖敵にやられたんじゃぁっ!

 急げぇっ!〗


【おっ……

 おおっ!】


 ダダッ!


 駆け出すガレア。

 身体全体で感じる振動。


〖よしっ!

 こんだけ離れればいいじゃろうっ!

 ガレアッ!

 止まれェッ!

 (かしら)を降ろせェッ!〗


【ん?

 そうか?】


 キキィッ!


 ガレア急ブレーキ。

 僕は身体に圧し掛かっている極度の倦怠感から目を開ける事すら出来ない。

 ここが何処かも解らない。


水虬(ミヅチ)ィィッッ!

 早うッッ!

 早う(かしら)を治してやってくれぇっ!〗


 僕は即、磐土(イワツチ)によって寝かされた。


 ここまでずっと水虬(ミヅチ)は無言。

 何も物を言わない。


 バシャァッ!


 とか考えていた所に液体が被せられる。


 ゴクン


 口から侵入したその液体を飲み込む。

 あ、これさっきのリポビタンDだ。

 味で解る。


 ジョバババババババァッ!


 だが量が違う。

 まるで滝の様に膨大な水量が僕の顔に浴びせられる。

 溺れてしまうぞ。


 おや?


 身体を縛っていた倦怠感が(しぼ)んでいくのが解る。


 ゴクンゴクンゴクンゴクン。


 このリポビタンDの効果はさっき体験した所。

 効くと解るやいなやどんどん飲み込み、体内に取り込んで行く。


「ゴクンゴクンゴクンゴクン…………

 ゲホッ!

 ゲホゲホッ……!

 プワァッ!

 ミヅ…………

 水虬(ミヅチ)ィィッ……!

 もうだっ……

 だいじょっ……

 止めっ……」


 あまりの水量に僕は(むせ)てしまう。


 ピタッ


 僕が覚醒した事に気付いたのか。

 ぴたりと水流が止んだ。


 見上げるとそこには蒼い手をかざしている水虬(ミヅチ)の姿。


 にこり


 優しく微笑む水虬(ミヅチ)


楼主(ろうしゅ)はん……

 無事で良かった……〗


 今は普通の水虬(ミヅチ)


 だが、僕は見逃さなかった。

 覚醒したと気づくまで物凄く冷たい眼で僕を見降ろしていた事を。


 その眼はまるで恐ろしく冷たい水の様。

 いや…………

 冷たさの中にふつふつと湧き上がる熱湯の様な雰囲気もあった。


〖…………楼主(ろうしゅ)はん……〗


 静かに笑顔で話しかけて来る水虬(ミヅチ)

 その言葉はほのかに角張っている気がした。


 異様な。

 得体の知れない雰囲気。


「な…………

 何……?

 水虬(ミヅチ)……?」


〖フフフ……

 わっちはキレとるでありんす……

 可愛い楼主(ろうしゅ)はんをこんな目に遭わすなんて……

 こりゃ許せんせん(許せません)……

 少ぉし、お仕置きしないと駄目でありんすなぁ……

 フフフ〗


 顔は笑顔だが言葉の端々が角張っている水虬(ミヅチ)に母さんの雰囲気を感じる。


 お仕置き?

 お仕置きって何をするんだろう。


 ゴクリ


「お……

 お仕置きって……

 何するの……?」


 僕は生唾を呑み込んで尋ねた。


楼主(ろうしゅ)はん……

 さっきわっちが何が出来るんかって聞きんしたでありんしょ……?

 それの証明にもなりんす…………

 さて……

 憎たらしい野暮(田舎者)(中田の事)は……

 何処に行ったでありんすか……?〗


 確かに聞いたけど。

 何をするのか良く解らないだけに怖い。


 顔をゆっくり左右に動かす水虬(ミヅチ)

 全方位(オールレンジ)内を確認しているんだろう。


「ミ……

 水虬(ミヅチ)……

 一体何を……」


〖フム…………

 少ォし(かて)が足りんせんなあ……

 楼主(ろうしゅ)はん……

 悪いのでありんすが……

 (かて)を都合つけてくれんせんかぇ……?〗


「う……

 うん……」


 ピト


 僕は言われるまま、ガレアの鱗に手を合わせる。


 ドッッックゥゥゥゥンッッッ!


 大型魔力を補給。


 保持(レテンション)


 ガシュガシュガガガガシュ!


 入って来るなり保持(レテンション)をかける。

 体内に響く圧縮機の音。


「はい……

 準備出来たよ……

 ミ……

 水虬(ミヅチ)……

 断っておくけど決して……」


楼主(ろうしゅ)はん……

 皆まで言わんでおくんなんし……

 殺すなて言いたいんでありんしょ……?

 わっちを信用しておくんなんし……〗


「う……

 うん……」


〖なら、やりますえ……〗


 水虬(ミヅチ)は片手を(かざ)す。

 方向は中田が居る方向。


 何も変化が無い。


 ザーーーッッ!


 とか、考えていたら遠くの方で音が聞こえる。

 雨音に似ている。

 何をしたんだ水虬(ミヅチ)


 ザーーーッ!


 呆気に取られている間も依然として雨音の様な音は微かに聞こえて来る。

 すると、全方位(オールレンジ)内で動きがある。


 寝ていた中田がゴロゴロ悶えだした。

 頭を押さえている。


「ミ……

 水虬(ミヅチ)……

 何をしたの?」


 ザーーーッ!


 雨音は続く。

 全方位(オールレンジ)内で悶えている中田。


〖わっちは野暮(中田の事)の上空から希釈したクロロホルムを降らせとるでありんす……〗


「クロロホルムってあの麻酔薬の?」


〖そうでありんす……

 かなり毒性の強い液体でなあ……

 多分中田は今、でっかい頭痛と吐き気に悩ませてるでありんしょうなぁ……〗


 え?

 クロロホルムってそんな薬なのか?


 よく刑事もののドラマとかでは染み込ませた布を被害者に嗅がせ、眠らせたりするシーンがある。


 けど、実際はそうじゃ無かったんだ。

 これがクロロホルムを嗅いだ人間のリアルな症状。


 ■クロロホルム


 1831年、フランスの科学者ソーベラインが次亜塩素酸ナトリウムの粉末とアセトンもしくはエタノールと反応させる事で発明。

 外科手術の麻酔薬として用いられるが、毒性の強さ、深刻な心不整脈等の原因になり易い特徴の為、突然死を引き起こすケースも少なくなかった。

 性質は常温の場合、無色で甘い匂いを発する。

 多くの有機化合物をよく溶解する。

 光や酵素の存在下で比較的容易に分解され、有毒ガスであるホスゲンを発生させる。


 遠く離れていても解る。

 見る見るうちに中田が弱って行くのが。

 何だか見ている内に怖くなって来た。


「ミッ……

 水虬(ミヅチ)ィッ!

 もういいっ!

 もう止めてくれぇっ!」


 僕は必死に止める様、懇願。


〖ん……

 もう宜しいんでありんすか……?

 なら……

 ホイ〗


 水虬(ミヅチ)の軽い言葉と共に聞こえていた雨音が止んだ。

 解除したんだ。


水虬(ミヅチ)……

 今やった事の説明をお願い出来る……?」


〖はいな……

 わっちはまず適当な所から少しづつクロロホルムを取り寄せたんでありんす……

 それを増殖して希釈したんでありんす……〗


 確か世界中の液体とリンクが張れると言っていた。


「そ……

 それで……?」


〖わっちが楼主(ろうしゅ)はんの(かて)を量に割いとる言うんは久久能智(ククノチ)から聞いとるざんしょ?

 さっきもろた(かて)を使こうて、中田の上に設置したんでありんす〗


「じゃあ……

 中田は今、クロロホルムを浴びてああなってるって事……?」


〖さいでありんす……

 もちろん楼主(ろうしゅ)はんが野暮(中田の事)を殺しとう無い言うんは知っとるざんすから……

 効果は薄めてるでありんす……〗


「そ……

 そう……

 ホッ……

 それは良かった……」


〖ただその分、揮発性は高めていんすから……

 ホスゲンが発生してしばらくはまともに動けんでありんしょうなあ……〗


 え!?


「何……?

 そのホスゲンって……」


〖クロロホルムが気化すると発生する毒ガスでありんす〗


 怖っ!


 純粋に出た感想。


水虬(ミヅチ)ッッ!

 もうクロロホルムを使うのは止めてっ!

 僕が使ってって頼まない限り……

 お願いだから……」


 僕の脳裏に過ったのは辰砂。

 辰砂の水銀毒には相当苦しめられた。

 その思い出が過ったんだ。


〖あぁっ……!

 楼主(ろうしゅ)はんっ!

 そんな哀しい顔せんでおくんなんし……

 わっちがクロロホルムを使たんは、楼主(ろうしゅ)はんを酷い目に遭わせた野暮(中田の事)が憎うて頭に血ィ登ったからでありんすぇ……

 楼主(ろうしゅ)はんがそう仰るんでありんしたら、言われるまでもう使いません〗


 良かった。

 毒ガスを吸入した時の苦しみは僕が一番知っている。

 あの苦しみは例え敵であろうとも味合わせるのは忍びない。


 それにしても水虬(ミヅチ)の能力は恐ろしい。

 ヒーラーだけで無くデバッファー、ジャマーもこなすという事か。


「うん……

 でも……

 身体の治療と中田の足留めはありがとうね水虬(ミヅチ)

 磐土(イワツチ)もまともに喋れなかった僕の指示を良く解ってくれたね。

 ありがとう」


 ぺこり


 僕は素直に頭を下げる。


〖かっ……

 (かしら)ァァッ!

 頭を上げてつかぁさいっっ!

 わしは(かしら)に付き従うものとして当然の事をしただけじゃけぇっ!〗


〖はふぅんっ……!

 わっちらみたいなバケモンにも頭を下げる楼主(ろうしゅ)はんっっ……

 素敵でありんす……〗


 それぞれの反応。


 さて次はさっきの戦闘で得た情報を精査しないと。


 まず僕が間合いに入っても中田は微動だにしなかった。

 原因は何故かわからない。


 だが動かなかった。

 僕はさっきのやり取りで中田がこちらを意識した所を見てない。


 普通考えたら僕の右拳が炸裂して、万々歳と言った所だろう。

 だが、結果は僕が恨気に侵される事となった。


 僕の拳、ガレアの拳すら中田本体に命中してない。

 大きな受憎の壁に阻まれたからだ。


 あの壁は何だろう?


 壁……?

 いや、盾か。

 受憎盾とでも呼ぼうか。


 だけど盾と言う割には強度はさほどでも無い。

 硬質化していない様だった。


 何故だろう?


 ここで僕の頭に過ったのは飛び散った紫色の肉片。

 あれが付着した所からも恨気は侵入して来た。


「あ、ガレアッ!?」


 見るとガレアの身体にもいくつか紫色の肉片が付いている。


【ん?

 何だ竜司】


「その身体についてる肉を早く取らないとっっ!

 身体から魔力が流れ出ちゃうっっ!」


 僕は慌てて指示を送る。


【ん?

 そうか?

 別に何にも感じないけどなあ。

 でもこの肉、気持ち悪りぃな】


 ペペペペペッッ!


 手早く肉片を辺りに放り投げるガレア。

 肉片が付着した所はやはり黒い斑点になっている。

 しかし魔力が流れ出る感覚は無いと言う。


 どう言う事だろう?


 この黒い斑点は明らかに恨気が侵食している証。


「ガレア……

 黒い斑点だらけになってるよ。

 魔力で治癒したら?」


【わっっ!?

 ホントだ気持ち悪りぃッッ!

 …………あれ?

 何か前にも同じ様な事があったような……

 そんときゃ……】


 黒い斑点が消え、元の翠色の鱗に戻った。

 魔力で恨気を除去したのだろう。


 さて、何故肉片から恨気が侵入して来たのか?


 そこから考えてみよう。

 恨気が侵入して来たと言う事はそこに恨気が在ると言う事。

 となると答えは一つしかない。



 残存恨気だ。



 肉片に残存していた恨気が身体に流れ込んだんだ。


 これは僕らの持っていた情報を覆す事になる。


 恨気を流すには術者の意思。

 それと(くち)と呼ばれる掌が必要だった筈。


 だが、この肉片は中田本体から離れている。

 且つ(くち)も備わってない。


 ここから連想して何故、受憎盾の強度が弱かったのか理由も解った気がした。


 あの受憎盾は防御と一緒に攻撃も出来る仕様なんだ。


 受憎盾を攻撃する。

 穴が開く。


 その穴の内側から大量の受憎腕を生成し、相手を拘束。

 恨気を流し込む。


 加えて肉片を飛び散らせる事で付着面からも恨気を流し込む。

 言わば毒の盾なのだ。


 ブルゥッ!


 僕は身震い。


 何が恐ろしいのか?


 多分日常茶飯事(おままごと)にかかった(なずみ)は嘘を付いていない。

 となると恐らく式と言う術の基本的な部分は知ってる情報と相違は無いのだろう。


 だが今、中田が取った行動は僕らの知ってる情報とは違っていた。


 これが意味する事は何か?


 それは中田の体内に生成されている恨気が膨大であると言う事。

 その膨大な怨みの気がそうさせた。

 そう考えるしかなかった。



 そしてその怨みは全て………………

 僕らに向けられている。



 考えれば考える程、陰鬱になる。

 出来れば逃げ出したい。


 でも出来ない。

 中田がああなったのは僕が原因なのだから。


 ブンブンッッ!


 僕は頭を横に振り、沈みきってしまいそうだった気持ちを何とか持ち上げる。


 まだまだ考えないといけない事がある。

 何故肉片から流れ込んだ恨気で流れ出る体力は小さく弱かったのか?


 これは単純。

 物理的に残存していた恨気量が少なかったからだろう。


 恨気が少ないと流れ出る体力の勢いも弱く小さいのだ。

 ガレアが何ともなかったのは内包されている魔力が膨大だった為だろう。


 ガレアからしたら日々活動してても消費されるぐらいの量だったんだ。


 僕が気付けたのは魔力注入(インジェクト)で恨気除去を行っていたから。

 身体から違和感を取り去っても未だ違和感が残っていたから気付けたんだ。


 まるで砂利をふるいにかけて砂金を見つけるかの様に。

 平時だったら気付けてたかどうか解らない。


 ここで恨気に関して新たに判明した事に気付いたんだ。

 恨気は流し込む量を調節する事で感染スピードを変えれるんだ。


 本体両手から送り込まれる恨気は超即効性。

 肉片から等の残存恨気を流し込まれる場合は遅効性。


 この二種の効果は戦術的にかなり有効。


 例えば戦闘中に肉片が身体に付着したとする。

 戦いに気を取られて僕は意識が向かないだろう。


 何せ抜ける体力は小さく弱いのだから。


 しかし確実に抜けて行く魔力と体力。

 このゆっくりと確実に蝕む毒は多分僕の身体を鈍らせるだろう。


 するとどうなる?


 避けれた攻撃が避けれなくなりやられると言う仕組みだ。


 今の段階でここまで考えれて良かった。

 これで中田がばら撒く肉片にも注視する事が出来る。


 ここで一度、中田の状態を確認する。


 まだ倒れている。

 毒ガスを吸入したのだから当然とは言えるが。

 恐るべしホスゲン。


 どうしよう?


 倒れているのであればもう決着がついたと考えて良いのだろうか?

 (おと)さんか踊七さんに連絡して拘束すれば決着がつくのではないか?

 そう考えた。


 ブンブンッッ!


 だけどすぐに考えを改めた。

 具体的に何故かとは言えないけれど、それは決着と呼べない気がしたからだ。


 中田は僕が引き起こしたドラゴンエラーでここまで畜生道、鬼畜道に堕ちてしまった。


 そんな中田に引導を渡すのは僕自身。

 僕自身の拳でないといけない。


 中田と正面から対峙して怨みを真正面から受け切って。

 その上で倒して拘束しないといけない気がしたんだ。


 確かに神道巫術(シントー)は僕のスキルで水虬(ミヅチ)も僕のスキルが創り出したものとは言える。

 しかし離れた所から発生させた毒ガスの様な間接的な方法では決着とは言えない。


 取り押さえるのが他人ならまだしも、僕は。

 僕だけはそんな方法を取る訳には行かない。

 そう思ったんだ。


「………………ハァ……」


 先の中田とのやり取りを改めて思い返し、溜息が漏れる僕。


〖ん……?

 楼主(ろうしゅ)はん、どうしたんでありんすか……?〗


「いや…………

 本当だったらもっと戦ってる予定だったんだけどね……

 ガレアと連携とか取ってさ……

 でもいざ蓋を開けて見ると一分も戦って無いんじゃないかなって思ったらさ……

 つくづく僕の戦いって敵の攻撃を喰らわないと話は進まないなあってなって……

 ちょっと自己嫌悪……」


【ケタケタケタ。

 確かにな。

 気が付いたら竜司、お前ペラペラだったもんな。

 やっぱりおめぇは俺が居ねぇと駄目なんだよ】


 ガレアが人を小馬鹿にした様に笑う。


「ぐっ……

 そっ……

 それに関しては何も言う事が出来ないよ……

 その通りだもん……

 ハァ……」


 以前の僕なら多分ムッと来て声を荒げていただろう。

 でも今の僕は絶招経の代償で怒る事が出来ない。


 だから尚更ガレアの一言が胸に突き刺さる。

 しかも戦いを仕掛ける前にガレアを挑発していただけに、この僕の体たらくと情けなさは深く心に圧し掛かった。


【おっ……?

 おう……

 わ……

 解りゃあ良いんだよ解りゃあ……

 ……何だよ……

 竜司……

 最近突っかかって来ねえな……

 張り合いがねえ……

 ブツブツ……】


 そう言えばガレアに今の僕が怒れない事、説明したっけ?

 していない様な。


 これに関してはガレアも関連している事。

 改めてきちんと説明しないといけないな。


 全てが終わってから。


「……でも凹んでばかりもいられない……

 僕は決めたんだ……

 中田は僕の拳で決着を付けるって……

 僕の拳で決着を付けないといけない……

 そう思ったんだ」


〖はぅあぁっっ……!

 楼主(ろうしゅ)はんっ!

 間夫(まぶ)(良い男)が過ぎんすぅっっ!

 わっちはもうっ!

 わっちはもうーーっっ!〗


 頬に手を当て、恍惚の表情で僕を見つめる水虬(ミヅチ)が叫んでいる。

 本当にヘンな精霊だなあ。


(かしら)ァァッ!

 わしもどこまでだってついて行きやすんでぇっ!

 そんで精霊に関してはどうするんですかいのう?〗


 磐土(イワツチ)が言っているのは連れて行く精霊二体はどうするのかと言う話だろう。


 僕が考えているのはこのまま。

 磐土(イワツチ)水虬(ミヅチ)の二体で行こうと考えていた。


 防御面では磐土(イワツチ)は欠かせないし、水虬(ミヅチ)のヒーラーとしての能力は傑出している。


 水虬(ミヅチ)の出すリポビタンDの効果は凄まじい。

 僕はついさっきまで体力を吸い出され、ヘロヘロになっていたにも関わらず今ではもう何とも無い。


 身体も軽い。

 まるでRPGのポーションでHPを回復した様。


 それだけにまた恨気に侵された時に居ないと不安だ。

 中田に近接戦闘を挑むのであれば、恨気にやられる可能性は必ず考えないといけない。


「精霊はお前達で行く……

 磐土(イワツチ)……

 水虬(ミヅチ)……

 僕に協力してくれるかい?」


 協力の申し出を聞いて二人の精霊はニコリとほほ笑んだ。


(かしら)、もちろんじゃ。

 やらして頂きますけぇ〗


〖わっちも異論はありんせん……

 そら言うたら楼主(ろうしゅ)はんに無茶はして欲し無いでありんすが……

 楼主(ろうしゅ)はんは止めても聞きんせんのでしようがないでありんすね……〗


「ありがとう二人共。

 フォーメーションに関してもさっきと一緒。

 前衛に磐土(イワツチ)

 後衛に水虬(ミヅチ)だ」


〖ヘイッ!〗


〖わかりんした……〗


 今一度、全方位(オールレンジ)内を確認。

 中田はまだ倒れている。


水虬(ミヅチ)。毒ガスはどうなった?〗


〖解除しんしたざんすから、もう普通の大気に戻っている筈でありんす〗


 となると中田は今さっき吸い込んだ毒ガスでこうなっているのか。


 だけど油断は出来ない。

 中田はあの化物揃いの刑戮連(けいりくれん)でリーダーをしている男。

 疑死(ぎし)の可能性も充分考えられる。


 さっきのやり取りで能力は解ったが、まだまだ一端。

 まだ得体の知れない能力を秘めている気がしてならない。

 視覚から入る情報に惑わされてはいけない。


〖二人共……

 今、中田は()()()()()()けど油断しないでね〗


〖へいっ!〗


〖わかってるでありんす〗


「じゃあガレア……

 行こうか?」


 そう言いながら僕はガレアの鱗に手を添える。

 魔力補給だ。


 ドッッックゥゥゥゥンッッッ!


 大型魔力補給。

 心臓が大きく高鳴る。

 すぐに保持(レテンション)をかけ、体内に封じ込めた。


【おっ?

 行くのか?

 んで俺はどうしたら良いんだ?】


「ガレアは……

 まず僕と一緒に来て。

 それで合図をするまで攻撃はしないで。

 むやみに攻撃すると恨気に感染する可能性もある」


【それさっきの黒い斑点か?

 わかった】


「それで……

 イッチニ……

 磐土(イワツチ)水虬(ミヅチ)……

 サンシ……

 そしてガレア……

 僕がさっきみたいに身体が黒くなったり、敵の手に掴まれたら一旦退避だ」


 僕は屈伸運動をしながら、簡単に緊急時の指示。


【わかった】


〖へいっ!〗


楼主(ろうしゅ)はん……〗


 ガレアと磐土(イワツチ)は返事をしたが、水虬(ミヅチ)が返事をせずに声をかけて来た。


水虬(ミヅチ)、どうしたの?」


〖退避すんのはよろしんすけど、追って来たらどうするんでありんすか?

 クロロホルムはもう使えんでしょ?〗


 あ、そう言えば考えてなかった。


 今までずっと身体の治療や長考や話し合いが出来たのは水虬(ミヅチ)がクロロホルムで中田の動きを止めたからだ。


 どうしようどうしよう。


「ねえ水虬(ミヅチ)……?」


〖何ざんす?〗


「何か相手を痺れさせる液体とかって無い……

 かな?

 殺さずに痺れさせるだけで良いんだけど…………」


〖ありんすぇ〗


「ハハハ……

 無いよね……

 そんな虫の良い液体なんて…………

 ってぇっ!?

 あるのっっ!?」


〖ハァ…………

 素直に驚きはる楼主(ろうしゅ)はんも可愛んすなあ……

 タブンでありんす〗


 多分?

 何だ多分って?


 僕にとっては生死に関わる事だからあやふやなのは困るなあ。


水虬(ミヅチ)……

 多分じゃ無くて確実に効き目がある物が良いんだけど……

 やっぱり無いかな?」


〖あぁ、違います違います。

 タブンって言う名前の液体でありんす〗


 あ、ちょっと恥ずかしい。

 ガレアみたいな間違え方をしてしまった。


 タブン。


 聞いた事無いなあ。


「それって何なの?」


(けが)れた人間共が開発した神経ガスでありんす。

 人間共はこれを有機溶剤に溶かして液体で管理していんすから、わっちのリンクが張れるでありんす〗


 神経ガス!?


 毒ガス以上に物騒な物が出て来た。


 22年前に起きた地下鉄サリン事件。

 ナチスドイツのアウシュビッツでも使われた代物。


 ■タブン


 有機リン酸系の神経ガス。

 地下鉄サリン事件で使用されたサリンと同じG剤の一種。

 1936年に開発された人間の歴史史上最も古い神経ガスである。

 即効性があり、サリン等に比べて毒性は弱いが、吸入ないし皮膚からの浸透により、体内に吸収され痙攣や呼吸困難など様々な症状を引き起こす。

 タブンと言う名称は効果を検討する会議でドイツ軍人があまりの毒性に“これはタブーだ”と発言した事によるものである。

 実戦で使用されたのはイラン・イラク戦争でイラク軍が使ったのが最初。


「そっっ……!?

 そんな物騒な物出さないでよっ!

 そんなの吸わせたら死んじゃうじゃないっっ!!」


〖慌てんといておくんなんし……

 もちろんそのまんま使う訳じゃありんせん……

 何十倍も希釈して降らせるでありんす……

 これは吸ったぐらいでは死にんせん(死にません)……

 ただ吸い込むと筋肉が痙攣してまともに動けんせん(動けません)……

 楼主(ろうしゅ)はんは望んどんはこう言う効果じゃ無いんでありんすか?〗


「あっっ……

 そっ……

 そうなのっ……?

 ご……

 ごめん……

 慌てたりして……」


〖気にせんでおくんなんし……

 声を荒げたんも楼主(ろうしゅ)はんの間夫心(まぶごころ)がさせとると言うのは解っていんすから……〗


「う……

 うん……

 ありがとう。

 あと水虬(ミヅチ)

 液体にリンク張るのって時間かかる場合ってあるの?」


〖そら海外にしかない液体とかならリンク張るのに多少時間はかかりんす……〗


「時間がかかるってどれぐらい?」


〖一分もあったら張れるでありんす〗


 全然かかってないじゃないか!?

 確かにさっきのリポビタンDは一瞬だった。


「わかった。

 ならすぐにタブンとリンクを張ってくれ。

 準備が出来次第、発進する!」


〖おうさっ!〗


〖はふぅん……

 やっぱり楼主(ろうしゅ)はん……

 素敵……

 わかりんした〗


【なあなあ竜司。

 まだ行かねぇのか?】


 やっぱりガレアは側に居るのに聞いていない。


「もうちょっと待って。

 今ミヅ…………

 ありんすが準備してるから」


【ん?

 そうなのか?

 なーありんすー

 そうなのかー?】


〖ええ、楼主(ろうしゅ)はんの言う通りでありんす…………

 もう少々待ってておくんなんし……〗


 リンクを張ろうとしている最中でも受け答え出来るのか。


〖あ、ありんしたありんした…………

 これまた辺鄙(へんぴ)なとこに……

 楼主(ろうしゅ)はん、準備出来んした……〗


「何処にあったの?」


〖えっと……

 砂と岩塊(いわくれ)ばっかりの国でありんす。

 確かイランって言いんしたでありんしょうか〗


 イラン。


 イラン!?


「イランってあの中東のっっ!?」


〖わっちは人間の言う場所の名称には詳しくありんせんのでよう知りんせんが……

 イラン言うトコがそこしか無いならそうでありんしょうなあ〗


 軽く言ってのける水虬(ミヅチ)

 日本からイランまで何千キロも離れてるんだ。


 その距離を一分足らずで繋ぐ。


 余りに凄すぎて言葉が出なかった。


「そ……

 そうなんだ……

 そう言えば希釈は時間かかるの?」


 僕はこれ以上話を掘り下げるのが怖くなったので、話を先に進めた。


〖それなりの量なら多少かかりんすが、それは動きながらでも出来んすから大丈夫でありんすよ……

 それよりも楼主(ろうしゅ)はん………………

 ……………………モジモジ……〗


 何やら蒼い肌の細い狐目を持つお姉さんが身体をくねらせている。

 それはもうクネクネと。


 顔は何やら恥ずかしそうだ。

 肌が蒼いから頬が紅いとかは無いんだけど雰囲気が恥ずかしそう。


水虬(ミヅチ)

 どうしたの?」


〖いや……

 あの……

 あんな……?

 楼主(ろうしゅ)はん……

 また遠いとこに広い範囲で降らせなあかんかも知れんざんしょ……?〗


「うん、さっきみたいな状況だね。

 広い範囲だったかは解らないけど」


〖んでな……

 そうすると……

 少ぉし(かて)が……〗


 あ、何だ。

 何を言い辛そうにしてるのかなって思ったらそんな事か。

 ならそうと早く言えばいいのに。


「ガレア、ちょっとこっち来て」


【ん?

 何だ竜司】


 ピトッ


 僕は何も言わずガレアの鱗に手を合わせる。


【何だ魔力補給か。

 お前さっきしこたま持って行ったじゃねえか】


「僕じゃないよ。

 いるのは水虬(ミヅチ)


 ドッッックゥゥゥゥンッッッ!


 大型魔力を補給。

 続いて保持(レテンション)をかける。


「はい、水虬(ミヅチ)

 準備出来たよ持って行って」


〖あぁんっ!

 わっちはさっきからおねだりばかりしとるでありんすのにっ!

 何も言わず当然の様に(かて)を用意する楼主(ろうしゅ)はんっっ!

 間夫(まぶ)過ぎてわっちは昇天しそうでありんすっっ!〗


 だんだんこの水虬(ミヅチ)のヘンな反応が煩わしく感じて来た。

 どうでも良いから早く持って行って欲しいなあ。


水虬(ミヅチ)

 早く持って行ってよ」


〖はふぅんっ……

 あぁっ!?

 失礼しんした……

 では……〗


 身体に怠さ。

 倦怠感が発生した。

 倦怠感と言うか大きな喪失感。


 魔力が抜けて行ってるんだ。

 やがて喪失感は消え、平常に戻る。


楼主(ろうしゅ)はん、ごちそうさん。

 ありがとうございんす〗


「よし準備出来たね。

 ガレア、お待たせ。

 じゃあ行こうか」


【おお、やっとかよ。

 んでどっちに行くんだ?】


「ちょっと待ってね……

 えっと……」


 僕は全方位(オールレンジ)内を改めて確認。

 まだ倒れている中田が見えた。


 動線上の木が何本かへし折れてるのが解る。

 多分尻尾の一撃で吹き飛んだ時に折ったんだろう。


 これは解り易くて好都合。


 それにしても僕の全方位(オールレンジ)も持続時間が長くなったよな。

 初めは息を止めてる間だけだったのに。


 そこから30分ぐらい持続できるようになり、いつしか息をしてても持続できるようになってた。


 そして今、色々と話し合いや作業をしてる間や先の中田とのやり取りの間もずっと持続している。


 それは神道巫術(シントー)の動作条件に全方位(オールレンジ)が発動している事と言うのがあるからだ。


 そのせいかこの翠色のワイヤーフレームドームをしばらく張ったままでも平気になった。


 占星装術(アストロギア)神道巫術(シントー)を編み出したからだろうか。


「わかったよガレア。

 ここをまっすぐ行くとさっきの道に出る。

 そこから見える()()()()()を目指して」


【わかった】


「よし、じゃあ行くよ。

 まず、敵の近くまで行こう。

 僕が合図するまで手は出さないでよガレア。

 …………起動(アクティベート)


 ドンッッッッッッ!


 魔力注入(インジェクト)発動。


 強く大地を蹴る。

 低く遠く。

 真横に吹き荒ぶ猛風と化す僕の身体。


 ダッ


 僕はさっきの中田とやり合った道まで一足飛びで戻って来た。


 100メートルぐらい飛んだんじゃないだろうか。

 その距離を一度の跳躍で飛んだ。


 ほとほと物凄い身体強化だなあ魔力注入(インジェクト)は。


 僕は片足で一度着地。

 そのまま衝撃を吸収する様に膝を曲げる。

 同時に地に付けた脚に力を溜める。


 バンッッッッッッ!


 溜めた力を一気に解き放つ。

 衝撃の強さに大地が割れ、瓦礫が四散。


 その力を推進力に変えた僕の身体は更に速く。

 更に前へ飛び出す。


 木々がへし折れている所に入った。

 周囲の風景がぼやけて一つに混じり、超速で後ろに流れる。


 見えて来た。

 中田だ。

 倒れている。


 ギャギャギャギャッッッッ!!


 僕は大地にカウンターを当て急ブレーキ。


 ギャギャギャギャッッッッ!


 もう一つ同じ様な音。

 ガレアも急ブレーキしたんだ。


 あの速度でも遅れずピッタリ付いて来ている。

 流石だ。


 停止した僕ら。

 見るとそこに倒れている中田が見える。


 少し離れている。

 距離にしておおよそ7~8メートル。


 横向きに倒れている中田はピクリとも動かない。

 頭部の辺り。

 ベージュ色の液体が放射状に広がっている。


 あれは中田の吐瀉物(としゃぶつ)だ。

 範囲はそこそこ広い。

 嘔吐が激しかった事を物語っている。


 さあ、近づく事は出来た。

 ここからどうしよう。


 さっきは自分の拳で決着をつけるなんて事を言ったけど、さっき発生した毒ガスの影響でもう起き上がらないのならどうしようも無い。


 その場合はしょうがない。

 (おと)さんに連絡を取って拘束する為の指示を仰ごう。

 不本意だが。


 だが…………

 その考えは…………



 恐ろしく甘い考えだった事を思い知る事になる。



 もう動かないのであれば拘束しよう。


 そんな呑気で楽天的でぼんやりと朧気(おぼろげ)揺蕩(たゆた)った思考が頭に過っていた時……



 事態は急変する。



 ズンッッッッッッッ!


 突然。

 唐突に。

 僕の身体に巨大な圧が圧し掛かる。


 重い。

 同時に射る様な視線を感じた。


 その視線には酷く熱い。

 そして黒い意志を感じる。

 

 まさに邪気、毒気の類。

 この重さと射る様な悪意は覚えがある。



 眼刺死(まなざし)だ。



 見ると倒れながら目を大きく見開いている中田の姿が見えた。


 覚醒したんだ。

 僕が近くまで来た事を察知したのか?

 それとも僕らの隙を伺っていたのか?


 解らない。

 だがたった今僕らの身体に浴びせられているのは眼刺死(あなざし)

 それは間違い無い。


【なっっっ…………

 何だこりゃぁぁぁっっ!】


 ガレアも同じく眼刺死(まなざし)の影響を受けている。

 初めての時は影響無かったのに。

 それだけ発生した恨気が膨大だと言う事か。


(かしら)ァァァァッッ!

 どうしたんじゃあっっ!?〗


楼主(ろうしゅ)はんッッッ!?

 どうしんした(どうしました)っっ!?〗


 精霊二人は影響無いらしい。


 ベシャァッ……


 地に圧し付けられる巨大な黒い圧でついに身体を保持する事が出来なくなり、力無く倒れ込んでしまう。

 何て重さだ。


 ガラッッ…………


 倒れた僕の頭上で物音。

 這いずる様に顔を向けるとそこには…………



 立ち上がった中田が居た。



 クルゥ~……


 ゆっくりと僕らの方に振り向く。


「…………さっきの…………

 妙な雨は…………

 貴様か…………?」


 僕は依然として術下に居る為、口も満足に動かせない。


「あの…………

 妙な雨に触れた途端…………

 急に……

 酷い頭痛と……

 眩暈、吐き気に襲われた……

 その雨水が…………

 地を浸した後……

 呼吸をしたら…………

 さらに症状は悪化した…………」


 やはりクロロホルムの毒は有効だったんだ。

 そのまま話を続ける中田。


「……雨水が気化して毒ガスが発生したんだろう…………

 貴様はやはり生きていてはいけない人間だ…………

 貴様が存在している限り…………

 毒ガスを撒き散らすのだろう……

 そしてその毒で俺と同じ様に…………

 幸せな家族を……

 犠牲にするのだろぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!

 ウォォォォォォォッッ!!

 憎いィィ…………

 貴様が憎いィィ…………

 罪も無い人を無慈悲に殺す貴様が憎いィィィィッッ!

 ドラゴンエラーで家族を一瞬で塵に変えたお前が憎いィィィィィッッッ!

 憎い憎い憎い憎い憎いニクイ憎いにくい憎いィィィィィィィィッッッ!

 ウオォォォォォォォォッッ!」


 怨みの念を多分に載せ虚空に叫ぶ中田の眼は紅い涙を流していた。

 あれは血涙だ。


 ズキン


 中田の叫びは激しく僕の罪悪感を突き刺した。


 ザンッ


 地を踏みしめ、こちらに歩み寄って来る中田。

 その一歩一歩に大きく悲痛な怨みが込められている様だ。


 先程まで動けず倒れていた人間とは思えない。

 流暢に僕への怨み言を叫び、歩いて来る中田は毒ガスに侵される前と変わりが無い。


 危機が目と鼻の先に迫って来る。


 だが眼刺死(まなざし)

 僕が一番最初に喰らった式の術。


 これに関しては僕の中で対策があった。

 眼刺死(まなざし)を最初に喰らい、それから式使いと戦って(なずみ)からの情報を得た上で考えた推測混じりの対策。


 最初は戸惑った。

 何せ遠く離れた標的を瞬時に拘束する術なのだから。


 この術は脅威。

 だから考えた。


 まず眼刺死(まなざし)と言う術がどう言う術かと言う事だ。

 眼刺死(まなざし)とは要は溢れた恨気を標的に飛ばすと言う飛び道具。


 その恨気を塊の様に飛ばすのか?

 はたまた指向電波の様に前方へ放射するのか?


 それは解らない。

 だが肝心な所はそこでは無い。


 ()()()()()()()が重要。


 飛ばしている物。

 そう、恨気だ。


 どの様に飛ばしているかは解らないが、僕が現在浴びせられて身体を縛っているのは恨気だと言う事だ。


 ここでさっきのガレアや僕の恨気除去法を考えて欲しい。

 長々と語ったが魔力で拘束は解けるのではないかと言う話。


「グググゥッ…………

 ガレアァァァッァァッッ!

 さっきだぁぁぁぁッッ!

 さっきの黒いィィッ!

 斑点を消す方法ォォォォッッ!」


 集中(フォーカス)ッッ!


【グゥッ……

 グググ……

 おっ……

 おうっ!】


 僕は眼刺死(まなざし)の対策を急いでガレアに指示。

 言葉足らずかも知れないがガレアなら解るはずだ。


 この場合、魔力の集中先が難しい。

 とりあえず身体に感じている重さは全身なので、全身に魔力を集中させる。


 先程、両脚にかけた魔力注入(インジェクト)は有効な筈だ。

 対策で拘束が解ければ全力でジャンプだ!


 よし魔力の集中は完了。

 一気に行くぞ!


 起動(アクティベート)ォォォッッ!


 魔力注入(インジェクト)発動。


 体内を縛る恨気よ!

 消しとべぇぇっっ!


 僕は心で強く念じた。


 フワッ


 身体が軽くなった!

 やった!

 成功だ!


 見ると中田は受憎刃を振り下ろそうとする寸前。

 だが位置は浅い。


 狙いはおそらく僕の四肢。

 致命傷を負わす気では無いのだろう。

 僕に切り刻む痛みを味合わせる為だ。


 ヤバい!

 急げ!


 ダァァァッァァァァンッッ!


 軽くなった僕は寝ている体勢で大地を蹴った。

 力の入らない体勢だが魔力注入(インジェクト)を発動した僕なら上空へ跳び上がるには充分。


 瞬時に地表が遠く離れて行く。

 僕が上空へジャンプしたんだ。


 隣を見るとガレアも拘束を解き放つのに成功したらしく、一緒に飛び上がっていた。

 一緒に磐土(イワツチ)水虬(ミヅチ)も跳んでいる。


【頭ァッ!

 こっからどうするんじゃあっ!?】


「このまま中田に攻撃を仕掛けるっっ!

 磐土(イワツチ)ッッ!

 水虬(ミヅチ)ッッ!

 準備しろぉっ!

 ガレアァッ!

 解禁だァッ!

 このまま落下したら奴に攻撃を仕掛けろォォッッ!」


〖ヘイッ!〗


〖わかりんした〗


【おおッ!?

 ようやくかッッ!

 竜司ィッッ!

 俺は尻尾で行くッッ!

 攻撃を合わせやがれェッ!】


「わかったっっ!」


 最高高度に達した僕ら。

 重力が僕らを地表に吸い寄せる。


 落下。

 ぐんぐんスピードを上げる。


 僕は右足を高く大きく上げた。

 まだ両脚の魔力注入(インジェクト)は有効な筈だ。


 こうなったら使い倒してやる。

 隣でガレアは自身の尻尾を股から上へ持ち上げていた。


 ニヤリ


 その様を見て僕は笑った。

 何にって僕とガレアが考えている事は大体同じだったから。


 僕は落下のスピード+重力+魔力注入(インジェクト)のパワーを全て右踵に込めて渾身の踵落としを食らわせる気でいた。


 多分ガレアも一緒。

 力を尻尾に込め、渾身の打ち下ろしを放つつもりだ。


 落下はしているが地表に辿り着くまでまだ数秒ある。


 あ、ここで僕は思いついた。

 回転も加えてやれと。


 地表まで後1.5秒。


 近づいて来た。

 まだ。

 まだ回転し始めるのは早い。


 後0.7秒。


 ここだ!


 グルンッッ!


 僕は右踵を上げた状態で素早く縦回転。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっ!!!」


 気合の叫び。


 視界には僕を怨みの念を込めて射る様に見つめる中田の両眼と頭上でクロスガード体勢のドス黒い紫色の両腕。


 ドコォォォォォォォォォォォォォォォォォンッッッッ!!!


 インパクト。

 巨大な衝撃音。


 ブチィィィィィィィィィィッッッ!


 続き引き千切られる様な音も響く。

 僕とガレアの一撃は中田本体に命中した。


 僕の右踵は中田の左肩に。

 ガレアの尻尾は右肩に。


 クロスガードしていたドス黒い紫色の両腕を引き千切って。


 ビュンッ

 ビュンッ


 ドチャァッ……


 弾け飛んだ受憎腕の残骸は余りの勢いに舞い上がり、地に落ちる。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっ!!!」


 命中したが僕はまだ止まらない。

 更に右脚へ力を込める。


 ブンッッ!


 そのまま右足を振りぬいた。

 体勢が崩れる中田。


 タッッ


 ギュルゥゥゥゥッッッ!


 落下の衝撃を全て中田に伝えた僕は左脚で着地。

 そのまま高速タービンの様に腰を回転させる。


 ボコォォォォォォォォォォォォォォォォンッッッッ!!


 激しい回転の勢い+僕の体重+魔力の力。

 全てを右足に込める。


 そのまま灼炎の様な右ミドルキックを腹に炸裂させた。


 さっきと遜色無い程の巨大な衝撃音が響く。

 まるで大量の爆弾を一息に爆発させた様。


 ギュンッッ!


 そのまま後方へ吹き飛ぶ中田。


 ベキィッ!

 ボキィッ!


 勢いは激しい。

 ぶち当たった木々を力任せにへし折り、更に吹き飛んで行った。


 バシャッッ!


 そのまま林を突き抜け、公園内にある小川の水面を撥ね、そのまま遠くへ消えて行った。

 もう目視で確認は出来ない。


「ふうっ」


 さっきの大きな音が嘘の様に辺りは静寂が包んでいた。


 僕の足元はクレーターの様に凹み、瓦礫や僕が引き千切った受憎腕の残骸が二本。

 目の前には木々がへし折れ、真っ直ぐ道の様に続いている。


 周りの惨状。

 僕とガレアの攻撃が如何に凄まじい物だったかを物語っている。

 改めて魔力注入(インジェクト)の凄さを痛感した。


【へぇ……

 弱っちい人間にしちゃ、やるじゃねぇか竜司よ】


「だろ?

 …………プッ……」


 僕は噴き出した。


【何だ竜司。

 急に笑いやがってよ】


「いや……

 別に打ち合わせした訳じゃないのに二人共綺麗に縦回転したのがちょっとおかしくってさ……

 僕らって似た者同士なのかもね」


【へへっ、かもな】


 ニヤリ


 聞いたガレアの爬虫類顔がニヤリと笑った。


(かしら)ァァッ!

 ものごっつい一撃じゃったのうっっ!

 わしらの出番なんざありゃしませんけぇっ!

 のう水虬(ミヅチ)ィッ!?〗


ほんざんす(本当です)なあ……

 しかもガレアはんとのまことに仲の良ろしゅう所を見せつけちゃってからに……

 少ぉしジェラシーが湧くでありんすなあ……〗


「まあ、お前達と違ってガレアとは付き合いも長いし……

 ね?」


 とりあえず宥める僕。


 それよりも中田だ。

 中田はどうなった?


 僕は全方位(オールレンジ)内を再確認。

 中田が飛んで行った方向を見つめる。


 別に全方位(オールレンジ)が発動していれば見なくてもある程度、確認は出来るから目を向ける必要は無いんだけどね。


 目を向けたのはいつもの癖だ。

 向いた僕がまず抱いた感覚は…………



 違和感。



 さっきの風景と違う気がする。

 何が違うんだろう?


 網膜に映る風景だろうか?

 全方位(オールレンジ)内だろうか?


 解らない。

 とにかく感じたのは違和感だった。


 何だ?

 この違和感は?


 何だ?

 何が違う?


 辺りの風景を両眼、全方位(オールレンジ)内と(くま)なく確認。



 解った。



 無いんだ。

 何がって?


 受憎腕の残骸だ。

 二本共綺麗に無くなっている。


 何処に行った?

 さっきまでそこに落ちていたのに。


 僕は落ちていた場所に駆け寄り、確認。

 そこに在った物に愕然とする。


 受憎腕の残骸が落ちていた場所は既に何も無く、代わりに無数の小さな穴が空いていた。

 穴の数はかなりの量。


 その穴はもう一本が落ちていた地面にも空いていた。

 穴一つ一つは小さいので遠目では解らない。


 僕はこの穴から連想した事に愕然としたのだ。


 僕は全方位(オールレンジ)内の中田を確認。


 光点に変化。

 その変化は僕の愕然とした予想を確定させるものだった。



 両腕が生えている。

 さっき引き千切った両腕がだ。



 おそらく足元の穴は受憎腕が地中を掘り進んで来た。

 無数の小さな(くち)を使って残骸を回収したんだ。


 全く音がしなかったのはおそらく一本一本は細かったからだろう。

 今、中田が倒れている所からは50メートルは離れている。


 それ程の長さの受憎腕をこれだけたくさん。

 しかも僕らが話しているあの短時間で生成する。


 ブルッ


 僕は身震い。

 もう何度目の震えか覚えていない。


 恐ろしい。

 そして受憎腕を回収したと言う事は…………



 中田が未だ健在と言う事を意味する。



 むくりと起き上がる中田。

 こちらへゆっくりと歩いて来る。


 その歩みに疲労やダメージが見られない。

 あれだけの一撃を受けたにも関わらず。


 まさにリビングデッドやゾンビ。

 こちらに歩いて来る光点はもう標的を駆逐するまで止まらない不死者。

 そんな風にも思えて来た。


 どうしよう。

 光点はゆっくりと迫って来る。


 どうしようどうしよう。

 迫る光点。


 どうしようどうしようどうしよう。


 光点に変化。

 その変化に身の毛がよだつ。


 顔面蒼白。

 顔から血の気が引いて行くのを感じた。


 光点から…………



 受憎腕が生えている。



 受憎腕を生やしながら、ゆっくりと歩速を変えず、こちらに歩いて来る中田。


 どうしようどうしようどうしようどうしよう。

 受憎腕の生成が止まらない。

 背中から何本も何本も何本も生成されていっている。


 全方位(オールレンジ)内の光点は今まで見た事無いような形になっている。


 肉眼ではまだ姿が見えない。

 全方位(オールレンジ)内の光点でしか確認出来ないその恐ろしい変化。


 目視出来ない為にその得体の知れない恐怖は倍増する。

 軽くパニックになる僕。


 何故中田は平気なんだ?

 それだけ大量の恨気が溢れていると言う事か?

 中田を止めるにはどうしたら良いんだ?

 あれだけの受憎腕を両手だけで捌く事なんて出来るのか?

 殺す?

 毒ガスの影響はもう無いのか?

 さっき枯れ木の様に呆然と立ち尽くしていたのは何なんだ?

 恨気は解毒作用もあるのか?


 何で僕には先輩の様な獲物が無いんだ。


 頭の中で疑問や後悔が混濁する。

 思考がまとまらない。


 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。


 ひとまず疑問に関しては目を(つむ)れ!

 今、自分にある有利性(アドバンテージ)を探せ!


 手数?

 違う。


 間合い?

 違う。


 回復?

 トントン。


 いや違う違う違う。


 何かあるはずだ!

 探せ!


 そうこうしている内に中田が小川を渡り始めた。


 グェーッ!


 何か聞こえた。

 何か断末魔の泣き声の様な。


 何の声だ?


 早く。

 早くしないと。


 そうこうしている内に追いついて来る。

 早く自分達が有利な点を探すんだ。


 光点が近づいて来る。

 二足歩行をする蜘蛛の様になった中田が近づいて来る。


 チュチューンッッ!


 見えた。

 衝撃的な映像が。

 遠目で見えた中田の行動に凍り付く。


 中田が取った行動は受憎腕を空に伸ばした。

 その伸ばした受憎腕が掴んだ物は…………


 野鳥。

 雀だ。



 こいつ、雀を喰ってる。



 悲鳴を上げた雀は一瞬で姿を消す。

 中田の(くち)で体内に吸収されたのだ。

 握り潰して殺した後に。


 自然に。

 まるで生理現象の様に雀を殺し、体内に吸収した中田に人とは大きくかけ離れた。

 生畜生(いきちくしょう)、人畜の印象を受けた僕は激しく動揺する。


「ガレアァァァァッッ!

 磐土(イワツチ)ィィィィッッッ!

 一旦退避だァァァァッッ!

 水虬(ミヅチ)ィィィィィィッッッ!

 タブンをォォッッ!

 タブンを撒いてくれぇぇぇっっ!」


 バンッッッッッ!


 僕は強く地を蹴り、この場から急速退避。

 一気に間合いを広げる。


 ザーーーッッッ!


 雨の様な音が遠ざかって行く。

 水虬(ミヅチ)がタブンを撒いたんだ。


 結局の所、僕らに在った有利性は距離。


 間合いでは無い。

 単純に距離。


 持っている情報の差と言い換えても良いかも知れない。


 向こうは僕らを両眼のみでしか確認出来ない。

 だが僕には全方位(オールレンジ)がある。

 動きからあとどれぐらいで接触するかまで解る。


 だけど決着が付く程の圧倒的有利では無い。

 ほんの些細な事。


 だから僕の取った行動は水虬(ミヅチ)の生成したタブンを使った足止め。

 これもおそらくさっきのホスゲンの様に時間稼ぎにしかならないだろう。


 全方位(オールレンジ)内を確認すると中田の歩みが止まり、倒れていた。

 良かった。


 今、僕はどの辺りに居るのだろう?

 改めて全方位(オールレンジ)内を確認。


 僕らはこの大きな公園?

 庭園の右上隅辺りにまで来ていた。


 この公園から出る訳には行かない。

 知ってか知らずか中田が戦場として選んだこの公園は好都合だったんだ。

 人の往来が無いから。


 何故か僕以外の人間は一人も居ない。


 少し後ろを見るとガレアもピッタリ付いて来ていた。

 磐土(イワツチ)水虬(ミヅチ)も一緒だ。


「ガレアッッ!

 方向を変えるぞっっ!

 しっかり付いて来いっっ!」


【誰に向かって口聞いてんだっっ!】


 ガンッッッッ!


 僕は強く地を蹴って、鋭角に方向急転換。

 北東に進んでいたのを南南西に変更。

 僕らは南下する。


 ギャギャギャギャッッッッ!


 小川を超えた辺りで急ブレーキ。

 これだけ離れれば大丈夫だろう。


 ギャギャッッ!


 ガレアも急ブレーキ。

 地滑りはガレアの方が圧倒的に少ない。

 これだけでもガレアの方が優れているのが解る。


 僕らはちょうどさっきの咲いていない花畑の右側にある林にまで辿り着いていた。


 中田は…………

 僕らの居る位置から北西方向。


 小川を挟んですぐの道で倒れている。

 耳を澄ませても雨音は聞こえない。


水虬(ミヅチ)……?

 タブンは……?」


楼主(ろうしゅ)はんが何も仰らんからまだ降っとるでありんすよ〗


「………………もう一度確認するけどタブンでは死なないんだよね……?」


〖言うても(けが)れた人間共が自分ら殺す為に作ったガスでありんすからなあ…………

 いくら希釈してもそらたくさん吸えばオダブツでありんすよ〗


「わーっっ!

 とっ……!

 止めてぇぇっ!

 もう充分だよっっ!」


〖そうでありんすか?

 なら……

 ホイ。

 もう綺麗サッパリ無くなりんしたぇ〗


 どうやら精霊と言う種は人間の命を毛程も重要視していない。

 主の僕は大切かも知れないが、他の人間の命は塵芥(ちりあくた)以上に軽いのだろう。


 人間の前に“(けが)れた”と付けているのが良い証拠だ。

 精霊達は他の人間の命は救わない。

 僕の指示が無い限り決して救わない。


 ただヒナと話している久久能智(ククノチ)を思い出すと子供なら可能性はあるかも知れない。

 やはり重要なのは救う対象が(けが)れているか(けが)れていないかなのだろう。


「ホッ……

 良かった……

 ふう……」


 僕はようやく落ち着ける一瞬を見つけた為、へたり込んで一息つく。

 ギリギリ張り詰めた糸の様な緊張がようやく少し解れた。


 思えば受憎刃での刺突から始まり、空に逃げた。

 そして久久能智(ククノチ)の蔓で絞首したが気絶せず、戦いは続行。


 地中からの受憎棘で奇襲をかけられたが寸前で回避。

 再び空へ逃げるも伸ばした受憎腕に捕らえられ、地上へ投げ飛ばされた。


 近接戦闘を挑み、恨気に侵され、何とか復活して一撃を叩き込めたが、中田は未だ健在で無数の受憎腕を生やし迫って来た。


 ビビった僕は水虬(ミヅチ)にタブンを降らせ、足止めをして全力回避。

 そして現在に至る。


 目まぐるしく変化する戦況。

 だが時間にしたら一時間も経っていないんじゃないだろうか?


 ずっと緊張しっぱなしだったから疲れた。

 気疲れだ。


水虬(ミヅチ)……

 さっきのリポビタンD頂戴」


〖はいな……

 楼主(ろうしゅ)はん、あーんしておくんなんし……〗


 右人差し指を僕に向ける。

 毎回これをやらないといけないのだろうか。


「ねえ水虬(ミヅチ)……?

 毎回、これをやらないと……

 駄目……?」


〖ふふふ……

 だーめっ……

 でありんすぅ……

 これはわっちの楽しみでありんすからぇ……〗


 駄目だこりゃ。

 僕がスキルで出したはずなのに聞きやしない。


「わ……

 わかったよ……

 あとリラックス出来る飲み物とかあったら飲みたいんだけどお願い出来る?」


〖わかりんした……

 ほら……

 あーん……〗


 しょうがないから僕は素直に口を開け、水虬(ミヅチ)の指を咥える。


 チュチュウ


 ゴクンゴクン


 チュウチュウ


 ゴクンゴクン


 人差し指から考えられない程の水量が溢れて来た。

 どんどん飲み込み身体に取り込まれる。


 途端に身体が軽くなる。

 相変わらず物凄い即効性と効果だ。


「ふう……

 リポD(リポビタンDの事)はもう良いや」


〖おや?

 もういいざんすか?

 ならお次はこっちでありんす……

 はい、あーん……

 フフフ……〗


 続いて差し出したのは右中指。

 水虬(ミヅチ)の差し出すものなら僕に不都合は無いだろうと素直に咥える。


 チュウチュウ


 ゴクン


 中指も同様。

 有り得ない程の水量が溢れて来る。


 あれ?

 これオレンジジュース?


 いや……違う。

 別果物の匂いもする。

 あと花の香りもほのかに。


 チュウチュウ


 ゴクンゴクン


 どうでも良い事かも知れないけれど、水虬(ミヅチ)が居れば渇き死にする事は無いなあ。


 戦闘中に何を呑気なと思うかも知れないけれど、この呑気な考えこそが今飲んだオレンジ風味の飲料の効果だったんだ。


「ふう…………

 ねえ水虬(ミヅチ)……

 これって一体何の飲み物?」


〖人間共がつくった“ちるあうと”って飲み物らしいでありんす……

 もちろん(かて)で即効性やら効果やらは増加しとりますぇ……〗


 チルアウト?

 聞いた事無いなあ。


「そんなの聞いた事無いなあ」


〖わっちがリンク張ったんは研究所みたいな所でありんしたから、まだ販売されとらんの知れんせん(知れません)なあ……

 一か所にしか無かったですんし……〗


 あ、そうか。


 水虬(ミヅチ)がリンクを張る条件は液体である。

 ただそれだけなんだ。


 人間社会で販売されているかは関係ない。


「へえ…………

 それってどんな効果があるの?」


〖フフフ……

 楼主(ろうしゅ)はん……

 いかがでありんすか……?

 さっきと比べて気持ちが落ち着いてはござりんせんか……?〗


 そう言えば。

 さっきまで動悸が激しかったのに正常な鼓動に戻った。

 感じていた焦りや恐怖も大幅に薄らいでいる。


「そ……

 そう言えば……」


〖今、楼主(ろうしゅ)はんが飲みんしたモンにはGABA(ギャバ)やらテアニンやら麻の実やらが入っとるでありんす……

 どれも鎮静効果に優れてます……

 それにプラスわっちの(かて)で効果や即効性を増しとるでありんすぇ……〗


「うん……

 まさに欲しかった効果はこれだよ。

 これで落ち着いて作戦を立てられる」


〖フフフ……

 楼主(ろうしゅ)はんのお役に立ててわっちは嬉しいざんす……〗


「それにしても水虬(ミヅチ)

 よくGABA(ギャバ)なんて知ってたね。

 液体とは関係無いんじゃないの?」


〖フフフ……

 楼主(ろうしゅ)はん……

 何言ってるでありんす……?

 液体に溶けたもんならわっちの領分でありんすぇ……〗


 戦闘中にも関わらずこんなどうでも良い事も聞ける。

 僕がどれだけ落ち着いているかが解るだろう。


 凄い飲料だ。

 チルアウト。

 販売されたら僕も買おう。


 ■ChillOut(チルアウト)


 大阪の合同会社Endian(エンディアン)が製造、販売している日本初のリラクゼーションドリンク。

 GABA(ギャバ)、テアニン、ヘンプシード(麻の実)エキス等を配合。

 どれも鎮静、リラックス効果に優れた物質。

 微炭酸の柑橘系の味で麻の実の風味がする。

 2018年日本で発売。

 東京渋谷近郊のローソン、セブンイレブン、自動販売機で買う事が出来る。

 ネット購入も可能。


 (水虬(ミヅチ)が販売されていないと言ったのは劇中が2017年の為です)


 水虬(ミヅチ)のお陰で落ち着いて作戦を立てられる。


 さてどうしようか。

 今、中田は倒れているが健在だろう。


 僕の拳で決着をつける。

 この考えは変わらない。


 僕は全方位(オールレンジ)内を確認。


 中田はまだ倒れている。

 だが受憎腕は生やしたまま。

 蜘蛛の様にたくさん生やしたままだ。


磐土(イワツチ)水虬(ミヅチ)

 一旦また全方位(オールレンジ)を発動し直す」


〖わかりもうしたっ!

 そんで次の精霊はどうするんですかいのう?〗


 大体、次の予定を確認するのは磐土(イワツチ)なんだよな。

 だけど申し訳ないが次は休憩。


 久久能智(ククノチ)水虬(ミヅチ)で行く気だった。


「うん……

 次は久久能智(ククノチ)水虬(ミヅチ)で行こうと思う」


〖えぇっ……!?

 そっ……

 そうですかい……

 残念じゃのう……〗


 なで肩の牙を生やした巨大な岩人間がションボリしている。

 あまり見れない光景。


「あぁっ!?

 磐土(イワツチ)ッッ!

 ガッカリしないでっっ!

 僕は次の作戦で終わるなんて思って無いからっっ!」


 僕は次の作戦で決着がつくとは思っていない。

 多分、中田との戦闘は長くなる。


 磐土(イワツチ)の防御力は必要になる。

 絶対に。


〖そ……

 そうですかい……?

 わしにも出番はあるけいのう?〗


「あぁっ!

 あるっ!

 絶対にっっ!

 僕はこれでもお前を頼りにしてるんだから」


〖わかりもうした……〗


「じゃあ、一旦解除するね」


 全方位(オールレンジ)解除。


 磐土(イワツチ)を出さないで護りはどうするのって思うでしょ?

 この時の考えでは磐土(イワツチ)はおろかガレアも攻撃に使う気は無かったんだ。


 今回の作戦は防御に関しては精霊を使わない。

 久久能智(ククノチ)には相手を捕縛、攻撃サポートを。

 水虬(ミヅチ)には回復を頼む気でいた。


 ならば防御はどうするのか?

 僕はようやくあのスキルを試す気でいたんだ。



 神通三世(プリディクション)を。



 ###

 ###


「はい……

 今日はここまで。

 (たつ)、どうだった?」


「思ったほど辛くは無かったよ。

 パパ、カッコよかった。

 後半少し情けなかったけど。

 キシシ」


「だっていくら竜河岸でスキルが使えるったって、僕はそこらに居る14歳と気持ちは変わらないんだもの。

 そりゃ気持ち悪いものは気持ち悪いし、怖いものは怖いんだよ」


「上空から一回転して踵落とし、喰らわせる14歳なんていないと思うけど」


「まぁ、そりゃね。

 さぁ今日も遅いからおやすみなさい」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ