第百七十二話 輪攻墨守(渇木戦③)
氷鋸を奪われてしまった。
「あぁっ!?
コラァッ!?
返せェッ!?」
ブブブ…………
ドス黒い紫色の受憎腕に持たれた氷鋸は空に掲げられた。
元の手から離れると次第に振動していた刃先も止まり出し、やがて何の変哲もない氷鋸となる。
バキバキバキバキバキ
二本の受憎腕が氷鋸を破壊。
二つの拳が強烈な力で粉々に。
恨みの心を現すかの様。
バラバラ……
「コラァッ!
その氷鋸ォッ!
6万もしたんやぞぉっ!!」
元が文句を叫ぶ。
通常の氷鋸は高くても3万8千円ぐらいなのだが、元の使っていた氷鋸は特注品の為、高いのだ。
渇木はと言うと、氷鋸を破壊する為に掲げた二本の受憎腕をボーッと見上げている。
もう氷鋸は粉々に砕け、地に散らばり落ちたにも関わらず。
依然として生えている夥しい量の受憎腕も停止している。
現在の元は獲物を失い、渇木からすれば絶好の機会の筈。
なのに何故、渇木は動かないのか?
その理由は簡単に言うと晴れたからである。
晴れる。
文字通り恨みが晴れたのだ。
これは恨気の特質。
恨気とは恨みのエネルギー。
対象を恨む事で無尽蔵に生み出される。
それを動力として刑戮連は式を扱う。
受憎腕も同様。
恨気を動力に動かしている。
恨みが晴れると恨気はどうなるのか?
それは消失。
霧散してしまうのだ。
対象を恨む事で生まれた恨気。
その対象が消えれば霧散する。
そういう仕組みである。
渇木は元の氷鋸にかなりの恨みを抱いていた。
その恨みはそのまま恨気に成り代わり、身体中に溢れて動いていたのだ。
その大量の恨気が一気に霧散した。
渇木が現在止まっているのはそれが理由。
「おいベノム」
元がベノムを呼びつけた。
無言で近づいたベノムは何も言わないまま亜空間を開く。
元が呼びつける時は決まって亜空間が必要な時である。
その事はベノムも知っているのだ。
そのまま亜空間に手を入れる元。
取り出したのは大型サバイバルナイフ。
刃はこぼれてボロボロだ。
このナイフはかの静岡で自衛隊から頂いたもの。
ブレードサイズは25センチ。
ナイフの中でも大型だが、70センチを誇る氷鋸に比べると見劣りする。
「高周波」
ブブブブブブブブブ
ナイフの刃が超高速強振動。
「踊さん……
アイツどないしたんでっしゃろ?
ずっと動きまへんで……」
「多分…………
恨みが晴れたんじゃねぇか?
あの笑い事っちゃねぇ異常な動き……
アイツ、元の鋸を相当恨んでたんだろうぜ……」
ここで踊七は考える。
産まれた恨気はどうなるのかと。
その考えは刑戮連の行動原理の理解に繋がる。
刑戮連の行動原理。
それは恨みを晴らす事。
恨む事で沸いたエネルギーを消失させる為に行動しているのだ。
人間は生きる為に食事をしてエネルギーを得て消費し暮らしている。
が、式使いは違う。
エネルギーを消費・消失する事自体が目的なのだ。
その行動原理は自慰行為に近いのかも知れない。
たかだか自慰を行う為に周りへ多大な被害をばら撒くのだから迷惑この上ない。
踊七は渇木の行動停止が恨気の消失が理由と言う事を気付いていた。
だが、その気づきはあまり有利にはならない。
何故なら…………
「………………はラ………………
へた…………」
渇木の呟き。
何故なら氷鋸が大破したとしても渇木の恨みは食、空腹等にある。
まだまだ恨気は募れると言う事だからだ。
依然として少しの空腹感がある。
物凄く気持ち悪い感覚を抱いてるまま。
その感覚は恨気を生成する事に直結する。
となると…………
「来るぞォッッ!」
踊七の声。
ズボァァァァァァァァッッッ!
渇木の背中から大量の受憎腕が急生成。
こうなる訳である。
ビュンッッ!
血に飢えた獣の様に飛び掛かって来た渇木。
先に生成した受憎腕と合わせてその総数は二十以上。
文字通り紫色の大群。
しかもただでさえ動きの速い受憎腕。
それが本体の超速移動も加わり、更に速度は倍加する。
ガァンッッ!
ガガガガガガガァァァァァッッンッッッ!
連続して響き渡る衝撃音。
迫る受憎腕の大群を日矛鏡一本で受ける踊七。
目が慣れてなかったらヤバかった。
何とか現在の猛攻を受けれたのは今までの渇木との戦闘で超速で動き回る受憎腕を見ていたからだ。
ガガァンッッ!
ズバァッ!
ガガガガァァンッ!
ザンッッ!
隙あらば、受憎腕に刃を立てて切断。
だが2、3本切断しても猛攻は止む気配を見せない。
「くそっ……
笑い事っちゃねぇ……」
愚痴を零しつつ、踊七は違和感を感じていた。
おかしい。
何に違和感を感じたのか?
それは先の攻撃との差。
先の攻撃では刃を立てる隙を与えない程の猛攻だった。
が、今は何本か切断出来ている。
眼がそこまで慣れたのか?
いや、例え魔力注入を発動したとしても馴化が促進するなんて話は聞いた事は無い。
となると考えられるのは、何らかの理由で攻撃が雑になった。
この踊七の推測。
正解は後者。
渇木の踊七に向けられる攻撃が雑だったのだ。
ならば攻撃のウェイトは何処に割かれているのか?
その答えはすぐ側にあった。
ズバァッ!
ズババババァァッッ!
ザンッ!
ザンッ!
連続して響く斬撃音と切断音。
元の高周波ナイフが迫る大量の受憎腕を次から次へと切断して行っていた。
そう、渇木の猛攻はほとんど元に割かれていたのだ。
氷鋸を粉砕して恨みは確かに晴れた。
だが、渇木の目に映ったのは元がサバイバルナイフ。
別の獲物を持っている姿。
その様を見て新たな恨みが湧いたのだ。
もはや渇木は元が獲物を持つと恨みが湧く様になっていたのだ。
従って踊七よりも元を優先して攻撃をすると言う訳である。
元の高周波ナイフはさきの氷鋸と変わらない切れ味。
向かって来る受憎腕を次々と斬り捨てている。
氷鋸からサバイバルナイフに獲物が変わった事。
これにはメリットとデメリットがある。
まずメリット。
それは取り回しの良さ。
ナイフの中では大型でも氷鋸に比べると大分小さい。
それによって氷鋸よりも素早く振り回せるのだ。
加えてブレードサイズが短くなった事により、奪われにくくなっている。
そしてデメリット。
ビュンッ!
元の高周波ナイフが空を斬る。
単純な話。
刃が短くなった事で間合いが短くなったのだ。
「くそっ……
こればっかりはなぁ……
どこぞの漫画みたいにカマイタチみたいなん飛ばせたらええねんけど」
元が愚痴を零す。
高周波と言うスキルは持っている武器に超振動を送り込むだけのもの。
漫画やアニメである様な異能で獲物の間合い以上の遠隔攻撃を可能とするものでは無いのだ。
ガガンッッ!
ガガガガガンッッ!
変わって踊七は超速で迫る受憎腕の群れを捌いていた。
【ムウ……
踊七よ……
コイツは人間なのか……?】
様子を見ていたナナオの言葉。竜の眼に映るのは背中から夥しい量のドス黒い紫色の受憎腕を生やし、二人を攻撃している渇木の姿。
その様があまりにも人間、いや生物とかけ離れていた為、出た言葉。
竜も驚嘆する化物。
それが式使いである。
「さあな……
ただ笑い事っちゃねぇぐらい狂っているのは確かだっ………………
ってなぁっ!」
ガガンッ!
ガガガガンッッ!
「元ッッ!
大丈夫かァッ!?
やられていないかぁっ!?」
ズバンッ!
ザンッ!
ザンッ!
ズバババンッ!
元は次々来る受憎腕の猛攻を切断し続けている。
だが猛攻は止まない。
いくら二十以上の受憎腕を生やしていても切断して行けば猛攻は弱まるのではないかとお思いかも知れない。
が、それは否。
理由は切断された受憎腕を渇木は即回収。
再生成を行っているからだ。
踊七と元が切断。
斬り落とされた残骸を渇木が回収。
再生成。
その繰り返し。
戦闘は持久戦。
泥試合に突入していた。
ドボォォォォォォォォォッッ!
隙を突いた踊七の強烈な蹴りが渇木の腹に炸裂。
踊七も泥試合を甘んじて受けている訳では無かった。
超速で迫る受憎腕を捌きながらゆっくり。
ゆっくりと間合いを詰めていたのだ。
そして蹴りの射程まで間合いを詰めたから放ったのだ。
もちろん魔力注入発動済。
渇木は攻撃していた受憎腕の群れごと真後ろへ吹き飛ぶ。
ザシャァァァァァァァッッ!
特に受け身も取らず飛ばされるまま、地を滑る渇木の身体。
「キリがねぇな……
笑い事っちゃねぇ……」
「ホンマですわ踊さん。
ナンボ倒しても起き上がって来ますしね」
「ああ……
こっちは竜司の加勢に行かなきゃならねぇってのに……」
「……あの方向……
確かデッカイ公園があった筈ですわ」
竜司が飛んで行った東の空を見上げて呟く元。
東京ドームの東にある公園。
小石川後楽園の事である。
中田が竜司とガレアを連れ去った場所。
「それにしてもコイツの身体はどうなってやがんだ……
笑い事っちゃねぇ……」
倒しても倒しても起き上がり、斬っても斬っても次々と触手を生やす渇木の化物じみた能力に苦言を呈す踊七。
「痛覚無い言うんはホンマに厄介でんな……」
「ああ……
しかもこっちは殺せねぇからな……
加具土命は使えん……」
加具土命。
五行魔法の第二顕現。
火行の強術である。
巨大な火災旋風を起こし標的を焼き尽くす。
内部の温度は1000度を超える。
一度巻き込まれたら風速100メートルクラスの激しい渦を巻いた上昇気流と炎により、酸欠と熱地獄で瞬く間に絶命する。
それは例え化物の式使いと言えども同様である。
「ワイの貫通も当たり所が悪かったら死んでまうからなあ」
貫通とは魔力注入を習得した元が編み出したスキル。
集中と魔力移動を駆使して、魔力を言わば尖らせる様に拳へ集中し、放つ一撃必殺のスキル。
震拳は拳を震わせるが、貫通は違う。
集中した魔力自体を震わせるのだ。
強振動した魔力の棘をインパクトの瞬間標的の体内に送り込む。
すると巨大な貫通力が産まれ、衝撃が標的を破壊する。
貫通力は物凄く、竜の分厚い皮膚も貫く。
このスキルは対人に考案されたものでは無い。
対竜用に編み出されたもの。
よくエアガンの注意書き等で人に向けて撃っちゃいけませんと言うものがあるが、文字通り元の貫通がそれに当てはまってしまう。
まだ渇木は起きない。
大の字に倒れ、天を仰いでいる。
踊七、元も油断はしていない。
寝ている渇木はまだ健在と注意を払っていた。
払っていた筈だった。
が、それはあくまでも視線を送っている渇木の身体。
脅威は背後からやって来た。
ボコォォォォォォォンッッ!
突然背後の床石が割れた。
中から飛び出て来たのはドス黒い紫色の受憎腕。
ガシィィッッ!
「ナニィッッ!」
踊七らは気付いたが時すでに遅し。
元の足首を強く、鶻が掴む。
これは渇木の戦法。
受憎腕で地中を掘り進み、元の背後まで伸ばしていたのだ。
これは十拳、鞭子戦でも見せた戦法。
地中を掘り進む程のパワーを出せるのは渇木の特色。
膨大な恨気の許容量が成せる技。
ボコボコボコボコボコボコォォォォォッッ!
受憎腕が飛び出た穴から物凄い速さで線状に次々床石が割れて行く。
地から出て来たのは恐ろしく長い受憎腕。
渇木の背中に続いている。
仰向けで寝ている渇木に変化は無い。
夥しく生えている受憎腕もそのままに見える。
見た目に変化が無いのは渇木の狡猾な所。
眼に見える受憎腕はそのままで自身の身体で潰れている腕や見えない腕は全て体内に格納していたのだ。
その恐ろしく長い受憎腕は10メートル以上ある。
グァァァァァァッッ!
80キロある元の巨体が軽々宙に浮かぶ。
10メートル以上離れていると言うのに驚異的なパワー。
込められた恨気の大きさが伺える。
バッッ!
素早く立ち上がる渇木。
膝を曲げたり、腕を支えたり等そんな所作はしない。
寝たままの姿勢で突然起き上がったのだ。
元を逆さ吊りにしたまま……
「………………カん…………
げ……
ホう…………」
渇木が呟いた。
「グァァァァァァッッ!!」
掴んだ元の足首から黒く変色。
長い紫色の腕が波打つ。
感染減法を仕掛け来たのだ。
苦悶の声を上げる元。
「元ッッ!」
ダッッ!
ザンッッッ!
踊七が飛び上がり、日矛鏡で受憎腕を切断。
ドサァァァァッッ!
拘束を解かれた元の身体が地に落ちる。
「グウゥゥッ……」
足首を押さえ、悶える元。
「元ッッ!?
魔力注入を使えっっ!」
踊七からの指示。
元からの返答は無いが足首の黒さがみるみる内にひいて行き、元の血色に戻って行った。
魔力注入を使用し、恨気除去を行ったのだ。
即座に立ち上がる元。
「隙見せたらすぐコレや……
恐ろしいやっちゃのう……
ホンマにあいつ人間か……?」
「ああ……
元……?
闘れるか……?」
「アホな事聞かんといて下さいや踊さん。
ワイはまだまだ闘れまっせ」
「へっ……
笑い事っちゃねぇぐらい上等っっ!」
踊七と元は渇木に向かって身構える。
ニヤァァァァァッッ!
ここで渇木に変化。
表情の変化。
口の形が変わったのだ。
口角を持ち上げ、弧を描く形。
一般人であれば笑顔と称される形。
だが渇木の場合は笑顔、笑っていると断じて良いのかが解らない。
恨み以外の感情があるのかどうかも解らないからだ。
ただ形が変わった。
単なる表情筋の変化の様にも思える。
「踊さん……
アイツ……
何か笑っとりません……?」
「あぁ……
けど、こんな気持ち悪い笑顔は初めて見るぜ……
笑い事っちゃねぇ……」
渇木の表情筋変化には理由がある。
それはさっき元に仕掛けた感染減法が関係している。
元の体力を吸い取った事により、渇木は満腹になったのだ。
この口を弧に曲げた表情は恨みが晴れたからである。
その気持ち良さに自然と口が弧の形に変化した。
これは渇木がまだ渇木だった頃ならば笑顔と称される。
が、現在の渇木は恨気に脳をやられ感情らしい感情は消えている。
残っているのは欲(食欲)を満たす事と恨む事だけ。
単一プログラムを実行するだけの機械の様。
笑顔に見える表情筋の変化は渇木が人間だった頃の名残なのだ。
晴れて満腹になった渇木。
先程まであった少しだけの空腹が残っている物凄い気持ち悪さは消えた。
これは体内の恨気が消失する事を意味する。
しかも大量の。
少量の空腹感が産み出した恨気は膨大。
それもそのはず、空腹は恨みの根源である“食”に通ずる部分なのだから。
恨気が無くなったのであれば弱体化しているのではないかとお思いかも知れない。
だが、それは無い。
何故なら空腹が解消されたとしても先程から邪魔をして来る敵は未だ健在なのだから。
膨大な量の恨気を消失しても、右から溢れる様に恨気は湧くのである。
常人離れした起き方をした渇木。
まだ動いていない。
恨気を募っているのだろうか?
いや…………
違う…………
攻撃は…………
既に始まっている。
「ムッ!?」
「ハッッ!?」
踊七と元が何かに気付いた。
バッッ!
ダッッ!
即座に空高く飛び上がる二人。
ボコォォォォォォォンッッ!!
床石を砕きながら飛び出して来たのはドス黒い紫色の…………
棘。
それが無数に飛び出して来たのだ。
あのまま地面にいたら確実に串刺しになっていた。
音らしい音は全くしていなかったのに何故、踊七と元は気付けたのか?
踊七はあの笑顔に似た表情と全く動かない所に違和感を感じた為。
多分何らかの恨みが晴れたのでは?
あの表情は恨みが晴れる時に見せる愉悦感の様なものだろう。
となると体内の恨気は消失した。
だが、表情を変えない渇木にますます違和感を感じる。
となると恨気は充分にある事になる。
だが、攻撃して来る様子は見えない。
受憎腕を追加する様子も無い。
ここで踊七の脳裏に過ったのは先の攻撃。
地中攻撃である。
時間にすると僅か数秒の間だったかも知れないが、踊七の頭の中は超速で考えが巡っていたのだ。
これが踊七の気付き。
続いて元。
元もすんでの所で地中からの攻撃に気付き、何とか回避できた。
超速で十重二十重の考えを巡らし、答えに辿り着いた踊七とはうって変わってシンプルな話。
足の裏から震動を感じたのだ。
どう言う理屈か解らないが、渇木の受憎腕が地面を掘り進む際にほとんど音がしないのだ。
無音。
だからこそ、付けた不意。
だが音はしなくても地面は衝撃で揺れる。
だが、その揺れも微かなもので一般人なら気付かず通り過ぎるレベル。
それを元が感じ取ったのだ。
これは使役している竜がベノムである事が原因と言える。
ベノムは震竜。
地震を起こす事が出来る竜。
従って元のスキルは振動がテーマとなっている。
故に”揺れ”に関しては常人以上に敏感になっていた。
そして渇木の攻撃。
受憎腕の先端が鶻では無く、棘に変化していた。
この攻撃形状は十拳戦で見せたもの。
渇木は現在満腹。
従って恨みを晴らすやり方が”嬲る”と言う行為に変わったのだ。
ビュビュビュビュンッッッ
空中にいる踊七達に向かって受憎腕を繰り出して来る渇木。
その数は四本。
しかもかなり速い。
空中では身動きが取れない。
この事を解った攻撃だ。
超速で迫る中、踊七は確かに見た。
受憎腕の先端が鶻では無く、棘に変わっているのを。
向かって来る本数は踊七に二本。
元に二本。
確かに空中で身動きは取れない。
竜河岸が異能を使えると言っても空を飛べる訳では無いからだ。
が、二人の手にはナイフと日矛鏡が持たれている。
身動きが取れなくても何ら問題は無い。
ザンッッ!
ズバァッ!
元は高周波ナイフで迫る二本の受憎棘を切断。
ザンッッッ!
だが、踊七が切断したのは一本。
ドスゥッッ!
踊七の左腕に鋭利な受憎棘が刺さる。
咄嗟にガードは間に合った。
スタッ
元は二本共切断した為、無事着地。
しかし踊七は左前腕部を貫かれている為、依然空中に居る。
「踊さんっっ!」
元が踊七の危機を感じ、救援に向かおうとする。
が、それは要らぬ心配だとすぐに気付く。
「グゥッッ……!!
くそっ……
いっ……
てぇなぁっ!!」
ズバァッ!
突き刺さっている受憎棘を切断。
突き刺さっていると言う事は動かないと言う事。
となると切断する事は容易いのだ。
スタッ
踊七も着地。
「くっ……」
着地の振動で踊七の左腕に激痛が奔る。
「踊さんっっ!?
大丈夫でっかっっ!?」
「あぁ…………
くっっ……」
ズボォァッ!
ボタボタァァッッ!
突き刺さっていた受憎棘を力任せに引き抜いた。
傷口から大量に溢れる鮮血が地に零れ落ちる。
カラランッ
投げた受憎棘の残骸を投げ捨てた。
と、同時に傷口が塞がって行く。
それはまるで映像ビデオの逆回しの様に。
踊七が魔力注入で治癒したのだ。
すぐに元通りになる。
「ふう……
どうやら体力を吸い取れるのは掌の形状だけみてぇだな……」
踊七は何故一本喰らったのか?
力量不足?
あの梵踊七に限ってそんな訳は無い。
敢えて一本喰らったのだ。
超速で迫る中、気付いた形状変化から咄嗟に行った判断。
この棘に変わると言う事がどういう事なのか?
掌と同じ様に体力を吸い取られてしまうのか?
判別をする為に喰らったのだ。
そして左前腕部を貫いた受憎棘。
身を焦がす程の激痛はするが、体力を吸い取られた感覚は無かった。
加えて、この受憎と言う術。
硬質化も出来る事が判明。
これは投げ捨てた残骸の落ちた音から判別。
受憎腕の硬質化。
これは刑戮連全員が可能なのだが、刃物に変質できるのは中田のみ。
他のメンバーはせいぜい棘止まりなのだ。
「元。
お前よくさっきの攻撃が解ったな」
「ワイ、揺れには敏感ですねん。
ほいでもアイツ、見た感じ変わってないのにどっから触手生やしたんやろ?」
「確かに……
身体のどこからも生えている雰囲気はねぇのにな……」
「!!!?
踊さんっ!
来るッッ!」
会話の途中で突然、元からの叫び。
バッ!
咄嗟にその場から離れた。
緊急回避。
ボコォォォォォォォンッッ!
床石が割れる。
中から無数の鋭い棘が突出。
元の危険信号が間に合い何とか難を逃れたが、この地中攻撃はヤバい。
何よりも掘削音など全く聞こえないのがマズい。
何らかの手を打たないと。
この地中攻撃にはいくつか謎がある。
何故見た目の違いは無いのに受憎棘で攻撃する事が出来るのか?
かなり間合いは離れているのに何故地を掘り進む音がしないのか?
今解っている事は地中から攻撃して来る事。
音がしない事。
あとは受憎棘は硬く鋭い事ぐらい。
魔力注入を発動しても身体を貫く。
ここで踊七の魔力注入を発動した時のスタイルについて注釈を入れておく。
踊七の魔力注入は貫通型。
基本は使用魔力をほぼ防御に振り、敵の攻撃を受ける等して、隙を作る。
そして少量の魔力を集中、発動して叩き込むのだ。
最終章第一幕で竜司との戦闘時に見せた様な戦い方。
今回の渇木戦でもそのスタイルで戦っているかと言うとそれは違う。
現在踊七の魔力注入における魔力配分はほぼ全身均等振り。
基本スタイルが有効なのはあくまでも対竜河岸の場合と言う事なのだ。
「元……
この攻撃方法はヤバい……
かなり……
お前は足元に意識を集中しろ……」
「わかってまっさ……」
踊七は元に指示しつつ、頭の中はフル回転で思考を巡らせていた。
あの棘はいつもの防御全振りではどうなのだろうか?
やってみるか?
いやいや、あのスタイルはやはり渇木戦では不向き。
何故なら防御に魔力をほとんど割いてしまうと他の身体能力はガタ落ちする。
もし通常の地上攻撃を仕掛けられたら多分捌き切れない。
この戦闘で一番重視すべきは機動力。
素早さだ。
次に考えたのは受憎棘の間合い。
射程範囲はどれぐらいなのだろうか?
「踊さんっっ!
跳べッッッ!」
考えている所に元からの怒号。
いや、危険信号。
ダンッッ!
バンッッ!
地を強く蹴る二人。
高く跳躍。
ボコォォォォォォォンッッ!
床石を激しく割り、地中から無数の棘が突出して来る。
切っ先はまっすぐ踊七達に向けられている。
また踊七の耳には何も聞こえなかった。
元の指示が無ければやられていた。
宙に舞い上がりながら、そんな事を考えていた踊七。
「ウラァッ!」
ザンッ!
ズバァッ!
「オラァッ!」
ザンッ!
ザンッ!
ズバァッ!
向かって来る受憎棘を叩き斬る。
踊七は日矛鏡で。
元は高周波ナイフで。
落下の障害は全て斬り捨てた。
あとは重力に逆らう事無く落ちるだけ。
スタッ
元と踊七は無事着地。
ビュビュビュビュンッッッ!!
だが、気は抜けない。
切断面から更に受憎棘を再生成。
着地した踊七らに襲い掛かる。
ガィンッ!
ズバァッ!
だが、それは想定内。
素早く立ち上がり切断。
ガガガガァァンッ!
切断されても怯まず、次々と向かって来る。
迫り来る無数の受憎棘を捌く踊七。
ズバァッ!
ザンッ!
元も負けじと受憎棘を切断。
さっきと同じ形。
捌いている中で踊七は見た。
受憎棘が作った穴から極細の受憎腕が紐の様に這いずり、自分達が斬った残骸に触れているのを。
その数はかなりの量。
次第に吸い込まれて行く残骸。
「元ッッ!
一旦離れろッッッ!」
ガイィィィィンッッッ!
最後に大きく横薙ぎ。
受憎棘を一気に捌き、素早くバックステップ。
元も続きバックステップ。
かなり間合いを離した二人。
その距離は約15メートル以上。
受憎棘は追撃して来ない。
「なるほどな……
色々見えて来たぜ……」
踊七の呟き。
「何が見えたんでっか?
踊さん」
「まずアイツが地中をどうやって音も無く掘り進んでいるかって事だ」
「どうやってるんでっか?」
「アイツは多分極細の受憎腕を大量に生成している……
それで地中を掘り進んでいるんだろうよ……
細いから音がしねぇんだよ……」
「え?
でも出て来とる棘は細ないやないですか」
「あぁ……
だから攻撃ポイントに辿り着いたら受憎腕を合体させて太い受憎腕……
いや棘を作り出しているんだ……」
「はーっ……
ようそないな方法考えつきまんなーっ。
アイツもしかして頭ええんやろか?
いや……
本能やな。
それにしても踊さん、ようわかりましたな」
「俺も気付いたのはついさっきだよ……
残骸を回収している細い受憎腕が確認出来なかったらわからなかった……」
「あー……
なるほど……
アイツが動かん理由解りましたわ。
触手を創っとんの多分足の裏ですわ。
足の裏で創っとるから動けへんのでしょうなあ」
元の考えは正解。
渇木は足の裏に大量の受憎腕を生成した。
全て紐の様に細い。
だが恨気を含有している為、見た目と反して物凄く強靭。
その極細の受憎腕でまず足元の床石を貫通。
地中に潜伏、潜行して踊七らの足元まで移動。
そこで受憎腕を合体させ太い受憎棘を何本か生成し、攻撃すると言う仕組み。
足の裏に生成できるのは渇木は両足とも裸足だから。
現在渇木は両脚共に受憎腕となっている。
十拳轟吏と飴村鞭子によって切断された為だ。
地中に這わした大量の受憎腕。
だからヤツは動かない。
動けないのだ。
巨木が大地に根を生やす様になっているから。
「フウ……
どうすっかな……?
これらの事が解っても正直な所あんまし有効じゃねぇんだよな……」
ガシガシと頭を掻きながらボヤく踊七。
その通り。
無音で攻撃して来る方法が解っても判別する方法が解った訳では無い。
依然として地中攻撃が脅威なのは変わらないのである。
「まあ確かに……
解る事言うたらアイツが動かん限り地中攻撃をして来る可能性が高いっっちゅう事ぐらいですからなあ」
「ん…………?
あ、そうか……
なるほどな……
俺とした事が見落としてたぜ……
笑い事っちゃねぇ……
攻撃手段が偏らせれるならまだやりようはあるかもな」
「どうするんでっか?」
「まず、アイツに近づく……
走っては駄目だ……
歩いて近づく。
そして射程に入ったら止まるんだ」
「なるほど。
ならワイは足元を意識すれば良いっちゅう事でんな」
元は踊七の言った歩いて近づくと言う言葉で意図を察していた。
踊七は地中攻撃を誘おうとしているのだ。
「そうだ。
察しが良いな。
さすが元。
そしてお前の合図で空に逃げた後、俺は五行魔法を使う。
生成するのは木の板だ」
「木の板?」
「そうだ。
沙土瓊尊でだ。
正確には木の床だな」
「木の床?
そんなん作ってどないしますのん?」
「それでこの辺り一帯を敷き詰める。
簡単に言ったらフタだな。
元、着地したら魔力注入全開で渇木に向かって走れ。
んでお前の持ってるナイフで受憎腕を斬りまくれ」
バシィッ!
「うひょぉっ!
何かワイ楽しなって来ましたわっ!」
作戦概要を聞いて血が沸き出した元。
勢いよく両拳を胸元で合わせる。
「元……
あんまし当てにすんじゃねぇぞ。
この作戦は俺の沙土瓊尊が受憎棘を防げて初めて成功するもんだからな」
やる気になっている元を窘める踊七。
その通り。
この作戦の肝はやはり踊七の五行魔法。
敷き詰めた木の床の硬度で受憎棘を防げなかったら何にもならない。
踊七の狙いは木の床により地にシールドを張り、棘で攻撃出来ない様にする。
そうなるとあと注意するのは目に見える受憎腕のみ。
渇木は新たに生成できない。
大量の受憎腕を地中に這わせているのだから。
これが踊七が立てた作戦の概要。
攻撃手段を強制的に偏らせるのだ。
「わかっとりまんがな。
そないな事言うても防げる自信はあるんでっしゃろ?
踊さん」
「へっ……
まあな……
じゃあ行くか」
「ヘイ」
踊七達は歩く。
走りはしない。
走ると渇木が攻撃方法を変えて来る可能性があるからだ。
ゆっくりと。
ゆっくりと歩きながら受憎棘の射程10メートルに侵入。
「よし……
止まれ」
現在踊七らは渇木から直線距離にして8~9メートル。
その地点で停止。
くるぅ~……
ゆっくり渇木がこちらへ振り向く。
場から動かない。
定点から動く気配は見せない。
となると地中攻撃を仕掛けてくる可能性が高い。
上手く誘いに乗ってくれよ。
ポケットに左手を入れ、小さな木の棒を握りしめながら切に祈る。
まだ元からの合図は来ない。
警察により避難が完了し、周りは人や車は一つとして居ない。
場を静寂がやんわり包み始める。
まだ元からの合図は来ない。
無言で対峙する渇木と踊七達。
何時間もこのまま過ぎ去るのではないか?
そう思わせるのに充分な静寂。
だが戦況は唐突に急変する。
「踊さんっっっ!
来るッッッ!」
元の叫び。
ダァァンッッ!
バァァンッッ!
合図と共に地を強く蹴り、空へ跳び上がる二人。
魔力注入発動済。
ボコォォォォォォォンッッ!
床石が激しく爆散。
地中から無数の受憎棘が飛び出してくる。
元の合図によって二人とも傷を負っていない。
空中で日矛鏡を咥えた踊七。
左手に小さな木の棒を握り、右指でL字を作りぐるり一回転。
両手首を交差。
これは五行魔法の形式。
この作戦を成功させたい。
その思いから取った所作。
「生順破棄ィィィッッ!
沙土瓊尊ォォォッッ!」
五行魔法発動。
その刹那。
踊七の頭にある疑問が超速で巡った。
違和感では無い。
疑問。
その疑問は自身のスキルに向けられていた。
五行魔法で物質を生成する時、必要なのは視認だけ。
生成地点に何か土壌や養分。
その他のものは特に必要としない。
イメージした物がイメージした地点に生成される。
さっきのサルナシの蔓を見れば解るだろう。
ここで踊七の脳裏に湧いた疑問点。
それはイメージした地点にイメージした物を生成する時、不純物があった場合はどうなるのだろう?
今回の作戦は上空から見える地上一帯に木の板を生成し、地下からの攻撃を防ぐと言うもの。
ここまで語ればもうお解りだろう。
そう、今受憎棘が数本地上から伸びているのだ。
踊七達を攻撃する為に。
先の不純物とはこの受憎棘の事。
この不純物がある状態で五行魔法を発動したらどうなるのか?
可能性としては三つ。
一つは受憎棘が切断されるケース。
木の板が空間に割り込む形になる為、そこにある受憎棘は断絶される。
もしこのケースならば戦い方の選択肢が広がる形になる。
もう一つは受憎棘だけ避けて生成されるケース。
遮蔽物、不純物に関してはノータッチ。
仮に木の壁を生成すれば、そこだけ穴が開く形。
そして三つ目。
これは最悪のケース。
ポイントに不純物があったと言う事でスキルがエラーを起こし、未発動。
生成されない。
今考えている事はあくまでも疑問。
もう既に五行魔法は発動してしまっている。
どうなるかは作ってみれば解る事である。
ブン
沙土瓊尊は広大な木の板を生成。
五行魔法の有効範囲は踊七が視認できる距離。
魔力注入を発動して跳んだのはより広く両網膜に収める為。
現状を確認する踊七。
木の床は無事生成されている。
最悪のケースでは無かった様だ。
見ると柱や植え込みなどはそのまま。
避けて生成されている。
これは踊七のイメージした物が“床”だからである。
だが、床に存在していた受憎棘はどうなったのか?
依然として生えたまま。
周りは木の床に囲まれた状態で。
特に断絶された様子も無い。
と、なると……
「元ッッッ!
着地したらすぐに棘を叩っ斬れェェッ!」
口に咥えた日矛鏡を右手に握り直した踊七が叫ぶ。
「わかってまっさぁっ!」
元も同じく跳躍している。
眼下に広がる光景に自分の役割を理解した。
スタッ
元着地。
両膝を充分に曲げ、衝撃を相殺。
素早く立ち上がる。
「発動ォォォォッッ!」
立ち上がる動作をしながら魔力注入発動。
ギュンッッ!
木の床を強く蹴り、前に飛び出す。
「ん?」
飛び出した瞬間、違和感を感じ少し俯く。
元は魔力注入全開で木の床を蹴ったのだ。
しかし、割れていない。
元が魔力注入全開で地を蹴れば、硬い床石すらも踏み抜いて割るぐらいの威力が出る。
が、木の床は全く割れていない。
少し凹んだ程度。
何と言う頑強さ。
踊七が生成したのはユソウボク。
一般名称ではリグナムバイタと呼ばれる。
ガクがダンスを披露する時に防音用に生成した物。(参照話:百三十八話)
■リグナムバイタ
ハマビシ科ユソウボク属の樹木、数種から得られる木材の総称。
特徴は防音だけでは無く、市場に流通する木材としては最も硬く重い木材とされ、特に硬さでは肩を並べるものは無いと言われている。
ただでさえ世界一硬い木材であるリグナムバイタ。
それに魔力を通している為、更に堅固となっている。
敷き詰められた木床はまさに堅牢の壁。
元の強烈な蹴りでもビクともしないのだ。
ザンッ!
スバァッ!
バスッ!
バスンッ!
ズバンッッ!
吹き荒ぶ疾風の如く駆け抜けた元は一息で飛び出ていた受憎棘五本全て斬り捨ててしまった。
その様はまるで剣術の達人の様。
だが、元はまだまだ止まらない。
ギュンッッ!
斬り捨てた残骸には一瞥もせず、更に前へ。
狙いは渇木本体に生えている受憎腕群。
ゴンッッ!
ガンッッ!
ゴンッッ!
元の進路上。
木床が勢いよく揺れる。
地中から受憎棘を繰り出しているのだ。
だが、魔力を通された鉄壁のリグナムバイタは受憎棘を通さない。
かつ重さも相当なもので恨気を溢れさせた受憎棘であっても持ち上げるぐらいが精一杯なのだ。
ここに踊七すらも考えていなかった大きなメリットがあった。
沙土瓊尊で生成した木床は一枚。
そう、一枚なのだ。
上空から視認できる範囲に生成された広大な木床。
普通であれば十以上のブロックに分割され、パズルのピースの様に分かれている物だ。
だが、それが一枚なのだ。
これが意味する事は何か。
巨大な木床の重さが全て圧し掛かると言う事だ。
揺らす事は出来ても持ち上げる事など到底出来よう筈もない。
揺らす事が出来ただけでも褒めるべきだろうか。
ダンッ!
ナイフの射程に近づいてきた段階で木床を蹴った元。
その軌道は低く遠く。
渇木は動かない。
生えている無数の受憎腕も。
これは渇木のミス。
元を仕留めようとした受憎棘に恨気を大多数使用してしまったのだ。
今、現在の渇木は恨気残量が少ない状態。
ザンッッッッ!
高周波ナイフ一閃。
その軌道は受憎腕数本を斬り飛ばす。
元の身体は超速で渇木を通り過ぎる。
ズザザザザーーッッ!
着地した元は大幅に滑って行く。
「うおっ!?
何やこの木。
表面ヌルッとしとる」
これはリグナムバイタの特徴。
中は25%もの樹脂を含有しており、質感としては油状。
さらに熱を加えるとガヤックと呼ばれる樹脂が染み出る性質も持っている。
その樹脂は潤滑剤としても使用される。
元が着地した事で発生した摩擦熱により樹脂が染み出て来たのだ。
「生順破棄……
第二顕現……
天火明命」
ボボウ
先程、元が斬った五本の残骸が発火。
既に着地していた踊七はすぐに憑代を持ち、自分のやるべき事を成していた。
「発動ッッッ!」
ダンッ!
着火を確認した踊七は即座に魔力注入発動。
渇木に向かって飛び出した。
元が斬り捨てた受憎腕の残骸に火をつける為だ。
手にはもう憑代が持たれている。
超速で疾走する中、左手でL字を作り一回転。
左手にはガス切れライター。
「生順破棄ィィィ!
天火明命ォォッッ!」
五行魔法発動。
今回は形式無し。
発火を優先させる為だ。
ビュンッッ!
だが、渇木も負けてはいなかった。
残っていた受憎腕を素早く動かし、残骸に触れる。
ジュルンッッ!
ボボゥッ!
元が切断したのは四本。
火を付けれたのは三本。
残る一本は着火する寸前、渇木に回収された。
踊七は風の様に渇木の側を通り過ぎる。
ズザザザザーーッッ!
充分間合いを取った所でブレーキ。
リグナムバイタの樹脂で滑って行く。
「ふう……
どうやら上手く行ったようだな……」
「踊さん。
この木床凄いでんな。
ワイが思い切り蹴ったのに割れんかったで」
「あぁ……
これはリグナムバイタっつってな。
世界一硬い木材なんだと」
「へー……
魔力も通しとるから更に硬いんやろな。
んでこのヌルッとんのはこの木の性質なんかな?」
「あぁ。
リグナムバイタって25%ぐらい樹脂なんだ。
んで熱したら染み出んだよ。
ヌルヌルしてるのはお前が止まった時の摩擦熱でじゃねぇか?」
「なるほどのう……
んでこの木床どこまで続いてるんでっか?」
元は手刀を額に当て、遠くを見る仕草をしながら尋ねる。
「具体的にどこまでってのは解らんが目の届く範囲だ」
踊七はあっけらかんと。
「軽ゥ言うてますけど、かなり広いでっせ」
踊七が生成した木床は少なく見積もっても50メートル以上はある。
「まあな。
ここら一帯はリグナムバイタで蓋をするつもりだったからな。
だから気持ち高めに跳んだし」
これが元が先に着地した理由。
高度は踊七の方が高かったのだ。
「それにしてもエラい雑な作戦でんな。
フタて」
「雑って言うな雑って。
シンプルと言いやがれ。
笑い事っちゃねぇ…………
………………
プッ…………
ククククク」
突然口を押えて笑い出す踊七。
「何や踊さん、ツボに入ったんかいな?」
「雑……
雑って……
ククク」
どうやら元が評した雑な作戦と言うのがツボに入ったらしい。
「いや、雑でしょ?
フタでっせ?
………………
…………プッ!!
ハーッハッハッ!」
元もつられて笑い出す。
「ハッハッハッ!
だから雑って言うんじゃねぇよッ!
シンプルって言いやがれッ!
ハッハッハッハッ!
シンプルイズベストって言うだろうがよっ!
ハッハッハッハッ!」
「ハーハッハッ!
いやいやいやっ!
そないええもんでも無いでしょっ!?
ハッハッハッ!
ここら一帯フタでっせっ!?
上手く行ったからええもののっ!
ハッハッハッ!」
踊七と元。二人で大爆笑。
ここで読者はある事にお気づきだろう。
オイお前ら渇木はどうしたと。
二人は先までの死闘を一時忘れ、大爆笑している。
当の渇木はどうしたのだろうか?
ちなみに渇木の周り。
足元はどうなっているのかと言うと身体を支えている紫色の足を避けて木床は生成されている。
特に固定している訳では無い。
だから足を持ち上げるとポッカリ足の形に穴が開く形になる。
「プクク……
おっと、まだ戦闘中だ。
笑い事っちゃねぇぞ」
踊七も気付いた様だ。
渇木の姿を確認。
動いてはいない。
後頭部が見える。
ボーッと一点を見つめている風だ。
その方向はさっき踊七らが居た所。
と言う事はさっきから全く動いていないと言う事だ。
これまでの動きから予測すると踊七らを探す筈だ。
だが、首も動かさず、四肢も動かさず。
まるで電池の切れたロボットの様に停止している。
残る受憎腕は見えるだけで二本。
右側に二本生えているだけ。
他は体内に格納したか元が切断したのだろう。
「アイツ止まってまんな。
もう飛んどるんちゃいまっか?」
「わからん……
だが相手が相手だけに近づけない……
笑い事っちゃねぇ……」
不気味。
不気味なだけに近づけない。
どうする?
もしかして元の言う通り失神しているのだろうか?
いや、それは考えにくい。
今仕掛けた作戦は渇木にダメージを与えるものでは無く、攻撃を封じる事を重視しているのだから。
現在渇木が止まっている理由。
それは恨気が尽きかけているのだ。
渇木は今、恨気残量が少ない状態。
動かないのはそれが理由。
恨気を充電する方法は簡単。
恨めばいいのだ。
既に渇木の内心ではかなりの恨気が増大中。
あいつらは何故俺を狙う。
俺はただ嬲りたいだけなのに。
さっきの攻撃で何故串刺しになっていない。
周りに広がるこの木は何だ。
何でこんなに硬いんだ。
あいつらか。
あいつらがやったのか。
憎い憎い憎い憎い。
渇木の思惑を言語化するならばこんな所である。
全く動いていないのは体内に少しも恨気が巡っていないから。
募る事だけに全労力を使っている。
まだ。
まだ動かない。
数分後
ズボォァッ!
渇木に動きがあった。
腰前後部から二本ずつ受憎腕が急速生成。
右側に残っていた受憎腕も同時に格納。
「動いたっ!」
踊七と元は身構える。
身構えながら踊七は考えていた。
あの形状は何だと。
すぐに答えは出る。
あれは機動特化形状。
と、なるとおのずと答えは決まる。
「元ッッ!
ヤツは逃げるぞッッ!
起動ォォッ!」
そういう事である。
踊七はすぐ魔力を両脚に集中し、魔力注入発動。
ドンッッッ!!
だが、渇木の方が速かった。
踊七の気付きも速く、魔力注入の起動も素早かった。
差はコンマ秒程の微々たるものでしかない。
自身の両脚。
新たに生やした四本の受憎腕で強く地を蹴る。
瞬時に小さくなる渇木。
超速移動の中ではコンマ秒の遅れが大きな差になるのだ。
生成したての恨気を漲らせた六本の受憎腕は唸りを上げ、超速で渇木を運ぶ。
六本もの受憎腕で移動する渇木は速く、なかなか追いつけない。
何だ?
何故移動した?
何が目的だ?
周りの風景が超速の為ぼやけて見える中、踊七は確かに見た。
渇木の背中から受憎腕が急生成され、何かを回収した。
その何かとは……
先程喰らった死体の残骸。
踊七はこの段階で気づいた。
渇木の目的は材料の回収。
瞬く間に散らばり落ちていた肉片を全て体内に取り込んだ渇木。
まだ超速移動は止まらない。
外周一円ぐるりと回るつもりだ。
ヤバい。
まだ何本か受憎腕の残骸が落ちていた筈。
「クソォォォッッ!
元っっっ!
ヤツを止めろぉぉぉっっ!」
「起動ォォッッ!」
ガァァンッッ!
元が更に魔力注入発動。
重ね掛けだ。
スピードは倍加。
ぐんぐん渇木の身体が大きくなる。
追いついた。
「オラァッ!」
景色も音も置き去りにする程の超速移動の中、元が攻撃を仕掛ける。
高周波ナイフが腰の受憎腕を狙い、弧を描く。
グンッッ!
ここで渇木が驚くべき動き。
這いずる寸前まで身を屈め、元のナイフを躱したのだ。
「ナニィッ!」
今までの渇木であれば迎撃して来ると思っていた所の回避。
驚いた元は声を上げる。
ドンッッ!
身を屈めた渇木は更に地を蹴ってスピードアップ。
三人はバックスクリーン裏側まで到達。
ここにあった何本かの残骸も回収されてしまう。
やがて遠目に見えて来る木の床。
そのまま渇木は残骸や死体を回収しながら逃げ続け、東京ドームを一周回ってしまった。
ズザザザザーーッッ!
ここで渇木は急ブレーキ。
動きが止まる。
その動きを見た踊七らも急停止。
これは完全にやられたと踊七は思った。
まさか欲を満たす為だけに動いている渇木が逃避をするとは思わなかったからだ。
そして元の攻撃も躱した。
この事に驚きを隠せない。
だが、全くの絶望と言う訳では無い。
それは何故材料回収に向かったのかと言う点。
理由は材料が少なくなってきたからだ。
元が切断し、踊七が燃やす。
この地味な作戦は功を奏していたのだ。
現在の位置としては渇木は木の床を背負う形。
となると地中攻撃には充分警戒しないといけない。
くるぅ~~
渇木がゆっくりと振り向いて来る。
来る。
踊七は半分恐怖。
それは今から始まる渇木との死闘に対して。
逃げている背中を見つめながらほんの少し。
ほんの少しだけこのまま逃げてくれたらと考えてしまっていた踊七。
このまま残骸を回収して逃げてくれたらとほんの数瞬過ってしまった。
正直戦わずに済むのであればそうしたい。
これが踊七の本音である。
それ程の化物なのだ渇木髄彦と言う人物は。
だが、すぐに考えを改める。
駄目だ。
俺達ですら手こずる相手。
そんなものが一般人の群れに飛び込んだら大惨事になるのは容易に予想がつく。
俺達が止めないといけない。
嫌だけど俺達がやらないと駄目だ。
あの梵踊七が初めて見せる弱気な部分。
確かに踊七は普通の高校生では考えられない経験を積んでいる。
だが、それはあくまでも一般人や竜河岸らの中で培われたもの。
その経験に渇木は全く当てはまらないのだ。
まさに規格外。
戦闘経験に関しては心構え等辛うじて活かせる部分はあるが、踊七の心境としては未知の危険生物と対峙している様な感覚だった。
恐怖を感じ、弱気になっても無理は無い。
だが、考えをすぐに改める所はさすが踊七と言った所。
もう半分は安心。
こちらに振り向いたと言う事は渇木は標的を変えてなかった。
依然として恨みの対象は踊七と元の様だ。
目標が一般人に変わっていなくて良かった。
「おい元……
今は沙土瓊尊の上じゃねぇ……
下には警戒しろ……」
渇木は動いていない。
地中攻撃の可能性を危惧しているのだ。
「ヘイ……」
元も理解している。
周りは静寂。
嵐の前の静けさ。
全く音がしない。
余りの無音に耳鳴りがする程だ。
「来たぁっ!
下ァッ!」
その静寂は元の叫びで破られる。
「起動ォォォッッ!」
二人ほぼ同時に魔力注入起動。
ダァァンッッ!
強く地を蹴り、高く跳躍。
踊七は元よりも高度がある。
口には日矛鏡。
右手には小さな木の棒。
左手で創ったL字が一回転。
上空で両手首をクロス。
五行魔法の形式。
となると……
「生順破棄ィィィッッ!
沙土瓊尊ォォォッッ!」
ブン
上空から目の届く広大な範囲に生成された木の床。
さっき生成した木の床はそのまま残っている。
ピッタリと一部の隙間も無く二枚の大きな木の床が合わさる。
三塁側外周は既に半分近く木の床が生成されている。
この範囲。
五行魔法とは全くもって恐ろしいスキルである。
だが、同じやり方。
同じ戦法を取った事が踊七に一抹の不安を抱かせる。
同じ戦法を取って良かったのか?
学習して何らかの対策を取っているのではないのだろうか?
いやいや、この戦法は相手の攻撃手段を一個削っているんだ。
有効な筈だ。
スタッ!
ズバンッッッ!
同じ戦法なのは元も気付いている。
着地と同時に生えていた受憎棘を全て斬り捨てた。
ダンッッ!
木の床を強く蹴り、渇木に向かって前へ飛び出す元。
本体の受憎腕を斬り捨てる為だ。
踊七も日矛鏡を咥えたままガス切れライターを持っていた。
天火明命の準備。
残骸を焼却する為だ。
さっきと同じ流れにますます不安が大きくなる。
ジュルルゥンッッ!
元が斬った受憎棘の切断面から新たな受憎腕が急生成。
残骸を掴み、瞬く間に回収。
やはりこいつは学習していた。
斬られる事は想定内だったのだ。
こいつは解っている。
俺達の手口を理解している。
危険だ。
「元ッッッ!
待てッッッ!
そいつは俺達の戦法を理解しているゥゥゥッッ!」
戦法を理解していると言う事は対策が出来ている可能性が高い。
危険を察知した踊七の叫び。
だが、元は止まらない。
踊七の叫びが聞こえていない訳では無かった。
それだけ高周波と言うスキルに自信を持っていたのだ。
ビュビュビュビュンッッッ!
背中から多数の受憎腕を急生成し、襲い掛かって来る渇木。
近くまで来ると解る。
こいつ、腰に生やしていた四本の受憎腕を回収してやがる。
そしてさっきとは違い、木の床が揺れていない。
これはもう地中攻撃を仕掛けて来ていないと言う事。
それは渇木が保有する材料は全く変わる事無く体内に格納されていると言う事に繋がる。
ザンッッ!
ズバァッ!
迫る受憎腕を難なく切断する元。
もう何度も見た攻撃。
見た目的にはかなり気持ち悪いが、こう何度も見せられるともう元の心は小波すら立たない。
ぐんぐん近づく間合い。
その距離1メートル弱まで。
超至近距離。
ギャリリリィィッ!
元が急ブレーキをかける。
今度は斬りながら交差するような真似はしない。
誘っているのだ。
もっと生やせ。
もっと受憎腕をと。
そう考えていた。
この戦闘で渇木に大ダメージを与える気だったのだ。
ビュビュビュンッッッ!
両肩から無数の受憎腕を超速で生成。
襲い掛かって来る渇木。
ザンッッ!
バスゥンッッ!
だが、それも問題無い。
超至近距離とはいえ、何度も見ている受憎腕の攻撃。
冷静な元は容易く斬り飛ばす。
何度も見ている。
そう、見えていたのだ。
ここで元は慎重に警戒すべきだったのだ。
何故見える攻撃を仕掛けて来たのかと言う事を。
そして渇木が規格外の化物だと言う事を。
それらを念頭に置いて踊七と連携を取るのが最善手だった。
何故、渇木が見える攻撃を繰り出したのか?
それは目くらまし。
斬られる事は想定内だったのだ。
ギュルゥッ!
渇木の身体から受憎腕が急生成された。
その位置。
大きさと長さ。
攻撃方法が驚愕。
位置は渇木の鎖骨から下の上半身全体。
太さは70センチ強。
大柄な渇木の上半身全体を使って生成したのだ。
大樹の幹程もある。
長さは1メートルも無い。
かなり短い。
そして攻撃方法。
渇木が生成したのは超巨大な受憎腕。
棘では無いのだ。
ガシィィッッ!
現れた超巨大な拳が一息に元の身体を掴んだ。
180センチ以上ある元の上半身が一握りだ。
バキボキバキベキボキ
恨気を漲らせた巨大な拳が強烈な力で元の上半身を締め付けた。
肋骨がいとも簡単にへし折れる。
それはあたかもマッチ棒を折るが如く。
魔力注入を発動しているにも関わらず何と言うパワー。
「グアアアアアアアッッッッ!」
巨大で激しい鈍痛が身体中に駆け巡り、大きな悲鳴を上げる元。
「カん…………
セ………………
ほう……」
更に式を仕掛けて来る渇木。
前述の通り、流し込む恨気量は鶻の大きさに比例する。
畳みかける様な攻撃。
「クソォォォッッッ!!」
ズバンッッッ!
高周波ナイフで巨大な手首を切断。
ドコォォォォォォォォッッッ!
そのまま、魔力を集中した右足で渇木の腰辺りを思い切り蹴り飛ばした。
「グウゥゥゥッッ……!」
反動で上半身に鈍痛が奔る元。
苦悶の呻き声をあげる。
ズザザザザーーッッ!
真後ろに吹き飛んだ渇木はリグナムバイタの木の床を滑って行く。
何とか難を逃れた元。
依然として上半身にはドス黒い紫色の超巨大な拳が硬く握っている。
絵的にかなり気持ち悪い。
「元ッッ!
大丈夫かっっ!?」
「グウウッッ……」
踊七に返事も出来ない程の激痛が元の身体を駆け巡っていた。
ブルブル震える手で上半身を掴んでいる大きな受憎腕の残骸を掴む。
引き剥がそうと引っ張る。
が、なかなか離れない。
ベリィッ!
何度か引っ張ってようやく引き剥がせた。
ドチャァッ……
巨大な拳が地に落ちる。
「………………生順破棄……
第二顕現……
天火明命」
ボッッッ!
地に落ちたドス黒い紫色の巨大な拳と散らばっている受憎腕の残骸に着火。
踊七は元の心配をしつつ、自分の仕事は忘れてなかった。
「………………油断してましたわ……」
ようやく元が返答。
魔力注入を使い、骨折を治癒したのだ。
「すまねぇ……
もっと慎重に作戦を立てるべきだった……
それよりも元……
アイツ術をかけた様だが大丈夫か?」
「ん?
そう言えば何とも無いですわ。
何でやろ?」
「やっぱりお前の着てるライダースが良いのかもな」
何故、元ともあろうものがみすみす渇木に掴まれてしまったのか?
それは自身が斬った受憎腕の残骸が原因。
勢いよく斬り飛ばした為、舞い上がり視界を遮ったのだ。
見える様に受憎腕を生成したのは敢えて。
斬らせる為に生成したのだ。
残骸により元の視界を遮蔽する為に。
言わば撒き餌の様なもの。
見事に喰いついたと言う訳である。
元の油断、慢心も原因の一つ。
まさかあんなに短く太い受憎腕で攻撃して来るとは思いもよらなかった。
受憎腕の残骸で死角を作り出し、巨大な拳による掴み攻撃。
完全に思考の外。
まさに突然。
唐突。
不意を突かれた攻撃だったのだ。
だが、元の方にも幸運があった。
それは本革のライダースジャケットを着用していた事。
前話で語った通り本革というのは生物のなめし皮を使用している為、恨気を霧散してしまう。
式を使用しても恨気は通さないと言う事である。
掴まれたのが上半身だったのも幸運だった。
あの巨大な拳である。
もし掴まれたのが下半身だったなら膨大な恨気を流し込まれ、体力が急激に吸い出されていた。
それも膨大に。
いかにタフな元と言えども戦線離脱を危ぶまれていただろう。
そして狡猾な渇木の罠にまんまとしてやられた元だったが、得るものもあった。
残骸を焼却出来た事である。
元が斬り飛ばした受憎腕数本と途轍もなく大きな拳。
それらは現在、発火して燃えている。
これでさっき回収した分ぐらいは焼却出来たのだろうか?
わからない。
だが、体内に格納されている材料が減ったのは確か。
もし仮に生成されたのが受憎腕では無く受憎棘だったらどうなっていただろうか?
元の上半身は巨大な棘に貫かれ即死である。
何故、棘では無く生成したのが腕だったのか。
それは渇木の嗜好が関係して来る。
現在、渇木は満腹状態。
恨みの晴らし方は嬲る事にシフトしている。
嬲ると言う行為は簡単に言うと弄ぶと言う事。
即死させる事は無いのだ。
渇木が仕掛けたのは感染和法。
渇木の思い描いた絵図は巨大な拳で感染和法により恨気を大量に流し込み、虫の息の状態にしてゆっくりと嬲る事だったのだ。
だが、その絵図も元の着用していたライダースジャケットのお陰で水泡と帰す。
「そうなんですかね?
何が良かったんやろ?
本革やからかな?」
ご名答。
何故本革が恨気を通さないかまでは解らないが、元の予想は正解である。
むくり
ゆっくり起き上がった渇木。
今度は人間が起き上がる様な動作。
きちんと左腕を付いて起き上がって来る。
その左手はドス黒い紫色をしているが。
「ムシャァァァァッァァァァァァァッッッ!!」
急に金切り声を上げる渇木。
呟きは地獄の底の底。
奥の奥で恐ろしく錆び付き、回らない歯車を強引に廻すかの様に低いのにも関わらず、叫びは恐ろしく高い。
キリキリと不快な高音。
まるで怪鳥の断末魔の様。
感情らしい感情はほぼほぼ消失している渇木だったが、恨みに付随する感情は未だ健在なのだ。
渇木はさっきの戦闘で元を倒したつもりだった。
渇木の下種な予想であればもう元を嬲り始めていた筈だった。
が、現実は違う。
確かに元の肋骨は十数本握り折りはしたが、既に完治している。
かつ受憎腕の材料を焼却された。
さっきのやり取りは総合的に見て元の方に軍配が上がったと言えるだろう。
と、なると……
どうなるか?
「ムシャァァァァッァァァァァァァッッッ!!」
再び渇木の叫び。
現在渇木の体内には膨大な恨気が溢れ始めている。
こうなる訳である。
自分の思い描いた絵図通りに事が運ばず、更に自身の材料を減らすハメになったのだ。
渇木の心にかかる負荷は相当の物だった。
叫んでも。
募っても無理のない心境なのだ。
ビュンッッ!
渇木がこちらに向かって走って来た。
その様はまさに肉食獣そのもの。
目の焦点は合っていなく、眼球は物凄いスピードで動いている。
瞳はガタガタ乱反射する様に揺れている。
間合いは充分離れている。
観察するのには充分な距離。
見ると渇木は受憎腕を一本も出していない。
通常の人型。
このままで勝てる算段があるのか?
依然としてこちらにダッシュで向かって来る。
通常の速さ。
感染和法で身体強化はしていない様だ。
だからこそ不気味。
「来たぞっ!
元ッ!」
「おうさぁっ!」
踊七、元共に気合を入れ身構える。
今まで化物じみたあらゆる渇木の行動を見て来た二人。
もう今更、何が起きても驚きはしない。
だが…………
ここから式使い。
いや、渇木髄彦の恐ろしさ、底知れなさ、恨みの大きさを骨の髄まで思い知る事になる。
ダンッッ!
近づいて来た渇木は高くジャンプ。
依然として手足合わせて四本の人型のまま。
しかし……
次の瞬間…………
人型を捨てた。
ズボァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッ!!
渇木の背面から受憎腕が放射状に急生成。
「なにぃっ!?」
「何じゃこりゃぁっ!?」
先程からずっと見ている受憎腕の生成。
今更、何を驚く事があるのだと思われるかも知れない。
だが、今回は違うのだ。
桁外れに。
何が違うのか?
その数である。
一気に生成された受憎腕の総数は少なく見積もっても50はある。
余りの量に二人に影が差す。
まさに紫色の傘。
陽の光を遮る程の量なのだ。
渇木が取った戦法は簡単に言うと物量。
圧倒的な兵力による人海戦術なのだ。
今まで狡猾だった渇木らしからぬ雑な作戦。
それだけ踊七と元に激しい恨みを抱いていたのだ。
全く喋らなかった渇木の叫びを見れば解るだろう。
体外へ零れ落ちそうな程恨気を溢れさせていた渇木。
その恨気はますます脳を侵食し、人間のみならず生物である事すら捨て去ろうとしていた。
現在の受憎腕は体内の材料全てを使用。
まさに総攻撃。
「こっ……
この量はっっ…………!?
クソォォォォォッッッ!」
ガガガガガガガガガガガガガガガァァッ!
踊七が日矛鏡で応戦。
だが、圧倒的な物量。
兵力差。
駄目だ。
このまま押し切られる。
全方位から迫り来る受憎腕の大群。
全て。
全てが超速で動いている。
その中で踊七は確かに見た。
受憎腕が分割しているのを。
これは兵を増員しているのに等しい行為。
状況は元も同様だった。
ズバァッ!
ザンッ!
ズバババババァァッッ!
高周波ナイフを振るい、迫る受憎腕を次々と切断する。
するが、残骸は瞬く間に回収。
再生成。
陽の光が差す暇も無い程の猛攻。
大猛攻を仕掛けて来ている。
「くっっ……
クソォォォォォォォッッッッ!」
圧倒的物量。
かつ兵は斬っても斬っても蘇るゾンビ状態。
このままではやばい。
マズい。
やられてしまう。
このままだと殺されてしまう。
ガガガガガガガガガガガガガガガァァッ!
ズバァッ!
ザンッ!
ズバババババァァッッ!
日矛鏡で捌く衝撃音と高周波ナイフでの斬撃音のみが響く。
「こ…………
このままでは…………」
踊七が絶体絶命、崖っぷち、八方塞がりを悟り始めた。
防衛線がみるみる内に押されて来ているからだ。
まさに万事休す。
ドキュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッッッ!!
踊七が我が身の危険を悟った刹那。
耳をつんざく巨大な音が踊七、元の鼓膜に突き刺さった。
ドカァァァァァァッァァァァァァァンッッッ!
音の詳細を確かめる暇も無く、次に襲い来るのは爆発。
急増大した爆風による膨張圧力がたちまち渇木と踊七、元を強制的に引き剥がす。
吹き飛ぶ三人。
ズザァァァッーーーッッ!
突然の事に受け身も取れず木の床を滑って行く二人。
「う……
う~ん……
痛てて……」
「な……
何や……?
一体何が起こったんや……?」
爆発の規模に比べて軽傷だった二人。
すぐに体を起こす。
目に映る惨状に唖然となった。
真一文字に黒く線が引かれている。
その先には見るも無残に破壊された東京ドームの外壁。
途轍もなく大きな穴が開いている。
黒い線は踊七の生成したリグナムバイタの床にもついており、炭化していた。
「元っっ!
踊七さんっっ!
大丈夫っっ!?」
圧倒的な兵力差による絶体絶命の危機を救ったのは…………
新崎蓮であった。
続く