第百六十話 棄甲曳兵(轟吏・鞭子後編)
「フーーーッッ!
フーーーーッッ!」
依然として轟吏の口から離れない渇木の手。
考えてか本能なのかは解らないが、これはかなり効果的。
轟吏のスキルは強力ではあるが、基本は口から放つ為その口を塞がれるとどうしようも無いのだ。
そしてそれは…………
ガラ…………
轟吏の危機を意味する。
渇木はそのまま轟吏を持ち上げる。
ドコォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!
更に地面へ思い切り叩き付ける。
「ブファッッ!!」
紫色の指の間から轟吏が吐血。
何故渇木はひと思いに轟吏を殺さないのか?
と思う読者も居るだろう。
それは恨みの晴らし方に理由がある。
基本式を会得した者の行動原理とは恨みを晴らす為に動いている。
恨みの晴らし方と言うのも様々あり、泥の場合は破壊と欲望との置換。
欲望との置換とは自身が持つ欲望を叶えると同時に恨みが解消されると言う事。
そして渇木の場合は嬲る事。
恨みを持つ対象を嬲り、果てしなく嬲り殺害・破壊する事なのだ。
自分の行動をさっきから邪魔している轟吏。
恨みの対象は轟吏にシフトしていると言う事だ。
感染減法や受憎を使わないのにも理由がある。
現在体力は満タンなのだ。
ここで感染減法を使い吸収してしまうと却って動きが鈍ってしまう。
有体に言うと腹いっぱいと言う事。
受憎はストックMAXの為。
と、なると自動的に対象を痛めつけるという行動になると言う事だ。
自身の能力を封じられ、絶対的危機に追いやられた轟吏。
このままでは渇木に嬲られて殺されてしまう…………
【轟吏ィッッ!】
が、轟吏は一般人では無い。
竜河岸なのである。
側にはそう……
マミーがいる。
ボコォォォォォンッッッ!
マミーの強烈な体当たりが渇木の横面から炸裂。
頭から突撃した為、頭部の角が渇木の脇腹に突き刺さり、そのまま上空へ飛ばされる。
余りの威力の為、ようやく轟吏の口から掌が離れた。
ドシャァッ……
遠く離れた地点に落下する渇木。
【轟吏、大丈夫ですか?】
「あぁ……
何とかな……
ガハッ!」
轟吏が吐血。
二回目の一撃で内臓を痛めたのだ。
【轟吏……
油断しましたね……
戦闘の際は魔力遮壁の射程から出るなとあれ程……】
「あぁ……
スマンのうマミー……
ゲホッ……
ゲホゲホッ…………
ペッ!」
再び吐血し、血溜まりを地面に吐き捨てる轟吏。
【ホラ……
私の魔力を使って身体を回復なさい……】
「あぁ……」
そっとマミーの鱗に手を添える轟吏。
魔力補給の為だ。
轟吏は前話で話した通り、魔力注入が使えない。
が、体内に入った魔力を使って回復を図る事は可能。
しかし、その効果は魔力注入に比べて低く、且つ保持も未使用の為、魔力の毒性はそのまま身体にフィードバックされる。
使役している竜の魔力の為、目立った症状はすぐには現れないが多用は出来ないのだ。
十分後
「ふう……
どうやら傷んだ内蔵は治ったようじゃのう……
渇木はどうなった?」
【いえ……
まだ倒れたまま動きません】
「多分あの上空の一撃喰らって平気じゃったから多分まだ意識は保っとる思うんじゃけどのう……
やいやい……
ホンマに気持ち悪い奴じゃ……」
そう、渇木は飛ばされた後ピクリとも動かないのだ。
新宿上空から強烈な一撃で叩き落されても轟吏の隙を伺う程意識はハッキリしていたのだ。
先の体当たりは強烈だったとは言え、あの尾の一撃よりも凄いとは考えにくい。
だからこそ抱く違和感や嫌悪感。
轟吏からしたら今まで対峙した事の無いタイプ。
全くもって得体が知れないのだ。
多分弛緩咆哮の効果も消えている。
ボボボボボボボボボコォッッ!
ガガガガガィンッッッ!
「うおぉぉっっ!?」
静寂を破る様に魔力遮壁発動。
衝撃音が響き渡る。
思わず声を上げる轟吏。
渇木が攻撃を仕掛けてきたのだ。
が、渇木は遠く離れたままだ。
一体どうやって?
ようやく状況を把握できた轟吏。
目の前には無数の長い手らしきもの。
ガィンッッ!
ガガガガィンッ!
ハッキリしないのは依然として超速移動しながら攻撃して来ているからだ。
辛うじて紫色が確認出来るが、身体能力が一般人程度の轟吏の動体視力では影を追うだけで精一杯。
ガィンッ!
ガガガガガィンッ!
が、マミーの魔力遮壁は鉄壁。
就任後、今まで破られた事など一度たりとて無いのだ。
射程範囲内では安全。
轟吏もそれは重々承知。
落ち着いて状況分析を行う。
遠く離れた渇木は依然として天を仰いだまま倒れている。
と、なるとこの今攻撃して来ている無数の紫手群はおそらく背中に受憎で生成したもの。
それらで地面を掘削し、ここまで伸ばしているのだ。
倒れたままなのは受憎生成を悟らせない為だろう。
轟吏は考える。
現時点でおそらく死肉のストックや恨気の残量も少ないのではと。
根拠としてまず現在位置と渇木との距離。
目算で五メートル以上は離れている。
それだけの長さの手を無数に生成するのだ。
受憎とて何も無い所から手を生成する訳では無い。
続いて地面を掘削するパワーを手、一本一本に込めるのだ。
それは相当量の恨気を使用する。
それらの点からガス欠は近いのではと考える。
「おい……
マミー……
二重唱行くぞ……」
【…………大丈夫なのですか……?
相当喉に負担がかかるのでは……】
「確かに今の状態やと一回か二回が限度やろうのう……
やいやい…………
念のため……
奥の手の分の喉も残しとかなあかんから……
一回こっきりじゃろうのう……」
轟吏の言う二重唱と言うのは弛緩咆哮と超音波刃針のコンボ戦術の事。
弛緩咆哮で動きを封じた後、超音波刃針でバラバラに切断するという荒技。
超危険で対象を殺してしまう可能性も高い戦術。
轟吏も今まで使ったのは一度しか無い。
しかも人間相手では無く、魔力を取り込み獰猛になったヒグマ群に対してである。
人間に使用するのは今回が初めて。
鳥獣駆除に使用されるような戦術を放つ気なのだ。
それは渇木の化物じみた行動とこのまま取り逃がした時の被害などを鑑みた上での判断。
「よし……
行くぞ……」
マミーに跨る轟吏。
ガァンッ!
ガガガガィンッ!
跨る間も依然として猛攻は続く。
【で……
どうするのです……?】
「やいやい。
このまま間合いを詰めて、飛び上がれぃ。
そこから下に向けて二重唱かます……
多分相手はもう新しい手は生成出来ない筈じゃからのう……」
横に放つと多大なる被害を引き起こす超音波刃針。
下に放てば被害は減らせると考えたのだ。
ダッッ!
マミーが長い紫色の手群を掻き分け、駆け出す。
ボコォォォォォンッッッ!
マミーの動きに気付いた渇木が応戦。
地中に埋まっていた長い腕を地面から出し、マミーを追う。
ガィンッッッ!
ガガガガガァァァンッッ!
超速で動いているにも関わらず追い付き、攻撃を繰り出す紫色の腕群。
【クッ…………
邪魔ですねっ……
紫の触手っ……】
渇木の猛攻にイラつき言葉が漏れるマミー。
魔力遮壁で防御は出来ているのだが、視界が遮られた為だ。
「やいやいっ!
構わんッッ!
そのまま飛び上がれぃっ!」
ダァァァンッッ!
視界は不明瞭だが構わず、飛び上がるマミー。
コキコキッ
首を持ち、喉を二回鳴らす。
顔を下げた轟吏。
いつのまにか立ち上がっていた渇木。
背中から蛸の様に何本も紫色の腕を生やし、腰回りから更に手を四本。
両肩からも二本生やしたその姿は化物としか形容できない姿だった。
かつ先程、切断した胸部の腕もそのままである。
渇木は立っていたのだ。
歌舞伎町で脚を切断したにも関わらずである。
見ると左脚。
太腿部で鋭利に切断されたジーンズの裾から下に紫色の脚が伸びてるのが解る。
それにしても何というドス黒い紫だ。
空中に居る轟吏の頭に嫌悪感が過る。
嫌悪感が浮かぶ中、顔を俯かせ口を開く轟吏。
「弛緩咆哮ォォッ!
オオォオオォオォォォ~~~ッッッ♪!」
下方に向け放たれる超低周波。
高くジャンプしたマミーの高度から放たれるそれは長い手を生やした渇木の身体全体を包むのに充分だった。
ブルブルブルゥゥゥゥッッッ!
低周波を浴びた渇木の身体が細かく震え出す。
筋肉が弛緩し始めたのだ。
だが、轟吏は止まらない。
コキコキコキッ
首を三回鳴らす。
超音波刃針の準備。
この先程から轟吏が行っている首を鳴らす所作。
これは声帯と喉頭を鳴らしている。
轟吏はスキルを発動する前、喉に魔力を集中させ強引に声帯と喉頭を変化させている。
喉鳴らしはその変化した形の微調整の為である。
喉鳴らし一回が双周波籠点。
二回が弛緩咆哮。
三回は超音波刃針となる。
ドシャァァ…………
身体に染み渡った超低周波が長い紫色の手の先まで弛緩し尽くした。
前のめりに倒れる渇木。
轟吏は口を開いたまま。
超音波刃針ッッ!
心の中で叫び、スキル発動。
下に向けて忙しなく顔を。
正確にはスキル発動器官である口を忙しなく動かす。
バツンッッ!
ズバンッッ!
ズバズバズバァッ!
ボトンッ!
ボトッ!
ゴロゴロゴロォッ!
放たれた超音波刃針で地面に横たわっていた長い紫色の手が次々切断。
激しい勢いのため切断後、浮き上がり地面に落ち、そして転がって行く。
地面ごと切り裂かれ、新宿御苑の草原に無数の大きな地割れがいくつも出来た。
スタッ
マミー着地。
轟吏がゆっくり背中から降りる。
さっきと同じ轍は踏まないとマミーの側から離れない。
「ゲホォッ……!
ゴホッゴホッゴホォッ!」
地面に降り立った途端、咳き込み出す轟吏。
二重唱の負荷の為である。
【轟吏……
大丈夫ですか……?】
「やいや……
ゲホッ!
……あぁ……
何とかのう……
ゴホゴホッ!
……結構キツいが大丈夫じゃ……
ゴホッ!」
口癖の“やいやい”ですらままならない程、喉を痛めている轟吏。
ダンッッッッッ!
と、ここで遠く離れた所で大きな衝撃音。
「んっ!?」
遠い所で煙が上がっている。
ザッザッザッ
何かがこちらに向かって歩いて来る。
樺色の鱗が轟吏の目に映る。
更にフリフリとミニスカートが揺れているのも目に映る。
飴村鞭子とデュークが現着したのだ。
怠そうな顔でこちらまで歩いて来る。
「おお、キャンディか……
何しに来たんじゃ……?
やいやい……」
と、鞭子の視線が倒れている渇木に向かう。
側まで無言で近づいた鞭子は強めにステップを踏み始める。
トントントン。
トートントントントン。
トートト…………
「あぁ……
スキル発動中か……」
そう呟き、大きくゴツゴツした掌を鞭子の顔、右側に添える。
鞭子のステップ。
これはモールス信号である。
あるスキル発動中は鞭子は発声する事や声を聞く事が出来ないのだ。
従ってモールス信号でコミュニケーションを取っていると言う訳である。
轟吏が行っているのは魔力を使った骨伝導通信である。
―ゴリサン、今ノ状況ッテドウイウ状況デスカ?
〔ワシが二重唱かましたんじゃ〕
―アレヤッタンデスカ?
喉ハドウデス?
〔あと一発が限界と言った所じゃのう……〕
―ナラモウ真空装甲ハ解除シテモ大丈夫デスカ?
〔あぁ。
次にスキル発動する時は合図するわ〕
「ふう……」
ここでようやく鞭子が一息。
スキルを解除したのだ。
「やいやい……
キャンディ……
何しに来たんじゃ?」
「ゴリさん、何しに来たんなんてご挨拶ゥ~~ッ。
アタシはピンチだって聞いたから応援に来たってのにぃ」
話せる様になった途端いつもの感じを出す鞭子。
「やいやい、隊長の指示か?」
「そりゃそぉでしょぉ~……
アタシ響みたいに仕事熱心じゃないもぉんっ」
「やいやい、余計な事を……
って言いたいとこやけど……
正直ヤバかったわ……」
「見た所地面は何ともないから、まだ奥の手は使って無いんでしょォ?
てか二重唱喰らわせたんならアタシの出番は無いんじゃないのぉ~~っ?」
「やいやい…………
それが……
多分そうでも無さそうなんじゃな……
コレが……」
「アッハッハ」
聞いた途端、笑い出す鞭子。
「ア~~……
冗談キツいでしょォ~~
アイツ、五体バラバラになって小刻みに震えてるじゃ無いですかぁ~~…………
って何あのキモい紫の腕…………
って一体いくつ散らばってるの…………
キモい相手ねェ…………
でももう動けなさそうだから拘束衣で締めて終わりじゃないんですかァ~~……?」
「やいやい…………
そ……
それがのう……
弛緩咆哮も…………
超音波刃針も撃ったん初めてじゃ無いんじゃ……」
「え…………?
なら、震わせたんでしょ?
その時確保しなかったんですか?」
「逃げられた……
やいやい……」
それを聞いて鞭子の言が止まる。
更に……
「でっ……
でもっ……
その後……
バラバラに切断したんでしょっ……?
その時は?」
「………………逃げられた……
やいやい……」
更に言葉を詰まらせる鞭子。
「………………何かゴリさんが二重唱使った理由…………
解った気がします…………
喉、大丈夫なんですかぁ……?
年始にコンサートあるんでしょぉ?」
「まぁそりゃそうなんじゃけどのう……
やいやい……
あの年始コンサート都内でやるんだぞ?
あんなバケモン放っといたらコンサート所じゃないだろ?」
本日は昼から双周波籠点を連発し、弛緩咆哮、超音波刃針を単発使用。
更に先程二重唱を放った轟吏。
喉にかかる負荷は多大なものになっている。
これ以上使うと喉が潰れてしまう。
まさにレッドゾーン。
そのラインにまで轟吏の喉は到達しかかっていた。
「ゲ………………
って事は今戦えんのアタシしか居ないじゃないっスかぁっ!!」
鞭子は轟吏が魔力注入を使えない事はもちろん知っているのだ。
「だっ……
だから言うたじゃろう……
ヤバいって……
やいやい……」
それを聞いた鞭子は黙っている。
「ワッ……
ワシもマミーに乗って一緒に戦うからっ……」
竜に乗れば戦力になると考えるかも知れないが実際の所そうでもない。
理由としては竜への指示出しによるタイムラグと竜の強大さだ。
例として挙げられるのは竜河岸相手のケースしか無いのだが、魔力注入を使用した犯人を取り押さえる場合、一秒の判断ミスが取り逃すと言う最悪のケースに繋がる事も往々にしてある。
かつ鞭子や轟吏は警察官である。
犯人を殺す訳では無い。
竜の強烈な力が加えられると最悪死んでしまう可能性もある。
細かい所を挙げると巨体だから圧迫感あるだとか、尻尾振り回して当たりそうになるだの色々あるのだ。
長々と語ったが要するに邪魔と言う事だ。
「………………確か……
何でしたっけぇ~~?
ケーリクレンでしたっけぇ~?
あいつら痛覚が無いんでしたっけ?」
「やいやい。
キャンディ、お前レポート読んどらんのか?」
「いや読みましたヨォ~~……
チラッと……
パラっと……」
要は流し読みしかしていない。
今の不可解な状況。
犯人は手をたくさん切断され、散らかした状態で倒れ、震えている。
勝敗は決したと思われる今の状況にも関わらずヤバいと言う轟吏の発言。
それらを解消するのが痛覚が無いという流し見で得た前情報。
あ、そうか。
相手は痛覚が無いからバラバラになってもまだ抵抗するかも知れないと言ってるんだ。
そうなんだと結論付けたのだ。
「やいやい……
とりあえず身体、弛緩してるって思って油断せん方がええぞ……
アイツの生成スピード速いからな……」
「生成?
何の?」
「手?
足なんかも知れんし、よう解らんやいやい。
とりあえず今散らばっとる紫の気持ち悪い手は全部アイツのじゃ。
渇木が生成したんじゃ」
「ウゲッ……!!
キショッ!!」
「キャンディ……
お前ホントに読んどらんのじゃのう……」
「だから読みましたってェ~~……
確かケーリクレンの連中って完全に意識落とさないと確保する事が出来ないんでしょ?」
「そうじゃ……
一人目の奴はカズが奥の手で確保したんじゃ……」
「あの面倒臭い奥の手を使えた……
って事はァ~~……
カズのヤツゥ、上手い事オイシイトコだけ持って行ったのねぇ……
相変わらず要領の良い奴だわぁ」
「やいやい。
とりあえず奴の意識がどうなっとるか確認せんとのう……」
「ゴリさん……
軽く言ってくれてますけどォ~……
それやるのアタシですよぉ~……?」
「やいやいっ!
だからスマンて言うとろうが……
この事件、片付いたら甘いもんでも何でも驕ったるからここは一つ泣いといてくれへんか?」
「ハァ~~……
多分アイツ起きてるかも知れないから魔力注入発動して近づかないとダメですよねぇ~~…………?
こんな事ばっかやってるからアタシ達、その界隈でC.Dとか呼ばれるんですよォ~~?」
Catastrophe Duo。
文字通り破壊の二人組。
この二人の異名である。
ある事件からこの二人組は自衛隊、警察、北海道猟友会等の団体からこう呼ばれる様になる。
スキルの性質上、鞭子と轟吏は二人組で困難な事件を担当する事が稀にある。
大体、最初は轟吏が担当していて、鞭子が応援に行くというパターンが多い。
C.Dと呼ばれる原因となった事件は北海道。
上川郡は大雪山で起こった。
犯人は竜河岸や竜では無い。
ヒグマである。
人間では無い動物にある程度の魔力耐性が発生するという珍しいケース。
魔力が大気中に無い地球上で何がどうなってこうなったのか未だに不明ではあるが、何故か魔力を体内に含有したヒグマが確認され、獰猛になり大暴れをしたという事件。
この危険なヒグマは周りのヒグマを手懐け、一大勢力を築き人里に攻め入り度々農作物を荒らしまくった。
重傷者も多数出す大事件に発展。
もちろん最初は警察や自衛隊、猟友会の面々が対処。
が、他のヒグマは銃弾に倒れるにも関わらずボスヒグマは何発銃弾を受けても倒れない。
被害はどんどん大きくなるばかり。
日本全国の猟友会から腕の良い猟師が駆り出されるが状況は変わらず、ここで一人の竜河岸猟師の進言でようやくヒグマの体内に魔力が存在している事が確認される。
そこで特殊交通警ら隊に依頼が来たという運びである。
最初轟吏が単体で解決に臨む。
が、ヒグマの数が多く分布も広い。
マンパワー不足が否めなくなり、鞭子が応援として駆け付ける。
鞭子、轟吏共に大暴れし結果的にボスヒグマは駆除された。
が、被害も大きく2017年現在では大雪山の一部である黒岳、烏帽子岳、赤岳、小泉岳は存在しない。
轟吏の奥の手により、消失したからである。
この事件の被害は解決後も起こる。
北海道庁、自衛隊北部方面隊第二師団、北海道警察、その他ありとあらゆる団体から抗議文等の書類群が大量に豪輝の元へ届けられる。
これらの処理に四日徹夜をしたと言う。
変わった所では文科省の科学技術局からも抗議文が来ていた。
内容は要するに魔力を含有したヒグマを駆除した事に対してである。
長くなったが、これがC.Dと呼ばれる様になった事件である。
「しょうがないなァ~~
ほんじゃまぁ~~?
発動ッ!」
キラリンッッ!
これが鞭子の発動起動音である。
アニメの魔法少女物で聞かれる様な嘘臭い星が瞬く音とでも言おうか。
竜司のエンジン音、元のライター着火音、踊七の掘削機の掘削音。
今まで様々な発動起動音が出てきたが、このケースは初めてだと作者も驚いている。
ヒュンッ
魔力注入を発動した鞭子の身体が消える。
ガンッ!
ゴロゴロゴロッッ!
遠く離れた所で衝撃音。
一瞬で間合いを詰めた鞭子が渇木の身体を蹴り飛ばしたのだ。
激しくゴロゴロ転がって仰向けに。
「あれェ~~?
ゴリさぁ~ん、やっぱり動きませんよぉ~~?
もうトんでるんじゃないですかァ~~?」
仰向けになった渇木だが依然として小刻みに震えている。
生えている長い腕ごと。
「ワシの時もあんな感じじゃったんじゃあっ!
………………ん?」
ここで違和感を感じる轟吏。
発生元は渇木の身体。
何かおかしい。
さっきと何が違うのか?
超速で轟吏の頭が回る。
違和感を判明させる為に巡る。
「!!!!?
イカァァァンッッ!
キャンディィィィッッ!
そこから離れェェェッッ!」
違和感の原因に気付いた轟吏。
と、同時に脊髄を駆け上がる危機感。
「え?
え?
え?」
急な大声に戸惑い、判断が遅れた鞭子。
ボコォォォォォンッッッ!
鞭子の背後から大きな音。
「えっ!!?」
素早く振り向く鞭子。
が、時すでに遅し。
ガッ!
右脹脛部を掴む、紫色の手。
地面から這い出て来ている。
「キャアッッ!」
鞭子の悲鳴。
ボコボコボコボコォォォォォッッ!
地面からドス黒い紫の腕が現れる。
それは地中から根が這い出て来るかの様。
その長い腕は渇木の背中に続いている。
ドシンッ!
強い力で引っ張られ、尻もちをつく鞭子。
「キャアッッ!
何ッ!?
ナニコレッッ!?
キモいィィッッ!
離してェェッッ!」
グングン渇木の元へ引き摺られる鞭子。
「キャンディッッッ!」
引き寄せられた段階で気付く。
いつの間にか渇木は立ち上がっている。
何故?
弛緩咆哮の効果がもう消えたのか?
いや、渇木の身体自体は震えている。
と、なると効果は消えていない。
じゃあ何故渇木は立ち上がっているのか?
見ると、紫色の長い腕が二本伸びて身体を支えている。
この二本は震えていない。
これは何を意味するのか。
それは受憎で新たに生成した腕と言う事。
何故だ?
何故新たに生成出来る?
死肉のストックはもう枯渇しているはずだ。
それともその予想は間違っていたのか?
…………否。
轟吏の予想は間違っていない。
いないが、それは受憎の恐るべき性能を痛感する事になる。
先程感じた違和感。
それは渇木の胸部にあった。
無数にあった紫色の腕が消えている。
先程轟吏が超音波刃針で切断した部分。
その部分が消失している。
他の切断部も同様。
全て消えてしまっている。
この受憎という技。
生成後も再利用が可能。
切断された部位を一旦体内に吸収。
改めて腕を生成し直したのだ。
切断部をそのままにしていた理由はそう言った理由からだ。
マミーに素早く飛び乗る轟吏。
鞭子を助ける為だ。
「ちょっとアンタッッ!
パンツ見えちゃうじゃないのよっ!
離しなさいよっ!」
逆さに吊るされた鞭子は一生懸命スカートの裾を押さえている。
だが、渇木の中にはもう性欲など無い。
あるのは…………
「カンセンゲンホウ…………」
歪んだ恨みと食欲のみである。
「アァアアァッッ……!
アァッ……!
アァアアァァアアァァッッッ!」
逆さになった鞭子の悲鳴。
渇木が感染減法発動。
紫色の腕が波打っている。
体力を吸収しているのだ。
「マミーィィッッ!
アイツを蹴り飛ばせェェッ!」
【ハイッ!】
ダンッッ!
大地を強く蹴り、一足飛びのマミー。
ドコォォォォォォンッッッ!
渇木の脇腹にマミーの右足が炸裂。
真横に吹き飛ぶ。
強烈な威力の為、鞭子を掴んでいた手も離れた。
「キャンディッッ!
大丈夫かぁっ!?」
「う……
うう…………」
地面に寝ている鞭子の姿を見て絶句する轟吏。
右脹脛から膝上辺りまで黒く変色している。
これが恨気に侵されると言う事。
「キャンディッッ!
ワシの声は届いとるかっっ!?
はやく魔力注入を使うんじゃッッ!」
呻き声のみで返答は無い。
だが、呻き声を上げると言う事は気絶していないとして指示を送る。
集中ッッ!
鞭子に指示は届いていた様で即座に魔力注入発動。
右脚に魔力を集中させる鞭子。
黒く変色していた右脚の黒みが徐々に引いて行く。
それを見た轟吏は安堵する。
「キャンディ?
大丈夫か?」
すっかり元通りに戻った鞭子の右脚。
ゆっくりと立ち上がる。
「あ~~……
びっくりしたァ~~……
ゴリさん……
アイツ、かなりヤバいっすね……」
「あぁ……
式っちゅう術もまだまだ分からん事だらけじゃからなぁ……
とりあえず受憎は再利用可能らしい……」
「受憎ってあのキショい手を生やす術でしたっけ?
再利用って?」
「既に生えとる腕を使って新たに生成出来るっちゅう事や…………
となるとワシの弛緩咆哮は効かんのう」
例え現時点で渇木を弛緩させたとしても新たに腕を生成して、いくらでも逃げれるからだ。
「アイツの手に掴まれた瞬間、体力と魔力がゴッソリ抜けて行きましたよ~……
アレが式って術でしたっけ~~……?」
「あぁ……
ついでにいうと渇木が使うんは感染減法っちゅうやつじゃ。
やいやい」
「何ですかァソレェ~~?
式っていっぱいあるんですかァ~~?」
「お前、本当にレポート読んで無いんじゃな……
式っちゅうんは四つ型分けがあるんじゃと。
やいやい。
和法、減法、乗法、除法と。
いわゆる足し算、引き算、掛け算、割り算って事じゃ。
足し算や引き算は解らんでも無いが割り算なんてどうなんのじゃ……?」
「へェ~~……
それで感染……
減法でしたっけぇ~~?
喰らったらどうなるんですゥ?」
デュークの鱗に手を添え、魔力補給しながら更に尋ねる鞭子。
「レポートには対象の体力を吸収するって書いとったわ」
「ウゲッ……
キモい…………
ゴリさん~~?
バケモノって解ったからァ~~……
本気出しても良いですよねェ~~?」
コロコロ球が転がる様な甘えたロリータ声で怖い事を口にする鞭子。
「ワシは戦力としてほぼ役に立たんからのう……
ええんじゃないか……?
やいやい……
けんどのう……
北海道のクマとは違うんじゃ……
くれぐれも殺すなよ……」
「ヤダなァ~~
ゴリさんったらぁ~~
アタシだって立派な婦警なんですからァ~~
それぐらい解ってますよォ~~」
「本当かのう……?
やいやい……」
「発動ッ!」
キラリンッ!
再び体内に嘘臭い星の瞬く様な音。
魔力注入発動。
鞭子の魔力注入タイプは力型。
そう、ゴリッゴリの力型なのだ。
キャンディというあだ名やフリフリのミニスカート等と言う外見とは真逆のタイプ。
飴村鞭子。
あだ名や外見、言動などは苗字の飴村部分。
魔力注入タイプや後述のスキル等に関してはどちらかと言うと名前の鞭子部分と言う事だ。
「んで……
キャンディよ……
スキルの射程は伸びたんか?」
「ん?
別に使う用事無いから据え置きの一メートルぐらい?」
「あ…………
そうか…………
やいやい……」
トホホと言った顔を見せる轟吏。
前述の通り鞭子は職務に関してあまり真剣では無い。
従って他に使い道のない物騒なスキルの研鑽など積む訳が無いのだ。
「ほいじゃァ~~
まァ~~~……
ブチのめして来るわァッッ!」
前半はロリータ声。
後半は荒々しいトゲ付いた声になっていた。
鞭子の思考は戦闘モードにシフト。
ギュンッッッ!
鞭子の姿が消えた。
渇木に向かって行ったのだ。
「まず、アイツを起こさんとなあ……」
鞭子の呟きと共に寝ている渇木の頭上まで辿り着く。
ガンッッッ!
発動を発動させた右足で思い切り顔を蹴り上げた。
鞭子に一切の容赦無し。
轟吏の様に仰向けにして瞳孔を確認。
そんなまだるっこしい事していられるか。
敵は依然として存在し、こちらを排除しようとしているのだ。
完全に沈黙するまで殴って殴って殴り尽くし。
蹴って蹴って蹴り尽くしてくれる。
荒々しい戦闘モード鞭子の思考。
無数の長い手群ごと空に舞い上がる渇木の身体。
バンッッッッ!
強く大地を蹴り、渇木を追う鞭子。
まだ一発しか蹴っていない。
治ったとは言え、いつも手入れを欠かさない珠玉の脚を穢されたのだ。
一発では許せない。
許せる訳が無い。
追う中で鞭子が気付いた事がある。
ドコォォォォォォンッッッ!!
天高く右足を上げ、思い切り踵落としを渇木の腹に炸裂。
ピンク色のハイヒールが突き刺さる。
谷折りに曲がる渇木の身体。
ちなみに鞭子が履いている明るい蛍光ピンクのエナメルハイヒール。
ラメが入っていてキラキラと物凄く乙女チックな品。
が、材質は特殊チタンの物凄く剛性が高い物なのだ。
従ってよくあるヒールの踵が取れるなんて事は体験した事が無い。
これは魔力注入に対応する為だ。
魔力を込めた足で蹴りを入れたら普通のハイヒールでは一発で潰れてしまうのだ。
ギュンッッ
上昇していた渇木の身体は強制的に方向を変えられ、落下。
先程、鞭子が気付いた事は二つある。
まず一つ。
渇木の身体の震えが止まっている。
弛緩咆哮の効果が止んだのだ。
そしてもう一つ。
ほんの数瞬前。
思い切り蹴り上げた時にあったものが減っている。
何が減っているのか…………
それは紫色の腕である。
正確には先の二重唱で切断された腕。
切断された部位を体内に回収したのだ。
だが、上空で鞭子が気付いた点は“何かが減っている”と言う事だけ。
切断された部分までは気付いていない。
ダンッッッ!
落下した渇木は着弾せずに着地。
ビュビュビュンッッッ!
更に地上から受憎の触手で超速攻撃を仕掛けて来る。
上空にいる鞭子は躱す事が出来ない。
防御のみ。
体勢的に圧倒的有利だった鞭子。
だが一瞬で状況が反転。
不利になってしまった。
ガンッ!
ガガガンッ!
だが、魔力注入発動下の鞭子のハンドスピードなら何とか渇木の超速攻撃に対応は出来る。
だが…………
ガンッ!
ガガンッ!
ガッ!
ガッ!
ガッ!
超速で迫りくる無数の腕。
両腕の倍以上の攻撃。
かつスピードでは渇木の方が上手の模様。
手で払うのにも限界がある。
瞬く間に左肩、左前腕部、右上腕部と三箇所掴まれてしまう。
「…………カンセン…………
ワホウ……」
ヤバい。
恨気を流されてしまう。
しかし……
鞭子は落ち着いている。
「置換範囲」
ブン
ここで眼を疑うべき事が起きた。
確かに渇木のドス黒い紫色の掌は地表から伸び、上空の鞭子を掴んでいた。
だから上空で鞭子は止まっていたのだ。
……が、今……
鞭子の身体は落下している。
ボトッ!
ボトボトッ!
先に何かが落下した。
それは紫色の肉片。
切断面からは血等の液体は全く流れていない。
受憎を動かす為に血液などの体液は必要としない。
必要なものは恨気のみ。
体内にどれだけの恨みを抱いているのか推して知るべしと言った所だろう。
スタッ
続いて鞭子も着地。
ベリッ
ベリベリッ
各部に残っていた紫色の掌を強引に引き剥がし、汚いものでも拾ったかの様に遠くへ投げ捨てる。
鞭子は一体どうやって脱出したのか?
それは掴まれた瞬間に発動したスキルによってである。
鞭子のスキルの総称は“置換”と言う。
文字通り一定範囲の物体を別場所に置換する。
この置換と言うスキル。
汎用性が高く色々な応用が利くのだが、人相手の場合は使い方を考えないと簡単に殺害してしまう危険なスキルでもある。
置換はその名の通り何でも置換可能で指定範囲を真空状態にもする事が出来る。
その状態は超高真空レベル。
登場時に使用していた真空装甲がそれである。
■真空装甲
鞭子のスキル。
人の形に魔力で膜を作り、内部のあらゆる元素を置換によって外部に押し出す。
ある種の真空チャンバー。
置換なので何らかの元素と交換という形にはなるのだが交換される元素は極々少量。
宇宙空間に近い程の真空状態で身体を防御。
あらゆる熱攻撃、電気攻撃などを防げる。
更に超高真空状態を保つ魔力の膜となると硬度も高く、ある程度の物理攻撃にも有効である。
鞭子が轟吏と組まされるのはこれが理由である。
真空装甲を展開した鞭子には音は届かないのだ。
鞭子は言わば轟吏の天敵と呼べる存在である。
ちなみに真空装甲を纏った際の身体的影響についてはほとんど無い。
それは人型の魔力膜は二つ生成され、その中が真空になっているにすぎないからだ。
厚めの透明な真空スーツで完全密閉していると考えて頂ければ解り易いだろうか。
完全密閉しているのなら呼吸はどうしているのかと言う発想になるが、それは鞭子の受動技能で対応している。
酸素変換。
これが受動技能の名称である。
■酸素変換
鞭子の受動技能。
デュークの魔力を酸素に変換し体内に行き渡らせる事が出来る。
よって鞭子は無酸素空間でも活動が可能。
だが、無制限と言う訳では無く長くて八分程度。
理由は肺運動の停止による二酸化炭素排出不可。
酸素は呼吸により肺を動かし摂り入れ、肺を覆っている血管内の赤血球にくっついて全身に運ばれると言う仕組み。
だが酸素変換が発動すると魔力で直接酸素を摂り込む形になる為、肺運動が停止する。
酸素の面は問題無いが、二酸化炭素が体外に排出されない。
八分以上でも可能とは言えるが高二酸化炭素血症を引き起こす可能性があるのだ。
置換の恐ろしさはこれだけに留まらない。
そう、先の鞭子が脱出した置換範囲と言うスキル。
これは言わばピンポイント置換と言ったもの。
脱出時に使用した範囲は各全経三十センチ程のサイズ。
範囲内の物質と別場所の物質を置換した。
その置換した物質とは範囲外側の元素。
何故元素かと言うとこのスキルは範囲内の物質を一瞬で別に送ってしまうと言う点が肝要な部分であり、置換される物質は何でも良いのだ。
■置換範囲
鞭子のスキル。
一定小範囲の物質と別場所の物質を置換する事が可能。
別場所は最大十メートル範囲内であれば何処でも任意のポイントに送る事が出来る。
発動箇所の物質は置換を抗う事が出来ず、半強制的に別場所へ送られる。
(が、赤の王やナナオ等の超強大な魔力を有する存在であればその実では無いが)
複数箇所同時使用も可能。
使用時はすぐ側と置換する事が多い。
ちなみに置換元。
置換範囲の設置可能範囲としては二十メートルまで可能と言うのは解っている。
と、言うのもこのスキル指定範囲が無色透明なのだ。
全方位の様に緑色等していない。
だから遠く離れすぎると何処に設置したか鞭子本人にも解らなくなる。
先に轟吏が聞いていたスキルの射程とは有効射程。
現在、任意の箇所へスキル設置可能な射程は一メートル弱と言う事だ。
従って最大射程は二十メートル。
有効射程は一メートル弱となる。
ザッ
鞭子が歩み寄る。
「さぁ~~…………
クサレバケモンだから遠慮は無用だよなぁ~~…………」
依然として戦闘モードの鞭子。
言動の端々からも威圧が伝わる。
かたや手を出さない渇木。
いや、出せないのだ。
状況がまだ理解できていない為。
本能からなのか得体の知れない相手に不用意に攻撃は出来ない。
ザッザッ
が、無造作に近づいて行く鞭子。
有効射程まで侵入。
「まず…………
動けなくなって貰おうかァ~~…………?
置換範囲……」
ブン
ボトボトボトボトォッ!
ブシュゥゥゥッッ!
鞭子、スキル発動。
瞬時に腰部に生成された受憎腕二本。
そして両脚、太腿部辺り。
置換範囲の範囲に包まれたそれらの部分は強制的にすぐ隣にズレた。
真っ赤な血が右脚切断部から下へ噴き出す。
ドサァッ
紫色の受憎腕が本体から離れ、地面に落ちる。
その上に支えを失くした渇木の身体。
「ウゲッ…………
コイツの身体ホントにキショい……
何で一箇所だけ血が出てんのよ……」
それもそのはず。
あくまでも血が通って無い部分は受憎腕のみで右脚はそのまま素の身体なのだ。
ビュンッッ!
渇木の身体が消えた。
残る全ての受憎腕を使って、超速で逃げた。
それだけ置換範囲が脅威だった。
弾丸の様に真横に跳んだ渇木の身体。
その先には………………
先程二重唱で切断された受憎腕の残骸群がある。
これは渇木の逃走経路。
全て回収して改めて鞭子と対峙するつもりなのだ。
「逃げんじゃねぇっ!」
動きに気付いた鞭子が後を追う。
だが、これは悪手。
一番良かったのはデュークの亜空間に足元の受憎腕を格納する事だった。
ジュルゥンッッッ!
ジュルルルルルルゥゥンッッ!
真横に跳びながら超速で無数の長い紫色の腕を伸ばし、受憎発動。
瞬く間に散らばっていた受憎腕の残骸を体内に回収してしまう。
ちなみに受憎腕の掌も鶻として使用する事が出来る。
ダァァァンッッ!
真横に跳びながら全て回収し切った渇木は勢いよく地面を蹴り、大きくジャンプ。
ちょうど向かって来る鞭子を飛び越える形。
着地点はもちろん先程の場所。
置換範囲で切り離された受憎腕が散らばっている所。
「なにっ!?」
この動きは鞭子も予想しておらず、面食らう。
ギャギャギャギャァァァッッ!
カウンター気味に地面に足を入れ、急ブレーキをかける鞭子。
素早く渇木の方へ振り向く。
そこにはもう先程まであった紫色の腕は見当たらなかった。
全て体内に回収したのだ。
遠く離れた渇木に動きが見えた。
現在、渇木の両脚は無い。
置換範囲によって消失したからだ。
あくまでも消失。
切断では無い。
断面は鋭利な刃物で切断された様になっているが、置換範囲は範囲内の物質と別場所の物質を置換するスキルである。
右脚部からポタポタ血が滴り落ちている。
渇木は背中部から生えている二本の受憎腕で身体を支えている。
すると……
ズルルゥゥゥゥゥゥゥゥッッッ!
一瞬で両脚が生えた。
ドス黒い紫色をした両脚。
スタッ
生成したての両受憎脚で大地に立つ渇木。
更にここから……
ジュルルルルルルゥゥゥゥッッッ!
今まで生やしていた無数の受憎腕を全て体内に回収したのだ。
今目の前にいるのは通常の人の形をした渇木。
左腕前腕部、両脚をドス黒い紫色に染めている。
「何…………
アイツ、観念したのかしら……?」
グッグッ
と、その場で急に屈伸運動を始めた渇木。
まるで新たに出来た両脚を身体に馴染ませているかの様。
その異様な様を見て、流石に観念したとは思わず警戒する鞭子。
「キャンディ……
気ィ付けぇ……
多分……
仕掛けて来るぞ……」
「わかってますよォ~~~……
それぐらいィ~~……
アタシの事よりゴリさんは自分の身を護る事を考えて下さいィ~~……
正直……
ゴリさんの事を護ってるゥ…………
余裕は無いと思うんで…………」
鞭子の内心では渇木の身体能力と自分の魔力注入発動時の身体能力との差を比較していた。
力は同等ぐらい。
状況などによって左右するだろう。
防御面に関しては分が悪い。
感染和法に侵されると回復にそこそこ時間がかかる。
置換範囲で防御出来なくは無いが、同時使用は四箇所までが限界。
両手と合わせて七つ以上の多点攻撃をされるとヤバいかも知れない。
そして……
これが一番マズい。
スピード。
これは明らかに差がある。
式で身体強化した渇木の方が速い。
そしてこれは向こうも気付いているだろう。
いや、気付いている事を前提として動かないと多分やられる。
鞭子はそう感じていた。
ご覧の通り、こちらのスキルも脅威だが相手の式も脅威なのだ。
轟吏の身を案じている余裕など無い。
ダダッ
渇木はこちらに向かって走って来た。
結構速い。
速い癖に目は虚ろで口が半開きなのが物凄く気持ち悪い。
身構える轟吏らと鞭子。
どんどん間合いが詰められる。
さあどう来る?
鞭子の体内に緊迫感が奔る。
目算で間合いが五メートルを切った。
ダッッッッ!
ここで強く大地を蹴り、高く空へジャンプする渇木。
鞭子はまだ手が出さない。
いや相手の出方が解らない為、手が出せないのだ。
グアァッッ!
思い切り身体を曲げ、海老反る渇木。
力を溜めている様に見える。
限界まで反った身体。
力を解放させる様に。
限界まで引き絞った弓を放つ様に。
思い切り両腕、両脚を前に突き出した。
ズボァァァァァァァァァァァァァァッッッッ!
目を疑うべき光景に戦慄が奔る。
轟吏と鞭子の目に映った光景。
背中から無数の受憎腕が放射状に超速で伸びたのだ。
いや……
あれは受憎腕では無い。
先端が尖っている。
言わば受憎棘と言うべきもの。
何故恨みを晴らすと言う行為が行動原理の式使いが鶻を生成せずに棘を生成したのか。
それは渇木の晴らし方が嬲ると言う点に由来している。
対象の力は脅威。
ならば殺傷能力の高い形態でまず動きを止める事を優先したのだ。
そして生成数が物凄い事になっていた。
少なく見積もっても十以上。
蛸二匹分。
いや下手したらそれ以上。
放射状に飛び出した無数の受憎棘は縦横無尽に宙を駆け巡り、轟吏と鞭子に襲い来る。
「なぁっ!?」
「ナニィッッ!?」
目の前で起きた現実離れした事象に思わず声を上げる二人。
ガガガガガガガガィィィィンッッッ!
耳をつんざく衝撃音。
マミー周囲の魔力遮壁が一斉に発動したのだ。
ガガガガガァンッ!
ブンッ!
鞭子も両手と置換範囲全開で防御。
マズい。
鞭子に迫るのは多点攻撃。
あらゆる方向から迫る無数の受憎棘。
かたや鞭子の防御法は両手と置換範囲を合わせて六つが限界。
明らかに迫る攻撃数はそれ以上。
集中ッッ!
腹を括った鞭子。
瞬時に両前腕部へ魔力集中。
防御の為だ。
ガガンッッ!
ブンッ!
両手で迫る受憎棘を払い、置換範囲で棘部分を消去。
出来るだけ傷を浅くするためだ。
数を減らした後は両腕を立てて胸前に。
ボクシングで言う所のピーカーブースタイル。
心臓や頭など即死する可能性のある重要部分を防御する為だ。
発動ォッ!
キラリンッ
ドスッ!
ドスドスドスッゥッッ!
四つの刺突音。
受憎棘が鞭子の身体に突き刺さる。
右脇腹。
左肩。
右太腿に二本。
灼け付く痛みが鞭子の身体に奔る。
「グゥッッッ!!!」
鞭子の口から苦悶の呻き声。
だが耐えれる。
腹を括っていたから。
傷つく覚悟をしていたからだ。
「キャンディッ!」
轟吏の声が轟く。
スタッ
渇木着地。
ググググッ
貫いた鞭子の身体を持ち上げ、自分の方へ寄せる。
体内に奔る痛みの処理で顔を物凄く歪ませる。
その鞭子の顔を見つめ、ニヤァッと笑みを浮かべる渇木。
その笑みは泥の亀裂の様な恐ろしく冷たい笑みとは違う。
例えるならネットリとベトつく様な猛毒の沼。
そんな笑みである。
「レ…………
置換範囲……」
ブン
貫いていた四つの棘。
その一部分が同時消失。
ようやく鞭子解放。
宙から落下。
地面に落ちるかと言う瞬間…………
ダッ!
デュークが動いた。
上手く背中で鞭子を受け止め一旦退避。
ビュビュビュンッッ!
ここで逃げられたら敵わないと渇木は受憎棘を放ち、追撃。
【フン】
ちらりと後ろを向いたデューク。
向かって来ていた七つの受憎棘。
その先端が一瞬で消失した。
これは置換範囲と同じ効果。
同様の技をデュークも使えるのだ。
しかも性能は鞭子よりも上。
射程範囲外まで難なく退避したデューク。
【キャンディよ……
大丈夫か……?】
「問題無いわ……
ありがとうデューク」
四箇所にかなり深い傷を負っていた筈の鞭子。
だがもう完全に傷口は塞がり、元通りになっている。
先の攻撃に比べて段違いの回復スピード。
先の恨気に侵された状態とただの刺突傷では全く傷の種類が違うのだ。
先の回復は傷の治療と言うよりは恨気と言う毒素を除去するという意味合いが大きい。
かたや今回の傷は深くはあるが、ただの刺突。
傷を塞ぐだけなので回復が早いのだ。
この段階で鞭子は勝利を確信した。
場所が悪ければ致命傷も免れないかも知れない鞭子の暴挙とも言える行為。
だがこの行為にはいくつかの意味があった。
まず相手の方が勝っているスピード。
この有用性はあくまでも動いているから意味のある事。
刺して固定しまえば意味が無くなる。
そして棘の状態でも恨気は流せるのか?
これは鞭子の予想通り流れていない。
この事の実証。
更に刺した後、鞭子の様子を伺う為に間合いを狭めた事。
この距離は置換範囲の有効射程に入っている。
ここまで確認した為、勝利を確信した。
置換範囲の使用方法で今まで明かしたやり方以上の方法がある。
次に攻撃して来たら、試す気でいた。
このやり方で一番マズいのは、刺した後に更に刺そうと攻撃を繰り出して来た時だ。
刺されて動けない所へ更に刺さると失血量も半端無くなり下手したら死んでしまう。
だが、思いつく作戦はこれぐらいしかないのが現状。
やるしかないのだ。
いくら覚悟をしているからと言ってそう何度も刺されるのは御免被りたい。
次の攻撃で渇木を確保まで持って行く気でいた鞭子。
「ゴリさん……
次で決着つけますんで……」
ビュンッ!
覚悟を決めた鞭子。
発動起動させた両脚で一足飛び。
まるで特攻を仕掛ける戦闘機乗りの様。
既に頭部と胸部は堅く両腕でガードしている。
ここで渇木の誤算が響いて来る。
渇木が勝つ為には鶻を実装した手を生成するべきだった。
だが、恨みを晴らす事。
いわゆる対象を嬲る事を優先してしまった。
それが背中から生えている無数の受憎棘なのだ。
しかもその誤算に…………
ビュビュビュビュンッッッ!
渇木は気付いていない。
先と同じ様に超速で受憎棘攻撃を繰り出して来る。
ガガンッッッ!
ブンッッ!
両手で棘を払い、置換範囲で棘部分を消失させ、防御。
グングン間合いが詰められていく。
だが、雨の様な攻撃は止むことを知らず、次々と迫りくる。
こんな雨の様な攻撃の中に飛び込むなど常軌を逸している。
傍から見たらただの自殺志願者。
だが、もちろん鞭子は死ぬ気など微塵も無い。
不利な状況から勝利をもぎ取る為の行為。
ドスッ!
ドスドスドスドスゥゥッッ!
やはり多勢に無勢。
ついに鞭子の身体は貫かれてしまう。
ここで鞭子にも誤算が訪れる。
刺された箇所が五箇所なのだ。
置換範囲は同時に四箇所しか発動出来ない。
だが、地獄の業火の様な痛み以外は些細な問題。
何故なら仕掛けようとしている作戦がハマれば、必ず渇木は確保できる。
そう確信していたからだ。
鞭子の動きが止まる。
猛烈な痛みと受憎棘に貫かれたからだ。
ググググッッ
五本の受憎棘が鞭子の身体を持ち上げ、渇木本体の側まで寄せられる。
「グウッッッ……」
動く度に身体の痛覚神経に大きな刺激が奔る。
覚悟しているとは言え、意識が飛びそうな程痛い。
苦悶の声が漏れる。
だが、これで。
これで決着がつく。
渇木との間合いが一メートルを切った。
射程範囲。
今回、渇木は笑っていない。
まるで値踏みする様に鞭子を見上げている。
さっきと違う点が気になる所だがここまで来た以上もうやるしかない。
鞭子は手を翳す。
渇木の顔に向けて。
「減圧領域……」
鞭子がスキル発動。
このスキルが決まればこちらの勝利は確定する………………
はずだった。
グンッッ!
渇木が素早く頭を後ろに引いた。
ボクシングで言う所の超速スウェーバック。
鞭子のスキルが躱されたのだ。
この減圧領域と言うスキルも一定小範囲内に効果を及ぼすのだが、最大限に発揮できるのは頭部。
本能からか第六感からかわからないが、渇木は察知し、躱したのだ。
指定空間は置換範囲と同様、無色透明にも関わらずである。
「!!!!?
…………グウゥッッッ……!」
声にもならない驚きと全身に奔る痛みにより呻き声を上げる鞭子。
ヤバい。
まさか躱されるとは思っていなかった。
背筋に戦慄が奔る。
勝利を確信していたのが一転して圧倒的危機に陥った。
これはマズい。
一旦退いて体勢を立て直さないと。
「レ……
置換範囲……」
ブンッ
突き刺さっている受憎棘の一部分を置換。
残る一箇所。
右太腿部。
ズボォォッッ
ブシュゥゥッッ!
鞭子は力任せに引き抜いた。
幸運な事に渇木がスウェーバックした事で受憎棘の力が弱まったのだ。
何とか拘束から解放された鞭子。
地面に落下。
落下する間、太腿に魔力を集中させ止血と治療。
ダンッッッ!
着地寸前、地面を強く蹴り後方へ超速で飛ぶ鞭子。
ビュビュビュビュンッッッ!
が、指をくわえて見ている程渇木は甘い敵では無い。
即、無数の受憎棘を繰り出し追撃。
「デュークゥッッ!」
鞭子が叫ぶ。
ブンッ
迫って来ていた受憎棘の先端は全て別場所へ置換。
鞭子、デュークと合流。
そのまま背中に乗る。
「デューク……
ゴリさんの所まで…………
アアァァァッッ!!」
ズボォォッッ!
焦った鞭子は置換範囲の位置をミスっていた。
そのせいで、何本かは棘が突き刺さったままになってしまっていた。
上半身に刺さっている受憎棘を引き抜きながら、デュークに指示。
抜く度に患部から奔る痛みで身が焦げる様だ。
思わず悲鳴を上げてしまう。
抜いた先から回復を図る。
【キャンディよ…………
奴の感覚はどうなっているのだ……?
減圧領域を初見で躱すなど竜でも困難だぞ……】
渇木のスウェーバックに竜であるデュークも驚いている。
「そ……
そんなのォっっ……!
アタシがァッ…………
知る訳無いじゃんッッッッ!
んぅっ…………
アァアァッッッ!」
ズボォォッッ!
最後の一本を引き抜く鞭子。
回復が終わった辺りで轟吏の元まで下がる事が出来た。
「キャンディ、大丈夫か……?
やいやい……」
「軽く言っちゃってェ~~……
ホント死ぬかと思いましたよォ~~……」
何とかキャラ作りは出来ているが頭では減圧領域をどう喰らわすか思案中の鞭子。
「アレ…………
減圧領域じゃろ……?
やいやい……
まさかアレが躱されるとはのう……」
「ええ……
アイツ、本当に化け物ですよォ~~…………
でも生物である以上……
決まれば気絶はすると思うんですがァ~~……
こうなって来ると自信無くなって来ちゃう~~……」
「やいやい……
キャンディ……
ワシが奥の手を使う……
これで顔が出た瞬間ならどうじゃ……?」
「えぇっ……!?
アレ使うんですか…………?
ゴリさん……
解ってるんですか……?
あれって自爆技ですよ……?
しかも下手したらゴリさんを逮捕しないといけなくなりません……?」
轟吏の奥の手。
それは鞭子が一瞬、自分のキャラを忘れてしまう程危険なスキル。
このスキルが原因で大雪山の一部が消失したのだ……
「や…………
やいやいっ!
今はきちんと対策も考えとるし、範囲も絞れる様になっとるっ!」
「ホントですかァ~~…………?」
ジトッとした猜疑の溢れた目で轟吏を見つめる鞭子。
「やいやいっ!
信用せんかいっ!」
【轟吏…………
北海道の時とは違うのですよ……
ここは街中…………
下手をすると大量の屍を築く事にもなりかねません…………
くれぐれも……
くれぐれも注意して…………】
マミーからも苦言が飛ぶ。
「やいやいっ!
マミーまでそんな事言うんかっ!
大体お前、ワシの練習に付き合ってたじゃろっ!?」
轟吏の奥の手。
名称を“じっと動くな”と言う。
これはロッシーニ作、歌劇”ウィリアム・テル“のフィナーレで歌われるアリア。
轟吏の思い出の曲からの引用。
「とりあえず、はよ準備せいっ!」
「その前にィ~~?
対策っての教えて下さいよォ~~
アレ抜け出るの大変なんですからァ~~
北海道の時も完全に酸素変換頼みだったでしょぉ~~?」
「やいやい。
それはのう、マミーの魔力遮壁を横に使うんじゃ。
そうしたら空中に浮いてられるって事が解ったんじゃ」
轟吏の対策とはマミーの魔力遮壁の応用。
もともと魔力遮壁とは物理攻撃が当たって初めて発動するものだが、それを足場として利用するのだ。
もちろん射程範囲は狭い為、鞭子とデュークはマミーの側からは離れられない。
「マミーィ~~……?
ゴリさんの言ってる事、ホントォ~~……?」
猜疑の目を今度はマミーに向ける鞭子。
【ええ……
まあ……
本当ではあります……
私的には気持ち悪いのであまり使って欲しくは無いのですが……】
あくまでも本来の使い方とは違う応用なので、マミー的には何ともムズムズするのだ。
「お前ら…………
せっかくワシが考えた対策を…………
やいやい、まあええわい……
作戦としてはこうじゃ……
まず竜に跨って、奴の近く上空までジャンプする。
上空で”じっと動くな”を発動する。
そんで地表一メートル付近に着地して待機。
キャンディは減圧領域の準備。
これでどうじゃ?」
「う~~ん…………
何か色々引っかかる点はあるケドォ~~
確かに”じっと動くな”の進行速度なら大丈夫かもねェ~~……
どうせこのままだと減圧領域はかからないだろうしィ~~……」
「やいやい、ほんじゃそう言う事で…………
作戦開始ィッ!」
轟吏と鞭子は各々竜に跨る。
「行ってくれ、マミーッッ!」
「デューク、お願いんっ!」
【わかりましたっ!】
【承知ッ!】
ダダッ!
撫子色の竜と樺色の竜が渇木に向かい、駆け出す。
まだ特に動きが無い渇木。
ダァンッッッ!
二人の竜が強く大地を蹴り、高くジャンプ。
「行くぞォォォッッ!
キャンディッ!
準備せィッッ!」
ゴキィッ!
ギュウッッ!
轟吏が自らの喉を持ち、鳴らす。
”じっと動くな”を使用する時は大きく鳴らし、ガスコンロの様に捻るのだ。
発動ポイントまで到着。
「”じっと動くな”ゥゥゥッッ!
オオオオアアアオアオオア~~~~ッッッ♪♪!!!」
バス歌手特有の超低音ボイスが周りに響き渡る。
ザザッ…………
ザザザザザザザザザッザッザッザザザァァァァァァァーーーッッッ!!
辺りに異変が起きる。
地面が砂化、粉化して行っているのだ。
その変化速度は途轍もなく速く、渇木の脚は既に膝まで埋まっていた。
突然の出来事に対応できずキョロキョロしている渇木。
そうこうしている内に腰まで大量の砂中に埋まってしまった。
藻搔く渇木。
だが抜け出せない。
藻搔けば藻搔く程どんどん沈んで行く。
圧倒的進行速度。
この広範囲を短時間で砂・粉に変質させる驚異的なスキル。
ザフンッッ!
完全に砂中へ沈んでしまった渇木。
地表一メートル地点到達。
スタッ!
横に生成した魔力遮壁に着地するマミー。
【ぬうっ…………?】
すぐ側でデュークも着地。
突然現れた足場に少し身体がグラつく。
「相変わらずゥ~~……
シャレにならない威力ですよネェ~~?
”じっと動くな”ゥ~~」
鞭子の眼下に広がるのは一瞬で現れた広大な新宿砂漠。
大昔の名曲“東京砂漠”を地で行くような光景。
「それでェ~~
ゴリさん~~?
これェ~~
どこまで砂になってるんですゥ~~?」
「やいやい……
かなり範囲は絞る様に意識したから……
多分全経で五百メートルぐらいかなと……」
轟吏の言う通りかなり遠くの方まで砂漠が続いている。
緑豊かな新宿御苑の植物がほぼ砂漠に埋もれてしまった。
新宿御苑の名物であり樹高三十メートル以上あるユリノキがほぼ埋まっている。
これで解る事は砂漠の深さは三十メートル近くあると言う事。
だが、遠くの方に植物は見える。
北海道の頃と比べて格段に範囲が狭まっている。
大雪山の時は全経十五キロが全て砂漠と化したのだ。
「うわっ…………
久々に聞いた……
ゴリさんのデスボイス……」
鞭子が若干引いている。
それもそのはず。
轟吏の声が豹変していたからだ。
まるでサンドペーパーを両手でグシャグシャと丸め続けている様な声。
これは轟吏の喉枯れ。
これでもう一切のスキルは使えない。
■じっと動くな
轟吏の奥の手。
仕組みは至ってシンプル。
弛緩咆哮を最大出力で放つだけである。
だがその効果は絶大。
範囲内の無機物の分子結合を解き、砂もしくは粉に変えてしまう。
有機物には効かない。
このスキルは有機物には通用しない。
従って、植物や生物はそのままなのだ。
これは自身が警察官であると言う事が起因している。
犯人を殺す事では無く、逮捕する事を重んじて職務に勤めているからだ。
イメージとしては弛緩咆哮を最大出力で放つ感覚なのだが、何故かこの様な効果になってしまった奥の手。
轟吏が警察官と言う職に誇りを持っているからだろうか。
「んで~~……
ゴリさん~~?
アイツ、窒息したらどうするんですかァ~~~?」
”じっと動くな”で一番怖いのは恐ろしく深い砂の海に沈んだ事による窒息死なのだ。
受動技能により無呼吸下でも活動できるとは言え、北海道の時はあわや高二酸化炭素血症か窒息かと言う程に追い詰められた鞭子。
もちろん轟吏も同様に窒息死寸前だった。
マミーが側に居なければ自身のスキルで絶命する所だったのだ。
自爆技と言われる所以である。
「……そん時はワシが懲戒免職喰らって塀の中じゃろうのう……
やいやい」
「いいんじゃないっスかァ~~?
あんなバケモン殺してもォ~~?
隊長がモミ消してくれますってェ~~」
「やいやいっ!
キャンディッ!
ワシらの仕事はあくまでも犯人を捕らえる事じゃっっ!
犯人を殺してしまったら犯罪者と同じじゃないかっっ!」
轟吏が声を荒げる。
「ふぅ~ん……
ゴリさんってェ~~……
キショいぐらい真面目ですよねェ~~……」
「キショ…………」
言葉を詰まらせる轟吏。
「や…………
やいやいっ!
そんなんはどうでも良いんじゃっっ!
さっさと減圧領域の準備せいやっ!」
キショいと言われた事がかなりショックだったが勢いで押し切る轟吏。
「も~~
準備出来てますってェ~~
後は渇木の顔出し待ちでェ~~す……」
受憎腕のパワーなら砂漠から飛び出して来るかも知れないのではと思うかも知れないがそれは不可。
何故ならこの砂漠。
深さは三十メートルあり、かつ砂の粒子はかなり細かい。
力を込めても暖簾に腕押し。
全て殺してしまうのだ。
しばし静寂が辺りを包む。
砂漠表面を目を凝らして見つめている鞭子。
あんな事は言いつつも、決して鞭子は油断している訳では無いのだ。
三分後
砂漠表面で変化がある。
ボフッ
渇木の頭が出た。
「釣れたァァァッッ!
減圧領域ッッッ!」
「ガァァッッッ………………!!!」
鞭子がスキル発動。
渇木の呻き声。
スキルにかかったのだ。
■減圧領域
鞭子のスキル。
小範囲の領域を生成し中の酸素と他場所の少量の元素と置換し、真空状態を作り出す。
置換される元素は窒素。
その領域は頭部から胸部にかけて設置。
急な減圧環境下に置かれた対象に重度の減圧症を引き起こす。
■減圧症
血液や組織中に溶けていた窒素が減圧に伴い気泡を発生させる状態。
この気泡が膨張して組織を傷つけ様々な臓器内部の血管を直接塞いだり、血栓を生成したりする。
症状は軽いものなら疲労、食欲不振、頭痛、怠さ等だが重度になると腕や脚にしびれ、筋力低下。
部位によれば錯乱、発話困難、複視、麻痺や死亡まで幅がある。
減圧領域で引き起こされる症状はⅡ型減圧症。
意識を失う事は稀だと言われるが、大抵このスキルを喰らうと失神してしまう。
ザフッ
砂上に顔を突っ伏した渇木。
失神したのだ。
どうやらこれで決着がついた。
ズブ……
ズブズブズブ……
失神した渇木がどんどん砂に沈んで行く。
「おっいかん。
やいやい、マミー。
渇木を引き上げてくれ」
【やれやれ…………
轟吏……
貴方最近、竜使いが荒くないですか……?】
そう言いつつも長い尻尾を沈みかけた渇木の腕に巻き付け、拘束。
「やいやい、後は”じっと動くな”の範囲外まで跳んでくれや」
ダンッッッ!
足場の魔力遮壁を蹴り、高くジャンプするマミー。
ザバァァァァァッァァァッッッ!
砂中から渇木が引き上げられる。
と、同時に無数の受憎腕や棘も一緒に引っ張り上げられる。
「うわァ~~~…………
何かキモい大物釣り上げたみたい~~」
鞭子の素直な感想。
デュークも続いてマミーの後を追う。
ザンッッッ!
マミー着地。
ドンッッ!
続きデュークも着地。
ドサァッッ!
マミーが宙で尻尾を解く。
拘束から解かれた渇木が地面に落下。
「やいやい…………
これ…………
どう拘束したら良いんじゃろ……?」
目の前に転がるのは背中から紫色の夥しい数の長い腕と棘を伸ばしている失神した小太りの男、渇木である。
先程までは全て棘だったにも関わらず、いつの間にか数本腕に変わっている。
恐らく砂中から這い出る為に変えたのだろう。
轟吏も鞭子も竜の亜空間に拘束衣は格納している。
響が使用したものと同じ。
これはあくまで人間用なのだ。
サイズは大きめに作ってはいるのだが、こんなにも受憎腕を生え散らかした対象を拘束する様には設計されてないのだ。
とりあえず亜空間から拘束衣を出したもののどう拘束したらいいかと頭を悩ませている轟吏。
「ゴリさァ~~ん…………
ナイフぐらい持ってるでしょォ~~……?
それで斬り落としたらいいじゃないですかァ~~?」
ロリータ声で怖い事をサラッと言う鞭子。
「や……
やいやいっ……
持っとるけどもだな…………
キャンディよ……
お前は女なんだからもう少し言い方をだな……」
「ゴリさん相手に乙女出してもしょうがないでしょォ~~……?
魚捌くのと大して変わりませんってっ!
ホラホラッ!
早くナイフ出してッッ!
サンッ!
ハイッ!」
轟吏と鞭子は七つ以上年が離れている。
更に鞭子は年下好み。
ハナから轟吏は眼中にないと言う事である。
「やいやいっ……
わかったわいっ!
急かすなっ………………
本当に気持ち悪い紫色じゃのう…………
よっと…………」
ズバッ
鞭子に急かされた轟吏は手早く亜空間からサバイバルナイフを取り出す。
渇木の受憎腕を持って、生成根元辺りに当てる。
そして一息に引いて、斬り離す。
分離された長い受憎腕。
それを亜空間に格納する轟吏。
「はぁ~いちょいストップゥ~~……
ゴリさんゴリさん何やってんのぉ~~?
そんなキショいモン持ち帰ってどうすんのよォ~~。
食べんのォ~~?」
【轟吏……
あまり私の亜空間に気持ち悪いものを入れるのは……】
轟吏の行動に鞭子とマミー両方から物言いが入る。
美を意識するマミーからすると自身の亜空間に気持ち悪いものを格納されるのは堪ったものでは無いのだ。
「食べるかぁっ!
鑑識に回そうと思うとるんじゃぁっ!
マミーもあと一本だけ我慢してくれや。
これも仕事じゃ」
ズバッ
そう言って再び受憎棘を持ち、根元から斬り離す。
おもむろに亜空間へ格納。
「サンプルは一つずつでええじゃろ……
ほいじゃあどんどんスッキリさせてくぞやいやい」
ズバッ
ズバッ
ズバッ
二本切ると慣れたのか、手早くどんどん受憎腕と棘を切り取って行く。
瞬く間に積み上げられた紫色の気持ち悪い山。
「ふぅっ……
ホレ、こんなもんじゃろ……
さっさと拘束衣着せるぞ。
手伝えキャンディ」
「んでェ~~……
この積んであるキショい山はどうするんだっつーハナ…………」
ズンッッッッッッッッッッッ!!!!!
突然。
突然の出来事。
突然轟吏と鞭子の身体を縛る巨大な圧。
いや、圧なんて言う生易しいものでは無い。
纏わり、圧し掛かって来る圧はドス黒い巨大な負の思念の様。
身体の奥から湧いて来る嫌悪感。
ガクッ…………
二人とも瞬く間に両膝をついてしまう。
【轟吏っ
どうしたのですかっ?】
【キャンディ……
何が起きている?】
竜は二人とも別状は無い。
「やいや…………
これ…………
は……」
「何…………
コレ…………
わから……」
どんどん意識が薄れていく。
目端から大きくなる黒。
シュルゥゥゥッッ
ぼやけていく視界の中。
確かに見た。
伸びて来る紫色の長い手を。
その伸びた手は気絶している渇木に巻き付き、そのまま攫って行った。
そして…………
二人は気を失った。
百六十一話に続く。