第百五十九話 周章狼狽(轟吏・鞭子前編)
今回は三人称視点でお送りします。
東京都で起きている飲食店関係者の連続行方不明事件を探る特殊交通警ら隊のメンバー十拳轟吏と撫子色の鱗を持つ美竜のマミー、飴村鞭子と樺色の鱗を持つ竜のデュークについて語りたいと思います。
警視庁
出庁して来たスーツに身を包んだ真っ黒で大柄な男と赤紫色の鱗を光らせた陸竜。
十拳轟吏とマミーである。
基本警察の竜と言うのは陸竜がほとんどだ。
翼竜は雇っていない。
ちなみにドックは翼竜と言うカテゴリーでは無く、蛇竜や和竜と呼ばれている。
これは日本の竜分布にも依る話。
日本の竜の割合として陸竜が65%。
海竜が22%で翼竜は13%となっている。
翼竜は気持ち希少種な方とも言える。
世界視点で見たら解らないが。
かつ自衛隊と警察の政治的なパワーバランスも一因。
自衛隊の虎の子部隊である翼竜大隊の存在。
自衛隊としては他の組織に翼竜を編成されると色々都合が悪いと言う事だ。
轟吏はエレベーターに入る。
マミーは何も言わずとも自然と小さくなる。
特殊交通警ら隊として仕事に就く様になって日が経っていると言うのもあるが、マミーは常に自身は美しくあれと考える竜。
先日竜司が感じた気品等はその考えからの所作と言える。
その考えは美しさ=自然と言う公式にまで発展している。
自然であればある程美しい。
そう言った理由からマミーは一度言われた事はきちんと護り、次回からは言われずとも行うのだ。
誇り高い竜がと思われる読者も居るかも知れないが、マミーはそんな自身の振る舞いを大層気に入っているのだ。
やる度に美が増していると。
ダイナに似た、変わった承認欲求を満たしていると言う事だ。
ダイナの場合は十七に。
マミーは自分自身にと言う話である。
轟吏が押した階は十五階。
公安課がある階だ。
やがて到着。
公安第五課 特殊交通警ら隊詰所
詰所のドアを開ける轟吏。
「おはようございます」
「おっ?
ゴリさん。
おはよう」
ゴリさんというのは轟吏のあだ名である。
【おはようございます。
隊長】
マミーも挨拶。
轟吏が隊長と敬っているので自然と身についたのだ。
「ゴリさん。
さっそくで悪いんだがこれを見てくれないか?」
そう言ってプリント紙を何枚か渡す豪輝。
それは先日響が電波超傍受で得た情報をピックアップし、まとめた行方不明者リスト。
そこに所在や勤務先。
家族構成などを豪輝が調べ、注釈を付けたものである。
「ン…………?
やいやいっっ!
これはワシが担当する次の事件ですかいのうっ!?
隊長ッ!」
この“やいやい”と言うのは轟吏の口癖。
いつ付けるか。
どんな時に付けるかは不明。
轟吏の気分としか言いようがない。
やいやいと言う言葉は乱暴に聞こえるかも知れないが別に侮蔑の意志が無い事は豪輝を始め、隊全員が知っている事である。
「あぁ、まだ解らんがな……
一般事件の可能性もある」
「やいやい…………
隊長はこれが刑戮連絡みかも知れんと思っとるんですかいのう……?」
「そう言う事だ。
もし犯人が居て、式使いとなると一般警察では太刀打ち出来んからな」
この豪輝が渡したレポートは前話“暗黒沈静”にて踊七が警護に就いていた時に得た情報である。
竜司や響は関連無いとしてスルーしていたが豪輝はこの段階で刑戮連が関係している可能性を視野に入れていたのだ。
それにしても轟吏の“やいやい”の使い方に関しては謎である。
「隊長ォ……
これ全員飲食店員ですね……」
「あぁそうだ。
だがゴリさん、まだ俺達が動くのは早いぜ。
一応資料は織対にも送っている」
豪輝の言う組対とは組織犯罪対策部の略である。
■組織犯罪対策部
日本の警察組織のうち、主に暴力団等の組織犯罪、銃器や違法薬物の取り締まり、外国人犯罪対策、国際捜査共助等を目的とする内部組織の一つ。
2004年4月に設置。
それまで暴力団犯罪や銃器・薬物犯罪は複数部局の所轄となっていたが、それらは組織犯罪としての関連が強く、その対策として複数部局を統合し対応にあたるものとした。
行方不明者等も担当する。
「組対にですかい?
あいつらすんなり受け取りましたかいのう?」
少し怪訝な表情を見せる轟吏。
組対の中には特殊交通警ら隊の事を快く思っていない者もいる為である。
警官人数46000人以上を誇り、東京都内に十の方面本部。
百二の警察署を配備する世界有数規模の警視庁。
膨大な警察官が九つの部に別れ、日々勤務している。
ほとんどが一般警察官の中、現れた異能集団である特殊交通警ら隊。
誰しもが歓迎していると言う訳でも無いのだ。
「まあ、一応今の段階では行方不明者捜索だからな。
組対でも気づいていて、捜査開始する段階だった。
事件性が見受けられたら即ウチに連絡をよこせと言ったら、あから様に嫌そうな顔してやがったけどな」
「まあ、仮にこの事件が竜河岸絡みとなったら一般警察官はお呼びじゃなくなりますからなあ……
やいやい」
「あいつらはまだ餅は餅屋って言うのを解っちゃいねえ。
とりあえずこの件はもしウチの担当になった場合はゴリさんに対応してもらうからそのつもりで」
そう言って轟吏に資料を渡す豪輝。
式についてまとめた資料だ。
依然としてこの行方不明事件への刑戮連の関与を疑ってる様子。
「やいやい、わかりました」
今回の“やいやい”は“はい”の意味合いだった模様。
謎である。
ギシッ
轟吏は椅子に深く腰掛ける。
大柄の為椅子が小さく見える。
まるで巨大な石炭を載せてる様だ。
「ふむう……
これがカズの諸行無常の響きありで作成した犯人像ですかい……」
「ああ。
残りは三人だ。
刑戮連は正直バケモノの集まりだ。
一般人だと思わない方が良い。
響と竜司……
カズも加わってようやく身柄確保だからな……」
■中田宏
耳が隠れる程の白髪。
ボサボサと言う言葉がしっくりくる。
目は虚。
異常者の目。
口は半開きで歯がほとんどない為、唇が口内に引っ込んでいる。
入れ歯を外した老人の様に。
これは竜司と対峙した頃から急変している。
式の会得の為、全てを犠牲にした結果と言える。
■曽根嫉実
中肉、丸顔の中年女性。
ワンレンでボリュームがあり、毛先は横巻パーマを当てている髪型。
口は横に大きく唇は分厚め。
鼻も潰された様に広がり、穴も大きい。
両眼は離れており、目尻が垂れている。
つけまつ毛を付けているせいか異様に目がパッチリしているが虚ろな為と顔のパーツ単体で見ても不細工としか形容し難いせいで化物感が増している。
■渇木髄彦
髪は黒く、オカッパ。
異様な程頬がこけている。
目は曽根とは違い、中央に寄っていて小さめ。
口は中田の様に半開き。
歯は生えてはいるが……
全体的に短い。
エナメル質が溶けている様だ。
これらのモンタージュ絵はあくまでも泥の残留思念からカズが描いた絵である。
今現在がこの通りかどうかは不明である。
「隊長ォ……
睨んどるのはこの渇木髄彦ですかいのう?」
轟吏は恨気の募らせ方に着目していた。
渇木の募らせ方は食べ物。
食べ物に対して恨みを持つ。
拒食症と式の会得経緯を考えると当然ではある。
轟吏は恨気を募る為に飲食店関係者を襲っているのではと考えていた。
そしてそれは……
「あぁ。
この恨気の募らせ方からな……」
豪輝も同じ考えである。
バタンッ!
「おっはよんっ!」
この段階で勢いよくドアが開く。
やって来たのは飴村鞭子である。
「おはようキャンディ」
「隊長、おっはよん。
……ってゴリさん、何見てるんですかァ?」
鞭子が式のレポートを覗き込む。
「おおキャンディか。
おはよう。
やいやい、これは先日捕らえたテロリスト共の資料じゃ」
「へーっ……
何?
ゴリさんが担当すんの?」
「今んとこワシらが出張る事件かどうかはわからんがな」
「ふぅ~ん……
まあアタシが担当する訳じゃ無いし、せいぜい死なない様にねん」
鞭子からすれば所詮他人事なのだ。
こうして一日は終わる。
「おっ?
もう定時か。
二人ともお疲れさん」
本日警視庁にやって来た隊員は轟吏と鞭子のみ。
豪輝を含めると三人。
他の隊員は何をしているかと言うとカズや綴は他の事件の担当。
リッチーは府中刑務所に常駐。
その他の隊員も何かしら事件に携わっていると言う事だ。
日本全国ほとんどを対応している為、出張が常の隊員。
静岡のダブルドラゴンの様なケースもあるが全都道府県に居る訳では無いのだ。
「やいやい、お疲れさんでした隊長ォ」
「お疲れさ~ん。
ゴリさん、今日も歌いに行くんですか?」
「年始のコンサートが控えとるからのう。
今日も練習じゃ。
やいやい」
轟吏は趣味で民間オペラ団体に所属している。
その界隈では知る人ぞ知ると言う日本でも屈指のバス歌手でその声は特に深いとされるバッソ・プロフォンドに分類される。
海外からのオファーもいくつかあったが全て断っていた轟吏。
それは自身が警察官だから。
あくまでもオペラは趣味なのだ。
所属している団体は公益財団法人 日本オペラ振興会。
その一部門である藤原歌劇団である。
年始コンサートで披露する“魔笛”の練習に出向くのだ。
都内某所 某ホール
「おはようございます。
やいやい」
(あ、十拳さん。
おはようございます)
「やいやい。
遅れてしまって申し訳ないです」
(しょうがないですよ。
十拳さんは本業ありますし……
今日は事件とか無かったんですね)
「そ…………
それがのう…………
もしかして……
また事件の担当になるかも知れんのじゃ……
やいやい……」
(え…………?
年始コンサート大丈夫なんですか……?
“魔笛”は十拳さんが居ないと有り得ませんからね)
轟吏は魔笛で重要なアリアとなる“この聖なる殿堂には”を任されていた。
重大な役と言う事で轟吏自身もかなり気合が入っている。
だが、やはり社会人として本業を優先するのは当然である。
「やいやい。
心配いらんわい。
ワシは今日、自身のパート仕上げるつもりで来たからのう」
(…………でも、みんなと合わせないといけないですし……
今十二月の初旬ですよ……?)
「こんな事は慣れっこじゃ。
今日みんなと一度合わせてそれで本番バッチリ合わせて見せるわい」
が、轟吏もバス歌手と警察官。
二足のワラジを履き始めて久しい。
こんな状況は今まで何回もあったのだ。
(相変わらず十拳さんの竜って綺麗ですよね~~)
(ホントホント。
いつかマミーちゃんにもオペラ出て欲しいわ)
【フフ…………
人間の女よ…………
有事の際は出る事もやぶさかでは無いぞ……
私の美しさと美声に観客をひれ伏させて見せようぞ】
(………………相変わらず言ってる事はわからないけどね……
十拳さん、マミーちゃん何て言ったんですか?)
「あ…………
えっとのう…………
別に出ても構わんて言っとるわ……
やいやい…………
こらっ!
マミーッ!
よけいな事、言わんでヨロシッ!」
【何を言ってるのですか轟吏……
人間が私の美しさを賛辞し、私がそれに応えただけではないですか……
フフフ】
「ああ、もうええわい。
はやく練習始めましょうや」
(あ、はい)
練習が始まる。
まず最初は通し稽古から。
と言うのも魔笛の練習は顔合わせから含めると既に六月~七月辺りから始まっている。
竜司が家を出る前から行われていたのだ。
どれだけ長い期間入念に準備されているかが解る。
立ち稽古も既に終え、演出家からの演技指導も終えた段階である。
こうして通し稽古が始まり轟吏のアリアが回って来た。
オペラ“魔笛”第二幕 この聖なる殿堂には
轟吏が歌い上げる。
その声は一言で評するなら大きな岩。
まさに轟吏の体格そのままの声である。
その低く、深みのある声は壇上にどんどん積み上げられ大きな岩を形成する様。
夜の闇にスッと佇む巨大な岩。
その歌声を聞いた者はすべからくその様な錯覚を覚えると言う。
こうして通し練習を繰り返す楽団。
やがて終了。
結果としてその日、轟吏は唯の一つとしてミスはしなかった。
(お疲れ様でーすっ!)
こうして練習は終了。
「やいやいっ!
お疲れさんじゃあっ!」
(いやー相変わらず素敵な声ですね轟吏さん。
ほぼ完璧じゃ無いですか)
「そりゃきちんと練習してるからのう」
(後は轟吏さんが事件の担当にならなかったら大成功間違いないんですけどねえ……)
「やいやい……
そればかりはワシでどうにかなるもんじゃないからのう……」
(タハハ……
そうですよね……)
「まあ、もし事件の担当になったら電話しますわ」
(はい。
その電話が来ない事を祈ってますよ)
こうしてホールを後にする轟吏とマミー。
団員の悪い予感が見事的中するとはこの時、轟吏は考えていなかった。
次の日
警視庁公安第五課 特殊交通警ら隊詰所
「クア…………」
デスクで大欠伸をする轟吏。
【フムフム……
これで顔が引き締まるのね……
人間っておもしろい……】
部屋のテレビで主婦向けの美顔体操を熱心に見ているマミー。
「フンフーンッ……」
向かいのデスクでは爪を削ってる鞭子。
【ムウ……
今日は平和だな……】
デュークがポツリと一言。
この竜はそんなに口数が多い方では無い。
「やいやい。
隊長ォ……
今日は平和ですのう」
「まあな。
でも俺達は基本こんなもんじゃないか?
穏やかな時はとことん穏やかだ」
「まあそうですけんどねえ……
こう何も無いと……
アァアァア~~~♪」
穏やかな空気に堪らず自慢のシリアス・バス声を響かせる轟吏。
「ちょっ!
ちょっとちょっとゴリさんッッ!
オペラ声響かせんのやめて下さいよッッ!
空きっ腹に響くからっっ!」
鞭子が制止。
今ダイエット中なのだ。
「まあ決まってこう言った穏やかな時に事件は舞い込んで来るもんだ。
風雲急を告げるってやつだ」
プルルル
豪輝の言が的中していると言わんばかりに携帯が鳴る。
おもむろに取り、ディスプレイを確認。
響
ディスプレイにはこう書いてあった。
「もしもし…………
また出たか……」
どうやら結果の電話。
豪輝の顔がほのかに険しくなった所を見ると、どうやら動きがあったらしい。
「場所は………………
そうか…………
わかった。
こっちはゴリさんに担当してもらう。
お前は今日の情報をピックアップ。
即俺のPCに送れ。
情報は最低限で良い…………
じゃあな」
電話を置く豪輝。
「ゴリさん、出動だ。
よろしく頼むぞ」
響からの連絡はまた同場所で飲食店員が行方不明になったと言うものだった。
豪輝は確信した。
これはおそらく刑戮連絡みだと。
一度や二度ならば偶然やたまたまというのが有り得るかも知れないが、三度以上同じ場所で起きた場合は必然だと。
「ヘイ……
ヘイッと…………
それで現場は何処です?」
「ちょっと待て……
その前に電話しておく」
豪輝がある所に電話をかける。
「もしもし……
課長っスか?
今そっちで扱ってる飲食店員連続行方不明ですが……
どうやら管轄はこっち側になりそうなんですよ……
いや別に手柄とか欲しい訳じゃありませんよ。
どうせ竜河岸のスキル絡みとかになったらウチが出張る事になるんですから……
ええ……
はいはい……
わかりましたーっと……」
豪輝は電話を置いた。
かけていた先は組織犯罪対策第四課。
通称マル暴と呼ばれている部署。
そこの課長である。
既に新たな行方不明者が出たと言う情報は組対でも掴んでおり、暴力団関連で捜査を始めようかと考えていたのだ。
だが捜査を始める前に先手を打ち、電話をかけたと言う事だ。
階級で言うと警視正である豪輝の方が全然上ではある。
だが、先に話した特殊交通警ら隊の存在を疎んじている部署。
マル暴等はその典型である。
豪輝は他部署との間に余計な波風を立てたく無い為、感情を表立って出さず、ある程度の敬意は示しているのだ。
「よし、とりあえず向こうと話はついた。
捜査員を引き上げるそうだ」
「やいやい、了解です。
んで隊長ォ……
場所は何処です?」
「新宿だ」
場所は新宿歌舞伎町。
そこの飲食店員が連続で行方不明になっていると言う。
被害は焼肉店、ラーメン屋、居酒屋、韓国料理屋、カレー店と多岐に渡る。
店に傾向などは見受けられない。
手あたり次第、行方不明になっていると言った印象。
「さあマミー。
行くぞ」
【ウム】
轟吏とマミーは警視庁から新宿を目指す。
移動手段はマミー。
鐙を付けたマミーである。
警視庁から新宿はさほど離れていない。
電車を使っておよそ十五分ぐらいである。
「ほい。
じゃあ頼むぞマミー」
【了解……】
ダダッ
マミーは走り出す。
竜の走行タイプとしては普通型。
速度にして大体四十~五十キロである。
「あ、違う違うマミー。
下で行くぞ」
道を間違えたマミーを止める轟吏。
キキィッ
マミー、急ブレーキ。
【首都高で新宿に向かうんじゃないのですか?】
「やいやい、ちゃんと言って無かったのう。
今、首都高渋滞しとるんだ。
高速使ったら時間がかかってしまうわ。
だから国道二十号線を使うんじゃ」
【……わかりました】
少し了解の返事に間があった。
内心マミーとしては高速を思い切り走りたかった。
普通型は四十~五十キロだがそれはあくまで巡航速度である。
速度は上げればもっと出る。
ガレアやマッハ程の音速は出ないにしても巡航速度の三倍ぐらいは優に出るのだ。
だか、その最大速度は現日本では高速でしか出せない。
要するにマミーは渋々了承したと言う事だ。
進路変更して、国道二十号線をひた走るマミー。
十五分後
歌舞伎町へ到着。
ガヤガヤ
まだ昼前と言うのにもう人がごった返している歌舞伎町。
ちらほら竜の長い首も見える。
■新宿歌舞伎町
飲食店・遊戯施設・映画館等が集中する日本最大の歓楽街。
札幌のすすきの、博多の中州と並んで日本三大歓楽街と称される。
その他に漫画喫茶、居酒屋、キャバクラ、ホストクラブ、パチンコ店が立ち並び、眠らない街と呼ばれ、深夜になってもネオンが灯り人通りも多い。
ドン・キホーテ前、セントラルロードにはスカウトやホストによるキャッチ、怪しげな客引きやポン引きなど合法、非合法取り混ぜて歌舞伎町独特の雰囲気があり、東洋一の歓楽街とも呼ばれている。
「久々に来たけど相変わらず騒がしい街じゃのう。
やいやいっ!」
【して……
轟吏……
まず何処から行くのですか……?】
「こう言うのは足で稼げって先人も言うとるからのう。
まずは聞き込みからじゃ、やいやいっ!」
情報は足で稼げ。
古くからある刑事ものドラマ等で定番の情報収集方法である。
ネット等のインフラ通信が発展した世の中でも結局ものを言うのはマンパワーと言う事である。
ふうふう亭 西武新宿駅前
ここは駅前の焼き肉屋。
扉には準備中の立て札。
だが、中から気配はする。
ガンガンッ
「すませーーんっっ!!」
準備中の立て札も気にせず、勢いよく扉を叩く轟吏。
ガチャ
扉が開く。
(すいません、まだ準備中で……)
「すんまへん。
ワシはこういうもんですわ。
やいやい」
そう言って警察手帳を懐から取り出す轟吏。
基本一般警察官の場合、こう言った聞き込みは二人一組で行うものだが特殊交通警ら隊は別である。
単体での聞き込み捜査も許されている。
上の建前としては竜と二人だから良いだろうと言う事である。
だが、そんな取って付けた理由で納得しないのは下の連中。
特殊交通警ら隊が疎んじられてる一因にもなっている。
(あっ……
警察の方ですか……)
表情から察した様子。
「行方不明になってる人について聞きたいんじゃけんどのう」
(あ……
はい……
じゃあ中へどうぞ……)
轟吏は中へ通される。
店内には案内してくれた店員以外誰も居ない。
椅子に腰かけ話を伺う事に。
ちなみにこの店員は焼肉店ふうふう亭の店長。
行方不明の人はこの焼肉屋の副店長との事。
勤務態度は真面目で勤勉。
副店長が居なければこの店はここまで繁盛できなかったと言っている。
店長からの信頼も厚い。
特に客とトラブルがあった気配も無し。
逆に副店長目当てで来店する客が居るぐらいだ。
「なるほどのう……
じゃあ暴力団との揉め事は?」
(ハッハ……
刑事さん、何言ってるんですか。
昭和の時代ならいざ知らず、平成の世は罰則も厳しいんですから暴力団と揉める店なんてもうありませんよ)
店長が一笑に付す。
暴力団との揉め事と言うとまず考えられるのがショバ代の請求。
■ショバ代
ショバ代とはいわゆるみかじめ料の事で暴力団等が飲食店等から徴収する“挨拶代”“用心棒代”“交際費”等を指す。
いわゆるヤクザ用語で言う所の“シノギ”の一種。
2017年現在。
みかじめ料を請求する事は法律等で厳しく取り締まられている。
主な法律は“刑法”“暴力団対策法”“暴力団排除条例”等。
ショバ代請求に関する刑法の規定には恐喝罪と恐喝未遂罪がある。
罰則としては懲役十年以下となる。
恐喝罪を成立させるには以下の要件四つを満たす必要がある。
一、暴行や脅迫を用いた事。
二、被害者が畏怖(恐怖)を感じた事。
三、被害者が恐怖により金銭その他の財物を処分した事。
四、金銭その他の財物が加害者または第三者に渡ったか。
恐喝罪は財産犯となる為、金銭等の財物が被害者から加害者へ実際に交付されない限り、犯罪は既遂しない。
したがってその場合は恐喝未遂罪となる。
詳細は割愛するがその他、暴力団対策法や暴力団排除条例などヤクザの蛮行関連にはガチガチに罰則が固められているのが現在なのである。
そんな時代に敢えてみかじめ料を請求しようとする暴力団はほとんど居ない。
だがみかじめ料の請求は無くならないのも世の常であって2017年に銀座の飲食店約四十店舗が九年間に渡り一億円近いみかじめ料を暴力団に払っていた事件などもある。
「ハッハ。
まあのう……
それじゃあ最後に副店長を目撃したのは何時じゃ?」
その問いを轟吏がした瞬間、店長の顔が少し険しくなる。
(それが…………
変なんです…………
夕飯時の忙しい時間帯でバイトも社員もフル稼働で働いてた時……
副店長がゴミを捨てて来ると……
私に言って……
外に出たっきり…………
携帯も出なくて…………
これって何て言いましたっけ……?
あぁそうだ神隠しだ……
まさにそれにあったみたいな感覚です……)
店長が呆けた表情でポツリポツリと話す。
「なるほどのう…………
店長さん、スマンがそのゴミ捨て場に案内してくれんかのう?
やいやい」
(あ……
わかりました……
こちらです……
どうぞ……)
店長が案内した先はビル間の路地。
大型のダストボックスだ。
「フムゥ……」
特に周りは荒らされた形跡など無い。
不意に見上げる轟吏。
(あの……?
何か……?)
「いや、何でもない。
店長さん、ありがとう。
手間取らせたのう。
後はワシに任せとけ。
やいやい」
(あ……
はい……
わかりました……
では……)
終始テンションの低かった店長。
副店長と言う重要な戦力を失い、これからどうやって店を切り盛りしようかと考えていたからだ。
こうして店長と別れた轟吏。
「さて……
マミー」
【轟吏、何ですか?】
「ワシを乗せてちょっと跳んでくれないかのう?」
【わかりました……
ではどうぞ】
轟吏はその外見には似合わず、魔力注入が使えない。
魔力注入習得に関しては人(竜河岸)との出会いが肝要。
魔力注入が口伝にのみ伝わってる技術の為だ。
ある程度魔力を集中させ、身体強化を図る事は可能だがその効果は魔力注入のソレと比べると遥かに小さいのだ。
「とりあえず、真っすぐ上に。
屋上に着地するぐらいで」
ダンッッ!
激しく地面を蹴るマミー。
超速でビルの壁面が下へ流れて行く。
その様子を目を凝らして観察する轟吏。
「ん……?」
スタッ
すぐに屋上へ到着。
「マミー、亜空間を頼むわ」
【はい】
マミーが亜空間を出す。
中に手を入れ、さっそく取り出したのは登山用ザイルとカラビナ。
そして厚手の手袋だ。
【おや?
轟吏、ヒッチはいいのですか?】
マミーは轟吏が何をしようとしているか解っていた。
轟吏は屋上から下降し、先程見えた違和感のある光景を確認しようとしているのだ。
轟吏は以前、自衛隊にてレクチャーを受け懸垂下降技術を習得している。
魔力注入が使えない為、こう言った技術は異能系の事件では重宝するのだ。
マミーが言ったヒッチと言うものはフリクションヒッチの事。
ラベリング下降の際、ロープ(ザイル)から手を離した時に下降を止める為のバックアップシステム。
「ええええ。
こんな事に手間かけてられへんからな。
ファストロープでええわ」
フリクションヒッチを使用するのはラベリング下降の場合。
安全ではあるのだがロープの巻き方やヒッチの取り付け等手間がかかるのだ。
その点ファストロープ下降の場合はロープ一本で済む為、手間がかからないのだ。
カチン
屋上の手すりにカラビナを取り付ける轟吏。
厚手の手袋をはめ、素早く手すりを飛び越える。
グッグッ
手すりを持ちながらカラビナから伸びるザイルを引っ張る。
強度を確かめているのだ。
特に問題無い様。
「ほんじゃあちょい降りるから、合図したら上げてくれや」
【わかりました。
気をつけて】
「おう」
ヒュンッ
大きな岩の様な巨体が華麗に下降。
時々、壁に足を付きながらすぐに目的地到着。
「ここか……」
轟吏の目の前には大きな穴。
壁面に空いた大きな穴が映る。
その穴は大きな力で力任せに砕いた様な印象。
厚いビルの壁面を中腹ぐらいまで届く程穴が空いている。
轟吏は穴付近を見渡す。
穴が空いているのはこの一点のみ。
他は特に異常が無い。
この圧倒的違和感。
常人だと建設重機やはしご車が無いと到達できない高度。
壁面強度から何らかの機器を使用しないと空ける事が出来ないであろう穴。
そして穴が空いているのはこの一点のみ。
誰が?
どの様に?
何故空けたのか全くもって謎である。
グッ
轟吏はロープを引き、合図を送る。
スルスルと上がっていく轟吏の身体。
やがて屋上に戻って来る。
【轟吏、どうでしたか?】
「あぁ……
解らん事が解ったっちゅう感じじゃのう……」
【???
何ですか?
それは】
下降セットを亜空間に格納する轟吏。
「さあ、次行くぞ」
【はい】
聞き込みを続ける轟吏。
しんぱち食堂 西武新宿店
ここは早朝四時から営業開始する定食屋。
(はい。
彼を最後に見たのはその日の仕事が終わって帰る時です。
特に仕事ぶりも問題無くて、何か悩みを抱えてるって雰囲気も無かったでしたし)
ここはバイトの青年が行方不明になったとの事。
「携帯は出よったんかいのう?」
首を横に振る店員。
(いえ、その日以来全く……
同僚が家に行ったらしいんですが、ご両親が言うには帰って来ていないって)
「フムフム……
そのバイトが入っていた時間帯は?」
(四時から八時までの早朝帯です)
「わかった。
やいやい、ありがとう」
定食屋を後にする轟吏とマミー。
その他の店舗にも聞き込みを続けるが似た様な返答だった。
行方不明者は特に生活態度は問題無く、忽然と姿を消す。
消した以降、姿を見た者は居ない。
その日は宵の口時分まで聞き込みは続いた。
そのまま自宅へ直帰。
次の日
轟吏は捜査を行う前に警視庁へ向かう。
警視庁公安第五課 特殊交通警ら隊詰所
ガチャ
「おはようございます隊長。
やいやい」
「おっ?
ゴリさん、おはよう。
早速で悪いが昨日の報告をしてくれ」
轟吏は昨日聞き込んだ情報を豪輝に報告。
「フム…………
この行方不明者がもし同一犯の犯行だとするとこいつはアホだな」
「やいやい……
隊長もそう思いますか……?」
行方不明者は全員歌舞伎町勤務。
何か問題があった訳では無く最後に目撃された時間帯は朝食時、昼食時、夕食時に集中していた。
まるで捕食者が欲望のままに攫っている様な印象。
「確か……
響の報告は二日置きだったな……
となると今日か……」
おもむろにスマホを取り出し、電話をかける豪輝。
「もしもし課長っスか?
今歌舞伎町連続行方不明事件をウチで追ってまして……
それで頼みたい事があるんですが…………
ええ……
もちろんそれは…………
今日人員を出来るだけ大量に増員して歌舞伎町を捜索して欲しいんですよ…………
ええ……
はい……
多分本日不審者が出る可能性が高いので……
はい…………
ありがとうございます…………
後注意して欲しい点が一点……
犯人は危険な特殊能力を使います。
発見しても職質はせず、真っ先にウチの捜査員に報告して欲しいんです……
不審者の特徴は、左前腕部が紫色。
それを隠す為に、大きめの衣服を着ている可能性があります。
はい……
捜査員の電話番号は…………」
電話をかけた先は組対第三課の課長。
この人物は四課の課長と違い、特殊交通警ら隊は毛嫌いしていない。
見返りさえあれば、要望に応じてくれる人物。
豪輝は歌舞伎町に大規模なローラー作戦を仕掛ける気でいた。
「はい……
それでは宜しくお願いします……」
プツッ
電話を置く豪輝。
「ゴリさん、聞いた通りだ」
「はい。
じゃあワシは現場で待機と言った所かのう……
やいやい」
「そうだ。
戦闘になるかも知れんから充分気をつけてな」
「了解。
では行って来ます」
「あぁ」
こうして轟吏とマミーは警視庁を後にした。
新宿歌舞伎町
「さて……
ワシも探さなのう……
行くかマミー」
【はい……
轟吏……
声の調子は如何ですか……?】
「オウ、練習の甲斐あってすこぶる調子がええぞ。
やいやい」
今、マミーが聞いた内容は轟吏のスキルに起因している内容。
後に語るが轟吏のスキルは声が重要になる。
ビル間の路地入口に立つ轟吏。
コキッ
自らの手で首筋を持ち、少し鳴らす。
「双周波籠点……」
轟吏の目が紅く光る。
スキル発動のサイン。
口を開ける。
が、特に何か変化がある訳では無い。
「ヨッシャ、つぎつぎー」
そう言い残し、別場所へ移動。
こうして轟吏は歌舞伎町全域のビル間路地、裏手、隅。
人が潜むのに考えられるありとあらゆる場所で双周波籠点を発動した。
「やいやい、こんなもんかのう?」
【数にして凡そ二十五……
この狭い範囲であれば、これぐらいが妥当ではありませんか……?】
「そろそろ昼時じゃのに、まだ連絡無いのう……」
【果報は寝て待てと言うじゃありませんか……?
気長に待ちましょう……】
「アッ……!
アッ……!
アァア~~……」
発声練習をしている。
轟吏のスキルは喉に負担がかかる為、短い期間で連続使用はあまりよろしくないのだ。
五分後
プルルルプルルル
轟吏の携帯が鳴る。
素早く携帯を取り出し、ディスプレイ確認。
知らない番号。
「もしもし?」
(もっ……
もしもしぃっ……?
とっ……
十拳刑事ですかぁっ……?
発見したと思われますゥッ……
恐らくマルタイで無いかとォォッ……)
声は小さいが、物凄く焦っている様子が伺える。
「やいやい、落ち着けぇ。
マルタイの特徴と場所を言えぃ」
(上は大きめの黒いパーカー……
フードで人相は良く解りませんっ……
下はジーンズ。
左手だけ軍手をはめています……
場所は歌舞伎町二丁目……
アシベ会館横の路地ですゥッ……)
「被害者はおるか?」
(見た感じ……
居なさそうです……)
「わかった……
やいやい、君はそこから離れえ……
危険やからのう……
三秒で行く……」
(わっ……
わかりましたぁっ……)
プツッ
電話を切る。
現在轟吏らが居る地点は歌舞伎町一丁目の隅。
常識で考えるとそこからアシベ会館に三秒で向かう事など不可能である。
が、轟吏にはそれが可能。
何故ならアシベ会館は先程双周波籠点を発動したポイントだったからだ。
「マミーッッ!
行くぞォッッ!」
【はいっ!】
マミーが亜空間を出す。
その中に飛び込む轟吏とマミー。
その中は今まで紹介して来た亜空間のソレとは違っていた。
出口が無数にあるのだ。
その数、約二十五。
ここまで書けばお解りだろう。
双周波籠点とは亜空間を開く為の印として使用するのだ。
■双周波籠点
轟吏のスキル。
空中に二種の振動波帯を発生、合成させる事で高周波を生成し、籠らせる事が可能。
主な使い方としてはマミーの亜空間生成ポイントのマーキングとして使用する。
その高周波は魔力を通して生成されている為、感知出来る。
複数同時使用も可能で常人の耳では聞き取れない為、隠密性も優れている。
特別編で登場した竜司の追跡に似たスキルであるが、性能は段違いで双周波籠点の方が上である。
参照話:ドラゴンフライ特別編 ガレアの大晦日。
「ココじゃぁっ!」
無数にある亜空間出口の内の一つに飛び込む轟吏とマミー。
アシベ会館横 路地前
目的地に到着。
先の電話の通り、路地の奥で男が一人立っている。
全く動かない。
ブカブカの黒いパーカーを纏い、下はジーンズ。
どちらも埃に塗れ、薄汚れている。
動かない。
立ち尽くしたまま動かない。
「渇木髄彦さんですかァッ!?」
轟吏は路地奥へ向けて、大声で叫ぶ。
バス歌手らしい通る低い声が路地に響き渡る。
ピク
パーカーの男が反応した。
ゆっくり。
動きの鈍くなった歯車の様に。
無機質に。
ゆっくりと轟吏の方を向く。
轟吏は確信していた。
こいつが。
こいつこそが渇木髄彦だと。
「やいやい……
ビンゴ……
任意同行して欲しいんじゃが宜しいですかいのうォッッ!?」
更に轟吏の声が路地に響き渡る。
一般的に言えば、まだ現段階ではこのパーカーの男は容疑者なのだ。
現行犯では無い。
と、なると任意同行を依頼すると言う訳である。
が、轟吏の頭では更に思考が飛躍していた。
先の豪輝に渡されたレポート内容。
こいつが渇木髄彦だと仮定するのであれば、式を使用する。
レポートによると式で警戒すべきは鶻。
いわゆる恨気の出入口だ。
現在、間合いは凡そ十メートル強は開いている。
鶻に接触しなければとりあえずは大丈夫。
続いて考える点は受憎。
身体部位の増設術。
レポートによると恨気が続く限り、半永久的に増設が可能とあった。
だが長い腕が付いたと言ってもせいぜい間合いは二~四メートル。
これだけ離れていれば問題無い。
ジャリ……
パーカーの男がゆっくりこちらに歩み寄る。
轟吏は左脚を大きく後ろへ下げ、迎撃態勢。
警戒しつつも思考は更に巡っていた。
おそらく行方不明者は全員死亡している。
飲食店員を攫ったのは、恨気を募る為とその他に理由がある。
拒食症と言う恨気の発生源から渇木は人間の食事と呼べる所作はもう出来ないのであろう。
と、なると…………
轟吏の中で点と点が符合する。
それは行方不明者の所在。
正確には行方不明者の死体の在処。
何故この事件が殺人事件では無く行方不明事件とされているのか。
それは死体が見つかって無いからだ。
ならば死体は何処に行った?
ここまで来ると答えは容易だ。
そう…………
死体は…………
目の前の男、渇木髄彦の体内だ。
だが見た所、受憎を使っている様子は無い。
もしかして……
「ムッ!?」
ここまで思考が巡った段階で渇木が目を疑う行動に出た。
バリィィッッッ!
黒いパーカーの前面が力任せに破れ、中からドス黒い紫色の手が伸びたのだ。
しかも複数本。
「マミーッ!」
【はいっ!】
超速で向かって来る紫色の手。
咄嗟にマミーが亜空間を出し、その中に逃れる轟吏。
危ない所だった。
渇木が死体を取り込んだのなら何故今通常の人の形をしているのか?
ここに違和感を覚えなければ、やられていた。
受憎で扱う死肉は体内でストック出来るのだ。
「隊長の言った通りじゃ……
ありゃバケモンじゃのう……」
意を決して、亜空間出口から外へ出る轟吏。
この亜空間出口は既に双周波籠点を発動させ、マミーの鱗に高周波を定着させていたもの。
ちなみに双周波籠点で生成した亜空間口はガレアなどの他竜が生成するソレとは違い、視認できない。
眼に見えない出入口を轟吏は感覚で解るのだ。
ガィンッッ!
ガガガァンッ!
ガインッ!
外はけたたましい衝撃音が響いていた。
出た場所はマミーの背中辺り。
超速で攻撃を仕掛けて来ている渇木。
フレキシブルに。
まるで強靭な太い鞭の様に次々と来る猛攻。
【轟吏ッ!
危険ですから魔力遮壁から出ないで下さいッ!】
マミーの声が響く。
二人の周りには猛攻を遮る様に青白い薄透明な六角形がいくつも現れている。
これは魔力壁の作用と似ている。
そう、その通り。
これはいわゆる魔力壁の一種である。
ただ、魔力壁は基本魔力攻撃にしか働かないもの。
だが、マミーの張る魔力壁は少し違う。
これは物理攻撃にも効果を発揮する。
魔力遮壁と呼ばれるマミーの魔力壁の特色。
これが張れるのは竜界広しと言えどマミーしか扱えない。
理由としては竜からすると物理攻撃を防ぐ必要が無いからだ。
「うお……
すげぇのう……」
ここで先日ふうふう亭で見た異様な穴について理解した轟吏。
おそらく副店長を襲った後、屋上から逃げたのだ。
受憎で腕を生成。
空へ向かって伸ばし、壁面に手を突き立て跳んだのだろう。
ガィンッ!
ガガガィンッ!
ガァンッ!
依然として渇木の猛攻は続く。
路地のビル壁に衝撃音が反響。
轟吏の目には残像しか映らない。
魔力注入の使えない轟吏は傍から見れば大ピンチに見えるかも知れない。
「おい……
マミー……
声出すぞ……
奴の動きを止める……」
だが、それは否。
轟吏とて特殊交通警ら隊の隊員である。
今まで何人もの竜河岸を逮捕して来たのだ。
もちろん中には魔力注入使いも居た。
ならばどうやって?
その理由が今、明らかになる。
【はい……
範囲と威力は気をつけて下さい……
下手するとマルタイを殺してしまいますから……】
ガインッ!
ガガガィンッ!
「わかっとる…………
ワシは警察官じゃ……」
コキコキッ
轟吏は首元を掴み、二回喉を鳴らす。
「弛緩咆哮ォッ!
オオォオオォォォォッッ~~ッッッ!!♪」
轟吏が大きく口を開け、発声。
バス歌手の低く、太く、大きな声が全方位に響く。
ビシ…………
ビシビシ……
轟吏の極太声がビル壁に染み渡り、ヒビを奔らせる。
ここで渇木の動きにも変化がある。
ボトォッ!
ボトボトォッ!
渇木の胸部から伸びた長い触手の様な腕群。
先程から目にも止まらぬ勢いで猛攻を繰り出していた紫色の腕群の動きが止まったのだ。
勢いを失くした紫色の腕は力無く地面にボトボト落下。
小刻みに震えている様だ。
「アァアァ~~♪
…………こんなもんか……」
轟吏の発声が止む。
ドシャァッ……
渇木が前のめりに倒れた。
ブル……
ブルブルブル……
うつ伏せで倒れた渇木の身体が震えている。
これが弛緩咆哮の効果。
■弛緩咆哮
轟吏のスキル。
マミーの魔力を込めた超低周波を高出力で一定範囲に響かせる。
この声を浴びた動物は全身の筋肉が急速に弛緩し、動けなくなる。
低周波治療器と同様の作用。
ただ魔力を帯びている為、威力をセーブしないと分子結合まで解けてしまう超危険なスキル。
マミーの魔力遮壁で防御しつつ、弛緩咆哮で対象を沈黙させる。
これが轟吏の戦闘スタイル。
スキルが声と言う性質の為、全方位に効果が発生。
どんなに相手が魔力注入で身体強化しようと無駄なのである。
だが、威力が強すぎる為ビル壁の様に被害が出てしまう場合もある。
ヒビが入ったのは壁の分子結合が解けかけたと言う事だ。
「さて…………
とりあえず拘束するかのう……
やいやい」
轟吏が倒れている渇木に歩み寄る。
眼下には胸辺りから何本も伸び、ダルダルになっている紫色の腕。
その上に倒れている渇木の身体。
何という悍ましい図。
同じ人間とは思えない。
上から眺めている轟吏は言葉を失っている。
「……………………コレ…………
手錠、何個いるんじゃ…………?」
どう拘束したものかと思案していた時……
ビュンッッ!
渇木の身体が消えた。
(キャアーーーッッッ!!)
通りから悲鳴。
渇木が逃げた。
「なにぃっっ!?」
まさか動けるとは思っていなかった轟吏。
突然の事に一瞬、判断が遅れる。
「クソォッッ!」
渇木を追う轟吏。
あんな化け物が公衆の面前に晒されたらパニックだ。
ダダッ!
大通りに出て来た轟吏。
キョロキョロ素早く辺りを見渡す。
居た。
少し離れた所に渇木は立っていた。
その姿を見て背筋が凍る。
渇木は立っている。
立っているのだが………………
その姿がもう異常。
渇木の身体は浮いていた。
両太腿前部から二本。
ドス黒い紫色の長い腕が伸びている。
そして多足歩行ロボットの脚の様に折れ曲がり、渇木の身体を支えている。
接地している手は指が長く、もはや掌なのか足なのか解らない。
そして臀部からも同様の腕が二本伸びている。
合計四本もの悍ましい紫色の腕で支えていると言う事だ。
「…………こ…………
こいつ……
どんだけ死体を持っとんじゃ……」
依然として胸部から伸びている長い腕群はそのまま。
小刻みに震えながら、地面に横たわっている。
渇木自身の身体も同様。
小刻みに震えている。
まだ弛緩咆哮の効果は健在の様だ。
だが、身体を支えている四本の腕は全く震えていない。
しっかりと地面を踏みしめている。
この四本の腕に関しては弛緩咆哮が終了した後、生成されたもの。
と、なると筋肉を弛緩させる効果など産まれ様が無いと言う事だ。
ビュウッ!
一陣の突風が吹き抜けた。
その勢いは強く、渇木の被っていたフードを捲り、ここで初めて人相が明るみになる。
その顔を見て強い違和感を覚える轟吏。
顔が丸いのだ。
太っている人間の様にパンパンに顔が膨らんでいる。
髪型は黒くオカッパ。
血色は良く、目は小さく中央に寄っている。
そして虚ろだ。
だが、丸い。
顔の形が丸い。
物凄く痩せていたカズの絵とは違う。
更に路地では薄暗く解りにくかったが、体格がえらく良い。
轟吏が想像していたのはカズの絵からするとガリガリの超痩せ型体型。
だが渇木と思われる男の体格はどちらかと言うと太っている側に入る。
周囲の住民らは急に現れた訳の分からない化け物を目の当たりにして絶句し、立ち尽くしている。
ありとあらゆる面で違和感が奔る。
結果、周辺住民の退避誘導勧告など遅れてしまった轟吏。
痛恨のミス。
ズルゥゥゥゥッッッ!
突然の出来事。
突発的な出来事に遭遇する轟吏とマミー。
渇木の右肩から紫色の腕が伸びたのだ。
急速に。
「なッッ!!?」
ビュンッッ!!
突然の事に驚きの声を出す轟吏。
だが、現れた紫色の長い腕はそんな声に意も介さず、躊躇いも無く真っすぐ一番近い一般女性に向かう。
(カハッ…………
ハッ……
ハッ……)
正確には女性の首。
狙いすました様に女性の首を掴んだ。
ここで自分のミスを痛感する轟吏。
「イカァァァンンッッッッ!!
みんなぁぁぁぁぁぁっっっ!!
早くここから離れろォぉォぉォぉォッッッッ!」
ここでようやく退避勧告。
ビュンッ
素早く掴んだ女性を自分の元まで引き寄せる渇木。
(や…………
ゲホッ……
ガハッ……)
引き寄せた女性をジロジロ見つめだす。
まるで品定め。
スイカの熟れ具合などを確かめるかの様だ。
「………………カンセン…………
ゲンホウ…………」
渇木が何かを呟いた。
同時に掴まれている女性に変化。
(あぁあっ…………
あぁああぁあぁあぁああァァァッッ!)
悲鳴を上げてジタバタと藻搔き、苦しみ始めた。
ギリィッ……
ギリリッ……
ただ漫然と見つめるしか出来ない轟吏。
悔しさのあまり力一杯、歯噛み。
手を出したくても出せない。
助けたくても助けられない。
これは魔力注入使いでは無い弊害。
まず轟吏は魔力注入を使った目覚しい身体強化が出来ない。
これだけ間合いが離れていると、辿り着くまで四~五秒はかかる。
加えて渇木の式も詳細不明な点が多い。
現にあそこまで受憎の生成スピードが速いとは思っていなかったのだ。
弛緩咆哮とは別スキルで女性を助けられなくは無いが、誤れば高い可能性で殺してしまう。
且つまだ周囲の人間の退避が完了していない。
従って、女性は掴まれた段階で………………
死が確定してしまったのだ。
残酷な話ではあるが、今轟吏が倒れる訳には行かない。
もし轟吏がやられてしまったら被害が拡大してしまう。
だから手を出したくても出せないのだ。
ドクンッ……
ドクドクドクドク…………
掴んでいる紫色の手から身体に向かって波打っているのがわかる。
何かを吸い取っている様だ。
「確か…………
資料であった…………
感染減法…………」
その通り。
掴んでいる女性の体力を吸い取っているのだ。
これが渇木の食事である。
やがて波打ちが止む。
(……………………ハ………………)
ピクリピクリと微かに動く女性。
虫の息ではあるがまだ生きている。
女性を救うのであれば、ここで轟吏は動くべきだった。
だが、足が動かない。
まだ視界内に人が居るからだ。
スキルは使えない。
ギリィッ……
ギリリィッ……
悔しくて歯噛みが強くなる轟吏。
あと少しなのに。
早く。
早くこの場から立ち去ってくれ。
ベキィッ!
だが…………
轟吏の切なる願いは微かに聞こえた無情なる女性の頸椎骨折音にて霧散する。
動いていた女性の身体が止まる。
たった今…………
女性が絶命した。
「…………………………ジュニク…………」
ジュルゥゥゥゥッッッ!
更に眼を疑う光景が轟吏の網膜に映り込む。
女性の死体が消えたのだ。
まるで紫色の掌に吸い込まれる様に消えた。
背筋に悪寒が超速で立ち昇り、それと同時に行方不明者の死を確信した。
この様に処分したのかと。
「クソォッッ!!」
ようやく轟吏が走り出し、間合いを詰める。
マミーもそれを追う。
ようやく視界内から人が退避したのだ。
これでとりあえず人的被害は避けられる。
「マミーッッ……
行くぞッッ……
とりあえずあのうっとおしい触手みたいなんを処理する」
【ハイッ……
くれぐれも威力と喉枯れには注意して……】
「わかっとるっっ!」
コキコキコキッッ
自らの首を掴み、三回鳴らす轟吏。
「超音波刃針ォッ!」
轟吏が叫ぶ。
そして口を大きく開けた。
が、特に声は響かない。
ただ口を開けただけに見える。
が、次の瞬間。
バツンッゥゥンッッッ!
離れた渇木の腕が切断。
勢いよく舞い上がる紫色の腕。
ズズゥゥゥンッ!
更に渇木よりも遥か後方の建物が乱雑に切断され、崩れる。
その建物は四階建てのビルである。
そのまま間合いを詰めながら、顎を忙しなく動かす轟吏。
バツゥンッ!
ズバァッ!
ズバスバスバァァッッ!
ズズズゥゥゥゥゥゥンッッッ!
ドドドドドォォォンッッ!
次々と響く、肉の切断音と建物が倒壊する音。
二つの音が共鳴する様に響き渡る。
瞬時に爆撃があった様な惨状になる歌舞伎町。
ようやく渇木の元へ辿り着く轟吏。
再び前のめりに倒れている。
辺りにはドス黒い紫色の腕や、鋭利に切断されたジーンズも散見。
轟吏のスキルにより、受憎生成した腕だけで無く、渇木本体の四肢すらも切断してしまったのだ。
■超音波刃針
轟吏のスキル。
体内に取り込んだマミーの大魔力塊を更に魔力で超振動させ、超音波を発生。
対象に向かって放つ。
線状に放たれる超音波はありとあらゆる物体を切断する超音波メスと化す。
原理としては超音波加工機と同様であるが、通常のそれは周波数がおよそ毎秒二万Hz。
だが超音波刃針の場合は毎秒五十MHzに達する。
単純な計算でも二千五百倍である。
超音波の為、放たれたかどうか認識しずらく且つ放射された超音波は音速を超える為避け辛い。
だが、基本轟吏の口から真っすぐしか出せない為、狙いをつけるのが困難と言う欠点もある。
轟吏が忙しなく顎を動かしていた点や渇木の四肢が切断された理由はそう言う事である。
そして超音波の性質上、射程範囲が極大。
具体的な距離は測った事は無い(危険な為)が轟吏の視界内は瓦礫の山に出来る程の射程を持つ超危険なスキルである。
「あちゃぁ~……
やりすぎたかいのう……」
うつ伏せに倒れている渇木の側へ歩み寄る。
周りには紫色の長い腕が散らばっている地獄絵図。
確認した受憎で増設した部位は全て切断した模様。
「これで…………
ケホッ……
ケホケホッ……」
急に咳き込む轟吏。
超音波刃針の弊害。
超絶な威力を得る代わりに喉へ多大な負担があるのだ。
だが問題は無い。
戦闘は既に終わったのだから。
超音波刃針を発動して五体満足でいられる者など居ないのだ……………………
が、それはあくまでも常人や竜河岸の場合。
ビュンッッッッ!
再び渇木の身体が消えた。
「ナニィッッ!?」
渇木の体内にはまだ死肉のストックがあった。
受憎で素早く二本の腕を生成した渇木は目にも止まらぬ速さでバックステップ。
辛うじて残像は見えた為、すぐに目で追う轟吏。
そのまま超速で後ろに跳ぶ渇木。
花道通りのT字路を蹴る様に右折した。
その光景を見た轟吏の背に戦慄が奔る。
ヤバい。
何がヤバいのかと言うとその行先。
花道通りを右折して辿り着く先は劇場通り。
ニュースなどでも映る歌舞伎町一番街の赤い正面アーチがある通り。
「マミィィィィッッ!
急げェェェェッッッ!」
あんな人通りの激しい密集地帯に逃げ込まれたら圧倒的にこちらが不利になる。
まず轟吏の持つスキルはほぼ使えない。
と、なると竜河岸としての身体能力は一般人に毛が生えた程度の轟吏。
戦闘力で考えると渇木と大きく差が開いてしまう。
人が密集した場所だと、こと戦闘に関してはマミー頼りになってしまう。
ここも轟吏の弱点である。
素早くマミーに跨る轟吏。
ギュンッッ!
同時に駆け出し、渇木を追うマミー。
T字路を横切る。
見えたのは劇場通りに入る渇木の残像。
悪い予感が的中してしまった。
被害を最小限で留めないと。
轟吏の思考はもうこの様な形にシフトしていた。
被害が出る前提である。
轟吏に出来るのはもう危険なテロリストを追う事だけである。
後を追い、劇場通りに差しかかった瞬間……
ビュビュビュンッッッ!
何かが投げつけられてきた。
「ウオットウッッ!?」
一瞬何か飛んで来たか解らず戸惑うも、咄嗟に投擲物をキャッチ。
(うぅ………………)
投げつけられたもの。
それは人間。
【何なんですか……?
あの犯人は…………
自身の同胞の事を何とも思っていないのでしょうか……】
両手で人間を受け止めているマミー。
優しく地面に置く。
轟吏も倣って地面に寝かせる。
(キャァァァァッァァアァッッッ!!)
今起こった事を考える暇も無く、大きな悲鳴が劇場通りにこだまする。
再び悲鳴の上がった方を見ると蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑う一般人の群れ。
その群れが大波の様に押し寄せて来る。
これは”肉の壁”。
渇木は相手が他人を犠牲に出来ないと言うのを察していた。
だから敢えて人の多い箇所に逃げたのだ。
且つ人が多い場所であれば食事をする事も可能。
本当に悍ましい話ではあるが、渇木にとってはこれ程好都合な場所は無い。
人波の隙間から見えたのは紫色の長い両手で人を掴んでる渇木の姿。
「マミー……
行けッッ!」
このパニック状態は轟吏の想定内。
花道通りを追っている段階でこうなった時の指示は完了していた。
ダァァンッッッ!
マミーが強く地面を蹴る。
人波を大きく飛び越え、高くジャンプ。
目指す先は渇木の側。
ガガガィンッッ!
ガィンッッ!
渇木も気付いている様で両脇腹から伸びている長い紫色の腕を振るう。
マミーの魔力遮壁に弾かれ、衝撃音が響く。
この両脇腹の腕は先程無かったもの。
と、言う事はまた新たに受憎で生成したと言う事だ。
そして……
渇木の両手に掴まれていた人は……
もう姿が見えない。
地面に落ちたとかでは無い。
轟吏の視界内から消えた。
ギリィッッ!
悔しさの余り、三度歯を強く軋らせる轟吏。
ダッッッ!
マミーが着地。
渇木の側。
ドコォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!!
大きな衝撃音。
何があったのか?
マミーが思い切り空へ、渇木を蹴り飛ばしたのだ。
瞬時に空へ消えて行く渇木の身体。
ダァンッッッ!
だが、これで終わらない。
マミーは更に路面を蹴り、渇木を追う。
ギュンッッ!
マミーの身体が空を駆ける。
視界が物凄い勢いで後ろへ流れる。
すぐに追いつく。
ここは新宿上空。
轟吏の眼下には紫色の長い手を何本も伸ばしている渇木の身体。
ガィンッッッ!
ガガガガィンッッ!
ここで魔力遮壁発動。
渇木が上空で攻撃してきたからだ。
先程のマミーの蹴りは成人男性を遥か上空まで飛ばす凄まじい威力だった。
が、未だ渇木は健在。
これは感染和法による身体強化と痛覚麻痺の為だ。
だが、それは轟吏も想定内の事。
あれ程の化物がこれしきの事で沈黙する訳が無いと考えていた。
グルンッッ
マミーの身体が素早く縦に反転。
鐙の手綱を強く掴み、振り落とされない様に踏ん張る轟吏。
ドコォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!
新宿上空で響く巨大な衝撃音。
マミーの尻尾が渇木に炸裂したのだ。
強烈な一撃。
強制的に軌道を変えられた渇木は空から地上へ目標を変え、流星の様に落下。
ここで轟吏は携帯を取り出し、ある男へと電話をかける。
「もしもし」
「隊長ですかぁぁぁぁっっっ!
大至急ゥッッッ!
新宿御苑の全面封鎖と通行止めの手配をお願いしますぅぅぅぅッッッ!」
「……わかった」
警視庁公安第五課 特殊交通警ら隊詰所
プツッ
電話を置く豪輝。
再び各所へ電話をかけ手配を行い、新宿御苑の封鎖とそこに続く道路の通行止めは瞬時に完了する。
「おい、キャンディ」
「何ですかァ~~?
隊長ォ~~」
新宿での死闘など全く意にも介さず女性誌を読んでいる鞭子。
「あの様子だと多分ゴリさん一人じゃ荷が重い。
お前、応援に行ってくれ」
ガタンッッ!
驚いて立ち上がる鞭子。
「えぇっっっ!?」
「何驚いてやがんだ。
今、お前しか居ねぇだろ」
確かに今部屋は豪輝、鞭子、デュークの三人。
ボギーは何処かへ行っている。
「そっ……
それはそうですけどぉ~~……
たっ……
隊長が行くとかァ~~……?」
鞭子は無理と解っていて言っている。
現在の特殊交通警ら隊員で轟吏と一緒に全力で戦えるのは鞭子しか居ないからだ。
「は?
馬鹿な事言ってんじゃねぇぞ。
お前は俺を砂に埋めてぇのか」
それは豪輝も重々承知だ。
「ハァ~~…………
ゴリさんが出張るって聞いた時から嫌な予感はしてたんだよな……」
ショボンと肩を落とす。
鞭子は決して高尚な動機があって婦警をやっている訳では無い。
ただ自分が就職出来そうで一番高給だったのが特殊交通警ら隊だったと言うだけである。
「んでどうすんだ?
もちろん自由意志だ。
だが、従わない場合は戦力外通告と言う事で左遷するけどな」
これは渋る鞭子に対していつも言う言葉。
「アァッ!
もうっ!
わかりましたよっ!
行きますゥッ!
行きますヨォッ!
行けばいいんでしょォッ!」
吐き捨てるように言葉を放つ鞭子。
【キャンディよ…………
竜の私に人間の仕事と言うのは良く解らんが……
日々社会を動かす為に皆頑張っているのでは無いのか……?
お前もたまには真摯に取り組んだらどうなのだ……?】
デュークが真っ当な正論を投げかける。
「さすがデューク。
主はアレだが使役している竜は立派だな」
「隊長ォッ!
アレって何ですかッ!
アレってッ!
それで場所は何処なんですッッ!?」
「先の電話から新宿御苑に追い込んでるはずだ。
行ってみてくれ」
「あ~~…………
新宿御苑…………」
もちろん鞭子は都内在住なので新宿御苑がどう言った場所かは知っている。
轟吏は周りの被害を極力避ける為、そこを選んだのだ。
が…………
「隊長ォ…………
あそこって重要文化財が山程…………」
その発言を聞いて物凄く顔が曇る豪輝。
「キャンディ言うなっっ………………
そこら辺のややこしい事は全て俺が引き受けてやるから」
「あ…………
何か色々解りました…………
隊長ォ…………
私行きますね…………
それじゃあ……
ご愁傷様……」
ご愁傷様。
よもや外出する際の挨拶とは思えない。
轟吏は全力でスキルを発動するつもりだ。
それは辺り一帯灰燼と化す事と同義である。
この事件の後始末として環境庁、宮内庁並びに関係各所への書類提出。
抗議文の処理。
修繕の手配。
等々考えるだけで頭が痛くなる事務仕事が待っているのだ。
それを気の毒と思った為、出た言葉である。
新宿御苑
ドコォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!
人気のない草原に渇木着弾。
草や土砂を吹き飛ばし、たちまちクレーターが生成。
既に退避は九割完了している。
日本警察の連携も見事だが、平日と言う事もあり人がまばらだったのだ。
スタッ
クレーターの側にマミー着地。
ガァァンッッ!
と、同時に魔力遮壁発動。
渇木の攻撃だ。
コキコキッ
轟吏が即座に首を二回鳴らす。
弛緩咆哮の準備。
準備をしながら確信した事がある。
あの受憎で生成した紫色の腕………………
やはり伸びている。
マミーが生成したクレーターは思いの外大きく、渇木の寝ている中心から轟吏のいる付近まで少なくとも五メートル以上は離れている。
人体部位を生成する術が受憎なのであれば、伸びても何らおかしい事は無い。
そもそも身体から腕を生やすと言う事自体現実離れし過ぎているのだが。
「弛緩咆哮ォォッッ!
オォオオオォォオオォオオォォ~~~~ッッ♪!!」
スキル発動。
周囲に轟吏の声が響き渡る。
渇木は身体全体で浴びる。
受憎で生成した腕ごと。
ブルブルブルゥゥゥゥッッッ!
たちまち身体全身が震え出す。
うつ伏せで寝ている為、渇木が現在どういう状態か不明瞭。
やがて声が止んで行く。
長い間、弛緩咆哮を発動すると喉がダメになってしまうからだ。
ブブブルブルブル…………
依然として震えている渇木の身体。
周りには縦横無尽に散らかっている無数の紫色の腕。
それは荒縄の様。
どれもが小刻みに震えている。
弛緩咆哮は効いている。
どうする?
轟吏は考える。
確か泥の時はカズの盛者必衰の理を顕すで意識を飛ばして確保した。
痛覚が麻痺している刑戮連の連中は意識を寸断させないと確保は難しい。
なぜ仰向けで落下しなかったのか。
悔やむ轟吏。
とにかくうつ伏せの状態では気絶しているのかいないのかがわからない。
どうにかして顔を確認したい。
だが依然として全身震えている渇木は立ち上がる気配はない。
だが、弛緩咆哮もずっと弛緩している訳では無い。
手をこまねいていたら再び動き出してしまう。
腹を括った轟吏。
ズザザッ
クレーターのなだらかな坂を下り始める轟吏。
うつ伏せで顔が分らないのであれば自らの手で仰向けにするしかない。
マミーも側についている。
ゆっくり。
ゆっくり。
一歩ずつ。
一歩ずつ近づいて行く。
コキコキコキッ
首を三回鳴らす。
念の為、超音波刃針の準備。
慎重に。
慎重に。
ゆっくりと歩を進める。
やがて一メートル弱の距離まで近づいた。
更に歩み寄り、渇木の側でしゃがむ轟吏。
見た感じまだ渇木の身体は震えている。
周囲の散らかっているダルダルに長い腕も同様。
グッ
渇木の肩口を持つ轟吏。
ガバァッ
一息に渇木の身体をひっくり返す。
両眼は開いているが虚ろ。
口は半開きで薄くヨダレの跡が付いている。
顔が太って丸い事以外はほぼモンタージュ絵と同様。
これではわからない。
とりあえず瞳孔の状態を確認しようとペンライトを取り出す為、目線を下げた。
下げてしまったのだ。
これは轟吏の油断。
ここまで近づいても何も言わず、仰向けにひっくり返される時も為すがままだったのだ。
警戒はしていたが無意識下では渇木の意識はもう無いものとなっていたのだ。
が…………
それは誤りである。
ボコォォォォォォォォンッッッ!
轟吏の視界外で何かが勢い良く弾ける音。
「ムッッッ!?
…………モガァァッッッ!!」
驚いた轟吏が顔を上げた瞬間。
紫色の掌が眼前まで迫り、顔を掴んだのだ。
「ムグゥーッ!!
…………ムグゥーッ!!」
正確には轟吏の口。
紫色の大きな掌が強烈な力で口を塞ぎ、満足に声が出せない。
ググググ
ボコォォンッッ……
ガラガラ……
パラパラ……
地面を突き破り、現れる紫の長い手。
そのまま轟吏の巨体を持ち上げる。
一体何が起こったか解らない轟吏。
だがゆっくり持ち上がる中で状況を理解した。
まず渇木は失神していなかった。
狡猾に。
ずる賢く隙を伺っていただけ。
だが、式を会得した渇木が失神したフリまでしなければならなかったと言うのは轟吏の力が脅威と感じたからだろう。
仰向けになった時、背中に受憎で腕を生成。
地面を掘削。
死角から攻撃を仕掛けたと言う事だ。
轟吏は忘れていた。
弛緩咆哮が有効なのは発動時点で生成されている腕のみで、その後生成された腕に関しては動くと言う事を。
轟吏は式を甘く見ていた。
受憎で生成された腕は地面を掘削する程のパワーを持つと言う事。
そしてこれも轟吏の油断。
魔力遮壁の射程外に出てしまったのだ。
魔力遮壁はあくまでも魔力壁の一種の為、基本マミーの周りにしか張れない。
ありとあらゆる事象が重なり今の状況を作り出している。
轟吏の身体を持ち上げたまま、更に背面と腹部に二本ずつ長い紫色の手が生成され、渇木は立ち上がる。
一体どれだけの死肉をストックしているのか?
現在の渇木の身体は全身から無数の紫色の腕を生やした文字通りのバケモノの姿と化していた。
切断された胸部の腕もそのままである。
グググ
持ち上げた状態で眼前まで轟吏の顔を近づける。
「クチ……………………
ジャマ…………」
たどたどしくポツリポツリと喋る渇木。
轟吏のスキルが口から発されるものと悟っていたのだ。
ボコォォォォォォォォンッッッ!
そのまま力任せに轟吏の身体をクレーターのなだらかな坂に叩き付ける。
「フーーーッッ!
フーーーッッ!」
荒く息を吐く轟吏。
依然として口から手は離れない。
後編へ続く。