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作者: ねこ

 カタカタとキーの叩く音がなる。

 5階から6階まで吹き抜けになっているラウンジには、交流会といったイベントごとを除いて、あまり人が入って来ない。

 5階はなかなか上がりにくいためだ。エレベーターはあるのだけれど。


 カタカタと音がした。

 真夏の太陽はすっかりと地平に姿を隠し、正面に並ぶガラスの窓には隣に立つビルの光がぽつぽつと碁盤の石のようにうっすらと映っている。

 いつのまにか雨が降っていたのだろうか。テラスに無造作に積み重ねられた木製の椅子が、しっとりとその色を黒く変色させている。

 ぼぅと窓を見つめる私の間抜けた姿が嫌によく映った。


 カタカタと、軽快な音がリズミカルに鳴る。

 時折大きく叩きつけるようにタンとキーが響く。

 私はそちらを見ない。見るなと言われた。だから見ない。

 集中力がそがれるそうだ。味気ない。せっかく二人なのに。

 何でこんなことをしているのだろう。


 カタカタと音がする。

 手に持った小説に目を落とす。勧められた小説。賞も取った有名な文豪らしい。一昔前の小説だけあって、わかりにくいカタカナ語や特徴ある言い回しが含まれてるものの、話はわかりやすい人情譚。飛ばし飛ばしでも意味を取るのは簡単だった。比較的読みやすい文章だと思った。

 ゆっくりとページを捲る。有名な文庫。ページが厚く、若干捲りにくい。張り付いているのではないかと、何度も指を紙にすり合わせながら捲り進んでいく。

 カタカタと、キーの叩く音が止まった。

 私は僅かに黄ばみ、色褪せた文庫のページに載る黒い文字を目で追う。上から下に、さっと戻り、上から下に。

 そうして繰り返し繰り返し頭へ写した世界は、静寂にまた切り取られた。

 なんとなく視界の端から視線を感じ、でも私は前を向いた。


 カタカタと音はしない。

 一面に広がるガラスの窓にはやはり冴えない私の姿が映っている。手には小さな文庫本。銀の時計と赤い鞄が散らかすように前の机に投げ出されている。

 そして、その隣に黒いシンプルなデザインのノートパソコンが置いてある。

 背面に書かれたロゴは見たこともないもの。おそらく安いのを買ったか、先輩あたりからもらったのだろう。

 本来はブランド物を好むはずなのだから。


 カタカタと、キーの叩く音がした。

 ガラスに映るパソコンの前には一人の女が座っている。後ろで結んだ綺麗な黒髪。リボンが動物の耳のように立っている。

 すっきりとした怜悧な顔立ち。真面目そうな細目はパソコンを食い入るように見つめている。


 カタカタとキーの叩く音を聞く。

 私はふと隣へと目線を移した。

 彼女は顎に手を当て、考えるように画面を見つめている。彼女の癖の一つだ。

 そして彼女はいつも考えている。考えることをやめない。動かないことを良しとしない。

 他人に強制はしないけどそうあるべきだと人生を定義していた。


 カタカタと音がして、タンと、音が続いた。

 彼女がこちらを見た。

 不機嫌そうな目でこちらを睨む。

 おそらく、私の視線で集中が途切れたのだろう。私がニコリと微笑むと、彼女はさらに眉をしかめこちらをにらんだ。

「息抜きに行かないか」

 私はそう提案する。

 彼女は、それを聞くと、はぁとあきれたようなため息を吐き、肩をすくめ、パソコンをたたみながら「おごりね」といった。

 私は本を閉じた。メモしていた紙をしまう。

「しょうがないな」

 そういって立ち上がる。やはりうれしかった。


 ぱたぱたとものを片付ける音がする。

 たたんだパソコンのコンセントを抜き、散らばったテキストを片付け、メモに使った筆記用具をしまい、時折覗き込んでいた携帯端末をポケットに入れている。

 用紙を入れたファイルがかばんに入りきらず四苦八苦しているのを横目に、私は立ち上がり後ろにたった。

「ちょっと待って」

「うん」

「よいっしょっと……」

「OK?」

「OK」

 かばんの留め具をつける。

 パンパンに膨れたリュックが彼女の華奢な背中でその存在を主張している。

 私は手を差し出した。彼女は躊躇いもなく、その手をぎゅっと握った。

 私は彼女を引くようにして歩き出す。

 ガラスの窓にちらと目を移す。視界の端で手を伸ばす彼女の姿が映った。手を引かれる彼女は変わらずしかめっ面で、私の背中をじっと見つめていた。

 ゆっくりと灰色の絨毯を歩く。リュックのすれる音と、小さな息遣いだけが、聞こえる。

 エレベーターの前に立つ。そうして私は、空いた手でエレベーターのボタンを押した。







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