折れた心
元の世界が楽しかったとか、大切な人がいたとか、そういった思いは俺の中には無い。
30歳にもなってフリーターで、親とも疎遠になり、友達らしい友達もいなかった。
だがそれでも、俺はあの森で過酷な環境に晒され、如何に自分が恵まれた世界に身を置いていたかを思い知ったんだ。
異世界どうこうとか、剣だの魔法だのドラゴンだのとかは、俺には無理だ。
「なあ、もしも戻れるのなら、できる事なら何でもする・・・します。お願いします、何か、その。」
我ながら何とも情けない腰抜けっぷりだが、それでも俺は、帰りたかった。たとえ何一つ楽しい事なんて無い日々だったとしても。死ぬよりはマシだ。死ぬっていうのは、死にそうになるっていう事は、心を八つ裂きにされるような恐怖だ。俺のなけなしの誇りや尊厳は、あの過酷な森の環境で綺麗サッパリ消え失せた。
きょとんとした眼差しを、黒く艶やかな前髪の隙間から覗かせているアーサに、俺はすがるように訴え続ける。
「そうだ!掃除や洗濯はどうですか?あ・・あと、計算とかできます!戦いも訓練すれば・・自信無いですけど。でも、兵士見習いとかから始めて、そんで頑張ってお金を稼いで、そのお金をあげます!それで、だから、俺を・・元の世界に。」
必死に言葉を紡ぎ出す。多分この女は、何らかの能力者だ。そして何故かはわからないが、今の所、俺を助けようとしている。
「どうですかね・・・?アーサ、さん。」
「・・うーん。えっと、言いたい事、言い終わった?」
んで?と聞こえてきそうなアーサの反応に、俺は天から垂らされた救いの糸がぷちんと切れたような感覚を覚えた。
「まあ、最初は緊張するわよね。でも多分大丈夫よ。だってほら、実はお金もあった方がいいかなって思って、ほらほら♪」
ジャラッという音がする手のひらサイズの皮袋をバッグから取り出し、満面の笑顔を俺に向けるアーサ。・・・ダメだ。薄々そんな気はしていたが、多分この女は、他人の話をちゃんと聞かないタイプだ。
「おー・・そうか、そうだな。金は大事だよな・・・。」
力なく話を合わせつつ、俺は盛大に肩を落とした。あからさまにテンションが下がった俺など気にもせず、バッグから次々とあれやこれやと取り出しては、ワイワイキャッキャと説明するアーサの事など、もはやどうでも良かった。
「・・・以上、こんなもんかしら?んじゃ、行きましょうか。」
アーサの揃えてくれた鎧やら剣やらを無理やり装備させられ、自衛隊員が担いでそうな大きなリュックにあれやこれやと詰め込まれ、そして背負わされ。俺の気分は今や、漆黒のローブを纏うアーサ以上に闇っていた。
「・・・おい、このリュックさあ。もう少し軽くできないかな?俺そんなに体力無いし。」
「え?重い?んー・・・まあ転移で飛ぶから大丈夫よ?」
ん?今何と言った?
「転移よ、転移。ほら、頭出して」
アーサの小さな手のひらが、俺の頭をクシャっと掴む。
「あら?今気が付いたんだけど・・・ねえ貴方。」
何だ?それより転移だと!?あの森で俺を・・・確か、そうだ。
「おい、転移ってのは何だ?まさかワープ的な奴か?」
「ねえ、私が質問してるんだけど。」
若干不愉快そうに、アーサはジト目でこちらを睨み付けてくる。こっちはそれどころでは無いというに。でも、こいつは俺の唯一の情報源。どんな疑問を抱いたのか、それはそれで気になりはする。
「・・・何だ?」
「いや、貴方。癖毛っていうかさ・・・天パなの?」
わしわしと俺の頭髪をこねくり回しながら、黒い瞳がキラキラと輝いたような気がした。
「まあいいわ。転移【オーランド城下町】」
・・・・ちょっと待てぇぇええええ!!!!!!!!
目の前のあらゆる全てが白黒になり、俺の意識はそこで途切れた。