森からの脱出
「え?ゴ、ゴブリン?」
蚊に刺されたいの?ぐらいの温度感でその女が口にした言葉。ゴブリンの餌になる?
「だって、貴方。この森に何も身に着けずうろついてる人なんて。あれでしょ?」
おい待て、あれって何だ。ていうか、あれが何でも今はどうでもいいから、助けて欲しい。こっちは喉が渇いてフラフラで、正直会話するのも辛いんだ。
「んー・・・なんだろう?貴方なんだか変な魔力を帯びてるのね。あ、いや。貴方自身の事じゃなくて、貴方が何らかの魔術によって何かをどうこうというか。」
「待って・・!ゲホッ。待ってくれ。今はそれより、その・・・。助けて、くれないか。」
頭の先からつま先まで黒尽くめの変な格好をした女に助けを求めるなんて、きっとこの先無いだろうなと思いつつ、それでも背に腹は変えられない。さっきまでの絶望感が不本意ながら薄まりつつあるのも、なんだかんだこの女のおかげなんだし。人間がいるって、凄くホッとするんだな。
「俺は遭難中なんだ。喉が渇いてしまって、倒れそうだ。頼む、何でもするから。」
絞り出すように声を出し、正体不明の女に助けを求める。というか、喋り方と声で女と決め付けてはいるが、女か男か、あるいはそもそも人間なのかすらぶっちゃけ定かでは無いが、今はとにかくこいつだけが頼りだ。
「ふーん・・・、ま、いいわ。どうせ私もそろそろ帰ろうかと思ってた所だし。あ、何も見返りなんていらないわよ?だって、どうせ貴方に貰える物なんて、たかが知れてそうだし。」
しれっとプチ失礼な事を言いつつ、女(仮)は俺の顔を覗き込んで来る。近っ!と思うと同時に、その顔がなんとなく前髪の隙間から確認できた。
・・・美女だ。それも、凄まじいレベルの。
くすんだような甘い匂いがする。香水か?よくわからない。長い睫の奥に鈍く輝く、黒い瞳。肌はむしろロシア人を思わせるような白さだ。というか全体的に、とにかく美女過ぎるくらいの美女。確実に年下だとは思うが、服装や髪型があまりにも独特過ぎて、よくわからない。
「ねえ、そんなに私、胡散臭い?これでも見た目には気を使っているのだけれど。」
なんとなく不服げにそう呟いたその女(仮)は、俺の頭にポンと手を置き、
「転移【グリモア城】」
おい、今何て・・・
目の前の光景が一瞬白黒になり、俺の意識はそこで途絶えた。
「・・・・きて、おきて。・・・おーいおーい」
もう少し寝ていたいのに、誰かの声がする。寝る前にテレビ消し忘れたか?アラームが鳴るまでは寝ていたい。最近は作業内容が増えて、仕事がきついんだ。
「・・・い、おーい。・・・しょうがいないわね。ハンマーか何かで」
「・・・っ!起きる!起きる!待て!!」
危ない所だった。もう少しで、違う意味で眠りにつく所だった。背中に嫌な汗をかきつつ、目を見開いた俺の傍らには、なんとなく見覚えのある美女。
「あ、おはよう♪身体の調子はどう?回復力の強いポーションを使ったから、多分いい感じのはずなんだけど。」
そうだ。俺はさっきまで森にいた。そしてぶっ倒れる寸前の所でこいつに出会い、そしてぶっ倒れた。どうにも記憶が曖昧だが、こうして生きてるって事は、きっとこいつが助けてくれたんだろう。
「えっと。すいません、ここは?」
俺は豪華なベッドに寝かされていた。室内は薄暗く、寝ぼけ眼じゃあまり状況がわかりにくいが、少なくともこの布団はお高い一品であろう肌触りだ。
「ここは私の城よ。寝ている間に、あなたの記憶を覗かせて貰ったけど良かった?」
そうかそうか。って、記憶?城?
「城!?城って、しろ?」
「城は城よ。え?城って他に何かあるの?」
いかん。落ち着こう。きょとんとする女(仮)をひとまず置いといて、俺は深呼吸した。そうだ、まず状況の整理だ。俺はきっと異世界に転移した。ワンルームのボロアパートから、どこぞの森の中へ。そして、きっと俺には何の特別な能力も無い。・・・転移する瞬間に聞いたあの声は、きっと俺をそのままのスペックで放り投げたれって意味だろう。『特殊設定無し』ってのは、きっとそういう事だ。
「くそっ・・・フザケんなよ。」
不穏な空気を身に纏い始めた俺に、女(仮)が声をかけてくる。
「ねえ、貴方には色々と聞きたい事があるんだけどさ。それよりもまず、体調は?」
そうだ。俺は蒸し暑い森の中で無駄に体力を使い、脱水症状を起こしかけていた。・・・あれ?その割には喉も渇いて無いし、痛みも感じない。頭はやけにスッキリしているし、空腹も疲れも無い。
「体調は・・・悪く、無さそうだ。」
俺がそう告げると、女(仮)は、少しだけ嬉しそうにしていた。
「良かった!貴方、ずーっと目を覚まさないんだもん。このまま死ぬのかと思った。あ、それと私は女だからね。」
ニヤッとしながら前髪を両手で上げて、こちらにウィンクしてくる女。やっぱり物凄く綺麗だ。いや、カワイイ?うーむ、よくわからん。性別について迷ってたの、伝わっちゃったのかな?
俺は女(仮では無くなった)に曖昧な笑みを返し、もう一度室内をそれとなく見回す。薄暗さに目が慣れて来て、ボンヤリとだが、石造りの壁や、よくわからない模様の調度品などが目に入ってくる。窓は見当たらないが、空気の流れを感じる。
「うん・・まあ、顔色も良いみたいだし、もう少し寝ていたら?私も少し寝るから。」
今度は優しい微笑みを浮かべながら、女がそう告げてきた。なるほど、確かに色々と聞きたい事はあるにはあるが、なんとなく眠いっちゃあ眠い。完全回復ってわけでも無いんだろう。
「わかった。そうするよ。・・・助けてくれてありがとう」
俺のぎこちない礼を、それでも女は素直に受け止めてくれたようだ。
「いいえ♪あ、私の名前はアーサ。それじゃおやすみなさい、異世界人さん。」
アーサか。やっぱりここは異世界なんだな。言葉がわかるのに日本人名前じゃない。いそいそと俺の隣に入って来たアーサの為に俺はベッドを半分空けながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。
・・・・。
えっ?
え?一緒に寝るんですか?