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第7話 門出

 空に藍色を残す早暁の頃。黒く塗りつぶされた山間が、薄らと白み始めていた。

 出発の時刻が刻一刻と迫る。進次郎は山々を背に、目にこみ上げてくるものをぐっと堪えながら、トマスと固い握手とハグを交わした。


「トマスさん……短い間でしたが、お世話になりました。

 あなたやリュンカちゃんが居なければ、今頃は――」

「礼を述べるのは私の方だ。

 君が居なければ、今の私の幸せは無かったかもしれない。

 しかし、これが終わりではない。これからが君の本番なのだよ」

「はいっ……」


 不器用な男同士、互いに言葉は少ない。

 だが、双方の想いはぐっと力の込められた手から伝わっている。

 トマスは進次郎と離れると、今度はそのその両腕をクレアに広げた。


「クレア――シンジのこと、頼んだよ」

「ああ、任せておいてよ。私が一人前にしてやるからね!」


 左頬に寝跡を残すクレアは、カラカラと笑い始めた。

 リュンカの結果が分かるや、彼女は糸が切れたようにテーブルに突っ伏し、微笑みながらスゥスゥと寝息を立てたのだ。

 時間で言えば一時間ほど……まだ眠くてたまらないと言った目であり、今にもその重い瞼が閉じそうだった。


「出発したいとこだけど……案の定、あれはゆっくりなようだね。

 今の内に、ちょっとリュンカの様子を見てくるよ」

「ああ、そうするといい。だがもし――」

「だーいじょうぶだって、ちゃんとその時は黙って立ち去るからさ。

 それに動いてなきゃ、すぐに寝ちゃいそうでふぁ……あぁ……」


 進次郎は何のことかすぐに察していた。

 今頃は愛した男の腕の中で、幸せな夢を見ている頃のはずだ。

 大人二人、そんな“幸せ”に割って入る無粋さは持ち合わせていない。


 進次郎にとって馬車の遅延は、この村の景色を見納める思わぬチャンスだった。

 朝霞に包まれた村の筋には、祭りの名残を残すランプの灯影が揺れている。ぼんやりとした橙火が灯る食堂には、この祭りの主役家族や運営関係者たちによる打ち上げが行われているようだ。

 子と子の見合いであれば、これは両家顔合わせ――賑やかな大人達に対し、その先にある子供たちが眠る住宅地は、シン……と静まりかえっていた。

 その中の一つ、小ぢんまりとした家の前にクレアは立つと、慎重に様子を窺い始める。聞き耳を立てる姿には、悪戯っぽさや俗気も見て取れた。


「……大丈夫、そうだね?」


 笑みクレアはそう呟くと、恐る恐る小さく扉をノックした。

 中の二人はもう起きているようだ。中から『もう来たのか!?』、『服っ、服っ!?』とバタバタと慌てる男女の声が聞こえ、にたりと笑みを浮かべ合う。

 無粋な大人たちであった。


 しばらくして、金髪の男が息を切らせながら出てきた。

 親と思っていたのだろう。クレアの顔を見るなり、男はぽかんと口を開いたままフリーズしてしまっている。

 これが、ウィルと言う男か――と、進次郎は思った。気弱そうであるが、中々の好青年である。キザっぽさが見られるものの、声が優しく悪い印象を与えない。

 一拍おいて、奥から衣擦れの音と共にリュンカがゆっくりと姿を現した。


「く、クレアさんとシンジさんっ!? ――お、おはようございますっ」


 男物の半纏を羽織った女・リュンカは驚き顔を見せた。

 それもつかの間、彼女は上り口に両膝をつくと、深く下げられた襟首から、赤い<スワ>を覗かせながら深々と挨拶を行う――。

 どうやら、そのような“しきたり”であるらしく、厳粛な和のような雰囲気に、進次郎はふいに懐かしさを覚えた。


「うん、おはよう。おや、いい顔してるじゃないか!」

「おはよう! 確かに、“大人”の顔つきになってる!」

「あ、あうう――っ!?」


 緊張の連続と寝不足のせいか、上気するリュンカの表情にはどこか疲労も見られる。

 男の着物を着るのも決まりであり、彼の両親に挨拶をし、赤い<スワ>を隠しながら自宅に戻る。そこでやっと“女の祭り”は終わりとなるようだ。


「お邪魔して悪いね。

 もうすぐここを発つことを言いにきたんだよ」

「そう……ですか。また、寂しくなりますね」

「何言ってんだい。年増のお節介は昨日で終わり――。

 これからは、アンタの傍にいる“旦那様”に面倒見てもらうんだからね!」

「だっ――!? はうぅぅ……」

「はっはっは! ま、祝言上げるまでは恋人同士か!

 ああそれと……シンジも連れて行くよ」

「は、はい……」


 リュンカはそう言うと、寂しげな顔を浮かべながら進次郎と向き合った。


「シンジさん……短い間でしたが、お世話になりました」

「いや、世話になったのは俺の方だよ。

 リュンカちゃんがいなければ、俺は今頃ここでも死んでいた……君は命の恩人だ。

 この通りだ、ありがとう――」

「そ、そんな、私はただ、医の者としてやれることをしただけです……!

 どうか、頭を上げてください」

「また、落ち着いた時にやって来させてもらうよ。旦那さんと仲良くね」

「あうっ!?」


 “妻”となる感覚がむず痒いようだ。

 二人はしばらく婚約者の関係であり、これから夫婦になるための準備に追われるだろう。このタイミングで去るのは正解だったかもしれない、と進次郎は思った。

 あまり長居するのも気が咎めるため、ここが切り上げどころかとクレアに目を向けると――。


「と、ところでリュンカ……その、ちょっといいかい?」

「え、はい?」


 クレアは急にそわそわし始め、リュンカに顔を近づけた。


『や、やっぱり、噂通りだったのかい?』

『噂……? あっ、は、はい……。

 想像していた以上でしたが、そこまで……辛くはなかったです』

『うう、やっぱりそうなんだね……』

『あ、そうだ。クレアさんに、これを差し上げないとって思っていたんです――』


 リュンカは<スワ>の留め紐をぶつりと千切ると、それをクレアに手渡した。


「こ、これってアンタ……!」

「渡すのは絶対クレアさんって決めてましたし、幸せのおすそ分けですっ!」

「お、大きなお世話だよっ!? こんなのがなくたって、私は――」

「それで、こちらはシンジさんの分です」

「お、ありがとう!」

「り、リュンカッ!?」


 慌てるクレアを尻目に、リュンカはもう一つの留め紐を進次郎に手渡した。


「これ、大事な物なのに、ちぎっちゃって大丈夫なの?」

「はい! これは、お世話になった人に差し上げる儀式の一つですから」


 結ばれた者の<スワ>の留め紐を渡すことは、親に渡せば証明と感謝の念を、未婚の者に渡せば結ばれる者が現れる、など多くの意味があるとリュンカは述べる。それに進次郎は、クレアの反応に納得の表情を浮かべた。

 いわゆるブーケトスのようなものだ。クレアはまだ未婚――一回り下の妹のようなリュンカが先に、しかも気遣われまでしたのだから無理もない。

 しかし、彼女が慌てているのは他に理由があるのだが、それを知るのは“この世界”の者だけである。


「う、うー……。

 ま、まあ、リュンカがせっかくくれたんだし、たかが“おまじない”だからね!」

「ふふっ、そうですね。

 そう言えば……馬車の方は大丈夫なんですか?」

「それが、まだ来ないんだよ。

 確かに今日の夜明けに、って言っておいたはずなんだけど……おかしいねぇ……」

「その……入口まで行きましたか?

 “花摘み祭り”の翌日は、馬車は村に入らず入口で待ってるはずなんですが……」

「入口――あ゛っ!? そ、そうだった!? シンジッ、門まで走るよ!」

「な、なんだとっ!?」


 祭りの翌日は、『幸せな眠りを妨げぬように』と馬車などの乗り入れが禁止されている。

 クレアは祭りの終わりまでおらず、準備が終わればすぐに帰っていたため、それをすっかり忘れてしまっていたのだ。


「じゃあリュンカ! ウィルと幸せになるんだよっ! ほら行くよっ、シンジ!」

「あ、ちょ、ちょっと……!」


 駆けだしたクレアを追おうとした進次郎に、リュンカは笑みを浮かべながら口を開いた。


「シンジさん、クレアさんをよろしくお願いしますね。

 頼れるお姉ちゃんですが、ときどきあんな風に抜けていますので」

「ははは……分かった」

「あ、そうです。昨晩の祭りの最中、少しおかしなことがあったんですが――」


 先をゆくクレアを見やり、リュンカは祭りの夜の“出来事”をかいつまんで話し始めた。

 進次郎はそれに怪訝な表情を浮かべていたが、深く考える間も無く、挨拶をそこそこに遠のいてゆくクレアを追いかける。

 ゆっくりと別れを惜しむことはできなかったが、『これぐらいの方が、次また帰って来やすい』と考えていた。


 ――あの看板・囲われた空間に、どうしてか男の人が入って来られなかったんです


 このリュンカの言葉の意味を考えるのは、もう少し先のことであった。

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