第5話 夢から現実へ
進次郎とクレアの蜜夜は、それから三日三晩続いた。
無暗に出歩くなと達しがあったにも関わらず、クレアは用もなく女たちの様子を見に行っては、チラりと左薬指に輝く<白金の指輪>をチラつかせる。
誰もが羨む目を向けるのは、主にその指輪や材質の方であるが――気を良くする彼女のそれに、皆は呆れ顔を浮かべながらも、微笑ましい目で見守ってくれていた。
片や進次郎は時間と共にやつれてゆく。
一時は人か幽霊か分からない状態まで陥り、皆が『腹上死するのではないか』と本気で心配したほどだった。
「――~~♪」
ざあざあと降る雨音をBGMに、澄んだ歌が響く。
気がつけば鼻歌交じりで作業をしているほど、クレアはご機嫌であった。
手元でキラキラと輝く指輪を見ては、うっとりとした表情をし、進次郎がちゃんといるかどうか確認する。
これが最近の、彼女の一連の流れである。
不安に思うのも無理もない。苦笑を浮かべながら『ちゃんといるぞ』と返事をする進次郎も、不安になってしまうことがあるのだ。
――夢の内容は、“今”ではなく“過去”のものだ。しかし、“己”はここにいる
セイズ村で見た“死の夢”は、間違いなく“過去”である。
一炊の夢かどうか未だ不明だが、“生”は間違いなく“今”だろう。
しかし、ここに“未来”がないことが問題だった。
(クリアスに『これから帰りますので』なんて言えないからな……。
早く戦争を片付けてもらって、皆に挨拶してから帰らないと……)
進次郎は、口元を緩ませるクレアの横顔をじっと見つめた。
その視線に気づいた彼女は、照れながらもはにかんだ笑顔を向ける――。
思わずどきりとするほどの微笑みに、胸がチクりと痛んでしまう。
(思えば、身勝手なお願いと言うか、誓約だな……)
進次郎は生まれ故郷に帰るだけだが、クレアは生まれ故郷を捨てねばならないのだ。
下手すれば、二度と生まれ故郷に帰ることができないかもしれない。
しかし……今この時間だけは、悲観的に考えないようにしている。
慣れぬ土地での暮らし。どのようにすれば彼女に受け入れて貰えるだろうか、と前向きに考える。
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しかし、それも虚しい二日後。
進次郎は【ラインズ・ワークス】に帰ってくるなり、ばたりとベッドの上に倒れ込んだ。
白や青、黄のペンキだらけになった作業服姿のまま。
シーツに塗料がついてしまうと躊躇したが、疲れがそれよりも勝ってしまっている。
あの後、クレアと見つめ合っていると……“女の園”にやって来たダヴィッドに『満足しただろう?』と言わんばかりに、仕事に駆り出されてしまったのだ。
二人の幸せな時間はそこで終わりを次げ、彼が“前の世”で死んだときのような、“年度末”のハードスケジュールが彼を襲った。
まさに地獄のような時間である。
(【イメージハンプ】とかどこで知った……って、クリアスかっ!!)
それは、道路に描かれた“立体標示”のことだ。
進行方向に向かって、台形であれば正面を黄色、上辺を白、側面を青――と、配色の組み合わせで、道路に凹凸があるように見せる減速を促すための標示である。
それだけではなく、“十字”や“丁字”のマークまでそれで描かされた。
(『路面を火で炙って乾かす方法がある』なんて、言うんじゃなかったよ……)
それら以外にも、各所に【道路標示】を描くよう指示されたのだが、進次郎にとっての“恵みの雨”が道路を濡らしてくれた。
が、喜んだのもつかの間……ダヴィッドは『“がすばあな”とやらの火で、濡れた路面を乾かす方法があると言ってたな?』と、パチパチと音を立てるたいまつを手渡されてしまう。
すると、“恵みの雨”は“氷雨”と変わる。これほどまで『口は災いの元』と思ったことはない。
ダヴィッド付きの兵士の手伝いを受けながら、数人は雨避けの戸板を持ち、一人はたいまつで炙り、乾いた先からペンキで塗ってゆく――。
方法が分かれば、兵士も各々でやり始められる。
が、必然的に現場監督を任されたようなものであるため、進次郎だけが休むわけにいかない。
それは、進次郎は思わず『“誰か”の影響だな』と一人で苦笑してしまうほどであった。
クレアも進次郎が出かける前に『手伝う』と言ってくれたのだが……ダヴィッドは『絶対に外に出てはいけない』と、彼女に強く釘を刺したのである。
(あの、ロマンスグレーの髪の男……。本当にクレア一人で大丈夫か……?)
その男はダヴィッドのことを知っていた。
何者かと問うと、ダヴィッドより先にクレアが口を開いた。
『それはきっと、元・“五老”のファー様だね。
ここのところ、妙に“女の園”近くをウロつくんだよ……不気味な目つきで、女たちがおびえててさ』
それを聞いたダヴィッドは、眉間に深いシワを寄せた。
二人は思わず息を呑んでしまうほど、それは武人の険しい顔つきであった。
わずかな沈黙を置いて、ダヴィッドはゆっくりとクレアに目を向けると、
『クレア。これを言えば、せっかくの“幸”を台無しにしてしまうかもしれない。
しかし、言っておかねばならん。“五老”だったあの男・ファーは、今や大公側の飼い犬だ。
クリアス女王陛下は、城に紛れ込んだ“腐”……奴を追放するために“五老”を解散させたのだ。
無論、理由はそれだけではないが」
じっと聞き入っている二人に、ダヴィッドは続ける。
『<イントルーダー>に関する情報や、城の弱点などを流したのは奴だが、それ以降の結果が振るわない――奴はこの戦争に勝っても、地位どころか首すらも危ういだろう。
ここで奴が立場を明らかにするには、大公側にとって目の上のたんこぶ・<イントルーダー>の排除、つまり……』
そうだと思われている、クレアを始末するつもりだ、と――。
クリスティーナの日記を読んだか、有事において<巨神兵>を動かすのは<イントルーダー>だと知っていたのだろう。
“五老”の者は、ダヴィッドを除いた全員が、クレアがそうだと思い込んでいる。
だから、クリアスは彼女を“女の園”に閉じ込めた、と。
◆ ◆ ◆
その頃、セイズ村を発ったゲブゼリアのドワーフは、まもなく大公側と合流しようかとしていた。
足は遅く、予定していた合流日より一週間以上も遅れている。
遅れた理由はただ一つ。空からしとしと降り続く、雨を嫌ったからであった。
――ヒゲや髪が湿気る!
大公側の再三の督責も空しく、彼らは我が道を歩いた。
湿気で髭が上手くセットできない。上手くできても、それがスポンジのように水を吸う。
ドワーフの王・セルハンを筆頭に、雨の中での行軍を拒否したのだ。
冷えた身体を温めねば、とイヴとクレア・進次郎が初めて出会ったウィザムの温泉町に寄っては、更に一日を無駄に過ごす。
コトが穏便に済んだのは、イヴがシュトに事情を告げたからで、『そう言うことならば』と受け入れてくれたのだ。
大公の使者は、頭の血管がはち切れそうなほど、怒りで顔を真っ赤に震わせた。
(モウモウ族つれておるし、これはリアルに牛歩戦術じゃな――。
しかし結局、投石機は予定していた数を組み立てることになった……。
こうなれば、王都軍が上手く破壊してくれることを祈るしかないのじゃ……)
ガラガラと音を立てる牛車の中で、イヴは重い息を吐いた。
大公側の弱点は雨――多少の雨では問題ないが、<パイロの吐息>の威力が弱まるのを嫌ったのだろう。
しかし、夜が明けぬ日ない。雨もまたあがり、ドワーフも歩けば“目的地”に着く。
ゲブゼリア軍が大公軍と合流し、投石機の組み立てを始めたらもう終わりである。
迫り来る“瞬間”が近づいてくると、流石のイヴも緊張で身体に震えが走った。
そんな彼女を見て、脇にいたワンコは『ぉん』と心配そうに吠えた。
「む……? ああ、ただの武者震いじゃから心配いらないのじゃ」
ワンコはそれを聞き、納得したように一つ吠えた。
イヴはゲブゼリアの出、仲間が出陣するのに自分だけが見送るわけにもゆかない。
牛車に乗った彼女を追い、《コボルド》のワンコも一緒に乗り込んだのである。
(《コボルド》とは、そこらのドワーフ・人間より信用できる種族じゃのう……)
王都側は《コボルド》、大公側はドワーフ・《タウロス》――己の種族を敵に回してでもついて来ようとする犬の忠誠心に、イヴは強く感動していた。
(しかし、大公側はいつ仕掛けるのかのう?
我々の到着が遅れたせいで、向こうの“星読み”が定めた“吉日”より一週間もズレておる。
良い日があれば、悪い日も当然ある。我々の“吉日”は二日後じゃが、はてさて)
――人とドワーフ。互いの読み違いはどのような結果を招くのか?
そう思っていると、正面から大公側の一団がやって来るのが分かった。
業を煮やしたのか『投石機の部材だけでも先によこせ』と言っているようだ。
どうやら、組み方を知っているのがいると言う。
皆はこれに『誰かが先行したのか?』と首を傾げあったが、重い荷物を向こうが運んでくれるのなら世話がない。
ドワーフや《タウロス》は軽々と運んでいるが、人間にそれは骨の折れる仕事だろう。
(遅参した我々が言うのも何じゃが、『焦りは禁物。童貞は可愛いが早漏は死ね』じゃぞ?)
ふふん……とイヴは不敵な笑みを浮かべ、彼女の乗る馬車の先に居る王子・ナグは『ぐしゅんっ』と大きなくしゃみをしていた。




