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第4話 花の幸せ

 二週間が過ぎた。連日続いていた暑さも弱まりを見せ、天高い雲間には初秋の寂しさが窺えている。

 今年の秋は雨が多くなると予想されており、この日も明け方近くまで降り続いた雨によって、王都の石畳をキラキラと輝いている。

 眩いまでのそれに目を細めながら、“自由区”から街の(いただき)に向かって歩き続ける者がいた。


(城まで遠いんだよっ!!)


 進次郎は朝からずっと、リーランド王都の中枢・城に向かって足を進めていた。

 心は早馬よりも早く城に向かっているのに、足は天高く肥えたロバよりも遅い。

 【ラインズ・ワークス】を発ってからはや一時間――“ロイヤル・ストリート”を抜け、“中流区”を抜け、ようやく薄い緑を基調とした“上流区”に差し掛かっていた。


(しかし……こんな時に、“信任投票”って大丈夫なのか?)


 それは二週間前、クレアから聞かされたことであった。

 “投票期間中”は、一時的に城内の規則などが解除されるらしく『不用意に出歩いてはならない』とのお達しが下ったらしい。

 それはつまり、男が“女の園”に足を踏み入れても、何のお咎めもないと言うことだ。

 侍女たちが集められたのは、それらの注意事項を伝えるためであった。


 ――何があっても、そこに行く


 クレアに強く告げて、別れた。

 これで何十回目か、進次郎は作業服のポケットの中を確認する。

 “夢の中”で話すクレアも、進次郎の“覚悟”を察していたのだろう。

 唇をきゅっと結びながら、小さく頷いて見せた。


(あと二日もすれば、大公軍の軍旗が望める場所まで来てるって言うのに……開票から発表まで間に合うのか?)


 進次郎にはそれが気がかりであった。

 大公軍の進軍が速く、もう既に温泉町・ウィザムを過ぎたと言う。

 政治に疎い“自由区”の者であっても『“投票”は遅すぎる』と声をあげ、『戦争を理由に先延ばしにし、女王“代理”でいるべきだ』、『“不信任”に投票する余地を無くしたに違いない』と勘ぐる者までいる。

 確かにこの緊張状態において、“不信任”に票を投じるような状況ではないだろう。

 だが、この戦争はいわば“内ゲバ”であり、必ずしもそう思う通りにならない状況なのである。


(それに何で、<巨神兵>が未だに動かないんだ……?)


 街の者は皆、共通してそれに首を傾げていた。


(そもそも、遊び呆けて追放されたような奴らが、いきなり国を守りますってなるのか?

 いや、『帰りたいから、心入れ替えて真面目にやる』ってのはあるか……。

 まさか“法”は建前。実はクリアスの命令か、気分だけで動いているとか、ない……よな?)


 奴らが守るのは、あくまでこの王都にある“時の扉”のみなのだろうか――進次郎は、そんなことを考えながら、城に繋がる最後の坂道を登ってゆく。

 城門が広がって来るにつれ、その足は自然と早足に、いつしか地面を蹴るようになっていた。


 城を守る衛兵たちの目はいつもより厳しく、進次郎の身なりから“自由区”の者だと分かると、城中の警備が一段と引き締まった気がした。

 城中には、既に似つかわしい者が何人も見受けられ、ゆっくりと見渡した視線の向こうには、いつぞやの襲撃の指示を出した者――ヴァンが見受けられた。

 ダヴィッドは『謹慎中だ』と言っていたが、女王の追放により謹慎が解けたのか、“規則の解除”をはき違えたのか……何にせよ、進次郎は『触らぬ神に』と気づかれぬよう、柱の陰に隠れながらそそくさと“女の園”に向かってゆく。


(肩で切り揃えた、何か偉そうなロマンスグレーの男……あれも仲間なのか?)


 ヴァンと話をしていた男に、進次郎は眉を潜めた。

 “女の園”への道は一度通ったので覚えているが、そこに立つ衛兵の目がこれまで以上に鋭い。

 並の者では入れないのか、通路に差し掛かった時――ついに衛兵の槍が通路を塞いだ。


「え、えーっと……中にいる人に用事があるんだけど?」

「…………」


 停める道理はないが、理由を述べなければそれが通じるのだろう。

 二度、三度と試みたものの、彼らは絶対に通してはくれなさそうだ。

 進次郎は途方に暮れ、どこかでクレアと連絡がつけられないかと思っていると――


「――構わん。ダヴィッドの身内の者だ、通しやれ」

「ふ、フー様っ! か、かしこまりました!」


 後ろから先ほどのロマンスグレーの男がそう声をかけると、衛兵はさっと槍と垂直に立てた。


「あ、あの……」

「何だね、向こうに行きたいのではないのか?」

「い、いえっ、すみませんっ!」


 進次郎は小走りでそこを駆け抜ける。

 不気味な男であった。口元はわずかに緩んでいるものの、その目は武人のような厳しい色を湛えていたのである。

 後ろで醜悪に微笑んだような気がしたが、その顔は二度も見たくない。

 進次郎は振り返らず、そのまま駆けた。


 その場所が一つのキーポイントだったのだろう。

 以降の衛兵は、怪訝な表情を浮かべるだけで、特に通行者を止めようとはしなかった。

 幾多の関を越え、見知った厨房付近に差し掛かる。


「シンジッ!」

「クレアッ!」


 やっとの思いで再会できた進次郎とクレアは、周囲の目も憚らず強く抱きしめ合った。


 ・

 ・

 ・


 いくら規制がないとは言え、女たちの前で抱きしめ合うのも酷である。

 クレアに手を引かれながら、進次郎は最奥の通り――彼女の居室へやって来ていた。

 ここでは人目に憚る心配もない。二人は部屋に入るなり、体裁など構わず唇を求め合った。

 じゅっと水音が響く。口の中がふやけるのではないか、と思えるほどの唾液が混じり合う。

 端から顎をつたい落ちる様は、まさに飢えた獣のようである。

 いや、飢えていることは事実だろう。進次郎は()()()()を感じるほど、クレアを渇望していたのだから。


「ふふっ……“蜜”が欲しそうだね?」

「飢え死にしそうだ……どうせ死ぬのなら、腹上死がいい」

「しつこい男は嫌いだけど、がっつく男は嫌いじゃないよ――あ、こらっ」

「直飲みしたいぐらいだ」

「な、何を馬鹿なこと言ってるんだいっ……」


 クレアは直前まで風呂に入っていたのだろう。

 ほんのりとまだ温かい彼女の身体から、ふわりと花の香りが漂っていた。

 それを嗅いだ進次郎は、彼女の“香り”も堪能せんとゆっくりと身を沈ませてゆく。

 口では悪態をつくものの、彼の頭にやっている手はそっと添えているだけであった。

 “花”の性分なのだろう。“ミツバチ”に潜り込まれ、中で好き勝手されることすら許してしまう。

 むしろ、そのために、喜んでもらうために彼が持たせた明るい緑の布で包んであるのだ。


 思わず熱い吐息が漏れた。もっと貪り、もっと肥え太れと願い、彼に“糧”を与え続ける。

 初めはにわかに信じられなかったが、今なら理解しできる。

 愛しい者が“生”を望むのなら、何だって与えたくなってしまう。

 立っているのも辛くなって来た時、それを察してくれたかのように、ベッド脇に腰掛けさせた。

 するりと開放感が彼女を襲ったが、それは更なる深みに押し入るための準備に過ぎない。

 じっとりと湿った部屋に、蠱惑的なオスとメスの臭いが混じり合っている。


 ・

 ・

 ・


 一息ついた時は、もう周囲に夜の帳が下りていた。

 うつ伏せに横たわる彼女の柔肌に指を滑らせ、ふっくらとした肉の起伏を何度も往復させてゆく。


「ふ、ふふっ……く、くすぐったいよ」

「これすらも久々だからな」

「アンタはホントに尻が好きだね」

「今ではクレア限定だな。

 ここだけを堪能したまま最期を迎えたいとすら思えるぞ」

「……私は尻だけかい」

「嘘だ。このクレアあってこその尻だ」

「もう、知らない」


 クレアは唇を尖らせ、ぷいっと顔を背けた。

 進次郎は横からそっと覆いかぶさると、彼女の自然と口元が緩む。


「ばか……!」

「好きな女の子は苛めたくなるんだ」


 そっと唇を重ね合わせた。


「……お腹はいっぱいになったかい?」

「んー……一度、“蜂パン”にしなきゃならんから、実感がないな。

 だけど、腹が減っていると満足はいかないもんだ」


 クレアも同じなのだろう、進次郎の言葉に艶かしく微笑んだ。


「イヴの言った通りだな……空腹だと食いすぎる。

 この業種は特に、それで肥えやすいからな」

「イヴ……大丈夫かな。死傷者はいないって聞いてるけれど……」

「先週、イヴの親父がセイズ村に向かって入って行くのを見たが……。

 同じドワーフだ、多勢に無勢に挑むような無謀な奴じゃないし、大丈夫だろう。

 しかし、敵に回ったら厄介だな……」

「ははっ、真っ先にウチの店叩き潰しに来るだろうね」

「そうなったら困るな……あのベッドは寝心地いいし、もう一つの――」

「…………」

「…………」


 そう言いかけて、進次郎は言葉を噤んだ。

 クレアも気づき、緊張と期待が入り混じった目を浮かばせ、じっと次の言葉を待っている――。

 進次郎はどうするべきか考えていた。

 結果しか考えておらず、そこまでのシチュエーションをまるで考えてなかったのだ。

 クレアから離れ、ごそごそとベッド下に脱ぎ捨てたスラックスから、それを取り出す。


 ――ムードもクソもない


 進次郎は夜景でも見ながらと思うが、外に巨大な金属体が立っているそれに情緒など感じられない。

 だが、それよりも、“この世界”の作法などと言うものが全く分からないのだ。

 カチ……カチ……と、時計が重苦しく時を刻む。

 ほんの刹那的なものであるのに、何十分も待たせてしまっている気さえしていた。


(こう言うのはキッチリと、正面切って言わねば……よ、よしっ!)


 覚悟を決め、真っ裸でベッドの上に正座をする。

 それにつられるかのように、ベッドを軋ませながらクレアも見よう見まねで両膝をたたみ、膝を突き合わせた。

 喉がからからに乾き、べったりと張り付き合っている。


「――く、くりゅえあっ!」


 そのせいで舌が回らなかったのだ、と進次郎は自分に言い訳をした。


「――ひゃいっ!」


 クレアも同じか、と思うと進次郎は気持ちがすっと軽くなるのを覚えた。

 すると、どう言うわけか、緊張したその空気がふいに身体中をくすぐり始める。


「く、くくっ……」

「ぷ、ふふっ……あ、アンタが、先じゃないかい……」

「た、確かになっ……!」

「し、締まらないねっ……ふふ、ふふっ……」


 二人はどちらからともなく、大笑いをし始めた。

 真っ裸でベッドの上で向かい合い、互いに()()合い、大笑いし合う――。

 理想としていたそれではないものの、こちらの方が“らしい”と思っていた。


「あっはっはっ! いや、困ったねぇ……!」

「でも、これで吹っ切れた。

 俺は“こっちの世界の住民”でもないし、こっちの作法は分からないけど」

「う、うんっ……」


 進次郎は箱の蓋を開き、月明かりを反射する指輪を露わにした。

 クレアは息をするのも忘れ、じっと次の言葉を待っている。


「何の“意味”があってここに来たか分からんが……恐らく今の俺は、幽体離脱した魂、だ。

 だけど戻り方が分かり、その手段も得た――向こうに戻って目覚めた時、クレア。

 君に傍に居て欲しい、その時だけでなくそれからもずっと……。

 だから、一緒に帰ってくれないか!」

「う、うん――じゃない、わ、私でよければ、どこへでも、と、共に……!」


 クレアはそう言うと、進次郎に目で合図を送った。

 それが“この世界”の作法なのだろうか、台座から指輪を取るとそっと左手を取る。


「目覚めた時、向こうでちゃんと言うが――結婚しよう」

「はいっ……!」


 女の悦びに満ちた、弾むような声であった。

 細い薬指に通されたそれに、クレアは心の底から幸せを感じている。

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