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  └花とミツバチ(その頃……)

 それよりも少し前――。

 リュンカは黒い闇の中、“花摘み人”をじっと待っていた。

 山道の掲げられた最低限の灯りを頼りに、進次郎たちと見つけた場所にしゃがみ込む。

 今はまだ、伴侶を求めて鳴きひしめく虫の音しか聞こえない。

 考えていた通り、そこは気づかれにくい場所だったのだが、唯一の想定外と言えば、自身が身にまとっている真っ赤な着物だろう。

 ランプの橙色の輪の外は、黒に塗りつぶされた闇が広がっている。

 この日のために想いを告げることも、告げられることも待っていた彼女であったが、これほどまで赤色が映えるとは思ってもいなかったのだ。

 セイズ村では既婚者は赤の、成人前もしくは未婚の女は、茶色の着物を着なければならない。その娘たちは全員母親の姿を見て育っているため、その赤い着物が暗闇で映えることを知っている。

 しかし、医者は別である。リュンカも今やその卵であり、医学を学ぶためにしばらく村を離れてもいた。しかし何より――母親は、絵の中の姿しか知らないのだ。


(ミツバチの目は、人には見えない光が見えて、花がより美しく見えるようになっているってあったけど……お母さんもこんな気持ちだったのかな……)


 母親の想いを辿るべく、リュンカは幼い頃より“花摘み祭り”に参加しようと決めていた。

 学者肌な彼女は『この祭りには、どのような歴史があるのか』と歴史書を紐解いた際、ミツバチの生態を調べていた者の手記に行き着いた。


【セイズ村で行われる“花摘み祭り”と呼ばれる祭事は、“花とミツバチ”を模していると考えられる。

 昆虫だけを追い続けている私が語るべきでことではないが、村では良質な蜂蜜が採れることから、“蜜”なる関係であることは間違いないはずだ。(そして、横から掻っさらう人間にとっても)

 花はミツバチを生かし・育て、ミツバチは花を育てる。花がより美しく咲き誇ろうとするのは、ミツバチを引き寄せるためではないだろうか?】


 しかし、ミツバチは花蜜を啜り花粉を食すわけではない。集めた花粉を巣穴で花蜜と合わせ、“蜂パン”と呼ばれる固形物を生成する。

 そして、それが働き蜂や幼虫の餌となる――と続いており、リュンカは当初の目的を忘れ、思わず読みふけってしまっていた。

 そもそも、セイズ村は歴史が浅く、まだ深く調べられるほどの資料がない。

 だがもし、その記述が正しければ、この山道に放たれた“ミツバチ”たちは、美しい花を目ざとく見つけ出すに違いない。

 それが違う“ミツバチ”であれば――ざわりと音を立てる黒い木々に合わせ、細い身体をぶるりと震わせた。


(こんな物、と言っては失礼ですけど……シンジさんのこれにすがるしか……)


 すっと頭を上げたリュンカの視線の先には、進次郎が描いた【安全地帯】の看板が立っている。

 一見、目を引く看板だけど、背の高い草木に隠れるようにしているので、目を凝らさねば見つかることはないはずだ。


(でも、ウィル……早く来て……)


 その胸に浮かぶのは、幼い頃よりずっと一緒だった遊び友達の姿――。

 追いかけっこや、一緒にこの山に入って探検したりしているだけだったのに、いつから異性として意識するようになったのだろう。

 最初は『男の子との遊びについていけない』と言う同世代の女の子の話を聞き、『確かに』と思うところがあったから、大きくなるにつれて距離を置くようになっていた。

 しかし、それは違った。会わない時間を重ねれば重ねるほど、頭に思い浮かべるのは“男の子と遊んだ”記憶であり、そこにいるのは常にウィルであった。

 漠然としたものがハッキリと言葉、形になったのは、医学を学ぶために村を離れると告げた日だ。しばらく会えなくなると言い切る前に、強引に唇を合わせて来た。

 驚き呆然としていると、顔を真っ赤にしながら『言葉は返ってきてから言うよ』と耳元で囁いたのだ。


(思えば、昔からキザったらしかったな……)


 そっと唇に指を添え、口元を緩めた。

 それが自身を縛る鎖となり、修学先の村で同じ志を持つ者からの“誘い”にも惑わされることなく、勉学に集中することができた――と、言っても過言ではないだろう。

 帰ってきてからは逆に『祭りの日まで待って』と、リュンカがウィルを縛った。

 その時、近くからがさり……と雑草を踏みしめる音がした。


 ――来た!


 リュンカは気がはやり、確認もせず立ち上がってしまった。

 そこに居たのは、金髪の青年ではなかった。


(あ、し、しまった……っ……)


 呆然と立ち尽くす彼女と、ハッとした表情の男と目が合っている。

 暗闇の中でもハッキリと分かるぐらい、男の顔が歓喜に満ちてゆくのが分かった。

 リュンカは村の中でも人気がある。淑女だと思っていた者が、男の足音が聞こえるや、すっくと立ち上がったのだ。

 鼻息を荒している者からすれば、“その気”だと勘違いしても無理はない。


「りゅ、リュンカさん……ああ、憧れのリュンカさんがっ……!

 俺の存在に気づいて……ああ……」

「ひっ……!?」


 それが雑貨屋の三男だと気づいたのは、しばらくしてからであった。

 商売柄か声が大きく、雅な奏でが響くだけの静かな山の中では、彼の声は良く響く――ミツバチの“八の字ダンス”のように、他の“ミツバチ”にも彼女の居場所を教えてしまっていた。


『……リュンカだって?』

『あっちから聞こえたぞ』


 暗闇で反響するかのように、あちこちから声が聞こえてくる。


「他の奴らが――リュンカさん、早く!」


 リュンカは後ずさりしながら、首を小さく左右に振るしかできなかった。

 そもそも“花”には決定権がない祭りだ、嫌であっても“()()()()()()()”抵抗することは許されない。

 男は辛抱できず、ぐっと身体を乗り出した。……が、ある一点でピタりと足を止めてしまう。


(え……?)


 不自然な格好で止まったその姿に、リュンカは思わず小首を傾げた。

 そこには、進次郎とクレアが引いた、一メートル四方に囲われた“白と黄色の線”があった。

 男は引き寄せられるように、青地に白抜きの“V”字が描かれた看板に目を向けた。


「う、うぅむ……?」


 ぐっ、ぐっと上半身に体重をかけるが、脚が地面に張り付いてしまったかのように見えた。

 あと一歩。あと一歩踏み出せば、憧れの女が手に入るのに……と、悔しそうに顔をしかめる。

 リュンカはよく分からないが、『助かった……』と、小さく息を吐いた。

 が、それもつかの間――躊躇している男の後ろからは、更に複数の男の影が迫り来ているのが分かった。


(ウィルッ――!)


 他の男たちは暗くて分からないが、短い金色の髪の男だけはハッキリと見えている。

 場所を間違えたのか、焦燥の顔の中に、申し訳なさが入り交じっていることも。


「おい、行かないならどけよ」

「行きたいけど行けないんだよ! くそっ、どうしてもこの線が……!」

「あ? 何言ってんだ?」


 黒い人影は四つ、その中から一番離れたところにウィルがいる。


(こんな時ぐらい『オレが!』って押しのけて来てくれてもいいじゃない……)


 リュンカは不満げに唇を尖らせた。

 キザなのは良いが、男たちの輪の中に入ると、途端に気が弱くなるのである。


「こんな線ぐらい――ぬっ、おっ! おぉん?」

「な、何だ……何で脚が動かないんだ……?」

「な? この線、『超えたらダメ』な感じがするだろ?」


 どうやら、後から来た男たちも、同じく線を踏み越えて来られないようだ。

 何が起こっているのか不思議に思ったが、今は考えいる余裕がなかった。


「おい、リュンカ! オレと一緒に行こうぜ。

 金もあるし、面倒見てやるからよ」

「あ、ズリーぞ!

 俺、俺の所は材木扱ってるし、タダで診療所の修繕してあげる!」


 入れぬならば、と言ったところだろう。

 しかし、下心見え見えの言葉には何の魅力も感じられない。

 それどころか、彼らの言葉には不快感すらあった。

 興味がないと言い返しても、鼻息を荒くする彼らには火に油を注ぐようなものだろう。

 それにもし相手を刺激し、離れて見ているウィルに、ことが及ばれてもいけない。

 彼女と仲が良いことは皆が知っているのだ。


(こんな時、クレアさんなら全員殴りつけちゃいそうだな……)


 あの人は口よりも先に手が出る。

 もしここに居れば――と想像すると、貝のように固く閉ざした口が、僅かに浮かび上がってしまった。


 ・

 ・

 ・


 それからどれだけの時間が経ったのだろうか――。

 祭りの間、奏で続けられる美しい音の調べからして、それほど多くの時間が経っていないだろう。

 いくら嫁にしたくてたまらない魅力的な女であっても、語りかけても返事を返さないような者はつまらない。

 一人が捨て台詞を吐いて去れば、それに続いて二人目……三人目……と離れてゆき、最後は“何もしなかった者”だけが残っていた。


「……」

「……」


 ざわめく木々の音だけが聞こえていた。


「あ、あの、リュンカ……」


 わずかな間を置いて、残った男・ウィルがおずおずと口を開いた。

 しかし、リュンカは目を閉じ、口を固く閉ざしたままである。


「そ、その……遅くなってごめん……。怒って……る?」


 つまらない女、など寄ってきた男たちに好き放題言われたのだ。いくら温厚であっても怒らないはずがない。

 岩戸に閉じこもったリュンカを連れ出すには、更に倍の時間と言葉を要した――。

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