第3話 決意と別れ
夜も明けきらぬ頃、ワンコの馬車が城に向かって走り始めた。
その中にいるのは、黒い瞳に涙をたたえた濃紫のローブ姿の女……王女からの帰参命令を受けたコーニーが乗っていた。
彼女の瞳に溢れ出るのは、主人の下に戻れる喜びか、それとも別れの悲しみか。
流れ落ちぬよう、彼女はポケットから取り出したハンカチを目元にそっと押し当てた。
――女王陛下が『戻って来い』と言っている
ここに来てから三日。
その報せは、あまりにも唐突であった。
朝の“おつとめ”の最中、心酔してやまない者より『“夢の中”でクレアから聞いた』と伝えられたのだ。
聞きたかった言葉であるのに、今では素直に喜べないのはどうしてだろう……。
(また、いつか……)
和気藹々とした賑やかな“家”……それに気づかないよう、流れる蒼い街をじっと見つめていた。
◆ ◆ ◆
この火急の報せには、進次郎も驚かされた。
流石のクレアでも、“女王付きの侍女”までは担えない。
じきに『帰参しろ』との命が下るだろうと構えていたのだが、まさかこんなにも早く来るとは思っていなかったのだ。
クレアは“女の園”の最高責任者の席に就いているらしいが、コーニーが戻ってからもその席に残ると言う。
(アイツの言葉を聞くたび、焦燥に駆られてしまうんだよな……。
正直、椅子をけっ飛ばして帰ってきて欲しい……)
叶わぬ、身勝手な願いだとは分かっている。
彼女にも“責任”があり、途中では決して投げ出さない信念をもっているのだ。
しかし、重要なポジションに就けば当然、“恩恵”という名の“蜜”を啜らんとする蟲が集まる。
“開発会”にいた者たちは特に分かりやすく、これまでの『貧乏人』と蔑んだ目から一変、急に眼の色を変え、心にもないおべっかと共に近寄ろうとして来たようだ。
『ホント、“上流区”の薄汚い連中には辟易するね。
あんなのと同じ空気を吸っていると思うと、反吐が出るよ――』
俗臭に顔をしかめながら語る彼女は、心底うんざりしていた。
その日だけで見合い話が四件、袖の下を渡そうとする者は七名――愚にもつかない“上流階級”の行動に、思わず手が出そうになると言う。
城内では既に“戦争”が始まっている。
誰を籠絡すべきか見極め、大金が動く博打が始められているだろう。
だから、クリアスはクレアを“女の園”にやった。
金などで靡かないと信じているが、それは進次郎自身にも影響を与えてしまっていた。
(この先、アイツにどうやって会いに行けばいいんだよ……)
手にした自身の“罰”に、一抹の不安がよぎる。
二十個の空欄がすべて“ハートのシール”で埋まっているのに、自身の心は空虚のままだった。
――帰らねばならない時がくる
もはや会うことが叶わぬ、この国にいる“意味”が失われたから去るのか?
“女の園”にいる女は、大半が花嫁修業も兼ねてやって来る、とコーニーは話す。
彼女の“教育”は見事なものであり、多くの“貰い手”から高評価を得ているようだ。
そんな侍女長としてのお眼鏡によれば、クレアは『磨けば光る玉石』とのことだ。
――自分がここから去れば、彼女はどこかに“貰われてしまう”のか?
それが、進次郎の心を大きく荒立てた。
「くそっ……!」
指紋一つない、ぴかぴかに磨かれた机に握り拳の掌紋がつく。
物にあたっても何も満たされない。
しかし、そうでもしなければ、彼の焦りは治まりを見せようとしなかった。
『荒んでるねぇ……』
『男とはそんな物だ。おい、シンジ!
お前の事情は分かったが――どうしてクレアを置いて行く前提で考えてんだ』
「そうしなきゃ――」
『馬鹿野郎っ! 遺される奴の気持ちを考えろっ!
アイツは天涯孤独の身から、ようやくお前って言う生きがいを見つけたんだ!
それを『会えなくなるから別れます』なんざしてみろ、“お前の世界”とやらまで行って祟ってやるぞ!』
『そうだよ! その時は私もついて行くからね!』
「――ッ!」
勝手なことを、と思わず言いかけた時であった。
クレアの母親・ケリィの『ついて行く』との言葉が引っかかり、頭に妙な疑問が浮かび上がってきた。
(どうして俺だけが帰らなきゃならないんだ?)
帰り道があるのなら、一人でなくとも良いはずだ。
そして、クリスティーナの……“向こう”からコンタクトを取って来たことも気にかかる。
――彼女は今、どこにいる?
もしかすれば、との可能性が浮かび上がる。
しかし、それより先に身体が動いた。
ガタンッと勢いよく立ち上がるや、進次郎はハッキリと見えるクレアの両親に向き直った。
「親父さん……いや、お義父さん、お義母さん――俺に、俺にクレアを下さい!」
『まだ言われる筋合いはないが、言ってる場合でもないな』
『ああ、ついにこの時が来たんだね……』
「ですが、まだあくまで“可能性”ですが……」
『なに弱気なこと言ってんだい!
“土産”の一つや二つぐらい持ちかえっても、世界は許してくれるさね!』
進次郎がよしっ! と心を決めた時――それを外から聞いていた小さな者が、ひょっこりと姿を現した。
「――よく言ったのじゃっ、シンジ!」
「い、イヴッ!?」
「お主が“男”を見せる時を待っておったのじゃ。
ギリギリ間に合ってよかったのう――ほれ、アタシからの餞別じゃ」
「な、何だこの小箱……て、ギリギリ間に合ったってどう言うことだ?」
「……アタシは一度、故郷・ゲブゼリアに帰らねばならんのじゃ。
そこも、きな臭くなっておるようで、カーちゃんから『帰って来い』と手紙が再三来ておってのう……」
父親の潜伏先に届いた手紙を読み、こっそりとその旅支度を行っていたようだ。
ここのところ頻繁に出かけていたのはそのせいで、路銀の調達に忙しかったと言う。
「……いつ、発つんだ?」
「今日、わんわんが帰ってきたら、じゃ……。
セイズ村を回るルートで帰ろう思っておるが……お主、そこから来たのなら言付かっておくぞ?」
「そうだな……ああ、村の診療所に置いて来た財布とヘルメットを、ワンコに預けるように言っておいてほしい。
あと、そこの主・トマスって人と、その娘さんのリュンカって女の子の様子を見てきてくれないか」
「ん、分かったのじゃ」
「で……この小箱は何だ?」
「開けてみるのじゃ」
進次郎は、高級そうな黒い木の蓋をゆっくりと開く。
するとそこには――
「こ、これ指輪じゃないかっ!?」
「ふふんっ、どうじゃ! これがアタシの傑作・<白金の指輪>じゃ!」
「白金って……ま、まさかこれっ!?」
「元々はお主が頼まれた依頼じゃからの。
お主が使うのが道理――それがあれば、のう……う、うぅっ」
イヴはずっと堪えていた物に耐えかね、言葉を詰まらせ始めた。
ドワーフは感情屋が多い。言いたくない言葉でも、言わねばならない想いが彼女を苛め、固く結んだ唇をふるふると震わせる。
「ふ、二人と離れば、なれになっても……アタシを……うあ゛ぁぁぁぁぁぁんっ……!」
年相応の大きな泣き声をあげながら、イヴは進次郎に飛び込んだ。
温泉地で知り合ってからずっと一緒だった、中身だけ大きな女の子――ポロポロと零れ落ちる涙を、その作業服に染み込ませ、何度も何度も『絶対に決めろ』と泣きじゃくりながら口にしていた。




