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第7話 女王君臨

 いきなりの侍女長の解雇と任命、そして侍女たちへの(いとま)――現場は騒然とし、一時は混乱を極めた。

 城で何が起こっているのか、彼女らのまとめ役に任命されたクレアもまるで理解できていないまま、その対応に追われて続けていた。


(お日様を浴びないと病気になっちまうよ……)


 王女へ午後の部の報告へ行く途中、クレアはふと足を止め、回廊から望む茜色の空を見上げた。

 業務に謀殺され、陽の光を浴びた記憶がほぼない。先ほど朝日を見たばかりだと言うのに、それがもう反対側の山に落ちようかとしている。

 長に任されたからには勤めを果たす――クレアは己の性分を呪った。


 ――このような生活が毎日続くのか?


 コーニーがどれだけやり手であったか、と痛感してしまう。

 多くの人間が動く場所において、『知らぬ存ぜぬ』『自信がない』は通用しない。

 侍女たちは元からキャリアのあるベテラン揃い、それこそクレアなぞ足下に及ばないほどの経験を積んでいる。

 彼女らに欠けているのは“責任”のみ。なので、クレアは陣頭指揮を執るだけでよかった。

 さしたる事件も起こらず、一時と比べれば“女の園”は平静を取り戻している。

 軍人や奴隷のような印象は未だに払拭できないものの、コーニーは意図的にそれを学ばせなかったようにも思えていた。


 そんな侍女たちも、今日ばかりは浮足立っている。

 事前説明も、理由もなく変革を起こすのは愚行極まりない行為だ。

 元から聡い彼女たちもそれを察知したのだろう、城の中で“何か”が起ろうとしているのは、火を見るより明らかであった。

 黄昏の空に変わるのを見ながら、クレアは重いため息を吐いた。


「――あら、ずいぶんアンニュイな様子ですわね」

「へ? あ、あああっ、く、クリアス王女様ッ!?

 ご、ご苦労様ですっ……あれ、御機嫌よう? あれ……?」

「ふふっ、ここでは形式ばった挨拶なぞ特に必要ありませんよ」

「も、申し訳ありません……。

 ですが、どうして王女様がお一人で……?」


 クレアら侍女と同じ色味のドレスを着たクリアスを見ながら、クレアはそう訊ねた。

 本来、外を出歩く時はコーニーがついていたのに……と思うと同時に、そこで初めて己の立場を思い出した。


「――も、ももっ、申し訳ありませんっ!」

「ん? ああ、別に構いませんわ。

 わたくしについて来てたのも、コーニーが勝手にやっていたことでもありますし。

 それに、これから向かう先を考えれば、私一人の方がよいでしょう」

「は、はぁ……。あの……何か、あったのでございましょうか……?」

「何か? ああ……」


 クリアスは黄昏時の空を見上げ、感傷的な表情を浮かべていた。

 その目は哀しみをたたえ、いつも漂わせている“王女”の威圧感はまるで感じられない。

 クレアの眼に見えているのは、若干二十歳のうら若き、多くを悩む少女の姿であった。


「大変革の第一歩、と言ったところでしょうね……」

「大変革……ですか?

 やはり、大きな人事異動を行ったのは……」

「本来ならば、貴女は牢屋に左遷でしてよ?」

「え……」

「“女の園”に男を連れ込み、あろうことか一晩中まぐり合い続けた――」

「はうっ!? え、え、えぇっと……」

「はぁ……。それをまだ胎内に残し、潤々にしながらわたくしの前に立てるその胆力には、敬意を表しますわ……」

「も、も、ももももっ、申し訳ありませんっ!!」


 思えばクレアは突っ立ったままである。慌てて交差した腕を胸にやり腰を落とした。

 顔を伏せているため王女の表情は分からないが、クレアはあわあわと唇を震わせてしまっている。

 遠くの山間では木々のざわめきが起こり、少し遅れて優しい風が髪を撫でつけた。

 その風の音の中に、王女の微笑みが聞こえた気がして、クレアは思わず顔を上げた。


「ふふっ、牢に放り込み、《ケンタウロス》の餌にすることも容易いですがね。

 わたくしが何もしないと言うことは、つまりそう言うこと――。

 まぁ、そんなことをすれば、あの<イントルーダー>に何をされるか、分かったもんじゃないですし」

「その……気になっていたのですが、“それ”は他に何人かいるのでしょうか……?」


 クレアのそれに、クリアスは驚いたように眉をあげた。

 直接の表現を避けているが、『進次郎だけではなく貴女もそうなのでは?』とクレアは問うたのだ。

 わずかな沈黙を挟み、彼女はすっと目を細めクレアの目を見つめた。


「世界には一人、ですよ」

「え……」

「正しくは、一人分ですね――言わば、彼は片割れ。

 足りぬ物を補い合うのは貴女ではなく、わたくしかあの人でしたのに……」

「そ、それはどう言う……」

「ふふ、まぁそれも全ての準備が整ったので良いですがね。

 知りたければ、わたくしの寝室へ――共に“甘い夢”を見ながらお話ししますわ。

 ああ、しばらくはダメですよ。栗の花の蜜を舐めるなぞ、屈辱しかありませんからね――」


 艶めかしい女の笑みに、クレアは小さな悲鳴をあげた。

 ここは白い花が咲き乱れる“女の園”。その親株が目の前にいる王女なのだ――耳の奥で、しゅるしゅると根が這い寄る音が聞こえている気がした。


「……と、いけません。こんなことをしている場合ではありませんわね。

 慣れぬ仕事ながらも、よく切り盛りしてくれました。もっと混乱が生じるかと思っていましたが、それが起こらなかったのは貴女の手腕と言っても良いでしょう。

 ……ですが、明日からは更なる激務が予測されます。今日はもうよろしいので、今晩はしっかりと休んでおきなさい」

「はっ、は――ッ!」


 すっと王女の顔に戻ると同時に、周囲の空気が張りつめた。

 衣擦れの音と共に去ってゆく彼女の背を見送ったクレアは、その時初めて、小脇に“黒い冊子”を抱えていることに気づいたのである。



 ◆ ◆ ◆



 それからほどなくして――


「――クーリッ、貴女はいったい何を考えているのですッ!」


 クリアスが城の中心部・女王の謁見間に姿を見せるや、女王・アリスの叱責が飛んだ。

 これまでに聞いたこともない女王の感情の籠った声。誰もが作業中の手を止め『尋常ならざる事態が起きた』と、事の次第を見守ろうとしている。

 一目も憚らずに発せられた母の叱責にもかかわらず、王女であり娘でもあるクリアスは涼し気な顔を浮かべ、臆するどころが逆に鼻で笑いそうな様子だ。

 それに女王は、更に顔を険しくした。


「聞いているのですかッ!!」

「そんなに声を荒げずとも、わたくしの耳にはしっかり届いておりますわ。

 しかし……不用な名を捨てただけで、どうしてとやかく言われねばならないのです?」

「あ、貴女って子は――」


 アリスは周囲の目を憚ることなく、怒りで顔を染め上げた。

 クリアスの本当の名は〔クリアス・“アリス”・セーファス〕であり、ミドルネームは母・アリスの名を貰っている。

 この日出したアリスの“下知”は、彼女の濃紫を基調とした侍女だけでなく、緑を基調とした女王付きの侍女にまで及んだ。

 母の名を捨てただけに留まらず、クリアスがつけた名は、アリスが背負った“罪”の名なのだ。

 母として、女王として、これほどの娘の横暴・不義理を許すわけにはいかなかった。


「――そのように頭に血を昇らされては説明ができませんわね。

 まずはこれをご覧になって頂きましょう」


 クリアスはそう言うと、四つ折りにされた紙をすっと差し出す。

 怒りで顔を赤らめたアリスであったが、その紙を開くやいなや、みるみるうちに血の気が引いてゆくのが分かった。


「な……ど、どうして……どうしてっ、ティナの……」


 それは、クレアが持っていた<クリスティーナの似顔絵>であった。

 イヴの父親が描いたそれは、()()()まま・記憶のまま。封じていたはずの、アリスの罪と(おそ)れ――それが脆弱な心身を蝕み始めてゆく。

 彼女の顔を知るのは、もうほんの一部しかいない。

 紙やインクの具合からして最近描かれたものにも関わらず、ここまで鮮明に描けると言うことは、“実際に見た者”でなければ描くことができないはずなのだ。


「わたくしは、彼女の“代弁者”――その意味、お分かり頂けましたか?」

「ま、まさか……クーリ……貴女、ティナに……ティナに会ったって言うのですかッ!?」

「会いもし、聞きもし、遺物も託されましたわ。

 “あの時”起きたことをすべて隠さず、そして、彼女の意志を託されました」

「あ……あぁっ……」


 玉座の上にもかかわらず、アリスは後ずさりしようとした。

 肘掛を強く、握り潰さんかとするほど強く握り締める。

 そして、クリアスは“日記”を取り出すと、ある記述を開き――“クリスティーナの怨念”を読み上げ始めた。


【アリスへ――私がこれを書けると言うことは、貴女は罪を 

 ちょっと頭がフラフラする  、心配   ……。

 、それは貴女の責任   、私は貴女を恨んだ  。本当に  い……。

 これを書き記しておく。貴女    は、私がカッとなった時……<イントルーダー>の   ってしまった……。

 酷な運命   。だから、手遅れ   、    私のところに  来て――】


 アリスはがたがたと震え、強張った顔は完全に蒼ざめてしまっている。

 あちこちが焼け焦げているため、単語ばかりの読みあげになってしまったが、綴られていた不穏なワードの羅列は城内を騒然とさせるに十分だった。


「お母様――取るべき道、お分かりいただけまして?」

「わ、私が退くのは簡単です……。ですが、それをすれば“法”が――」

「このリーランドは大きな成長を遂げ、まだ王座にしがみつきたい気持ちは分かります。

 しかし……その急激な成長によって、この国は死にゆこうとしているのですよ。

 お母様のしていることは、それを延命しているだけに過ぎませんし、わたくし的には延命されても困るのです――」


 クリアスは冷たく言い放った。


「我らが歩むのは死の道のみ――これがわたくしの考えございます。

 では、お母様……いえ、女王陛下。これまでご苦労さまでございました。

 これからは、このわたくしが新たに国を率い、生まれ変わらせてさしあげましょう」


 クリアスは、傍にいる衛兵にくっと顎を向けた。

 衛兵はわずかに動揺を示したが、新たな女王の座に就こうとするクリアスの言葉は尤もだ。

 彼らの内から湧き出る“恐怖”を、“使命”だと言い聞かせるには容易い。


「――は、離しなさいっ! 私は……私は認めませんよっ!

 今ならまだ間に合う……クーリッ、今すぐに取り消しなさいッ!

 貴女がしようとしていることは、大公領との戦争を呼びかねませんッ!」

「……どうぞ【贖罪の教会】にて、隠居生活をお楽しみくださいまし。

 緑の侍女たちは、母の身の周りのお世話、よろしくお願いしますわね。

 それに、戦争はもう既に起っているのですから」


 クリアスはスカートの両脇を掴み、すっと一礼を行った。

 その声、その目、その仕草……すべてが娘が母に向けるものではない、凍てつくような冷酷さが込められている。

 それは、公開処刑でもあった。玉座を引きずり降ろされたアリスの抵抗も空しく、衛兵に両脇を固められながら、ズルズルと赤い絨毯の上を引きずられてゆく。


 普段の凛とした顔からはまるで想像もつかぬ、激昂と絶望に歪めながら娘にかかろうとするアリスの姿は、場内に居た者たちの脳裏にずっと焼き付いていた。

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