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第5話 禁断の逢瀬

 侍女服姿のクレアが先行し、少し距離を空けて進次郎が追いかけた。

 “女の園”は男子禁制。もし潜入に気づかれれば、次の行き先は牢屋。最悪は断頭台へ直行であろう。

 これは進次郎に限った話ではなく、クレアも同様の罪に問われる。

 そのため、クレアも進次郎も細心の注意を払いながら、橙火がぼんやりと浮かぶ廊下を、そろりそろりと渡ってゆく。


(しかし、クレアも堂々としたもんだな……)


 廊下を歩くのはクレアだけとは限らない。

 夜を巡る侍女に会釈し、怪しまれぬよう二、三の会話を交わす。

 だいたいは業務連絡や申し渡しの、他愛もない会話だ。

 そのやり取りはまさに“王女つきの侍女”であり、一時(いっとき)も目を逸らせない神聖さが進次郎を惹きつけた。


(帰って、来るよな……?)


 そして同時に、自身の心をひどく搔き乱した。

 わずかに目を逸らせば、見失いかねないほどの暗い廊下。

 このまま、彼女がどこか遠くに行ってしまうような焦燥すら抱いてしまう。


(――と言うか、本当に遠くに行くんじゃないっ!)


 すたすたと先をゆくクレアを、進次郎は慌てて追いかけた。

 彼女の悪い癖だ。かつての“自由市場”で置いてけぼりにされたように、彼女は考えごとや他の作業に集中していると、周りと歩調を合わせられなくなってしまう。

 進次郎は物思いに耽る間もなく、クリスティーナに教わった“隠密行動の極意”を駆使しながら、壁から壁へと渡り続けた。


 ――息をできるだけ小さく、細くして、授業中の先生に当てられないような感じで気配を殺してください


 この効果は絶大だった。わずか三十センチほどの距離、侍女が持つランプ灯りに身体が照らされても気づかれなかったほどである。

 そのせいでクレアを見失ってしまったが、それほど距離は離れていないはずだ。

 勘のままに彼女がいそうな方向へと歩を進め、十字路に差し掛かったその時、キョロキョロと周囲を気にしている赤髪の女を見つけ、進次郎はぐっとその肩に手を伸ばした。


「おい――」

「ひっ!?」


 小さな悲鳴をあげた女は、よく見ればクレアの赤髪ではない――ろうそくの橙灯に照らされ、赤く見えただけの茶髪だった。

 血の気が引いてゆくのが分かる。目の前でかたかたと震える女が悲鳴をあげ、飛び出してきた女から袋叩きにされるまで、そう時間はかからないだろう。

 最終手段として、クリアスの名を出すかどうかと思うと同時に……正面の女の目がぐわっと見開かれた。


「あ、あぁぁぁ……ご、“御主人様”っ!」

「へ? “御主人様”って……俺?」

「は、はい……お言いつけ通り、お待ちしておりました……」

「“御主人様”と“お言いつけ”……も、もしかしてコーニーかっ?」


 荒く熱っぽい息を吐きながら、女はこくりと頷いた。


「え、えぇっと……命令って何だっけ?」

「あ、あぁ……い、言わなければ、いけませんか……」

「うん」

「く、クレアから“御主人様”からの“ご命令”を頂き、『ローブの下は何も着ず、到着を待つこと』と――」

「何だとっ……ああ、そうか」


 クレアの言っていた“案”とはこのことか、進次郎は『なるほど』と頷いた。

 確かに侍女長・コーニーであれば、真っ直ぐクリアスの下へ向かうことができる。

 同時に別の疑問も浮かんだが、悠長にしている時間もない。

 新たな“命令”を与えるべく、進次郎は【標識】をコーニーに差し出した。


「――これを、クリアスの下に届けて欲しい」

「これを……ですか? って、こ、この姿で、ですか!?」

 ……あ、あぁ……我が主君の下に、こんなはしたない恰好で……!」

「ああ、その恰好で行くんだ。

 できるだけ早く――届け終わったら、そのまま行っていいからな」

「はぅんっ! は、はい……いい、行って参ります……」


 コーニーは深々と頭を下げると、恍惚の表情を浮かべながら闇に消えてゆく。

 その背を見送りながら、進次郎は『これからどうして良いのか……』と途方に暮れた。


(クレアはこうするために、わざと距離を置いたのか?

 いや、でもどこかに隠れて様子を窺っている気配もしないし……。

 ひょっとして、あいつも“隠密行動の極意”を持っているのか?)


 前後左右――周囲を見渡すも、クレアらしい侍女の姿が見受けられない。

 いくら暗いとは言えど、交差路のど真ん中で突っ立っているのは危険だろう。


(どこかで、待っているのかもしれないな)


 “残り香”を追うかのように、全神経を集中させながら真っ暗闇を掻き分ける。

 すると数メートル先……しんと静かな闇の向こうから、かすかな話声が聞こえてきた。


『――クレアお姉さま。先ほどから、何をウロウロなさっているのですか?

 確か夜の番は今日ではないはずですし、寝ておかないと大変ですよ』

『あ、ああ。そうなんだけどね……えぇっと、どこに置いて来たんだろうね……』

『何か、忘れ物でも?』

『まぁ、そんなところだね。はぁ……』

『どんな物ですか? 私も探しましょう』

『あ、いや、どんな……ぼんやりとした、蛍のような奴だね。

 けどまぁ、明るくなってから探すことにするよ』

『そうですか……私、お姉さまの力になりたかったです……』

『悪いね、今度何かあったらお願いすることにするよ』

『は、はいっ!』


 咄嗟に物陰に隠れた進次郎は、不満げな表情を浮かべた。

 夜回りの女と別れたクレアは、立ち止まりきょろきょろと周囲を見渡している。

 暗闇を通じ、彼女の息遣い・焦りが、息を潜めている進次郎に伝わってきた。

 普通に置いて行かれていたようだ――ため息を吐き、目の鼻の距離まで近づいてきた彼女をどうしてやろうかと思案していた。


「ああ、本当にどこに行ったんだろう……。帰った、なんてことはないだろうけど……。

 やっぱり素直に言うこと聞いておけばよかったかな……。でも、シンジと会いたかったし……」


 クレアの切なげな独り言に、進次郎は先ほど浮かんだ疑問が解消された。

 始めからクレアが【標識】を受け取り、コーニーに『シンジからの頼みだ』とでも言っておけば、彼女は素直に従ったはずなのだ。

 なのに、リスクを冒してでもこうして“女の園”まで連れて来たのは――オロオロとし始めたクレアに、進次郎はゆっくりと歩み寄って行った。


「――お姉さまは何か探しているのか?」

「だから大事なアンタを探して……へ、アンタ?

 あ、ああ、あっ、し、シンジかいっ……!?」

「誰が『ぼんやりとした、蛍みたいな奴』だ、誰が」

「き、聞いてのかいっ!?

 だ、だって、ぼんやりふらふらしてなきゃ、私からはぐれたりしないよっ!

 それと、それと……えっと……うぅ……その、ごめん……自分のことしか見てなかった……」


 沈んだ声でがっくりと頭を垂らしたクレアを、進次郎はすっと抱き寄せた。


「――こうしておけば、置いて行かれなくて済むな」

「ば、ばかっ……」

「……で、朝早いって言ってたけど、寝なくても大丈夫なのか?」

「……一晩ぐらい寝なくても平気だよ」

「そうか……」


 進次郎はクレアの頬に手を添えると、ゆっくりと顔を近づけた。

 ろうそく灯りに揺れる二つの人影が一つに合わさったかと思うと、すぐに影が二つに分かれた。


「――シンジ、こっちに来て」


 場所が場所であるため、あまりここに長居するわけにはいかない。

 クレアは次は絶対にはぐれぬよう、進次郎の手をとって来た道を引き返し、すぐ近くにあった部屋の中に飛び込んだ。

 暗く何も見えない部屋であったが、ほどなくしてその闇を掃う灯火が周囲を照らし出した。


「……ここ、倉庫か?」


 小さな火種でも一杯になるほど狭い部屋の隅に、一人用の机が置かれている。

 積み上げられた大小さまざまな箱がより圧迫感を与え、二人で作業するには息が詰まりそうな場所であった。

 だが、その狭さのおかげで、互いの息づかいがハッキリと耳に届く。


「備品室だよ。細かい物ばかりだから、あまり使われてないんだ」

「使われてないにしては、ホコリっぽくないな」

「ふふ、相変わらず目ざといね……。

 こんな部屋でもホコリ一つ許さないほど、コーニーは厳しいんだけど――」


 クレアはそう言いながら、進次郎の首に両腕を回す。

 これまでの空欄を埋めるかのように、積極的に互いに唇を求め合う。

 クレアは特に積極的であった。唇で唇をはみ、引っ張ったかと思えば、再びぐっと吸い付きにくる。

 小さな部屋の中であるので、その吐息も唇が触れ合う音もハッキリと耳に届く。

 これまでの事務所のベッドでもなかった、官能的な状況に二人の気持ちは昂らせ続けた。


「――こうやって、人の出入りがあるからなんだよ」

「……俺達みたいにか?」

「ううん、シンジは男じゃないか。ここは“女の園”だよ?」

「ま、まさか……」

「その“まさか”なんだよ、ここは……」

「もしかして、く、クレアも?」

「……した、って言ったらどうする?」

「う、むぅ……女同士ならセーフ、なのか……?」


 進次郎は複雑な表情を浮かべた。

 クレアは唇を甘く噛んだが、こみ上げてくるそれに思わず口角をあげてしまう。


「ふ、ふふっ、な、何だいその顔っ!

 わっ、私がそんな女同士でするわけないじゃないか、くふふふっ!」

「お、脅かすんじゃないっ!?

 そんなこともあると聞いたから、てっきりそう思ったぞ」

「ふふっ! でもまぁ、そんな誘いは受けたことはあるよ」

「な、何だと……」

「さっき、私を『お姉さま』って呼んでた子がいたろ?

 あの子は特に隠そうとともしないで、積極的に言い寄って来るんだよ……」


 彼女の言葉からして、他にもアプローチを受けているのだろう。

 確かにここは、淑女やお嬢様と呼ばれる者が集う“女の園”だ。

 サバサバしている姉御肌タイプの、クレアのような女はまずいないはずだ。

 その手の同性に特にモテそうだ、と進次郎は頷いた。


「な、何で納得した顔してるんだい!?」

「お嬢様は、ちょっと荒っぽいのに惚れやすいからな。

 しかし、恋人の俺としては複雑な気分でもある」

「こ……っ!? でも、空気がヤバいって時はあるね。

 頭が惚けそうな、甘ったるい感じがして――()()()()に蔑ろにされたりでもしたら、私でもコロっといくかもしれないよ?」


 クレアはそう言うと、チロりと唇を舐めた。


「む、うーむ……帰ってくる予定はないのか?」

「そこは王女様次第だね……。

 まぁその、お、お腹の具合で、なら……もしかしたら、アンタも城に来られるかもだけどさ……っ!」

「あー……そのことなんだがな、ご両親から(ことづ)っていることがあるんだ」


 クレアの両親・マクセルとエリィからの伝言を話すと、力なく目を伏せた。


「ああ、なんだい……。

 確かに、よく聞くような吐き気みたいなのは無かったし、妙だなって思ってたけどさ……。

 ははっ、人騒がせな身体だね……っ」

「だが、それを聞いて、俺は少し安心したぞ」

「そう……そうだよね……」

「順番が逆だと、それが原因で覚悟決めたみたいだろ――?」

「あ……」


 クレアは希望と不安が入り混じった目で、進次郎をじっと見つめた。


「……今度は出来るといいな」

「う、うんっ……」


 身体だけではなく、“魂”すらも求め合う――二人はそれに抗うことすらせず、“欲望”に忠実な僕となって、橙火の中で温もりを貪り合い始めた。



 ◆ ◆ ◆



 その男女が睦み合う、“女の園”の最奥・月明かり差し込む寝室――。

 ベッドに突っ伏してすすり泣く女を、薄ぼんやりと浮かぶ女が優しくなだめていた。


「クーリ、もう泣かないで……。

 私は元からその覚悟で行ったの……泣かれたら、それが揺らいでしまうわ……」

「どうして、どうしてなの……ルビィ。

 もっと、もっと方法はあったはずかもしれないのに……。

 助けられた、逃げられたはずなのに……!」

「身体についた傷は国に、家に帰れば癒えるわ……。

 だけど、“過去”と言う傷痕は、どれだけの歳月を経ても癒えないのよ……。

 それだけでなく、私は忌々しい暴漢の子まで孕んだ――。

 子に罪はない。でも私は、母として、両親から受けたのと同じ愛情を、その子に与えられない……」


 悲痛な声を絞り出しながら、シルヴィアは続けた。


「初めは、それでも生きよう、って思った……。

 でも、私は向こうで“ある物”を見て、貴女の“策”に賭けよう……そう覚悟したの」

「知った、のね……全て……」


 クリアスは真っ赤になった目をシルヴィアに向けた。

 シルヴィアはすらりと細い指でクリアスの頭を撫でるが、それは生きている人間の身体を透き通ってしまうのが恨めしかった――。


「貴女が口ずさんでいた詩、それが<イントルーダーの日記>に載っていたわ。

 そこで気づいたの。クーリ……貴女が、<イントルーダー>なのだって」

「……母の愚かしい“嫉妬”が、私をそうさせたのよ……」


 シルヴィアはその詩を口ずさみ、クリアスも震える声でそれに続く。


【滅びの向こうにそれはある。

 我らはそこに向かわねばならぬ。

 鍵を持ち、扉を開け。

 道なき闇を我らは歩く。

 魂よ、正しき標を立てよ。

 魂よ、導かれよ。

 我らが歩むべくは誕生の道――。


 死なねばならぬ。

 滅ばねばならぬ。

 我らが目指すのは死の道――。


 子よ泣くな。道はそこにある。

 子よ辿れ。我が歩みし道を。

 子よ集え。扉を開き、我が下へ――。】


 それを言い終えると、シルヴィアは力強い目をクリアスに向けた。


「クーリ、私の“死”なんかでくじけてはダメ。

 私は貴女とこの“詩”に賭けた。ちゃんとやり遂げて貰わないと、このままずっと化けて出るわよ」

「ふふっ、それもいいかもしれないわね」

「……もうっ! 私だって早く“向こう”に行きたいの!」

「まぁ、せっかちね――でも、一晩くらいは時間あるでしょ。

 お父上の所へは、もう行ったの?」

「……去り際、夢枕に立つだけにするわ。

 戦争が始まる前に、いらぬ負担をかけたくないから」

「そうね……なら、それまでお話ししましょうか。ルビィ――」


 懐かしむような声で、クリアスは“王女”の衣を脱ぎ捨てた。

 そこに冷たい表情はない。空が白み始めるまで、彼女らは年頃の少女であり続けた。

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