第4話 潜入・女の園
進次郎はランプ灯りを頼りに、真っ暗な地下水道の中を駆けていた。
――朝早いし、材料・道具揃えて作っていたら夜が明けちゃうよ。
――それに、いくら侍女であっても王女の下に向かえるのは一部のみだし。
――私だとせいぜい、半分が良いところだね。
両手を上げたクレアの言葉も、尤もなものであった。
だが、彼女は頭ごなしに拒否したわけではない。
どうすればと顔を難しくした進次郎に、クレアは間髪入れずに“ある案”を出したのだ。
――御主人様に忠実な、“奴隷”がいるじゃないか!
――そいつ、ってか私の上司だけど、話を通しておくからアンタが来なよ!
――地下水路から“女の園”に直接繋がっている場所があるからさ。
――だから……向こうで待ってるよ。
と言うなり、一方的に“交信”を終了させられてしまう――。
「“女の園”の厨房が、地下水路と繋がっている……か。
シルヴィアさん、方角はこっちで合っていますか?」
『はい。地図は頭に入っておりますので』
進次郎の背後でふよふよと浮きながら、シルヴィアはそう答えた。
地上ですら土地勘がない進次郎にとって、城への道は、彼女の“記録”だけが頼りだった。
……が、問題がすべて解決したわけではない。
『父は、お手洗いの上には川が流れている。
ゴミなどを捨てると、そこを守る神様が怒る――と申しておりました。
地下水路に来たのは初めてですが、確かにその通りだと思えますね……』
生前を思い出したのか、シルヴィアは嘆息を漏らした。
彼女は大公側に渡ったであろう“日記”を葬るべく送り込まれ、その勤めを見事に果たしてみせた。
時おり見せる物憂げな表情は、散華の空しさか、短き春への口惜しさからなのだろう。
(クリスティーナの言っていた、“ダミーの日記”……か。
だけど、聞いた内容じゃ“ダミー”の言葉の意味のままじゃなさそうだったし、命をかけて処分したのは正解、か……)
シルヴィア自身も、“日記”のすべては読めていない。
その内容は『女王の脚を奪うには弱い内容だった』のであっても、信頼を揺るがすには十分な材料である。その懸念材料を完全に取り払えたことは、十分以上の働きとも言えた。
他は、誰もが知るような<イントルーダー>の覚え書きや落書き、ただの乙女の日記……と、『大公側には何ら興味のない物であっただろう』と続けた。
しかし、その乙女の日記部分の内容を聞いた時、進次郎は思わず首を傾げた。
『“すうぇーでん”と言う国の、芋の蒸留酒……。
“いぎりす”と言う国の、味覚破壊ジャム……。
うーん、これが凄く気になります……』
クリスティーナは、いったいどこまで見て、どこまで知っていたのか?
彼女は“日本や世界各国”の国名、その各地の食べ物などをメモしていたようなのだ。
何の目的で調べていたのかと眉を潜めながら、冷たい空気に満ちた真っ暗な道を走り続ける。
するとその時――傍らに流れる川の流れに、突如として“異変”が生じた。
『ひっ――!?』
進次郎とシルヴィアは、恐怖で顔を強張らせた。
ランプ灯りに照らされた光の輪の中端、真っ黒な水面がぶくぶくと泡立ち、ゆっくりと膨れ上がり始めたのだ。二人が固唾を呑んだ直後……ついにそこから、ザバッと肌色の“何か”が浮かび上がった。
シルヴィアは咄嗟に進次郎の後ろに隠れ、ぎゅっと目をつむった。
『うぶぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ――!
ずびばぜん゛っ、なんどもだっぞうじて、ほんっど、ずびばぜっ――ば、がぼおぼ……っ!!』
「ば、バケモ……って、あれまさかっ、イヴの親父か!?」
見知った禿げ頭のドワーフに、進次郎は驚きの声をあげた。
何かと因縁深いそれが今、“手のような何か”にがっしりと拘束され、水鳥のように潜水と浮上を繰り返す拷問を受けながら、こちらに向かってきているのだ。
『ひっ!? す、水中の赤い光が、こ、こちらを見て……っ!?』
「赤い、光……?」
まさか、と真横にまでやって来た時、それがついにザバッと正体を現した。
『きょ……<巨神兵>、ですか!?』
「や、やっぱりお前かっ! えぇっと、確か……グットだっけ?」
水路は思っていた以上に深いのか、流れる水面に現れたのは“彼”の頭部だけだった。
額にはヘッドライト、口にレギュレーターを咥えたような頭部を上下に、こくこくと頷いて見せる。
「そんなの握って、いったい何やってるんだ?」
進次郎の言葉に、グットは手にしたドワーフを揺らし、水中に沈め、泳がせる。
「ゴミが、泳いでた?」
グットは一つ頷いた。
白目を剥いて気絶しているイヴの親父は、おおかた脱走して捕まり、<巨神兵>・グットによる拷問を受けていたところだろう。
まだ終わっていないのか、再び潜ろうとするそれを見て、進次郎はあることを思いついた。
「――グット、ちょっとお願いがあるんだが、聞いて貰えないか?」
グットは進次郎の顔をじっと見た。
丸い目の上半分を、どこから取り出した鉄板で隠す――訝しんでいる目、と言うことらしい。
「俺、これから城の中に行って、クリアスにこの【標識】を渡さなきゃならないんだけど……川に潜らずして、城内に行ける方法を教えて欲しいんだ」
何かを思案するように、進次郎とその背に隠れているシルヴィアを交互に見た。
一拍置いたグットは、ポイとドワーフを川の中に放り投げたかと思うと、今度は進次郎にその手をぐうんと伸ばした。
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「グットが居なければトンボ返りしていたところだ……」
“目的地”でもある地下通路の最奥では、“潜る”など考える方が無謀かと思える激流が渦巻いていたたのだ。
潜水が必要な場所には壁と天井との境に隙間があり、そこをくぐるだけで抜けることもできた。
そこからは、神の思し召しかと思えるほど、グットは“水の覇者”と言わんばかりの速度で川を遡り、クレアが指定した【厨房の排水溝】まで、三十分もかからずして到達できたのである。
しかしそれ以上に驚かされたのは、驚くほど早い到着なのにも関わらず、そこから伸びているロープと、ぼんやりと灯るランプの光であった。
「い、いつから待っていたんだ……?
おーい……クレアー……いるかーっ?」
さらさらと流れる川の音に負けぬよう、勝らぬよう、慎重に“待ち人”の名を呼んだ。
すると直後、穴から息を弾ませながら覗き込む女が見えた。
「――シンジっ!
ああやっと会え――って、な、何に乗ってるんだいッ!?」
久々の再会に表情を和らげたのもつかの間……クレアは、真下に見える金属体・<巨神兵>に絶句していた。
赤い瞳の下部には板を乗せ、ニッコリ目に変える――そんなグットの手の上に、進次郎は乗っていたのだ。
昇降機のようにリフトアップされると、ぐうんとクレアの待つ排水孔に迫ってゆく。
進次郎がロープを掴んだのを確認すると、上にいる彼女もしっかりとロープを握り締めた。
「ぐっ、ロープあがりなんてやったことないから、上手く……って、グッドッ、追い風のつもりだろうが、そのスクリューを止めるんだ!? 落ちたらミンチになる!?」
彼の下では、グットの背中のスクリューが高速回転していた――。
慣れぬロープあがりにやっとの思いで淵に足をかけ、ぐっと身体を持ち上げた進次郎は……その勢いのまま、クレアの身体に抱きついた。
「わっ、っとと……あ、危ないよ……っ」
「“夢の中”と一緒だけど、やっぱり本物は違うな……」
「何を言ってるんだい――……でも確かにそうだね」
会いたかった、とクレアは情のこもった瞳で見つめると――
『うぉっほんっ、ん゛ん゛!』
「ひっ!? すみませんっ……って、なな、なんだいこれっ!?」
『他人のイチャイチャは腹立たしい、との言葉は本当ですね……。
私はダヴィッドの娘、シルヴィア・ド・コーカス――と申します』
「あ、ああっ、シンジが言っていた……むぅ」
シルヴィアの肉つきに、クレアは拗ねたように唇を尖らせた。
初めて見る幽霊であったが、恐ろしさよりも嫉妬が勝ったようだ。
下腹部に痛々しいまでの傷痕が覗いているが、それ以外は女でも羨望の目を向けてしまいそうなほどのスタイルをしている。
妬みの目から疑念の目に――それは、進次郎の方に向けられた。
「な、なんだその目は……お、俺は何もしてないぞ!? ってか、できないけど」
「目で見るだけのもあるからね――シルヴィア様、大丈夫でしたか?」
『――男はみな、心にケダモノを飼っているのだと、この身を持って理解しました』
「やめてっ!? 誤解を招く言い方やめてっ!?」
「あとで、じーっくり説明してもらうよ」
刺すようなクレアのじと目に、進次郎は思わず後ずさりしてしまう。
『では、先を急ぎま――』
「ま、まぁでも、何だ……クレアの侍女姿のが遥かに見惚れてしまうぞ」
「ばっ、馬鹿言うんじゃないよ! でも、本当かい……?」
「ああ、もちろんだ。
ところで、その服って、持ち帰れるのか?」
「な、何を考えてるんだいっ!?
でも、その……この服でしたいのなら何とか都合を――」
『さ・き・を・い・そ・ぎ・ま・しょ・う・っ・!!』
厨房の包丁がカタカタと揺れ、飯炊き釜に突として火が熾ったのを見たクレアと進次郎は、蒼ざめた表情のまま厨房の外に足を向けた。




