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第11話 『!』の意味

 大公の決起に湧き上がる一方で、王都の者は今もなお安寧の退屈に浸っていた。

 その国の下でもまた、“(たくら)み”を手したネズミたち――進次郎とイヴ、そしてワンコの一行はクリスティーナの“依頼”を果たさんと、王都の地下通路をひたひたと歩いていた。

 大小さまざまな石が積み上げられた大きな空間は、地上のうだるような暑さとはうって変わり、二十分もいれば、ぶるりと震えるほどの冷たい空気に満ちた場所である。

 その最大の原因は、進次郎たちの横に流れる青々とした水の流れが、地下通路全体に“涼”を届けていることだろう。

 進次郎は首をすくめ、襟首で寒さで逆立つ首の産毛を撫でつけながら、今一度その“水路”を見やった。


「――しかし、下水にしては綺麗なところだな。

 覚悟していたわりには、汚臭らしい汚臭もしないし」

「じゃろ? てか、ここは厳密に言えば下水でもないしの。

 上から、この川に落ちてゆくだけじゃし」


 イヴの言葉の通り、この川の上には便所がある。

 天然の()()()()のおかげで、下の者の声も聞こえないが、時おり光が差し込み“何か”が落ちてくる光景は、誰の目で見ても気分がよくない。


「わんわん、大丈夫かの?」

「ウォウ……」


 鼻先にあまり意味のないマスクをしながら、ワンコは弱々しく吠えた。

 進次郎がこの時のために作った、白い布でくるまれたひし形の【標識】を背負いながら、ワンコはとぼとぼと肩を落として歩く。

 有機物の匂いに惹かれる種族であっても、不快な物は不快であるようだ。人間にはそれほどであるが、犬以上の嗅覚を持つ《コボルド》には辛いものなのだろう。


「――で、お主が作ったその黄色に黒の『!』の看板は何なのじゃ?

 割とアタシ好みの色とデザインをしてるのじゃが」

「【警戒標識】だよ。文字通り危険を伝えるけど、危険の種類が多すぎるんで、雑多なのは『その他の危険』ってまとめた……だったかな」

「危険? それがいったい何の関係があるんじゃ、崩落注意ぐらいか?」

「まぁ、それは行ってからのお楽しみ……ってか、これは都市伝説レベルだから、実際に現場に行かなきゃ分からんが」

「ふむ……」


 男があご髭を撫でるような仕草をしながら、イヴは鼻を鳴らす。

 それに、進次郎は小さく寂し気な息を吐くと、青白い石の天井に視線を向けた。


「何じゃ、顔に似合わぬアンニュイな表情しおって」

「顔に似合わんは余計だ――って言いたいけど、確かにそうだよな」

「ま、お主のことじゃ。どうせ『クレアに会いたいよ~』じゃろ」

「うっ……」


 図星であった。

 社長でもあるクレアが不在であり、進次郎が一人で応対できるほど土地勘もない。

 それに城からの発注が止まり、【ラインズ・ワークス】は実質休業状態となっているため、事務所は暇で仕方ないのだ。

 しかしこれは、あくまで表向きの理由だ。

 イヴの言うとおり、実際はクレアがいないことが原因なのである。

 本でも読めれば時間も潰せるものの、自身は字が読めないためそれもできない。

 “ここ”に来るまでアタリマエだった、何もない無為な一日が、今ではとてつもなく長く感じてしまっているのだ。


「クレアがいないと、こんな退屈な日なんだな……って思ってな」

「おっても、イチャついて乳繰りあってるだけじゃろうが」

「そ、そんなはず……あるな?」

「聞かずとも『ある』のじゃ。

 ――ったく、あんな毎日、猿のようにシおって。

 初っ端から飛ばしてると、マンネリが来たらヤバいぞ?」

「うっ、まぁ、自重したんだけど……できないんだよなぁ」

「どちらかの情が昂れば、相手に影響を与える……“感情の暴走”じゃっけか?」

「ああ、我慢はしたいのはやまやまなんだけど」

「まぁ、あの万年発情期が相手じゃ、それも無理じゃろな」


 進次郎は、未だに信じられないと言った顔をした。

 それは、思わず二度も聞き直してしまった、“クレアの秘密事(かくしごと)”である。

 二人でいる時などは流石にしないが、思わず悶々とした感情を沸き立たせてしまっているらしい。


「お主の“力”の影響かもしれぬが、それを聞いてアタシも納得したのじゃ。

 ここのとこ、明らかに病気かと思えるほど発情しておったからの」

「そ、そうなの!?」

「アタシが思うに……クレアと恋仲になる前、お主はずっとヌキヌキするのも堪えておったはず。

 空ペコになったらドカ食いするのと同じで、飢え切った状態でクレアを抱いたせいでより、無意識に貪欲になっておる。

 またそれはクレアもじゃ。腹に子を宿した状態で無理な食事制限をすると、子は少ない栄養でも生きてゆこうとして、肥満になりやすい――これまで欲求を抑えていたせいで、より吸収しようとしておるのじゃ。

 しかし、“欲”とは底なし……掘り進めればいつか“炎の禍(バルログ)”を起こし、その身が焼かれるぞ?」


 二人は食わし・食わせの関係――イヴの言葉に、進次郎は思い当たるフシがあった。

 クレアの身体を見るとムラっときてしまい、それを頭で考えてしまうのである。

 その結果、クレアの身体が反応して……と連鎖が起ってしまうのだ。


「我慢すればするほど、より暴走しやすいってことか……?」


 クレアの保護に思わぬ弊害があった、と進次郎は肩を落とした。


「まぁそうなるのう。

 今のお主らは淫魔のようなもの――<イントルーダー>である限りずっと……と思うと不便じゃな。

 どうじゃ? 我慢できなくなったら、アタシが銀貨一枚で一ヌキしてやるぞ?」

「ダメッ!? 見た目的にそれはダメッ!?」

「ぶん殴られたいか? んんっ?

 こう見えても、アタシのヌキヌキは凄いんじゃぞー?

 ズボンから揉むだけで誤射させることもできるんじゃぞー?

 十数えるうちに果てる、それ以上耐えられた者はおらぬ。どうじゃ?」

「ぐっ……その見た目で、その手つき・舌舐めずりは汚いぞっ……」

「……お主と言いクレアと言い……。

 アタシのが“年上”ってことを、いつか本気で思い知らさねばならんようじゃな……」


 影響を受けるのは<イントルーダー>の関係者のみなのか、イヴには影響を受けないようだ。

 拳をポキポキと鳴らす彼女を前に、進次郎は『いくら飢えていても、決して“サービス”を頼んではいけない』と心に決めていた。


 ・

 ・

 ・


 そんな彼女の案内を受けること三十分――城の北西、城壁の外にまでやって来ていた。

 城の地下通路は王都の各所に繋がっているらしく、ワンコの息継ぎも兼ね、何度か出口付近まで足を運んでいた。

 ほとんどが閉鎖されているものの、イヴは『ドワーフの力を持ってすれば容易く開けられる』と言う。


「城壁の外から内部に進入できるって、これヤバいやつじゃないか……?」

「うむ、心配せずともヤバいやつなのじゃ。城の真下にまで繋がっておるしの。

 川の中に潜る必要あるが、女王や王女の用便を覗くことができる場所にゆけるはずじゃ。

 行きたければ場所教えてやるぞ?」

「い、行きたくな……う、うぅむ……い、いや、いらんぞ!

 って待て! もしそこから弓矢とか射られたら終わりじゃん!?」

「まー、川の流れがキツい上に、真っ直ぐは行けんはず。

 王族も馬鹿ではないので、上から落ちるのなら、下から昇ることに気づくはずじゃ。

 その気になった変態がいれば、ロイヤルなそれを拝めることになるんじゃしの。

 水路の中で、“人食い魚”なり飼っておるじゃろう」

「なるほど――ああ、だから水陸両用のアイツがいるのか!」


 進次郎は、水陸両用型の<巨神兵>・グットのことを思い出した。

 まさに“厠”の字の通りである地下水路は、最も王族に接近できる場所だ。

 内陸に在するこの国に水中型は不要であると思っていたが、必ず水路に潜る必要があるのならば、“水の覇者”が脅威となるだろう。

 発想は簡単であっても、実行に移すのは難しい。

 それは、城の裏に繋がる出口を抜けた先でも実感することができた。


(地下水路に辿りつくには、地上の見張りを掻い潜っていかなきゃならないのか……)


 出入り口がある城の北西側は、遮蔽物のない緩やかな下り坂の平原地帯になっている。

 有事には円柱状の監視塔から一望できるそこを抜け、地下水路にやって来るのは至難の業とも言える。


「――さて、あの監視塔は、何を見張ってたのじゃろうな」


 朽ち果てた建物を見ながら、イヴは腹に据えかねた様子で呟いた。

 監視する必要がなくなったのか、今やそこを見張る者の姿は見えない。

 しかし、もう二度と足を運ばないとは限らない。進次郎たちは小走りで、廃墟となった教会へと向かった。

 一軒家程度の建物は、長く野ざらしにされていたのだろう。北側の壁には、苔がべったりと張り付いており、当時の哀愁と凄惨さをそのままに残していた。


「ここに、クリスティーナが……。

 まだ夏場で日照りがキツいからいいけど、冬場の曇り空とか寂しいだろうな……」

「分かっておらんのう。廃墟はそこが良いのじゃぞ?

 ……とは言っても、何度も踏み入れ調査する暇があるなら、さっさと直せと言いたいがの」


 何のことかと進次郎は顔を向けると、イヴは顎で入口の方を指した。


「雑草が折れ曲がったままで、壁の煤の一部が綺麗に取れておるじゃろ。

 習慣は意識せねば変わらん。そこに手をついて出入りしていた証拠じゃ。

 明らかに何か“目的”があって、人がやって来ているって証拠――。

 背丈、石畳の上に残る下足痕……軍用ブーツの跡からして、足跡の主はダヴィッドのオッサンあたりじゃろうな」

「ダヴィッドさんが……?」

「軍関係者が必死になるほど、きな臭い何かがここにあるってことじゃ。

 ほれ、“策”とやらがあるのなら、さっさとやるのじゃ」


 いつ監視塔から覗かれるか分からん、とイヴは急かすように手を上に向けた。

 進次郎はそれに頷くと、ワンコからそれを受け取ると屋内に踏み込んでゆく。


 内部はいたって簡単な作りであり、入ってすぐの大扉の先が礼拝堂、東に延びる通路の先が居住スペースになっているようである。

 しかし、元の様子を想像すれは、現在の凄惨さには息を呑んでしまう。

 あちこちの天井は大きく剥がれ落ち、そこから格子状に組まれた木が覗いている。

 砂利が散乱している割にはがれきが少なく、礼拝堂の中は特に顕著であった。

 その奥には聖母か何かの像があったのだろう。大きく崩れ落ちたそれは、もう膝しか残されていない。


「これは、火や風で崩れた物ではないのう」


 イヴは像の崩れた跡を見ながらそう呟いた。


「誰かが壊した……ってことは、ダヴィッドさんも、クリスティーナの“日記”を探してるのか?」

「やったのは別の誰か、じゃな。

 この像の破壊痕と埃からして、壊したのは相当以前……破壊行動に出てもなお見つけられないのなら、ここを取り壊すぐらいまでしているはずじゃ。

 それをせず、最近もこうしてチマチマ探索をしておるしの」


 進次郎は感心したようにあごを撫でた。

 イヴはそれに『創造と破壊は表裏一体じゃからの』と、大きく胸を張った。


「――で、そろそろ、その板の“意味”を教えてくれんかの?」

「ああ、この『!』の【警戒標識】は、原則として下に補足用説明の看板がつくんだけど……つかない場合があるんだ」


 進次郎はそう言うと、覆っていた布をまくった。


「ふむ」

「どう言うわけか、さほど危険でもない場所に立っているのもあってな。

 そこで出てきた“都市伝説”が――【幽霊注意】なんだよ」

「なるほどのう……」


 イヴは感謝したように壊れた像の足元に目向け、顎を撫でた。

 そこに、先ほどまでいなかった修道服姿の少女が、じっと祈りを捧げていたからである。

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