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第7話 受け入れらねぬ異文化

 あまりに寝心地よいベッドと夢のおかげで、クレアは随分と遅くに目を覚ましていた。

 至れり尽くせりであるものの、唯一不満を述べるとすれば柔らかすぎる枕だろう。


「まったく……枕は硬いのにかぎるってのに……」


 後頭部にずんと鈍い痛みを覚えながら身支度を整え、会場へと足を向け始めた。

 ドレスは未だに慣れない。だが『これを進次郎に見せたらどんな反応を示すだろう』と想像するだけで、ふふっと口元に自然な微笑みが浮かぶ。


(しかし、城暮らしも悪くないけど、こんな中でずっと居たら病気になるね)


 クレアに用意された部屋は、どういうわけか最も遠い場所にあり、城勤めの侍女たちが忙しく往復する区画・回廊の近くにあった。

 縁もゆかりもない“自由区”の者に配慮してくれたのだろうか――クレアはそんなことを考えながら長い回廊を抜け、薄暗い女王との謁見の間に繋がる大きな通路へと出た。

 そこは、天窓から取り入れた光でやっと天気が良いと分かるほどの、重苦しい壁が連なる場所だ。

 真っ直ぐに延びる赤いビロードの脇では、赤く灯る燭台がずらりと並んでいる。夕方までは燭台を灯す必要はないだろうが、それでも女王や王女が歩む通路には必要なのだろう。


 すると、交差路に差し掛かった時だった。

 濃紫色のローブをまとった女が火だねとなる燭台を持ち、等間隔に並べられたそれにポツ……ポツ……と光りを灯してゆくところに出くわしていた。

 何とも言えぬ厳かな光景に、クレアはじっと見入ってしまっていると――


(ん? あれは……って、ててててっ!?

 た、たたっ、大変な時に来ちゃったよ……この時間はっ……!?)


 朝礼の儀――ここに来た時、ダヴィッドより聞かされていた、重要な宮中行事である。

 クレアの視線、絢爛な扉の向こうからざわめきを感じたかと思うと、突風が吹き抜けてゆくかのように城内が静まりかえってゆく。

 周囲の者が腰を落としたのを見て、クレアも慌てて交差させた腕を胸元にやり、片膝をついて頭を垂れた。


「…………」


 女王か王女か。赤いビロードをじっと見つめているクレアは、不敬ながらも『早く通り過ぎろ』と願っていた。

 彼女がいる場所は最悪にも、“彼女”が身を翻す場所――嫌でも目の前で立ち止まってしまう所だったのである。

 揺れる視線の先に、純白のブーツが映った。

 宝石をあしらわれた若く細いそれは、クレアにつま先を向けたまま微動だにしない。


「……?」


 あまりに動かないため、クレアは思わず顔を上げてしまった。

 そこにいたのは、美しい金糸のような髪をした若い女――


「誰が面を上げてよいと言いました?」

「も、申し訳ありません……っ!」


 王女・クリアスの凍てつくような眼と言葉に、クレアは震え上がった。

 十歳は下であるのに、心臓が思い切り握られたかのような、ぞっとした恐怖を覚える。


 ――国を統べる者は、()()()()()()()()


 クレアは『とんでもないことをした』とカタカタと震えてしまっていた。


「――なんて、冗談ですわ。面を上げてくださいな、クレア・ラインズ様」

「へ……?」

「貴女がたの活躍は聞き及んでおります。

 これからも、我が国のため更に邁進されること、期待しておりますよ」

「は、ははっ! あ、ありがとう存じますっ!」

「それと、一つお伺いしたいことがございます」


 クリアスはそう言うと、クレアの前ですっと腰を下ろすと耳元まで口を近づけた。


『貴女の衣類はわたくしが預かっておりますが、そのポケットに入っていた、<シスターの絵>――あれは、どこで手に入れられた物なのです?』

『え、あっ、その……わけも分からぬ者が送りつけてきたのです……。

 大事な人が、その者とよくいるようで……』

『なるほど……。それで、貴女はその“泥棒猫”の正体を探っている、と』

『え、ええ――い、痛っ!?』


 クリアスは突然、クレアの束ねた髪をぐっと掴み後ろに引っ張っていた。

 ぐいと強引に顔を上向かせられたクレアは、痛みに顔をしかめている。


『――わたくしらからすれば、貴女が“泥棒猫”なのですよ?』


 わだかまりの色がこもった低い声音が、右の耳の奥を撫でたかと思うと――


『ひぅんっ!?』


 突然、耳にねっとりとしたクリアスの舌が走り、クレアはえも言えぬ声をあげてしまった。

 押しのけられる相手ではない。濡れた耳にかかる生暖かい吐息に震えるのは、恐怖からか、快楽からか分からない。

 今の自分はきっと、必死で赦しを請う表情を浮かべているだろう――それは、艶かしく唇を舐める少女の表情を見れば分かる。彼女の目は、“獲物”を捕らえた猛禽類のものだ。

 ……が、すぐにハッと何かに気づき、申し訳なさそうな顔に変わった。


『わたくしったら、ついこんな所で……。

 申し訳ありません……わたくしも貴女と同じで、感情や欲求の制御が難しくなっているのです。

 まぁそれはさておき、あの<シスターの絵>は少々厄介なもの――わたくしが頂いてもよろしいですわね?』

『は、はひっ!』

『では、またいつかお会いしましょう』


 クリアスが離れてゆくのが分かった。

 そして城内の氷が溶けると、クレアは肺の中の空気を全て吐き出すように、大きく息をついた。

 汗がどっと吹き出し、大きく鼓動する心音が耳の奥で鳴り響き続けている――。


 ・

 ・

 ・


 この日のクレアは、踏んだり蹴ったりの厄日であるようだ。


「そんな腐った汁なぞ信用ならんっ!」

「で、でも……っ!?」


 “開発会”にて、進次郎から聞いた作成方法を発表するなり、真っ向から否定の言葉が飛んできていたのである。


『“自由区”はそこまで落ちぶれているのかしら……』

『やぁねぇ……同じ空気を吸っていると思いたくありませんわ』


 クレアの発案には誰もが眉を寄せ、ヒソヒソと言いたい放題であった。

 それもそのはずである。結果を知らない者からすれば、それはただの“発酵した生ごみ”にしか聞こえないのだ。

 そもそも、現代で“ウスターソース”ができたのも偶然の産物とも言え、芳醇な香りがなければ捨てられていた可能性も高い――。

 クレアはそれを“周知”させたいどころか、“羞恥”を味わされてしまっていた。


(う、うぅぅぅ……シンジの馬鹿ァァ……)


 四方からの集中攻撃に、クレアは涙目になっていた。

 周囲の者たちは『馬鹿げたことを言う女は放っておいて』と、思い思いの方法で調理法を議論してゆく。


『砂糖を溶かし、煮詰めたらあんな色になった』

『イカの墨はどうだろう。黒いし、何かと合わせて煮詰めれば近しい味になるのではないか』

『煮詰めるのならば、牛肉や骨を溶けるまでやろう』

『私が料理すれば、いつもあんな黒い汁ができます』


 それぞれの経験を活かし、ああでもないこうでもないと話す者たちの輪から外れ、クレアは一人ため息を吐いた。


(料理の話すら分からないよ……確かに、料理してりゃあんな汁は出るけどさ……)


 “それ”に、進次郎は『フライパンが溶けたのか?』と真顔で言ったことがある。

 恐らくそれは進次郎の世界のソースだ。“その世界”の住人が言うのだから、“調理法”は間違っていないだろう。

 やりもせず頭ごなしに否定する。それも罵倒までされたのだ……自分だけでなく、彼まで馬鹿にされたようで、悔しさがボコボコと音を立て始めていた。


(ええいっ! こうなったら、私一人だけでもやってやるよっ!

 もう今後、“お上品な方々”と関わり合いになることはないだろうし、もし仕事の依頼が来たら、思いっきりふんだくってやる!)


 クレアはもうヤケクソだった。

 恥を上塗りしても恥は恥だ、と周りの嘲笑を無視して黙って部屋を出てゆく。

 今回集められたのは、全員が“恩恵”を期待して建設中の教会に多額の寄付金を行なっていた者たちであるようだ。


 ――こんな田舎者がと嘲られるのならば、田舎者にしか出来ない方法でやってやる!


 生来の負けん気の強さが、彼女を奮い立たせた。


(城の中がこんな陰気くさい場所なんて、夢にも思わなかったよっ!)


 肩を怒らせながら自室へと戻ってゆく最中、濃紫のローブを着た女たちが忙しくしているのが見えた。

 手には金槌を握り、何やら困った様子でオロオロとしているようだ。

 そこは朝、クレアが王女に()()()()場所――苦い記憶が蘇り、ぶんぶん記憶を振り払った。

 いったい何事か? と、それらが集まっている所に首をひょいと伸ばしてみると、釘と金槌を片手に、ああでもないと揉めているように見受けられる。


「いったい、何をしてるんだい?」

「え、あ、あの……」

「何だい、蝶番(ちょうつがい)の修繕――ああ、こりゃネジ緩んじゃってるね。

 無茶苦茶やっちゃってるし……アンタ、その道具貸しな」

「え……」


 工具箱を持った女は、思わず固まってしまった。


「いいから早くするんだよっ!」

「は、はいぃっ!」


 クレアにビビった女は、涙目でピョンピョンとジャンプし始めた。


「誰が小銭よこせって言ったんだい! 工具箱だよ、工・具・箱・っ!」

「ひぃっ!? も、申し訳ありませぇんっ……」


 クレアはそれをひったくるように受け取ると、すぐに蝶番の具合を見て、ドライバー手にネジを外し始めた。


(やっぱり、私はこうして工具片手に作業している方が性に合ってるね)


 職人の血が騒いだクレアであったが、その血が凍る思いをするのは全ての作業を終えてからのことである――。

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