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第5話 存在する“意味”

 “異常事態”からしばらく――クレアが来ていることを聞いたリュンカは、差し入れを持って二人の下を訪ねていた。

 しかし、ずんと重苦しい負のオーラに満ちた作業場を見るや、リュンカは思わず()っと息を呑み、近づくのを躊躇ってしまう。


「――ああ、それであんなに落ち込んでいるんですね」


 進次郎から理由を告げられ、リュンカは思わず苦笑を浮かべた。

 クレアはリュンカがやって来たことに気づいておらず、肩を落としながら、黙々と白い看板に文字を描き続けている。

 商売道具を踏みつける――これまで絶対にしないようにしてきたことを、一度ならず二度までもしてしまったクレアの落ち込み方は、尋常ならざるものであった。


「『何かの呪いだ……』と、呪詛のようにブツブツと呟く姿は、正直――怖い」

「あ、あはは……あの人は、そういうの凄く気にする人なので……」


 職人気質に見えるけど、実は繊細な人だから……と、リュンカは続けた。


「ちょっと、挨拶してきますね」


 リュンカはそう言うと、ゆっくりとクレアの下に歩み寄り、明るい表情で声をかけた。

 すると、クレアはすぐに表情を崩して立ち上がった。……かと思うや、突然がばりとハグを行い、何度も背中をパンパンと叩く。そして今度は、肩を握ったまま、堰を切ったかのように話かけ始める。

 リュンカはそれに顔を赤らめ、モジモジとしながらポツリポツリと答える――するとクレアがカラカラと笑う。その光景はまるで、従姉妹か本当の姉妹のようであった。

 様子からして、“花摘み祭り”の話をしているのだと分かる。

 二人の微笑ましい光景を見ていた進次郎は、クレアが描いていた看板に目線を移した。


(あれが、この国の看板なのか?

 シンプルな商業看板、いや……どっちかと言うと、工事看板に近い、か?)


 白地の板に“矢印と字”がずらずらと綴られた、シンプルな看板であった。


(そう言えば、絵文字が広まったきっかけは、東京オリンピックだっけ……?)


 差し入れのお茶が入った竹筒をぐっとあおりながら、そこに描かれている“文字”をじっと観察した。

 自身はこちらの文字が書けないので、文字やマークはクレアが描いている。

 見た限り、“この世界”の文字は、アルファベットの一部を切り離したような、“ワードアート”に近い形をしているようだ。

 絵がほとんど無いのは、こちらにはまだピクトグラム――絵文字なるものがないからだろうか?

 しげしげと看板を見ている進次郎にクレアは気づくと、とある一枚の看板に目を向けながら口を開いた。


「シンジ、あの中の左から二番目――あれは、アンタの好きに描いていいよ」

「二番目? ……ああ」


 進次郎はすぐにそれに気づいた。

 彼女が指示したのは、薄っすらと靴の形が残されている看板――もはや見るのも嫌なのだろう。


「うーむ……」


 進次郎は困った。字が読めないせいで、クレアが作った看板ですら“意味”がサッパリなのだ。

 見よう見まねと言う手もあるが、それではただの模倣である。

 それに、どうしてか分からないが、クレアは新しいモノを求めている。そんな気がしていた。

 好きに描いていいと言われておきながら、彼女の作品を――()()()()()()ようなマネをすれば、間違いなく興ざめされてしまうだろう。

 進次郎は頭を悩ませ続けた。


「――ちなみに、必要な立て看板の内容はどんなのなんだ?」

「あー、そうだねぇ……【行き止まり】は作ったし、【ロープより向こうに行くな】とか【()()を外しすぎるな】も描いたし……。

 ああ、リュンカ用がいいね――【予約済みだから来るな】みたいなの!」

「ちょっ、く、クレアさんっ!?」

「アンタ、まだ“咲く場所”も決めてないんだろ?

 そんなんじゃ、ウィル以外の男に先に“摘まれ”、連れ込まれちまうよ。

 何事もなく、無事にコトを済ませられるのなら、できることはやっていかなきゃ」

「う、確かにそうですが……」

「なるほど。無事に、か……」


 進次郎はその言葉に引っかかり、顎に手をやって考え始めた。

 瀕死であったところを見つけ、看病してくれた。

 まさに今この時が恩返しの時であろう、と。


(一度死んだけど、彼女は俺の命を救ってくれた……。

 となれば、彼女の『身の安全』を願うものがいいな。

 お守りと言うより、駆け込み寺のような、不可侵の聖域みたいなのにすれば――)


 その時、進次郎の頭に“あるデザイン”が浮かび上がった。


「よしっ! これなら、字が書けなくてもいける!」


 そう言うや、迷わず青色のペンキ缶とハケを握りしめた。

 他の作業も必要になるが、リュンカのためならば何だってするつもりである。

 何だ何だと興味津々なクレアの視線を背に、進次郎は作業を始めた。


 ・

 ・

 ・


 それはほぼ青一色で済むため、塗装作業はすぐに完了させられた。

 クレアにだけに教えられた“名前と意図”に、彼女は『なるほど』と声をあげたものの、それと同時に疑念も抱いた。


(シンジの国って、あまり教育が行き届いてないのかね?

 まぁ、私も人のこと言えたもんじゃないけどさ……)


 クレアは学び舎に通っていたため、読み書き算術程度は習得している。

 しかし、成績は下の下――就学期間が終わったから卒業できただけであり、未だに算術の問題を出されると暴れ回りそうになってしまうほどだ。

 言っては何だが、“この業界”は、そのような学がない者も多い。

 学び舎に通っていたのも、父親が『女には最低限の教育を』と望んだからに過ぎない。

 当時は嫌々通っていたクレアであったが、大人になって初めて『身体は馬鹿でも動かせる』と、当時の父親の気持ちを理解したのだった。


(忌々しく思った時もあったけど……今は父さんに感謝しているよ)


 一服した後は、柵の代わりとなるロープを張るついでに、リュンカが潜む場所も探し始めた。

 クレアは作業しながら、茂みから現れた野うさぎをビクビクと観察している進次郎に、探るような目を向け続けた。

 牙の生えた兎が珍しいのか、リュンカに首を切られないかと確かめるような手振りをしている。


【記憶を失っているのか、本当にそうであるのか分からないが、彼はこの国……いや、“この世界”の人間ではないらしい――】


 その姿に、トマスからの手紙に書かれていた一文をふと思い出した。

 失礼ながらもそれを見た時、『あの若さでボケたのか?』と考えてしまったほど、おかしな文章であった。


 ――シンジは本当に、この国のことについて知らないのか?


 彼としばらく行動を共にし、『本当に“異なる世界”らの来訪者かもしれない』と思い始めている。

 不思議とそこが興味深かった。女がこのような、男だてらの仕事に就くことは異例のことだ。

 そんなクレアからすれば、視線の先にいる彼もまた“異例”であり、新たな風をもたらしそうな期待感がそこにあった。


「――お、こことか良さそうだな」


 進次郎は周囲を見渡しながらそう口にした。

 彼が指差した所はシダの葉が覆いかぶさり、下から腰ほどの雑草が生い茂っている。

 立っていれば目立つが、下にしゃがみこんでいれば気づかれにくい場所だろう。それに出口にも近い、いい場所であった。

 鼻息を荒げる男たちの意識は“花”に向かっているため、彼が作った、青色に白抜きの“V字”マークの看板――まるで意味の分からないそれに気づいても、一瞥して終わるはずだ。


 ――好きなモノを描いていい


 そう言った張本人であるものの、クレアはどこか物足りなさを感じ、何度も下唇を出してしまう。


「確かにインパクトはあるけど、やっぱ地味だねぇ……」


 目新しい新鮮さはあるが、想像していたような“奇抜さ”ではないし、彼のやっていた仕事内容といい、少しばかり期待外れ感が否めない。


「これ、俺が居た国で使われていた、【安全地帯】の標識のマークなんだ。

 歩行者が道路の上で立っていられる区画を示す――まー、こんな山道に立てるようなモノでもないけど、さっき言った“願い”をこめるとしたら、不思議と思い浮かんだんだ」

「『図示だけ見れば、字を見ずとも意味は通じる』ってところは面白いね」

「ズラズラ字を書くと、運転手はそっちに意識取られて余計に危ないからな。前方不注意になるし」

「あー、確かにそうなんだよね……。

 私も、未だに読み取るのに苦労する時あるしさ……」


 本を読むことすら嫌になるときがある、とクレアは続けた。

 傍でその話を聞いていたリュンカは、二人の会話に『ん?』と小首を傾げた。


「あれ、リュンカちゃん、どうかした?」

「い、いえっ、何でもありません――」


 リュンカは、慌ててはぐらかした。

 進次郎の“語る世界”は速く、クレアの“語る世界”は遅い。

 双方が頭に描いている光景が“食い違い”、真逆ではないか、と思ったのだ。


 ――絵が意味を持っているから、あえて字で説明する必要がないのでは?


 恐らく進次郎の国は識字率が高く、無意識の内に文字に気を取られてしまうのだろう。

 そんな疑問が浮かんでいたが、何となく通じ合っているようなので、リュンカはそれで良しとしていた。

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