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第4話 惚れた弱みと黒歴史

 一週間後――“新製品開発会”の日を迎えたクレアは、迎えにきたダヴィッド馬車の中で、じっと窓から覗く世界を眺めていた。


(出発前ぐらい、ちゃんと話しておくべきだったかもしれないね……)


 ただぼんやり流れてゆく風景のように、時間だけが無為に過ぎた。

 昨日になって、進次郎にそれとなく尋ねてみたクレアであったが、彼女と最後に会ったのは【雨宿り通り】で泊まった時で、感謝を述べただけだと言う。

 恐らくは、その時を見られたのだろう。しかし、仮にそれが真相であっても、彼女の心に潜んでしまった”疑いの悪魔”を祓うには弱いものだ。


 実際のところ、『浮気しているかどうか』なんてどうでもよかった。

 それよりも、“自由市場”の商人や修道女たちに尋ね回っても、誰もが口を揃えて『このような女性は見たことがない』と、答えたことが問題なのだ。


(あれだけ人がいる“自由市場”で、誰一人として存在を知らないなんて……。

 顔色や仕草とか見ても、皆が嘘をついてる気がしないし……)


 ならば、いよいよ“反女王派”か――クレアはつまらなさげに鼻を鳴らす。

 見つければ『もう二度とシンジに関わるな』と、平手打ちの一発でもお見舞いしてやるつもりであったのだが……それも空振りに終わってしまった。


「――クレア。シンジ君と喧嘩でもしたのかい?」

「え? いや、そ、そんなことはないですよっ!?」


 隣に座るダヴィッドの言葉に、クレアは慌てて首を振った。

 実のところ、喧嘩ではないが少し突っぱねた態度をとってしまったりと、胸に手を当てることは多い。

 正直に話そうかとも思っていたが、このデリケートな時期に“反女王組織”が相手とならば、少しことが大きくなってしまうため、確たるものが得られるまで黙っているつもりでいた。


「――男の私が言うもの何だが、多少のヤンチャには目を瞑ってやるのも大切だぞ?

 マクセルも昔、〔ケリィ〕の“女の勘”に、相当苦労させられてきたからな」

「え、えぇぇっ、か、母さんも!? 父さんからはそんなことまったく……。

 で、ですがその……私は別に、浮気の一つや二つ、構いやしませんよ?

 ただその……私が認めた者だけ、に限りますが……」

「はっはっはっ! なら、シンジ君は他に誰も選べぬな!」

「うっ……」

「安心しろクレア。彼は、富や名声・見てくれに眩まない眼を持っている。

 他の女が言い寄って来ても、決して君を裏切ることはしないだろう。

 なんせ――」


 ダヴィッドは小声で『あのクリアス王女のお誘いを、断ったのだからな』と続けた。

 まさか、とクレアは思わず目を丸くした。確かに妙なアプローチをされていたが、それは王女に何らかの策があるからと思っていたからだ。


「それどころか、この間なぞ『小便臭かった』などと手紙で言われたらしくてな……あの時はなだめすかすのに苦労した……。

 ああ……次から会う時は、鎧を絶対に着用するように言っておいてくれ。

 小剣を片手に『どこを刺せば苦しみながら死ぬのか』と尋ねてきたからな……」

「あ、あはは……。何かと思ってたら、そんなこと書いてたんだ……」


 そりゃ怒る、とクレアは呆れ果てたが、同時に誇らしくもなった。

 思えばどうと言うことではないか。どちらも似たもの同士、浮ついた心を保っていられるほど、器用な人間ではないのだ。まさにワンコも食わぬような理由で、自分が勝手にヤキモキしていただけなのである。

 もし今晩、“夢の中”で会えたなら……疑っていたことを謝ろう。

 そう心に決めながら、クレアは徐々に大きくなってゆく“王城”の城門に、胸を膨らませた。


 ・

 ・

 ・


 ……だが、城内に足を踏み入れるやいなや、クレアは思わず回れ右をして帰ろうとしてしまっていた。

 住む世界が違いすぎる。『作業服は職人の死装束だ』と自負していても、ここではただの場を弁えない世間知らずに思えてしまうほど、城内は別世界であったのだ。

 周囲のもの珍し気な目が、下賤な庶民をあざ笑うかのような侮蔑・蔑視のそれに見えてしまい、背を丸めて赤い絨毯の上を歩いてしまったほどである。


(う、うぅぅぅっ……ここまでとは思わなかったよ……。

 ダヴィッド様が用意してくれるって言ってたから任せてたけど、礼装の一着ぐらい持っておくべきだった……)


 逃げ込むようにして、ダヴィッドに指示された更衣室に入った。

 広い部屋の中には、補助役の者が一名――彼女用であろう、うぐいす色のドレスを手にして待機していた。

 すぐに作業服を脱ぎ、それに着替えたのだが……


 ――殺人的に似合っていない


 鏡に映った女は、令嬢のようにすっとドレスの両裾をつまみ上げてみた。

 ……そして、すぐさま苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、両手で顔を覆った。

 この国の“中流階級”の女たちによく着られている、首から胸元の部分を大きく開いたドレスであるが、ここまで己は“田舎者”なのかと激しい自己嫌悪に陥ってしまっている。


 ――呼びに来た、案内の使用人たちの目ですら、怖い


 紳士淑女が集う“開発会”の会場に入った時なぞ、言葉通り卒倒しそうであった。


(み、皆と同じ恰好しているんだし、大丈夫、大丈夫だから!

 頑張るんだよ私っ! そうっ、向こうにいる女だって、私よりブサイクだっ!)


 室内には十人もいない。でっぷりと肥えた女を見て、クレアは心を落ち着かせた。

 談話室のサロンを会場にしているようだが、それでも五十人はゆうに入れるほど広い所だ。

 ……ともなれば、一人あたりに向けられる目が、相対的に大きくなるはずなのだが、


(私の姿なんざ、気にもしてないようだね)


 むしろ、誰も“ヒト”を、その目を見ていない。

 それぞれのネームプレートが乗せられた席の上には、水とメモ紙、野菜やチーズ……そして真っ黒な“液体”が入った小皿が置かれており、ずっとそれとにらめっこしている。

 一日目は味を見てからの成分分析、二日目から試作に入ると聞いている。

 つまり、この日の段階でミスすれば全てが台無しとなってしまうので、皆が正面の“液体”に目を血走せるのは当然であろう。

 席に着いた者から始めてよいらしく、席についたクレアは観察するように辺りを見渡し始めた。


(こいつら、まるで森で見かける<スカラベ>だね……。

 でも、シンジに会う前の私だったら、きっと他の連中と同じように“蜜”を舐めていたかも……)


 それは、“樹液”を啜って生きる、独占欲の強い夜行性の甲虫だった。

 目の前の老若男女もまた、莫大な“受益”を我が物にせんと、チマチマと“蜜”を舐め続けて生きている。その虫と変わらぬ姿は、とてつもなく滑稽に映った。

 今のクレアには、お金よりも時間――愛した男と共にいる時間は、得られる金貨の何十倍の価値があるようにも思えている。


(夏の夜はどうしてこんなに短いのだろう? 一日中、夜の日があってもいいのに。

 子供の頃、月を眺めながら、ぼうっと考えたことがあったっけね……)


 大人になっても同じこと考えるなんてね……と、クレアは口元を緩ませた。


(今晩、逢えたらいいな――)


 さっさと終わらせて帰ろう。

 そう思いながら、小皿に入ったそれに中指をつけた。

 さらさらとした墨のようだ。これが喰える物だと説明されなければ、少し躊躇ってしまうかもしれない。

 周りの者がそうしているからと言い聞かせ、中指ついた黒い水滴を、思い切ってペロりと舐めた。


(――――!!)


 舌先にピリッとしたのを感じ、ぐわっと目を見開いた。


(味が……まったく分からない……ッ!?)


 恐らくしょっぱいであろう、クレアにはその程度しか理解できていなかった。

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